アンナ=リーサ・トムソン(1950年撮影)

アンナ=リーサ・トムソン完全ガイド|パプリカを生んだウプサラ・エクビーの女性陶芸家

北欧食器タックショミュッケ編集部

この記事の要点

  • アンナ=リーサ・トムソン(Anna-Lisa Thomson、1905〜1952年)は、1933〜1952年にウプサラ・エクビー(Upsala-Ekeby)で活躍したスウェーデンの女性陶芸家です
  • 代表作はパプリカ(Paprika、1948年)。粗い黒の素地に光沢のある白または黄の釉薬を掛け合わせた花器で、ウプサラ・エクビーを代表するベストセラーの一つとなり、1960年代まで生産された
  • 1937年パリ万国博覧会、1939年ニューヨーク万国博覧会で受賞。1951年ミラノ・トリエンナーレ(IX Triennale)では銀メダルを受賞した
  • 1928年ストックホルム工科学校(現Konstfack)を卒業後、ウプサラのSt. Erik lervarufabrikで最初の専属芸術家となり、2年後に芸術監督に昇進してから1933年にウプサラ・エクビーへ移籍
  • 1952年2月、46歳で乳がんにより早逝。ウプサラ旧墓地に眠る。後年は西海岸グルンドスンドの夏の家で絵画と詩作にも親しんでいた

アンナ=リーサ・トムソンとは

アンナ=リーサ・トムソンのポートレート(1950年)
アンナ=リーサ・トムソン(1905〜1952年)。1950年撮影、亡くなる2年前の姿。

Photo: Wikimedia Commons / Public domain

スウェーデン中部の街ウプサラ。1933年から1952年に亡くなるまで、この街のウプサラ・エクビー(Upsala-Ekeby AB)で粘土と向き合い続けた一人の陶芸家がいました。アンナ=リーサ・トムソン(Anna-Lisa Thomson、1905〜1952年)です。

彼女の名前を知らなくても、その代表作「パプリカ(Paprika)」を見たことのある人は多いはずです。1948年に発表された、粗い黒い素地に光沢のある白または黄の釉薬を掛け合わせた造形的な花器。球と円錐を組み合わせたような簡潔なフォルムでありながら、黒い土肌と釉薬の対比によって、室内に彫刻的な存在感をもたらしました。1960年代までさまざまな寸法と形で生産が続けられ、ウプサラ・エクビーを代表するベストセラーの一つとなりました。

トムソンはまた、1937年のパリ万国博覧会と1939年のニューヨーク万国博覧会で国際的な評価を得て、1951年のミラノ・トリエンナーレでは銀メダルを受賞した、スウェーデン陶芸の女性開拓者の一人でもありました。同時代の同僚であるヴィッケ・リンドストランド、イングリッド・アッテルベリ、マリ・シムルソン、ヨーディス・オールドフォースとともに、彼女は「20世紀前半のウプサラ・エクビーを形づくった五人」に数えられています。

本記事では、46年という短い生涯のなかで陶芸の現場と表現を切り拓いたトムソンの足跡を、出身地カールスクローナ、ストックホルム工科学校、ウプサラ・エクビー、グルンドスンドの夏の家まで、写真とともにたどります。

生い立ち——カールスクローナからストックホルムへ

1905年、海軍の街カールスクローナで

カールスクローナの空撮
カールスクローナを上空から望む。バルト海に浮かぶ群島の上に築かれた、スウェーデン王立海軍の都市。1998年にユネスコ世界遺産に登録された。

Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / HaSe

アンナ=リーサ・トムソンは1905年9月20日、スウェーデン南東部の港町カールスクローナ(Karlskrona)で生まれました。バルト海に浮かぶ複数の島の上に築かれた街で、1680年にカール11世の命によって設計されたスウェーデン王立海軍の母港です。整然としたバロック都市計画によってつくられた市街地は、現在も当時のままに残り、1998年にはユネスコの世界遺産に登録されています。

