ヘルヤ・リウッコ=スンドストレム完全ガイド|ARABIAの陶板に自然を描き続けた54年の物語
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この記事でわかること
- ヘルヤ・リウッコ=スンドストレムの生涯と、54年に及ぶARABIAでのキャリア
- 陶板画が生まれる制作技法と、ARABIA社内で特別な扱いを受けるほどの人気
- フィンランドの草原・森・野の花から生まれた作品世界
- 日本語に翻訳された4冊の絵本と、日本との深いつながり
- Pro Finlandiaメダルに至る芸術的評価
目次
ヘルヤ・リウッコ=スンドストレムとは
フィンランドの家庭の壁に、ひとつの小さな陶板が掛かっている。そこには、野の花、ウサギ、天使、森、雪景色が描かれている。美術館の展示ケースではなく、日々の暮らしの中で見上げられてきた陶芸——それがヘルヤ・リウッコ=スンドストレムの作品です。
ヘルヤの陶板画は、難解な抽象でも、権威的なモニュメントでもありません。けれども、そこにはフィンランドの自然、静けさ、祈り、そして少しの寂しさがあります。だからこそ彼女は、後に「家庭の陶芸家」と呼ばれるほど、フィンランドの暮らしの中に深く根づいていきました。
ヘルヤ・リウッコ=スンドストレム(Heljä Liukko-Sundström, 1938–2024)は、フィンランドを代表する陶芸家です。1962年にARABIA(アラビア)のアート・デパートメント(芸術部門)に入り、2016年まで54年にわたって制作を続けました。
草原、野の花、森の動物、天使——フィンランドの自然と精神性をテーマにした陶板画(セラミック・ウォールプレート)は、フィンランドの多くの家庭の壁を彩り、ARABIA作品の中でも親しみ深い存在となりました。
陶芸家であると同時に絵本作家でもあり、11冊の絵本を出版。うち4冊は日本語に翻訳されています。2001年にはフィンランド最高の芸術賞の一つであるPro Finlandiaメダルを受賞しました。
南西フィンランドの原風景——ヴェフマーの少女時代
1938年6月15日、ヘルヤはフィンランド南西部の小さな自治体ヴェフマー(Vehmaa)に生まれました。母は教師、父は農学者。双子の兄弟と2人の妹がおり、妹たちものちにアーティストになっています。
ヴェフマーは人口わずか2,000人ほどの農村地帯です。中世の首都トゥルクに近く、群島海(Archipelago Sea)へも程近い、低地の草原と葦原が広がる土地。ヘルヤが生涯にわたって描き続けた野の花、草原、森の風景は、この幼少期の原体験に根ざしています。
工芸美術大学で学んだ陶芸の基礎
1958年に自由美術学校(Vapaa taidekoulu)で美術の基礎を学んだ後、ヘルシンキの工芸美術大学(Taideteollinen oppilaitos、現アールト大学芸術・デザイン・建築学部)に進学。1962年に陶芸専攻で卒業しました。
同校はARABIA工場の建物内に拠点を置いており、学生たちは日常的にアート・デパートメントの巨匠たちの仕事を間近に見ることができました。この環境が、卒業と同時にARABIAのアート・デパートメントに加わるという自然な流れにつながっています。
ARABIAアート・デパートメントの54年
巨匠たちの工房に加わった若き陶芸家
1962年、24歳のヘルヤはARABIAのアート・デパートメントに採用されました。当時のアート・デパートメントには、ビルガー・カイピアイネン、ルート・ブリュック、トイニ・ムオナ、アンニッキ・ホヴィサーリといった20世紀フィンランド陶芸を代表する巨匠たちが在籍していました。
ARABIAのアート・デパートメントは、量産品の製造ラインとは独立した部門です。アーティストたちは自由に実験し、一点物から限定品までを制作できる創造的自由が保障されていました。ヘルヤはこの環境で、独自の陶板画のスタイルを確立していきます。
陶板画の制作技法——濡れた粘土の上に描く
ヘルヤの陶板画の制作工程は独特です。鋳込み用の液体粘土をテーブルの上に流し込み、まだ濡れている状態の粘土の表面に直接描画します。粘土が乾燥するにつれて線は細く繊細になり、独特の柔らかな表情が生まれます。
