アラビア工場の歴史——ヘルシンキ・トウコラの150年
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この記事の要点
目次
アラビア工場とは
ヘルシンキ・トウコラに立つ巨大な窯
ヘルシンキ中心部から北東へ約5km。ヴァンター川が静かに流れ込むバルト海沿岸の一角に、かつてヨーロッパ最大級の陶磁器工場が稼働していました。アラビア製陶所(Arabia)——フィンランドの食卓文化を根底から変え、北欧デザインの黄金時代を支えた工場です。
150年の歩み
創業——スウェーデン企業のフィンランド進出(1873年)
1873年、スウェーデンの老舗陶磁器メーカーロールストランドは、ロシア帝国への輸出拠点としてヘルシンキ近郊のトウコラに工場を設立しました。当時フィンランドはロシア帝国の自治大公国であり、関税の障壁を回避するための戦略的な進出でした。工場名「アラビア」は、工場が建てられた地区の古い地名に由来しています。
Photo: arabia135.fi
創業当初は日用食器やタイルの生産が中心で、デザインの独自性はまだありませんでした。しかし工場は急速に成長し、19世紀末にはフィンランド最大の陶磁器メーカーとなります。
フィンランドの窯へ——独立と成長(1900〜1940年代)
Photo: arabia135.fi
1917年のフィンランド独立を経て、アラビアは次第にロールストランドからの独立性を強めていきます。1916年にはすでにロールストランドの株式の過半数がフィンランド側に移り、事実上の独立企業となっていました。
1932年、アラビアはアートデパートメント(芸術部門)を設立します。この決断が、後の北欧デザインの黄金時代を準備することになりました。量産品の製造と並行して、芸術家たちが自由に創作できる環境を整えたのです。
黄金時代——アートデパートメントの輝き(1950〜1970年代)
1950年代から1970年代にかけて、アラビアは北欧デザインの黄金時代を牽引しました。最盛期には従業員1,500人以上を擁し、年間数千万点の陶磁器を生産。ヨーロッパ最大級の陶磁器工場として稼働していました。
アートデパートメントには、カイ・フランク、ウラ・プロコッペ、エステリ・トムラ、ビルガー・カイピアイネンなど、北欧デザイン史に名を残すデザイナーたちが在籍していました。彼らの代表作は、今もヴィンテージ市場で高い人気を誇っています。
転換期——合理化と統合(1980〜2000年代)
1980年代以降、アラビアの所有者は目まぐるしく変わります。ヴァルチラ(Wartsila)、ハックマン(Hackman)を経て、2007年にはフィスカースグループ(Fiskars)の傘下に入りました。グローバル化の波の中で生産の合理化が進み、かつてのアートデパートメントの自由な創作環境は徐々に失われていきます。
工場閉鎖とアラビアンランタの誕生(2016年〜現在)
2016年、フィスカースはヘルシンキ・トウコラのアラビア工場を閉鎖しました。143年間にわたって煙を上げ続けた窯の火が、ついに消えたのです。生産はタイやルーマニアなど海外に移管されましたが、アラビアのブランド自体はフィスカースグループ傘下で存続しています。
工場跡地は「アラビアンランタ」(Arabianranta)として再開発され、約10,000人が暮らすデザインと文化の街に生まれ変わりました。
アートデパートメント——芸術家たちの工房
カイ・フランクとキルタ革命
カイ・フランク(1911〜1989年)は、「フィンランドデザインの良心」と呼ばれたデザイナーです。1945年にアラビアに入社し、1950年にアートディレクターに就任しました。
フランクの思想は革命的でした。戦後の物資不足の時代に、彼は「必要最小限の器で食卓を成り立たせる」という根本的な問いを立てます。なぜティーカップとコーヒーカップを別々に持つ必要があるのか。なぜ皿は丸くなければならないのか——。
1953年に誕生したキルタ(Kilta)は、その答えでした。丸・四角のシンプルな形状、積み重ねられる構造、混ぜ合わせて使える単色のカラーバリエーション。従来の「セット売り」の概念を壊し、必要な器を1つずつ選べる画期的なシステムでした。キルタは後にティーマ(Teema)と名を変え、現在もアラビアの定番として生産が続けられています。
ウラ・プロコッペとルスカ
