イッタラ村の歴史——フィンランドの小さな村が「ガラスの聖地」になるまで
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この記事の要点
- イッタラ村はフィンランド南部ハメーンリンナ市にある小さな村で、1881年にガラス工場が創業した「フィンランドガラスの聖地」
- スウェーデン人のペーテル・マグヌス・アブラハムソンがエイメ湖畔に工場を建設し、スウェーデンから招いた17人の職人と共に最初のガラスを吹いた
- アイノ・アアルト、アルヴァ・アアルト、タピオ・ヴィルカラ、ティモ・サルパネヴァ、カイ・フランクら巨匠が次々とこの工場から名作を生み出した
- 現在もフィスカースグループの工場としてアアルトベースの手吹き生産が続き、ガラス美術館やアウトレットを含む観光地「ラシマキ」として訪問できる
目次
エイメ湖畔の小さな村
Photo: Wikimedia Commons / Kotivalo / CC BY-SA 4.0
ヘルシンキから北へ約120km。フィンランド南部のハメーンリンナ市に属する小さな村、イッタラ。森と湖に囲まれたこの静かな土地で、1881年にひとつのガラス工場が産声を上げました。
それから140年以上の歳月が流れた今も、この村ではガラス職人たちが溶けたガラスに息を吹き込み、世界中で愛される名作を生み出し続けています。アアルトベース、カルティオ、ウルティマ トゥーレ、カステヘルミ——北欧デザインを代表するこれらのガラス製品は、すべてこのイッタラ村で生まれました。
この記事では、フィンランドガラスの聖地ともいうべきイッタラ村の歴史を、創業から現在まで辿ります。
Photo: Wikimedia Commons / Petritap / CC BY-SA 3.0
創業——1881年、ガラスの火が灯る
創業者アブラハムソンとスウェーデンの職人たち
Photo: Wikimedia Commons / CC0
1880年2月、凍てつく冬の日。スウェーデン人のガラス職人ペーテル・マグヌス・アブラハムソン(Peter Magnus Abrahamsson)は、そりでエイメ湖(Äimäjärvi)の湖畔にたどり着き、「ここに新しいガラス工場を建てる」と決意しました。
アブラハムソンは、フィンランド最古のガラス工場であるヌータヤルヴィ(Nuutajärvi、1793年創業)を離れ、独立の道を選んだ人物です。この地を選んだ理由は明快でした。ヘルシンキとタンペレを結ぶ鉄道が新たに開通し、近くには製材所があり、そしてエイメ湖の豊かな水がガラス製造に不可欠だったのです。
1881年4月、アブラハムソンはイッタラ・グラスブルクス・アクティエボラーグ(Iittala Glasbruks Aktiebolag)を設立しました。当時のフィンランドには熟練のガラス職人がほとんどいなかったため、スウェーデンのリンマレド・ガラス工場から17人の職人を招聘。彼らと地元のスウェーデン人職人ヨハン・フレドリク・ガウフィン(共同出資者でもありました)が、1881年11月24日に最初のガラス製品を完成させました。
成長と苦難——薬瓶から食器へ
Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
創業初期のイッタラは、吹きガラス、型押しガラス、磨きガラス、彩色ガラス、彫刻ガラスなど、ヨーロッパの伝統的な技法に倣った製品を作っていました。主な製品は薬瓶やガラスランプといった実用品でした。
しかし経営は楽ではありませんでした。1888年、赤字が続いたアブラハムソンは工場を去り、取締役会議長のアンデルス・アンデルソンが経営を引き継ぎます。その後、工場長に就任したクラス・ノルステット(Clas Norstedt)の手腕によって、イッタラは初めての好況期を迎えます。1898年には需要の増大に応えるため、5つのるつぼを備えた第2のガラス窯を新設。一方は薬用ガラスに、もう一方は家庭用ガラスとクリスタルの製造に充てられました。
デザイン革命——1930年代の転換点
フィンランド初のガラスデザイナー、ゲラン・ホンゲル
イッタラの歴史における最大の転換点は1930年代に訪れました。1917年、木材精製を手がけるアールストローム(A. Ahlström)傘下のカルフラ社がイッタラを買収。第一次世界大戦による原材料の高騰と経営難が、前所有者にイッタラを手放させたのです。
