北欧のグラス(タンブラー・ショットグラス)完全ガイド — 窯・作家・年代の手がかり
北欧食器タックショミュッケ編集部スウェーデン・フィンランドから北欧ヴィンテージ食器を直接買い付け、1,000点以上を検品してきた当店が、一次情報と実物の観察にもとづいて執筆・編集しています。
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透明な素地に光が抜け、色ガラスが窓辺で静かに輝く——北欧のガラスは、陶の器とならんで北欧食器の大切な一角を占めてきました。フィンランドのタンブラーから、スウェーデンの手仕事のグラス、デンマークのスナップスグラスまで、その表情は驚くほど多彩です。この記事では、北欧のグラス(タンブラーやショットグラスなどの飲杯)を、主要な窯と作家、器種、そして年代の手がかりという切り口から横断的にたどります。

この記事でわかること
- 北欧のガラスが生まれた四つの国と、代表的な窯の歴史
- カイ・フランクやタピオ・ヴィルカラなど、ガラスを手がけた作家たち
- タンブラー・ショットグラス・スナップスグラスといった器種の違い
- 吹きガラス・型吹き・プレスガラスなどの製法と、刻印から年代を読む手がかり
目次
北欧のガラスとは——四つの国のガラス
北欧のガラスと一口に言っても、その担い手はスウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーの四つの国にまたがります。いずれの国でも、ガラス作りは深い森と湖水地帯に支えられてきました。窯を燃やす薪と、珪砂やカリを供給する自然環境が、ガラス工房を森の中へと導いたからです。

19世紀までのガラスは瓶や窓ガラスといった日用の品が中心でした。それが20世紀に入り、デザイナーと熟練職人が手を組むことで、北欧のガラスは造形の芸術へと大きく花開きます。スウェーデンではオレフォシュやコスタが、フィンランドではイッタラやヌータヤルヴィが、その舞台となりました。まずは国ごとに、その土地の窯をたどってみましょう。
スウェーデン——クリスタル王国グラスリケット
スウェーデン南部のスモーランド地方、ヴェクショーとカルマルの間に広がる森林地帯は「グラスリケット(Glasriket、クリスタル王国)」と呼ばれます。19世紀以降、この一帯には数多くのガラス工房が集まり、スウェーデンのガラス作りの心臓部となりました。

コスタとオレフォシュ
コスタ(Kosta Glasbruk)は1742年、カール12世の軍にいた二人の将校アンデシュ・コスクル(Anders Koskull)とゲオルグ・ボギスラウス・スタール・フォン・ホルスタイン(Georg Bogislaus Staël von Holstein)によって創業されました。工房の名は、二人の姓のはじまり「Ko」と「Sta」を合わせたものです。手仕事で操業を続けてきた工房として、スウェーデンでも指折りの古い歴史をもちます。
オレフォシュ(Orrefors)は1898年、鉄工所の跡地に生まれました。当初は窓ガラスや瓶が中心でしたが、1913年に領事ヨハン・エクマンが工房を手に入れた後、グラスや花瓶といった家庭用のガラスへと軸足を移します。1930年代には、彫り込んだ層に空気を封じ込める「アリエル(Ariel)」技法が、エドヴィン・オールストロムやクヌート・ベリィクヴィストらの手で確立され、オレフォシュの名を国際的に知らしめました。
ボダとエリック・ホグラン
ボダ(Boda)は1864年に創業した工房です。1953年、彫刻家出身のエリック・ホグラン(Erik Höglund、1932–1998)がボダに着任すると、ガラスの世界に新しい風が吹きこまれました。当時の職人たちが避けようとした気泡やゆがみを、ホグランはむしろ意匠として積極的に取り込み、素朴で温かみのある、不均一な質感のガラスを生み出したのです。1957年にはルニング賞を受け、北欧デザインの新しい世代を象徴する存在となりました。

