ユハンヌス(Juhannus)とは|フィンランドの夏至祭——戸口の白樺、湖のかがり火、夜通し掲げる国旗とARABIAの器
北欧食器タックショミュッケ編集部スウェーデン・フィンランドから北欧ヴィンテージ食器を直接買い付け、1,000点以上を検品してきた当店が、一次情報と実物の観察にもとづいて執筆・編集しています。
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フィンランドの窯ARABIA(アラビア)のコーヒーカップに、裏に緑の筆記体で「Juhannus」と記されたものがあります。ユハンヌス(Juhannus)は、フィンランド語で夏至祭を指す言葉です。夏至のころ、一年でもっとも日の長い季節に、戸口に若い白樺を立て、湖のほとりでかがり火を焚き、国旗を夜通し掲げて祝う、フィンランドの夏の大きな節目です。
この記事では、洗礼者ヨハネに由来する名前と日付の決まり、白樺とサウナ、かがり火と夏至柱、夏至の夜のまじない、夏至の食べもの、そして夏至のころに咲く白いバラまで、ユハンヌスの習わしを古い写真とともにたどります。後半では、この祭りの名を持つARABIAのコーヒーカップと、その裏印から読めることを紹介します。
2027年のユハンヌスの日は6月26日(土)で、前夜祭は6月25日(金)にあたります。これから冬を迎える季節に、北欧の一年でもっとも明るい日々をご覧ください。
この記事でわかること
- ユハンヌスの名前は洗礼者ヨハネ(Johannes)に由来し、1955年から「6月20日〜26日の土曜日」に祝われていること
- ユハンヌスの日は1934年から「フィンランド国旗の日」で、旗の日の決まりでは国旗を前夜の18時から翌日の21時まで夜通し掲げること
- 戸口の白樺、その夏はじめてのヴィヒタ、東のかがり火と西の夏至柱、7種の花を枕の下に置くまじないといった習わし
- 夏至のころに咲く白いバラ「ユハンヌスルース」と、ARABIAのコーヒーカップ「ユハンヌス」の裏印の読み方
目次
ユハンヌスとは——洗礼者ヨハネの名をもつ夏至祭

ユハンヌスは、夏至のころの金曜日の夕方から翌日の土曜日にかけて祝う、フィンランドの夏至祭です。前夜祭をユハンヌスアーット(juhannusaatto)、当日をユハンヌスパイヴァ(juhannuspäivä)と呼びます。かがり火を焚くのも、まじないをするのも、前夜祭の夜です。

名前の由来——ヨハネスからユハンヌスへ
中世の教会は、フィンランドでも6月24日を洗礼者ヨハネ(Johannes Kastaja)の誕生を祝う日と定めていました。1316年の記録には、ラテン語で「Nativitas Johannis baptiste(洗礼者ヨハネの誕生)」と書かれています。ユハンヌス(juhannus)は、ヨハネス(Johannes)という名の古い発音の形で、これが祭りの名前として広まりました。
スウェーデン語では、夏至祭を「夏の真ん中」を意味するミッドソンマル(midsommar)と呼びます。フィンランド南西部の方言には、この言葉を借りたミットゥマーリ(mittumaari)という呼び名もあります。19世紀の終わりの南カレリアでは、雷や天候、実りをつかさどる神ウッコにちなんで、この祭りを「ウッコの祭り(Ukon juhla)」とも呼んでいました。カレリアの歴史と文化は「カレリア(Karjala)とは」で紹介しています。
日本でも親しまれているトーベ・ヤンソンの『ムーミン谷の夏まつり』(講談社、下村隆一訳)は、1954年にスウェーデン語で刊行された作品で、原題は「Farlig midsommar(危険な夏至祭)」です。フィンランド語とスウェーデン語の読み方のこつは「北欧食器の名前の読み方」でまとめています。
6月24日から「6月20日〜26日の土曜日」へ
ユハンヌスの日は、1954年まで6月24日に決まっていました。1953年12月の法律によって、1955年からは6月20日から26日までの間の土曜日に移り、前夜祭はその前日の金曜日になりました。この変更は、労使の団体の発案によるものです。
前夜祭の金曜日は法律で定めた祝日ではありませんが、多くの労働協約が有給の休日に定めています。天文学上の夏至は6月20日か21日で、ユハンヌスの日と重なる年も、ずれる年もあります。
夜通し掲げる国旗——1934年からの「フィンランド国旗の日」

