ARABIAの花柄食器完全ガイド|フィンランドの野花を描いたエステリ・トムラ、ウラ・プロコッペ、ライヤ・ウオシッキネンの植物画
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ARABIA(アラビア)の花柄シリーズを眺めていると、まるで「花の窯」と呼びたくなるほどです。1873年にヘルシンキ郊外のアラビア地区に築かれたARABIAは、150年の歴史のなかで数えきれないほどの花柄シリーズを世に送り出してきました。クロッカス、アネモネ、ヴァナモ、フローラ、コラーリ、エミリア、ピルッティ、ボタニカ、スンヌンタイ——名前を口にするだけで、北欧の野原や森のしずけさが胸の奥でひらいていくような感覚があります。
これら花柄シリーズには共通点があります。多くがフィンランドの野花、つまり身近な草花を題材にしていること。そして手描きから絵付け、シルクスクリーンと手彩色の組み合わせまで、装飾技法の進化をそのまま映していること。三人の女性デザイナー——ウラ・プロコッペ、エステリ・トムラ、ライヤ・ウオシッキネン——を軸にARABIAの花柄を辿ると、20世紀フィンランドの植物観察文化と磁器デザインの交差点が見えてきます。
本記事では、当店コラム「北欧食器タックショミュッケ」が扱うARABIAの花柄シリーズを横断し、年代・デザイナー・技法・モチーフの観点から体系的に整理しました。読み終えるころには、一枚の作品の裏にどれほどの植物と人の物語が重なっているかが、きっと見えてくるはずです。
この記事でわかること
- ARABIAが「花の窯」と呼ばれるにいたった背景と、フィンランドの植物観察文化との関係
- 花柄シリーズを牽引した3人の女性デザイナー、ウラ・プロコッペ/エステリ・トムラ/ライヤ・ウオシッキネンの仕事の違い
- アネモネ・クロッカス・ヴァナモ・フローラ・コラーリ・エミリア・ピルッティ・ボタニカ・スンヌンタイの年代と特徴
- 手描き/シルクスクリーン+手彩色/転写プリントという装飾技法の見分け方
- バックスタンプから読むARABIA花柄シリーズの年代
目次
- ARABIAと花——なぜフィンランドの窯は花を描き続けたのか
- 花柄を生んだ3人のデザイナー
- 主要花柄シリーズ年表
- ウラ・プロコッペが描いた花——アネモネ
- エステリ・トムラの花柄——ヴァナモ・クロッカス・フローラ・ボタニカ
- ライヤ・ウオシッキネンの花柄——エミリア・コラーリ・ピルッティ
- ビルガー・カイピアイネンの花柄——スンヌンタイ
- 装飾技法の違い——手描き/シルクスクリーン+手彩色/転写
- バックスタンプから読む年代
- まとめ——器面の奥に咲くもう一つの北欧
ARABIAと花——なぜフィンランドの窯は花を描き続けたのか
ARABIAが花柄シリーズを連発したのは1950年代から1980年代にかけてです。なかでも1960年代後半から1970年代は、年に何枚もの新作花柄が発表され、まるで植物図鑑のページをめくるかのように次から次へと野花が皿の上に咲いていきました。なぜフィンランドの窯がこれほど花を描き続けたのか。その答えは、ARABIAという企業の戦略だけでは説明しきれません。フィンランドという土地の植物観察文化と、20世紀半ばの装飾技法の革新が、同時に重なった結果でした。
リンネと北方の植物観察文化
北欧の植物観察文化の源泉には、スウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネ(1707–1778)の存在があります。リンネは生物の二名法を確立し、近代植物学の父と呼ばれた人物ですが、彼の影響はスウェーデンのみならず、隣国フィンランドの教育・出版・市民文化へも深く浸透していきました。フィンランドでは、学校教育や家庭の読書文化のなかで、植物図鑑や自然観察に親しむ土壌が育まれてきました。
たとえばリンネの好んだ小さな花リンネソウ(Linnaea borealis)は、フィンランド語でヴァナモ(Vanamo)と呼ばれます。エステリ・トムラが1973年に発表したARABIAの花柄シリーズ「ヴァナモ」は、まさにこの花を主役に据えました。器面に描かれた一輪は、単なる装飾ではなく、リンネ以来の北方の植物観察の伝統を背負ったモチーフだったのです。
ARABIA芸術部門と「花のカタログ」構想
ARABIAは1932年に芸術部門(Taideosasto)を工場ビルの最上階に設けました。トイニ・ムオナが初代リーダーとなり、その後カイ・フランク、ルート・ブリュック、ビルガー・カイピアイネン、キュリッキ・サルメンハーラらフィンランドを代表する陶芸家・デザイナーが入居し、ヘルシンキ・トウコラの工場ビル上層階は20世紀北欧陶芸の聖地となっていきます。ここで生まれた一点ものや限定生産品が、やがて量産シリーズへとフィードバックされていきました。
