ARABIA キエヴァリ(Kievari)のピッチャー|深い濃紺の釉薬におおわれた無地の北欧ヴィンテージ食器

ARABIA キエヴァリ(Kievari)完全ガイド|ヨーラン・ベックが手がけたGBモデルの濃紺の炻器

北欧食器タックショミュッケ編集部
ARABIA キエヴァリ(Kievari)のピッチャー|深い濃紺の釉薬におおわれた無地の北欧ヴィンテージ食器
ARABIAのキエヴァリ(Kievari)のピッチャー。絵柄をもたず、艶のある深い濃紺の釉薬におおわれた炻器

この記事の要点

  • キエヴァリ(Kievari)は、ヨーラン・ベック(Göran Bäck)がARABIAのためにデザインした、単色の釉薬をかけた炻器のシリーズです
  • ベックのイニシャルにちなむ「GBモデル」という丈夫でスタッキングできる器のかたちに、深い濃紺の釉薬をかけたものがキエヴァリです
  • キエヴァリはフィンランド語で「宿屋」を意味します。同じGBモデルの色ちがいには、もてなしや酒場、集まりを指す名前が並びます
  • デザイナーのベックは、カイ・フランク(Kaj Franck)の助手を経て独立した、ARABIAの戦後を支えたデザイナーの一人です
  • 絵柄をもたない無地の濃紺という佇まいと、釉薬のかからない糸底にのぞく明るい炻器の素地が、キエヴァリを見分ける手がかりになります

キエヴァリ(Kievari)とは

キエヴァリ(Kievari)は、フィンランドの名窯ARABIA(アラビア)のために、デザイナーのヨーラン・ベック(Göran Bäck)が手がけた食器シリーズです。絵柄をもたず、単色の釉薬だけで仕上げられた、無地の器の一群です。外側を艶のある深い濃紺の釉薬がおおい、内側を白で仕上げた姿——その静かな佇まいが、キエヴァリのいちばんの特徴です。

模様で華やかに飾るのではなく、釉薬の色と素地の厚みだけで存在感をつくる——その飾らない姿は、1960年代の終わりごろから1970年代にかけてのフィンランドの空気を、そのまま器のかたちにしたようにも見えます。厚みのある炻器の肌は手にずっしりと重く、濃紺の釉薬は光の角度によって藍色から黒へと表情を移ろわせます。

ARABIA キエヴァリのピッチャーを斜めから見たところ|深い濃紺の無地の炻器
斜めから見たキエヴァリのピッチャー。絵柄をもたず、濃紺の釉薬だけで仕上げられた無地の姿

炻器(せっき)とは、陶器と磁器の中間にあたる、高温で焼き締められた硬い焼き物です。素材そのものの違いは、北欧食器の素材ガイドでも詳しく解説しています。キエヴァリは、この丈夫な炻器を土台に、単色の釉薬をかけるという潔い方法で生まれたシリーズでした。

デザイナー、ヨーラン・ベックの仕事

ヨーラン・ベック(Göran Bäck, 1923–2003)は、フィンランド西岸のクルーヌピュー(Kruunupyy/スウェーデン語名クロノビー)に生まれた陶芸家・デザイナーです。1941年、彼はまず姉ラケル・ベック(Rakel Bäck)の陶芸工房で、ろくろと陶土の仕事を覚えるところから出発しました。

ヨーラン・ベックの故郷クルーヌピューの黄色い木造教会と鐘楼
ベックの故郷クルーヌピュー(Kronoby)に建つ木造の教会。フィンランド西岸ポフヤンマー地方の町(画像:Wikimedia Commons, Tomisti, CC BY-SA 3.0)

はじめにARABIAへ入ったとき、ベックが配属されたのは衛生陶器の部門でした。けれどもヘルシンキでの暮らしになじめず、いちど故郷へ戻ったと資料は伝えています。その後、小さな工房や陶土工場でろくろの技を磨き、1945年、あらためてARABIAへと戻ってきました。生まれ育った川沿いの町の、ゆったりとした水辺の景色は、彼が器づくりの土台を身につけた最初の場所でした。

