ウプサラ・エクビーとは|レンガ工場からスウェーデン最大級の陶磁器グループへ
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この記事の要点
- ウプサラ・エクビーは1886年1月29日、スウェーデン中部ウプサラで創業した、レンガ・タイル工場を出発点とする陶器メーカー
- 当初はレンガと陶板タイルを生産。1910年ごろから家庭用陶器・装飾陶器の制作に進出
- 1936年にゲフレ、1942年にカールスクローナ、1964年にロールストランドを買収し、スウェーデン陶磁器産業を代表する最大級のグループに
- アンナ=リーサ・トムソン、イングリッド・アッテルベリ、マリ・シムルソンなど、女性デザイナーが第一線で活躍した窯として知られる。一方で、ヴィッケ・リンドストランドやスヴェン・エリック・スカヴォニウスらも黄金期を支えた
- 1970年代後半に自社工場は段階的に操業を終え、資料により1977年閉鎖または1978年閉鎖と整理される。1982年末からプロヴェンタス(Proventus)の持分取得が始まり、1984年5月にProventusグループへ組み込まれた
目次
ウプサラ・エクビーとは——スウェーデン陶磁器産業の中心にあった会社
ウプサラ・エクビー(Upsala-Ekeby AB)は、1886年にスウェーデン中部の大学都市ウプサラで創業した、レンガとタイルの工場から始まったスウェーデンの陶器メーカーです。創業当初はレンガと陶板タイルを焼く工場でしたが、1910年ごろから家庭用陶器・装飾陶器の制作に進み、20世紀半ばにはゲフレ磁器(Gefle Porslinsfabrik)やカールスクローナ磁器、さらには1726年創業のロールストランドまで傘下に収め、スウェーデン陶磁器産業を代表する最大級のグループとなりました。
1978年の工場閉鎖、そして1980年代の解体まで、女性デザイナーが第一線で活躍したこと、シャモット(粗い砂を混ぜた土)を使った力強い造形、そして「日常の道具に美を」という民主的なデザイン思想が、この窯を特徴づけてきました。本記事では、約一世紀続いたこの会社の歩みと、主要デザイナーたちの仕事をたどります。
創業:1886年、ウプサラのレンガ工場として
創業の地、ウプサラとエクビーの粘土
ウプサラ・エクビーは、1886年1月29日、ウプサラの旧家——フォン・バール(von Bahr)、エクストランド(Ekstrand)、ホルム(Holm)の三家を中心に設立されました。社名の「エクビー」は、ウプサラ郊外にあった同名の地区に由来します。この土地から良質な粘土が産出し、それがそのまま工場の原料となりました。
創業の年に始まったのはレンガ生産で、翌1887年には陶板タイルの製造が加わります。同社が初期に世に出した代表的な製品は「カケルウグン(kakelugn)」と呼ばれる、陶板タイル張りの大型ストーブ。寒い北欧の冬を暖めるため、各家庭の壁面を覆うこのタイル張りストーブは、19世紀末から20世紀前半までスウェーデンの住宅文化の中心にありました。
1910年代——装飾陶器への進出
1910年ごろ、ウプサラ・エクビーは家庭用陶器と装飾陶器の制作へ進み、作家やデザイナーを起用するようになります。1916年にはウプサラ・タイル工場(Upsala Tile Factory AB)を傘下に加え、生産規模を広げました。のちに1930年代以降、アンナ=リーサ・トムソンやスヴェン・エリック・スカヴォニウスらが加わり、同社の芸術性は大きく高まっていきます。
拡大の年代——ゲフレ、カールスクローナ、そしてロールストランドへ
1936年・1942年の買収
