ボーンチャイナとは|なぜ牛の骨で器をつくるのか——イギリスで生まれた「骨の磁器」とグスタフスベリ
北欧食器タックショミュッケ編集部スウェーデン・フィンランドから北欧ヴィンテージ食器を直接買い付け、1,000点以上を検品してきた当店が、一次情報と実物の観察にもとづいて執筆・編集しています。
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「ボーンチャイナ」は、白く薄い洋食器の呼び名としてよく耳にする言葉です。名前のボーン(bone)は英語で「骨」のことで、その名のとおり、素地には本当に骨が入っています。伝統的な配合では、素地のおよそ半分が、牛の骨を焼いてつくった灰です。
家畜の骨という、器とは縁のなさそうなものを、なぜ磁器に混ぜることになったのでしょうか。この記事では、骨が素地になるまでの工程と、18世紀のイギリスで骨灰が磁器に入った経緯、そしてその素地が北欧のグスタフスベリ(Gustavsberg)に根づくまでをたどります。北欧ヴィンテージ食器の裏に記された「Benporslin」という文字の意味も、ここで紹介します。
この記事でわかること
- ボーンチャイナに入っている骨の割合と、英国での定義
- 骨灰のつくり方と、牛の脚の骨が選ばれた理由
- 磁器の原料を持たなかった18世紀のイギリスで、骨が素地に入った経緯
- 北欧の器の裏にある「Benporslin」と「B」の表示の意味
目次
ボーンチャイナとは——本当に骨が入った「骨の磁器」
ボーンチャイナ(bone china)は、焼いた動物の骨の灰、つまり骨灰(こつばい)を素地にたっぷり混ぜてつくる磁器です。英語のチャイナ(china)は磁器のことなので、名前は文字どおり「骨の磁器」という意味になります。
伝統的な配合は、骨灰が50%、陶土(カオリン)が25%、陶石が25%です。陶土は白く焼き上がる粘土、陶石は長石を含む石で、どちらも磁器の基本の原料です。そこへ骨灰を同じ量だけ足すので、素地の半分を骨が占めることになります。
ふつうの磁器は、陶土や陶石、長石といった鉱物だけで素地をつくります。ボーンチャイナは、そこに動物由来の材料を大量に加える点で、ほかの磁器と大きく違います。骨灰の主成分は、リン酸カルシウムです。
英国の陶磁器業界は、焼いた動物の骨、またはリン酸カルシウムに由来するリン酸塩を30%以上含み、光を通す素地をボーンチャイナと定めています。1990年代からは、骨灰の代わりに岩石からとったリン酸カルシウムを使う例も増えました。陶器・磁器・炻器という、やきもの全体の分け方は北欧食器の素材ガイドで紹介しています。
骨はどう素地になるのか——牛の骨から骨灰へ
骨灰は、骨をそのまま挽いた粉ではありません。まず動物の骨を、圧力をかけた熱湯で処理して、ゼラチンやコラーゲンなどの有機物を抜きます。有機物を抜くこの工程を、脱膠(だっこう)といいます。膠(にかわ)は、動物の骨や皮を煮出してとるゼラチン質の接着剤のことです。次に約1000℃で焼いて、残った有機物を燃やすと、白い灰が残ります。焼き上がった骨は砕かれ、陶土や陶石と合わせて、水とともに細かく挽かれます。
こうしてできた骨灰は、およそ8割がリン酸カルシウムで、ほかに炭酸カルシウムと少量のフッ化物を含みます。原料には伝統的に牛の骨が使われてきました。牛の骨は鉄分が少なく、鉄分は焼くと素地を色づかせるためです。どの骨がよいかは、このあと紹介するスポードの窯の覚え書きにも具体的に書かれています。
骨灰を含む素地の器と、長石と石英を含む長石陶器との手触りの違いは、長石陶器の記事で扱っています。
磁器の原料を持たなかったイギリス——ボウ窯と骨灰
窯ごとに工夫された軟質磁器
中国の磁器のような白く硬い器、つまり硬質磁器をつくるには、陶土と陶石が欠かせません。ところが1740年代後半から1760年代にかけて、イギリスの窯はこの二つの原料を手に入れられずにいました。
そこでイギリスの窯は、それぞれに配合を工夫して、さまざまな軟質磁器をつくりました。骨を素地に入れたのも、そうした試みのひとつでした。

