ARABIA クロクス スープ皿|白地に黒い線で花を描いた北欧ヴィンテージ食器

アウネ・ラウッカネン(Aune Laukkanen)完全ガイド|ARABIAの転写装飾フェンノから、ロールストランドでストールハネと組んだトロ、そしてテキスタイルへ

北欧食器タックショミュッケ編集部

アウネ・ラウッカネン——ARABIAの絵付けから、ロールストランドの装飾、そしてテキスタイルへ

ARABIA クロクス スープ皿|白地に黒い線で花を描いた北欧ヴィンテージ食器
白地に黒い線で花のブーケを描いたARABIAのスープ皿。ミッドセンチュリーのフィンランドの器。

アウネ・ラウッカネン(Aune Laukkanen, 1921–1990)は、フィンランドに生まれ、器の絵付けとテキスタイルの図案を手がけた装飾家です。ARABIAで磁器の絵付けにたずさわったのち、スウェーデンのロールストランド(Rörstrand)でカール=ハリー・ストールハネ(Carl-Harry Stålhane)のかたちに装飾をつけ、晩年はリネンのパターンデザイナーとして活動しました。フィンランドで生まれた装飾家がスウェーデンの窯へ渡るという歩みそのものが、北欧のデザイン史のなかでは珍しい道すじです。

ただし、その生涯を伝える一次資料はごくわずかしか残っていません。器のかたちを設計した人ではなく、その表面に花や色をのせた「絵付け・図案の人」であったこともあって、名前だけが市場に流通し、経歴のほうは霞んでいます。この記事では、メーカーや競売会社、フィンランドの装飾ライブラリで確認できる事実だけを手がかりに、その輪郭をできるだけ正確にたどります。

なお当店では、現在アウネ・ラウッカネンの作品を扱っておりません。作品そのものをご紹介する記事ではなく、名前が先行しがちなこの装飾家の歩みを、隣り合うストールハネやARABIAの物語のあいだに置きなおすための一篇として読んでいただければと思います。

この記事でわかること

  • アウネ・ラウッカネンは器のフォルムの設計者ではなく、絵付けと図案を担った装飾家であること
  • ARABIAのフェンノ(Fenno)とリーサ(Liisa)は、ASモデルというかたちの上にのせられた花柄であること
  • スウェーデンのロールストランドで、ストールハネのかたちに装飾をつけたシリーズ「トロ(Torro)」を残したこと
  • のちにAlmedahlsやTampellaでテキスタイルの図案を手がけ、器から布へと仕事を移していったこと
  • コレクター市場でラウッカネン作と取り違えられやすい柄が、じつは別の装飾家の手によること

目次

  1. 基本情報
  2. フィンランドに生まれ、ARABIAで絵付けを始める
  3. 転写装飾フェンノ(Fenno)とリーサ(Liisa)——ASモデルの上に咲いた花
  4. スウェーデンへ——ロールストランドでストールハネと組んだトロ(Torro)
  5. テキスタイルへ——AlmedahlsとTampellaのリネン
  6. ラウッカネンの作と取り違えられやすい柄
  7. 日本でのラウッカネンと、コレクター市場での位置づけ
  8. まとめ

基本情報

確認できている事実だけを、最小限の表にまとめます。学歴や出身都市など、信頼できる出典で裏づけられない項目は、あえて載せていません。

本名 Aune Laukkanen(アウネ・ラウッカネン)
生没年 1921年–1990年
出身 フィンランド
主な所属 ARABIA/Rörstrand/Almedahls/Tampella
代表作 フェンノ(Fenno)/トロ(Torro)

テキスタイルメーカーのAlmedahlsは、その紹介文のなかで彼女の生年月日を1921年11月11日としています。ただしこれは同社の記述にもとづくもので、公的な人名事典やアーカイブでは確認できていません。ここでは「1921年生まれ」というところまでを、確かな事実として扱います。

フィンランドに生まれ、ARABIAで絵付けを始める

ヘルシンキのアラビア工場の建物内部、ガラス屋根のアーケード
ヘルシンキのアラビア工場の建物内部。ガラス屋根のアーケードとデザイン史の展示。CC BY-SA 3.0 / Matthias Süßen

アウネ・ラウッカネンは、1921年にフィンランドで生まれました。器づくりの世界に入った彼女が最初に筆をとったのは、首都ヘルシンキの窯ARABIAです。ここで磁器の絵付けにたずさわったことが、のちの経歴すべての出発点になりました。

