スヴェン・パルムクヴィストによるオレフォースのラヴェンナのボウル

オレフォース(Orrefors)完全ガイド|スウェーデン「ガラスの王国」が生んだ20世紀北欧ガラスの頂点——グラール・アリエル・ラヴェンナと名匠たちの物語

この記事の要点

  • オレフォース(Orrefors)は、スウェーデン南部スモーランド地方の「ガラスの王国(Glasriket)」に位置するガラス窯。1898年に製鉄所の跡地で創業し、当初は窓ガラスや瓶を作る実用ガラスの工場でした。
  • 1913年にヨハン・エークマン(Johan Ekman)が製紙用の森林を買収した際、付随していたガラス工場を芸術ガラスへと方向転換。1916年に画家シモン・ガーテ(Simon Gate)、1917年にエドヴァルド・ハルド(Edvard Hald)を迎え、20世紀北欧ガラスの頂点へと駆け上がりました。
  • 色ガラスを透明クリスタルで包む「グラール(Graal)」技法は、1916年に親方ガラス職人クヌート・ベリィクヴィスト(Knut Bergqvist)が生み出したもの。気泡を封じ込める「アリエル(Ariel)」、モザイク状の「ラヴェンナ(Ravenna)」など、オレフォースは技法そのもので世界を驚かせ続けました。
  • 1925年のパリ万国装飾美術博覧会でグランプリを受賞し、薄手のエングレーヴド・グラスが「スウェディッシュ・グレース」と称される時代の象徴に。戦後はスヴェン・パルムクヴィスト、イングボリ・ルンディン、ニルス・ランドベリらが国際的な栄誉を重ねました。
  • 1990年にコスタ・ボダと統合してオレフォース・コスタ・ボダとなり、所有はロイヤル・スカンジナビア、ニューウェーブ・グループへと移り変わりました。オレフォース村の窯(hyttan)は2013年7月に操業を終え、生産はコスタへ集約されています。

オレフォース——スウェーデン「ガラスの王国」が生んだ北欧ガラスの頂点

オレフォースのガラス工場、1917年
1917年のオレフォースのガラス工場。スモーランドの森に囲まれた窯から、20世紀北欧ガラスの黄金期が始まった。Photo: Anna Bloms Ateljé / Public domain

オレフォース(Orrefors)は、スウェーデン南部スモーランド地方のガラス窯です。深い針葉樹の森に抱かれた小さな村オレフォースで、20世紀のガラス芸術を塗り替える数々の技法と名作が生まれました。グラール、アリエル、ラヴェンナ——いずれもこの窯が世界に送り出した言葉です。

けれども、その始まりは芸術とは無縁でした。1898年に製鉄所の跡地で産声をあげたオレフォースは、はじめ窓ガラスやジャムの瓶を作る、ありふれた実用ガラスの工場だったのです。森が燃料を与え、職人が技をつなぎ、やがて一人の実業家と二人の画家が出会ったとき、この窯はゆっくりと「芸術の窯」へと姿を変えていきました。

本記事では、当店ブログの「エドワード・ハルド完全ガイド」「ヴィッケ・リンドストランド完全ガイド」「北欧ガラスの世界——コスタ・ボダとスウェーデンのガラス工芸」を束ねるかたちで、オレフォースという窯そのものの歩みを、生まれた土地から技法、名匠たち、そして現在までたどります。スウェーデンの「ガラスの王国」を旅するように読み進めてください。

目次

  1. オレフォースの基本情報
  2. スモーランドの森と「ガラスの王国」——オレフォースが生まれた土地
    1. なぜ森の中にガラス窯が生まれたのか
    2. 15の窯が点在する「ガラスの王国(Glasriket)」
    3. 窯の夜の集い「ヒュットシル」
  3. 鉄工所からガラス窯へ——1898年の創業
  4. 芸術ガラスへの転換——ガーテとハルド
    1. シモン・ガーテ——画家からガラスの巨匠へ
    2. エドヴァルド・ハルド——マティスの教え子
  5. グラール技法の誕生——1916年
  6. 1925年パリ万博と「スウェディッシュ・グレース」
  7. 戦後の黄金期——技法の革新者たち
    1. ヴィッケ・リンドストランドとアリエル技法
    2. スヴェン・パルムクヴィスト——クラカ・ラヴェンナ・フーガ
    3. ニルス・ランドベリの「チューリップグラス」
    4. イングボリ・ルンディン——初の女性デザイナーと「りんご」
  8. ポップの時代から現代へ
  9. 所有の変遷と工場の閉鎖
  10. サイン・刻印の読み方
  11. 日本とオレフォース
  12. まとめ

