北欧のフラワーベース(花瓶)完全ガイド|アアルトベースからフリーベリ、リサ・ラーソンのユニークピースまで——ガラスと釉薬の花器の物語

北欧のフラワーベース(花瓶)完全ガイド|アアルトベースからフリーベリ、リサ・ラーソンのユニークピースまで——ガラスと釉薬の花器の物語

カール・ラーション 花咲く窓辺
カール・ラーション《花咲く窓辺》(1894年)。鉢植えの花が並ぶ窓辺で水やりをする娘の姿に、スウェーデンの住まいと花の関係が描かれている(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

北欧のヴィンテージを集めていくと、皿やカップの隣に、自然とフラワーベース(花瓶)の世界が見えてきます。アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)の波打つガラス、ベルント・フリーベリ(Berndt Friberg)の兎の毛のような釉薬、リサ・ラーソン(Lisa Larson)が一点ずつ手がけたユニークピース、マリ・シムルソン(Mari Simmulson)の女性の顔のレリーフ——花瓶は、北欧のデザイナーたちがもっとも自由に腕をふるった器のかたちです。

その背景には、長く暗い冬を暮らす人々の、花への強い思いがあります。夏至の野の花、窓辺の鉢植え、クリスマスのヒヤシンス。花を住まいに迎えることは、北欧では季節の光を室内に取り込むことと同じ意味を持ってきました。だからこそ、花を受けとめる器にも、各国の窯とガラス工房が最良のデザイナーを投入してきたのです。

本記事では、北欧の暮らしと花の文化から始めて、アアルトベースの誕生、リーヒマキやヌータヤルヴィ(Nuutajärvi)のガラス、グスタフスベリとロールストランドの釉薬の花器、ウプサラ・エクビーのフェイスベース、そして選び方と飾り方まで、フィンランドとスウェーデンを旅するようにたどります。当店で出会える一点ものの花器もあわせてご紹介します。

この記事でわかること

  • 夏至祭の花冠から冬のヒヤシンスまで、北欧の暮らしに花瓶が根づいた文化的背景
  • 1936年のコンペから生まれたアアルトベース(サヴォイベース)の誕生史と、リーヒマキ・ヌータヤルヴィ・イッタラのガラスベースの系譜
  • フリーベリ・リンドベリ・ニールンド・ストールハネ——スウェーデンの窯が生んだ釉薬の花器と、リサ・ラーソンのユニークピース
  • ウプサラ・エクビーの掻き落としとフェイスベース、デンマーク・ノルウェーの花器の流れ
  • プレスガラスと吹きガラスの見分け方、陶の花器のサインの読み方、観賞用の花器としての飾り方

目次

  1. 北欧の暮らしと花——長い冬が育てた文化
    1. 夏至祭の花冠と七種の野の花
    2. 冬のヒヤシンスと球根のガラス器
  2. アアルトベース——湖の輪郭をもつフィンランドの象徴
    1. 1936年のコンペと「エスキモー女性の革ズボン」
    2. レストラン・サヴォイと名前の由来
    3. 吹きガラスの技——竿の先のオレンジ色
  3. フィンランドのベース——リーヒマキ、ヌータヤルヴィ、イッタラ、ARABIA
    1. リーヒマキの色彩——テュネル、スティル、アラディン
    2. ヌータヤルヴィ——カイ・フランクとオイバ・トイッカ
    3. イッタラのアートガラス——カンタレッリとオルキデア
    4. ARABIAの陶のベース
  4. スウェーデンの釉薬ベース——グスタフスベリとロールストランド
    1. 装飾壺から「美の実験室」へ——ヴィルヘルム・コーゲ
    2. ベルント・フリーベリ——ロクロと釉薬の孤高
    3. スティグ・リンドベリ——プンゴとヴェックラ
    4. ニールンドとストールハネ——ロールストランドの釉薬
  5. グスタフスベリのスタジオとリサ・ラーソンの花器
    1. グラナダ——濃紺の釉薬と掻き落とし
    2. カロリンとタリア——量産の花器シリーズ
    3. ユニークピース——一点ものの世界
  6. ウプサラ・エクビー——掻き落としとフェイスベース
    1. アンナ=リーサ・トムソンの「パプリカ」
    2. マリ・シムルソンのフェイスベース
    3. イングリッド・アッテルベリの文様
  7. デンマークとノルウェーの花器
  8. 選び方・見分け方——ガラスと陶、それぞれの手がかり
    1. プレスガラスと吹きガラス
    2. 陶の花器のサインと刻印
    3. コンディションの見方
    4. 博物館で本物に出会う
  9. 飾り方——観賞用の花器として
  10. まとめ

北欧の暮らしと花——長い冬が育てた文化

フィンランド ムーラメの初夏の草原
フィンランド・ムーラメの初夏の草原。タンポポが咲き、遠くに森が霞む。北欧の人々が花を野から摘んできた原風景(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0(撮影:Tiia Monto))

北欧の花瓶を理解する出発点は、デザイン史ではなく気候です。フィンランドやスウェーデンの冬は長く、南部でも日照は一日数時間まで縮みます。雪と闇の数カ月を抜けて、五月、六月に一斉に野の花が咲く——その短い夏の輝きを、北欧の人々は古くから特別なものとして祝ってきました。花を住まいに迎える行為は、この国々では「季節そのものを室内に連れてくる」ことに近い意味を持ちます。

