1974年、スウェーデン政府が準備したガソリン配給カード。石油危機の深刻さを物語る

石油危機が北欧食器を変えた日——1973年、黄金時代の終焉

この記事のポイント

  • 1973年、中東の戦争をきっかけに原油価格が4倍に。その衝撃は遠い北欧の食器工場にまで及んだ
  • 食器を焼くには膨大なエネルギーが必要。製造コストの約30%を占める燃料費が跳ね上がり、多くの窯が立ち行かなくなった
  • ベルサ、パラティッシ、プルーヌス——愛されてきた名作たちが1974年、一斉に姿を消した
  • スカンジナビアデザインの「黄金時代」に終止符が打たれ、工場閉鎖のドミノが始まった
  • いま手にできるヴィンテージ北欧食器は、この激動をくぐり抜けた、かけがえのない存在

目次

  1. 中東の砂漠と、北欧の窯
  2. 1973年10月——世界が変わった日
    1. ヨム・キプール戦争とOPECの「石油の武器」
    2. 原油価格4倍——300%の衝撃
    3. ヨーロッパの「車なし日曜日」
  3. 窯を焼くということ——陶磁器とエネルギーの宿命
  4. 1974年——名作が一夜にして消えた
    1. グスタフスベリ:ベルサ、プルーヌス、スピサリブの消滅
    2. アラビア:パラティッシが棚から消えた日
    3. ロールストランド:デザイナーの大量解雇と合理化の嵐
  5. ガラスの王国の黄昏——スモーランドから灯が消える
  6. 1979年——第二次オイルショック、とどめの一撃
  7. 閉鎖のドミノ——グスタフスベリからアラビアまで
  8. だからこそ、この食器には物語がある

中東の砂漠と、北欧の窯

1973年11月、石油危機による車なし日曜日で空になったオランダの高速道路
1973年11月4日、石油危機による「車なし日曜日」で完全に空になったオランダの高速道路。スウェーデンでも同年11月から翌2月まで同様の措置が実施された(Photo: Rob Mieremet / Anefo)

1973年10月、中東で戦争が始まりました。遠い砂漠の出来事は、数週間のうちにヨーロッパのガソリンスタンドから燃料を消し、高速道路から車を追い払い、そして——北欧の陶磁器工場の窯の火を脅かしました。

スティグ・リンドベリのベルサ、ビルガー・カイピアイネンのパラティッシ、マリアンヌ・ウェストマンのモナミ。1950年代から60年代にかけて花開いたスカンジナビアデザインの名作たちは、石油危機という世界史の激流に飲み込まれ、次々と生産中止に追い込まれていきます。

これは、地政学の嵐がどのようにして北欧の食卓を一変させたかという物語です。

1973年10月——世界が変わった日

ヨム・キプール戦争とOPECの「石油の武器」

1973年10月6日、エジプトとシリアがイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けました。ユダヤ教の最も神聖な祝日ヨム・キプール(贖罪の日)を狙った開戦でした。第四次中東戦争の始まりです。

戦況がイスラエル優位に傾くと、アメリカとオランダがイスラエルへの武器供与に踏み切ります。これに報復するかたちで、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は10月17日、歴史的な決断を下しました——石油を「武器」として使うことを宣言したのです。

イスラエル支援国への石油禁輸、そして毎月5%ずつの減産。冷戦の緊張が続くなか、世界のエネルギー秩序は一夜にして崩壊しました。

原油価格4倍——300%の衝撃

スウェーデンのガソリンスタンド 1974年
1970年代のスウェーデンのガソリンスタンド。石油危機はスウェーデンのエネルギー事情を一変させた(Photo: Sven-Eric Sjöström / ICA Förlaget AB)

原油価格は1バレルあたり約3ドルから約12ドルへ、わずか数か月で4倍に跳ね上がりました。300%を超える価格上昇です。

ヨーロッパへの打撃は特に深刻でした。当時、イタリアはエネルギー需要の79%を、フランスは73%を石油に依存していました。ユーロ圏のインフレ率は1972年の6.3%から1974年には13.2%へ倍増。世界経済は「スタグフレーション」と呼ばれる、物価上昇と景気後退が同時に進む未知の領域に突入しました。

ヨーロッパの「車なし日曜日」

1973年、オランダの高速道路上でピクニックをする市民
1973年11月4日、高速道路でピクニックを楽しむオランダの市民。ヨーロッパ各国で車の使用が制限された(Photo: Rob Mieremet / Anefo)