しかし、この買収がイッタラの運命を大きく変えました。1932年、カルフラ=イッタラはフィンランドのガラス工場として初めて専属デザイナーを雇用します。ゲラン・ホンゲル(Göran Hongell)です。ホンゲルは、図面を工房に持ち込んで職人たちと技術的な議論を交わすという、デザイナーと職人の協業スタイルを確立しました。この画期的な試みが、後のイッタラのデザイン文化の礎となります。
アイノ・アアルトとベルゲブリック
Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
同じ1932年、カルフラ=イッタラはモダンデザインの振興を目的としたデザインコンペティションを開催しました。ここでアイノ・アアルト(Aino Aalto)が応募したのが、後にイッタラの定番となるベルゲブリック(Bölgeblick)シリーズです。
水面に石を投げ込んだときに広がる波紋をモチーフにした同心円のリングが特徴的なこのグラスは、プレスガラス部門で2位を獲得しました。当初、水平に走るリブには、当時のプレスガラスの品質上の欠陥を隠す実用的な意味もありましたが、その簡潔で美しいデザインは批評家から高く評価されました。1936年のミラノ・トリエンナーレでは金賞を受賞し、イッタラの名を国際的に知らしめた最初のシリーズのひとつとなりました。
このシリーズは一度製造が中断されましたが、1980年代にイッタラが復刻し、現在も「アイノ・アアルト」の名で販売されています。
アルヴァ・アアルトと「サヴォイ」ベース
Photo: Wikimedia Commons / CC BY 4.0
アイノの夫であり、フィンランドを代表する建築家アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)もまた、イッタラの歴史に不滅の足跡を残しました。
1936年、カルフラ=イッタラが開催したコンペティションに、アアルトは約10点の作品をエントリーします。コード名は「エスキモー女性の革ズボン」(Eskimåkvinnans skinnbyxa)。幾何学的な形状からガラスを解き放ち、有機的で生きた形を追求するというアアルトの理念が込められた自由曲線のフォルムは、審査員を圧倒しました。
この一連の作品は1937年のパリ万国博覧会フィンランド館に出品され、即座に国際的な名声を獲得。同年、ヘルシンキに開業した高級レストラン「サヴォイ」の内装をアアルト夫妻が手がけた際にこの花瓶が使われたことから、「サヴォイベース」の愛称が定着しました。
Photo: Wikimedia Commons / CC0
現在もイッタラ村のガラス工場では、このアアルトベースが熟練の職人たちの手吹きによって一つひとつ作られています。フィンランドで最も国際的に知られたガラス工芸品であり、イッタラ村の象徴ともいえる存在です。
黄金時代——1950年代、世界が注目した村
Photo: Wikimedia Commons / CC0
1930年代のデザイン革命は、1950年代に黄金の実を結びます。1937年、アールストロームはカルフラとイッタラの製造を正式に分業化しました。イッタラは手吹きガラスに特化し、カルフラは自動化された大量生産を担当。この決断が、イッタラを「手仕事のガラス」のブランドとして確立させるきっかけとなりました。
タピオ・ヴィルカラ——氷の彫刻家
Photo: Wikimedia Commons / CC BY 4.0
1946年、イッタラは「現代的な」アートガラスを求めるコンペティションを開催し、タピオ・ヴィルカラ(Tapio Wirkkala)とカイ・フランクが同時受賞しました。
ヴィルカラは、フィンランドの厳しい自然——凍った湖面、白樺の樹皮、北極圏の氷——をガラスに閉じ込めるかのような作品を次々と発表します。1946年にデザインされたカンタレッリ(Kantarelli)は、キノコのシャンテレルの形をモチーフにした花瓶で、有機的な美しさが高く評価されました。
Photo: Wikimedia Commons / Nasjonalmuseet / CC BY-SA 4.0
1951年のミラノ・トリエンナーレでは、ヴィルカラは3つのグランプリを受賞し、フィンランドデザインの名を世界に轟かせました。後に生み出されたウルティマ トゥーレ(Ultima Thule)は、氷河が溶けてできた氷の模様を表現した作品で、1969年にフィンランド航空のファーストクラスに採用されたことで世界中に広まりました。