カールスクローナのフレドリック教会
カールスクローナのフレドリック教会(Fredrikskyrkan)。市内中心のストール広場に面した18世紀のバロック建築で、トムソンの幼少期の街の象徴的な建物。

Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0 / Sendelbach

父アクセル・トムソン(Axel Thomson)は商社経営者、母はリーサ・モランデル(Lisa Molander)。商家の娘として、トムソンは港町の整然とした街並みと、海から吹く風のなかで幼少期を過ごしました。後年に発表された「マリーナ」「スペクトラ」といった作品が、海の波や水面のひらめきを思わせる有機的なフォルムをもつのは、こうした原風景の反映と見ることもできるでしょう。

ストックホルム工科学校での学び

ストックホルム工科学校(Tekniska Skolan)の教室風景
ストックホルム工科学校(Tekniska skolan)の教室風景。写真は同校で学んだ画家ヴェラ・ニルソン。トムソンが在籍した1924〜1928年とほぼ同時代の校内の様子。

Photo: Wikimedia Commons / Public domain

1924年、トムソンはストックホルムへ移り、ストックホルム工科学校(Tekniska skolan、現Konstfack)に入学しました。この学校は1844年に設立されたスウェーデン最古のデザイン・工芸教育機関で、後年Konstfack(スウェーデン王立工芸・デザイン・美術大学)として再編されています。彼女が専攻したのは陶芸でした。

現在のKonstfackキャンパス
現在のKonstfack(ストックホルム)。トムソンが学んだ「Tekniska skolan」はこの大学の前身にあたり、いまもスウェーデンを代表する工芸・デザイン教育機関として続いている。

Photo: Wikimedia Commons / Public domain / Jarborg, Göran

1924年から1928年までの4年間、トムソンはストックホルム工科学校で陶芸の技術と表現を学びました。同校では、デザインだけでなく、ろくろの引き方、釉薬の調合、窯の温度管理まで含めた実技教育が行われていました。後年、ウプサラ・エクビーで素材そのものを設計する立場に立つ彼女の素地は、この4年間で培われたものです。

イタリア、オーストリア、プラハ、ドレスデンへの研修

卒業後のトムソンは、複数の研究助成金を得てヨーロッパ各地で陶芸の研修を行いました。記録に残る訪問先は、イタリア、オーストリア、プラハ、ドレスデン。1920年代後半のドレスデンは、ヨーロッパ陶芸の中心地のひとつであり、マイセン磁器の伝統と、バウハウスを源とする新しい造形が交差していた場所です。

こうした研修旅行を通じてトムソンが吸収したのは、北欧の伝統陶芸とは異なる地中海・中欧の感覚、そして1920年代に欧州を席巻していたアール・デコの幾何学と装飾性でした。1930年代の彼女の作品にしばしば見られる、装飾を抑えながらも丸みを帯びた現代的なフォルムは、この旅で得たものの結実といえます。

ウプサラへ——St. Erik lervarufabrikでの出発

ウプサラ大聖堂の双塔
ウプサラ大聖堂(Uppsala domkyrka)。13世紀に着工された北欧最大級のゴシック建築。トムソンは1928年以降、この街で生涯のほとんどを過ごした。

Photo: Wikimedia Commons / Public domain

ヨーロッパ研修から帰国した彼女が最初の職場として選んだのは、ウプサラのSt. Erik lervarufabrik(聖エリック陶器工場)でした。同社はストックホルムから北へ約70キロの大学都市ウプサラに置かれた窯業会社で、トムソンはここに「最初の専属芸術家」として迎えられます。

当時のスウェーデンの陶器工場では、芸術家を専属で雇うことはまだ一般的ではありませんでした。装飾性のある食器や花瓶は職人が伝統的な型に従って生産するのが普通で、芸術家がデザインの主導権を握る体制はようやく根づき始めたばかりでした。20代半ばだったトムソンを「最初の専属芸術家」として迎えたSt. Erik lervarufabrikの判断は、この時代のスウェーデン陶器産業のなかでも先進的なものでした。