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当店でも、ホグランがボダで手がけた「アダムとイヴ」の琥珀色のジョッキ(ゼイデル)をご紹介しています。ぽってりとした素地の中に気泡がゆらめき、レリーフで人物像が象られた、ホグランらしい一点です。造形の力強さと、ガラスならではの光の透過が同居しています。エリック・ホグラン ボダ アダムとイヴ 琥珀色のガラスジョッキで、その表情をご覧いただけます。
1970年にはコスタがボダやオフォシュ(Åfors)などと合併し、1976年に社名を「コスタ・ボダ(Kosta Boda)」へと改めました。スモーランドの森は、こうして世界に知られるガラスの里となっていきました。
フィンランド——ヌータヤルヴィとイッタラ
ヌータヤルヴィ——森のガラス村
ヌータヤルヴィ(Nuutajärvi、スウェーデン語名ノートショー Notsjö)は1793年、ウルヤラの地に設けられました。操業を続けてきたフィンランド最古のガラス工場として知られ、当初は瓶や窓ガラスを作っていました。1950年にヴァルチラ(Wärtsilä)グループの傘下に入って以降、カイ・フランクやオイヴァ・トイッカら名だたる作家を迎え、フィンランドを代表するガラスの村として知られるようになります。

イッタラ——1881年、ガラスの村の誕生
イッタラ(Iittala)は1881年、イッタラ村に生まれました。創業したのは、ヌータヤルヴィを離れたスウェーデン人ガラス職人ペトルス・マグヌス・アブラハムソンです。当時のフィンランドには熟練したガラス職人が乏しく、最初の職人たちはスウェーデンから招かれました。20世紀半ば以降、イッタラはタピオ・ヴィルカラやティモ・サルパネヴァといった作家とともに、フィンランド・ガラスの象徴的な存在へと成長していきます。

リーヒマキ——色ガラスの工房
リーヒマキのガラス工場(後のリーヒマキ・ラシ Riihimäen Lasi Oy)は1910年に設けられました。手吹きと美術ガラスの生産は1976年まで続き、工場そのものは1990年に閉じられました。グンネル・ニューマンやナニー・スティル、タマラ・アラディンといった作家が、この工房で色鮮やかなガラスを生み出したことで知られます。

リーヒマキとイッタラ、ヌータヤルヴィをめぐる工場の物語は、それぞれリーヒマキ・ガラス工場の歴史やイッタラ ガラス村の物語、ヌータヤルヴィ ガラス村の歴史でも掘り下げています。
ガラスを彫刻した作家たち
カイ・フランク——日常のかたちを整えた人
カイ・フランク(Kaj Franck、1911–1989)は、フィンランド・デザインの「良心」とも呼ばれる存在です。1945年からARABIA(アラビア)でデザインを手がけ、1951年から1973年まではヌータヤルヴィ・ガラス工場の芸術監督を務めました。装飾を削ぎ落とし、色と輪郭だけで用途を語らせる——その姿勢は、陶の器だけでなくガラスにも一貫していました。

フランクの代表的なガラスに「カルティオ(Kartio)」があります。円錐を切ったようなまっすぐな輪郭と、澄んだ色ガラスの美しさで知られる、ヌータヤルヴィのタンブラーです。デザイン番号2744をもつこのかたちは、吹きガラスの原型から機械成形へと展開しました。年代については資料によって幅がありますが、1950年代のフランクの思想を凝縮したデザインとして愛されています。詳しくはカイ・フランク カルティオ完全ガイドでも解説しています。

グンネル・ニューマン——短い生涯の先駆者
グンネル・ニューマン(Gunnel Nyman、1909–1948)は、戦後フィンランド・ガラスの方向を先取りした作家です。ヘルシンキの中央工芸学校でアルットゥ・ブルンメルに学び、リーヒマキ、カルフラ=イッタラ、ヌータヤルヴィという複数の工房で制作しました。気泡を意匠として封じ込めた作品や、澄んだ有機的なフォルムは、後の世代に大きな影響を残しました。39歳での早すぎる死により作品数は限られますが、その先駆性は高く評価されています。