石油禁輸の全面的な対象となったオランダでは、自動車の使用を禁止する「車なし日曜日(Autoloze Zondag)」が実施されました。普段は車で溢れる高速道路の上を、市民たちがローラースケートで滑り、ピクニックシートを広げ、馬車が悠然と走る——非現実的な光景が何週にもわたって繰り広げられました。

1973年、車なし日曜日に馬車で外出するオランダ市民
1973年11月4日、「車なし日曜日」にカトウェイクの通りを馬車で行くオランダ市民(Photo: Bert Verhoeff / Anefo)
1974年、ガソリン配給制下のスウェーデンのガソリンスタンド
1974年、ガソリン配給制下のスウェーデンのガソリンスタンド。石油危機は北欧の日常風景を一変させた(Photo: Sven-Eric Sjöström / ICA Förlaget AB)

スウェーデンやフィンランドも例外ではありませんでした。スウェーデンはクローナの切り下げを余儀なくされ、フィンランドもマルッカを切り下げて対応しました。石油危機は、北欧の福祉国家モデルの根幹を揺るがしたのです。

1974年スウェーデンのガソリン配給カード
1974年1月、スウェーデン政府が発行したガソリン配給カード。石油危機を受け、1台あたり月80リットルの配給制が実施された
スウェーデン政府の石油危機キャンペーンポスター「OLJEKRIS」
スウェーデン政府のエネルギー節約委員会が発行したポスター「OLJEKRIS(石油危機)」。「燃費よく運転を。制限速度を守って。冷水で済むときは温水を使わないで。入浴よりシャワーを」——国民の日常にまで踏み込んだ節約が求められた(Photo: Riksarkivet)

窯を焼くということ——陶磁器とエネルギーの宿命

磁器窯の構造図
19世紀フランス・セーヴル製磁所の磁器窯の構造図。陶磁器の焼成には膨大なエネルギーが必要とされる

なぜ石油危機が、はるか遠い北欧の食器工場をこれほど直撃したのか。その答えは、陶磁器の製造原価の約30%がエネルギーコストであるという事実にあります。

陶磁器は1,200度前後の高温で焼成されます。この焼成工程だけで、工場が消費する全エネルギーの55%が費やされます。しかも窯の熱効率はわずか約7%——投入した燃料のほとんどは排熱として失われるのです。

原油価格が4倍になれば、製造原価の30%が一気に4倍。計算上、製造コストは約90%跳ね上がることになります。利益率の薄い日用食器にとって、これは事実上の死刑宣告でした。

1974年——名作が一夜にして消えた

グスタフスベリ:ベルサ、プルーヌス、スピサリブの消滅

1973年5月のグスタフスベリ
1973年5月8日のグスタフスベリ。石油危機の嵐が訪れるわずか5か月前の穏やかな風景(Photo: Szilas / CC BY 4.0)

スウェーデンのグスタフスベリでは、1974年に信じがたい事態が起きました。スティグ・リンドベリが手がけた主力シリーズが一斉に生産中止になったのです。

1974年に廃盤となったグスタフスベリのシリーズ

シリーズ名 デザイナー 生産年
ベルサ ベルサ(Bersa) スティグ・リンドベリ 1961-1974
スピサリブ スピサリブ(Spisa Ribb) スティグ・リンドベリ 1955-1974
プルーヌス プルーヌス(Prunus) スティグ・リンドベリ 1962-1974
アスター アスター(Aster) スティグ・リンドベリ 1972-1974
グスタフスベリ ベルサのソースポット
グスタフスベリ ベルサ(Bersa)のソースポット。石油危機がなければ、この名作はもっと長く作り続けられていたかもしれない
グスタフスベリ プルーヌスの21cmプレート
グスタフスベリ プルーヌス(Prunus)の21cmプレート。ベルサと同じ1974年に生産を終えた、リンドベリの繊細な梅の花のシリーズ

ベルサはわずか13年、アスターに至ってはたった2年で生産を終えています。いずれも手作業の工程を多く含む装飾的なシリーズであり、エネルギーコストの高騰のもとでは採算が取れなくなったのです。

【ヴィンテージ】グスタフスベリ Bersa(ベルサ)シュガーポット フタなし

リンドベリは1978年にアートディレクターを退任し、1980年にグスタフスベリを完全に去りました。自らが生み出した名作シリーズが次々と姿を消していく工場に、居場所はもうなかったのかもしれません。

アラビア:パラティッシが棚から消えた日

1965年、ヘルシンキ・トウコラ地区のアラビア工場群の航空写真
1965年、全盛期のアラビア工場群。ヘルシンキ・トウコラ地区に広がるヨーロッパ最大級の磁器工場には1,500人以上が働いていた(Photo: SKY-FOTO Moller / CC BY-SA 4.0)