冒頭に掲げたカール・ラーション(Carl Larsson)の水彩画《花咲く窓辺》(1894年)は、その象徴のような一枚です。大きな窓の窓台に鉢植えがずらりと並び、娘がジョウロで水やりをしています。19世紀末のスウェーデンの住まいで、窓辺はすでに小さな庭でした。光の乏しい土地だからこそ、窓のそばのいちばん明るい場所が、花と緑のための特等席になったのです。この感覚は、20世紀の花瓶のデザインにもまっすぐ流れ込んでいきます。

夏至祭の花冠と七種の野の花

スウェーデン ヴァックスホルムの夏至祭
スウェーデン・ヴァックスホルムの夏至祭。葉と花で飾られたメイポールの周りに人々が集う(画像:Wikimedia Commons/CC BY 2.0(撮影:Carles Tomás Martí))

北欧の花の文化がもっとも華やぐのが、六月の夏至祭(ミッドサマー)です。スウェーデンでは白樺の葉と花で飾ったメイポールを立て、人々は野の花で編んだ花冠を頭にのせて、ポールの周りで歌い踊ります。太陽がほとんど沈まないこの夜は、農耕社会のスウェーデンでは植物が癒しの力を増す魔法の時間と信じられていました。

夏至の夜には、古い言い伝えも残っています。七種——地方によっては九種——の野の花を黙ったまま摘み、枕の下に置いて眠ると、将来の伴侶が夢に現れるというものです。摘んでいるあいだ、ひと言も話してはいけません。花は単なる飾りではなく、未来を映す小さな占いの道具でもありました。野の花を摘んで持ち帰る習慣が深く根づいた土地で、それを受けとめる器が発達しなかったはずがありません。

冬のヒヤシンスと球根のガラス器

室内で咲くピンクのヒヤシンス
薄暗い室内で咲くピンクのヒヤシンス。北欧では長い冬のあいだ、球根の花を室内で育てて春を待つ(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(撮影:Bernt Fransson))

夏の対極にあるのが、冬のヒヤシンスです。スウェーデンやデンマークでは、アドベント(待降節)からクリスマスにかけて室内にヒヤシンスを飾る習慣が深く根づいていて、スウェーデンではクリスマスシーズンに約1,200万本ものヒヤシンスが家々に迎えられます。闇のいちばん深い季節に、球根から伸びる花穂と香りで春を先取りする——北欧らしい、切実で美しい習慣です。

球根を水栽培で早咲きさせる技法そのものは、19世紀のヴィクトリア朝期に大衆化しました。くびれのある砂時計形の「ヒヤシンスグラス」は、球根を上に据えて根を水に伸ばさせるための専用のガラス器です。根が水のなかに広がっていく様子まで見せて飾るこのスタイルは、自然の営みを隠さず眺める北欧の美意識とよく響き合い、いまも冬の窓辺の定番になっています。夏は野の花、冬は球根。一年を通じて花が絶えない暮らしのなかで、花瓶は北欧の住まいに欠かせない器になっていきました。

アアルトベース——湖の輪郭をもつフィンランドの象徴

北欧の花瓶をただ一つ挙げるなら、多くの人がアアルトベース(サヴォイベース)の名を口にするはずです。建築家アルヴァ・アアルトが1936年にデザインした、自由な曲線で波打つガラスの花瓶。発表から90年を経たいまも、フィンランドデザインの象徴であり続けています。

1936年のコンペと「エスキモー女性の革ズボン」

アアルトベースの出発点は、1936年にカルフラ=イッタラ(Karhula-Iittala)が開催したガラスデザインのコンペティションです。目的は、翌1937年のパリ万国博覧会に出品する作品の獲得でした。アアルトはこのコンペに、「Eskimoerindens skinnbuxa(エスキモー女性の革ズボン)」という謎めいたタイトルでスケッチを応募します。クレヨンと鉛筆で色紙に描かれたラフなスケッチで、浅い皿から背の高い花瓶まで、約10点のフリーフォームの器が並んでいました。

この応募作が一等を獲得し、一連のガラス器は1937年のパリ万博フィンランド・セクションで初公開されました。直線と対称を旨とする当時の装飾的なガラス器のなかで、どこにも同じ曲率のない有機的な輪郭は、まったく新しいものでした。この曲線が何に由来するのか、アアルト自身は明言を残していません。フィンランドの無数の湖の入り組んだ汀線を想起させる、と語り継がれてきたのは、それだけこのかたちがフィンランドの風景と分かちがたく見えるからでしょう。

アルヴァ・アアルトの建築・家具・ガラスを横断する生涯については、当店の「アルヴァ・アアルト完全ガイド」で詳しくたどっています。また、妻のアイノ・アアルト(Aino Aalto)も、1932年のコンペで入賞し、1936年のミラノ・トリエンナーレで金賞を得たガラスのデザイナーであり、その物語は「アイノ・アアルト完全ガイド」でご紹介しています。

レストラン・サヴォイと名前の由来

ヘルシンキのレストラン サヴォイ
ヘルシンキ・エテラエスプラナーディのレストラン「サヴォイ」入口。サヴォイベースの名の由来となった店(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0(撮影:Motopark))

「サヴォイベース」という呼び名は、ヘルシンキの中心部エスプラナーディに1937年に開業したレストラン「サヴォイ」に由来します。内装をアアルト夫妻が手がけたこの店では、開業の1937年からアアルトの花瓶がテーブルを飾ってきました。建物の8階、公園の緑を見下ろすダイニングに置かれた波打つガラス——レストランの名は、そのまま花瓶の愛称になりました。