入社からわずか2年後、彼女は同工場の芸術監督(artistic director)に昇進します。20代後半の女性が窯業会社のアートディレクターを務めることは、1930年代の北欧においては極めて異例でした。

ウプサラ・エクビーでの19年

1933年入社——工場の方針転換期

ウプサラ・エクビー工場の建物
ウプサラ・エクビーの工場(Ekeby bruk)。ウプサラ郊外に位置する煉瓦造りの工場で、1886年の創業以来、煉瓦・タイル・陶器を生産してきた。

Photo: Wikimedia Commons / CC0 / David Castor

1933年、トムソンはウプサラ・エクビーAB(Upsala-Ekeby AB)に移籍します。ウプサラ・エクビーは1886年に煉瓦工場として創業した会社で、20世紀に入って装飾陶器・タイル・暖房用ストーブなどへと事業を拡張していました。1930年代に入ると、より近代的な装飾陶器の生産へと舵を切るために、トムソンを引き抜いたのです。

ウプサラ・エクビーで製造されたタイル張りの暖房ストーブ
ウプサラ・エクビーで製造されたタイル張りの暖房ストーブ(kakelugn)。1930年代の同社は、こうした建築装飾品から芸術性の高い花器へと製品の重心を移していた。

Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / Bengt Oberger

トムソンが入社した時期、ウプサラ・エクビーには同じく若手のスヴェン・エリック・スカヴォーニウス(Sven Erik Skawonius)も加わっていました。1942年にはオレフォース・ガラス工房から名匠ヴィッケ・リンドストランド(Vicke Lindstrand、1904〜1983年)が芸術監督として移籍してきます。トムソンは、スカヴォーニウス、リンドストランドらとともに、それまで建築用装飾品の生産が中心だったウプサラ・エクビーの美術陶器路線を確立していった中心人物となりました。

彼女はデザイナー(formgivare)として、装飾陶器、花器、インテリアを彩る陶製オブジェまで、幅広い分野のデザインを担当しました。1933年から1952年に亡くなるまでの19年間、ウプサラ・エクビーは彼女の生涯の職場であり続けます。

1937年パリ博、1939年ニューヨーク博での受賞

1937年、パリで開催された「現代生活における芸術と技術国際博覧会(Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne)」で、トムソンとスカヴォーニウスのデザインしたウプサラ・エクビーの装飾陶器が国際的な賞を受賞しました。スウェーデン陶器がアール・デコと北欧モダンの中間を歩んでいたこの時期、彼女の作品は「素材の重さを残した、しかし装飾を整理した」スウェーデン陶芸の典型として評価されたのです。

続く1939年、ニューヨーク万国博覧会(New York World's Fair)でも彼女の作品は受賞しました。1939年のニューヨーク博はアメリカでスウェーデン・モダン(Swedish Modern)が広く認知される契機となった博覧会で、ニルス・フォウクト、エドヴァルド・ハルド、シモン・ガテと並んで、トムソンの陶器もそのなかに含まれていました。

30代前半の彼女は、すでにスウェーデンを代表する陶芸デザイナーの一人として、国際舞台に名を刻んでいたのです。

パプリカ(Paprika、1948年)——ウプサラ・エクビーを代表するベストセラー

黒い素地と光沢釉の出会い

アンナ=リーサ・トムソンのパプリカ花瓶
パプリカ(Paprika、1948年)。粗い黒の素地に、光沢のある白の釉薬を内側と上半分に掛け分けた花器。トムソンとウプサラ・エクビーの代表作。

Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / Holger Ellgaard

1948年、トムソンは「パプリカ(Paprika)」と名付けられた花器のシリーズを発表しました。これが、彼女の生涯を象徴する作品となります。

パプリカが革新的だったのは、その素材と表面処理の対比でした。素地(クレイ)には粗い質感を残した黒い陶土を選び、その一部にだけ光沢のある白または黄色の釉薬を掛け分けるという手法。ろくろで成形された有機的なフォルムの内側に滑らかな釉薬が溜まり、外側には粗い素地がそのまま見えています。当時としては前例の少ない試みで、SKBL(スウェーデン女性人物伝辞典)も「当時としては斬新な組み合わせ(en nymodighet)」と記しています。

