ヌータヤルヴィ・ガラス工房の歴史——フィンランド最古の窯がたどった230年の物語
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この記事の要点
- ヌータヤルヴィはフィンランド南部ピルカンマー県ウルヤラに位置するガラス村で、1793年に創業した「フィンランド最古の現役ガラス工房」だった
- 創業者はヤコブ・ヴィルヘルム・デ・ポン少佐。森林資源と湖を頼りに、ロシア統治下のフィンランドで吹きガラスの火を灯した
- 1950年にヴァルツィラ社の傘下となり、1951年にカイ・フランクが芸術監督に就任。サーラ・ホペア、オイバ・トイッカ、ヘイッキ・オルヴォラらが在籍した黄金期を迎えた
- 1988年にイッタラと合併、2014年に量産が終了。現在は独立作家のガラス村として存続し、2023年に手吹きガラス技術がユネスコ無形文化遺産に登録された
目次
ウルヤラの森と湖の中で
Photo: Wikimedia Commons / Clem23 / Public domain
ヘルシンキから北へ約160km、タンペレから南へ約60km。フィンランド南部の森と湖に囲まれた小さな自治体ウルヤラ(Urjala)の中に、ヌータヤルヴィ(Nuutajärvi)という集落があります。
面積505平方キロメートルに人口わずか約4,400人。冬は深い雪に包まれ、夏は白樺の森と湖が穏やかに広がる——この静かな土地で、1793年にひとつのガラス窯が築かれました。それから230年以上、ヌータヤルヴィはフィンランドガラスの歴史で重要な役割を担ってきました。
Photo: Wikimedia Commons / kallerna / CC BY-SA 4.0
カイ・フランク、サーラ・ホペア、オイバ・トイッカ、ヘイッキ・オルヴォラ——20世紀のフィンランドガラスを代表するデザイナーたちは、ほぼ全員がこの工房で仕事をしました。イッタラ村と並ぶ、フィンランドガラスのもうひとつの聖地が、ヌータヤルヴィです。
創業——1793年、北欧の森にガラス窯が築かれた
創業者ヤコブ・ヴィルヘルム・デ・ポン少佐
Photo: Wikimedia Commons / Htm / CC BY 4.0
1793年、ヤコブ・ヴィルヘルム・デ・ポン少佐(Jacob Wilhelm de Pont)がこの地にガラス工房を設立しました。当時のフィンランドはまだスウェーデン領で、吹きガラスの伝統はほとんどありません。鉄道もなく、道は未整備。それでもデ・ポンがこの場所を選んだのは、ガラス窯の燃料となる薪を森から無尽蔵に得られたからでした。
ヌータヤルヴィという名前は、フィンランド語で「ヌータ湖」を意味します。湖は飲料水だけでなく、運搬路の役割も果たしました。森と湖——ガラス工房に必要な二つの資源が、この土地には豊かにありました。
19世紀——窓ガラスと瓶から食卓のガラスへ
Photo: Wikimedia Commons / JKorpimies / CC BY-SA 4.0
創業当初のヌータヤルヴィが作っていたのは、もっぱら窓ガラスと瓶でした。当時のフィンランドではガラス製の窓は贅沢品で、瓶は薬や酒を入れるための実用品です。芸術的な工芸品ではなく、生活必需品の生産から工房は始まりました。
19世紀半ばになると、工房は徐々に食卓のためのガラスや装飾的な器の製造へと舵を切りました。ヌータヤルヴィ村の最も古い建物群が建てられたのもこの1850年代でした。職人たちの長屋、倉庫、マスターの邸宅——いまも残るこの集落の中核は、19世紀の風景をとどめています。
1851年にはアダム・グスタフ・ヴィルヘルム・ヴァールフォシュ(Adam Gustaf Wilhelm Wahlfors)が経営を引き継ぎ、19世紀後半にはフィンランド最大級のガラス工房のひとつにまで成長しました。
1950年——ヴァルツィラ買収と再生の火
火災が変えた工房の方向
Photo: Wikimedia Commons / Mikkoau / CC BY-SA 4.0
1950年、ヌータヤルヴィの所有権がフィンランドの大手産業コングロマリットヴァルツィラ・ユーティュマ社(Wärtsilä-Yhtymä Oy)に移りました。同年、工場のホットショップ(ガラス成形場)が大規模な火災で焼失。この火災が、ヌータヤルヴィの方向を大きく変えました。