ユハンヌスの日は「フィンランド国旗の日(Suomen lipun päivä)」でもあります。夏至の日は1920年代からすでに国旗を掲げる日になっていました。1926年には当時の著名人に国旗を祝うのにふさわしい日を尋ねるアンケートが行われ、作家マイラ・タルヴィオ(Maila Talvio)が挙げた夏至の日が選ばれました。正式な旗の日になったのは1934年で、この年の夏至には国旗が記録的に売れました。
旗の日の決まりでは、掲げる時間も定められています。ふつうの旗の日は朝8時から日没まで、夏でも遅くとも21時までです。国旗の日は前夜祭の18時に旗を上げ、明るいままの夜を通して翻らせ、ユハンヌスの日の21時に降ろします。旗の日の決まりで夜通し旗を掲げるのは、この日だけです。
戸口の白樺と、夏至のサウナ

ユハンヌスの飾りの中心は白樺です。ユハンヌスコイヴ(juhannuskoivu)と呼ぶ若い白樺を戸口の脇に立てて家を飾り、家の中にも白樺の枝や野の花を持ち込みます。農村では、若い白樺を組んで庭に葉の小屋をこしらえ、白樺のほかにナナカマドやエゾノウワミズザクラの花枝、ライラック、スズランも飾りました。
町へ運ばれた白樺

夏至が近づくと、白樺は田舎から町へ運ばれて売られました。町では商店や路面電車、バス、タクシー、そして家々が白樺で飾られました。車や列車、舟の舳先に白樺の枝を付ける習わしは、その後も続きました。
その夏はじめてのヴィヒタ

ユハンヌスには、サウナで体を打つ白樺の枝葉の束を、その夏はじめて作るのが習わしです。この束を西フィンランドではヴィヒタ(vihta)、東フィンランドではヴァスタ(vasta)と呼びます。1938年のルヴィアの記録には、夏至にはいつも新しいヴィヒタを作り、それで一度だけ湯浴みをしたとあります。

湖に映るかがり火——東のコッコと、西の夏至柱

かがり火「コッコ」
夏至の夜には、湖や海のほとりでかがり火(コッコ、kokko)を焚きます。夏至のかがり火はもともと東フィンランドの習わしで、19世紀以降に全国へ広まりました。フィンランド湾の沿岸や南西部の群島でも、夏至の火は古くから焚かれていました。ほかの地方では、春の祝日や、秋のミカエル祭やケクリ(収穫の終わりの祭り)のころに火を焚いていました。
フィンランドで夏至の火についてもっとも古い文字の記録は、1645年のトゥルクのものです。村の共同のコッコは高い丘や岸辺に組まれ、枝のほかに古い舟や農具も一緒に燃やしました。カレリア地峡には、4本の柱の先を束ねた塔の形のコッコもありました。

かがり火は、実りと幸運を願い、悪いものを退ける火として焚かれてきました。森林火災の警報が出ているときには、かがり火を焚くことはできません。
オーランドと沿岸の夏至柱

オーランド諸島と、スウェーデン語を話す人の多い西部・南部の沿岸では、かがり火の代わりに夏至柱(スウェーデン語でmidsommarstång、フィンランド語でjuhannussalko)を立てます。船のマストに似た高い柱を葉や花輪、つる草で飾り、柱の先には木彫りの人形や風見、旗、木でできた太陽の輪、帆船などを付けました。
スウェーデンでは19世紀に、夏至柱がかがり火に代わる夏至の中心的な象徴になりました。フィンランドでは、オーランドや沿岸のスウェーデン語系の人々と、その近くに住むフィンランド語系の人々がこの柱を取り入れ、18世紀には西フィンランドの荘園ですでに立てられていました。スウェーデン・ダーラナ地方の夏至の風景は「ダーラナホース完全ガイド」でも紹介しています。
夏至の夜のまじない