1930年代以降、ウプサラ・エクビーはスウェーデンの陶磁器産業を再編する立場へ移っていきます。1935〜1936年頃、北部の港町イェヴレ(Gävle)にあったゲフレ磁器(Gefle Porslinsfabrik)を傘下に収めます(資料により1935年とする例と1936年とする例があります)。1937年にはセント・エリック粘土製品工場(St. Erik Lervarufabriker)、1942年には南部のカールスクローナ磁器(Karlskrona Porslinsfabrik)を手中に収めました。これらの買収を通じて、ウプサラ・エクビーは「単一の工場」から「複数ブランドを持つ陶磁器グループ」へと変容していきます。
1964年の大拡大——ロールストランド、レイミレ、コスタを傘下に
1964年は、ウプサラ・エクビーにとって歴史的な転換点となりました。この年、同社は——
- ロールストランド(Rörstrand)——1726年創業、ヨーロッパで二番目に古い陶磁器メーカー
- レイミレ(Reijmyre Glasbruk)——スウェーデン東部のガラス工房
- コスタ/ボダ系のガラス事業——現在のコスタ・ボダ(Kosta Boda)につながるブランド群
- GABゲンセ(GAB Gense)——カトラリー製造
を次々と買収し、陶磁器に加えてガラス・銀器までを含むスウェーデン家庭用工芸の巨大グループを形成します。創業当初の素朴なレンガ工場から数えれば、78年後の達成でした。
主要デザイナーたち
ウプサラ・エクビーの黄金時代を支えたのは、約40名にのぼるデザイナー陣でした。アンナ=リーサ・トムソン、イングリッド・アッテルベリ、マリ・シムルソンなど、女性デザイナーが第一線で活躍した窯として知られる一方、ヴィッケ・リンドストランドやスヴェン・エリック・スカヴォニウスらも黄金期を支えました。ここでは、いまヴィンテージ市場でとくに評価の高い6名を取り上げます。
アンナ=リーサ・トムソン(1933–1952)
アンナ=リーサ・トムソン(Anna-Lisa Thomson, 1905年9月20日 – 1952年2月12日)は、ウプサラ・エクビーの黄金時代を切り拓いた中心人物です。スウェーデン南部の港町カールスクローナで生まれ、1924年から1928年までストックホルムの工芸学校(Tekniska skolan、現コンストファック)で学びました。
卒業後、ウプサラのセント・エリック粘土製品工場で働き始め、わずか2年で芸術監督に就任。1933年にウプサラ・エクビーに移籍し、46歳で早逝する1952年まで在籍しました。彼女の代表作については後述しますが、トムソンは「優れたデザインの暮らしの道具を、手の届く価格で人々に届ける」というスウェーデン・モダニズム本来の理念を、装飾陶器の領域で形にした人物でした。彼女の死後、女性アーティストを支援する財団が設立され、現在も奨学金が授与されています。
ヴィッケ・リンドストランド(1942–1950)
ヴィッケ・リンドストランド(Vicke Lindstrand, 1904–1983)は、スウェーデンのモダンガラスを切り拓いた巨匠として知られますが、ウプサラ・エクビーには陶芸家として在籍しました。1928年にオレフォルス(Orrefors)でガラスデザイナーとしてデビュー。1930年のストックホルム博覧会で異国情緒あふれるエナメル装飾のガラス花瓶12点を発表し、一躍注目を集めました。
第二次世界大戦中、オレフォルスがリンドストランドの雇用を維持できなくなり、彼は1942年にウプサラ・エクビーへ移籍します。1943年にはクリエイティブ・リーダーに就任し、1950年まで在籍。この間、トリトン(Triton)と名付けられた花瓶や貝殻形の器、マンドリル(猿)・象・熊などの動物彫刻まで、ストーンウェアによる多彩な造形を生み出しました。1950年にコスタ・ガラス工房に移り、再びガラスデザイナーとして晩年を過ごします。
イングリッド・アッテルベリ(1944–1963)
