アラビア(ARABIA)食器はなぜ高い?|フィンランド本国製と海外製・黄金期のデザイナー・生産終了が生む価値の理由

アラビア(ARABIA)食器はなぜ高い?|フィンランド本国製と海外製・黄金期のデザイナー・生産終了が生む価値の理由

北欧食器タックショミュッケ編集部
アラビアのパラティッシ。黄色い果実と青い花の絵柄が全面に広がるオーバルプレート。
アラビアのパラティッシ。黄色い果実と青い花の絵柄が全面に広がるオーバルプレート。

フィンランドの窯アラビア(ARABIA)のヴィンテージは、同じ「一枚の皿」でも数百円のものから数万円のものまで、価格に大きな幅があります。フリーマーケットで見かける無地のプレートと、専門店に並ぶ絵付けの皿。その差は、どこから生まれているのでしょうか。

結論から言えば、アラビアの価格を決めているのは「古さ」だけではありません。どこで作られたか、誰がデザインしたか、いつまで作られていたか、そして状態はどうか——いくつもの要素が重なって、一枚の価値がかたちづくられています。

この記事では、アラビアのヴィンテージがなぜ高くなるのかを、窯の歴史をたどりながら、価値を生む五つの理由として整理します。あわせて、価格を見極めるための六つの視点もご紹介します。読み終えるころには、裏返して底を見るだけで、その一枚がどんな来歴をもつのかが見えてくるはずです。

この記事でわかること

  • アラビアの価格を生む五つの理由(本国製・デザイナー・生産終了・手仕事・二次市場)
  • 本国ヘルシンキ製と海外製を分ける、2016年という節目
  • 黄金期を築いたデザイナーたちと、その代表シリーズ
  • 価格を見極めるための六つの視点

目次

  1. アラビア(ARABIA)とは——1873年、ヘルシンキに生まれた窯
  2. なぜ高いのか——価値を生む五つの理由
  3. 理由①|フィンランド本国(ヘルシンキ)製という来歴
  4. 理由②|黄金期のデザイナーという背景
    1. アート部門とカイ・フランク
    2. カイピアイネン、プロコッペ、トムラ、ウオシッキネン
  5. 理由③|数十年前に生産を終えた名作シリーズ
  6. 理由④|手仕事と絵付け——アート部門と絵付師の手
  7. 理由⑤|活発な二次市場とコレクター需要
  8. 価格を左右するもう一つの見方——本国製・年代・状態
  9. 価格を見極める——六つの視点

1. アラビア(ARABIA)とは——1873年、ヘルシンキに生まれた窯

ヘルシンキ・アラビア地区に建つ工場の建屋。壁面に縦書きのARABIAの文字と、赤煉瓦の煙突。
ヘルシンキ・アラビア地区に建つ工場の建屋。壁面に縦書きのARABIAの文字と、赤煉瓦の煙突。(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)

アラビアが生まれたのは1873年のことです。スウェーデンの名窯ロールストランド(Rörstrand)が、ヘルシンキ郊外のトゥーコラ地区にあった「アラビア」と呼ばれる土地に、子会社として工場を設けました。ロシア市場に近いこの地から陶磁器を輸出する狙いがあり、社名も、そして工場一帯を指す地名「アラビアランタ(Arabianranta=アラビアの浜)」も、この土地の名に由来します。

その後、第一次世界大戦とフィンランド独立へと向かう流れのなかで、1916年に会社はフィンランド資本へと移りました。第二次世界大戦後の1947年から1990年までは、造船などで知られる大企業ヴァルチラ(Wärtsilä)の傘下に入り、この時期にアラビアは黄金期を迎えます。デザイン部門を軸に、数々の名作が生み出されていきました。

ヘルシンキに残るヴァルチラの社屋。1947年から1990年まで、アラビアはこの企業グループの一員。
ヘルシンキに残るヴァルチラの社屋。1947年から1990年まで、アラビアはこの企業グループの一員。(Wikimedia Commons, CC BY 4.0)