ニューマンの歩みはグンネル・ニューマン完全ガイドでより詳しくたどっています。
タピオ・ヴィルカラ——氷と森のガラス
タピオ・ヴィルカラ(Tapio Wirkkala、1915–1985)は、1946年のイッタラのデザインコンペで入賞して以来、長くイッタラと歩みをともにしました。フィンランドの自然——氷、雪、木の年輪——を思わせるテクスチャーを、ガラスの表面に彫り込んだことで知られます。量産シリーズ「タピオ(Tapio)」は1954年に、代表作「ウルティマ・トゥーレ(Ultima Thule)」は1968年に生まれました。

ヴィルカラは、氷や樹皮を思わせる荒々しい表面をもつショットグラスも数多く手がけました。「パーダル(Paadar)」「アスラク(Aslak)」「ニヴァ(Niva)」といった飲杯は、いずれもイッタラのガラスです。表面のテクスチャーが光を乱反射し、透明なガラスに雪解けのような表情を与えています。当店では、その「パーダル」と「アスラク」のショットグラスをご紹介しています。

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手のひらにおさまる小さな器ですが、光にかざすとテクスチャーの陰影が立ち上がります。イッタラ パーダル ショットグラス、イッタラ アスラク ショットグラスのそれぞれで、その造形をご覧いただけます。
ティモ・サルパネヴァ——ロゴを生んだ作家
ティモ・サルパネヴァ(Timo Sarpaneva、1926–2006)は、1950年にカルフラ=イッタラに入社しました。彼が1956年にデザインした「i-ライン(i-lasi)」の小文字の「i」は、のちにイッタラのロゴの由来となったと伝えられます。溶けたガラスと向き合い、鋳型と炎を操って造形を追求したサルパネヴァは、ガラスを彫刻の域へと押し上げました。

オイヴァ・トイッカ——露のしずくの人
オイヴァ・トイッカ(Oiva Toikka、1931–2019)は、ARABIAの美術部門を経て、1963年にヌータヤルヴィ・ガラス工場へ移りました。1964年に発表した「カステヘルミ(Kastehelmi、露のしずく)」は、無数の小さな粒が表面を覆うプレスガラスで、朝露が葉に宿る情景を写し取ったようなシリーズです。

トイッカとカステヘルミについてはイッタラ カステヘルミ 完全ガイド、オイヴァ・トイッカ完全ガイドもあわせてどうぞ。ほかにも、ヌータヤルヴィでカイ・フランクの助手を務めたサーラ・ホペアや、リーヒマキで色ガラスを手がけたナニー・スティルなど、北欧のガラスは多くの作家に支えられてきました。
デンマークとノルウェーのガラス
ガラスの物語は、スウェーデンとフィンランドだけのものではありません。デンマークのホルメゴー(Holmegaard)は1825年、ネストベズ近郊で、伯爵夫人ヘンリエッテ・ダネスキオル=サムスーによって創業されました。当初は緑色の瓶を作り、のちにクリスタルガラスへと展開します。すっきりとした機能美と、スナップスグラスに代表される食卓のガラスで知られます。

ノルウェーのハーデランド(Hadeland Glassverk)は1762年、ランズフィヨルデン湖畔で創業されました。当初は瓶や薬瓶など日用のガラスを作り、独自のデザイン開発は1920年代から本格化します。デンマークやノルウェーのガラスは、フィンランド・スウェーデンとはまた違った、穏やかで端正な表情を見せてくれます。
グラスの器種——タンブラーからスナップスグラスまで
タンブラー
脚のない、まっすぐな筒形の器がタンブラーです。北欧のタンブラーの原点のひとつが、アイノ・アールト(Aino Aalto、1894–1949)が手がけた「ボルゲブリック(Bölgeblick)」です。カルフラ・ガラス工場の1932年のコンペに出品され、同じ年に生産が始まりました。水面の波紋を思わせる同心円の段が、プレスガラスならではの端正さで刻まれています。

