ARABIA最盛期に焼かれた楽園 色鮮やかなオールドパラティッシ
1971年から1974年までの間に製造されたARABIA社の名器パラティッシのボウルです。Paratiisi(パラティッシ)とはフィンランド語で「楽園」の意味です。同社の代表的なデザイナーであったビルガー・カイピアイネンがデザインし、1969年に発売されました。パラティッシは制作に手間がかかるため1974年には一旦生産が中止しています。
こちらはARABIAの最盛期に製造された1971〜1974年製造のパラティッシです。バックスタンプにフィンランド語の表記があり、ロゴの左側に羽のように葉っぱが飛び出ているのが71〜74年製の特徴です。パラティッシはその希少性からヴィオラロゴが最も高価ですが、こちらのパラティッシは60年代末の初期ロットより色ツヤが優れています。製造から一定の年数を経て技術力の高まりを見せた時期の作品となり、その出来栄えはオールドパラティッシの中で最も色鮮やかで一際美しいといえます。
ARABIAはフィンランド国内の経済不況から1980年代になると主力商品でも続々と生産を中止し、簡素な装飾を施した食器が主流になっていきます。手間暇を惜しまなかった時代は1970年代前半が最後と言っても過言ではありません。ミッドセンチュリーの傑作で栄光の時代の作品です。
「装飾の王」が生んだ楽園

パラティッシをデザインしたビルガー・カイピアイネン(1915-1988)は、フィンランドが誇る「装飾の王(Koristeiden kuningas)」。青年期にポリオを患い、ろくろが使えない身体でありながら、50年以上にわたりアラビア工場で装飾芸術に人生を捧げました。
ミニマリズムが席巻する北欧デザインの潮流に、彼は真っ向から抗いました。
「装飾性は人類最古の執着である。それを去勢すれば、人間は弱者になる。私は単調さと単純化が嫌いだ」
妻の死、スミレ、そして楽園へ
1966年、カイピアイネンは最愛の妻マッギを失います。彼女の棺をブルーのスミレで覆ったその日から、スミレは彼の生涯のモチーフとなりました。
「ショパンはスミレを愛した。私はショパンを愛する」
悲しみの中で生まれたのが、200万個のセラミックビーズで構成された40平方メートルの巨大壁画「オルヴォッキメリ(すみれの海)」。1967年モントリオール万博でグランプリを受賞しました。

このオルヴォッキメリの延長線上に、1969年、パラティッシは誕生します。元の名前は「タルハ(果樹園)」。ベルギー国王ボードワン夫妻がアラビア工場を訪問した際、完成したばかりのこのデザインに一目惚れ。ファビオラ王妃が自宅用に購入を希望し、「パラティッシ(楽園)」と名付けられました。
アラビア工場 — パラティッシが生まれた場所


ヴィンテージと現行品の違い
パラティッシの生産は1969年に始まり、1974年に一度中断。1988年に復活しましたが、その際にオリジナルの楕円形プレートから丸形に変更され、素材もファイアンス陶器からヴィトロ磁器に変わりました。さらに2016年にはフィンランド工場が閉鎖され、現在はタイで製造されています。
つまり、フィンランド製のヴィンテージ・パラティッシは——特に1969〜1974年のオリジナル期のものは——カイピアイネン自身が監修した時代の、もう二度と作られることのない器です。
パラティッシのバックスタンプ(ロゴ)の変遷

■詳細スペック
- メーカー:ARABIA / アラビア
- デザイナー:Birger Kaipiainen / ビルガー・カイピアイネン
- シリーズ名:Paratiisi / パラティッシ
- 年代:1971〜1974年
- 製造国:フィンランド
- サイズ:横幅17cm 縦幅16cm 高さ5.5cm
■コンディション:★★★☆☆(3.5:良品)
ボウルの表面は光に透かすとカトラリー跡が見られ、中央付近に茶色い筋が見られます。使用感はあまりなく並品に近いコンディションです。