再建にあたってヴァルツィラは、これまでの瓶や窓ガラスといった大量生産品ではなく、デザイン性のあるテーブルウェアとアートグラスへ事業を転換することを決断しました。
大量生産から芸術的なデザインへ
戦後のフィンランドでは、ミラノ・トリエンナーレを中心とした国際デザイン展が活況を呈し、北欧デザインが世界的に注目されつつありました。イッタラ村でもタピオ・ヴィルカラやティモ・サルパネヴァが氷の彫刻のようなアートグラスを発表し始めた時代です。
ヴァルツィラはこの潮流に乗り、ヌータヤルヴィをフィンランドのテーブルウェアブランドへと再編しました。1950年代がこの工房の黄金期の始まりとなります。
カイ・フランクとサーラ・ホペア——黄金期の幕開け
カイ・フランク、芸術監督に就任(1951年)
Photo: Wikimedia Commons / Public domain
1951年、ヴァルツィラはアラビアでテーブルウェアの革新を進めていたカイ・フランク(Kaj Franck、1911–1989)をヌータヤルヴィの芸術監督に迎えました。フランクはすでに「キルタ」(後のティーマ)でアラビア陶磁器のあり方を大きく変えていた人物で、彼にガラスの世界も任されたことになります。
フランクの哲学は明確でした。装飾を最小限に抑え、用途を絞り込み、誰もが手に取れる価格で、長く使える日用品を作る——「フィンランドデザインの良心」と呼ばれた彼の思想は、ガラスの世界にも一貫して持ち込まれました。
Photo: Wikimedia Commons / Nasjonalmuseet / CC BY-SA 4.0
フランクは1976年までの25年間にわたって芸術監督を務め、ヌータヤルヴィを単なる地方の工房から国際的に評価されるブランドへと押し上げました。
サーラ・ホペアと積み重ねるガラス
Photo: Wikimedia Commons / Oppi A. J. Untracht / Public domain
サーラ・ホペア(Saara Hopea、1925–1982)は、ポルヴォー出身のフィンランド人女性デザイナーです。ヘルシンキの応用美術学校でインテリアデザインを学んだ後、1952年にヌータヤルヴィに入社し、カイ・フランクの助手としてガラスの世界に入りました。
1954年、ホペアはミラノ・トリエンナーレで銀メダルを受賞します。受賞作は積み重ねできるグラスのシリーズ(モデル1718)。色つきガラスと透明ガラスを組み合わせ、収納時には美しいモザイクのように積み重なるという、機能と美を両立させた作品でした。
ホペアは1958年に家業のジュエリー店を継ぐためヌータヤルヴィを離れますが、彼女がフランクと共に磨いた「機能的でありながら詩的なガラス」という方向性は、その後の工房の指針となりました。
カルティオ(Kartio)——円錐から生まれた名作
Photo: Wikimedia Commons / Otto-Ville Mikkelä / Public domain
1958年に発表されたカルティオ(Kartio、フィンランド語で「円錐」)は、フランクがヌータヤルヴィでデザインした最も有名なグラスシリーズです。円錐を切り取ったかのような直線的なフォルムに、わずかな脚部の段差を加えただけのミニマルな造形。色のバリエーションも豊富で、暮らしの中にさりげなく置かれることをデザインのゴールとしていました。
Photo: Wikimedia Commons / Quercus acuta / CC BY-SA 4.0
カルティオは当初は職人による手吹き、1958年以降は機械成形でも作られるようになり、フランク自身が望んだ「誰でも買える価格の日用品」というコンセプトを体現しました。
同じくフランクがアラビアでデザインした陶磁器のキルタ(Kilta、後にティーマと改名)と組み合わせて使うことを意識した寸法体系になっており、フィンランドの戦後家庭の食卓を陶器とガラスの両面から構築する壮大な試みの一翼でもありました。
Photo: Wikimedia Commons / Otto-Ville Mikkelä / Public domain