アイノ・アールトのガラスや生涯についてはアイノ・アールト完全ガイドでも紹介しています。
ショットグラスとスナップスグラス
小ぶりの器がショットグラス、そして北欧の蒸留酒スナップス(アクアビット)のための器がスナップスグラスです。デンマークやスウェーデンでは、ザリガニパーティーやクリスマスの食卓と結びついた、季節の器として親しまれてきました。脚のあるものから、寸胴のもの、気泡を封じた素朴なものまで、かたちはさまざまです。

ヴィルカラのパーダルやアスラクのように、氷を思わせるテクスチャーをまとったショットグラスは、北欧の冬の情景を小さな器に閉じ込めたようです。
製法で見る北欧のガラス
ガラスの表情は、その作り方によって大きく変わります。ここでは代表的な三つの製法を整理します。
吹きガラスと型吹き
吹き竿の先に溶けたガラスの塊をとり、息を吹き込んでふくらませるのが吹きガラス(マウスブロウン)です。ひとつずつ職人の手で成形されるため、微妙な個体差が生まれます。木や金属の型にガラスを吹き込んで、かたちや装飾を与えるのが型吹きです。型の内側の模様が、そのままガラスの表面に写し取られます。
ヴィルカラのテクスチャー・ガラスに見られる、氷や樹皮のような荒々しい表面は、型の彫りがガラス表面に写し取られることで生まれる表情のひとつです。
プレスガラス
金型に溶けたガラスを入れ、上からプランジャー(押し型)で押し広げて成形するのがプレスガラスです。ボルゲブリックやカステヘルミのような、規則正しく反復する模様は、プレスの得意とするところです。手吹きに比べて量産に向き、価格も抑えられるため、暮らしのガラスとして広まりました。
色ガラスと気泡
ガラスに金属酸化物を加えると、青や緑、琥珀といった色が生まれます。オレフォシュのアリエルやレイヴェンナのように、色ガラスの層を透明なガラスで包み込む高度な技法もあれば、エリック・ホグランのように、気泡やゆがみをそのまま個性として生かす表現もあります。透明・色・気泡——その組み合わせが、北欧ガラスの豊かな表情を作り出しています。
刻印とサイン——年代の手がかり
ヴィンテージのガラスに出会ったとき、いつ、どこで作られたものかを知る手がかりはいくつかあります。ただし、どれか一つだけで年代を断定することはできません。複数の手がかりを重ね合わせて、総合的に判断するのが基本です。