イングリッド・マグダレナ・アッテルベリ=ヨランソン(Ingrid Magdalena Atterberg-Göransson, 1920–2008)は、1940年代半ばにウプサラ・エクビーに加わり、1963年までの約20年間で数多くのモデルをデザインした多作な陶芸家です。1940年代にはマンガン粘土、1950年代にはシャモット(粗い砂を混ぜた土)を用い、独自の釉薬を開発しました。
1949年デザインの「スピラル(Spiral)」シリーズは、細身の瓶形花瓶にバンブルビーイエローとミルクホワイトの艶釉が螺旋状に交差するもので、彼女の代表作の一つです。1957年に発表され1959年まで生産された「シャモット」シリーズは、粗い土の質感と艶釉・マット釉の対比を造形に取り入れました。国内外で評価され、公共空間の装飾にも関わりました。市場資料や専門店資料では、スウェーデン国立美術館に作品が収蔵されている作家として紹介されています。
マリ・シムルソン(1949–1971年前後)
マリ・シムルソン(Mari Simmulson, 1911–2000)は、1911年にロシア・サンクトペテルブルクで、エストニア系の両親のもとに生まれました。ロシア革命後の1919年、家族はエストニアの首都タリンへ戻り、彼女はここで少女時代を過ごします。1931年から1935年までタリンの国立工芸学校で陶芸を学び、1937年にはヘルシンキのアラビア工房で芸術部門のインターンを経験。1938年から1939年にかけてはミュンヘン美術大学で彫刻を学びました。
第二次世界大戦が始まると、シムルソンは漁船でスウェーデンに逃れます。1945年からはグスタフスベリでヴィルヘルム・コーゲのもとで働き、1949年にウプサラ・エクビーへ移籍。在籍期間中、サリックス(Salix)、エリトリア(Eritrea)、アガベ(Agave)など多くのシリーズをデザインし、同社で最も評価の高い陶芸家の一人とされました。1971年前後、業績悪化に伴う人員整理のなかで会社を離れ、その後は独立した制作活動を続け、2000年に世を去ります。
スヴェン・エリック・スカヴォニウス(1935–1939/1953–1971)
スヴェン・エリック・スカヴォニウス(Sven Erik Skawonius)は、ウプサラ・エクビーの黄金期を率いた芸術監督です。最初の在籍は1935年から1939年、その後1953年に芸術監督として復帰し、1957年まで、そして1962年から1971年まで二度にわたって同職を務めました。彼の指揮のもとで1950年代のクリエイティブな絶頂期が築かれます。
スカヴォニウスは「暮らしの道具にも古典的なデザインが必要だ」という強い信念を持っていました。1951年の文章には、家庭の道具が暮らしの動線のなかで人目に触れる場面が多いことを指摘し、だからこそその形と外観の重要性が増す、と書き残しています。こうした言葉からは、家庭の道具にも造形美が必要だと考える、スカヴォニウスの工業デザイン観がうかがえます。彼は工業デザインを「製造者・芸術家・購入者の三者による恋愛三角関係」と例えました。
ベリット・ターネル——コスモスシリーズの作り手
ベリット・ターネル(Berit Ternell)は、ウプサラ・エクビーの家庭向け磁器シリーズ「コスモス(Kosmos)」などをデザインしました。装飾陶器に強かった同社にあって、家庭向け磁器シリーズも丁寧にデザインしてきたことを示す存在です。
代表シリーズ
パプリカ(Paprika, 1948)
アンナ=リーサ・トムソンの代表作「パプリカ」は、1948年に発表されたシリーズです。粗く黒い陶土と、艶のある白または黄色の釉薬が組み合わせられた斬新なフォルムで、複数の形状とサイズで展開され、1950年代以降も長く親しまれました。シンプルな線と力強い量感、そして黒地に映える明るい釉薬が、戦後スウェーデンのモダニズム陶器を象徴する作品となりました。
1949年に続いて発表された「ランセット(Lancett)」は、表面にレリーフを施したアーン(壺)形の作品で、これもトムソンの後期を代表する仕事の一つです。
スピラル(Spiral, 1949)とシャモット(Chamotte, 1957)