画家と商人が興したボウ窯
ロンドン東部、リー川のほとりにあったボウ窯(Bow)は、画家のトーマス・フライ(Thomas Frye)と、商人のエドワード・ヘイリン(Edward Heylyn)が興した窯です。フライはアイルランド生まれの肖像画家で、メゾチントの版画家としてもロンドンで活動しました。二人は1744年に最初の特許を出し、1749/50年に2度目の特許を出しました。ボウ窯は「ニュー・カントン(New Canton)」とも呼ばれました。カントンは、中国の広州の英語名です。

ボウ窯の素地には、当時「virgin earth(処女土)」と呼ばれた材料が使われました。その正体は、焼いた骨の灰、つまりリン酸カルシウムです。骨灰を含むボウ窯の初期の軟質磁器は、のちのボーンチャイナの先駆けになりました。

ボウ窯の器には、岩や菊、鶉(うずら)と牡丹といった東洋風の絵柄が並びます。

スポードの配合——硬質磁器の原料に骨灰を足す
クックワージーの特許と、その期限
陶土と陶石は、イギリス国内にもありました。二つの原料をコーンウォールで見つけたウィリアム・クックワージー(William Cookworthy)は、1768年、陶土と陶石で硬質磁器をつくる特許を取ります。はじめはプリマスで窯を開き、1770年までにブリストルへ移りました。

コーンウォールはイギリス南西部の半島です。ここで採れる陶土と陶石は、のちにボーンチャイナの素地の残り半分を受け持つことになります。

プリマスとブリストルの窯は、この陶土と陶石で硬質磁器を焼きました。イギリスの土から、中国の磁器と同じ原料による白い器が生まれたことになります。

1773年、クックワージーは特許の権利をリチャード・チャンピオン(Richard Champion)に売り、チャンピオンは特許を1796年まで延ばしました。特許が切れるまで、陶土と陶石で磁器をつくれるのは、特許の権利を持つ者に限られていました。

特許が切れる前の数年間、多くの窯が、白くしっかりした磁器を安定してつくれる配合を探していました。1796年に特許が切れて、ようやく誰もが陶土と陶石を使えるようになります。
スポード父子と骨灰50%の配合
特許が切れた原料に骨灰を合わせ、ボーンチャイナを世に出したのが、イングランド中部ストークの窯元スポード(Spode)です。ジョサイア・スポード1世(Josiah Spode)は1797年に急死し、息子のスポード2世が父の仕事を引き継ぎました。2世は1800年までに、ボーンチャイナを売り出しています。

2世の配合は、陶土25%、陶石25%、焼いた骨50%でした。硬質磁器の原料である陶土と陶石に、ボウ窯でも使われた骨灰を足した組み合わせです。骨灰に含まれるリン酸の性質は、硬質磁器のガラスのような灰色がかった白い素地に、温かみを加えました。この配合が、のちのボーンチャイナの基本になりました。

スポードの初期のボーンチャイナには、「Stoke China(ストークの磁器)」と刻まれたものがあります。冒頭の皿は、1815年ごろのスポードのボーンチャイナです。裏には、赤で「Spode」の銘が書き入れられています。

白く、いつもの窯で焼ける素地
スポードのボーンチャイナは白く、光を通し、スタッフォードシャーの窯で昔から続く焼き方のまま、安定して焼き上がりました。中国の硬質磁器とは違い、陶器と同じように、まず素焼きをしてから釉薬をかけて焼く手順でつくることができたため、窯を焚く職人を新たに仕込み直す必要もありませんでした。
ストークの一帯は、もともと陶器の窯が集まる土地です。その窯と職人の手順のまま、白い磁器を焼けるようになりました。純白さとつくりやすさから、ボーンチャイナはまもなくイギリスの標準の磁器になりました。

