グンナー・ニールンド完全ガイド|ロールストランドに釉薬の革命を起こした陶芸家の生涯
Share
この記事でわかること
- グンナー・ニールンド(1904-1997)——パリに生まれ、デンマーク・スウェーデンを舞台に活躍した陶芸家の93年の生涯
- サクソ(Saxbo)共同設立からロールストランドでの24年間、そしてガラスの世界へ——3つの創作フィールド
- 兎毛釉・辰砂釉・結晶釉——スウェーデンに革命を起こした釉薬技法の秘密
- ヴェーネルン湖畔の陶都リードヒェーピングと、ニールンドが残したパブリックアート
目次
グンナー・ニールンドとは
グンナー・ニールンド(Gunnar Nylund, 1904-1997)は、20世紀の北欧陶芸を語るうえで欠かすことのできないスウェーデンの陶芸家です。パリで芸術家の両親のもとに生まれ、コペンハーゲンで修行を積み、ロールストランドのアートディレクターとして約24年間にわたり活躍しました。
その作品世界は驚くほど広大です。スウェーデンに初めてマット釉薬のストーンウェアをもたらした革新者であり、兎毛釉や辰砂釉といった東アジアの伝統に根ざした釉薬技法の探求者でもありました。テーブルウェアから動物彫刻、公共空間の大型レリーフ、そしてガラス作品まで——ニールンドの創作は素材と形式の境界を軽やかに越えていきました。
パリに生まれて——芸術家一家の息子
1904年5月1日、グンナー・ニールンドはパリで生まれました。両親が芸術の都に留学中のことでした。
父フェリックス・ニールンド(Felix Nylund, 1878-1940)は、フィンランド=スウェーデン系の彫刻家です。トゥルク美術学校で基礎を学んだ後、コペンハーゲン王立アカデミー、そしてパリのアカデミー・コラロッシで研鑽を積みました。ヘルシンキ中心部に立つ「3人の鍛冶屋像」(1932年)は、現在もフィンランドの待ち合わせスポットとして親しまれているフェリックスの代表作です。母フェルナンダ・ヤコブセン=ニールンド(Fernanda Jacobsen-Nylund)はデンマーク出身の芸術家でした。
芸術家夫婦のもと、幼いグンナーはヘルシンキで少年時代を過ごしました。しかし1918年、フィンランド内戦が勃発。母とともにデンマークへ避難し、寄宿学校で学業を続けることになります。
父フェリックスの存在は、のちのグンナーの創作に決定的な影響を与えました。彫刻家である父は幼い息子に動物を観察することを教え、その手の感覚で形を捉えることの大切さを伝えました。ニールンドの動物彫刻に宿る生命力の源泉は、この幼少期の体験にあります。
コペンハーゲンの修行時代
王立美術院とビング・オー・グレンダール
1923年、ニールンドはコペンハーゲン王立美術院(シャルロッテンボー宮殿内)に入学し、建築を専攻しました。しかし運命は別の道を用意していました。王立美術院の隣にはビング・オー・グレンダール磁器工場があり、ニールンドは副業としてそこで働き始めます。
1925年、パリ万博(現代装飾美術・産業美術国際博覧会)への出展作品のデザインに参加したことが転機となりました。その仕事ぶりが評価されて正式に採用され、ニールンドは建築の学業を放棄して陶芸の世界に飛び込むことを決意します。
ビング・オー・グレンダールでの師匠は、画家ポール・ゴーギャンの息子であるジャン・ゴーギャン(Jean Gauguin)でした。3年間にわたる修行のなかで、ニールンドは陶芸の基礎技術と芸術的感性を磨いていきました。
サクソ——ナタリー・クレプスとの革新
1928年、ニールンドはビング・オー・グレンダールを離れ、化学者・釉薬技師のナタリー・クレプス(Nathalie Krebs)と共同で陶芸工房を設立しました。コペンハーゲン郊外イスレフの、陶芸家パトリック・ノルドストレム(Patrick Nordstrom)の工房を借りて操業を始めます。
ニールンドが造形を、クレプスが釉薬と焼成を担当する——この役割分担が革新的な成果を生みました。1929年に発表された「サクソ(SAXBO)」シリーズは、装飾を排したマット釉薬のストーンウェアという新しい美学を北欧に提示し、大きな反響を呼びます。1930年には工房名を正式に「サクソ」と改称しました。
コペンハーゲンの「ボー(Bo)」展、ストックホルムの「スヴェンスクト・テン(Svenskt Tenn)」での展示を経て、サクソの名はスカンジナビア全土に知れ渡りました。特にスヴェンスクト・テンでの展示がロールストランドの目に留まり、ニールンドに招聘の声がかかります。
