ARABIAのスパイスジャー・キャニスター完全ガイド|量り売り時代の北欧の台所と、スウェーデン語が並ぶ貯蔵瓶

ARABIAのスパイスジャー・キャニスター完全ガイド|量り売り時代の北欧の台所と、スウェーデン語が並ぶ貯蔵瓶

北欧食器タックショミュッケ編集部

クリーム色の陶の肌に、淡いピンクの花と黒い葉が映えます。正面には「Socker(砂糖)」「Kanel(シナモン)」——スウェーデン語の品名が、飾り文字で記されています。ARABIA(アラビア)が20世紀前半に手がけた、台所の貯蔵瓶たちです。

冷蔵庫も、包装済みの食品もなかった時代、北欧の台所では、小麦粉や砂糖、香辛料を納めるための瓶が、棚と壁に整然と並んでいました。スパイスジャー、キャニスター、壁掛けの粉入れ——それらは日々の営みを支えた道具であると同時に、台所という空間を彩る「そろいの器」でもありました。

この記事では、北欧の量り売りの時代からセルフサービスの登場まで、貯蔵瓶が生きた文化の歴史をたどりながら、フィンランドの器になぜスウェーデン語が並ぶのかという謎、ARABIAの貯蔵ジャーの系譜、そして当店に届いた11点のシリーズをご紹介します。

この記事でわかること

  • 北欧の台所でスパイスジャー・キャニスターが必需品だった理由(量り売りの時代)
  • フィンランド製のARABIAの器にスウェーデン語が記されている背景
  • ARABIAの貯蔵ジャーの系譜——19世紀末の白釉ジャーから1930〜40年代のセットまで
  • 煙突マーク(1932〜1949年)による年代の読み方と、当店在庫11点の詳細

目次

  1. スパイスジャー・キャニスターとは——台所の棚と壁を飾った貯蔵瓶
  2. 量り売りの時代——貯蔵瓶が必需品だった理由
  3. なぜスウェーデン語?——二言語国家フィンランドの器
  4. ARABIAの貯蔵ジャーの系譜——19世紀末から
  5. 1930年代のARABIA——トンネル窯の時代
  6. 当店のスパイスジャー・キャニスター——全11点
  7. 観賞用として飾る——コンディションと保存
  8. まとめ

スパイスジャー・キャニスターとは——台所の棚と壁を飾った貯蔵瓶

スパイスジャー(香辛料入れ)とキャニスター(貯蔵缶)は、食品を種類ごとに納めておくための蓋つきの容器です。北欧では19世紀後半から20世紀中頃にかけて、陶製のそろいの貯蔵瓶セットが家庭の台所の標準的な設えでした。正面に品名が記され、どの瓶に何が入っているかがひと目でわかる——機能と装飾をかねた、台所の顔ともいえる存在です。

ARABIA スパイスキャニスター Socker 砂糖
ARABIAのスパイスキャニスター。正面にスウェーデン語で「Socker(砂糖)」の飾り文字(当店在庫)

三つのかたち——大型キャニスター・小型ジャー・壁掛け型

北欧の貯蔵瓶セットは、おおむね三つのかたちで構成されていました。小麦粉・砂糖・穀物など、かさのある主要な食材を納める大型のキャニスター。胡椒やシナモンなど、少量ずつ扱う香辛料のための小型のジャー。そして、壁に掛けて手の届きやすい場所に置く壁掛け型の容器です。

この三分構成は博物館の収蔵品でも確認できます。ヘルシンキ市博物館には、ARABIAが1930〜40年代に製造したプラム柄のジャー一式が収蔵されており、砂糖用の缶、シナモン用の缶、そして背面が高く立ち上がり吊り下げ用の穴と木の蓋を持つ壁掛け型の塩入れがそろっています。この壁掛け型の塩入れは、博物館の目録で「サルッカリ(salkkari)」の名で記録されています。

北欧の小麦粉用・スパイス用貯蔵容器のセット
ノルウェー語の品名が記された小麦粉用・香辛料用の貯蔵壺のセット。大小のそろいを基本とする北欧の貯蔵容器の一例(画像:Ssu/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0)

