エステリ・トムラ(Esteri Tomula)
エステリ・トムラ(Esteri Tomura,1920〜1998年)
フィンランド首都のヘルシンキの生まれ。大学教授だった父親がヘルシンキ北西部のウルヤラン(Urjalan)という田舎に別荘を購入し、幼少時代は毎年夏になると家族と自然豊かな別荘地で過ごしたことが彼女の自然への造詣を深めたとされる。エステリ・トムラは先天性の小人病の疾患があり、ヘルシンキのアールト芸術大学ではじめは陶芸を専攻するが体力的・身体的な理由から満足に土を扱うことが出来なかった。そのため陶芸の道を諦めてデザインに自らの専門性を求めていく。
ARABIAに入社後は終生の友となったライヤ・ウオシッキネンとともにパターンデザイナーとしての腕を磨いていく。ウオシッキネンは抽象的で幾何学的模様を好んだが、トムラは幼少期の原風景であったフィンランドの草花に自らの意匠の原点を求めている。身体的なハンディキャップをものともせず名作を生み出したトムラは、小児麻痺を患いながらも不朽の名作パラティッシをデザインしたビルガー・カイピアイネンとも相通じる面がある。