オレフォースの基本情報

名称 オレフォース(Orrefors)
創業 1898年(ガラス窯として。1726年創業の製鉄所跡地)
所在地 スウェーデン・スモーランド地方、オレフォース村(ガラスの王国/Glasriket)
主な製品 クリスタルガラスの花瓶・装飾ガラス・脚付きグラス・エングレーヴド・グラス
代表技法 グラール(1916)/アリエル(1937発表)/ラヴェンナ(1948)/クラカ(1944)/エングレーヴィング(銅版彫り)
主なデザイナー シモン・ガーテ/エドヴァルド・ハルド/ヴィッケ・リンドストランド/スヴェン・パルムクヴィスト/ニルス・ランドベリ/イングボリ・ルンディン/グンナー・シレーン
現状 オレフォース村の窯は2013年に操業終了。以後、ブランド名はコスタ系の生産体制のなかで受け継がれています

スモーランドの森と「ガラスの王国」——オレフォースが生まれた土地

南スモーランドのブナ林
南スモーランドの森。痩せた土地に広がる深い森が、ガラス産業の燃料を支えた。Photo: Bernt Fransson / CC BY-SA 4.0

オレフォースを理解するには、まずこの窯が立つ土地を知る必要があります。スウェーデン南部のスモーランド(Småland)は、岩がちで痩せた土壌が広がり、農業には決して恵まれた土地ではありませんでした。けれども、その代わりに、見渡すかぎりの森がありました。

なぜ森の中にガラス窯が生まれたのか

ガラスを溶かすには、膨大な熱が要ります。比較的成長の早いスモーランドの針葉樹林は、その熱を生み出す燃料を、絶えることなく供給してくれる再生可能な資源でした。農業で食べていけない土地の人々にとって、森とガラスは生きるための糧だったのです。18世紀以降、この地方には大小のガラス窯が次々と築かれていきました。

コスタのガラス工場、1890年代
1890年代のコスタのガラス工場。スモーランドの森のなかで、職人たちが代々ガラスを吹き継いできた。Photo: Public domain

15の窯が点在する「ガラスの王国(Glasriket)」

スモーランドの森に点在するガラス窯の一帯は、「ガラスの王国(Glasriket/グラスリーケット)」と呼ばれています。エンマボダ、ニーブロー、ウップヴィディンゲ、ヴェクショー、レッセボーといった自治体にまたがり、いくつものガラス窯や関連施設が点在する地域として知られています。多くの人が、このガラスの里を訪れてきました。

ガラスの王国(Glasriket)の道路標識と風景
「ガラスの王国(Glasriket)」を示す道標。森のなかに窯の村が点在するスモーランドの景観。Photo: Mogens Engelund / CC BY-SA 3.0

この王国の中心にあるのが、1742年創業のコスタ(Kosta)です。スウェーデンで最も古い歴史をもつガラス窯のひとつであり、近隣の多くの窯がコスタで腕を磨いた職人たちの手で開かれたことから、「ガラスの王国の母」とも呼ばれます。のちにオレフォースと統合する相手であるコスタ・ボダも、この古い窯を源流に持ちます。オレフォースは、こうした先輩の窯々に囲まれた森の村で、1898年に歩み始めました。

オレフォース村の風景
スモーランド地方オレフォースの村並み。窯を中心に育った、小さなガラスの村。Photo: L.G.foto / CC BY-SA 4.0

窯の夜の集い「ヒュットシル」

ガラスの王国には、「ヒュットシル(hyttsill)」と呼ばれる独特の伝統が残ります。直訳すれば「窯のニシン」。一日の作業を終えた職人たちが、ガラスを徐冷するために灰がくべられた冷却管の余熱で、塩漬けのニシンとジャガイモを焼いて夜を過ごした習わしです。