ユハンヌスの夜は、まじないの夜でもありました。よく知られているのは、夏至の夜に7種の花を摘んで枕の下に置くと、未来の結婚相手を夢に見るというものです。花の数や集め方は地方によって違います。1939年のヌルメスには、3軒の家の土地から3種の花を集めて枕の下に置いた記録が残っています。1936年のキヴェンナパには、9種の花を四つ辻へ持っていき、蹄の音のする方角から婿が来るという記録があります。
各地には、ほかにも次のようなまじないが伝わっていました。
- 夏至の夜に裸で井戸をのぞくと、水面に未来の結婚相手の姿が映る(ハメーンキュロ、1936年)
- ヴァスタやヴィヒタを屋根へ投げ、根元が向いた方角から結婚相手が来る(サヴィタイパレ、キイコイネン、1935年)
- 紙片にアルファベットを書いて枕の下に置き、枕に貼り付いた文字が相手の名前の頭文字になる(プーマラ、1936年)
- 塩漬けのニシンを食べて眠り、夢の中で水を差し出してくれた人が未来の結婚相手になる(ケウルー、1935年)
- 露に濡れた麦畑を裸で転がると、その年のうちに婿が現れる
枕の下に置くものは花だけではなく、四つ葉のクローバーや花輪、讃美歌集、銅貨などさまざまでした。まじないは、結婚の運とともに、その年の実りや牛の乳の出を占い、確かなものにしようとするものでもありました。
夏至の食べもの——乳の料理から新じゃがいもへ
伝統的なユハンヌスの料理は、乳を使ったものでした。夏至のころには牛が放牧に出て、乳がよく出るからです。中部ポホヤンマーなどの北部では、赤い夏至のチーズ(juhannusjuusto)を何時間もかけて煮て作りました。サヴォ地方ではミルク粥と薄焼きのパンケーキ、カレリアではピーラッカと卵ミルク、ハメとサタクンタではパンケーキとチーズを食べました。
北サヴォのピエラヴェシに残る1936年の記録には、前夜祭の昼に「前夜の魚」を、ユハンヌスの日の昼に「夏至の魚」を食べたとあり、その魚はコイ科の淡水魚ブリーム(lahna)でした。
比較的新しい伝統としては、焚き火で焼くソーセージと、その夏はじめての新じゃがいもがあります。新じゃがいもには、ニシン(silli)やバルトニシン(silakka)、湖の小魚ムイック(muikku)を合わせます。サーモンやシイカ(siika、シロマスの仲間)、パイクパーチは網焼きにします。夏至の週に買われるソーセージは、150万kgにのぼることもあります。
夏至のバラ「ユハンヌスルース」

古い家の庭に咲く白いバラ
ユハンヌスのころ、フィンランドの古い家の庭では白いバラが咲きます。フィンランド語でユハンヌスルース(juhannusruusu)、つまり「夏至のバラ」と呼ばれるバラです。学名はRosa spinosissima 'Plena'で、スウェーデン語ではfylld pimpinellrosと呼びます。
花はゆるやかな半八重で、クリーム色がかった白の中心がわずかに黄みを帯び、強く甘い香りを放ちます。夏至のころに2週間ほど咲き、秋には葉が紫がかった赤やワインレッドに色づきます。
フィンランドでは19世紀から育てられてきたバラで、かつてはほとんどの庭に植えられ、「フィンランドの白いバラ(Finlands vita ros)」「Finnish White」とも呼ばれました。ほかの国では見られなくなった古いピンピネラ系のバラも、フィンランドには数多く残っています。

写真のパイッカリの小作農家は、民族叙事詩『カレワラ』を編んだエリアス・リョンロート(Elias Lönnrot)が幼いころを過ごした、サンマッティの家です。灰色に風化した板壁の手前に、白いバラの茂みが広がっています。カレワラの物語を描いたARABIAの年皿は「アラビア イヤープレート(カレワラ)完全一覧ガイド」で紹介しています。
ガッレン=カッレラが描いた白いバラ

画家アクセリ・ガッレン=カッレラ(Akseli Gallen-Kallela)は1904年、白樺の樹皮を丸めた器に挿した白いバラを水彩で描きました。淡い灰青色の地に、外側が橙、内側が淡い桃色の樹皮の器が横たわり、白いバラが2輪のぞいています。
ARABIAのコーヒーカップ「ユハンヌス」

ヘルシンキの窯ARABIAには、この祭りの名を持つコーヒーカップのシリーズがありました。当店で扱ったのは、小ぶりのコーヒーカップとソーサー、ケーキ皿の3点の組み合わせで、それぞれの裏に緑の文字でシリーズ名「Juhannus」が入っています。ARABIAの工場の歩みは「アラビア工場の歴史」で紹介しています。
白い花と葉の帯

絵柄は、白い五弁の花と黄色い花芯、ふくらんだつぼみ、縁にぎざぎざのある葉を、細いピンクの茎でつないだものです。カップでは胴をひとめぐりし、ケーキ皿では中央を横切る帯になって並びます。葉は濃淡の緑で、白い花を引き立てています。
夏至のバラがゆるやかな半八重に咲くのに対して、この器の花は五弁の一重に描かれています。裏印にあるのはシリーズの名前だけで、花の名前は入っていません。
裏印から読めること

