リサ・ラーソンのKスタジオ(Keramikstudion)とは——グスタフスベリを離れた陶芸家の独立工房

リサ・ラーソンのKスタジオ(Keramikstudion)とは——グスタフスベリを離れた陶芸家の独立工房

この記事の要点

  • ケラミックスタジオン(通称Kスタジオ)は、リサ・ラーソンが1992年にグスタフスベリの工房敷地内に設立した独立工房
  • 共同設立者はフランコ・ニコロシ(Franco Nicolosi)とシヴ・ソリン(Siv Solin)。グスタフスベリ時代の元同僚たち
  • 量産ではなく少量限定生産。リサ自身の監修のもと、手描きのシャモット炻器(ざらりとした質感をもつ焼き物)を一点ずつ仕上げる
  • 代表作にはキャットマンズ(Cat Mans)、マリーン(Marin)シリーズ、天使のキャンドルスタンド、ニッケルヴィーケンなどがある
  • バックスタンプは「Keramik Studion Gustavsberg」の表記。グスタフスベリ時代の錨マーク刻印とは異なる

目次

  1. Kスタジオとは
  2. なぜグスタフスベリを離れたのか
    1. 1970年代の暗雲
    2. 1980年、退社
  3. Kスタジオの特徴——量産からの決別
  4. Kスタジオの代表作
  5. バックスタンプで見分ける
  6. Kスタジオの現在

Kスタジオとは

グスタフスベリの工場で何千体と量産された猫やライオンと、Kスタジオで数百体だけ焼かれた猫では、同じリサ・ラーソン(Lisa Larson, 1931-2024)のデザインでも、手に取ったときの重みが違います。シャモットの肌理、釉薬のにじみ、筆の勢い——一体ずつ人の手で仕上げられた痕跡が、Kスタジオ作品には色濃く残っています。

ケラミックスタジオン(Keramikstudion)、通称Kスタジオは、リサが1992年にグスタフスベリの工房敷地内に設立した独立工房です。グスタフスベリはストックホルム近郊の地名であり、そこに築かれた磁器工房がブランド名としても知られるようになりました。26年間在籍した工場を離れ、12年間のフリーランス期を経て、61歳のリサがたどり着いた答えがこの小さな工房でした。

共同設立者は、グスタフスベリの元同僚であるフランコ・ニコロシ(Franco Nicolosi)とシヴ・ソリン(Siv Solin)。ニコロシはグスタフスベリの美術品部門で工房監督を務めていた人物で、ソリンもまた工房の手仕事の現場を知り尽くした職人でした。

1992年頃、Kスタジオでのリサ・ラーソンとフランコ・ニコロシ
1992年頃、Kスタジオでのリサ・ラーソン(左)とフランコ・ニコロシ(右)。棚にはグスタフスベリ時代の型が並んでいます

グスタフスベリの大規模生産が停止に向かう1990年代初頭、Kスタジオは、リサ・ラーソン後期の作品を支えた小さな工房であると同時に、グスタフスベリの手仕事を次代へ渡すための場所として生まれました。

なぜグスタフスベリを離れたのか

1970年代の暗雲

1973年のグスタフスベリ
1973年のグスタフスベリ。まだ工房が操業していた頃の風景です(写真: Holger Ellgaard / CC BY 4.0)

リサ・ラーソンがグスタフスベリに入社したのは1954年のこと。スティグ・リンドベリに才能を見出され、以来26年間にわたって動物や人物のシャモット炻器を生み出し続けました。大きな動物園シリーズ(Stora Zoo, 1957年)、リラ・ズー(Lilla Zoo)、アフリカ(Afrika, 1964年)など、30を超えるシリーズはスウェーデンの家庭に広く浸透していきます。

しかし1970年代に入ると、グスタフスベリの状況は急速に変わり始めます。

1973年の第一次石油危機はエネルギーコストを急騰させ、窯業にとって大きな打撃となりました。さらに、スウェーデンの大規模住宅供給政策「ミリオンプログラム」が1974年に終了し、洗面台やバスタブなど水まわり向け陶器の需要も急減。工場の合理化が急速に進んでいきます。