アアルトベースは、現在のイッタラを代表するシリーズとしても知られています。職人の口吹きによる製法を受け継ぐ名作として、誕生から長い年月を経ても高い評価を保っています。ヴィンテージの個体と現行品を並べると、時代ごとの色味やガラスの厚みの違いに、工場の歴史がそのまま映ります。イッタラの村と工場の歩みは「イッタラ村の歴史」でご覧いただけます。

吹きガラスの技——竿の先のオレンジ色

ベーダ・シェーンシャンツ ガラス吹きたち
フィンランドの画家ベーダ・シェーンシャンツ(Beda Stjernschantz)《ガラス吹きたち》(1894年)。炉の光に照らされた工房で職人と少年たちが吹き竿を操る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

北欧のガラスベースの価値を支えているのは、デザインだけではありません。それを実際のかたちにする、吹き手の技です。1894年にフィンランドの画家ベーダ・シェーンシャンツが描いた《ガラス吹きたち》には、炉の光のなかで長い吹き竿を操る職人と、その足元で働く少年たちの姿があります。19世紀のガラス工房は、こうした徒弟制の世界でした。

コスタのガラス工房での吹きガラス
スウェーデン・コスタの工房で、吹き竿の先に赤く灼けたガラス種を持つ職人。北欧のガラスは今も手吹きの技で形づくられる(画像:Wikimedia Commons/CC BY 2.0(撮影:Andy Eick))

そして驚くべきことに、この光景は決して過去のものではありません。スウェーデンのコスタでも、フィンランドのイッタラでも、竿の先でオレンジ色に光るガラス種を職人が回し、息を吹き込み、木型と道具で輪郭を整えていく工程は、いまも基本的に同じです。ヴィンテージのガラスベースを光にかざしたとき、わずかな気泡や厚みの揺らぎが見えることがあります。それは欠点ではなく、人の肺と手がかたちを作った証です。

フィンランドのベース——リーヒマキ、ヌータヤルヴィ、イッタラ、ARABIA

アアルトベースの陰に隠れがちですが、20世紀のフィンランドには、花瓶の名作を生んだ工房がいくつもありました。ここでは三つのガラス工房と、陶のARABIAをたどります。

リーヒマキの色彩——テュネル、スティル、アラディン

ヘルシンキの北、鉄道の要衝の町リーヒマキで1910年に創業したリーヒマキ・ガラス(Riihimäen Lasi Oy)は、1927年のカウクラハティ硝子工場買収を経てフィンランドを代表するガラス工場のひとつへと成長しました。日本のヴィンテージ市場で「カラフルな北欧ガラスの花瓶」としてまず思い浮かぶのは、多くがこの工場の製品です。

その黄金期を支えたのが、1937年入社のアイモ・オッコリン(Aimo Okkolin)、1949年入社のヘレナ・テュネル(Helena Tynell)とナニー・スティル(Nanny Still)、そして1959年入社のタマラ・アラディン(Tamara Aladin)という4人のデザイナーです。テュネルの代表作「アウリンコプッロ(Aurinkopullo=太陽の瓶)」は1963年にデザインされ、1964年から1974年まで製造されました。太陽を思わせる円盤形の本体に短い首が立つこの作品は、もともとアートガラスの瓶として設計されながら、花瓶として世界中で人気を集め、複数のサイズと多彩な色展開で知られています。スティルは「ハルレキーニ(Harlekiini)」(1959年)や「グラッポニア(Grapponia)」(1968年)などの彫刻的なシリーズを、アラディンはフープ状・リブ状の輪郭が連なるカラフルな量産花瓶を残しました。

リーヒマキの工場は1990年に閉鎖され、その花瓶たちはすべてヴィンテージとなりました。工場の80年の歩みは「リーヒマキ・ガラス工房の歴史」で、二人のデザイナーの生涯は「ヘレナ・テュネル完全ガイド」「ナニー・スティル完全ガイド」で詳しくたどっています。

クメラ ピトゥシ フラワーベース
クメラ社のフラワーベース「ピトゥシ(Pitsi)」。型の表面に刻まれた繊細な凹凸がレースのような陰影を生む

フィンランドのガラスは大工場だけのものではありません。クメラ(Kumela)のような小さな工房も、ピトゥシ(Pitsi)のように表情豊かな花瓶を残しています。大量生産の名作と小さな工房の一点——その幅の広さこそ、フィンランドガラスの厚みです。

ヌータヤルヴィ——カイ・フランクとオイバ・トイッカ

ヌータヤルヴィ カステヘルミ フラワーベース
ヌータヤルヴィのカステヘルミ(Kastehelmi)のフラワーベース。朝露を思わせるガラスの粒が段をなして器面を覆う

1793年にウルヤラの地で創業したヌータヤルヴィは、フィンランドで長い歴史をもつガラス工場です。当初は窓ガラスと瓶を作る工場でしたが、20世紀半ば、ここがフィンランドの色ガラスの中心地になります。立役者は、1951年から1970年代半ばまでアートディレクターを務めたカイ・フランク(Kaj Franck)でした。フランクは工場の色ガラスの専門性を徹底的に高め、ヌータヤルヴィの製品に、他のどの工場とも違う深く澄んだ色彩を与えます。

そのフランクのもとから登場したのが、オイバ・トイッカ(Oiva Toikka)です。数百種に及ぶガラスバードで世界的に知られるトイッカですが、花瓶の世界での代表作はプレスガラスの「カステヘルミ(Kastehelmi)」でしょう。表面に並ぶ露の粒のような突起は、プレス成形で避けられない型の継ぎ目を隠す工夫から生まれました。制約を装飾に変えるこの発想は、ヴィンテージガラスの読みどころのひとつです。2024年には、トイッカのバードの常設展示「Lintukoto」がヌータヤルヴィに開設されました。工場の230年の物語は「ヌータヤルヴィ・ガラス工房の歴史」で、カステヘルミの誕生は「カステヘルミとは」でご紹介しています。

