グスタフスベリ アダムのマグ——北欧ヴィンテージのマグカップ完全ガイド

北欧のマグカップ(マグ)完全ガイド|フィーカとカハヴィタウコの器、ARABIA・グスタフスベリ・イッタラの名作と選び方

北欧食器タックショミュッケ編集部

この記事でわかること

  • 「muki(ムキ)」「mugg(ムッグ)」「bägare(ベガレ)」——北欧のマグをめぐる言葉の系譜と、フィーカ・カハヴィタウコの休憩文化との結びつき
  • マグとカップの違いを、容量・取っ手・ソーサーの有無からどう読み解くか
  • グスタフスベリのアダム、ARABIAのHLA・ルスカ・エステリ・アトリエGOG・ヴィーキンキなど、名窯を代表するマグ
  • キルタからティーマへ——カイ・フランクが磨いた「日常のための最小限の形」と、ヴィンテージのマグを選ぶ・飾る視点
1932年、蔦の絡むベランダでコーヒーを囲む二人の女性の古写真
1932年、蔦の絡むベランダでコーヒーを囲む二人。古き良きフィーカの情景。Photo: Örebro stadsarkiv / CC BY 4.0

北欧ヴィンテージ食器のなかで、マグ(マグカップ)は、もっとも暮らしに近い場所に置かれてきた器です。片手におさまる取っ手、たっぷりとした胴、ソーサーを伴わない簡潔な佇まい——皿やカップ&ソーサーが「もてなし」の格式をまとうのに対して、マグは日々くり返される休憩の時間とともにありました。

この記事では、スウェーデンとフィンランドの家庭でマグがどんな器だったのか、その言葉と歴史をたどりながら、グスタフスベリ、ARABIA、イッタラといった名窯が手がけた代表的なマグを紹介します。アダムの青い水玉、HLAの花、ルスカの茶、ヴィーキンキの船——一つひとつの絵柄の背景をたどると、北欧の休憩の文化がそのまま器のうえに写し取られていることが見えてきます。

フィンランド語の「muki」という言葉の意外な新しさ、コーヒー大国のフィーカとカハヴィタウコ、そしてキルタからティーマへと受け継がれた「色そのものを装飾とする」思想。読み終えるころには、手のひらにおさまる小さなマグの奥に、ヘルシンキの赤煉瓦の街並みや、サイマー湖の岩肌、スウェーデンの夏の赤いコテージの風景が広がっているはずです。

目次

  1. マグという器——「muki」「mugg」「bägare」の言葉
    1. コーヒー大国のフィーカとカハヴィタウコ
    2. マグとカップはどう違うのか
  2. グスタフスベリのマグ
    1. アダム(Adam)——青い水玉の骨磁器
    2. リンドベリ期のマグ
  3. ARABIAのマグ
    1. ヒルッカ=リーサ・アホラ(HLA)の花
    2. 茶色い炻器の時代——ルスカとその周辺
    3. 創業100周年の記念マグ「エステリ」
    4. アトリエGOG(Ateljé GOG)の特大マグ
    5. ヴィーキンキ(Viikinki)
  4. イッタラ——キルタからティーマへ
  5. スウェーデンのマグの伝統——ベガレとムッグ
  6. ヴィンテージのマグを選ぶ・愛でる
  7. まとめ

マグという器——「muki」「mugg」「bägare」の言葉

マグを指す北欧の言葉をたどると、器そのものの歴史が見えてきます。フィンランド語で「マグ」を意味するmuki(ムキ)は、スウェーデン語のmugg(ムッグ)を経由し、さらに英語のmugにさかのぼる借用語とされます。比較的新しい言葉で、取っ手のついた単体の器を指してきました。

いっぽう、スウェーデン語のbägare(ベガレ)やドイツ語のBecher(ベッカー)は、古ノルド語のbikarr、さらに後期ラテン語のbīcāriumへとさかのぼる別系統の古い語で、大ぶりの杯やタンブラーを指してきました。同じ「筒形の器」でも、言葉をたどると異なる歴史の層が重なっているのです。