フィンランドのアラビアでも、石油危機は容赦なく襲いかかりました。ヘルシンキ・トウコラ地区に広がるヨーロッパ最大級の磁器工場は、1,500人以上の従業員を抱えていましたが、エネルギーコストの高騰と安価な輸入品の流入によって経営が急速に悪化します。

アラビア バレンシアのプレート
アラビア バレンシア(Valencia)の19.5cmプレート。コバルトブルーの手描き模様は、まさに石油危機で危機に瀕した「手仕事の伝統」の結晶

石油危機前後に廃盤となったアラビアのシリーズ

1974年を境に、アラビアでは40を超えるシリーズが生産を終えた。以下はその主要なものである。

── 1974年:石油危機の直撃 ──

シリーズ デザイナー 生産年 備考
キルタ キルタ(Kilta) カイ・フランク 1952-1974 2,500万個以上販売。1981年テーマとして復刻
パラティッシ パラティッシ(Paratiisi) ビルガー・カイピアイネン 1969-1974 1988年復刻。現行品あり
アピラ アピラ(Apila) ビルガー・カイピアイネン 1970-1974 クローバー柄。2006年復刻
スンヌンタイ スンヌンタイ(Sunnuntai) ビルガー・カイピアイネン 1971-1974 黄色花柄。2019年復刻
アータミ アータミ(Aatami) ビルガー・カイピアイネン 1970-1974 黄色単色のBKモデル
ロスマリン ロスマリン(Rosmarin) ウラ・プロコッペ 1961-1974 手描き縞模様
プリマヴェーラ プリマヴェーラ(Primavera) エステリ・トムラ 1970-1974 手描き
ピッツィ ピッツィ(Pitsi) ライヤ・ウオシッキネン 1967-1974 手描き/印刷
コルピ コルピ(Korpi) ヨーラン・ベック 1973-1974 わずか1年で廃盤。極めて希少

── 1975-1976年:手描きの伝統が途絶える ──

シリーズ デザイナー 生産年 備考
フラクタス フラクタス(Fructus) グンヴァル・オリン=グルンクヴィスト 1960-1975 手描きの果実柄
アリ アリ(Ali) ライヤ・ウオシッキネン 1964-1975 アラビア最後の銅版転写
ポモナ ポモナ(Pomona) ライヤ・ウオシッキネン 1965-1975 手描きのジャム瓶
コスモス コスモス(Kosmos) グンヴァル・オリン=グルンクヴィスト 1964-1976 手描き。色の個体差が魅力
アネモネ アネモネ(Anemone) ウラ・プロコッペ(形状) 1964-1976 手描きの花柄
サーラ サーラ(Saara) アニヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト 1971-1976 手描きの花柄
カルタノ カルタノ(Kartano) エステリ・トムラ 1973-1976 手描き水玉

── 1977-1981年:合理化の波 ──

シリーズ デザイナー 生産年 備考
リエッキ リエッキ(Liekki) ウラ・プロコッペ 1957-1978 耐火ストーンウェア
マルヴァ マルヴァ(Malva) エステリ・トムラ 1964-1979 手描き花柄
メリ メリ(Meri) ウラ・プロコッペ(1967年デザイン) 1976-1979 ターコイズ釉薬。プロコッペ死後に量産開始
ファエンツァ ファエンツァ(Faenza) ペーテル・ヴィンクヴィスト(形状) 1973-1979 ステンシル装飾
キルシッカ キルシッカ(Kirsikka) インケリ・レイヴォ 1975-1979 サクランボ柄
クロッカス クロッカス(Krokus) エステリ・トムラ 1978-1979 ステンシル。わずか1年
フローラ フローラ(Flora) エステリ・トムラ 1979-1981 ステンシル。春の花柄

※ このほか、エステリ・トムラの短命シリーズ(アーム、エルサ、イリナ、ミラ、ヴァナモ等)を含めると、1970年代に廃盤となったシリーズは40を超える

1971年製 アラビア パラティッシ オーバルプレート
1971年製 アラビア パラティッシ(Paratiisi)のオーバルプレート。石油危機の3年前に生産されたオリジナル版。わずか5年で廃盤に追い込まれた

とりわけ象徴的だったのが、ビルガー・カイピアイネンの最高傑作パラティッシの1974年の廃盤です。「生産の再編成」——石油危機が直接の原因と記録されています。わずか5年で姿を消したパラティッシは、1988年に復刻されるまで14年間もの空白を経験することになりました。