イッタラのアートガラス——カンタレッリとオルキデア

ヘルシンキのイッタラストアに並ぶウルティマ・ツーレ
ヘルシンキのイッタラストアに並ぶタピオ・ヴィルカラの「ウルティマ・ツーレ」。溶けかけた氷柱のような底部がヴィルカラの自然観察を物語る(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(撮影:Vadelmavene))

イッタラのアートガラスの歴史で、花瓶は主役の座にあります。転機は1946年。イッタラが開催したアートガラスのコンペで、タピオ・ヴィルカラ(Tapio Wirkkala)とカイ・フランクが共同優勝しました。このコンペを契機に生まれたヴィルカラの「カンタレッリ(Kantarelli=アンズタケ)」(1946年)は、森のきのこの傘の輪郭をそのままガラスの花器に移した作品で、フィンランドの戦後デザインの夜明けを告げる一点になりました。

続くティモ・サルパネヴァ(Timo Sarpaneva)の「オルキデア(Orkidea=蘭)」(1953年)は、スチームブローと手整形による、つぼみのような量塊のアートガラスです。1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞し、同年にはアメリカの雑誌「House Beautiful」が「今年最も美しいオブジェ」に選びました。サルパネヴァはイッタラの「i」ロゴのデザイナーでもあり、ヴィルカラとともに、花器を「花のための道具」から「それ自体が彫刻であるガラス」へと引き上げた人です。二人の巨匠については「ティモ・サルパネヴァ完全ガイド」「タピオ・ヴィルカラ」の記事をご覧ください。

ARABIAの陶のベース

ARABIAの反転式ベース
ARABIAの反転式(リバーシブル)ベース。1950年代、カール=ハインツ・シュルツ=ケルン(Karl-Heinz Schultz-Köln)のデザイン。上下を返して二通りに飾れる構造をもつ。ヘルシンキ市立博物館収蔵(画像:Wikimedia Commons/CC BY 4.0(Helsinki City Museum))

フィンランドの花瓶はガラスだけではありません。食器の名門ARABIAも、アート部門と量産ラインの両方で陶の花器を作り続けてきました。上の写真の反転式ベースのように、機知に富んだ造形が1950年代のARABIAにはあふれています。

ARABIA エミリア フラワーベース
ARABIAのエミリア(Emilia)のフラワーベース。転写による細密な絵柄が器面を一周する

量産ラインでは、1959年発表の絵柄「エミリア(Emilia)」のように、人気シリーズの絵付けをまとった花瓶が作られました。デザイナーはライヤ・ウオシッキネン(Raija Uosikkinen)。皿やカップと同じ絵柄の花瓶は、シリーズ収集の世界では「最後のピース」として探される存在です。ウオシッキネンの生涯は「ライヤ・ウオシッキネン完全ガイド」でたどれます。

スウェーデンの釉薬ベース——グスタフスベリとロールストランド

グスタフスベリのフィラデルフィア・ヴァース
グスタフスベリ窯が1873年に製作した高さ127cmの大作「フィラデルフィア・ヴァース」。博覧会の時代を物語る壮麗な装飾をまとう。ストックホルムのナショナルミュージアム所蔵(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(Photo: Nationalmuseum, Stockholm))

スウェーデンの花瓶の歴史は、フィンランドのガラスとは別の道筋——釉薬の道をたどりました。舞台は二つの名窯です。1726年創業でスウェーデン最古のロールストランド(Rörstrand)と、1825年創業のグスタフスベリ(Gustavsberg)。19世紀の両窯にとって、大型の装飾壺は技術力を誇示する檜舞台でした。上の写真の「フィラデルフィア・ヴァース」のような博覧会向けの大作から、20世紀の静かな一輪挿しまで、スウェーデンの花瓶は約100年で劇的な変貌を遂げます。

装飾壺から「美の実験室」へ——ヴィルヘルム・コーゲ

ヨーゼフ・エクベリの栗文様のベース
グスタフスベリのヨーゼフ・エクベリによる栗の葉文様のベース(1904年)。淡い青紫のアール・ヌーヴォー様式。ヘッセン州立博物館ダルムシュタット収蔵(画像:Wikimedia Commons/CC0(撮影:Daderot))

20世紀初頭のグスタフスベリは、上の写真のようなアール・ヌーヴォー様式の優美なベースを作っていました。そこに1917年、アートディレクターとして着任したのがヴィルヘルム・コーゲ(Wilhelm Kåge)です。コーゲは1949年までの在任中にグスタフスベリを近代化し、1942年には後継者スティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)とともに工場内にスタジオ(G-Studio)を開設して、「美の実験室」と呼びました。量産の食器工場のなかに、芸術のための小さな聖域を作ったのです。

コーゲ自身の花器の頂点が、炻器シリーズ「ファルスタ(Farsta)」です。名前はグスタフスベリ近郊の、粘土の採れる半島に由来します。鋳込みで成形した器体に、コーゲ自身が加飾と施釉を施すことが多く、美術館や蒐集家に向けた少量生産でした。もっとも評価の高い作品群は、引退後の1950年代に制作されています。