コーヒー大国のフィーカとカハヴィタウコ

北欧のマグを語るとき、コーヒーの存在は避けて通れません。フィンランドは一人あたりのコーヒー消費量が世界で最も多い国のひとつとされ、成人の平均は1日およそ4杯と紹介されています(Visit Finland)。隣国スウェーデンも世界有数の消費国です。コーヒーが北欧に根づいた歴史は意外に古く、スウェーデンでは1685年にヨーテボリへ初めて荷が届いた記録が残り、その後1756年から1823年にかけて五度も禁止令が出されたほど、人々の生活に深く食い込んでいきました。

白いマグに入ったコーヒーと、白皿にのったシナモンロール(カネルブッレ)
コーヒーとカネルブッレ、スウェーデンのフィーカの定番。Photo: Arild Vågen / CC BY 2.5 DK

この土地で育まれたのが、スウェーデンの「フィーカ(fika)」とフィンランドの「カハヴィタウコ(kahvitauko)」という休憩の文化です。フィーカという言葉は、19世紀にコーヒーを指した語kaffiを逆さに読んだ俗語に由来するといわれます。興味深いのは、その中心にあるのがコーヒーそのものというより、菓子を添えてひと息つく「団らんの時間」だという点です。フィンランドのカハヴィタウコは、多くの業種の労働協約で就業時間中の休憩として位置づけられており、コーヒー休憩が社会に深く根づいた例といえます。日に二度、朝と午後に人々が手を止めて集う——その情景を思い浮かべると、器のかたちが持つ意味も見えてきます。

やわらかな薄手のカップとソーサーが格式ある「もてなし」と結びついてきたのに対して、たっぷりと注げる取っ手つきのマグは、こうした日常の反復する休憩とともに親しまれてきた器といえるでしょう。言葉の新しさにも、その性格がにじんでいます。

マグとカップはどう違うのか

マグとカップの違いは、一般に容量と造りに表れます。マグは取っ手を備え、ソーサーを伴わない筒形で、容量はおよそ250〜350ml、厚手に作られて熱を保ちやすいのが特徴とされます。対してコーヒーカップやティーカップは、より小ぶりで薄手、ソーサーとひと組になって整えられてきました。カップ&ソーサーの世界については、北欧のカップ&ソーサー完全ガイドで詳しく紹介しています。

もっとも、ヴィンテージの北欧の器では両者の境界がゆるやかな作品も少なくなく、あくまで傾向として捉えるのが実情に近いでしょう。「ソーサー付きのトリオから取っ手つきのマグへ」という流れは器種の説明としては分かりやすいものの、工場や美術館の一次資料でその転換点を年代まで特定することはできません。本記事でも断定は控え、各シリーズの姿そのものに目を向けていきます。

グスタフスベリのマグ

ストックホルム群島のヴェルムド島に位置するグスタフスベリは、初焼成を1827年にさかのぼるスウェーデンを代表する窯です。20世紀にはスティグ・リンドベリという才能を得て、日常の器に明るい絵柄と造形の遊びをもたらしました。そのマグには、北欧ミッドセンチュリーの空気がそのまま息づいています。

1946年、群島の湾を背に鋸歯屋根が連なるグスタフスベリ磁器工場を高台から俯瞰したモノクロ写真
1946年、群島の湾を背に鋸歯屋根が連なるグスタフスベリ磁器工場。Photo: Unknown / CC0

アダム(Adam)——青い水玉の骨磁器

スティグ・リンドベリが1959年に発表した「アダム(Adam)」は、白い骨磁器の地に、コバルトブルーの点が規則的に連なる絵柄のためにデザインされました。大小の点が列をなして並び、幾何学的でありながらどこか有機的なリズムを生んでいます。実物の底には「GUSTAVSBERG SWEDEN BENPORSLIN ADAM」と記されました。製造は1959年から1974年で、のちの2005年以降に再生産されたものもあります。

グスタフスベリ アダムのマグカップ。白地に青い水玉の骨磁器
アダムのマグ。白い骨磁器に、大小のコバルトブルーの点が列をなす。

しばしば緑の葉柄で知られる「ベルサ(Berså)」と対で語られますが、ベルサの発表は1961年で、アダムとはモチーフも発表年も異なります。両者は同じリンドベリの手による同時代の骨磁器という縁でつながるものの、「姉妹柄」という位置づけは一次資料では確認できません。それぞれ独立した名品として味わうのが確かです。ベルサについてはベルサ(Berså)完全ガイドで詳しく紹介しています。