Photo: Wikimedia Commons / Nasjonalmuseet / CC BY-SA 4.0
ティモ・サルパネヴァ——「i」ロゴの生みの親
Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
ティモ・サルパネヴァ(Timo Sarpaneva、1926〜2006年)は、ヴィルカラと並ぶイッタラのもうひとりの巨匠です。ガラスを芸術作品の域に引き上げた革新者であり、イッタラの象徴である「i」ロゴの生みの親としても知られています。
1952年のランセッツ(Lancets)を皮切りに、1954年のミラノ・トリエンナーレではグランプリを受賞。その後もオーキッド(Orkidea)、フィンランディア、フェスティボ(Festivo)と、ガラスの可能性を極限まで追求する作品を生み出し続けました。
Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
カイ・フランクと「用の美」
Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
「フィンランドデザインの良心」と呼ばれたカイ・フランク(Kaj Franck、1911〜1989年)もまた、イッタラの歴史に不可欠な人物です。1946年のコンペでヴィルカラと共に受賞した後、フランクは装飾を極限まで削ぎ落とした「用の美」を追求しました。
フランクがデザインしたカルティオ(Kartio)は、円錐形の簡素なフォルムの中に普遍的な美しさを宿すグラスで、北欧デザインの本質を体現する作品として高い評価を受けています。「すべての人に美しい日用品を」というフランクの信念は、イッタラのブランド哲学の核として今も受け継がれています。
合併と統合の歴史
アールストロームとカルフラ=イッタラ
イッタラの企業としての歩みは、合併と統合の歴史でもあります。
1917年、アールストローム傘下のカルフラ社がイッタラを買収。1935年にはイッタラン・ラシテヒダス・オサケユキオ(Iittalan Lasitehdas Osakeyhtiö)としてカルフラと正式に統合され、「カルフラ=イッタラ」ブランドで製品が出荷されるようになりました。
1937年、アールストロームはカルフラとイッタラの製造を分業化。イッタラは手吹きガラスに特化し、カルフラは自動化された大量生産を担当します。この戦略的な決定が、イッタラを「手仕事のガラスブランド」として明確に位置づけました。
1981年までにイッタラはフィンランド最大のガラス輸出企業となり、国全体のガラス輸出の77%を占めるまでに成長しています。
フィスカースグループへ——北欧ブランドの集結
Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
1988年、イッタラはヌータヤルヴィ、フンピラ、ナパピーリンラシの各ガラス工場と統合し、イッタラ=ヌータヤルヴィ・オイとなりました。1990年にはハックマングループに売却され、アラビア、ロールストランド、グスタフスベリと同じ企業グループに入ります。
2003年にハックマングループのデジノア事業部がイッタラ・オイ・アブに改称。そして2007年6月、フィスカースグループがイッタラグループを約2億3,000万ユーロで買収しました。この取引により、イッタラ、アラビア、ハックマン、ロールストランド、ホガナス・ケラミックなど、北欧を代表するデザインブランドがフィスカースの傘下に集結したのです。
イッタラ村を歩く——現在のラシマキ
Photo: Wikimedia Commons / aiko99ann / CC BY-SA 4.0
現在のイッタラ村は、イッタラン・ラシマキ(Iittalan Lasimäki、「イッタラのガラスの丘」の意)として、フィンランドのデザイン観光の重要な拠点となっています。ハメーンリンナ市街地から北へ約24km、国道3号線(E12号線)沿いに位置し、ヘルシンキからもタンペレからも車で約1時間半のアクセスです。
ガラス工場見学——職人の手仕事を間近に
Photo: Wikimedia Commons / Szilas / CC0