デザイナーにとっての影響は深刻でした。コスト削減のために生産ラインが統廃合され、手仕事の工程が機械化されていきました。かつてリンドベリが若いデザイナーに「自由に新しいプロトタイプを作りなさい」と語った時代の空気は、次第に薄れていきました。つまり、量産の制約に縛られず、まずは新しい形を試作してよいという意味でした。その自由が失われつつあったのです。

スティグ・リンドベリとリサ・ラーソン
グスタフスベリ時代のスティグ・リンドベリとリサ・ラーソン。リンドベリがリサを招いた1954年から、黄金時代を共に歩んだ二人です

1980年、退社

1980年、リサはグスタフスベリを離れました。26年間在籍した工房を去る決断の背景には、複数の要因が重なっていました。

スティグ・リンドベリ
スティグ・リンドベリ

まず、1973年の石油危機以降、グスタフスベリの経営は急速に悪化していました。親会社コーペラティーヴァ・フェルブンデット(KF)は工場の合理化を進め、手仕事を中心としたGスタジオの位置づけも変化していきました。リンドベリがすでに1970年代前半に退任し、工場全体が量産効率を優先する方向に舵を切っていた中で、リサのようなスタジオ作家の居場所は狭まっていました。

ブリト・ルイス・サンデル
ブリト・ルイス・サンデル

もう一つの要因は、Gスタジオの創作環境の変化です。リサがグスタフスベリに入社した1954年当時、Gスタジオにはリンドベリを筆頭に、ベルント・フリーベリ、ブリト・ルイス・サンデルといった個性的な作家が集い、互いに刺激し合う創作の場でした。しかし1970年代後半にはそうした仲間の多くが工房を去り、かつての活気は薄れていきました。

リサ自身は退社の理由について多くを語っていません。26年間の工房勤務を経て、49歳のリサは組織に属さない陶芸家としての道を選びました。

退社後のリサは、フリーランスの陶芸家として新たな道を切り開きます。ドゥーカ(Duka)、コーペラティーヴァ・フェルブンデット(Kooperativa Förbundet)、オールレンス(Åhléns)、NK(Nordiska Kompaniet)といったスウェーデンの企業とコラボレーションし、テーブルウェアやインテリア雑貨のデザインを手がけました。1986年にはオールレンスのために「ヤング(Jang)」「クレール(Claire)」などのシリーズをデザインしています。

ストックホルムのオールレンス(Åhléns City)
ストックホルムのオールレンス(Åhléns City)。リサはフリーランス時代にオールレンス向けのシリーズをデザインしました(写真: Ssu / CC BY-SA 4.0)
ストックホルムのNK(Nordiska Kompaniet)
NK(Nordiska Kompaniet)。1915年築のスウェーデンを代表する百貨店です(写真: Jim.henderson / CC BY-SA 4.0)

また、ドイツのローゼンタール(Rosenthal)やスウェーデンのローヤルクローナ(Royal Krona)でのガラス作品制作など、陶芸以外の素材にも挑戦。この12年間のフリーランス期は、リサにとって新しい可能性を模索する時期でした。

1980年から1992年——フリーランスの12年間

1980年にグスタフスベリを退社したリサは、すぐに工房を構えたわけではありません。約12年間、フリーランスの陶芸家として活動しました。ローヤルクローナでのガラス作品、ユニークピースの制作、日本のトンカチ社との協業など、グスタフスベリの外に新たな創作の場を広げていきました。

リサ・ラーソン フリーランス作品 花を摘む青い服の少女
フリーランス時代の作品「花を摘む少女」(青い服)。シャモットの素地に手描きの釉薬が施されています
リサ・ラーソン フリーランス作品 花を摘む少女
同じモチーフの色違い。一体ずつ手描きのため、表情や色味が異なります

しかし、フリーランスでの活動には限界がありました。窯や工房の設備を借りなければならず、安定した制作環境が確保できません。また、リサのデザインを忠実に再現できる熟練の職人チームも必要でした。

