ヒルッカ・リーサ・アホラ(HLA)完全ガイド|青い花を描き続けたアラビアの装飾画家
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この記事の要点
- ヒルッカ・リーサ・アホラ(Hilkka-Liisa Ahola, 1920–2009)は、アラビアで30年余りにわたり活動したフィンランドの装飾画家・陶芸家です
- 奔放で力強い筆致と、青を基調とした花のモチーフで知られています
- 1958年に始まったククカ(Kukka)シリーズと、1971年に始まったクータモ(Kuutamo)プレートが代表作
- 1968年、イタリアのファエンツァ国際陶芸ビエンナーレで青色基調のタイル構成(170×84cm)によりグランプリを受賞
- 受賞を機に、1968〜69年の冬にアラビア美術部(9階のアトリエ)へ転属
- バックスタンプの「HLA」は読み方が複数あり、HLA+ペインター名はアホラのデザイン/装飾シリーズを別の絵付け師が手がけたもの、HLA単独やフルネーム署名はアホラ本人による作品を示します
目次
ヒルッカ・リーサ・アホラとは
アラビアの器を裏返したとき、底面に小さく「HLA」と書かれていることがあります。表には、青い花が勢いよく描かれている——花びらは整いすぎず、葉の線は少し跳ね、筆の動きがそのまま残っている。それがヒルッカ・リーサ・アホラの世界です。
アラビアには、カイ・フランクのように形を設計したデザイナーもいれば、ビルガー・カイピアイネンやルート・ブリュックのように陶芸を美術へ押し上げた作家もいました。アホラはそのなかで、装飾画家としての筆の力を武器に、花のモチーフをアラビアらしい陶磁器表現へと昇華させた人物です。
ヒルッカ・リーサ・アホラ(Hilkka-Liisa Ahola, 1920年11月9日–2009年6月27日)は、20世紀フィンランドを代表する装飾画家・陶芸家のひとりです。アラビア社で30年余りにわたり花のモチーフを描き続け、1968年にはイタリアのファエンツァで開催された国際陶芸ビエンナーレでグランプリを受賞しました。
奔放で力強い筆致、そして青を基調とした花の文様が、アホラの仕事を一目で見分けるための鍵となっています。バックスタンプに添えられた「HLA」は、ヒルッカ・リーサ・アホラによる装飾・デザインを示します。ただし、HLAの後に別のペインター名が続く場合と、HLA単独の場合では意味が異なります。HLA単独であれば、アホラ本人による制作・装飾を示す重要な署名です。
HLA作品の魅力は、花の筆致だけではありません。底面のサインを読むことで、それがアホラのデザインを工房の絵付け師が手がけた作品なのか、アホラ本人が筆を入れた一点物なのかが見えてきます。本記事では、アホラの生涯と代表作に加え、HLAサインの読み方まで詳しく解説します。
ヘルシンキで生まれて
アホラはフィンランドの首都ヘルシンキで生まれました。1920年代のヘルシンキは独立から間もない若い首都で、市場広場や市電の路線が市民の暮らしを織り上げていました。彼女は生涯のほぼすべてをこの街で過ごしています。
中央工芸学校での学び(1936–1941)
1936年、15歳のアホラはヘルシンキの中央工芸学校(Taideteollisuuskeskuskoulu)に入学しました。フィンランド工芸協会が運営する同校は、1871年創立の歴史ある学校で、模様画と構成(pattern drawing and composition)を主専攻、陶芸と磁器絵付けを選択科目として5年間学んでいます。
同校はその後、芸術産業大学(Taideteollinen korkeakoulu)を経て、現在はアールト大学(Aalto University)芸術・デザイン・建築学部の前身として知られます。スカンジナヴィア・デザインを牽引した数多くのデザイナーがここから巣立っていきました。
アテネウム時代から現アールト大学へ
当時の中央工芸学校はヘルシンキの文化中心地に位置し、フィンランドのデザイン教育の核となっていました。学生たちはここで模様画、構成、絵付けの基礎を徹底的に叩き込まれました。アホラの磁器絵付けの恩師は、装飾画家として高名なエルサ・エレニウス(Elsa Elenius)であったとされています。