グスタフスベリ アルジェンタ 一輪挿し
コーゲのアルジェンタ(Argenta)の一輪挿し。深緑の釉薬に銀彩の草花文様が浮かぶ

コーゲにはもうひとつ、広く愛された花器のシリーズがあります。深緑の釉薬に銀の絵付けを重ねた「アルジェンタ(Argenta)」です。1930年のストックホルム博覧会で発表され、1970年代まで段階的に作り続けられました。一輪挿しから大壺まで多彩な器形があり、スウェーデンの贈り物の定番として一時代を築いています。コーゲの生涯は「ヴィルヘルム・コーゲ完全ガイド」、アルジェンタの詳細は「アルジェンタとは」をご覧ください。

ベルント・フリーベリ——ロクロと釉薬の孤高

グスタフスベリの花器を語るうえで避けて通れないのが、「釉薬の魔術師」ベルント・フリーベリです。1899年、陶業の町ホガネスの陶工の家系に生まれ、13歳から窯場で働き始めたフリーベリは、1934年にグスタフスベリへ移り、コーゲやリンドベリの原型を挽くロクロ師(thrower)として腕をふるいました。そして1944年、工場内に自身の工房を開きます。

フリーベリの仕事の特異さは、デザイン・ロクロ成形・釉薬の調合という全工程を一人で担った点にあります。代表的な釉薬は、兎の毛のような細い線が流れる「ハーズファー(兎の毛)」釉。器形は数センチのミニチュアベースから大型のフロアベースまで、生涯に数千点を制作しました。1965年にはストックホルムのNKサロンで650点を並べる大規模な展示を開き、このとき発表された釉薬「アニアラ」の名は、ノーベル賞作家ハリー・マーティンソン(Harry Martinson)が名づけたものです。1981年に世を去るまで、フリーベリはグスタフスベリで制作を続けました。

ストックホルムのナショナルミュージアム
水辺越しに見たストックホルムの国立美術館(ナショナルミュージアム)。フリーベリやニールンドら北欧陶芸の名品を多数収蔵する(画像:Wikimedia Commons/CC0(撮影:Leonhard Lenz))

フリーベリの小さな一輪挿しは、手のひらに収まる大きさのなかに、ロクロの精度と釉薬の深みが凝縮された世界です。作品はストックホルムのナショナルミュージアムをはじめ各国の美術館に収蔵され、ヴィンテージ市場でも北欧陶芸の最高峰として揺るがない評価を保っています。その生涯は当店の「ベルント・フリーベリ——『釉薬の魔術師』が生んだ至高の器」で詳しくご紹介しています。

スティグ・リンドベリ——プンゴとヴェックラ

スティグ・リンドベリのスペクトラルーヴのベース
ヘルシンキのデザイン博物館に展示されているリンドベリの「スペクトラルーヴ(Spektralöv)」のベース。黄から緑、青、赤、黒へとグラデーションする葉模様が器面を覆う(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0(撮影:Marty B))

ベルサやプルーヌスの食器で知られるスティグ・リンドベリも、花瓶の世界に忘れがたい造形を残しています。1937年にコーゲの下でファイアンスの絵付け師として入社したリンドベリは、1949年にコーゲの後任としてアートディレクターに就任しました。上の写真の「スペクトラルーヴ」のように、絵筆の喜びがあふれる装飾的なベースは、リンドベリのファイアンス工房の真骨頂です。

一方でリンドベリは、フォルムだけで成立する花器も生み出しました。1953年の「プンゴ(Pungo)」は、雫のかたちに深い切れ込みをひとつ入れた有機的なベースで、リンドベリの彫刻的な側面を代表する作品です。1950年代初頭にデザインされた「ヴェックラ(Veckla)」は、白いカッラーラ釉のストーンウェアで、布をたたんだような曲面が連なります。どちらも、ミッドセンチュリーのスウェーデンの造形感覚を凝縮した名作です。

スティグ・リンドベリ ユニークピースのフラワーベース
リンドベリのユニークピースのフラワーベース。釉薬の濃淡が器面に静かな景色をつくる

リンドベリにも、量産ではない一点もののユニークピースの花器があります。巨匠の手と釉薬が直接残された器は、グスタフスベリのもうひとつの顔です。リンドベリの全体像は「スティグ・リンドベリ完全ガイド」でたどっています。

ニールンドとストールハネ——ロールストランドの釉薬

ロールストランド ソーロス フラワーベース
グンナー・ニールンドの「ソーロス(Solros=ひまわり)」の特大フラワーベース。花弁状のレリーフを釉薬がやわらかく覆う

釉薬の探求は、ロールストランドでも同時代に進んでいました。中心人物は、1931年に入社し、1937年から1956年までアートディレクターを務めたグンナー・ニールンド(Gunnar Nylund)です。ニールンドは入社前の1929年、デンマークでナタリー・クレブス(Nathalie Krebs)とともに工房(後のSaxbo)を設立した経歴の持ち主で、ロールストランドに長石釉の革新をもたらしました。マットで深みのある長石釉をまとった花器や動物彫刻は、いまもロールストランドの黄金期を象徴しています。その生涯は「グンナー・ニールンド完全ガイド」でご紹介しています。

カール=ハリー・ストールハネのポートレート
ロールストランドで活躍した陶芸家カール=ハリー・ストールハネのポートレート(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