オイバ・トイッカ——色彩を解き放った魔術師
1963年、ヌータヤルヴィへ
Photo: Wikimedia Commons / Kalevi Pöyhönen / Lehtikuva / Public domain
1963年、もうひとりの巨匠が工房に加わります。オイバ・トイッカ(Oiva Toikka、1931–2019)です。ヘルシンキの応用美術学校で陶芸を学んだ後にガラスへ転じたトイッカは、フランクが追求した静謐なミニマリズムとはまた違う、色彩と物語に満ちたガラスの世界を切り開きました。
トイッカは2019年に亡くなるまで半世紀以上、ヌータヤルヴィを拠点に活動し続けました。
カステヘルミ(Kastehelmi、1964年)
Photo: Wikimedia Commons / Tommi Nummelin / CC BY-SA 3.0
ヌータヤルヴィに加わった翌年の1964年、トイッカは代表作のひとつカステヘルミ(Kastehelmi、「露の雫」)を発表しました。プレートやボウルの表面に無数の球状のガラスが並び、光をきらめかせるこのシリーズは、北欧の朝露を主題にしたガラスデザインとして瞬く間に人気を集めました。
カステヘルミは型成形により職人が成型したもので、量産品でありながら手仕事の温もりが残る名作です。1988年に一度生産が終わったものの、2010年にイッタラブランドで復刻され、現在も作り続けられています。
ガラスの鳥たち——1972年から始まる物語
Photo: Wikimedia Commons / 14GTR / CC0
1972年、トイッカはガラスの鳥(Glass Birds)シリーズの最初の一羽「ヒタキ(Flycatcher)」を世に送り出しました。それ以後、亡くなるまでの47年間で400種類以上の鳥たちが彼の手から生まれ続けます。
すべての鳥はヌータヤルヴィの工房で職人によって手吹きで作られ、一羽ずつ表情が異なります。北欧の渡り鳥から想像上の鳥まで、トイッカの豊かな観察力と物語性がガラスに封じ込められた作品は、現在もコレクターに熱心に集められています。
Photo: Wikimedia Commons / Severi Parko / CC BY 4.0
トイッカの活躍の影には、もうひとり、長年共に仕事をしたヘイッキ・オルヴォラ(Heikki Orvola)の存在もあります。1968年からヌータヤルヴィに加わったオルヴォラは、ガラスのキビ(Kivi、1988年)など、現在もイッタラの主力商品となっている名作を生み出しました。
イッタラとの合併、そして2014年の終わり
1988年——イッタラ=ヌータヤルヴィ・オイ
Photo: Wikimedia Commons / Stefano Vigorelli / CC BY-SA 4.0
1988年、フィンランドガラス業界に大きな再編が起こりました。アールストロームグループ(A. Ahlström Corporation、イッタラの所有者)とヴァルツィラ(ヌータヤルヴィ、フンッピラ、ナパピーリン・ラシの所有者)が両社のガラス事業を統合し、新会社イッタラ=ヌータヤルヴィ・オイ(Iittala-Nuutajärvi Oy)が誕生したのです。出資比率はアールストローム70%、ヴァルツィラ30%でした。
これ以降、ヌータヤルヴィで作られるガラスはイッタラブランドのもとで販売されるようになります。1990年には新会社がハックマングループ(Hackman Group、当時アラビアやロールストランドを保有)に売却され、フィンランド・スウェーデンの主要な北欧ブランドが一つの傘の下にまとまっていきました。
その後、ハックマンは2003年にイッタラグループとして再編され、2007年に現在のフィスカースグループ(Fiskars)に買収されます。複雑な企業再編の歴史については、北欧陶磁器ブランドの統合史でも詳しく解説しています。
2014年——溶解炉の火が消えた日
Photo: Wikimedia Commons / SeppVei / CC0