1990年にアラビアはハックマン(Hackman)へ売却され、2007年には、はさみで知られるフィスカース(Fiskars)がイッタラ・グループを買収したことで、イッタラやロールストランドとともにフィスカースの傘下へと移りました。長い年月のあいだに所有は移り変わりましたが、ヘルシンキのアラビア地区に建つ工場の建屋は、煙突とともに街のランドマークとして残されています。

2. なぜ高いのか——価値を生む五つの理由

アラビアのヴィンテージが評価される背景には、大きく五つの理由があります。まずは全体像を押さえておきましょう。

  1. 本国製という来歴——ヘルシンキのアラビア工場で焼かれた時代のもの
  2. デザイナーの仕事——カイ・フランクやカイピアイネンら、黄金期の作り手
  3. 生産終了——数十年前に姿を消し、新たに作られないシリーズ
  4. 手仕事——絵付師の手による装飾と、アート部門の実験
  5. 二次市場——北欧のオークションを中心とした、根強いコレクター需要

ひとつずつ見ていきます。

3. 理由①|フィンランド本国(ヘルシンキ)製という来歴

アラビアの価値を語るうえで、まず外せないのが「どこで作られたか」です。長いあいだ、アラビアの陶磁器はヘルシンキのアラビア地区にある本工場で焼かれてきました。しかし2016年3月18日、フィスカースはこのヘルシンキ工場での陶器生産を停止します。それ以降、アラビアの製品は主にタイとルーマニアの契約工場で作られるようになりました。製品開発やデザイン、ブランドに関わる決定はフィンランドに残されましたが、器そのものを焼く場所は、本国を離れたのです。

工場の名を受け継ぐアラビア地区(アラビアランタ)の夏。かつての工業地帯は住宅地へと姿を変えた。
工場の名を受け継ぐアラビア地区(アラビアランタ)の夏。かつての工業地帯は住宅地へと姿を変えた。(Wikimedia Commons, CC BY 2.0)

つまり、ヴィンテージとして市場に流通しているアラビアの多くは、この2016年より前に、ヘルシンキの本工場で焼かれたものです。「本国ヘルシンキ製」であることは、その一枚が黄金期からの連続した歴史のなかで生まれたことを示す来歴となり、価格にも反映されます。裏面の刻印(バックスタンプ)は、この年代や製造地を読み解く手がかりになります。刻印の変遷については、アラビアの刻印(バックスタンプ)年代別完全ガイドで詳しく解説しています。

4. 理由②|黄金期のデザイナーという背景

アラビアのヴィンテージの価格を大きく左右するのが、「誰がデザインしたか」です。ヴァルチラ傘下の時代を中心に、アラビアには才能あるデザイナーが集まり、その作品は世界中で愛されています。

アート部門とカイ・フランク

芸術監督クルト・エクホルム(左)と、若き日のカイ・フランク。器をはさんで語らう一場面。
芸術監督クルト・エクホルム(左)と、若き日のカイ・フランク。器をはさんで語らう一場面。

転機は1932年でした。クルト・エクホルム(Kurt Ekholm)が芸術監督に就任し、翌1933年にかけて、工業生産から独立したアート部門を確立します。ここは自由な制作の場であり、素材や釉薬、成形の実験が重ねられ、その成果が量産品にも還元されていきました。部門にはトイニ・ムオナ、ミカエル・シルキン、ルート・ブリュック、そして後に触れるビルガー・カイピアイネンらが集いました。

カイ・フランクの肖像。フィンランド・デザインの「良心」とも呼ばれた作り手。
カイ・フランクの肖像。フィンランド・デザインの「良心」とも呼ばれた作り手。

戦後のアラビアを象徴する存在が、カイ・フランク(Kaj Franck、1911–1989)です。1945年にアラビアへ加わり、模型デザイン部門を率いました。1953年に発表したキルタ(Kilta)は、無駄をそぎ落とした形と、組み合わせて使える発想で、北欧の器のあり方を大きく変えました。キルタは1970年代半ばに生産を終えたのち、形状や素材、製造方法を見直し、1981年にティーマ(Teema)として再構成されました。フランクはイッタラのガラス、カルティオ(Kartio)も手がけ、ルニング賞(1955年)やコンパッソ・ドーロ(1957年)など、国際的な賞にも輝きました。