窯小屋はいつも暖かく、職人だけでなく通りすがりの旅人も集まりました。焼き豚やイステルバンド(粗挽きの燻製ソーセージ)、リンゴンベリーのジャムが並び、冗談や音楽とともに長い冬の夜が更けていきます。スモーランドの郷土料理を囲むこの集いは、長い歴史をもち、ガラスの王国を象徴する地域文化として紹介されています。森と火と人の集いが、この地のガラスを育ててきたのです。

鉄工所からガラス窯へ——1898年の創業

スモーランド地方ニーブローの町並み
オレフォースに近いニーブロー(Nybro)の町並み。ガラスの王国の玄関口のひとつ。Photo: Swedish National Heritage Board / Public domain

オレフォースという名は、近くの湖オランネス(Orranäs)の「Orr」と、急流を意味する「fors」が結びついたものといわれます。その地には、1726年に開かれた古い製鉄所(järnbruk)がありました。やがて採算が合わなくなり鉄の火は消えますが、製材で出る大量の廃材を燃料に活かす道として、1898年、跡地にガラス窯が築かれます。これがオレフォースの始まりです。

創業当初に作られていたのは、芸術品ではありません。窓ガラス、インクや香水の瓶、そしてリンゴンベリーのジャムを詰める瓶——スモーランドの暮らしを支える、実用のガラスでした。窓ガラスの窯は1899年に火が入り、しばらくのあいだ、オレフォースはどこにでもある地方のガラス工場のひとつにすぎませんでした。

転機は1913年に訪れます。ヨーテボリの実業家ヨハン・エークマン(Johan Ekman)が、製紙・パルプのための森林を買い求めた際、その取引にオレフォースのガラス工場が付随していたのです。当初エークマンにガラスを手がける計画はありませんでした。けれども、せっかく手に入れた窯をどう活かすか——その問いが、やがてこの工場を芸術ガラスへと向かわせることになります。

芸術ガラスへの転換——ガーテとハルド

実用ガラスの工場を芸術の窯へと変えたのは、二人の画家でした。当時の支配人アルバート・アーリン(Albert Ahlin)の招きで、1916年にシモン・ガーテが、翌1917年にエドヴァルド・ハルドが加わります。ガラスの経験を持たない画家たちを迎えたこの判断こそ、オレフォースの運命を決定づけました。

シモン・ガーテ——画家からガラスの巨匠へ

シモン・ガーテのポートレート
シモン・ガーテ(Simon Gate, 1883–1945)。書籍の挿絵や肖像画を手がけていた画家。Photo: John Selbing / Public domain

シモン・ガーテ(Simon Gate, 1883–1945)は、ストックホルムの美術アカデミーで学んだ画家でした。オレフォースに来る前は、肖像画や風景画、書籍の表紙の挿絵で生計を立てていたといいます。ガラスの知識はないままの入社でしたが、彼は新古典主義の端正なフォルムと、鋭く繊細な線描の感覚をガラスに持ち込みました。1916年から亡くなる1945年まで、生涯をオレフォースに捧げ、この窯の芸術的な骨格を築いた人物です。

エドヴァルド・ハルド——マティスの教え子

エドヴァルド・ハルドのポートレート
エドヴァルド・ハルド(Edvard Hald, 1883–1980)。パリでマティスに学んだ画家から、オレフォースの中心人物へ。Photo: Raphael Saulus / Public domain

エドヴァルド・ハルド(Edvard Hald, 1883–1980。英語ではEdward Hald)は、ガーテと同い年の画家です。パリでアンリ・マティスに師事した経歴を持ち、近代絵画の感覚を身につけていました。1917年にオレフォースへ加わると、軽やかで物語性のあるモチーフをガラスに描き、ガーテの古典的な造形とは対照的な、もう一つの個性を窯にもたらします。