パプリカは単一の花器ではなく、寸法も形状もさまざまなバリエーションをもつシリーズとして展開されました。小ぶりの卓上花器から、床に置く100センチ近いフロアヴァーズまで、形のバリエーションだけで数十種類が確認されています。1948年の発表から1960年代まで生産は続けられ、ウプサラ・エクビーを代表するベストセラーの一つとなりました。

バックスタンプ「A.L.T.」と銘の読み方

パプリカの底面のバックスタンプ A.L.T.
パプリカの底面のバックスタンプ。「A.L.T.」はアンナ=リーサ・トムソン(Anna-Lisa Thomson)のイニシャル。「UE」はウプサラ・エクビー(Upsala-Ekeby)の社名。

Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / Holger Ellgaard

ヴィンテージのパプリカを見分ける重要な手がかりが、底面のバックスタンプです。トムソンの作品には「A.L.T.」というイニシャルが入っており、これがアンナ=リーサ・トムソン(Anna-Lisa Thomson)の頭文字をとった署名にあたります。多くの場合「UE」(Upsala-Ekeby)のロゴと、モデル番号、形状を示す数字とともに刻まれています。

1948年の発表後、パプリカは1960年代まで生産が続けられました。生産期間が長いため、初期と後期では素地の質感や釉薬の発色にわずかな違いが見られます。初期は黒土に比較的近い深い黒、後期にかけてはやや明るい焦げ茶寄りの色味の個体も知られています。バックスタンプの書体や手書き文字の有無も時期によって違いがあり、コレクターの判別ポイントとなっています。

その他の代表作

ランセット(Lancett、1949年)

パプリカの翌年、1949年にトムソンが発表したのが「ランセット(Lancett)」シリーズです。槍の穂先(lancett)を思わせる細長い葉状の浮き彫り装飾を全面に施した壺で、釉薬には淡いセラドン緑が用いられました。粗い黒の素地と光沢釉の対比を主題としたパプリカに対し、ランセットは均質な素地に低浮き彫りの装飾を彫り込んだ作品で、彼女の表現の幅の広さを示しています。

パプリカが「素材の対比」を主題としていたとすれば、ランセットは「形そのもののリズム」を主題とした作品といえます。1940年代後半のスウェーデン・モダン陶芸が、装飾の整理と素材の発見の両方を同時に進めていたことの象徴でもあります。

マリーナ、スペクトラ——海から着想を得た形

1940年代後半から1950年代初頭にかけて、トムソンは「マリーナ(Marina)」「スペクトラ(Spectra)」と呼ばれるシリーズも手がけました。シリーズ名にもあるとおり、これらは海と水面のひらめきを着想源とした花器群です。波の連続を思わせる起伏のあるフォルムや、貝殻に近い非対称の輪郭が特徴で、彼女のスタイルの抒情的な側面を示しています。

カールスクローナで生まれ、後年は西海岸グルンドスンドの夏の家を愛したトムソンにとって、海は生涯を通じて身近な主題でした。それが直接的な表象としてではなく、フォルムのリズムや釉薬の流れとして陶器のなかに翻訳されているのが、彼女の作品の特徴です。

1951年ミラノ・トリエンナーレ——銀メダル

1951年第9回ミラノ・トリエンナーレ陶芸展示会場
1951年の第9回ミラノ・トリエンナーレ「陶芸展(Mostra della Ceramica)」の展示室。戦後最初のトリエンナーレで北欧のモダニズム工芸が注目を集めた(Public domain / Wikimedia Commons)。