1971年製 ARABIA(アラビア)パラティッシ(Paratiisi)オーバルプレート25cm 1
1956年、アラビア工場のアトリエで作業する陶芸家エルサ・エレニウス
1956年、アラビア工場のアトリエで作業する陶芸家エルサ・エレニウス。石油危機以前のアラビアには、こうした手仕事の伝統が脈々と息づいていた(Photo: ヘルシンキ市立博物館 / CC BY 4.0)

石油危機は、アラビアが誇る手描きの伝統をも脅かしました。コストのかかる手作業の工程は合理化の対象となり、大量生産への転換が加速していきます。人員は削減され、製品ラインは縮小されました。1975年から1977年にかけては、かつてのライバルであるロールストランドとマーケティング協業を組まざるを得ないほど追い詰められたのです。

ロールストランド:デザイナーの大量解雇と合理化の嵐

1896年のロールストランド磁器工場
1896年のストックホルム・ロールストランド磁器工場。1726年創業のヨーロッパで2番目に古い陶磁器ブランドは、石油危機の時代に存亡の危機に立たされた(ストックホルム市立博物館所蔵)

ロールストランドの苦境は、石油危機の前から始まっていました。1964年にウプサラ・エクビーに買収されると、新型機械の導入と引き換えに大規模な人員削減が進みます。

1971年には約200人の従業員が一斉に解雇されました。解雇の対象にはすべてのデザイナーが含まれていました。なかでも衝撃的だったのは、マリアンヌ・ウェストマンの解雇です。彼女はロールストランドの売上の45%をたった一人で支えていたにもかかわらず、合理化の波に呑まれたのです。

ロールストランド モナミのコーヒーカップ・トリオ
ロールストランド モナミ(Mon Amie)BVモデルのコーヒーカップ・トリオ。デザイナーのウェストマンが解雇された後も、モナミは1987年まで生産が続いた

石油危機はこの傷口にさらに塩を塗りました。エネルギーコストの高騰と安価な外国製品との競争に耐えきれず、親会社ウプサラ・エクビーは1973年にアート陶器の生産を停止。1978年にはセラミックス工場が閉鎖され、グループは事実上崩壊しました。1726年創業、ヨーロッパで2番目に古い陶磁器ブランドの命運は、風前の灯となったのです。

【ヴィンテージ】ロールストランド モナミ(Mon Amie)17cmプレート ケーキ皿

ガラスの王国の黄昏——スモーランドから灯が消える

スモーランドのガラス吹き職人
スウェーデン・スモーランド地方、ベルグダーラ・ガラス工場でのガラス吹き。炉の前に立つ職人の姿は、エネルギー集約型産業としてのガラス製造を象徴している(Photo: Mogens Engelund / CC BY-SA 3.0)

陶磁器と並んで深刻な打撃を受けたのが、スウェーデンのガラス産業です。

スモーランド地方には「ガラスの王国(Glasriket)」と呼ばれる一帯があり、最盛期には約60ものガラス工場が炉の火を燃やしていました。コスタ、ボダ、オレフォス、アフォス——北欧ガラスの黄金時代を支えた名だたる工場が、この森深い地方に集中していたのです。

しかし石油危機は、ガラス溶解炉という最もエネルギーを大量に消費する設備を直撃しました。安価な外国製品との競争も激化し、小規模な工場は次々と姿を消していきます。1976年には経営難のコスタ、ボダ、アフォスの3社が合併を余儀なくされ、「コスタ・ボダ」が誕生しました。これは輝かしい統合ではなく、生存のための結合でした。

イッタラ工場でのタピオ・ヴィルカラ
イッタラ・ガラス工場で作業するタピオ・ヴィルカラ(1950-60年代)。石油危機前の工場では、巨匠デザイナーとガラス吹き職人が肩を並べて創作に打ち込んでいた(Photo: フィンランド文化遺産庁 / CC BY 4.0)

フィンランドでも、イッタラは石油危機により「事業を縮小せざるを得なかった」と記録されています。スモーランドのガラス工場は最盛期の約60か所から、現在はわずか13〜15か所。実に75%以上が姿を消しました。

スウェーデンの省エネキャンペーンポスター「Spar energi - det tjänar du på」
1975年、「エネルギーを節約しよう――それはあなたのためになる(Spar energi - det tjanar du pa)」。スウェーデン政府による省エネキャンペーンのポスター。石油危機は北欧の暮らしを根本から変えた(Photo: Riksarkivet)

石油危機を生き延びた北欧食器を見る

当店ではこの時代のヴィンテージを多数取り揃えています

1979年——第二次オイルショック、とどめの一撃

傷が癒えぬうちに、1979年、イラン革命をきっかけに第二次オイルショックが発生しました。原油価格は再び急騰し、ようやく持ち直しかけていた北欧の製造業に追い打ちをかけます。