ハルドはデザイナーとしてだけでなく、経営者としても窯を支えました。1933年から1944年にかけては工場の経営トップ(社長)を務め、その後に芸術監督へと立場を移します。オレフォースとの関わりは長く、1970年代まで続きました。彼の歩みは、当店ブログの「エドワード・ハルド完全ガイド」でも詳しくたどっています。

グラール技法の誕生——1916年

エドヴァルド・ハルドが初期のグラールガラスを検分する歴史写真
オレフォース初期のグラールガラスを手に取るエドヴァルド・ハルド。窯の歴史を物語る一枚。Photo: Smålands museum 所蔵 / Public domain

オレフォースの名を世界に刻んだ最初の技法が、グラール(Graal)です。グラールとは「聖杯」を意味する言葉。色ガラスのレリーフ装飾を、もう一層の透明なクリスタルで包み込み、文様をガラスの内部に閉じ込めてしまう技法です。表面はなめらかに澄み、その奥で色と模様が静かに息づいて見えます。

この技法を技術的に生み出したのは、画家たちではなく、一人の親方ガラス職人でした。クヌート・ベリィクヴィスト(Knut Bergqvist)は1916年の夏、ほぼ独力でその解決法を見つけ出し、同年12月に最初のグラール作品を完成させます。文様のエッチングはガラス絵付師ハインリヒ・ヴォルマン(Heinrich Wollman)が担い、「グラール」という名を与えたのは支配人アーリンでした。

エドヴァルド・ハルドがデザインしたグラール花瓶
ハルドのデザイン、ヴォルマンの文様、ベリィクヴィストの吹きによるグラール花瓶。三者の協働から生まれた一作。Photo: Jörgen Ludwigsson, Smålands museum / CC BY 4.0

ガーテとハルドの役割は、この技法を「発明」したことではありません。職人が拓いた新しい表現に、芸術家としての構図とフォルムを与え、グラールを世界に通用する作品へと育てたことにあります。職人の手わざと画家の感性が一つになったとき、オレフォースのガラスは、ほかにない深みを得ました。

シモン・ガーテがデザインしたグラール花瓶
シモン・ガーテのデザインによるグラール花瓶。透明な層の奥に文様が沈む、グラール独特の奥行き。Photo: Jörgen Ludwigsson, Smålands museum / CC BY 4.0

1925年パリ万博と「スウェディッシュ・グレース」

エドヴァルド・ハルドによる1919年のゴブレット
ハルドによる1919年のゴブレット。薄手のガラスに繊細な線が刻まれた、初期オレフォースの一例。Photo: Holger Ellgaard / CC BY-SA 3.0

1920年代に入ると、オレフォースのガラスは国際的な注目を集め始めます。1923年のヨーテボリ博覧会で新作のエングレーヴド・グラス(彫刻ガラス)を発表して評価を高め、その勢いのまま臨んだのが、1925年のパリ万国装飾美術博覧会(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels Modernes)でした。

このアール・デコの祭典で、オレフォースとガーテ・ハルドらは揃ってグランプリ(Grand Prix)を受賞します。薄く澄んだガラスの面に、神話や寓話を繊細な線で刻んだエングレーヴド・グラスは、各国の批評家を驚かせました。北欧の小さな森の窯が、ヨーロッパのガラス芸術の最前線に立った瞬間です。

シモン・ガーテによる1923年ヨーテボリ博向けのスロッツグラス
ガーテが1923年ヨーテボリ博覧会のためにデザインした「スロッツグラス(城のグラス)」。Photo: Jörgen Ludwigsson, Smålands museum / CC BY 4.0

この時代のスウェーデンのデザインは、のちに「スウェディッシュ・グレース(Swedish Grace)」と呼ばれるようになります。これはイギリスの批評家フィリップ・モートン・シャンドが用いた呼び名で、新古典主義の優雅さと北欧的な簡素さが溶け合った、1920年代スウェーデンの装飾芸術全般を指す言葉でした。オレフォースの薄手のエングレーヴド・グラスは、その精神を最もよく体現した存在の一つとして記憶されています。