イングリッド・アッテルベリの「スピラル」シリーズは、細身の瓶のような花瓶のフォルムに、つや消しと光沢の釉薬を螺旋状に巻きつけた幾何学的なデザインです。1949年の発表は、戦後の北欧モダニズムが装飾性を取り戻していく流れの先駆けでもありました。
続く1957年の「シャモット」シリーズでは、シャモット(粗い砂を混ぜた焼成済み粘土の粒子)を含む土を使い、削り出した素地そのものの質感を意匠の一部にしています。リサ・ラーソンが1950年代後半のグスタフスベリ時代に同じくシャモットを使い始めた時期にあたり、北欧陶芸が「磁器の白さ」から「土そのものの存在感」へ視線を向けた時代の象徴と言えます。
コスモス(Kosmos)
ベリット・ターネルがデザインした「コスモス」シリーズは、Upsala Ekeby-Gefleで1966–1977年に生産されたシリーズです。深い青または緑の釉薬と、リッジ部分にのぞく茶色の素地が特徴で、装飾陶器だけでなく家庭向けのシリーズにも同社らしい土と釉薬の表情が生かされていました。
1978年の閉鎖と、グループ解体
1964年の大拡大からわずか十数年。1970年代の北欧の陶磁器産業全体を襲った不況の波は、ウプサラ・エクビーにも届きました。需要の減少を受けて、1971年前後には人員整理が行われ、マリ・シムルソンら多くのデザイナーが会社を離れます。そして1970年代後半、ウプサラのエクビー工場は段階的に操業を終えます。一般には、Upsala-Ekebyの自社工場は1978年に閉鎖されたと整理されています。
その後、グループは投資会社プロヴェンタス(Proventus)の傘下に入ります。Proventus公式の沿革では、1982年末から段階的に持分を取得し、1983年に買収提案を経て、1984年5月にProventusグループへ組み込まれたと説明されています。これに伴い、1982年から1984年にかけてグループ全体が段階的に再編・解体されました。1964年に傘下に加わったロールストランドは、1984年にフィンランドのヴァルツィラ(Wärtsilä)社へ売却され、現在は北欧最大級の総合工芸グループであるフィスカース(Fiskars)グループに所属しています。創業から約1世紀で、かつての巨大グループとしての姿は解体されました。
ウプサラ・エクビーの魅力——いま、ヴィンテージとして向き合う
ウプサラ・エクビーの陶器は、グスタフスベリやロールストランドの磁器とは異なる質感を持ちます。マンガン粘土の濃褐色、シャモットの粗いざらつき、艶釉と無釉の対比——いずれも「素地そのものの存在感」を主役にした造形です。リンドベリやリサ・ラーソンの作品が線描の妙にあるとすれば、トムソンやアッテルベリ、シムルソンの作品は、土の量感と釉薬の対比に魅力があります。
女性デザイナーが第一線を担ったこと、装飾陶器と家庭向け磁器シリーズの両方を手がけたこと、そしてレンガ工場から始まった会社が78年をかけてスウェーデン最大級の陶磁器グループへ拡大したこと——ウプサラ・エクビーの歩みは、北欧ミッドセンチュリーの背骨の一つを形作っています。ヴィンテージ市場でも、トムソンのパプリカ、アッテルベリのスピラル、シムルソンの各シリーズが、それぞれ独立した文脈で評価されています。
まとめ
ウプサラ・エクビー(1886–1978)は、レンガ工場として創業し、20世紀半ばにはゲフレ・カールスクローナ・ロールストランドまで傘下に置いたスウェーデン陶磁器産業を代表する最大級のグループでした。アンナ=リーサ・トムソンのパプリカ、イングリッド・アッテルベリのスピラル、マリ・シムルソンの装飾陶器など、女性デザイナーが牽引した個性的な作品群がいまも評価され続けています。一方で、ヴィッケ・リンドストランドやスヴェン・エリック・スカヴォニウスらも黄金期を支えました。素地の質感と釉薬の対比を主役にした造形は、ウプサラ・エクビーならではの魅力です。