ロールストランドの黄金時代
リードヒェーピングへ——ヴェーネルン湖畔の陶都
1931年、ニールンドはロールストランドにアートディレクターとして入社しました。配属先はスウェーデン南西部、ヴェーネルン湖畔の町リードヒェーピング(Lidköping)にある工場です。
リードヒェーピングは、スウェーデン最大の湖ヴェーネルンの南岸に位置する静かな街です。17世紀にはスウェーデン貴族の狩猟城が建てられ、その城が現在の市庁舎の原型となりました。ロールストランドが1930年代にストックホルムからこの地に工場を移転して以来、リードヒェーピングは「陶磁器の街」として知られるようになります。ニールンドは、この湖畔の街を拠点に約24年間にわたって創作を続けました。
釉薬の革命——兎毛釉と辰砂釉
ロールストランドでのニールンドの最大の功績は、スウェーデンに初めてマット釉薬のストーンウェアをもたらしたことでした。長石釉(フェルスパー釉)を基盤に、ニールンドは独自の釉薬技法を次々と開発していきます。
兎毛釉(Hare's fur glaze)——長石釉の一種で、金色と茶色のトーンが細い筋状に流れ、まるで野兎の毛皮のような表情を見せる技法です。釉薬が窯の中で溶け流れる過程で、自然に生まれる偶発的な美しさが特徴でした。
辰砂釉(Oxblood glaze)——中国宋代の陶磁器に着想を得た、深い赤色の釉薬です。銅を含む釉薬を還元焼成することで得られるこの色は、再現性が低く、窯出しのたびに異なる表情を見せました。
結晶釉(Crystal glaze)——長石釉の中に結晶が成長する効果を利用した技法です。焼成時の温度と時間を精密にコントロールすることで、釉薬の中に雪の結晶のような模様が現れました。
これらの釉薬を施されたニールンドの作品は、北欧の自然——秋の森の茶褐色、冬の湖面の銀灰色、苔むした岩の緑——を器の表面に閉じ込めたかのようでした。
生命を宿す動物彫刻
ニールンドの創作世界で特に愛されているのが動物彫刻です。熊、アンテロープ、テナガザル、オオヤマネコ、猟犬、コアラ、カバ——北欧の森から遠く離れた動物たちまで、ニールンドの手にかかると生命力を帯びたストーンウェアの彫刻に生まれ変わりました。
父フェリックスから受け継いだ彫刻の素養が、ここで花開いています。ニールンドの動物彫刻は写実的でありながら、どこか温かみのある造形が特徴です。マット長石釉で仕上げられた動物たちは、まるで北欧の冷たい空気の中で息をしているかのようでした。
これらの動物彫刻は現在、ストックホルム国立美術館の「ライオンの頭」、ヨーテボリのレースカ美術館の「アビシニアン・マウンテン・ナイアラ(アンテロープの頭部)」、パリのセーヴル国立陶磁美術館の「ブルーバード」、ヘルシンキのアテネウム美術館の「辰砂釉の牛の頭」など、北欧とヨーロッパ各地の美術館に収蔵されています。
テーブルウェアの世界
芸術作品の制作と並行して、ニールンドはロールストランドのテーブルウェアデザインにも大きく貢献しました。数百点にもおよぶテーブルウェアのデザインを手がけ、1940年代のロールストランドの全コレクションの基盤を築いたとされています。
代表的なテーブルウェアシリーズには以下のものがあります。
- フランベ(Flambé)——1930-40年代。大胆な幾何学形状と鮮やかな釉薬が特徴で、アール・デコの影響が色濃い
- シャモット(Chamotte)——1936-48年頃。粗粒の耐火粘土(シャモット)を混ぜたストーンウェアで、ざらりとした質感と色彩のきらめきが独特
- ビルカ(Birka)——1950-60年代。スウェーデン初のヴァイキング都市ビルカに因む名を持ち、淡い青・緑・オーカーの釉薬を組み合わせた仕上げが特徴
- ルーブス(Rubus)——1960年代初頭。円筒形やラウンドフォームの花瓶、浅い装飾ボウルのシリーズ
街に息づく彫刻——パブリックアートの仕事
1940年代半ばから、ニールンドはパブリックアートへと活動の幅を広げていきました。半世紀にわたり、約30点のレリーフや彫刻を公共空間のために制作しています。
その仕事は北欧各地に点在しています。マルメ市立劇場の「劇場の行列(Theater Cavalcade)」、ウプサラ農業大学図書館の「ジャングルの目覚め(The Jungle Awakens)」、ヨーテボリの新聞社ヨーテボリ・ポステンの「私たちの時代(Our Times)」、客船グリプスホルム号の「シンフォニカ(Symfonica)」、そしてスカーラ大聖堂の祭壇装飾やリードヒェーピング火葬場の祭壇画まで——ニールンドの仕事は、日常の空間に芸術を溶け込ませるものでした。