オレフォースのエングレーヴド・クリスタル花瓶「新月にお辞儀する少女」
「新月にお辞儀する少女」と題されたエングレーヴド・クリスタル花瓶。透明なガラス面に物語が刻まれる。Photo: W.carter / CC BY-SA 4.0

戦後の黄金期——技法の革新者たち

第二次大戦をはさみ、オレフォースは新しい世代のデザイナーと職人によって、再び技法の革新へと向かいます。グラールに続き、アリエル、クラカ、ラヴェンナ、フーガ——次々と生み出された技法は、いずれもこの窯でしか作れないガラスの言語となりました。

ヴィッケ・リンドストランドとアリエル技法

赤いアリエル技法の花瓶
アリエル技法による赤い花瓶(ラーシュ・ヘルステン作)。厚いガラスの内部に気泡の文様が浮かぶ。Photo: Jörgen Ludwigsson, Smålands museum / CC BY 4.0

ヴィッケ・リンドストランド(Vicke Lindstrand)は、1928年にオレフォースへ加わった若きデザイナーです。先輩のガーテとハルドのもとで腕を磨き、1930年のストックホルム博覧会で、エナメル装飾を施したガラスを発表してデビューを飾りました。彼の自由な発想は、新しい技法の開発にもつながります。

1937年のパリ万国博覧会で発表されたアリエル(Ariel)技法は、リンドストランドが彫刻家エドヴィン・エーストレム(Edvin Öhrström)や親方ガラス職人グスタフ・ベリィクヴィスト(Gustav Bergqvist)らとともに成立に関わった表現です。グラールをさらに発展させ、ガラスの内部に空気の気泡そのものを文様として封じ込める——その名は、シェイクスピア『テンペスト』に登場する空気の精霊アリエルに由来します。厚いクリスタルの奥で銀色に光る気泡の連なりは、見る角度によって表情を変えます。

リンドストランドは1940年にオレフォースを離れ、のちにウプサラ・エクビー、さらにコスタへと活躍の場を移しました。彼の生涯は、当店ブログの「ヴィッケ・リンドストランド完全ガイド」で詳しく紹介しています。

スヴェン・パルムクヴィスト——クラカ・ラヴェンナ・フーガ

スヴェン・パルムクヴィストによるラヴェンナのボウル
パルムクヴィストの代表技法「ラヴェンナ」のボウル。ビザンティンのモザイクを思わせる色彩の網目。Photo: Jörgen Ludwigsson, Smålands museum / CC BY 4.0

戦後オレフォースの技法革新を牽引したのが、スヴェン・パルムクヴィスト(Sven Palmqvist, 1906–1984)です。1928年にオレフォースの彫刻学校へ入り、以後1971年の退職まで、およそ40年にわたってこの窯と関わり続けました(退職年は資料により1972年とも)。彼は次々と新しい技法を生み出します。

  • クラカ(Kraka)——1944年に発表。グラールを発展させ、金属の網目状の文様と気泡を組み合わせて、ガラスの内部に網のような模様を浮かべる技法。
  • ラヴェンナ(Ravenna)——1948年に登場。色ガラスの板とガラス片、透明なガラスの層を組み合わせ、宝石のように深い色彩の文様を生み出す技法。イタリア・ラヴェンナのビザンティン・モザイクに着想を得たと伝えられます。
  • フーガ(Fuga)——遠心力でガラスを成形する技法を用いたボウルのシリーズ。パルムクヴィストはこの仕事により、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。

ニルス・ランドベリの「チューリップグラス」

ニルス・ランドベリのチューリップグラス(琥珀色)
ランドベリの「チューリップグラス(Tulpan)」。琥珀色のアンダーレイと、細く長く伸びた腰のかたち。Photo: Jörgen Ludwigsson, Smålands museum / CC BY 4.0

ニルス・ランドベリ(Nils Landberg)の「チューリップグラス(Tulpan/Tulpanglas)」は、1957年に生まれた名作です。極限まで細く長く伸ばした腰の上に、花のように開いた杯がのる——一体に吹き上げる職人技の結晶ともいえるかたちで、1957年のミラノ・トリエンナーレで金賞に輝きました。澄んだ色のグラデーションと、危ういほどに繊細なシルエットは、戦後北欧ガラスの優美さを象徴しています。