イッタラのガラス工場は、フィンランドで現在も稼働する唯一のガラス工場です。見学者はガラス張りの見学通路から、熟練のガラス職人たちがアアルトベースやアートオブジェを一つひとつ手吹きで作り上げる工程を間近に見ることができます。
1,200度に熱せられた溶融ガラスが、職人の息遣いとともに自由曲線のフォルムに変わっていく——その光景は、140年以上前にアブラハムソンが灯した火が今も消えることなく燃え続けていることを実感させてくれます。
Photo: Wikimedia Commons / Szilas / CC0
デザインミュージアム・イッタラ
Photo: Wikimedia Commons / Kotivalo / CC BY-SA 4.0
1971年に開館したデザインミュージアム・イッタラ(Design Museum Iittala)は、フィンランド国立デザイン美術館の分館として、イッタラのガラスの歴史を伝えています。
館内には、創業期の素朴な薬瓶から、ヴィルカラやサルパネヴァの芸術作品、そして現在の製品まで、140年にわたるガラスの変遷が展示されています。量産品からユニークピースまで幅広いコレクションを所蔵しており、フィンランドガラスデザインの通史を一箇所で学べる貴重な場所です。
Photo: Wikimedia Commons / CC0
また、毎年夏には敷地内でナイーブアート展(Naivistit Iittalassa)が開催され、フィンランドを代表するナイーブアーティストたちの作品が展示されます。ガラスとは異なるジャンルのアートに触れることができる、村の夏の風物詩です。
アウトレットと工芸家たちの工房
Photo: Wikimedia Commons / CC0
ラシマキにはガラス工場と美術館のほかにも、さまざまな見どころがあります。イッタラ・アウトレットでは、イッタラやアラビアの製品を特別価格で購入できます。また、敷地内には陶芸工房「アヌビス」、手作りチョコレート工場「クルタスクラー」(Kultasuklaa)、地元の工芸家たちのブティック「リンナンロウヴァ」など、個性豊かなショップが軒を連ねています。
ガラス工場を見学し、美術館で歴史を学び、アウトレットで掘り出し物を探し、チョコレートとコーヒーで一息つく——イッタラ村での半日は、フィンランドデザインの過去と現在を肌で感じる贅沢な時間です。
未来へ——再生可能エネルギーへの転換
Photo: Wikimedia Commons / T Västinen / Public domain
140年以上の歴史を持つイッタラのガラス工場は、伝統を守りながらも未来を見据えた転換に取り組んでいます。
2014年、フィスカースグループは数十年ぶりとなる大規模な製造設備投資を実施し、工場の拡張と新しいバッチハウス(原料調合施設)の建設を完了しました。そして2022年には約1,000万ユーロを投じて、天然ガスで稼働していたガラス窯を電気窯に置き換えるプロジェクトを発表。EUの「次世代EU基金」からの助成金約290万ユーロも得て、工場の年間二酸化炭素排出量を約74%(約10,000トン)削減する計画です。
ガラス製造には膨大なエネルギーが必要です。しかしイッタラは、再生可能エネルギーへの転換によって、これからの140年も持続可能な形でガラスを作り続ける道を選びました。アブラハムソンがエイメ湖畔に灯した火は、形を変えながらも、消えることなく燃え続けています。
まとめ
Photo: Wikimedia Commons / CC0
フィンランド南部の森と湖に囲まれた小さなイッタラ村。1881年にスウェーデン人の職人が灯したガラスの火は、ゲラン・ホンゲル、アイノ・アアルト、アルヴァ・アアルト、タピオ・ヴィルカラ、ティモ・サルパネヴァ、カイ・フランクといった巨匠たちの手を経て、20世紀のデザイン史に輝く名作を次々と生み出してきました。
現在もこの村では、フィンランドで唯一のガラス工場が稼働し、アアルトベースが一つひとつ手吹きで作られています。美術館には140年の歴史が凝縮され、アウトレットには日々新しいガラスが並びます。
イッタラのガラス製品を手に取るとき、その透明なガラスの向こうに、エイメ湖畔の森と、そこで吹きガラスに息を吹き込む職人たちの姿を想像してみてください。140年の時を超えて、あなたの手元にフィンランドの小さな村の物語が届いています。