刻印・サイン・シール
底に彫られたサインには、作家名や工房名とともに、二桁の製造年が併記されていることがあります。たとえば「K. Franck Nuutajärvi Notsjö 61」とあれば、1961年を指します。ただし、すべての器に年が入るわけではなく、数字が型番を表す場合もあるため、数字イコール製造年と早合点しないよう注意が必要です。
紙やプラスチックのシールは、剥がれ落ちて失われやすく、決め手にはなりにくいものです。イッタラの赤い丸に白い小文字「i」のロゴは、ティモ・サルパネヴァによって1956年にデザインされたと伝えられますが、ロゴやシールの有無だけでなく、酸で刻まれたエッチングの刻印や様式、カタログの型番照合をあわせて見ることが大切です。
ロールストランドやイッタラなど、ブランドごとの刻印の読み方はイッタラのロゴ・バックスタンプ完全ガイドもご参照ください。
共同体の道具
ここまで、器種と製法と刻印について書いてきました。けれども北欧のグラスを並べていると、もう一つ説明しなければならないことが残ります。なぜこの地域で、これほど小さなグラスがこれほど多く作られたのか、という点です。答えは酒の話ではなく、共同体の話になります。
スナップスは酒の名ではなく、飲み方の名だった
はじめに言葉を整理しておきます。アクアビット(akvavit)は、EUの蒸留酒規則(規則2019/787)附属書I第24類で定義された製品カテゴリーです。香りは主としてキャラウェイまたはディルの種子の蒸留物に由来しなければならず、精油を使うことは認められていません。最低アルコール度数は37.5パーセントと定められています。スウェーデンの「Svensk Aquavit」は1994年に、ノルウェーの「Norsk Akevitt」は2020年に、それぞれEUの地理的表示として登録されました。
いっぽうスナップス(snaps)は、製品の名前ではありません。スウェーデンの国営酒類販売公社システムボラーゲット(Systembolaget)は、この語について「何を飲むかについては何も語らず、飲み方だけを指す」と説明しています。語源も同じ方向を示していて、デンマークの国民百科lex.dkによれば、snapsは低地ドイツ語の「一口、ひとすすり」に由来します。アクアビットはスナップスとして飲まれましたが、スナップスが必ずアクアビットだったわけではありません。
この区別は、グラスの大きさを考えるときに効いてきます。スナップスという語そのものが「一口分」を意味しているのですから、その器が小さいことは、言葉の内側にすでに含まれていました。
歌ってから飲む、という順序
スウェーデンには、スナップスヴィーサ(snapsvisa)と呼ばれる歌があります。ユネスコ無形文化遺産条約にもとづくスウェーデン国内のリストに登載されており、その記述によれば「乾杯の歌であり、最も古い歌のジャンルのひとつ」で、「多くは一節のみの歌で、乾杯する者がグラスを掲げたあとに斉唱される」ものです。英語版の記述はさらに明確で、歌は蒸留酒の小さな一杯を飲む直前に歌われるとされています。
順序が決まっていた、というところが要点です。グラスを持ち上げるのが先で、歌がその次に来て、飲むのは最後になります。民俗学者でノルディスカ・ムセーエット(Nordiska museet)の元館長でもあるクリスティーナ・マットソン(Christina Mattsson)は、この一連の動きを、顎の高さにグラスを掲げ、互いの目を見て、スナップスヴィーサを歌い出し、全量または半量を飲み、正しい位置にグラスを置く、と記述しています。掲げる、見る、歌う、飲む、置く。五つの動作が決まった順に並んでいて、その場の全員が同時にそれをたどりました。
乾杯の語であるskålは、古ノルド語のskál、すなわち「鉢、器」に由来します。もともとは飲むための容器そのものを指す言葉でした。「ヴァイキングが敵の頭蓋骨で酒を飲んだからskålと言う」という話が流布していますが、これは英語のskullとの音の近さから生まれた俗説であり、誤りです。
スナップスヴィーサのなかで最もよく知られた「Helan går」は作者不詳の伝承歌で、ストックホルムの酒類博物館スプリートムセウム(Spritmuseum)によれば、旋律が最初に記録されたのは1840年代のオペレッタでした。同館は、この歌の伝統が19世紀後半の市民層と学生の環境から生まれたと説明しています。題名のhelanは一続きのスナップスの「一杯目」を指し、続くhalvanが「二杯目」にあたります。