1992年、Kスタジオ設立——創作の転換点

1992年、リサはグスタフスベリ時代の元同僚であるフランコ・ニコロシ(Franco Nicolosi)、シヴ・ソリン(Siv Solin)とともに、グスタフスベリの工房敷地内にKスタジオを設立しました。かつて自分が働いていた工房の一角に、独立した小さな工房を構えたのです。

ニコロシはグスタフスベリで型取りと鋳込みの技術を担っていた職人、ソリンは絵付けの専門家でした。リサがデザインし、ニコロシが型を起こし、ソリンが絵付けする——グスタフスベリのGスタジオで培われた分業体制が、小さな独立工房の中に再現されました。

Kスタジオの設立は、単なる工房の移転ではありません。グスタフスベリ時代、リサのデザインは工場の生産計画に組み込まれ、何を・いくつ・いつまでに焼くかは組織が決めていました。Kスタジオでは、その判断をリサ自身が下すことになります。量産ラインに乗せるのか、少数だけ焼くのか。どの釉薬を使うのか、どこまで手描きにこだわるのか。61歳のリサが手に入れたのは、自分の作品の作り方を自分で選ぶ自由でした。

Kスタジオの特徴——量産からの決別

Kスタジオでのアドベントチルドレン製作風景
Kスタジオでのアドベントチルドレン製作風景(2014年)。一体ずつ手作業で仕上げられています(写真: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)

グスタフスベリ時代、リサの作品は工場の量産ラインに乗せて大量に生産されていました。大きな動物園シリーズ(Stora Zoo)の猫やライオンは何千体と焼かれ、スウェーデン中の家庭に届けられたのです。Kスタジオではその方針が一変します。

少人数の職人が、静かな工房の中で一体ずつ作品を仕上げていく。ニコロシが型に粘土を鋳込み、焼成し、ソリンが筆を取って色を入れる。その傍らでリサが釉薬の色味を確かめ、仕上がりに目を配る。工場の量産ラインとはまったく異なる、手の届く距離での制作がKスタジオの日常でした。

  • 少量限定生産: 工場の量産ラインではなく、少人数の職人チームが一体ずつ手作業で仕上げる。限定番号が付与される作品も多い
  • リサ自身の監修: デザインだけでなく、釉薬の色味や仕上がりにリサの目が行き届く制作体制
  • シャモット炻器の継続: グスタフスベリ時代から一貫して使用してきたシャモット土(砕いた陶片を混ぜた、ざらりとした表情の出る土)を引き続き使用。シャモットが生み出すざらりとした質感と温かみのある表面は、リサ作品の根幹をなす要素
  • 手描きの絵付け: 転写やステンシルではなく、手描きによる絵付けが基本。一体ごとに微妙な表情の違いが生まれる

グスタフスベリの工場では、同じデザインの作品はどれも均一な仕上がりが求められていました。Kスタジオでは、その均一さよりも一体ごとの個性が大切にされています。手描きの筆致の揺れ、釉薬の濃淡のわずかな差——量産では「ばらつき」と見なされるものが、Kスタジオでは作品固有の表情になりました。

バックスタンプで見分ける

リサ・ラーソンの作品を手に取ったとき、裏面のバックスタンプ(刻印)は、その作品がどこで・どのような体制で生まれたかを教えてくれます。グスタフスベリの量産品なのか、Kスタジオの限定品なのか——刻印はその来歴を示す最も確実な手がかりです。

グスタフスベリ時代の刻印

グスタフスベリで制作されたリサ・ラーソン作品には、錨マークと「LISA LARSON STUDIO」の文字を組み合わせたバックスタンプが押されています。グスタフスベリの錨マークは、この工房で生産されたことを示す品質保証のシンボルでした。シリーズ名(Matildaなど)が筆記体で添えられていることもあります。

グスタフスベリ マチルダのバックスタンプ — 錨マークとリサ・ラーソンの名前
錨マークとリサ・ラーソンの名前が見えます。リサの名前を出すことが売上に貢献したことを物語っています