黄色のティーマ。キルタの思想を受け継ぎ、形状を見直したフランクの造形。
黄色のティーマ。キルタの思想を受け継ぎ、形状を見直したフランクの造形。(Nasjonalmuseet, CC BY-SA 4.0)

カイピアイネン、プロコッペ、トムラ、ウオシッキネン

ビルガー・カイピアイネンの肖像。「ビーズの王」と呼ばれた装飾の名手。
ビルガー・カイピアイネンの肖像。「ビーズの王」と呼ばれた装飾の名手。

ビルガー・カイピアイネン(Birger Kaipiainen、1915–1988)は、1937年にアラビアのアート部門に入り、半世紀以上にわたって在籍しました。ポリオの影響で歩行に障害を抱えながら、豊かな色彩と細やかな装飾の世界を築きます。1960年のミラノ・トリエンナーレでは、ビーズをちりばめた鳥の作品でグランプリを受賞しました。彼が1969年にデザインしたパラティッシ(Paratiisi)は、アラビアを代表する絵柄として、高い人気を保っています。

アラビアのパラティッシ。果実と花、黒い実が連なるオーバルプレート。
アラビアのパラティッシ。果実と花、黒い実が連なるオーバルプレート。

当店では、1970年製と1971年製のパラティッシのオーバルプレートをご紹介しています。全面に広がる絵柄と大ぶりの形は、飾ったときにも存在感があります。→ 傑作ヴィンテージのパラティッシ1971年製オーバルプレート

絵付けに向かう二人。ライヤ・ウオシッキネン(左)とエステリ・トムラ(1957年)。
絵付けに向かう二人。ライヤ・ウオシッキネン(左)とエステリ・トムラ(1957年)。

ウラ・プロコッペ(Ulla Procopé、1921–1968)は、1948年にアラビアへ入社し、コバルトブルーの手描き装飾で知られるバレンシア(Valencia、1960年)や、茶の釉が美しいルスカ(Ruska)を生みました。工場の珪酸粉塵による珪肺症のため、47歳の若さで世を去っています。エステリ・トムラ(Esteri Tomula、1920–1998)は1947年から1984年までアラビアに在籍し、輪郭線を印刷してから色を差す技法を用いて、クロッカスやパストラーリなど、植物や自然を題材にした意匠を数多く残しました。ライヤ・ウオシッキネン(Raija Uosikkinen、1923–2004)は、フィンランドの叙事詩を題材にしたカレワラ記念プレートを1976年から手がけたことで知られます。

ウラ・プロコッペのバレンシア。コバルトブルーの手描き装飾によるデミタスカップ&ソーサー。
ウラ・プロコッペのバレンシア。コバルトブルーの手描き装飾によるデミタスカップ&ソーサー。

これらのデザイナーの名を裏面の刻印やシリーズ名から読み取れることが、アラビアのヴィンテージを選ぶ楽しみのひとつです。→ バレンシアのデミタスカップ&ソーサーカレワラ記念プレート

5. 理由③|数十年前に生産を終えた名作シリーズ

アラビアの価格を押し上げるもう一つの大きな要因が、「もう作られていない」という事実です。生産していた期間が短いシリーズほど、世に残る数が限られ、二次市場で相対的に高い値がつく傾向があります。

エステリ・トムラのクロッカス。黒い線で描かれた花の意匠が中央にひろがるプレート。
エステリ・トムラのクロッカス。黒い線で描かれた花の意匠が中央にひろがるプレート。

その代表がクロッカス(Krokus)です。トムラが手がけたこの植物模様は、1978年から1979年ごろというごく短い期間しか作られませんでした。生産期間の短さゆえに現存数が限られ、トムラの意匠のなかでもとりわけ集められるパターンとして知られます。→ クロッカス 19.5cmプレートクロッカスのティーカップ&ソーサー