ただし、この伝統は北欧全体のものではありません。前述の無形文化遺産リストは、この型にしたがってスナップスヴィーサが作られ歌われているのはスウェーデンとフィンランドのスウェーデン語圏だけだ、と明記しています。スプリートムセウムも「多くの文化に、歌うために飲む習慣はある。しかし飲むために歌うのは、スウェーデンとフィンランド・スウェーデン語系だけの伝統である」と述べています。ノルウェーやデンマークにも飲酒の歌はありましたが、一節歌ってすぐに飲み干す定型が同様に確立していたことを示す公的資料は確認できていません。「北欧の乾杯の歌」と一般化すると、事実から外れます。
行事の席と、グラスの大きさ
スナップスとその歌が現れるのは、日常ではなく行事の席でした。無形文化遺産リストが名指しする機会は、ユール(クリスマス)、夏至祭、クレフトシーヴァ(ザリガニパーティー)で、英語版ではイースターも加わります。いずれも家族や仲間が集まる祝宴の場であり、この所作は毎晩の食卓ではなく、年に何度かの集まりのために取り出されるものでした。
このうちクレフトシーヴァについては、ノルディスカ・ムセーエットが、語そのものは1900年前後から使われはじめ、19世紀の市民層の「kräftsupé」に起源をもつと説明しています。古い農村の風習ではなく、近代の都市文化の産物でした。夏の終わりの食卓とこの行事については、北欧の秋と食卓の記事で詳しく書いています。
国ごとの差もあります。ノルウェーの国営酒類販売公社ヴィンモノポーレット(Vinmonopolet)は、アクアビットが飲まれる機会として、ユールと5月17日の憲法記念日を挙げています。小さなショットグラスで一息に飲み干す型が、北欧のどこでも同じだったわけではありません。デンマークではアクアビットの多くが無色透明の未熟成品で、lex.dkは、それが食事の席でビールとともに供されてきたと記述しています。
ショットグラスが小さいのは寒冷地で酒が冷えないうちに飲み干すためだ、と言われることがあります。しかし、この説明を裏づける記述は、博物館や公的機関、辞典類の資料には見当たりません。むしろ整合しない事実のほうが目につきます。19世紀のスウェーデンで標準とされた一杯は現在のスナップスグラスより大きかったと言われており、気候が変わらないままグラスのほうが小さくなっています。寒冷であることに変わりのないノルウェーでも、一息に飲み干す型だけが伝えられてきたわけではありません。寒さを理由にすると、説明の向きが逆になります。
グラスが小さかった理由を気候に求めるより、その場の型に即して考えるほうが、残された記述とは整合します。度数の高い蒸留酒が少量ずつ供され、掲げて、目を合わせ、歌い、飲み干し、置くという一続きの動作を全員が共有しました。グラスはその動作を成立させるための道具であり、飲み物を入れておく容器という以上の役割を負っていました。同じ形のグラスが人数分並ぶということは、その場の全員が同じ所作を共有できるということです。北欧のグラスが単品ではなく揃いで作られ、揃いで残ってきた背景の一つには、この型があったと考えられます。
日本の酒席と比べる——注ぐ所作と配る所作
日本の酒席と比べてみると、北欧の型はいっそう見えやすくなります。ただし「日本は注ぎ合い、北欧は配る」という単純な二分法にすると、どちらの側も不正確になります。時代を揃え、儀礼の場と日常の場を分けて見ていきます。
献酬という言葉の古さ
日本の酒席には、酒をやりとりする行為そのものを指す言葉が古くからあります。「酌」は酒を杯につぐことを指し、『平家物語』巻三(13世紀前半)に「貞能御酌にまゐりたり」という用例があります。「献酬」は杯をやりとりすることで、『本朝文粋』(1060年頃)にすでに見えます。注ぐ、受ける、返すという往復の動作に、千年近く前から名前が与えられていました。
器も、その行為に合わせて分かれていきました。正式の酒宴では銚子と木杯が組み合わされ、内輪の小宴では徳利と猪口が用いられたと説明されています。徳利という語が文献に現れるのは室町後期で、語源については注ぐときの音を写したという説などが語られてきましたが、辞典類はいずれも「定かではない」としています。猪口が広まるのは江戸中期で、燗酒の普及と並行していました。ぐい呑みが器の名として現れるのはさらに遅く、1859年の用例が最も早いものとして挙げられています。