古写真にみる北欧の台所

20世紀初頭のフィンランドの台所を写した古写真には、棚に並ぶ器や容器の姿が残っています。飾り気のない板張りの空間に、白い陶の器が整然と並ぶ——貯蔵瓶が生きていたのは、こうした風景の中でした。

1909年、ヘルシンキの家庭の台所
1909年、ヘルシンキ・ウニオニンカトゥのファルティン家の台所。20世紀初頭の家庭の台所の記録(画像:Artur Faltin/フィンランド遺産庁/CC BY 4.0)
1927年、フィンランドの台所のテーブルとコーヒーカップ
1927年、ラッシラ家の台所のテーブルに並ぶコーヒーカップ。戦前のフィンランドの台所と器の風景(画像:Aino Oksanen/フィンランド遺産庁/CC BY 4.0)

量り売りの時代——貯蔵瓶が必需品だった理由

そもそも、なぜ家庭にこれほど多くの貯蔵瓶が必要だったのでしょうか。答えは、当時の買い物のかたちにあります。

スカンディナヴィアに胡椒やシナモン、カルダモンといった外来の香辛料が広く知られるようになったのは、13世紀、ハンザ同盟との交易を通じてでした。香辛料はきわめて高価な貴重品で、裕福な家庭では鍵のかかるスパイス棚(クリッドスコープ/kryddskåp)に納め、主婦がその鍵を腰に下げて管理しました。腰の鍵束は、家を切り盛りする主婦の権限の象徴でもありました。

この「香辛料を大切に納める」伝統は、そのまま近代の台所に受け継がれます。スウェーデンのマルメ博物館には、透かし彫りの側板を持つ木製のスパイス棚と、「クローブ」「ナツメグ」「カルダモン」「シナモン」「オールスパイス」とラベルの付いた蓋つき容器5点のセットが収蔵されています。棚に容器を並べる「クリッドヒュッラ(kryddhylla=スパイス棚)」のかたちは、スウェーデン各地の博物館の収蔵品に残る、北欧の台所の古典的な設えです。

時代が下って19世紀になると、スウェーデンでは1846年と1864年の商業自由化により、それまで都市に限られていた小売業が農村部でも認められ、1870〜80年代には「ランツハンデル(lanthandel)」と呼ばれる田舎の雑貨店が急速に広まりました。こうした店では対面の量り売りが基本で、カウンターには塩・砂糖・小麦粉・コーヒー・香辛料などを納めたラベルつきの引き出しが備わり、床の樽や袋から塩漬けニシンやコーヒー豆が量り分けられました。

スウェーデンの雑貨店ホルムグレン商店の店内
スウェーデン・オンゲルマンランド地方のホルムグレン雑貨店の店内。カウンター越しに客に応対する様子(画像:Petrus Hedström/北方民族博物館/パブリックドメイン)

量り売りで持ち帰った食材は、紙袋のままでは保存がききません。だからこそ、家庭には品名つきの貯蔵瓶のセットが必要でした。1900年頃のスウェーデンの家庭では、リンゴンベリーのジャムやきゅうりの酢漬けが、塩釉のヒョーガネース焼の壺や、グスタフスベリ、ロールストランドなどの磁器工場が手がけた青い花模様の白い壺に納められ、食品庫の棚に整然と並ぶ壺の列は主婦の誇りでした。1900年を目前にした頃にはホーロー(琺瑯)製の家庭用容器も登場し、初期のものは灰色のマーブル模様、または白地に青い縁取りでした。陶、ホーロー、ブリキ——素材はさまざまでも、「品名を記した容器のそろい」という発想は台所の共通言語であり続けました。

気候も、貯蔵の文化を後押ししました。北欧では作物の生育期が短く冬が長いため、秋の実りを長い季節のあいだ保たせる工夫——塩蔵、乾燥、発酵——が食文化の土台にありました。当時の都市住宅では、台所や食品庫(スカッフェリ/skafferi)を北向きに配置して冷暗所とするのが通例で、冷蔵庫のない時代の食品保存を、住まいの設計そのものが支えていました。