イングボリ・ルンディン——初の女性デザイナーと「りんご」

イングボリ・ルンディンによるオレフォースの花瓶(1960年代)
イングボリ・ルンディンによる1960年代のオレフォース花瓶。澄んだフォルムと色の探求。Photo: Sailko / CC BY 3.0

イングボリ・ルンディン(Ingeborg Lundin, 1921–1992)は、オレフォース初の女性デザイナーです。1947年から1971年まで在籍し、簡潔で詩的なフォルムを追求しました。彼女の名を不朽にしたのが、「りんご(Äpplet)」と題された大きな球形の花瓶です。

「りんご」は1955年のヘルシンボリ博覧会のために構想され、透明なガラスのまるい胴に短い首をつけた姿で、1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されました。果実をそのまま抽象化したようなこのフォルムは、1950年代スウェーデンガラスを代表するアイコンとして、いまなお世界の美術館に収められています。

ポップの時代から現代へ

グンナー・シレーンによるオレフォースの彫刻ガラス花瓶
グンナー・シレーンがデザインし、ハラルド・アクセルソンが彫刻したオレフォースの花瓶。Photo: Smålands museum / CC BY 4.0

1960年代後半、オレフォースにも新しい時代の風が吹き込みます。グンナー・シレーン(Gunnar Cyrén, 1931–2013)は、ガラス作家であり銀細工師でもあった多才な人物で、1959年から1970年までオレフォースに在籍しました。彼が1966〜67年に手がけた「ポップ(Pop)」のゴブレットは、脚の部分に鮮烈な色を重ねた大胆なデザインで、それまでの澄んだ無色のクリスタル一辺倒だったオレフォースに、ポップ・アートの時代の華やぎをもたらしました。

その後もオレフォースには、優れたデザイナーが続きます。ロールストランドからガラスへと活躍の場を広げたオッレ・アルベリウス(Olle Alberius)、彫刻的なフォルムを得意としたラーシュ・ヘルステン(Lars Hellsten)、グラールに物語性を取り戻したエヴァ・エングルンド(Eva Englund)、そして青いガラスの雫を脚に封じた食器シリーズ「インテルメッツォ(Intermezzo)」で知られるエリカ・ラーゲルビエルケ(Erika Lagerbielke)。フィンランド出身のマルッティ・リュトコネン(Martti Rytkönen)も、1990年代以降のオレフォースを担いました。アルベリウスについては、当店ブログの「オッレ・アルベリウス完全ガイド」でも紹介しています。

オレフォースのクリスタルガラス花瓶
オレフォースのクリスタルガラス花瓶。澄んだ素材そのものの美しさを生かした造形。Photo: Enter / CC BY-SA 4.0

所有の変遷と工場の閉鎖

20世紀後半、オレフォースの経営は、いくつもの手を経て移り変わっていきます。1946年にベイヤー(Beyer)家が窯を取得し、一族による経営がおよそ1971年頃まで続きました。1970年代にはヴァレンベリ系のグループが筆頭株主となります。

1990年、オレフォースは同じガラスの王国の名門コスタ・ボダ(Kosta Boda)と統合し、「オレフォース・コスタ・ボダ(Orrefors Kosta Boda)」が誕生します。その後、1997年にはスウェーデンとデンマークの陶磁・ガラスを束ねるロイヤル・スカンジナビア(Royal Scandinavia)の傘下に入り、2005年にはスウェーデンのニューウェーブ・グループ(New Wave Group)がブランドを取得しました。

クヌート・ベリィクヴィストらがガラスを検分する1942年の写真
1942年、クヌート・ベリィクヴィストらが作品を検分する様子。職人の手から手へと技が受け継がれてきた。Photo: Yngve Andersson, Smålands museum 所蔵 / Public domain