特筆すべきは、ブレメッラ(Bromölla)に設置されたヨーロッパ最大のストーンウェア噴水「スカニサリウス(Scanisarius)」です。この巨大な作品は、ニールンドのスケールの大きな造形力を物語っています。
ガラスへの挑戦——ストレンベリスヒュッタン時代
1954年、50歳を迎えたニールンドは新たな素材に挑みました。スモーランド地方ホヴマントルプ(Hovmantorp)のストレンベリスヒュッタン(Strömbergshyttan)ガラス工房のアートディレクターに就任します。1967年までこの職にあり、ソンメルソ(Sommerso)技法——透明ガラスに色ガラスを封入する技法——を用いたガラス花瓶や照明デザインを手がけました。
陶芸で培った色彩と造形の感覚が、透明なガラスという全く異なる素材の中でも生かされました。50歳を過ぎてなお新しい表現領域を開拓し続けるニールンドの姿は、北欧のデザイナーに共通する不断の探究心を体現するものでした。
東アジアの美との対話——宋磁器への傾倒
ニールンドの釉薬技法の根底には、中国宋代(960-1279年)の陶磁器への深い敬意がありました。辰砂釉は宋代の「牛血紅」に、クラックレ(貫入釉)は宋代の哥窯に、それぞれ着想を得たものです。
装飾を削ぎ落とし、釉薬の色と質感そのものに美を見出すこの姿勢は、日本の「侘び寂び」の美意識と深く通底しています。不完全さの中に美を見出すこと、自然素材の質感を生かすこと、抑制された表現の中に豊かさを込めること——北欧と日本の美意識は、大陸を隔てていながら驚くほど似た到達点にたどり着いています。
ニールンドの器が日本の茶道具や花器と並べても違和感なく調和するのは、偶然ではありません。東西の陶芸の伝統が、「用の美」という共通の理想のもとに交わる場所——それがニールンドの作品世界なのです。
晩年——ロンマの工房にて
1959年から1974年にかけて、ニールンドはデンマークのコペンハーゲン近郊リュンビー(Lyngby)にあるニーモッレ(Nymølle)陶器工場でもストーンウェアを制作しました。ロールストランド時代よりも工業的で、装飾を一層抑えたシンプルな作品が特徴でした。
1970年、66歳のニールンドは外部の仕事から引退し、スウェーデン南部の海辺の町ロンマ(Lomma)に個人工房を開設します。ここで陶器のほか、ガラスや金属の装飾オブジェ、宗教画の陶器転写など、新たな表現にも取り組みました。
晩年、娘ビエ・ニールンド(Bie Nylund)との対話を通じて回顧録を残しています。ロールストランドでの半世紀を中心に、自身の芸術と人生を振り返るこの記録は、北欧陶芸史の貴重な一次資料となっています。
1997年、グンナー・ニールンドはロンマで93年の生涯を閉じました。パリに生まれ、コペンハーゲンで修行し、スウェーデンの湖畔の街で釉薬の詩を紡ぎ続けた——その長い旅路は、20世紀の北欧陶芸の歴史そのものでした。
ニールンドの作品に出会える美術館
ニールンドの作品は、北欧とヨーロッパ各地の美術館に収蔵されています。
- ロールストランド博物館(リードヒェーピング、スウェーデン)——ニールンドの作品を最もまとまった形で見ることができる場所
- ストックホルム国立美術館(スウェーデン)——「ライオンの頭」ほか
- レースカ美術館(ヨーテボリ、スウェーデン)——「アビシニアン・マウンテン・ナイアラ」
- マルメ美術館(スウェーデン)——「ハマドリアス・ヒヒ」
- デンマーク・デザインミュージアム(コペンハーゲン)
- セーヴル国立陶磁美術館(パリ)——「ブルーバード」
- アテネウム美術館(ヘルシンキ)——「辰砂釉の牛の頭」
まとめ
グンナー・ニールンド(1904-1997)は、パリで芸術家の両親のもとに生まれ、コペンハーゲンでの修行を経て、ロールストランドのアートディレクターとして24年間にわたりスウェーデンの陶芸に革新をもたらしました。
スウェーデン初のマット釉薬ストーンウェア、宋代中国陶磁器に着想を得た兎毛釉・辰砂釉・結晶釉、生命力あふれる動物彫刻、そして約30点におよぶパブリックアート——その創作は素材と形式の境界を越え、93年の生涯を通じて止むことがありませんでした。
ヴェーネルン湖畔の自然の色を釉薬に閉じ込めたニールンドの作品は、北欧デザインの「用の美」と「自然への畏敬」を最も純粋な形で体現しています。