Photo: Wikimedia Commons / Public domain / Farabola

1951年、ミラノで第9回ミラノ・トリエンナーレ(IX Triennale di Milano)が開催されました。第二次世界大戦後最初のトリエンナーレで、ヨーロッパ各国の工芸とデザインが一堂に会する場となり、特に北欧のモダニズム工芸が大きな注目を集めた回として記録されています。フィンランドのタピオ・ヴィルッカラ、カイ・フランク、スウェーデンのスティグ・リンドベリ、ヴィルヘルム・コーゲらが軒並み高評価を得たのもこの年です。

1951年ミラノ・トリエンナーレ陶磁器展示会場
1951年ミラノ・トリエンナーレの陶磁器展示会場(カルロ・デ・カルリ設計)。トムソンらスウェーデン陶芸の代表作もこの会場で展示・評価された。

Photo: Wikimedia Commons / Public domain / Luca De Carli

この第9回トリエンナーレで、トムソンは陶磁器部門で銀メダル(Medaglia d'argento)を受賞しました。受賞対象となった出品作の中心は、彼女の代表作パプリカと考えられます。パリ1937年、ニューヨーク1939年に続く三度目の国際舞台での受賞であり、戦後ヨーロッパが新しい価値観を模索するなかで、トムソンの名前が国際的な陶芸デザインの舞台に再び刻まれた瞬間でした。

翌1952年の早春に彼女が亡くなることを思うと、このミラノでの銀メダルは事実上、トムソンの陶芸家としての到達点を示す勲章となりました。

グルンドスンドの夏——西海岸の別荘で

グルンドスンドの街並み
グルンドスンド(Grundsund)。スウェーデン西海岸ボフスレーン地方の漁村で、トムソンが晩年に長い時間を過ごした夏の家のあった場所。

Photo: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / I99pema

ウプサラと並んで、トムソンの後半生にとってもう一つの大切な場所がありました。スウェーデン西海岸ボフスレーン地方の漁村、グルンドスンド(Grundsund)です。彼女はここに夏の家を持ち、ウプサラ・エクビー在籍中もしばしば長い時間を過ごしました。

ボフスレーン群島の夕日
ボフスレーン群島の夕日。北海に面した花崗岩の島々が連なる海岸線で、19世紀以来スウェーデンの画家たちにとっての一大モチーフであり続けてきた。

Photo: Wikimedia Commons / CC BY 2.0 / Cosmo F Kramer

グルンドスンドでのトムソンは、陶芸だけでなく絵画、素描、詩作にも親しんでいました。芸術家の友人たちとの交流を楽しみ、海を前にスケッチを重ねた時間は、彼女の作品の抒情的なフォルムにも影響しました。乳がんが進行した晩年は特にこの場所での時間を大切にし、最後の数年は仕事よりも執筆と絵画に多くの時間を割いていたと記録されています。

SKBLの伝記は、彼女の晩年について「彼女はとくに執筆活動を熱心に行い、その作品から、彼女が深く道徳的かつ宗教的な性格を持ち、自分自身に厳しく不安を抱えていたことが分かる」と記しています。陶芸家としての成功と国際的な評価の影で、彼女は自身の生について繰り返し問い直し続けていた人物でもありました。

早すぎる死——46歳でウプサラの土に

ウプサラ旧墓地
ウプサラ旧墓地(Gamla kyrkogården)。トムソンは1952年2月に亡くなり、この墓地に眠る。植物学者カール・フォン・リンネ、神学者ナーザン・ゼーデルブロームらも同じ墓地に葬られている。

Photo: Wikimedia Commons / CC0 / DimiTalen

1952年2月12日、アンナ=リーサ・トムソンは乳がんで亡くなりました。46歳という早すぎる死でした。前年のミラノ・トリエンナーレでの銀メダル受賞からわずか数か月後のことでした。

彼女の遺体はウプサラ旧墓地(Gamla kyrkogården i Uppsala)に埋葬されました。1774年に開設されたウプサラ市内最古の墓地で、植物学者カール・フォン・リンネの息子で同じく植物学者だったカール・リンネ(小)、神学者ナーザン・ゼーデルブロームら、ウプサラの街と縁の深い人物が多く眠る場所です。芸術家の墓も多く、彼女もそうした一人として、自身が19年を過ごしたこの街の土に還りました。