そして2012年10月、オレフォース村の窯を閉鎖する決定が発表されます。翌2013年7月12日、115年にわたって森の村で燃え続けたオレフォースの窯(hyttan)は、ついに操業を終えました。およそ130名が職を離れ、生産は同じガラスの王国のコスタへと集約されます。ブランドとしてのオレフォースは、後年もコスタ系の生産体制のなかでその名を受け継いでいます。創業の地の火は消えても、ガラスの王国に受け継がれた技は途絶えていません。

サイン・刻印の読み方

ヴェクショーのスウェーデン・ガラス美術館の展示
ヴェクショーのスウェーデン・ガラス美術館(Sveriges glasmuseum)の展示。スモーランドのガラスの歴史が一望できる場所。Photo: Netha Hussain / CC0

オレフォースの作品は、底面に手彫りでサインが刻まれているのが基本です。年代や真贋を見極めるうえで、この刻印は大切な手がかりになります。おおむね次のような要素が組み合わされています。

  • 「Orrefors」の文字——底面に手彫りで記されます。時に「Sweden」や「Suède(フランス語)」が添えられます。
  • 技法名——「Graal」「Ariel」など、用いられた技法が記されることがあります。限定・展示作には「Expo」やその略号「PU」が付き、たとえば「Orrefors Expo PU 185-60 Sven Palmqvist」のように、末尾の二桁が製造年(1960年)を示します。
  • シリアル番号・形状番号——作品ごとの番号が刻まれます。1916〜1946年頃は番号の範囲からおおよその年代が推定でき、1947年以降は番号にアルファベットを添える方式へと移っていきました。
  • デザイナーの署名・イニシャル——1980年頃までは単一のイニシャル(G=シモン・ガーテ、L=ヴィッケ・リンドストランドなど)、それ以降は二文字のコードが使われます。アリエル作品には「Orrefors Ariel Nr 489F E. Öhrström」のように、技法名・番号・作家名が揃って刻まれるのが通例です。

こうした刻印は、年代や作家を読み解く鍵になりますが、表記には時代やラインによる揺れもあります。北欧ガラス全般の裏印については、当店ブログの「北欧食器のバックスタンプ総合ガイド」もあわせてご覧ください。

日本とオレフォース

オレフォースの作品は、ストックホルム国立美術館(Nationalmuseum)をはじめ、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、コーニング・ガラス美術館など、世界各地の美術館に収蔵されています。日本国内でも、オレフォースの公式資料によれば、東京国立近代美術館と横浜美術館がその作品を所蔵しているとされます。

オレフォースと日本のあいだに、来日や合同展のような直接的で密な交流が数多くあったわけではありません。それでも、素材そのものの美しさを尊び、過剰な装飾をそぎ落として簡潔なフォルムへと向かう姿勢は、日本の美意識と深いところで響き合うものといえます。澄んだガラスに自然の光景を映し込むオレフォースの作品は、北欧と日本に共通する「簡素のなかの豊かさ」を、静かに思い起こさせてくれます。

まとめ

スモーランド地方レンホヴダの湖サンドショーン
ガラスの王国にほど近い、スモーランド・レンホヴダの湖。森と水と静けさが広がるオレフォースの故郷。Photo: Bernt Fransson / CC BY-SA 4.0

オレフォースの物語は、スモーランドの森から始まりました。痩せた土地に広がる森が燃料となり、職人がガラスを吹き継ぎ、そこへ二人の画家が出会ったとき、地方の実用ガラスの工場は、20世紀北欧ガラスの頂点へと変わっていきました。グラールを生んだ職人ベリィクヴィスト、それを芸術に育てたガーテとハルド、戦後に技法を革新したパルムクヴィストやリンドストランド、ルンディン——一人ひとりの手の重なりが、この窯の歴史です。

創業の地の窯の火は2013年に消えましたが、ガラスの王国に受け継がれた技と、世界の美術館に収められた作品たちは、オレフォースという名を静かに伝え続けています。澄んだガラスの奥に沈む色や気泡の文様に目を向けるとき、その向こうに、スモーランドの深い森と、窯の前で過ごされた長い夜の光景が見えてくるはずです。

あわせて読みたい関連記事

関連商品をチェック

コラムに戻る