ニールンドの後任としてアートディレクターに就いたのが、カール=ハリー・ストールハネ(Carl-Harry Stålhane)です。1939年に装飾画家としてロールストランドに入社したストールハネは、中国・宋代の陶磁に通じる柔らかな古典的フォルムと、マットな兎毛釉を組み合わせた炻器の花瓶で国際的な名声を得ました。一点ものの花器も多く、北欧のオークションでも人気の高い作家です。「釉薬の詩人」と呼ばれたその仕事は「カール=ハリー・ストールハネ完全ガイド」で詳しくたどれます。

なお、ロールストランドは2005年12月30日にスウェーデン国内での生産を終了しましたが、後年はフィスカース(Fiskars)グループのブランドとして知られるようになりました。ヴィンテージの花器は、スウェーデンの土と職人の手で作られた時代の証人です。

グスタフスベリのスタジオとリサ・ラーソンの花器

グスタフスベリ磁器工場のフリント窯
グスタフスベリ磁器工場のフリント窯と1883年築の新工房棟。円錐形の煉瓦窯が並ぶ19世紀末の工場風景(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

1942年にコーゲとリンドベリが開いたG-Studioは、その後のグスタフスベリに、世界でも例の少ない文化を残しました。量産食器の工場のなかで、所属する芸術家たちが自由に一点ものを作り続ける文化です。この土壌に1954年にやってきたのがリサ・ラーソンでした。リサは1980年に退社するまでの26年間をグスタフスベリで過ごし、数々のフィギュアとともに、豊かな花器の仕事を残しています。

グラナダ——濃紺の釉薬と掻き落とし

リサ・ラーソン グラナダ フラワーベース
リサ・ラーソンのグラナダ(Granada)のフラワーベース。シャモットの粗い肌に掻き落としの文様と濃紺の釉薬が重なる

リサ・ラーソンの花器でまず挙げたいのが、「グラナダ(Granada)」です。スペインの都市グラナダに名を借りたこのシリーズは、シャモット(焼き砕いた陶の粒)を混ぜた炻器の素地に、文様を掻き落とし、濃紺の釉薬を重ねたもの。花瓶を中心とした小さなシリーズで、ざらりとした素地の肌と、濡れたように深い紺釉の対比が見どころです。フィギュアの「かわいいリサ」とはまったく違う、彫刻家としてのリサの顔がここにあります。

カロリンとタリア——量産の花器シリーズ

リサ・ラーソン タリア フラワーベース
リサ・ラーソンのタリア(Thalia)のフラワーベース。ろくろ目を思わせる横筋と落ち着いた釉色が静かな佇まいをつくる

リサの花器には、グラナダのほかにも「カロリン(Karolin)」や「タリア(Thalia)」といったシリーズがあります。いずれもフィギュアに比べると流通量が少なく、日本ではまだあまり知られていませんが、土の質感と釉薬の表情を静かに見せる、リサのもうひとつの世界です。動物のフィギュアからリサ・ラーソンに入った方が次に出会う領域として、花器はとても豊かな入口です。リサの生涯と全体像は「リサ・ラーソン完全ガイド」をご覧ください。

ユニークピース——一点ものの世界

リサ・ラーソン ユニークピース 風の風景のフラワーベース
リサ・ラーソンのユニークピース「風の風景」のフラワーベース。釉薬の流れが風になびく草原を思わせる

そしてリサ・ラーソンの花器の頂点が、ユニークピース——彼女が一点ずつ手がけた、世界に同じものが二つとない作品群です。量産のフィギュアの原型を作るかたわら、リサはスタジオで自由な花器を作り続けました。シャモットの粗い肌、釉薬のかけ分け、手の痕跡がそのまま残る成形。量産品では決して見られない、作家の呼吸がそこにあります。

リサ・ラーソン スタジオハンド ユニークピース 3穴の一輪挿し
スタジオハンドのマークをもつリサ・ラーソンのユニークピース。三つの穴をもつ一輪挿しのフラワーベース

ユニークピースの見分け方や、量産品との関係、グスタフスベリのスタジオマーク(スタジオハンド)の読み方については、当店の「リサ・ラーソンのユニークピース——1点ものの花器が語る、量産の先にある世界」で深く掘り下げています。本記事では概観に留めますが、1980年にグスタフスベリを離れたあとのリサが独立工房で続けた仕事は「リサ・ラーソンのKスタジオとは」でたどれます。

ウプサラ・エクビー——掻き落としとフェイスベース

マリ・シムルソン フェイスベース ベアタ
マリ・シムルソンのフェイスベース「ベアタ(Beata)」。女性の顔がレリーフ状に立ち上がるウプサラ・エクビーの代表的な造形

スウェーデンの花器でグスタフスベリ、ロールストランドと並んで重要なのが、大学都市ウプサラのウプサラ・エクビー(Upsala-Ekeby)です。レンガ工場から出発したこの会社は、20世紀半ばにスウェーデンを代表する窯業グループのひとつへと成長し、とりわけ花瓶と装飾陶器の分野で独自の存在感を放ちました。会社の歩みは「ウプサラ・エクビーとは」でご紹介しています。

アンナ=リーサ・トムソンの「パプリカ」

ウプサラ・エクビーの花瓶の古典が、1933年から1952年まで在籍したアンナ=リーサ・トムソン(Anna-Lisa Thomson)の「パプリカ(Paprika)」です。赤土の素地に白い釉薬をかけ、葉の文様を掻き落とし(スグラッフィート)で浮かび上がらせた卵形のベースで、赤土の温かさと白釉の静けさが一つの器に同居します。トムソンは1952年に世を去りましたが、パプリカはその後も長くカタログに残り、スウェーデン・モダンを代表する花瓶になりました。彼女の生涯は「アンナ=リーサ・トムソン完全ガイド」でたどっています。