ひとつ注意しておきたいのは、日本では器より行為が重んじられてきた、という言い方が正確ではないことです。江戸期の徳利には重要文化財に指定されたものがあります。むしろ器は行為の格を決める装置で、どの器を出すかがその席を正式とするか内輪とするかを定義していました。器と行為は切り離せません。
北欧にも、回し飲みの器があった
北欧の側も、最初から各自の器だったわけではありません。ノルウェーには、ølbolle(エルボッレ)と呼ばれる木製の飲器がありました。ノルウェー国民百科によれば、通常の大きさのølbolleは食卓を人から人へと回されました。1619年の年記をもつ作例が残り、19世紀後半まで農村で使われていました。オスロのノルスク・フォルケミュージアム(Norsk Folkemuseum)では収蔵番号第1号がこのølbolleで、同種の器を2000点以上所蔵しています。
スウェーデンにも同じ性格の器がありました。ヴェステルイェートランド地方のケックスタード村は、村で共有するsnibbskålを12個所有し、村人が同じ器から飲んだと記録されています(現物はノルディスカ・ムセーエット所蔵)。1586年にこの地を訪れたドイツ人は、食卓を回って隣人に乾杯する習慣を書き残しました。ノルウェーには、死後7日目の饗宴で追悼の杯(minneskål)を飲むgravølという習俗もありました。日本の献杯と構造のよく似た習慣が、北欧にもあったことになります。
違いは有無ではなく、配分にある
日本の側にも、個人の器へ向かう長い流れがあります。中世以降に普及した木杯は、冷酒を集団で回し飲みする習慣に合わせて大ぶりでしたが、近世になると個人専用の小杯が作られるようになりました。江戸後期には、他人が口をつけた杯を不潔と感じる意識から杯洗が普及し、1849年には流行物として記録されています。個人の器へという動きは、日本でも200年以上前から進んでいました。
逆に、回し飲みが今も残っているのは、日常の晩酌ではなく儀礼の場です。婚礼の三三九度は、同じ杯で飲み回して座を一巡するという古い形を受け継いでいます。神社本庁は、神事のあとの直会を、参加者一同が神酒をいただき神饌を食する共飲共食の儀礼と説明しています。北欧の共有の鉢も、日常より祝祭と葬送の器でした。比べるなら、儀礼どうし、日常どうしで比べる必要があります。
そのうえで、現代の食卓に限って言えば、動作の向きは確かに違います。今日の日本の酒席で、誰かが誰かに注ぐ往復のかたちが残っているのに対して、今日の北欧の食卓では、一人ひとりの前に同じグラスが置かれ、合図とともに全員が一斉に杯を上げます。先に配られていて、同時に動きます。どちらが個人的でどちらが集団的か、という優劣の話ではありません。往復で確かめるか、同時性で確かめるか、共同体の確かめ方が違うということです。
日本の器と北欧の器で、時間が経ったあとの値打ちの残り方がなぜ違うのかは、日本の伝統陶器と北欧ヴィンテージ食器は、何が違うのかで整理しています。
シリーズで揃えるという買い方
北欧のグラスを見るときに知っておくと理解の変わる点が、もう一つあります。これらの多くが、単体では設計されていないということです。
用途ごとに形を変え、意匠で揃える
20世紀の北欧のガラスには、シリーズとして構想されたものが数多くあります。ショットグラスやスナップスグラス、水やジュースのためのタンブラー、ワイングラス、ビールグラスといった用途ごとの器が、同じ意匠のもとで大きさと形を変えながらひと揃いになっていました。脚の有無や胴の張り方は用途で変わっても、面の取り方や色、縁の処理といった骨格は共通していて、並べたときに一つの家族に見えるよう設計されていました。
食卓を一つの調子でそろえる発想は、20世紀の北欧のデザインに通底しています。全員が同じ所作を同時にたどる場では、手元の器が人によって違っていては形がそろいません。同じ意匠で人数分というかたちは、その場の型がそのまま製品の設計に翻訳されたものだと考えることができます。
こうした揃いを成立させたのは、同じ工場が長い年月にわたって同じ型を作り続けられる体制でした。スウェーデン南部のスモーランド地方は、森が燃料と灰を、土地の砂が原料を供給する条件のそろった場所で、そこにガラス工場が集まりました。産業としての成り立ちはオレフォース完全ガイドで詳しく書いています。
一客ではなく、ひと揃いで探す
ヴィンテージの市場では、この設計思想がそのまま探し方に反映されます。気に入った一客を見つけた人が次に探すのは、同じシリーズの別のサイズであり、そのあとは同じものをもう一客、もう一客と、人数分に近づけていく買い方です。当店にも、同じシリーズの入荷を待っていますというお問い合わせをよくいただきます。単体で完結する器ではなく、そろうことで形になる器として作られているからです。