2014年、フィスカースは事業効率化のため、ヌータヤルヴィでの工業的なガラス生産を終了し、すべての量産機能をイッタラ村に集約することを決定しました。221年間、絶え間なく燃え続けたヌータヤルヴィの溶解炉の火が、ついに消えた瞬間でした。
多くの職人とその家族が、新たな仕事を求めて村を離れました。230年続いた工房の歴史が、ここで一つの区切りを迎えたのです。
復活——独立作家たちのガラス村として
ガラス職人学校と財団の継承
Photo: Wikimedia Commons / Grigur / CC BY-SA 4.0
イッタラの量産が去った後も、ヌータヤルヴィのガラスの火は完全には消えませんでした。ガラス職人学校(タヴァスティア職業大学校の分校)と新たに設立されたヌータヤルヴィ財団、そして独立した作家たちが、村のガラス文化を引き継いだのです。
2021年には、ヌータヤルヴィのガラス村の建物群を新しいオーナーが取得し、数百万ユーロを投じて歴史的環境の保全と再活性化を進めています。フィンランド遺産庁は集落全体を「国家的に重要な建築文化環境」に指定しており、19世紀の景観を保ちながら新しい時代を迎えています。
2023年——ユネスコ無形文化遺産へ
Photo: Wikimedia Commons / Jorma Puranen / CC BY 4.0
2023年、フィンランドの手吹きガラスの技術と知識がユネスコの無形文化遺産(Intangible Cultural Heritage of Humanity)に登録されました。これはイッタラ村とヌータヤルヴィを中心に受け継がれてきた職人技に対する国際的な評価です。
かつての量産工房は、いまや独立作家のスタジオが集まる「ガラスの村」として再出発し、ギャラリーや工房を訪れることができる観光地にもなっています。プリュカリ・ガラス美術館(Glass Museum Prykäri)には、創業期の素朴な薬瓶からフランク、ホペア、トイッカらの作品まで、230年の歴史が凝縮されて展示されています。
ヌータヤルヴィ製品の見分け方
Photo: Wikimedia Commons / Nasjonalmuseet / CC BY-SA 4.0
ヴィンテージのヌータヤルヴィ製品には、以下のようなマークが見られます。
- 「Nuutajärvi Notsjö」——20世紀後半に主に使われたフィンランド語+スウェーデン語併記のロゴ。ヌータヤルヴィ製品を最も特徴づけるマーク
- 「i Nuutajärvi」——「i」はティモ・サルパネヴァがデザインしたイッタラのロゴだが、ヌータヤルヴィ製品にも使われた時期がある
- 底面に刻まれた手書きサイン——アートグラスやユニークピースには作家のサインと年号が手書きで入る場合があり、フランクの「KF」や「Franck」、トイッカの「O. Toikka」などが代表的
- シール——量産品には金や銀の楕円形シールが貼られていた。シールが残っている個体は希少
1988年の合併以降は徐々に「Iittala」表記に統一されていったため、底面に「Nuutajärvi Notsjö」と記された個体は、それ以前に作られたヴィンテージ品である可能性が高いといえます。バックスタンプの詳細は北欧食器のバックスタンプ総合ガイドでも解説しています。
まとめ
Photo: Wikimedia Commons / Quercus acuta / CC BY-SA 4.0
ヌータヤルヴィは、1793年にフィンランド南部の森と湖の中に灯ったガラスの火が、230年の時を超えてユネスコ無形文化遺産にまで至った稀有な物語です。デ・ポンが築いた素朴な瓶工房から、カイ・フランクとサーラ・ホペアの「機能と美の調和」、オイバ・トイッカとヘイッキ・オルヴォラの「色彩と物語の解放」へ——時代ごとに姿を変えながら、この村のガラスは常に北欧デザインの最前線にありました。
2014年に量産は終わったものの、職人と作家たちはいまも村に残り、独立スタジオでガラスを吹き続けています。ヴィンテージのカルティオやカステヘルミ、トイッカの鳥を手に取るとき、その向こうに、ウルヤラの森と湖、そして230年燃え続けた窯の光景があることを思い出してみてください。
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