骨は牛の脚から
スポードは、素地の半分を占める骨そのものも吟味していました。スポードの資料に残る覚え書きには、使うのにもっともよいのは雄牛と雌牛の脚の骨で、馬の骨は決して使ってはならない、馬の骨は目が粗く海綿のようだが、牛の骨は詰まっているから、と書かれています。
二つの流れが一つの配合に
ボーンチャイナには、二つの流れが合わさっています。一つは、原料を持たないイギリスで、骨灰を素地に入れたボウ窯の試みです。もう一つは、クックワージーがコーンウォールで見つけ、特許に守られて長く自由に使えなかった陶土と陶石です。1796年に特許が切れたあと、スポードは陶土と陶石に骨灰を合わせ、一つの配合にまとめました。
骨灰はボウ窯の軟質磁器に使われ、スポードの配合では素地の半分を占める材料になりました。骨を器に混ぜるという一見奇妙な発想は、磁器の原料を持たなかったイギリスの窯が、配合を探るなかで取り入れたものでした。
スポードは、柳と反り橋の青い柄「ウィロー・パターン」を生んだ窯としても知られます。この柄が北欧の窯の目録にも並んだいきさつは、北欧デザインの食器の始まりをたどる記事で紹介しています。
北欧のボーンチャイナ——グスタフスベリのbenporslin
イギリスで生まれたこの素地は、19世紀のうちに北欧へ渡りました。北欧でこの素地を手がけた窯の一つが、ストックホルムの東、ヴェルムドーの島にあるスウェーデンのグスタフスベリです。この窯の裏の錨のマークも、もとはイギリスの磁器工場にならって採り入れた印でした。グスタフスベリは1854年に品質を高めたフリント陶器を売り出し、その10年後の1864年に、ボーンチャイナの製造を始めました。
スウェーデン語ではボーンチャイナをbenporslinといいます。ben(ベーン)は骨、porslin(ポシュリーン)は磁器で、英語と同じく「骨の磁器」という意味です。窯の歩み全体はグスタフスベリの総合ガイドをご覧ください。

裏の「Benporslin」と「B」
北欧の器の裏に「Benporslin」とあれば、その器はボーンチャイナです。1951年から1973年まで活動したスウェーデンの商品表示の機関(VDN)の表示では、素材をアルファベット1文字で示し、ボーンチャイナは「B」でした。「VDN B555」のように、Bのあとに数字が続きます。数字の読み方はVDNマークのガイドで解説しています。

VDNの文字は、1973年よりあとにつくられた品の裏に残っていることもあります。下の裏印は、グスタフスベリの150年を記念して1975年につくられた器のものです。

スティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)のベルサ(Berså)のヴィンテージにも、ボーンチャイナのものがあります。当店のベルサのコーヒーカップ&ソーサーも、ソーサーの裏に「B555」「Benporslin」の表示が入った一客です。ヴィンテージのベルサには長石陶器(フリント陶器)のものもあり、裏の文字で素材を見分けます。

北欧でただ一つだったボーンチャイナ工場
グスタフスベリの窯は、のちに縮小と再出発を経験します。その後の工場を担ったHPFは、北欧でただ一つのボーンチャイナの製造工場でした。当時の公式サイトによると、素地はイギリスで調合されたものを買い入れ、骨灰の割合は45%をわずかに上回っていました。工場が閉鎖から立ち直るまでのいきさつはグスタフスベリの閉鎖と復活で紹介しています。
この工場で復刻されたアダム(Adam)やプルーヌス(Prunus)、ベルサも、素地はボーンチャイナです。18世紀のロンドンで始まった骨の素地は、こうしてストックホルムの群島の窯にまで届きました。

まとめ
ボーンチャイナの「ボーン」は、たとえではなく骨そのものです。磁器の原料を持たなかった18世紀のイギリスで、ボウ窯は焼いた骨の灰を素地に混ぜました。特許が切れて陶土と陶石が使えるようになると、スポードがそこへ骨灰を合わせ、骨灰50%の配合を完成させます。その素地は北欧にも渡り、グスタフスベリは1864年からbenporslinをつくりました。
骨ははじめ、原料のそろわない窯が配合を探るなかで素地に加えた材料でした。それがスポードの配合で素地の半分を占めるまでになり、北欧の器の裏に記された「Benporslin」の一語にまで続いています。白い一客の裏にこの文字があれば、その一語の向こうに、ロンドンの川べりの窯から始まった道のりがあります。
要点の整理
- ボーンチャイナ――焼いた骨の灰を素地に混ぜた磁器。伝統的な配合は骨灰50%・陶土25%・陶石25%
- 骨灰――動物の骨(伝統的には牛の骨)から有機物を抜き、約1000℃で焼いたもの。およそ8割がリン酸カルシウム
- ボウ窯――陶土と陶石を持たなかったイギリスで、骨灰を素地に入れたロンドンの窯。のちのボーンチャイナの先駆け
- スポード――特許が切れた陶土と陶石に骨灰を合わせ、1800年までにボーンチャイナを売り出した
- グスタフスベリ――1864年にボーンチャイナ(benporslin)の製造を始めた。VDNの表示ではボーンチャイナは「B」
参考資料
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