リンドベリ期のマグ

スティグ・リンドベリは1937年にグスタフスベリに加わり、後に芸術監督を務めました(在任は1949〜57年と1972〜80年)。ベルサ、アダム、プルーヌスといった食器柄を1950〜70年代に手がけ、その多くにマグが展開されました。リンドベリの生涯と代表作はスティグ・リンドベリ完全ガイドにまとめています。

グスタフスベリ スティグ・リンドベリのペアマグカップ
スティグ・リンドベリ期のグスタフスベリのマグ。二つ並んで静かに時を重ねた佇まい。

個々のマグの柄名や年代は、器そのものの底に残る刻印で確かめられるべきものです。柄が特定できない作品も、「リンドベリ期のマグ」という確かな輪郭のなかで、当時の暮らしの空気を伝えてくれます。

「GUSTAVSBERGS STUDIO」と記された陶製の看板レリーフ。黄色いGのロゴに手のマークが重なる
「GUSTAVSBERGS STUDIO」の文字と手のマークを刻んだ陶製の看板レリーフ。Photo: Erik Bergin / CC BY-SA 3.0

ARABIAのマグ

ARABIAは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区に、スウェーデンのロールストランドの子会社として設立されました。世界有数のコーヒー消費国フィンランドにおいて、ARABIAのマグは日常と祝祭の両方に寄り添う器として、実に多彩な絵柄で作られてきました。

縦書きの社名とレンガ煙突を掲げるヘルシンキのARABIA工場ビル
縦書きの社名とレンガの煙突を掲げるヘルシンキのARABIA工場。Photo: Alentis / CC BY-SA 3.0

ヒルッカ=リーサ・アホラ(HLA)の花

ヒルッカ=リーサ・アホラ(Hilkka-Liisa Ahola、1920〜2009)は、1947年から1975年までARABIAに在籍した陶芸家であり絵付師でした。1960年代末頃にアート部門へ移り、青を基調とした花の絵付けで知られます。代表的な作品のひとつ「クッカ(Kukka=花)」は1958年に生まれ、1970年代まで作られました(絵付けのデザインをアホラ、成形をアンニッキ・ホヴィサーリが担当)。

ARABIA ヒルッカ・リーサ・アホラ(HLA)のマグカップ。青い花の絵付け
ヒルッカ=リーサ・アホラのマグ。底の「HLA」の署名が絵付師の手を伝える。

濃紺やコバルト、ターコイズ、紫といった青の階調と、伸びやかな筆致。銅版転写の細い線に手彩色を重ねる技法が、素描のように瑞々しい花を器のうえに咲かせています。底の「HLA」の署名が、彼女の手の記憶を今に伝えます。なお、当店の作品がクッカのマグであるかは、底の署名と器形でご確認いただくのが確かです。アホラの歩みはヒルッカ・リーサ・アホラ(HLA)完全ガイドにまとめています。

茶色い炻器の時代——ルスカとその周辺

1970年代のARABIAは、大地を思わせる茶系のストーンウェア(炻器)が時代の主役でした。ウラ・プロコッペ(Ulla Procopé、1921〜1968)が1960年にデザインした「ルスカ(Ruska=秋の色)」は、1999年まで長く生産され、この時代に広く親しまれました。土のぬくもりをたたえた茶色の炻器は、フィンランドの秋の光そのものを写したかのようです。同じくプロコッペの手による「ロスマリン(Rosmarin)」も、1960年代初頭に発表された茶系のシリーズとして知られます。

ARABIA 1970年代の茶系ストーンウェアのマグカップ
1970年代のARABIAのマグ。茶系のストーンウェアが時代を象徴した。

ルスカを生んだプロコッペの仕事はウラ・プロコッペ完全ガイドで、ルスカ単体についてはアラビア ルスカ(Ruska)完全ガイドで詳しく紹介しています。

創業100周年の記念マグ「エステリ」

ARABIAは1873年の創業から100年を数えた1973年、記念の器をつくりました。その装飾「エステリ(Esteri)」は、エステリ・トムラ(Esteri Tomula)が100周年を記念してデザインしたもので、当初は青と茶の2色で発売されました。この茶色のマグ&ソーサーは、その記念の年の空気をまとっています。