マリ・シムルソンのフェイスベース

ウプサラ・エクビーの花瓶でいま国際的にもっとも注目を集めているのが、マリ・シムルソンの「フェイスベース」群です。シムルソンは1911年にサンクトペテルブルクで生まれたエストニア系スウェーデン人で、陶芸だけでなく絵画とテキスタイルも手がけた多才な作家でした。1949年から1972年までウプサラ・エクビーに在籍し、女性の顔をレリーフ状に描いた花瓶を数多く生み出します。冒頭の「ベアタ」のように、伏し目がちの顔が器面から静かに浮かび上がる造形は、一度見たら忘れられません。花を挿しても、空のまま置いても、彫刻として完結している——フェイスベースの人気の理由はそこにあります。シムルソンの生涯は「マリ・シムルソン完全ガイド」でご紹介しています。

イングリッド・アッテルベリの文様

もう一人、1944年から1963年まで在籍したイングリッド・アッテルベリ(Ingrid Atterberg)も、ウプサラ・エクビーの花瓶に欠かせない名前です。1950年代の掻き落としによるリズミカルな文様の花瓶群で知られ、1963年には「Tri」シリーズなどをデザインしました。トムソンの静、シムルソンの顔、アッテルベリのリズム——三人の女性デザイナーの個性が、ひとつの窯のなかで並び立っていたことが、ウプサラ・エクビーの花瓶の豊かさです。アッテルベリについては「イングリッド・アッテルベリ完全ガイド」をご覧ください。

デンマークとノルウェーの花器

視野を北欧全体に広げると、デンマークとノルウェーにも花器の確かな系譜があります。デンマークのガラスを代表するのは、1825年創業のホルムガード(Holmegaard)です。フェンスマルクの湿原に立地し、泥炭を窯の燃料にして緑色の吹きガラス瓶から出発したこの工場では、1942年から1998年に亡くなるまで在籍したペア・リュトケン(Per Lütken)が3,000点を超えるデザインを残しました。そして1962年、カストルップ・グラスヴェアク(1965年にホルムガードと合併)のオットー・ブラウアー(Otto Brauer)が、リュトケンのボトルベースを基に拡大展開した「グルヴァーセ(Gulvvase=フロアベース)」を生み出します。瓶の輪郭をそのまま巨大化した5サイズのカラーガラスは、床置きの花器という新しいジャンルを北欧の住まいに定着させ、1980年まで作り続けられました。

デンマークの陶では、1839年にネストヴェズで創業したケーラー(Kähler)が重要です。創業者の息子ヘアマン・アウグスト・ケーラー(Herman August Kähler)が1888年に開発したルビーレッドのラスター釉「ケーラーの赤」は、1889年のパリ万博で国際的な名声を得ました。ノルウェーでは、1762年創業のハーデラン(Hadeland Glassverk)が1855年から透明ガラスの生産を始め、1947年からデザインチームを率いたヴィリー・ヨハンソン(Willy Johansson)が、透明やスモークのガラスの縁に白いリムを一周させる独自のデザインで、ミラノ・トリエンナーレの1957年金賞をはじめ数々の賞を受けています。作品はノルウェー国立美術館に収蔵されています。

選び方・見分け方——ガラスと陶、それぞれの手がかり

ここからは実践編です。ヴィンテージの花瓶を選ぶとき、ガラスと陶それぞれに、製法とサインの読み方という二つの手がかりがあります。

プレスガラスと吹きガラス

アイノ・アアルト ボルゲブリック
アイノ・アアルトの「ボルゲブリック」のプレスガラス。水面に広がる波紋を思わせる同心円のリングが特徴で、1932年のコンペティション応募作として生まれ、1936年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞したデザイン(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(撮影:LeireGonzalez))

ガラスの花瓶には、大きく二つの作り方があります。溶けたガラスを金型に押しつけて成形するプレスガラスと、職人が竿の先で吹いて成形する吹きガラスです。プレスガラスは型の合わせ目の線が側面にうっすら残るのが特徴で、カステヘルミの露の粒や、ボルゲブリックの波紋のリングのように、その継ぎ目を装飾に取り込んだデザインこそ北欧プレスガラスの知恵です。一方の吹きガラスは、底にポンテ(竿を切り離した跡)が残ることが多く、同じ製品でも一点ごとに微妙な個体差があります。アアルトベースのヴィンテージを選ぶ楽しみは、まさにこの個体差にあります。

陶の花器のサインと刻印

陶の花瓶では、底面のサインと刻印が雄弁です。グスタフスベリのスタジオ作品には手のひらをかたどったスタジオマークが、フリーベリの作品には「Friberg」のサインが残ります。ロールストランドは三つの王冠とRのマーク、ウプサラ・エクビーは社名とモデル番号の刻印が基本です。スウェーデンの量産品では、品質表示のVDNマークが年代の手がかりになることもあります。ブランド横断の読み方は「北欧食器のバックスタンプ総合ガイド」にまとめていますので、底面の写真と見比べながらご活用ください。

コンディションの見方

ヴィンテージの花瓶のコンディションで見るべき点は、縁と底の欠け、釉薬の貫入(細かなひび模様)、内側の水跡の三つです。貫入は経年で自然に入るもので、欠陥ではなく時代を経た表情として扱われますが、程度は一点ごとに異なります。当店では全品を検品し、星評価とあわせて状態を記載しています。読み方の詳細は「北欧ヴィンテージ食器のコンディションを読む」をご覧ください。