1960年代以降、ARABIAは「花のカタログ」とも呼べる体系的な花柄シリーズの開発に乗り出します。これは単に売れる絵柄を増やすという商業判断にとどまらず、フィンランドの野花を磁器という媒体に体系的に記録するという文化事業の側面も持っていました。なかでもエステリ・トムラのボタニカ・シリーズは1978年から1989年にかけて発表され、36種の野花、12種の森のベリー、7種のバラを描き分けています。これは植物図譜の伝統に連なる仕事といえます。
花柄を生んだ3人のデザイナー
ARABIAの花柄シリーズを支えたのは、装飾画家としての腕と植物画への深い関心を併せ持った3人の女性デザイナーでした。ウラ・プロコッペは器のフォームから装飾までを一貫して手がけた万能型、エステリ・トムラは植物画家としてシルクスクリーンの可能性を最大化した装飾の専門家、ライヤ・ウオシッキネンは装飾部門を率いる長としてシリーズ全体の色合いを統括した存在でした。
ウラ・プロコッペ(1921–1968)
ウラ・プロコッペは1921年にヘルシンキで生まれ、1948年にヘルシンキ芸術工芸学校(のちのアールト大学芸術デザイン建築学部)を卒業して、その年のうちにARABIAに入社しました。彼女の特徴は、器のフォームと釉薬の両方を自ら設計できる稀有な総合力にあります。スティグ・リンドベリやカイ・フランクと同じく、機能と装飾を切り離さずに考えるタイプの作り手でした。
代表作はバレンシア(1960年)、ルスカ(1960年)、アネモネ(1962年)、ロスマリン、コラーリのフォーム、リエッカ、プルプリイェンカなど。なかでもアネモネは「コバルトブルーで手描きされた野の花」というモチーフで、ARABIA花柄史における重要な転換点となった作品です。プロコッペは1968年、47歳の若さで珪肺症により早逝しました。
エステリ・トムラ(1920–1998)
エステリ・トムラは1920年にフィンランド東部のイーサルミ近郊で生まれ、1947年にヘルシンキ芸術工芸学校を卒業して同年ARABIAに入社しました。在籍期間は1947年から1984年までの37年間。植物への深い関心と、緻密な観察眼に基づく描線が彼女の最大の武器でした。
トムラの装飾は、黒い細い輪郭線をシルクスクリーンで素地に焼き付けたあと、その線の内側に絵付師が手で色を差していくという手法を取ります。完全な手描きでも完全な転写でもない、いわば「両者のいいとこ取り」を可能にする技法で、トムラの細密な線が量産の現場にそのまま乗せられるよう設計されていました。代表作はヴァナモ(1973–1974)、クロッカス(1978–1979)、フローラ(1979–1981)、ボタニカ・シリーズ(1978–1989)、ロサ・シリーズ、アアム、プリマヴェーラ、シニレヘティなど。生涯に150種以上の装飾を残しています。
ライヤ・ウオシッキネン(1923–2004)
ライヤ・ウオシッキネンは1923年にホッロラで生まれ、1944年から1947年までヘルシンキ中央芸術工芸学校で磁器絵付けを学び、1947年にARABIAに入社しました。在籍期間は1986年までの39年間。装飾部門の長として、シリーズ全体の色彩と装飾の方向性を統括する立場を担いました。
のちにオイバ・トイッカが「美の母」と呼んだほどの存在で、ARABIA装飾史において最も多作な絵付師の一人として知られています。代表作はエミリア(1959)、コラーリの装飾(1983–1987、フォームはプロコッペ)、ピルッティの茶色い帯模様(1969、フォームはアンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト)、レーナ、オツォ、ポモナ、毎年制作されたカレワラ・イヤープレートなど。1954年と1960年のミラノ・トリエンナーレ、1958年のブリュッセル万博にも出展しました。
主要花柄シリーズ年表
本記事で扱うARABIA花柄シリーズの代表作を、年代順に整理しました。製造期間が短いほどヴィンテージ市場では希少性が高くなる傾向があります。
| シリーズ名 | 製造期間 | フォーム | 装飾 | モチーフ |
|---|---|---|---|---|
| エミリア | 1959年発表 | — | ライヤ・ウオシッキネン | 小花の連続文様 |
| アネモネ | 1962–1976年 | ウラ・プロコッペ(Sモデル) | ウラ・プロコッペ | コバルトブルーの手描き花 |