1920年代のスウェーデンの食料品店の店内
1920年代のスウェーデンの食料品店「セーデシュ」の店内。棚に商品の缶や箱が並ぶ(画像:Swemanor/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0)

この量り売りの文化に転機が訪れたのは、第二次世界大戦後です。スウェーデンでは1946年末から1947年にかけて最初のセルフサービス店が登場し、客が自分で棚から商品を取る方式は、あらかじめ包装された商品を前提としていました。量り売りから包装済み商品への転換が進むにつれ、家庭の貯蔵瓶セットは少しずつその役目を終えていきます。つまり、陶製の貯蔵瓶が台所の主役だったのは、おおむね19世紀後半から20世紀中頃まで——当店のARABIAのジャーたちは、まさにその最後の輝きの時代に生まれた器です。

シグネ・ペション=メリンのスパイス容器 Curry 1955年
シグネ・ペション=メリン(Signe Persson-Melin)が1955年にデザインした陶のスパイス容器「カレー」。貯蔵瓶は戦後もデザインの対象であり続けた(画像:Holger Ellgaard/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0)

なお、貯蔵瓶というかたち自体は戦後も北欧デザインの題材であり続けました。1955年にはシグネ・ペション=メリン(Signe Persson-Melin)が陶のスパイス容器を発表しています。ペション=メリンについてはロールストランド プリムール完全ガイドで詳しくご紹介しています。

なぜスウェーデン語?——二言語国家フィンランドの器

当店のARABIAのジャーを手に取った方が、まず不思議に思うのがこの点です。フィンランドの窯の製品なのに、品名は「Mjöl(小麦粉)」「Socker(砂糖)」——すべてスウェーデン語です。なぜでしょうか。

フィンランドは、1809年まで長くスウェーデンの統治下にあり、行政の言語はスウェーデン語でした。独立後の1919年憲法と1922年の言語法により、フィンランド語とスウェーデン語は対等な国語と定められ、フィンランドは今日に至る二言語国家となりました。ヘルシンキでは1890年代までスウェーデン語話者が多数派を占めており、1870年の時点では人口の57%がスウェーデン語を話していました。

ヘルシンキの二言語の通り名標識
ヘルシンキの通り名標識。上段にフィンランド語「Hietalahdenkatu」、下段にスウェーデン語「Sandsviksgatan」が併記されている(画像:Henry Söderlund/Wikimedia Commons/CC BY 2.0)

そしてARABIA自体が、スウェーデンの名窯ロールストランドの子会社としてヘルシンキに設立された工場です。フィンランドの家庭用品にスウェーデン語の品名が記されていることは、こうした言語と歴史の背景のなかで自然なことでした。実際、博物館に残るARABIAの貯蔵ジャーにも、スウェーデン語表記のものとフィンランド語表記のもの(「Sokeria=砂糖」「Kanelia=シナモン」など)の両方が確認できます。二言語の国では両方の表記が併存していたため、品名の言語だけで製造年代や販売先を特定することはできません。

当店の11点に記されたスウェーデン語の品名は、以下のとおりです。

スウェーデン語 意味 かたち
Mjöl(ミョール) 小麦粉 壁掛け型
Salt(サルト) 壁掛け型
Socker(ソッケル) 砂糖 大型キャニスター
Havregryn(ハーヴレグリーン) オートミール(オート麦) 大型キャニスター
Risgryn(リースグリーン) 大型キャニスター
Kaffe(カッフェ) コーヒー 大型キャニスター
Vitpeppar(ヴィートペッパル) 白こしょう 小型ジャー
Kryddpeppar(クリッドペッパル) オールスパイス 小型ジャー
Ingefära(インゲフェーラ) しょうが 小型ジャー
Kanel(カネール) シナモン 小型ジャー
Nejlikor(ネイリコル) クローブ(丁子) 小型ジャー

ちなみに「Kryddpeppar」は直訳すると「スパイス胡椒」ですが、胡椒ではなくオールスパイスを指す語です。19世紀のスウェーデンのスパイス棚にも、シナモンやクローブと並んでオールスパイスの容器が定番として含まれていました。