ヘルヤの陶板画は、完成した陶器に絵を載せるだけのものではありません。まだ柔らかい粘土の状態から絵画が始まります。紙に描く絵と違い、粘土は乾き、縮み、焼成で色が変化します。つまり完成形を完全に予測できない素材です。ヘルヤの作品にある柔らかさは、この粘土と火の変化を受け入れるところから生まれています。
焼成は複数回行われ、色彩の深みと透明感が一層ずつ積み重ねられていきます。廃棄される粘土の再利用にも積極的で、素材への深い敬意がうかがえます。
完成した陶板画の特徴は、「遊び心と喜び」と「穏やかな悲しみ」が同居する表現にあります。ナイーヴ(素朴)でありながら芸術的な深みを持つ——この絶妙なバランスが、専門家にもコレクターにも愛される理由です。
ARABIA社内でも特別扱いされた人気
ヘルヤの陶板画は、フィンランドの家庭の壁を彩る存在となりました。美術館やギャラリーではなく、一般家庭のリビングに掛けられる——芸術性と親しみやすさを兼ね備えた作品です。
その人気はARABIA社内でも異例で、ヘルヤ作品の制作・展開は特別な扱いを受けるほどでした。市場資料では、需要の高まりを受けて専用の制作体制が整えられたとも説明されています。200種類以上のデザインが生み出され、ウサギ、花、天使、自然風景、教会など、多岐にわたるテーマが展開されました。
代表作——自然を閉じ込めた陶板画
ヘルヤ作品の見どころ——余白、線、静けさ
ヘルヤの陶板画を見るときは、描かれているモチーフだけでなく、余白の取り方に注目すると魅力が分かりやすくなります。花やウサギは画面いっぱいに説明的に描かれるのではなく、白い地のなかに静かに置かれています。この余白があるからこそ、草原の風、雪景色の静けさ、朝の光の気配が生まれます。
また、線は決して整いすぎていません。少し揺れ、少し滲み、そこに手仕事の温度が残っています。ヘルヤ作品の魅力は、かわいらしいモチーフと、どこか寂しさを含んだ静けさが同居しているところにあります。
四季シリーズと年次プレート
ヘルヤの陶板画のなかでも特に人気が高いのが「四季シリーズ(The Four Seasons)」です。春の芽吹き、夏の草原、秋の実り、冬の静寂——フィンランドの四季の移ろいが、1枚の陶板に凝縮されています。
年次プレートも重要な作品群です。毎年異なるテーマで制作され、コレクターの間で長年にわたって愛されました。季節の花やフィンランドの伝統行事をモチーフにしたものが多く、発売のたびに注目を集めました。
ラシコルッティ——ガラスに描いた自然
陶芸家として知られるヘルヤですが、イッタラとの協働で「ラシコルッティ(lasikortti=ガラスのポストカード)」という独自の作品群も生み出しました。小型のステンドグラス風の装飾品で、窓辺に掛けたりテーブルに飾ったりするためにデザインされたものです。
自然のモチーフと精神性をテーマにした限定シリーズとして制作され、陶板画とはまた異なる透明感のある表現で、光と色彩の新しい可能性を追求しました。
絵本作家としてのもう一つの顔
ヘルヤは陶芸家であると同時に、11冊の絵本を出版した絵本作家でもあります。1977年のデビュー作『Lempeitä satuja(やさしいおはなし)』を皮切りに、自然と動物をテーマにした温かい物語を描きました。
1981年に出版された『Jäniksenpoika(うさぎのぼうや)』は代表作の一つで、陶板画でも繰り返し描かれたウサギのモチーフが、物語のなかで生き生きと動き出します。1984年にはIBBY(国際児童図書評議会)の功績賞を受賞し、絵本作家としての国際的な評価も確立しました。
芸術的評価と受賞
ヘルヤの芸術は、フィンランド国内外で高く評価されました。主な受賞歴は以下の通りです。
- 1977年:イルム賞(Illum Award、デンマーク)——北欧デザインの優秀な才能に贈られる賞
- 1984年:IBBY(国際児童図書評議会)功績賞——絵本作家としての評価
- 1994年:芸術教授(taiteilijaprofessori)の称号——フィンランド政府が芸術家に授与する最高の称号の一つ
- 2001年:Pro Finlandiaメダル——フィンランド最高の芸術賞の一つ。フィンランド文化に顕著な貢献をした芸術家に贈られる
Pro Finlandiaメダルは、ヘルヤの作品がフィンランド文化の重要な一部として認められた証です。一般家庭の壁に掛けられる陶板画という領域で、芸術性と大衆性を両立させた功績が評価されました。
フンッピラのアトリエ——毎朝3時半から始まる創作