ウラ・プロコッペ(1921〜1968年)は、カイ・フランクのチームに加わった若き陶芸家でした。彼女が1961年に発表したルスカ(Ruska)は、フィンランドの秋の大地を思わせる素朴な茶色の釉薬が特徴的なストーンウェア。手触りのよい厚みのある器は、フィンランドの家庭に深く浸透し、1960年から1999年まで39年間にわたって生産されました。
プロコッペはまた、バレンシア(Valencia)の手描きコバルトブルーの食器でも知られています。ルスカの土の温かみとバレンシアの鮮やかな青——まったく異なる表現を両立させた稀有なデザイナーでした。惜しくも1968年、珪肺症のため47歳で亡くなっています。工場の粉塵が、彼女の命を奪ったのです。
エステリ・トムラの花の世界
エステリ・トムラ(Esteri Tomula、1920〜1998年)は、1947年から1984年までの37年間、アラビアで働き続けたデザイナーです。フィンランドの野花や植物をモチーフにした繊細なパターンデザインで知られ、ポモナ(Pomona)、クロッカス(Krokus)、フローラ(Flora)など、今もヴィンテージ市場で高い人気を誇るシリーズを数多く生み出しました。
アートデパートメントにはこのほかにも、「装飾家の王」ビルガー・カイピアイネン(Birger Kaipiainen、1915〜1988年)が在籍していました。カイピアイネンは量産品のデザインにはほとんど関わらず、独自の装飾陶芸を追求し続けた異色の存在でした。彼がデザインしたパラティッシ(Paratiisi)は、例外的に量産化された作品であり、現在もアラビアの看板商品として愛されています。
現在のアラビアンランタを歩く
イッタラ&アラビア・デザインセンター
工場閉鎖後、かつてのアラビア工場棟(Hämeentie 135)は「ARABIA135」として再生されました。ここにはイッタラ&アラビア・デザインセンターが入居し、歴代の名作を展示するアラビア・ミュージアムが2025年にリニューアルオープンしています。キルタの原型からカイピアイネンの一点物まで、150年の創作の軌跡をたどることができます。
同じ建物にはアールト大学(Aalto University)の芸術・デザイン・建築学部のキャンパスも置かれています。かつてデザイナーたちが器を成形していた空間で、今日の学生たちが新しいデザインを学んでいるのです。アラビアの精神は、場所を変えながらも受け継がれています。
工場跡地の再開発——デザインと暮らしの街へ
アラビアンランタ(Arabianranta)は、ヘルシンキ市が1990年代から推進した「Art and Design City Helsinki」プロジェクトの中核をなす再開発地区です。工場跡地と周辺エリアは、デザインと文化を軸にした新しい都市空間として再生されました。
現在、約10,000人がこの地区に暮らしています。近代的な集合住宅、海沿いの遊歩道、アートが点在する公園——かつて煙突が立ち並んでいた風景は一変しましたが、「アラビア」の名は地区名として残り続けています。通りの名前にも「レーストランディンカトゥ」(Rörstrandinkatu、ロールストランド通り)があり、工場の歴史が街に刻まれています。
アラビア工場の物語は、工場の閉鎖で終わったのではありません。150年前にロールストランドの職人がこの地に最初の窯を築いたとき、彼らはフィンランドの食卓を変えることになるとは想像もしなかったでしょう。そして今、工場の名を冠した街で新たなデザインが生まれ続けている——それは、アラビアが残した最も大きな遺産なのかもしれません。
まとめ
- アラビアは1873年、ロールストランドの子会社としてヘルシンキ・トウコラに創業された
- 1932年のアートデパートメント設立により、量産品と芸術作品の両立という独自の体制を確立した
- カイ・フランク、ウラ・プロコッペ、エステリ・トムラ、ビルガー・カイピアイネンら黄金時代のデザイナーたちが、今も愛される名作を生み出した
- 所有者はロールストランド→独立→ヴァルチラ→ハックマン→イッタラグループ→フィスカースと変遷した
- 2016年に工場は閉鎖されたが、ブランドはフィスカースグループ傘下で存続している
- 工場跡地はアラビアンランタとして再開発され、デザインと暮らしの街として生まれ変わった
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