博物館で本物に出会う

グスタフスベリ磁器博物館
グスタフスベリ磁器博物館。1904年築の旧工場建築を利用し、ファサードに磁器タイルの装飾帯が走る(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(撮影:Greger Ravik))

目を養ういちばんの方法は、本物をたくさん見ることです。ストックホルム郊外のグスタフスベリ磁器博物館では、コーゲのファルスタやフリーベリの釉薬を間近に見られます。ストックホルム中心部のナショナルミュージアムにも、本記事でたどった作家たちの花器が並びます。

ヘルシンキのデザイン博物館
ヘルシンキのデザイン博物館(Designmuseo)。1894年築のネオゴシック様式の校舎を利用し、フィンランド・デザインの歴史を所蔵する(画像:Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(撮影:Vadelmavene))

ヘルシンキではデザイン博物館(Designmuseo)が拠点です。先ほどのリンドベリの「スペクトラルーヴ」が展示されているのもこの博物館で、フィンランドとスウェーデンのデザインが互いに影響し合った様子を一望できます。北欧の旅程に組み込めば、花瓶を見る目は確実に変わります。

飾り方——観賞用の花器として

リサ・ラーソン ユニークピース 薄紫色のフラワーベース
リサ・ラーソンのユニークピースの薄紫色のフラワーベース。釉薬の濃淡だけで成立する静かな佇まい

ヴィンテージの花瓶のよさは、花がなくても完結しているところにあります。フリーベリの釉薬も、シムルソンの顔も、アアルトの曲線も、それ自体が眺めるための造形です。まず一点、空のまま棚や玄関に置いても、造形そのものを楽しめます。朝と夕方で釉薬の色が変わって見えること、逆光でガラスの色が立ち上がることに気づくはずです。とくにガラスのベースは窓辺が似合います。カール・ラーションが描いた花咲く窓辺の伝統は、一点のガラスを窓台に置くだけでも引き継げます。

花や枝を合わせる場面を想像すると、北欧の感覚はいつも控えめです。野の花や季節の枝をそっと添えた風景が思い浮かびます。グラナダのような口の締まったベースには一本の枝の姿が、グルヴァーセのような大らかな口には数本の草花の風景がよく似合います。夏至祭の七種の野の花や、冬のヒヤシンスのように、季節の節目に合わせて、器と花の風景を想像するのも、北欧の暮らしに倣った楽しみ方です。

リサ・ラーソン ユニークピース 花弁とシャモットのフラワーベース
リサ・ラーソンのユニークピース「花弁とシャモット」のフラワーベース。素地の粒立ちと花弁の文様が光の角度で表情を変える

数が増えてきたら、高さと素材を変えて並べると、それぞれの個性が引き立ちます。背の高いガラスの隣に小さな陶の一輪挿し、マットな釉薬の隣に透明なガラス。素材の対比が、それぞれの個性を引き立てます。ミニチュアベースを窓台に一列に並べる飾り方は、フリーベリの小品の伝統的な楽しみ方でもあります。一点ものの花器は、住まいのなかで目に入りやすい場所に飾ると、その存在感が引き立ちます。手の痕跡が残る器は、毎日目を向けるたびに新しい発見があります。

まとめ

この記事のまとめ

  • 夏至祭の野の花から冬のヒヤシンスまで、長い冬と短い夏のなかで花を住まいに迎える文化が育てた、北欧の花瓶という器
  • 1936年のカルフラ=イッタラのコンペで一等を獲得し、1937年のパリ万博で初公開されたアアルトベース。名前の由来はヘルシンキのレストラン「サヴォイ」。職人の口吹きによる製法を受け継ぐ、フィンランドデザインを代表する名作
  • フィンランドの系譜は、リーヒマキのテュネル「アウリンコプッロ」(1963年)やスティル、アラディンのカラフルな量産花瓶、ヌータヤルヴィのカステヘルミ、イッタラのカンタレッリ(1946年)とオルキデア(1953年)
  • スウェーデンの釉薬の花器は、グスタフスベリのコーゲ(ファルスタ・アルジェンタ)、フリーベリ(工房開設1944年)、リンドベリ(プンゴ1953年・ヴェックラ)、ロールストランドのニールンドとストールハネ
  • リサ・ラーソン(1954年入社・1980年退社)が残した、グラナダ・カロリン・タリアの量産シリーズと一点もののユニークピースの花器
  • ウプサラ・エクビーで並び立った、トムソンの「パプリカ」、シムルソンのフェイスベース、アッテルベリの掻き落とし文様という三人の女性デザイナーの花瓶
  • 見分けの手がかりは、ガラスなら型の継ぎ目とポンテ跡、陶なら底面のサイン・刻印・VDNマーク。コンディションの要点は縁の欠け・貫入・水跡の三つ

湖の輪郭をもつガラス、兎の毛のような釉薬、女性の顔のレリーフ——北欧の花瓶の歴史は、厳しい気候のなかで花と光を慈しんできた人々の歴史そのものです。そして花瓶というかたちは、食器よりも自由で、彫刻よりも暮らしに近い、デザイナーたちの実験場でした。だからこそ、一点の花瓶のなかに、その窯のいちばん豊かな表情が残っています。

北欧の市場やオークションを経て日本へ届いた花瓶は、どれも一点ごとの出会いです。窓辺に置いた一点のガラスが夕方の光を集めるとき、棚の上の釉薬が朝の光で目を覚ますとき——それは小さな北欧の風景が、住まいのなかに立ち上がる瞬間です。本記事が、その一点を選ぶ手がかりになれば幸いです。

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