ARABIAの貯蔵ジャーの系譜——19世紀末から

ARABIAの台所用貯蔵ジャーの歴史は、19世紀末まで遡ります。トゥルク市博物館には、1897〜1907年の年代が付与された樽形・白釉のジャーが収蔵されています。黒い文字で「Socker(砂糖)」「Potatismjöl(ジャガイモ澱粉)」と記されたこれらのジャーは、当店の11点よりもさらに一世代前の、ARABIA草創期の貯蔵瓶です。ヘイノラ市博物館には1916年製の小型の樽形スパイスジャーも残っています。

1930〜40年代になると、先にふれたヘルシンキ市博物館収蔵のプラム柄のジャー一式のような、絵柄のあるそろいのセットが登場します。同館の収蔵記録によれば、このプラム柄は「緑を背景にした2枚の葉、茶色の枝、3つの青いプラム」——大きな缶には「Sokeria(砂糖)」、小ぶりな缶には「Kanelia(シナモン)」と、フィンランド語の品名が添えられています。ARABIAの貯蔵瓶は、無地の実用品から、台所を彩る「柄もの」のセットへと展開していきました。

こうしたARABIAのジャー類は、フィンランドではひとつの収集ジャンルとして確立しています。アラビア美術館の館長を長く務めたマリユット・クメラ(Marjut Kumela)とマリヤ・ブローフィエルド(Marja Blåfield)の共著による専門書『Keräilijän aarteet: Arabian purkkeja ja pilkkumeita』(2009年)が、19世紀末以降のARABIAの貯蔵容器を扱う代表的な文献として知られています。

1940年代のヘルシンキの台所
1940年代のヘルシンキの台所。左にガスコンロ、中央に流し台、上の棚に鍋の蓋が並ぶ(画像:Väinö Kannisto/ヘルシンキ市博物館/CC BY 4.0)

ステンシルと吹付け——量産期の装飾

当店の11点の花模様をよく見ると、輪郭がわずかにやわらかく、にじんだような表情をしています。これは型紙(ステンシル)を使った装飾に特徴的な表情です。ARABIAでは、型紙越しにスプレーで顔料を吹き付ける「プハッルスコリステ(puhalluskoriste=吹付け装飾)」と呼ばれる技法が20世紀前半から使われており、ミルクジャグや焼き皿など日々の器を手早く飾る量産技法として、博物館の目録にも装飾名として記録されています。輪郭のにじみやぼかしは、この種の技法の持ち味です。

なお、当店の花柄のジャーについて、シリーズ名やデザイナー名を特定できる美術館・公的アーカイブの記録は確認できていません。ARABIAの日用品ラインには、こうした「名もなき良品」が数多くあります。デザイナーの名を冠した作品だけが北欧食器のすべてではない——工場の量産ラインが磨き上げた意匠の完成度を、そのまま味わえる器です。

1930年代のARABIA——トンネル窯の時代

当店のジャーたちが生まれた1930〜40年代は、ARABIAの歴史の中でも特別な拡大の時代でした。

ARABIAは1873年、スウェーデンの名窯ロールストランドの子会社として設立が認可され、翌1874年、ヘルシンキ市街の北にある「アラビア」と呼ばれていた土地に建てられた工場で生産を始めました。工場名はこの地名に由来します。当時フィンランドはロシア帝国の自治大公国であり、フィンランドに工場を置くことで広大なロシア市場に届きやすくなる——それが設立の狙いでした。1916年にはロールストランドが株式をフィンランド側に売却し、ARABIAはフィンランド資本の会社になります。

1932年、ARABIA工場を見学する国会議員団
1932年、ARABIA工場を見学するフィンランドの国会議員団。当店のジャーと同じ時代の工場内部の記録(画像:Aarne Pietinen Oy/フィンランド遺産庁/CC BY 4.0)

1929年には全長約112メートルの連続式トンネル窯が完成し、生産力は飛躍的に高まりました。1937年には新しい工場棟とともに2基目のトンネル窯も加わります。そしてフィンランド文化財庁の登録簿には、第二次世界大戦が始まる頃のARABIAが生産量でヨーロッパ最大の磁器工場となり、約1,500人が働いていたと記録されています。1932年には初代芸術監督としてクルト・エクホルム(Kurt Ekholm)が着任し(在任1932〜1948年)、のちに花開くARABIAのアート部門の礎を築いています。工場の歩みはアラビア工場の歴史で詳しくたどれます。