| ピルッティ | 1969–1985年 | アンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト | ライヤ・ウオシッキネン | 茶色の縞模様(コテージの板壁) |
| スンヌンタイ | 1971年発表 | — | ビルガー・カイピアイネン | 日曜日の花束 |
| ヴァナモ | 1973–1974年 | ヨーラン・バック(FNモデル) | エステリ・トムラ | リンネソウ |
| ボタニカ | 1978–1989年 | — | エステリ・トムラ | 36種の野花など |
| クロッカス | 1978–1979年 | ピーター・ヴィンクヴィスト | エステリ・トムラ | クロッカス |
| フローラ | 1979–1981年 | — | エステリ・トムラ | 春の野花 |
| コラーリ | 1983–1987年 | ウラ・プロコッペ(1960年Sモデル) | ライヤ・ウオシッキネン | 珊瑚色の手描き花 |
こうして並べると、1960年代初頭にプロコッペのアネモネが扉を開け、1970年代後半にトムラのシルクスクリーン花柄が一気に花開き、1980年代にウオシッキネンのコラーリが最後の手描き花柄を残した、という大きな流れが見えてきます。
ウラ・プロコッペが描いた花——アネモネ
ARABIAのアネモネ(Anemone)は、1962年にウラ・プロコッペがデザインしたストーンウェアシリーズです。製造期間は1962年から1976年。フォームは同じくプロコッペが手がけたSモデルで、シリーズ全体に共通する穏やかなフォルムが特徴です。装飾はコバルトブルーの花文様。これがすべて手描きで施されている点に最大の価値があります。
同じ装飾を茶色の顔料で施した姉妹シリーズに「ロスマリン」がありますが、両者は同一パターンを異なる顔料で表現したものとしてデザインされました。コバルトブルーは焼成温度の管理が難しく、わずかな温度差や顔料の塗り方で発色が変わるため、絵付師ごとに筆致の個性がそのまま素地に残ります。ARABIA花柄史において、シリーズ全体が手描き仕上げとなった作品は、1960年代以降ではアネモネ・ロスマリン・コラーリなどに限られます。
アネモネの「花」は、植物学的にはイチリンソウ属(Anemone)の総称ですが、フィンランドの春の森を埋め尽くす白いウッドアネモネ(Anemone nemorosa)や青いヘパティカ(Hepatica nobilis)など、北方の春を象徴する花でもあります。器面に描かれた花文様は写実的というよりも様式化された輪郭線であり、これがプロコッペらしい簡潔さと愛らしさを両立しています。
エステリ・トムラの花柄——ヴァナモ・クロッカス・フローラ・ボタニカ
エステリ・トムラの花柄は、1970年代から1980年代にかけてのARABIA装飾の主軸となりました。彼女の特徴は、植物学的な観察眼に基づく繊細な描線と、それをシルクスクリーンで素地に焼き付けたあとに手で色を差すという独自の技法にあります。トムラの装飾は遠目には可憐な花柄に見え、近づけば植物図譜のような線描の精度が光る、二重の鑑賞性を持っていました。
ヴァナモ(1973–1974)リンネソウの小さな鈴
ヴァナモは、1973年から1974年というわずか2年間しか製造されなかったエステリ・トムラの装飾シリーズです。フォームはヨーラン・バック(Göran Bäck)が設計したFNモデル。モチーフは記事冒頭で触れたリンネソウ(Linnaea borealis)。北方の苔むす森にひっそりと咲く小さな鈴形の花を、トムラはシルクスクリーンの黒い細線で器面に再現しました。
製造期間がきわめて短いため、現在のヴィンテージ市場ではほとんど見かけることのないシリーズとなっています。トムラがリンネソウを選んだ理由は明示されていませんが、フィンランドの国民的記憶として根づいたこの花を装飾の主役に据えた一作は、彼女の植物画家としての矜持を強く感じさせる作品です。
クロッカス(1978–1979)2年だけ咲いた春の使者
クロッカスは1978年から1979年にかけて製造されたエステリ・トムラの装飾シリーズです。フォームはピーター・ヴィンクヴィスト(Peter Winquist)が手がけたモデル。装飾はカラー、白黒、グレーリムの3バリエーションが存在しました。製造期間が2年と短いため、現在では「2年だけ咲いた幻のシリーズ」として、コレクターの強い人気を集めています。