グンヴォル・オリン=グロンクヴィストのコスモス。縞の釉がめぐるティーポット。
グンヴォル・オリン=グロンクヴィストのコスモス。縞の釉がめぐるティーポット。

グンヴォル・オリン=グロンクヴィスト(Gunvor Olin-Grönqvist)が手がけたコスモス(Kosmos)は、1960年代初めから1976年ごろまで作られたシリーズです。当店では、箱に眠っていた未使用のデッドストックのティーポットをご紹介しています。→ コスモスのティーポット

ロングセラーとなったシリーズにも、価値を見極める節目があります。プロコッペのバレンシアはおよそ1960年から2002年ごろまで、同じくルスカは1960年から1999年まで作られました。カイピアイネンのパラティッシは、1969年から1974年の初期生産の後、オイルショックによる不況でいったん途絶え、1988年に形を微調整して復刻されています。フランクのキルタは1970年代半ばに生産を終え、その思想を受け継ぎながら形状や素材を見直したティーマが、1981年に登場しました。こうした「いつ作られたか」の違いが、同じシリーズ名でも価値を分けるのです。

ウラ・プロコッペのルスカ。茶の釉に、縁へ向かうグラデーションが生まれたカップ&ソーサー。
ウラ・プロコッペのルスカ。茶の釉に、縁へ向かうグラデーションが生まれたカップ&ソーサー。(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)

6. 理由④|手仕事と絵付け——アート部門と絵付師の手

ろくろに向かい、器の形を挽く手仕事。工場の作業風景の一場面。
ろくろに向かい、器の形を挽く手仕事。工場の作業風景の一場面。

アラビアの器には、手仕事の痕跡が色濃く残っています。アート部門では、量産とは切り離された自由な制作が行われ、その釉薬や成形の実験が、日々の器づくりへと還元されていきました。一時はヨーロッパでも有数の規模を誇った工場で、絵付けは、手描きと、輪郭を印刷してから色を差す方法とを組み合わせて行われました。バレンシアのコバルトブルーの筆致のように、一筆ごとの表情は、量産品でありながら一枚ずつ微妙に異なります。

パラティッシの絵柄。黄色い果実と青い花、黒い実が絡み合う。
パラティッシの絵柄。黄色い果実と青い花、黒い実が絡み合う。(Wikimedia Commons, CC BY 3.0)

手描きのシリーズでは、皿の裏に、スラッシュで区切られた二組のイニシャルが記されることがあります。前者が装飾をデザインした作家、後者が実際に絵付けを担った絵付師を示すもので、一枚の器に複数の手が関わっていたことを物語ります。こうした背景を知ると、裏面を眺める時間もまた楽しくなります。

7. 理由⑤|活発な二次市場とコレクター需要

ヘルシンキのデザインミュージアム。赤煉瓦のネオゴシック建築が、フィンランド・デザインの歩みを伝える。
ヘルシンキのデザインミュージアム。赤煉瓦のネオゴシック建築が、フィンランド・デザインの歩みを伝える。(Wikimedia Commons, CC0)

アラビアの価格を支えているのは、根強いコレクター需要です。ストックホルムやヘルシンキに拠点をもつ北欧の名門オークションハウス、ブコウスキス(Bukowskis)では、アラビアの作品が陶磁器のカテゴリーに定期的に登場します。とりわけカイ・フランク、プロコッペ、カイピアイネン、トムラ、ブリュックといった作り手の作品は評価が高く、刻印やコンディション、釉薬の質、セットの揃いぐあいが値づけに影響します。

デザインミュージアムに並ぶ、20世紀初頭のアラビアの装飾花瓶。
デザインミュージアムに並ぶ、20世紀初頭のアラビアの装飾花瓶。(Wikimedia Commons, CC BY 2.0)

カイピアイネンの一点物の装飾陶は、量産品とはまた別の「装飾美術」の市場で取引され、独自の層を形づくっています。作品が美術館に収蔵され、こうしたオークションで扱われ続けていることが、アラビア全体の価値を静かに支えているのです。