ARABIAは1873年にロールストランドの子会社としてヘルシンキ郊外に設けられ、20世紀にはフィンランドを代表する窯へと成長しました。その工場と街の成り立ちについては、当店ブログのARABIA工場とトウコラの歴史にゆずります。ここで押さえておきたいのは、戦後のARABIAが多くの装飾画家をかかえ、器の表面に絵をのせる仕事が一つの職能として確立していたことです。

ラウッカネンがARABIAに在籍した正確な年や部署は、資料では確認できません。わかっているのは、彼女がここで絵付けの技術を身につけ、やがてその腕をスウェーデンへ持ち出したという流れです。同じ時代にARABIAの装飾を担った作家としては、装飾画家のヒルッカ=リーサ・アホラ(Hilkka-Liisa Ahola)や、図案家のエステリ・トムラ(Esteri Tomula)らがいます。彼女たちの仕事ぶりは、当店のヒルッカ=リーサ・アホラ完全ガイドでも紹介しています。

ARABIA フローラ コーヒーカップ三点|青や紫の草花を描いた北欧ヴィンテージ食器
白地に青・紫・緑で野の草花を描いたARABIAのカップ、ソーサー、プレートの三点。

Almedahlsの紹介文によれば、ラウッカネンは20歳のころにスウェーデンへ移り、ロールストランドへ加わったとされています。20歳という年齢を額面どおりに受けとれば1940年代のはじめにあたりますが、渡った正確な年は一次資料では裏づけられていません。ここでは同社の記述として、その時期を控えめに書きとめておきます。

転写装飾フェンノ(Fenno)とリーサ(Liisa)——ASモデルの上に咲いた花

ARABIA リンネア クリーマー|青い葉のボーダーを配した北欧ヴィンテージ食器
白い器の上部に青い葉を横一列に並べたボーダーをもつARABIAのクリーマー。

フィンランドの装飾ライブラリlaatutavaraの記録によれば、ARABIAの装飾のなかでアウネ・ラウッカネンの名義で残っているのは、フェンノ(Fenno)とリーサ(Liisa)の二つだけです。ここで大切なのは、この二つが「かたち」ではなく「絵柄」であるという点です。器そのものの造形は別の設計者によるもので、ラウッカネンはその上に花をのせる役割を担いました。

フェンノは、製造期間が1948年から1960年ごろとされる装飾です。青い花——矢車菊を思わせる花——と金彩を組み合わせた図柄で、器のかたちにはASモデルが使われています。ASモデルは、1936年にラインハルト・リヒター(Reinhard Richter)が設計したARABIAの基本フォルムで、多くの装飾がこの同じ骨格の上に展開されました。ASモデルとその上に咲いた花々については、当店のARABIAの花柄シリーズ完全ガイドもあわせてご覧ください。

ARABIA バレンシア カップ&ソーサー|濃いコバルトブルーの北欧ヴィンテージ食器
濃いコバルトブルーの釉薬に楕円の連続文様をあしらったARABIAのカップとソーサー。

このフェンノについて、業者DBの装飾ライブラリでは転写装飾(siirtokuvakoriste)に分類されています。ただしこれはあくまで業者側の分類であって、工場の一次資料で技法が確認できているわけではありません。ここでは「業者の装飾ライブラリでは転写装飾に分類されている」というところまでを事実として記し、それ以上の技法の断定は控えます。

もう一つのリーサは、製造期間が1951年から1960年ごろとされる花柄の装飾で、こちらもASモデルの上に展開されました。なお、ここで挙げた年号はいずれも器が生産された期間であって、ラウッカネンが図案を描いた年ではありません。図案が生まれた正確な時期は、確認できていません。器づくりにおける絵付けや図案の位置づけそのものに関心のある方は、北欧食器の装飾技法ガイドもどうぞ。当店でARABIAの器をお探しの方は、ARABIAのコレクションからご覧いただけます。

スウェーデンへ——ロールストランドでストールハネと組んだトロ(Torro)

リードヒェーピングのロールストランド博物館の展示室
リードヒェーピングのロールストランド博物館の展示室。大ぶりの装飾陶が並ぶ。CC BY-SA 3.0 / Majjaw

スウェーデンへ移ったラウッカネンが加わったのは、リードヒェーピング(Lidköping)に工場をもつ老舗の窯ロールストランドです。ここで彼女は、1940年代から1960年代にかけて装飾家として働き、なかでもカール=ハリー・ストールハネのもとで仕事をしました。ロールストランドという窯そのものの歩みは、当店のロールストランド ヴィンテージガイドにゆずります。