1953年、ハメーンティエ沿いのARABIA工場
1953年、ヘルシンキ・ハメーンティエ沿いのARABIA工場(画像:Aukusti Tuhka/フィンランド遺産庁/CC BY 4.0)

煙突マーク(1932〜1949年)——年代の手がかり

当店の11点の裏面には、階段状の窯の上に煙突が伸びる「ARABIA/Suomi Finlandia」のスタンプが押されています。フィンランドで「ピイップレイマ(piippuleima=煙突マーク)」と通称されるこの刻印は、1929年に完成したばかりのトンネル窯を様式化して描いたもので、ARABIAブランドの公式な刻印一覧により1932年から1949年まで使われたと年代づけられています。つまり当店のジャーたちは、トンネル窯の時代——ARABIAが世界的な大工場へと駆け上がっていくまさにその時期に生まれた器です。

ARABIAの刻印は年代ごとに変遷しており、裏面の印から製造時期を読み解けます。詳しくはアラビアの刻印(バックスタンプ)年代別完全ガイドをご覧ください。

当店のスパイスジャー・キャニスター——全11点

当店に届いたのは、クリーム色の陶の肌に淡いピンクの花と黒い葉をあしらった、そろいのシリーズ全11点です。いずれも煙突マーク期(1932〜1949年)の刻印を持ち、驚くべきことに未使用のデッドストックです。約80年前の台所道具が、ほぼ完品の状態で残っていました。大型キャニスター4点、小型ジャー5点、壁掛け型2点という構成で、北欧の貯蔵瓶セットの三つのかたち——博物館の収蔵品と同じ三分構成——が、ひとつのシリーズの中にすべてそろっています。日々の道具として消耗していく運命だった貯蔵瓶が、これだけまとまった数で、しかも未使用のまま北欧の市場を経て日本へ届いたのは、幸運な巡り合わせでした。

大型キャニスター——粉ものと穀物の缶(4点)

高さ21cmの大型キャニスターは、砂糖・オートミール・米・コーヒーといった、日々かさを扱う食材のために作られた缶です。オート麦のポリッジ(粥)は北欧の朝の定番であり、「Havregryn」の缶が定位置を持っていたことに、当時の食生活が映ります。

フィンランドのライ麦畑の古写真
フィンランドのライ麦畑を写した古写真。穀物は北欧の食の土台で、台所の大型キャニスターに納められた(画像:Erkki Voutilainen/フィンランド遺産庁/CC BY 4.0)
ARABIA スパイスキャニスター Havregryn オートミール
「Havregryn(オートミール)」の大型キャニスター。高さ21cm、未使用のデッドストック(当店在庫)
ARABIA スパイスキャニスター Risgryn 米
「Risgryn(米)」の大型キャニスター。北欧でクリスマスの米粥にも登場する食材の缶(当店在庫)
ARABIA スパイスキャニスター Kaffe コーヒー
「Kaffe(コーヒー)」の大型キャニスター。コーヒー大国フィンランドの台所の定位置(当店在庫)

ご紹介した4点はこちらです:Socker(砂糖)Havregryn(オートミール)Risgryn(米)Kaffe(コーヒー)

小型ジャー——香辛料の瓶(5点)

高さ12.5cmの小型ジャーは、香辛料のために作られた瓶です。白こしょう、オールスパイス、しょうが、シナモン、クローブ——先に紹介したマルメ博物館の19世紀のスパイス棚の定番と重なる顔ぶれで、北欧の香辛料文化がハンザ交易の時代から続く伝統の上にあることを物語ります。

並んだ品名を眺めると、北欧の季節の風景が浮かびます。シナモンは、スウェーデンのカネルブッレ、フィンランドのコルヴァプースティといったシナモンロールの香りを思わせます。しょうがはクリスマスのジンジャークッキー(ペッパルカーコル)へ、クローブは温めた甘いワイン、グロッギの香りへとつながります。小さな瓶の一つひとつが、北欧の暮らしの歳時記の入口です。