アホラが入学した1936年は、ヘルシンキで第7回フィンランド工芸協会年次展覧会が開かれた年でもありました。同展ではアラビア社が大きな展示空間を確保し、装飾画家たちの作品が紹介されています。陶磁器の絵付けが工芸の最前線として注目された時代に、彼女は学生生活を送っていました。
アラビアでの30年——3つの時代
1941年に中央工芸学校を卒業したアホラは、1943年から半年間の見習いとしてアラビア社に入社しました。以後、退職する1975年までの30年余り、アラビアでキャリアを築きます。彼女のアラビア時代は大きく3つに分けられます。
見習い時代(1943–44)
1943年、22歳のアホラは半年間の見習いとしてアラビア社に入りました。この時期は短いものの、装飾画家としての基礎を実地で身につけるかけがえのない期間でした。続く1947年に正式採用されるまでの数年間、彼女は他の工房や仕事場で経験を積んでいます。
芸術・工業部門の20年(1947–1968)
1947年、アホラはアラビアの芸術・工業部門(taide- ja teollisuusosasto)に正式採用されました。この部門では、装飾的な小物や室内装飾品、小ロット作品、一点制作に近い作品も手がけられていました。アホラの得意分野はファイアンス(錫釉陶器)で、豊かで奔放な装飾スタイルがこの素材によく合っていたとされます。
オルガ・オソルの工房
芸術・工業部門を率いていたのは、装飾の専門家オルガ・オソル(Olga Osol)でした。アホラは彼女のもとで20年以上にわたり、陶磁器作品の装飾とアート・ピースの制作を並行して手がけました。装飾画家としての筆致を磨く一方で、形そのものをデザインする仕事も増え、後の代表作群へとつながっていきます。
装飾画家としてのアホラ——形に命を与える筆
アラビアでは、フォルムを設計するデザイナーと、装飾によって作品の印象を決定づける作家が分かれていることがありました。アホラの魅力は、まさにこの装飾の領域にあります。花弁の広がり、青の濃淡、葉の跳ねるような線——整いすぎない筆の動きが、陶磁器の表面に明るさと生命感を与えています。
アホラは単に花柄を描いた作家ではありません。筆致そのものを作品の個性に変えた装飾画家でした。同じシリーズでも、筆の運びは一点ごとに異なり、転写では決して生まれない手の勢いが残ります。形は別のデザイナーが担い、装飾はアホラが担う——アラビアならではの分業のなかで、彼女は作品に命を与える役割を担いました。
代表作——青い花の世界
アホラの仕事の中心には、いつも花がありました。一筆で大胆に描かれた花弁、流れるような葉のライン、そして青を主調とする色彩感覚。彼女の装飾は、北欧の短い夏に咲きみだれる野花を思わせます。
アウリンクルース(ひまわり)
アウリンクルース(Aurinkoruusu、フィンランド語で「太陽のバラ」、ひまわりの意)は、1958年にアホラが装飾を手がけたシリーズです。アイテムによっては、別のデザイナーがフォルムを担当している例もあります。フィンランドのデザイン雑誌の取材で、アホラは「ファン・ゴッホのひまわりに着想を得た」と語ったとされています。黄色を主調にしながらも、奔放な筆致はアホラの手の特徴をよく示しています。
ククカ・シリーズ(1958–1975)
ククカ(Kukka、フィンランド語で「花」)は、白い釉薬を施した陶器の花瓶や水差しに手描きの花を装飾したシリーズです。1958年に始まり、1975年まで続きました。アホラがアラビアで生み出した最も長寿のシリーズのひとつであり、青、緑、黄、茶など多彩な色合いで描かれた花が、白い釉薬の地に踊るように展開します。底面にはHLA、モデル番号、ペインターのサインが併記されることがあり、後述するHLAサインの読み方を理解するうえでも重要なシリーズです。
コロラとヴィーナス
1958年から1975年にかけて生産されたコロラ(Colora)の花瓶やボトル、そして1965年から1976年まで続いたヴィーナス(Venus)のトイレタリーセットも、アホラの代表作に数えられます。コロラはシンプルなフォルムに大胆な釉薬で色面を構成した作品群で、ヴィーナスは寝室や浴室を彩る装飾陶器のセットでした。
クータモ(月光)プレート
クータモ(Kuutamo、フィンランド語で「月光」)は、1971年から1975年まで制作された手描きのプレート・シリーズです。青を基調にしたモチーフが冬のフィンランドに射し込む月明かりを思わせ、アホラの円熟期を象徴する作品といえます。