クロッカスは植物学的にはアヤメ科の球根植物で、ヨーロッパ各地で早春に咲く花です。北欧では雪が解けるか解けないかの時期に庭先に顔を出すため、長い冬の終わりを告げる象徴的な花として親しまれてきました。トムラがこの花を選んだのは、製造直前にARABIAが進めていた「フィンランドの四季の花を磁器に記録する」という構想と無関係ではないと読むことができます。
フローラ(1979–1981)野花の図譜
フローラは1979年から1981年に製造されたエステリ・トムラの装飾シリーズです。クロッカスのすぐあとに発表された作品で、こちらは複数の春の野花を集めて散らした、より図譜的・装飾的な意匠になっています。ストーンウェアの厚手の素地に、トムラ特有の細い黒線と淡い色彩が乗ることで、重い素材と軽やかなモチーフのコントラストが生まれました。
フローラもクロッカスと同様、製造期間がわずか2〜3年にとどまったため、ヴィンテージ市場での希少性が高く、北欧食器の中でも特に詩的な作品として位置づけられています。
ボタニカ(1978–1989)36種の野花を集めた図鑑シリーズ
ボタニカ・シリーズは、1978年から1989年にかけて発表されたエステリ・トムラの代表作のひとつです。フィンランドの野花36種、森のベリー12種、バラ7種が、それぞれ専用のプレートとして発表され、裏面には植物名(フィンランド語と学名)が刷り込まれています。これは単なる絵付け食器という範疇を超えて、植物図鑑そのものを磁器に置き換える試みでした。
11年という比較的長い製造期間と種類の多さから、コレクターの間ではアイテムを揃える「収集の喜び」が大きいシリーズとして知られています。トムラの植物画家としての到達点を示す仕事といえます。
ライヤ・ウオシッキネンの花柄——エミリア・コラーリ・ピルッティ
ライヤ・ウオシッキネンの花柄は、トムラの植物図鑑的なアプローチとは異なり、より様式化された装飾文様としての魅力を持ちます。連続する小花のリピートパターン、帯状の縞模様、抽象化された花の枝——どれも暮らしの風景に寄り添う気品を備え、長く愛されました。
エミリア(1959年発表)アメリカ土産から生まれた花
エミリアは1959年にライヤ・ウオシッキネンがデザインした装飾シリーズです。彼女の伝記には、デザインの直接のきっかけが、アメリカからお土産を抱えて帰国した「ゼルマおばさん」だったというエピソードが残されています。アメリカのカントリーキッチンに見られた素朴な花柄文様に着想を得て、ARABIAの装飾としては珍しく親しみやすいリピートパターンとして仕上がりました。
エミリアの花文様は植物的な写実性よりも、リズミカルな反復による装飾性を重視しており、北欧ミッドセンチュリーを代表する文様の一つとして広く愛されています。
コラーリ(1983–1987)プロコッペ造形+ウオシッキネン装飾
コラーリ(Koralli)は、フィンランド語で「珊瑚」を意味するARABIAのストーンウェアシリーズです。フォームはウラ・プロコッペが1960年にデザインしたSモデル、装飾はライヤ・ウオシッキネンによる手描きのボタニカル文様。製造期間は1983年から1987年と短く、全品が手描きで仕上げられていたため、現在の流通量はきわめて少なくなっています。
注目すべきは、フォームを担当したプロコッペが1968年に他界しているため、コラーリは「亡き同僚の造形に晩年のウオシッキネンが装飾を重ねた」という二世代協働の作品となっている点です。1960年代の黄金期の造形と、1980年代の装飾の精緻さが時を超えて結びついた、ARABIA花柄史の終章を飾る一作といえます。
ピルッティ(1969–1985)コテージの素朴な茶色い帯
ピルッティ(Pirtti)は、1969年にARABIAから発売されたシリーズです。フォルムはアンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト(Anja Jaatinen-Winquist)が、装飾の茶色いツートーンの帯模様はライヤ・ウオシッキネンが担当しました。ピルッティとはフィンランド語で「丸太小屋」「コテージ」を意味する言葉で、フィンランドの伝統的なログハウスの板壁を抽象化した装飾です。
狭義の花柄シリーズではありませんが、ARABIAの装飾史を語る上で、トムラの精緻な植物画とは異なる「素朴で土着的な装飾」のあり方を示した重要作です。製造期間は1985年までと長く、ARABIAの量産シリーズとしては比較的入手しやすい作品の一つでした。
ビルガー・カイピアイネンの花柄——スンヌンタイ
ARABIAの花柄シリーズの最後を飾るのは、ビルガー・カイピアイネン(1915–1988)のスンヌンタイ(Sunnuntai、フィンランド語で「日曜日」)です。カイピアイネンは1937年にARABIAに入社し、芸術部門で一点ものの装飾作品を制作する一方、量産シリーズの装飾も手がけました。「装飾家の王」と呼ばれた彼の作風は、メランコリックで詩的、そして装飾過多すれすれの濃密さを持ちます。