ARABIA スパイスジャー Kanel シナモン
「Kanel(シナモン)」の小型ジャー。シナモンロールの国らしい一本(当店在庫)
ARABIA スパイスジャー Nejlikor クローブ
「Nejlikor(クローブ)」の小型ジャー。クリスマスの香りの定番スパイス(当店在庫)
ARABIA スパイスジャー Vitpeppar 白こしょう
「Vitpeppar(白こしょう)」の小型ジャー。高さ12.5cmの小ぶりなかたち(当店在庫)

5点すべてはこちらです:Vitpeppar(白こしょう)Kryddpeppar(オールスパイス)Ingefära(しょうが)Kanel(シナモン)Nejlikor(クローブ)

壁掛け型——MjölとSalt(2点)

陶の本体に木の蓋を合わせた壁掛け型は、小麦粉と塩——毎日手が伸びる二つの基本の食材のための器形です。ヘルシンキ市博物館収蔵のプラム柄セットにも同じかたちの塩入れ(目録では「サルッカリ」の名で記録)が含まれており、ARABIAの貯蔵瓶セットを特徴づけるかたちです。コンロ脇の壁に掛けられ、日々の煮炊きのたびに出番を待っていました。

ARABIA 壁掛け小麦粉入れ Mjöl
「Mjöl(小麦粉)」の壁掛け容器。陶の本体に木の蓋を合わせたつくり(当店在庫)
ARABIA 壁掛け塩入れ Salt
「Salt(塩)」の壁掛け容器。壁に掛けて手の届く場所に置かれた(当店在庫)

2点はこちらです:壁掛け小麦粉入れ(Mjöl)壁掛け塩入れ(Salt)

観賞用として飾る——コンディションと保存

当店の11点は、いずれも未使用のデッドストックです。経年による色の変化や保存上のわずかなスレは目を凝らすと見られますが、80年ほど前の日用品としては例外的なコンディションで、当時の意匠をそのまま眺められます。陶の素地には、製造工程で生じた貫入(釉薬の細かなひび模様)が見られる個体もありますが、これはこの時代の陶の器に共通する特徴です。

飾り方は、この器たちが歩んできた歴史そのままに——棚にサイズ順に並べる、壁掛け型は壁に掛ける、が似合います。オープンシェルフの一段に大型キャニスターを背の順に、その手前に小型ジャーを添えて、スウェーデン語の飾り文字が正面を向くように並べれば、それだけで北欧の古い台所の空気が立ち上がります。単品でも絵になります。書斎の本棚の一角に「Kaffe」の缶をひとつ、玄関の飾り棚に「Kanel」の瓶をひとつ——やわらかなクリーム色と花のステンシルが、静かな存在感を放ちます。長く美しく保つための扱いは北欧ヴィンテージ食器の保存と手入れガイドにまとめています。

雪のアラビアンランタ地区
雪の降る12月のアラビアンランタ地区。かつてARABIA工場が稼働した一帯は、工場名と同じ地名を今に伝える(画像:JIP/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0)

まとめ

量り売りの時代、北欧の台所には品名つきの貯蔵瓶がずらりと並んでいました。ARABIAのスパイスジャー・キャニスターは、その文化がもっとも豊かだった時代の器です。スウェーデン語の飾り文字、ステンシルの花、木の蓋——ひとつひとつのディテールに、二言語国家フィンランドの歴史と、トンネル窯の時代のARABIAの物語が刻まれています。

要点の整理

  • 北欧では19世紀後半〜20世紀中頃、量り売りの食材を納める貯蔵瓶セットが台所の必需品だった
  • セットは大型キャニスター・小型ジャー・壁掛け型の三つのかたちで構成された
  • フィンランドは二言語国家で、ARABIAの器にはスウェーデン語表記とフィンランド語表記の両方が存在する
  • ARABIAの貯蔵ジャーは19世紀末に遡り、博物館にも各時代の実例が収蔵されている
  • 当店の11点は煙突マーク期(1932〜1949年)の刻印を持つ未使用のデッドストック

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