カール=ハリー・ストールハネ デザインヒューセットの炻器プレート|同心円と十字の刷毛あと
錆茶色の釉薬に同心円と十字の刷毛あとが見える、ストールハネによる炻器の器。

二人が組んで生まれたのが、1950年代のシリーズ「トロ(Torro)」です。器のかたちはストールハネが手がけ、その表面の装飾をラウッカネンが担いました。素材はファイアンス、あるいは炻器で、競売会社の記載ではスペインに着想を得た装飾とされています。底に残るサインは「CHS/AL」——ストールハネとラウッカネン、二人のイニシャルが並びます。器づくりでは、かたちをつくる人と絵柄をのせる人が別々に名を刻むことがあり、トロはその一例です。

リードヒェーピングの港に停泊する蒸気船と運河沿いの街並み
リードヒェーピングの港に停泊する蒸気船と、運河沿いの古い街並み。CC0 / ウィキメディア・コモンズ

ストールハネはロールストランドを代表する陶芸家の一人で、その生涯と作品は当店のカール=ハリー・ストールハネ完全ガイドで詳しくたどっています。同記事はストールハネ自身の炻器や釉薬の仕事を軸にしており、トロや、その装飾を担ったラウッカネンには触れていません。この記事は、ちょうどその余白を埋める一篇にあたります。

ロールストランドの炻器のボウル|茶と錆色が層になった土ものの釉薬
茶や錆色が層になった土ものの釉薬をまとったロールストランドの炻器のボウル。

当店ではこれまで、ストールハネのデザインを伝える器や、同じ時代のロールストランドの炻器をいくつかお預かりしてきました。土のような釉薬をまとった炻器は、絵付けの器とはまた別の、素材そのものの表情をもっています。ロールストランドの器をお探しの方は、ロールストランドのコレクションもどうぞ。

ロールストランドの炻器の角皿|赤茶からオリーブへ変化する釉薬
赤茶からオリーブ色へと変化する釉薬をまとったロールストランドの角形の炻器の皿。

テキスタイルへ——AlmedahlsとTampellaのリネン

アリングソースの旧市庁舎、ピンク色の木造建築
アリングソースのピンク色の木造ラードフス(旧市庁舎)。テキスタイルメーカーAlmedahlsが拠点を置く町。CC BY-SA 4.0 / Hansnerstu

器の絵付けから出発したラウッカネンは、やがて布の図案へと仕事の場を移します。スウェーデンのテキスタイルメーカーAlmedahlsのデザイナーとして、彼女は数々のパターンを手がけました。同社が代表作として挙げているのが、「Sommarmiddag(夏の食卓)」と「Skördefest(収穫祭)」です。いずれも北欧の暮らしの情景を主題にした図案で、器の上にのせた花々とはまた別の、布ならではの伸びやかさをもっています。

タンペレのタンペラ工場、タンメルコスキの急流越しに望む赤煉瓦の建物
タンメルコスキの急流越しに望む、タンペレのタンペラ工場の赤煉瓦の建物。CC BY-SA 4.0 / Tahenry103

フィンランドのメーカーTampellaにも、彼女はリネンの図案を提供しました。キッチンタオルの「Kala(魚)」や「Kesti(客・もてなし)」は、その一例です。これらの布は、タンペレ(Tampere)の歴史博物館の収蔵記録にも名を残しています。フィンランドに生まれ、スウェーデンで器と布を手がけ、ふたたびフィンランドのメーカーにも図案を寄せる——器から布へ、国から国へと横断していく彼女の歩みが、ここにもあらわれています。

タンペレのヴァプリーッキ博物館センターの赤煉瓦の建物
タンメルコスキ沿いに建つタンペレのヴァプリーッキ博物館センター。赤煉瓦の旧工場を転用した建物。CC BY 2.0 / Saana Säilynoja・Vapriikki Photo Archives

テキスタイルは当店の扱う分野ではないため、ここでは深くは立ち入りません。ただ、絵付けからテキスタイルへという道すじは、装飾家としての彼女の関心が「器のかたち」ではなく「表面にのる図柄」にあったことを、あらためて示しています。

ラウッカネンの作と取り違えられやすい柄

ARABIA アネモン オーブン皿|藍色の縁取りをもつ北欧ヴィンテージ食器
白地に藍色の筆跡で縁取りをした長方形のARABIAのオーブン皿。

アウネ・ラウッカネンの名は、しばしば別の装飾家の柄と取り違えられます。とりわけ紛らわしいのが、フェンノ(Fenno)とフェンニカ(Fennica)です。名前がよく似ていますが、フェンニカを手がけたのはエステリ・トムラであって、ラウッカネンではありません。トムラの仕事については、当店のエステリ・トムラ完全ガイドで紹介しています。