1968年ファエンツァ国際陶芸ビエンナーレ・グランプリ
1947年に芸術・工業部門に入って以降、アホラは20年以上にわたり装飾の現場で筆を磨いてきました。その積み重ねが国際的な評価を受ける転機となったのが、1968年のファエンツァです。
イタリア北部の陶芸都市ファエンツァで隔年開催される「ファエンツァ国際陶芸ビエンナーレ(Concorso Internazionale della Ceramica d'Arte)」で、アホラはグランプリ(Grand Prix)を受賞しました。世界中の陶芸家が集まる権威ある場で、フィンランドの装飾画家がトップに立った瞬間です。
受賞作品——青色基調のタイル構成
受賞作は、青色を基調とした複数枚のタイルによる構成作品で、サイズは170×84cm。彼女が長年磨き上げてきた装飾画家としての筆致を、平面構成のタイル作品へと展開した意欲作でした。
アラビア美術部への転身
ファエンツァのグランプリ受賞は、アホラのキャリアを一変させました。受賞を機に、アラビアの誇る美術部(taideosasto)から声がかかり、1968年から69年にかけての冬、アホラはアラビア工場の9階にある美術部の専用アトリエへと移ります。これは単なる部署異動ではなく、量産ラインから離れて自身の表現に集中することを認められた、作家としての転機でした。
アラビア美術部は、ビルガー・カイピアイネン、ルート・ブリュック、フリードル・ホルツァー=キェルベリ、ライヤ・ウオシッキネンら名匠が在籍した、フィンランド陶芸の聖域とも呼べる場所です。装飾の世界で20年以上筆を磨いてきたアホラがここに加わったことは、彼女の作品が量産シリーズの装飾という枠を超え、美術領域として位置づけられたことを意味していました。アホラはここで1969年から1974年まで、自身の作品制作に集中することになります。
ヴァルチラ造船所のクルーズ船モザイク
美術部時代のアホラに与えられた仕事のなかで、特に異色だったのがクルーズ船のためのガラス・モザイク制作です。アラビアの親会社であったヴァルチラ(Wärtsilä)造船所はヘルシンキの大手造船企業で、1970年に進水したロイヤル・カリビアン社のクルーズ船「ソング・オブ・ノルウェー(Song of Norway)」と「ノルディック・プリンス(Nordic Prince)」を建造しました。
アホラはこの2隻のためにガラス・モザイクの装飾作品を制作しました。陶磁器の絵付けで培った構成感覚を、ガラスという全く異なる素材に置き換える挑戦であり、彼女自身も「全く新しい技法を必要とした」と語ったとされています。
HLAサインの読み方——HLA単独なら本人作、HLA+別名なら工房絵付け
ARABIA陶磁器を裏返すと、底面にはいくつかの記号が並んでいます。「ARABIA」「FINLAND」「モデル名や型番」「装飾家のイニシャル」「ペインターのイニシャル」——アホラに関する場合、ここに「HLA」の文字が登場します。
「HLA」とだけ記された作品と、「HLA/MS」「HLA/LP」のように別のイニシャルが添えられた作品は、同じように見えて意味が異なります。HLAの後に別のペインター名がある場合、HLAはアホラのデザインまたは装飾シリーズを示し、実際の絵付けはそのペインターが担当したものと読みます。一方、HLAのみが記された作品は、ヒルッカ・リーサ・アホラ本人による制作・装飾を示します。さらに、Hilkka-Liisa Aholaとフルネームで署名された作品も、本人作として扱います。
HLA作品を見るときは、まず「HLAの後に別の名前やイニシャルがあるか」を確認します。HLA+ペインター名は量産・小ロットの装飾シリーズ、HLA単独やフルネーム署名はアホラ本人が筆を入れた作品を見分ける手がかりです。なかでも大皿やATELJÉ刻印を伴う作品は、一点物・特別制作としての性格が強くなります。
HLA+ペインター名——アホラのデザインを工房の絵付け師が手がけた作品
底面にHLAと別のイニシャル(ペインターのサイン)が並列で記されているパターンです。Kukkaなどの量産シリーズでよく確認できます。「HLA/MS」「HLA/LP」のような表記がこれにあたります。