そろわないこともあります。生産期間の途中で仕様が変わっていたり、同じシリーズでも年代によって色味や厚みに差があったりします。長く使われてきた器には擦れや曇りが残り、縁に小さな欠けを持つものもあります。当店が一点ずつ検品して状態を書き分けているのは、あとから足していく買い方を前提にしているからです。
受け継がれているのは、グラスだけではない
シリーズで揃えるという買い方を続けていくと、手元に残るのはグラスの集合ではなく、食卓の組み立て方そのものになります。この形はこの場面、この大きさはこの役割、という対応関係ごと引き受けることになるからです。北欧の家庭で祖母から母へ、母から子へと渡されてきたのも、個々のグラスというより、この対応関係のほうでした。
シリーズを追うという買い方は、収集の作法である以前に、生活様式を受け取る作法でもあります。北欧のグラスがヴィンテージとして今も動いている理由は、意匠の魅力だけでは説明がつきません。揃えるという生活の型ごと残ってきたからです。
コンディションと扱いについて
ヴィンテージのガラスは、長い時間を経てきたものです。観賞用としてお迎えいただく際に、知っておきたい状態の見方と扱いの注意をまとめます。
ガラスに見られる経年の表情には、縁や底の小さな欠け、表面の細かなすり傷、そして白く曇る「にごり(白化)」などがあります。すり傷は、重ねて保管されたりする中で自然につくものです。白化は、水分やアルカリの影響でガラスの表面がわずかに変質した状態で、拭いても取れないことがあります。いずれも、時代を経た北欧ヴィンテージらしい味わいのひとつとして捉えられます。
扱いの際は、急激な温度変化を避けることが大切です。冷えたガラスに急に熱を加えたり、その逆をしたりすると、ひびや割れの原因になります。研磨剤の入った洗剤や硬いたわしは、表面に傷をつけたり、彫刻サインを削ってしまうおそれがあるため避けてください。また、絵付けや金彩のあるものに漂白剤を用いると、色や装飾が損なわれることがあります。柔らかい布でやさしく手入れをするのが、ガラスを長く楽しむこつです。
北欧のヴィンテージグラスは、単なる酒器ではありません。乾杯の歌が響いた食卓があり、夏至祭の長い夕暮れがあり、家族の祝宴がありました。ひとつのグラスは、その場に居合わせた人たちが同じ所作を分け合った時間の記録でもあります。
私たちが検品のために手に取るのも、そうした時間を経てきた器です。縁のわずかな擦れや、光にかざしたときの曇りは、その器が誰かの暮らしのそばにあったことの証しでもあります。
まとめ
北欧のガラスは、スウェーデンのグラスリケット、フィンランドのヌータヤルヴィとイッタラ、そしてデンマークやノルウェーの工房という、四つの国の森と水辺から生まれてきました。カイ・フランクやタピオ・ヴィルカラ、オイヴァ・トイッカら作家たちが、透明な素地に色と光とテクスチャーを与え、タンブラーやショットグラスという小さな器のなかに、北欧の自然と暮らしの風景を映し出しました。
要点の整理
- 北欧のガラスはスウェーデン・フィンランド・デンマーク・ノルウェーの森の工房で育まれた
- スウェーデンはグラスリケット、フィンランドはヌータヤルヴィとイッタラが中心地
- カイ・フランク、ヴィルカラ、サルパネヴァ、トイッカらが造形を芸術へ高めた
- 器種はタンブラー・ショットグラス・スナップスグラスなど多彩
- 製法は吹きガラス・型吹き・プレスガラスに大別され、色と気泡が表情を生む
- 年代は刻印・サイン・様式を重ね合わせて総合的に判断する
- スナップスは酒の種類ではなく飲み方を指す言葉で、グラスを掲げ、目を合わせ、一節歌ってから飲み干すという一連の所作を全員で共有するための器として、小さなグラスが用いられていました。「寒冷地だから小さい」という説明には公的な裏づけが見当たりません。
- 乾杯の歌スナップスヴィーサの伝統はスウェーデンとフィンランドのスウェーデン語圏のもので、北欧全体に共通するわけではありません。ノルウェーやデンマークには別の作法がありました。
- 日本にも北欧にも、回し飲みの器と個人の器の両方がありました。違いは有無ではなく、どの場面にどちらが残ったかという配分にあります。
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