下の表は、ラウッカネン作として語られることがあるものの、フィンランドの装飾ライブラリの記録では別の装飾家に帰属している柄をまとめたものです。いずれも、laatutavaraの記録にもとづいています。

柄の名前 実際の装飾家
Tuuli/Tuulikki 設計者不明(1930年代)
Kesäkukka 設計者不明(1939〜47年)
Talvikki ライヤ・ウオシッキネン(Raija Uosikkinen)
Ruija ライヤ・ウオシッキネン
Fennica エステリ・トムラ(Esteri Tomula)
Katrilli ライヤ・ウオシッキネン
Pomona エステリ・トムラ/ライヤ・ウオシッキネン
Ali ライヤ・ウオシッキネン

これらの柄の多くは、ライヤ・ウオシッキネン(Raija Uosikkinen)の手によるものです。彼女の仕事に関心のある方は、当店のライヤ・ウオシッキネン完全ガイドもあわせてどうぞ。名前が似ていたり、同じ窯の同じ時代に生まれたりした柄は、装飾家の名が入れ替わって伝わりやすいものです。ラウッカネンの名義で確かに残っているのは、あくまでフェンノとリーサの二つだと押さえておきたいところです。

日本でのラウッカネンと、コレクター市場での位置づけ

ロールストランドの炻器の小さな角ボウル|茶から黒へ深まる釉薬
濃い茶から黒へと深まる釉薬をまとったロールストランドの小さな角形の炻器のボウル。

アウネ・ラウッカネンについて、日本語で読める資料はほとんど見あたりません。来日や展覧会、書籍での紹介も確認できていません。フィンランド語やスウェーデン語のWikipediaにも、Wikidataやウィキメディア・コモンズにも、彼女個人の項目は立っていません。名前だけが器の裏側に残り、経歴のほうは光の当たらないままになっています。

コレクター市場では、彼女が装飾を担った器が「ストールハネ作」として語られがちだと考えられます。器のかたちを設計した陶芸家の名は残りやすく、その表面に絵柄をのせた装飾家の名は落ちやすい——トロのように二人のイニシャルが並ぶ品でさえ、かたちをつくった側の名前で呼ばれることが多いといえます。装飾という仕事が、器づくりのなかでどんな位置を占めてきたのかは、北欧食器の装飾技法ガイドもあわせて読むと見えてきます。

だからこそ、アウネ・ラウッカネンという名前を器の裏に見つけたときは、その一皿の向こうに、ヘルシンキの窯からリードヒェーピングの工場へ、さらにアリングソースやタンペレの布へと横断していった一人の装飾家の歩みが重なっている、と思い出していただければと思います。

まとめ

要点の整理

  • アウネ・ラウッカネン(1921–1990)はフィンランド生まれの装飾家で、器のかたちの設計者ではなく、絵付けと図案を担いました。
  • ARABIAでラウッカネン名義で残る装飾は、フェンノ(製造1948〜60年ごろ)とリーサ(製造1951〜60年ごろ)の二つで、いずれもASモデルの上に展開された花柄です。
  • スウェーデンのロールストランドでは、ストールハネのかたちに装飾をつけた1950年代のシリーズ「トロ(Torro)」を残し、底には「CHS/AL」のサインが並びます。
  • のちにAlmedahlsやTampellaでテキスタイルの図案を手がけ、器から布へと仕事を移していきました。
  • Fennicaなど名前の似た柄はラウッカネンではなく別の装飾家の作で、彼女の名義で確かなのはフェンノとリーサの二つです。

器のかたちを設計した人の名は、時代をこえて残ります。けれども、その表面に花や色をのせた人の名は、しばしば器の裏側で静かに眠っています。アウネ・ラウッカネンは、まさにそうした装飾家の一人でした。

ARABIAの青い花から、ストールハネのかたちにのせた装飾、そしてスウェーデンとフィンランドのリネンへ——確認できる事実をつないでいくと、器と布のあいだを、そして二つの国のあいだを行き来した一人の装飾家の輪郭が、うっすらと立ちあがってきます。名前だけが先に届いてしまったこの人の歩みを、ここでは確かめられた範囲でたどりました。

参考資料

  • Almedahls「About Almedahls designers」
  • Metropol/Bukowskis/Auctionet 各競売会社の作品記録
  • laatutavara.com 装飾ライブラリ
  • タンペレ歴史博物館(Finna 収蔵記録)

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