スウェーデンはクローナを1981年に10%、翌1982年にはさらに16%切り下げるという異例の対応を迫られました。

この二度目の衝撃は、すでに弱体化していた北欧の窯業・ガラス産業にとって、文字通り「とどめの一撃」となりました。1970年代前半にかろうじて生き残ったシリーズや工場も、1980年代に入ると次々と姿を消していきます。

閉鎖のドミノ——グスタフスベリからアラビアまで

2015年、解体されるグスタフスベリ工場
2015年4月、再開発のため解体される旧グスタフスベリ工場。約170年にわたって磁器を焼き続けた窯の跡地は、住宅地へと姿を変えた(Photo: Niklas Henriksson / CC BY-SA 4.0)

石油危機が引き金を引いた工場閉鎖のドミノは、その後40年以上にわたって続きました。

北欧陶磁器・ガラス工場 閉鎖の年表

出来事
1973年 ウプサラ・エクビー、アート陶器の生産を停止
1974年 グスタフスベリ、主力シリーズを一斉廃盤。アラビア、パラティッシ廃盤
1978年 ウプサラ・エクビー、セラミックス工場を閉鎖
1987年 グスタフスベリ、家庭用磁器部門をフィンランドのヴァルチラに売却。生産停止
1990年 ハックマンがアラビア、イッタラ、ロールストランドなどを取得
1993年 グスタフスベリ、大規模生産を停止。1996年に従業員が経営権を買い戻し、食器生産を再開
2005年 ロールストランド、リードヒェーピング工場閉鎖(スウェーデン国内での生産終了)
2007年 フィスカースがイッタラグループを買収。全ブランドがひとつの傘の下に
2016年 アラビア、ヘルシンキ工場閉鎖(130人中120人が失職)
フィスカース村の時計塔
フィンランド・フィスカース村の時計塔。1649年創業のフィスカースは、2007年にアラビア、イッタラ、ロールストランドなど北欧の主要ブランドを統合した(Photo: Jaakko.kulta / CC BY-SA 4.0)

かつては独立した誇り高き窯であったグスタフスベリ、アラビア、ロールストランド、イッタラ。これらはすべて、最終的にフィスカースグループというひとつの傘の下に統合されました。ブランド名こそ残りましたが、北欧の土地で北欧の職人が焼く食器は、もうほとんど存在しません。

だからこそ、この食器には物語がある

グスタフスベリ港と旧工場地帯
2010年3月、グスタフスベリ港と旧工場地帯の風景。かつて煙突が立ち並んだ一帯は、静かな住宅地に変わりつつある

1973年の石油危機は、1950年代から60年代にかけて花開いた「スカンジナビアデザインの黄金時代」を不可逆的に終わらせました。ミラノ・トリエンナーレで世界を驚かせた北欧デザインの創造力は、地政学の激流と経済の構造変化のなかで静かに息を引き取ったのです。

しかし、だからこそ——この時代に北欧の職人たちが手で作り、北欧の窯で焼いた食器には、かけがえのない価値があります。

ベルサの鮮やかな緑の葉は、1974年以降二度と新しくは生まれていません。パラティッシのオリジナル版は5年間しか作られませんでした。バレンシアのコバルトブルーの手描き模様は、一枚一枚が異なる表情を持っています。これらはすべて、石油危機という世界史の嵐を生き延びた「有限の遺産」です。

わたしたちがヴィンテージ北欧食器を手に取るとき、そこには中東の戦火、OPECの決断、ヨーロッパの経済危機、そしてそれでもなお美しいものを作り続けようとした北欧の職人たちの意志が、静かに宿っています。

当店では、石油危機以前に北欧の職人たちが手で作り、北欧の窯で焼いた食器を、スウェーデンとフィンランドから直接買い付けています。一点一点のコンディションを丁寧に確認し、その歴史とともにお届けしています。

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まとめ

  • 1973年のヨム・キプール戦争をきっかけにOPECが石油禁輸を発動。原油価格は4倍に高騰した
  • 陶磁器の製造原価の約30%がエネルギーコスト。価格の4倍化は製造コストを約90%押し上げ、多くの工場が採算を維持できなくなった
  • 1974年、グスタフスベリではベルサ、プルーヌスなどの主力シリーズが一斉廃盤。アラビアではパラティッシが廃盤に
  • スモーランドの「ガラスの王国」では工場の75%以上が閉鎖された
  • 石油危機が引き金となった工場閉鎖の連鎖は40年以上続き、2016年のアラビア・ヘルシンキ工場閉鎖まで至った
  • ヴィンテージ北欧食器は、この激動を生き延びた「有限の遺産」である

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