2003年、ヘルヤはフィンランド南部のフンッピラ(Humppila)にアトリエの建設を始めました。2005年に完成した「アトリエ・ヘルヤ(Ateljé Heljä)」は、ヘルシンキのARABIA工場とは異なる、自然に囲まれた静かな制作拠点となりました。
フンッピラはハメ地方に位置する人口約2,000人の小さな自治体です。農村の穏やかな風景が広がり、19世紀のリトグラフにも描かれた森と田園の景観は、今も大きく変わっていません。
晩年のヘルヤは、朝3時半にアトリエに入って制作を始めるほど、創作に打ち込んでいたと伝えられています。日本や中国からの遠方の来訪者がこの小さな村のアトリエを訪ねたという記録も残っています。
日本とのつながり——4冊の絵本が伝えた北欧の世界
ヘルヤと日本のつながりは、絵本を通じて築かれました。11冊の絵本のうち4冊が日本語に翻訳されています。翻訳を手がけたのは、フィンランド文学の翻訳者として知られる稲垣美晴氏です。
- 『うさぎのぼうや(Jäniksenpoika)』1983年 CMS Sony刊、2011年 Kissankieli Oy再版
- 『やさしいおはなし(Lempeitä satuja)』2014年 Kissankieli Oy刊
- 『わたしの天使(Oma enkelini)』
- 『うさぎ(Toi rusakko)』
稲垣美晴氏は著書『フィンランド語は猫の言葉』でも知られ、フィンランドと日本の文化的架け橋として重要な役割を果たしてきた翻訳者です。ヘルヤの絵本が日本語で読めるのは、この翻訳者の存在があってこそです。
フンッピラのアトリエには日本からの訪問者も訪れていました。ヘルヤの陶板画は日本の北欧ヴィンテージ市場でもコレクターズアイテムとして高い人気を持っています。フィンランドの自然を静かに描いた作品の世界観は、日本の美意識——特に自然への畏敬と「余白」の美学——と深いところで響き合っています。
なぜヘルヤは「家庭の陶芸家」と呼ばれたのか
ヘルヤの作品は、日常から遠い場所に置かれる芸術ではありませんでした。小さな陶板、ウサギ、花、天使、雪景色——どれも家庭の壁に掛けられる大きさで、暮らしの中に自然に入っていくものでした。
しかし、それは単なる可愛らしい装飾ではありません。素朴な線の奥には、フィンランドの自然、静けさ、祈り、そして少しの寂しさがあります。ヘルヤの陶板画が長く愛された理由は、芸術を日常の外に置かなかったことにあります。美術館で鑑賞するためだけでなく、朝起きて、部屋の壁で、ふと目に入るための陶芸。それがヘルヤの作品でした。
2023年回顧展「家庭の陶芸家」
2023年、ハメーンリンナ市美術館でヘルヤの大規模回顧展「Kotiemme keramiikkataiteilija(家庭の陶芸家)」が開催されました。タイトルが示す通り、ヘルヤの作品が美術館ではなく一般家庭の生活空間に存在するものとして評価されていることの証です。
ハメーンリンナはフンッピラにも近い内陸の都市で、13世紀に築かれたハメ城(Hämeen linna)がそびえる歴史ある町です。この土地で開かれた回顧展は、ヘルヤの芸術人生を総括するものとなりました。
2024年5月21日、ヘルヤはヘルシンキで85歳の生涯を閉じました。最晩年まで制作の手を止めることはなく、毎朝3時半にアトリエに入る習慣は最後まで変わりませんでした。
まとめ
ヘルヤ・リウッコ=スンドストレム(1938–2024)は、ARABIAのアート・デパートメントで54年にわたり制作を続けたフィンランドの陶芸家です。彼女の本質は、フィンランドの自然——草原、野の花、森、雪、静けさ——を、家庭の壁に届ける芸術にありました。
ヘルヤの陶板画はインテリアであり、同時に小さな芸術作品でもあります。日本でも長く人気が続いている理由は、自然へのまなざし、余白、静けさが、日本の美意識と深く響き合うためです。フィンランドの暮らしのなかから生まれた陶板画は、海を越えて、日本の家庭の壁にも自然に馴染んでいきました。
11冊の絵本のうち4冊は日本語に翻訳され、フンッピラのアトリエには日本からの訪問者も訪れました。2001年のPro Finlandiaメダルは、芸術性と大衆性を両立させたキャリアへの評価です。
朝3時半から制作を始めるほど創作に向き合い続けたヘルヤの姿は、北欧デザインの精神——静かに、誠実に、日々の暮らしに美を届ける——を体現しています。