ARABIA 創業100周年記念モデル、ブラウンのマグカップとソーサー
創業100周年(1873〜1973)を記念した装飾「エステリ」。茶のマグ&ソーサー。

花のモチーフが、一世紀の歩みをそっと祝うようにあしらわれています。エステリ・トムラの植物画についてはエステリ・トムラ完全ガイドで紹介しています。

アトリエGOG(Ateljé GOG)の特大マグ

ARABIAには、社内のアトリエ(スタジオ・ライン)で、絵付師と協働して手彩色でつくられた器の系譜があります。その一つが「アトリエGOG(Ateljé GOG)」です。「GOG」は、デザイナーのグンヴォル・オリン=グレンクヴィスト(Gunvor Olin-Grönqvist、在籍1951〜1992年)のイニシャルで、底の刻印は「GOG/○○」の形をとり、後半の二文字はその品を彩色した職人を示します。

ARABIA アトリエGOG のストライプ柄の特大マグカップ
アトリエGOGのストライプ柄の特大マグ。手彩色の一点ものとしての存在感。
ARABIA アトリエGOG の円形模様の特大マグカップ
同じアトリエGOGの、円形模様をあしらった特大マグ。絵付師ごとに表情が変わる。

堂々とした特大のマグは、手仕事の一点ものとしての存在感を放ちます。開始年を狭く断定できる一次資料は確認できないため、「1960年代からのスタジオ・ライン」として味わうのがふさわしいでしょう。

ヴィーキンキ(Viikinki)

「ヴィーキンキ(Viikinki)」はフィンランド語で「バイキング」の意味です。グンヴォル・オリン=グレンクヴィストが1970年代にデザインしたこのマグは、シルクスクリーン印刷で、子どもや船をモチーフにした絵柄が施されました。北の海を渡った人々の物語を、素朴であたたかな線で器のうえに描いています。

ARABIA ヴィーキンキ(Viikinki)のマグカップ。子どもや船のモチーフ
ヴィーキンキのマグ。シルクスクリーンで描かれた、色とりどりのバイキングの船。

より狭い製造年は一次資料で確認できないため、本記事では「1970年代」に留めます。オリン=グレンクヴィストのデザインはグンヴァル・オリン=グレンクヴィスト完全ガイドで詳しく紹介しています。

イッタラ——キルタからティーマへ

北欧マグの造形思想を語るうえで欠かせないのが、カイ・フランク(Kaj Franck)です。フランクはもともとARABIAのために「キルタ(Kilta)」を設計しました。装飾を削ぎ落とし、幾何学的な基本形を積み重ねられるように整え、「色そのものを装飾とする」という思想でまとめられたシリーズです。硬質ファイアンスで作られ、1950年代初頭に世に出ました(設計は1948年、発売は1953年、イッタラは広報上1952年とし、資料に幅があります)。

フィンランド・サイマー湖の青い湖面と、花崗岩の岩、松林の夏の風景
花崗岩と松林に抱かれたフィンランド・サイマー湖の夏。Photo: Ximonic (Simo Räsänen) / CC BY-SA 3.0

キルタはやがてファイアンス生産の終了とともに、1974年頃に一度は姿を消します。しかしカイ・フランク自身が新素材のストーンウェア向けに造形し直し、白と黒を核とする「ティーマ(Teema)」として1980年代初頭に復活させました(イッタラ公式は1981年発表とします)。キルタからティーマへ——素材が変わっても「日常のための最小限の形」という思想が受け継がれた流れが、北欧マグを語るうえでの背骨になります。ティーマの成り立ちはイッタラ ティーマ(Teema)完全ガイドで、フランクの仕事はカイ・フランク完全ガイドで詳しく紹介しています。

フィンランドのマグといえば、ARABIAのムーミンの絵付け陶器を思い浮かべる方も多いでしょう。最初のムーミン食器が登場したのは1950年代後半で、皿や浅鉢などが中心でした。取っ手つきのマグが親しまれるようになったのは後年のことで、キャラクターごとのマグが本格的に展開したのは1990年代以降とされています。ムーミンをめぐる正規品と復刻・製造国の違いについては、アラビア ムーミンマグに「偽物」はある?で扱っています。