彼女が在籍した19年のあいだに、ウプサラ・エクビーで発表されたデザインの総数は数百点に及びました。短い生涯のなかでこれだけの仕事を残したことは、現場でろくろを引き、素材の試作を繰り返し、それでもデザインの主導権を手放さなかった一人の陶芸家の姿勢を物語っています。

ウプサラ・エクビーを形づくった五人のひとりとして

SKBL(Svenskt kvinnobiografiskt lexikon、スウェーデン女性人物伝辞典)は、トムソンを「ウプサラ・エクビーで活躍した1930〜40年代の陶芸の最も重要なデザイナーの一人」と位置づけ、ヴィッケ・リンドストランド(Vicke Lindstrand、1904〜1983年)、イングリッド・アッテルベリ(Ingrid Atterberg、1920〜2008年)、マリ・シムルソン(Mari Simmulson、1911〜2000年)、ヨーディス・オールドフォース(Hjördis Oldfors)と並ぶウプサラ・エクビーを形づくった五人のひとりに数えています。

この五人のうち、トムソンは最年長であり、1933年に最も早く入社しました。リンドストランドが1942年、シムルソンが1949年、アッテルベリが1944年、オールドフォースが1936年の入社で、トムソンは1930年代以降のウプサラ・エクビーの美術陶器路線を最初に切り拓いた人物といえます。

彼女の影響は、後年の同社の作風にも明確に表れています。たとえばアッテルベリの黒土技法は、トムソンのパプリカが切り拓いた「素材の対比」というアプローチの延長線上にあり、シムルソンのパプリカ・シリーズ(同名のシリーズが存在しますが、こちらは別作品です)にもその影響を見ることができます。トムソンは、製品としてのベストセラーを生んだだけでなく、後輩たちが歩む道筋そのものを切り拓いた存在でした。

まとめ

アンナ=リーサ・トムソンの仕事

  • 1905年カールスクローナ生まれ、1928年ストックホルム工科学校(現Konstfack)卒業。イタリア・オーストリア・プラハ・ドレスデンで研修
  • ウプサラのSt. Erik lervarufabrikで「最初の専属芸術家」となり、2年後に芸術監督に昇進
  • 1933年ウプサラ・エクビー入社。1952年に亡くなるまで19年間、デザイナーとして勤務
  • 1937年パリ博、1939年ニューヨーク博で受賞。1951年ミラノ・トリエンナーレで銀メダル受賞
  • 代表作パプリカ(1948年)は、粗い黒土と光沢釉の組み合わせという当時としては斬新な手法で、ウプサラ・エクビーを代表するベストセラーの一つに
  • 1952年2月、乳がんにより46歳で逝去。ウプサラ旧墓地に眠る。リンドストランド、アッテルベリ、シムルソン、オールドフォースとともに「ウプサラ・エクビーを形づくった五人」に数えられる

アンナ=リーサ・トムソンの作品は、現在もスウェーデンの蚤の市、オークションハウス(Bukowskis、Auctionet、Stockholms Auktionsverk)、そして北欧ヴィンテージ食器の専門店にも流通しています。底面に「A.L.T.」「UE」のバックスタンプを見つけたら、それは20世紀前半のスウェーデン陶芸を切り拓いた一人の女性デザイナーの仕事の証です。

パプリカの黒土と白釉の対比、ランセットの槍状の浮き彫り、マリーナの波打つフォルム——46年という短い生涯のなかで生み出されたこれらの形と質感は、いまもウプサラ・エクビーの記憶を静かに伝えています。

ロールストランドやグスタフスベリの食器とは少し異なりますが、ウプサラ・エクビーの作品は、20世紀スウェーデンの住空間を彩った重要な陶芸表現です。北欧食器を通して当時の暮らしやデザインを見ていくうえでも、トムソンの仕事は欠かせない位置にあります。

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