8. 価格を左右するもう一つの見方——本国製・年代・状態

ここまでの五つの理由は「なぜアラビアというブランドが評価されるのか」という話でした。最後に、目の前の一枚を見極めるときの、より実践的な視点を三つに整理します。

本国ヘルシンキ製か、海外製か

前述のとおり、アラビアの陶器生産がヘルシンキの本工場で行われていたのは2016年3月までです。ヴィンテージとして流通するのは、その多くが本国製。裏面の製造地表記や刻印の様式が、本国期のものかどうかを読み解く手がかりになります。同じシリーズ名でも、本国で焼かれた時代のものと、その後に作られたものとでは、市場での扱いが変わってきます。

A級品か、2級品か

アラビアをはじめ北欧の窯では、焼き上がりの検品で、わずかな釉のムラや歪みのあるものを2級品(セカンド)として区別し、通常より安く出荷していました。当時の実用品としての流通のなごりであり、ヴィンテージ市場でもA級品と2級品では価格差が生まれます。裏面のドットや記号が、その手がかりになることがあります。

年代・状態と、揃いかどうか

同じシリーズでも、いつ作られたかによって価値は変わります。そして、コンディションはとりわけ大きな要素です。ヴィンテージには、欠け・ひび・貫入・摩耗といった経年の表情が見られることがあります。ここで、素地そのものが割れている「ひび」と、釉薬の表面に生じる網目状の細かな亀裂である「貫入(かんにゅう)」は、まったく別のものです。貫入は年月を経た器の自然な表情であり、欠陥として一括りにはできません。カップとソーサーが揃っているか、複数枚がセットで残っているかも、価値を左右します。

スパイスジャー。Kanel(シナモン)の文字と、小さな花の意匠。
スパイスジャー。Kanel(シナモン)の文字と、小さな花の意匠。

当店では、箱に収められたまま時を過ごした未使用のデッドストックのスパイスジャーもご紹介しています。壁掛けや卓上の道具として作られた小さな器は、状態のよい個体が揃って残ることが少なく、ひとつずつ表情を確かめる楽しみがあります。→ スパイスジャー Kanel(シナモン)

9. 価格を見極める——六つの視点

ライヤ・ウオシッキネンのカレワラ記念プレート。フィンランドの叙事詩の場面を描いた連作。
ライヤ・ウオシッキネンのカレワラ記念プレート。フィンランドの叙事詩の場面を描いた連作。

アラビアのヴィンテージの価格は、次の六つの視点を重ねて見ると、ぐっと理解しやすくなります。

  1. 本国製か、海外製か——ヘルシンキ本工場での生産は2016年まで
  2. A級品か、2級品か——検品段階での区別が価格差を生む
  3. 年代——いつ作られたか。刻印が手がかりになる
  4. デザイナー——誰の仕事か。フランク、カイピアイネン、プロコッペら
  5. 生産終了・生産期間——短命なシリーズほど現存数が限られる
  6. コンディション——欠け・ひび・貫入・摩耗と、セットの揃い

「古いから高い」のではなく、これらの要素が重なって、一枚の価値がかたちづくられています。→ カレワラ記念プレート

まとめ

アラビアのヴィンテージがなぜ高いのか。その答えは、1873年から続く窯の歴史と、黄金期を築いたデザイナーたち、そして数十年前に生産を終えた名作シリーズにあります。2016年に本国での陶器生産が幕を下ろしたことも、ヘルシンキ製ヴィンテージの位置づけをより際立たせました。フィンランドの光と自然を映したような色と形は、時代を経てなお、静かな存在感を放ち続けています。

夏のスオメンリンナ。城塞の石壁と芝生でくつろぐ人々。フィンランドの短い夏の光景。
夏のスオメンリンナ。城塞の石壁と芝生でくつろぐ人々。フィンランドの短い夏の光景。(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)

要点の整理

  • アラビアは1873年にヘルシンキで生まれ、1947〜1990年のヴァルチラ期に黄金期を迎えた
  • 陶器の本国生産は2016年3月に終了し、以降は主にタイ・ルーマニアで製造
  • 価値を生むのは、本国製・デザイナー・生産終了・手仕事・二次市場の五つ
  • 一枚を見極める視点は、本国製/A級品/年代/デザイナー/生産終了/コンディションの六つ

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