スウェーデンのマグの伝統——ベガレとムッグ

スウェーデンの窯では、マグは古くからの製品カテゴリーでした。グスタフスベリの工場も、器を「bägare och muggar(ベガレとムッグ)」というひとつの区分で扱ってきました。ここに、北欧マグを理解するうえで大切な言葉の区別があります。スウェーデン語のbägare(ベガレ)は取っ手を持たないことの多い器を、mugg(ムッグ)は取っ手つきのことの多い器を指す傾向があります。もっとも、bägareには脚つきの杯なども含まれるため、これはあくまで傾向であって厳密な定義ではありません。

白枠の窓を持つファールンレッドの木造コテージと、バラや野花に囲まれたスウェーデンの夏の情景
バラと緑に埋もれる赤い木造コテージ、スウェーデンの夏の原風景。Photo: northofsweden / CC BY 2.0

ロールストランドでは、ルイース・アーデルボリ(Louise Adelborg)による麦穂文様の食器が、「ナショナルセルヴィス(Nationalservisen)」として1930年のストックホルム博覧会で初めて公開されました。この意匠は後年、「スウェーディッシュ・グレース」として再び展開され、マグなどにも受け継がれています(意匠の制作年や名称の変遷の詳細は、ロールストランド美術館などの一次資料で確認するのが確かです)。ロールストランドの歴史はロールストランド(Rorstrand)入門にまとめています。

ヴィンテージのマグを選ぶ・愛でる

ヴィンテージのマグを選ぶとき、まず手がかりになるのが、底のバックスタンプ(刻印)です。窯やシリーズ、年代のヒントがそこに刻まれています。当店の北欧食器のバックスタンプ総合ガイドロールストランドのバックスタンプ完全ガイドと併せて読むと、刻印から年代の見当をつける勘所がつかめます。なお、グスタフスベリの45,000点を超えるコレクションは、2000年にスウェーデン国家へ寄贈され、以後ナショナルミュージアムが管理しています。年代や帰属をたどるうえで、こうした公的アーカイブが確かな拠り所になります。

凍った入り江の向こうに広がるグスタフスベリの港町。赤レンガの塔と教会の尖塔、給水塔が並ぶ雪景色
凍てつく入り江に佇むグスタフスベリの港町。赤レンガの塔と教会の尖塔。Photo: Arild Vågen / CC BY-SA

状態を見るときは、貫入(クレイズ=釉薬に入る細かなひび)の入り方、絵付けやリムのスレ、取っ手の欠けや直し、重ね置きによってできた底や見込みの擦れを、ひとつずつ確かめます。ヴィンテージの器は時代を経た質感そのものが魅力でもあり、小さな貫入やスレは、五十年余りの時間の記憶として静かに受けとめるのが北欧ヴィンテージらしい見方です。

飾るときは、色ごとに並べて「色が装飾になる」というキルタ以来の思想を可視化したり、取っ手の向きをそろえて棚に置くと、一つひとつの造形の違いが静かに引き立ちます。窓辺の光の入る場所では、釉薬の艶や絵柄の青が時間によって表情を変え、北欧の住まいの静かな風景を、日本の暮らしのなかにも呼び込んでくれます。北欧のコーヒー文化そのものについてはフィーカ(Fika)とは|スウェーデンのコーヒー文化と北欧食器の物語で掘り下げています。

まとめ

要点の整理

  • フィンランド語「muki(ムキ)」はスウェーデン語mugg・英語mug由来の比較的新しい語で、bägare(ベガレ)とは異なる系譜をもつ
  • マグはフィーカやカハヴィタウコという北欧の休憩文化とともに親しまれてきた、日常に近い器
  • グスタフスベリのアダムは1959年発表の青い水玉の骨磁器。ベルサとは同時代・同作者だが「姉妹柄」ではない
  • ARABIAには、HLAの花、ルスカの茶、100周年のエステリ、アトリエGOGの特大マグ、ヴィーキンキと、多彩なマグの系譜がある
  • キルタからティーマへ受け継がれた「色そのものを装飾とする」思想が、北欧マグの造形の背骨になっている

マグは、北欧ヴィンテージ食器のなかでは飾り気のない脇役かもしれません。けれども、その小さな器には、mukiという言葉の新しさも、フィーカの休憩の風景も、キルタ以来の簡潔な造形の思想も、すべてが詰まっています。手のひらにおさまる一つのマグを通して、ヘルシンキの赤煉瓦の街並みや、サイマー湖の岩肌、スウェーデンの夏の赤いコテージへと、思いを巡らせていただけたなら幸いです。

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