このときのHLAは、ヒルッカ・リーサ・アホラがデザインまたは装飾設計を担当したシリーズであることを示す記号です。実際の絵付けは、底面に併記されたペインターが担当したものと読みます。アホラ本人が一点ずつ絵付けした作品ではなく、本人がデザインした装飾を、工房の絵付け師が手がけたシリーズ品として読みます。
HLA単独——アホラ本人による作品
底面に「HLA」のイニシャルだけが記され、別のペインター名やイニシャルが添えられていない作品は、ヒルッカ・リーサ・アホラ本人による制作・本人装飾の作品です。通常のHLA装飾シリーズでは、HLAに加えて実際の絵付けを担当したペインターのサインが入ることがあります。一方、HLAのみの作品は、アホラ本人の手によるものとして明確に区別できます。
つまり、HLA作品を見るときに最も重要なのは、「HLAの後に別のペインター名があるかどうか」です。HLA+別名ならアホラのデザインを工房の絵付け師が手がけた作品、HLA単独ならアホラ本人作です。
フルネーム署名——本人作・特別制作のサイン
「Hilkka-Liisa Ahola」「Hilkka Liisa Ahola」など、フルネームに近い形でサインが入っている作品は、量産品ではなく、アホラ本人による制作・本人装飾を示す署名です。一点物や特別な制作機会に見られるサインで、HLA単独サインと同じく本人作を判断する重要な根拠になります。
ATELJÉ刻印——アラビア美術部作品を示す手がかり
底面に「ATELJÉ」(フィンランド語でアトリエ)の刻印が押されている場合、アラビア美術部のアトリエ作品であることを示す重要な手がかりになります。アホラの一点物には、HLA単独サインやフルネーム署名に加えて、ATELJÉ刻印が確認できる作品があります。
ただし、本人作を判断するうえで最も重要なのは、HLA単独またはフルネーム署名です。ATELJÉ刻印は、制作場所や作品の性格を補強する要素として見るのが適切です。
「HLA単独サイン」の本人直筆作品の例
当店で取り扱っている直筆ユニークピースの大皿(直径34.5cm)は、ペインターのイニシャルがなく、アホラ本人の直筆サイン「HLA」のみが確認できる作品です。装飾画家としての筆の運びを、ひと皿のなかに集約して見ることができる本人作です。
筆致を見る——サインとあわせて確認したいアホラらしさ
サインの読み方とあわせて見ておきたいのが、筆致そのものです。アホラの花の文様は、転写プリントやステンシルでは再現できない、画家の手の動きが残る筆致が特徴です。同じシリーズでも、筆の運びは一点ごとに異なり、花弁の広がり、青の濃淡、葉の流れに、ひと筆ずつの判断の積み重ねが見えます。アホラの魅力は、この整いすぎない線にあります。
デザインミュージアムに残る遺産
アホラは1974年に美術部での仕事を終え、1975年に54歳でアラビアを去りました。退職後も制作は続けられ、2009年6月27日にヘルシンキで亡くなりました。彼女の作品は現在、ヘルシンキ・デザインミュージアムの収蔵品として正式に保管されています。
2019年にはヘルシンキのデザインミュージアムが、彼女のアラビア時代の作品を集めた小規模なギャラリー展示を開催しました。同館は北欧デザインの中核的なアーカイヴでもあり、アホラの作品はフィンランド・デザイン史の正史に位置づけられています。
北欧の短い夏に咲く野花のような奔放で力強い筆致と、冬の月明かりを思わせる深い青の色面。ヒルッカ・リーサ・アホラの作品は、フィンランドの自然を陶磁器の表面に写し取ったような独特の存在感を持っています。手描きならではの個体差を含めて、ひとつとして同じものがないことが、彼女の作品の最大の魅力です。
まとめ
ヒルッカ・リーサ・アホラ(1920–2009)は、アラビアの装飾画家として30年以上にわたり花のモチーフを描き続けたフィンランドの陶芸家です。1968年のファエンツァ・グランプリ受賞を機にアラビア美術部に転属し、ククカ、コロラ、ヴィーナス、クータモといった代表作と、ヴァルチラのクルーズ船を飾るガラス・モザイクを残しました。底面の「HLA」は、アホラ作品を読み解く重要な手がかりです。HLA+別のペインター名であればアホラのデザイン/装飾を工房の絵付け師が手がけた作品、HLA単独やフルネーム署名であればアホラ本人による制作・装飾を示します。さらに、転写では生まれない奔放な筆致が、彼女の作品を見分ける大きな鍵になります。
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