Kスタジオの刻印

Kスタジオで制作された作品には、「Keramik Studion」または「K-Studion」の表記が刻印されています。グスタフスベリの錨マークは使われず、独立工房としての名前が刻まれています。限定生産の作品には「Ex. Nr.」に続く番号や総生産数が記されていることもあり、その作品が全体で何体焼かれたうちの何番目かを確認することができます。

キャットマンズの裏面刻印
キャットマンズの裏面。「K-Studion」の刻印とリサのサインが確認できます

Kスタジオの現在

現在のグスタフスベリ港
現在のグスタフスベリ港。かつての工房地帯は再開発が進んでいますが、Kスタジオはこの地で制作を続けています(写真: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)

2024年3月11日、リサ・ラーソンは92歳で永眠しました。Tokyo Art Beatは「世界中で愛された、スウェーデンを代表する陶芸家」と報じ、美術手帖も「世界中で愛されるキャラクターを数多く生み出した」陶芸家の逝去を伝えました。スウェーデンの国民的陶芸家の死は、北欧のデザイン界に大きな悲しみをもたらしました。

リサの没後も、Kスタジオはグスタフスベリで活動を続けています。公式サイト(lisalarson.se)では、「熟練した職人チームがリサ・ラーソンのデザインを小規模に製造し続けている」と記されており、型の製作、施釉、絵付けといった伝統的な技法が受け継がれています。

Kスタジオ作品とは、リサ・ラーソンが大工場の外で選び直した創作のかたちでした。数千体が均一に焼かれた量産ラインではなく、数百体、時には数十体だけを丁寧に仕上げる。シャモットのざらりとした手触り、職人の筆が一体ごとに残す微妙な表情の違い——その一体に宿っているのは、量産では生まれない手仕事の密度です。

グスタフスベリという土地には、200年の窯の記憶が刻まれています。食器の生産を守るHPF i Gustavsberg AB(1996年〜)と、アートの火を守るKスタジオ(1992年〜)。この二つの流れが、グスタフスベリの陶芸を今日まで繋いできました。リサが残したデザインの型と、それを生かす職人たちの手業は、今もこの地で静かに受け継がれています。

(執筆:北欧食器タックショミュッケ編集部)

マリーン(Marin)/ オーシャン(Ocean)シリーズ

マリーンは海をモチーフにした限定生産シリーズで、キャンドルスタンド、フラワーベース、ケーキスタンドなどが制作されました。各400点限定で、Kスタジオの少量生産を象徴する作品群です。

オーシャンシリーズは魚をかたどったオブジェで、一点ごとに釉薬の表情が異なります。マリーンとオーシャン、いずれも海への憧れが形になった作品です。

マリーン マリーン マリーン マリーン マリーン

マリーン コレクション

オーシャン オーシャン オーシャン オーシャン

オーシャン コレクション

まとめ

  • Kスタジオは、リサ・ラーソンが1992年にグスタフスベリ工房内に設立した独立工房。共同設立者はフランコ・ニコロシとシヴ・ソリン
  • 設立の背景: 石油危機以降の工場合理化と労働環境の悪化により、リサは1980年にグスタフスベリを退社。12年間のフリーランス期を経て、元同僚とともにKスタジオを立ち上げた
  • 制作スタイル: 量産ではなく少量限定生産。シャモット炻器、手描きの絵付け、リサ自身の監修による品質管理
  • 代表作: キャットマンズ(Cat Mans)、マリーン(Marin)/ オーシャン(Ocean)、ニッケルヴィーケン(Nyckelviken)のガゼボ、天使のキャンドルスタンド、BPAの家のオブジェ
  • 見分け方: バックスタンプに「Keramik Studion Gustavsberg」の文字があればKスタジオ作品。グスタフスベリ時代は錨マークとリサ・ラーソンの名前
  • 現在: リサ没後(2024年3月)も、職人チームがリサのデザインの製造を継続している
  • Kスタジオは、リサ・ラーソンが量産の外で選び直した、後期創作の核心でした

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