スンヌンタイは1971年にカイピアイネンが装飾を手がけたシリーズで、中央に大きな花束を配し、リムに金彩を施した華やかな意匠が特徴です。トムラの植物画的なアプローチや、ウオシッキネンの様式化された花柄とは異なる、「祝祭の花」としての花柄を提示しました。「日曜日」というシリーズ名の通り、週末のためにデザインされた装飾でもあります。
装飾技法の違い——手描き/シルクスクリーン+手彩色/転写
ARABIAの花柄シリーズを年代別に並べると、装飾技法の進化がそのまま見えてきます。シリーズを見分けるための最大の手がかりは、この技法の違いです。
手描き(Hand-painted)
アネモネ、ロスマリン、コラーリなど一部の高級シリーズは、絵付師が一点ずつ筆で花を描いていく完全手描き仕上げです。同じシリーズでも個体ごとに筆致や色の濃淡が微妙に異なり、輪郭線の太さや花弁の角度に絵付師の癖が現れます。コバルトブルーの発色や赤褐色の濃淡を見ると、手描きであることがはっきりわかります。
シルクスクリーン+手彩色(Silkscreen + Hand-coloring)
エステリ・トムラのクロッカス、フローラ、ボタニカ、ヴァナモなど1970年代以降の主要シリーズは、トムラ自身が描いた黒い輪郭線をシルクスクリーン版にして素地に焼き付け、その線の内側に絵付師が手で色を差すという技法で仕上げられました。完全な転写でも完全な手描きでもないため、輪郭線は精緻で一定、色彩には絵付師の手の温もりが残ります。
転写プリント(Transfer print)
スンヌンタイのように、写実的で多色の花束を量産する必要があるシリーズは、転写プリントを用いました。輪郭から色彩まですべてが印刷で再現されるため、個体差がほとんど出ず、デザインの忠実な再現が可能になります。1970年代以降のARABIA量産品の多くがこの技法を採用しました。
バックスタンプから読む年代
ARABIAの花柄シリーズの製造年代は、裏面の刻印(バックスタンプ)からおおまかに推定できます。1949年から1964年まで使われた「黒丸の中にARABIA」のロゴ、1964年から1970年代の「ARABIA Made in Finland」表記、1970年代から1980年代の文字主体のロゴ、というように、ARABIAは時代ごとに刻印を変えてきました。
本記事で扱った主な花柄シリーズは、ほとんどが1960年代から1980年代に集中しているため、シリアスなコレクターはこの時期の刻印パターンを判別の鍵にします。詳しくは当店コラム「アラビアの刻印(バックスタンプ)年代別完全ガイド」をご覧ください。
まとめ——器面の奥に咲くもう一つの北欧
ARABIAの花柄シリーズは、フィンランドの植物観察文化と磁器装飾の進化が交差した、稀有な仕事の集積です。リンネ以来の北方の植物学の伝統、1932年に設立された芸術部門という創造の場、そしてウラ・プロコッペ、エステリ・トムラ、ライヤ・ウオシッキネン、ビルガー・カイピアイネンといった作り手たち。これらが層をなして重なった結果、私たちは今、器面に描かれたフィンランドの春の野花をたどることができます。
作品に描かれた花の名前を一つ知ること。その花がフィンランドのどの土地で、どの季節に咲くのかを想像すること。それだけで、北欧の春先の光、苔の香り、雪解けの音までもが、静かな暮らしの風景として立ち上がってくるはずです。当店コラム「北欧食器タックショミュッケ」は、これからもARABIAの花柄シリーズを丁寧に紐解き、皆様の北欧ヴィンテージ食器との出会いを支えていきます。
本記事のまとめ
- ARABIAは1932年設立の芸術部門を核に、1950年代から1980年代にかけて体系的な花柄シリーズを生み出した
- 花柄を主導した3人の女性デザイナーは、ウラ・プロコッペ(造形+手描き装飾)、エステリ・トムラ(シルクスクリーン+手彩色の植物画)、ライヤ・ウオシッキネン(様式化された装飾文様)
- アネモネ・コラーリは手描き、クロッカス・フローラ・ヴァナモ・ボタニカはシルクスクリーン+手彩色、スンヌンタイは転写プリントと、技法が異なる
- 製造期間が2〜4年と短いシリーズ(クロッカス・フローラ・ヴァナモ・コラーリ)はヴィンテージ市場での希少性が高い
- 裏面のバックスタンプを照合することで、年代と真贋をおおまかに推定できる
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