カップの裏には、緑の筆記体で入ったシリーズ名の下に、王冠のマークと「ARABIA」「MADE IN FINLAND(フィンランド製)」の文字が並びます。ソーサーとケーキ皿の裏にも、同じ組み合わせの印があります。
王冠に「ARABIA」「MADE IN FINLAND」を組み合わせた印は、ARABIAの工場印の年代表では1949年から1971年までの型にあたり、1949〜1964年の輸出向けの印と、1964〜1971年の国内・輸出共通の印の2種類があります。1971年に導入された印に入る「WÄRTSILÄ FINLAND」の文字は、この器の印にはありません。ただし、印の文字の組み合わせだけで製造年を一つに絞ることはできません。ARABIAの印の移り変わりは「アラビアの刻印(バックスタンプ)年代別完全ガイド」で、ほかのシリーズは「アラビア(ARABIA)食器の魅力」で紹介しています。
街が静かになる日——湖畔のコテージと、セウラサーリの夏至祭

50万棟のコテージと、街に残る人
ユハンヌスには、都市に暮らす人々も大勢、田舎やコテージ、湖や海のほとりへ向かいます。フィンランドのコテージ(kesämökki)は、2024年末で49万5,145棟にのぼります。
20世紀の初めには、ヘルシンキの中産階級の人々が、夏至になると大挙して田舎の別荘へ出かけていきました。祭りの週末の街は静かになりますが、街に残る人も少なくありません。1964年の夏至に田舎へ出かけたヘルシンキの人は、4人に1人でした。
セウラサーリ野外博物館の夏至祭

街で過ごす人の夏至祭として親しまれてきたのが、ヘルシンキのセウラサーリ野外博物館の夏至祭です。島には各地から移された古い農家や教会が並び、1954年からはここで夏至祭の催しが開かれてきました。1954年と1955年はフィンランド古物協会が、1956年からはセウラサーリ財団が祭りを開いています。
演目には、始まった当初から、かがり火と夏至柱、まじない、民俗音楽の演奏、民族舞踊が並び、1970年代には道沿いでの職人の実演が加わりました。2026年の夏至祭では、いかだに積んだかがり火への点火や夏至柱の立ち上げ、国旗の掲揚、結婚式の踊り、夏至の夜のポロネーズが行われました。
白夜——沈まない太陽と、暗くならない夜

ユハンヌスのころ、フィンランドの夜はほとんど暗くなりません。ヘルシンキの夏至のころの日の出は3時54分ごろ、日の入りは22時50分ごろで、南フィンランドでも夜が真っ暗になることはありません。
さらに北のラップランドでは、太陽が一日じゅう沈まない白夜(yötön yö、「夜のない夜」)が訪れます。最北の村ヌオルガムでは5月16日から7月の終わりまで太陽が沈まず、ロヴァニエミでは6月6日から真夜中の太陽が見られます。真夜中の太陽が見える理論上の南の限りは、北極線より少し南の、ケミのあたりを通ります。

ラップランドの北部では、夏至のかがり火は沈まない太陽の下で燃えます。

夏の終わりのスウェーデンの祭りは「クレイフィッシュパーティー(Kräftskiva)」で紹介しています。秋のラップランドの紅葉は「北欧の秋と食卓」でご覧いただけます。
まとめ
ユハンヌスは、洗礼者ヨハネの名をもつフィンランドの夏至祭です。1955年から6月20日〜26日の土曜日に祝われ、その日は1934年から「フィンランド国旗の日」でもあります。
ユハンヌスには、戸口に若い白樺を立て、新しいヴィヒタを作り、湖のほとりでかがり火を焚き、7種の花を枕の下に置くまじないをする習わしがありました。ARABIAのコーヒーカップ「ユハンヌス」は、その祭りの名を裏に記した器です。
要点の整理
- 名前——洗礼者ヨハネ(Johannes)の名前の古い発音の形。スウェーデン語ではミッドソンマル
- 日付——1955年から6月20日〜26日の土曜日。前夜祭はその前日の金曜日。2027年は6月26日
- 国旗——1934年から国旗の日。旗の日の決まりでは、前夜祭の18時から翌日の21時まで夜通し掲げる
- 習わし——戸口の白樺、その夏はじめてのヴィヒタ、東のかがり火コッコと西の夏至柱、7種の花のまじない
- 花——夏至のバラ「ユハンヌスルース」(Rosa spinosissima 'Plena')。半八重のクリーム色がかった白
- 器——ARABIA「ユハンヌス」の裏印は、緑の筆記体のシリーズ名と王冠、ARABIA MADE IN FINLAND。1971年からの印にあるWÄRTSILÄの文字はない
参考資料
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