クルーヌピューの川辺と木立に囲まれた建物、池に映る緑
クルーヌピューの川辺。柳の木立の向こうに建物が建ち、池に空と緑が映る(画像:Wikimedia Commons, Tomisti, CC BY-SA 3.0)

カイ・フランクの助手から独立へ

ARABIAに戻ったベックは、まもなく製品デザインのグループに加わり、カイ・フランク(Kaj Franck)の助手となりました。はじめのうちは、フランクが設計した器の試作品をつくる役割だったと伝えられています。カイ・フランクは「フィンランドデザインの良心」と呼ばれ、キルタ(のちのティーマ)やカルティオなど、無駄を削ぎ落とした器を生み出した人物です。その歩みはカイ・フランク完全ガイドでたどっています。

カイ・フランクの肖像|眼鏡をかけた晩年のフィンランドデザインの良心と呼ばれたデザイナー
カイ・フランク(Kaj Franck, 1911–1989)。ベックが助手として仕えたARABIAの中心的デザイナー(画像:Wikimedia Commons, Jorma Puranen, CC BY 4.0)

フランクのもとで試作を重ねたベックは、ARABIAの奨学金を得て1957年から翌年にかけて西ドイツで製品デザインを学びました。帰国後にはじめて独立した設計の仕事を任され、量産品のデザインへと進んでいきます。彼は「主任デザイナー」や「芸術監督」といった肩書きで語られる人物ではありません。むしろ、カイ・フランクの機能主義を受けつぎ、丈夫で実用的な器を黙々と設計しつづけた、ARABIAの戦後を支えたデザイナーの一人でした。

カイ・フランクのカルティオのガラスのピッチャーと色ちがいのタンブラー
カイ・フランクのカルティオ(Kartio)のガラス。余計な装飾をもたない、機能主義のかたち(画像:Wikimedia Commons, Otto-Ville Mikkelä, パブリックドメイン)

ベックの最初の大きな仕事は、1959年から1961年にかけて設計されたA-モデルの食器でした。そして、彼の名をもっとも広く知らしめたのが、次に紹介するGBモデルです。

「GBモデル」——丈夫でスタッキングできる器のかたち

GBモデル(GB-malli)の「GB」は、Göran Bäckのイニシャルに由来します。ロホヤ市の資料によれば、このモデルは公共の場でも家庭でも使えるよう考えられ、何より「丈夫で、積み重ねられること」を目指して設計されました。そのために通常よりも強い釉薬が用意され、ARABIAでもっとも丈夫な陶土が選ばれています。

ARABIA キエヴァリのピッチャーを横から見たところ|厚みのある炻器のフォルム
横から見たキエヴァリのピッチャー。厚みのある素地と、くびれのない安定したかたち

レストランや学校のような場所でも長く使えること——GBモデルは、そうした使い勝手を起点に組み立てられた、ARABIAのなかでも先駆的な設計でした。装飾を主役にするのではなく、重ねやすさや壊れにくさといった器の「はたらき」から形を決めていく考え方は、師であるカイ・フランクの機能主義とまっすぐつながっています。

GBモデルは1968年にデザインされ、1982年までさまざまな釉薬の色で製造されました。キエヴァリは、そのGBモデルに濃紺の艶釉をまとわせたシリーズで、1968年から1979年まで作られました。丈夫さと重ねやすさを軸にした実用の器という性格は、シリーズを通して一貫しています。

色でそろえるGBモデル——宿屋、もてなし、酒場、集まり

GBモデルには、同じかたちに単色の釉薬ちがいで名前をつけた、いくつかのシリーズがあります。コレクターのあいだでは、濃紺のキエヴァリ(Kievari)のほかに、白いケスティ(Kesti)、茶色のクロウヴィ(Krouvi)、緑のケルホ(Kerho)が知られています。絵柄ではなく釉薬の色で性格を分ける——無地のシリーズならではの、潔いそろえ方です。

ARABIA キエヴァリのピッチャーを上から見たところ|内側まで濃紺の釉薬がかかった口元と注ぎ口
キエヴァリのピッチャーを上からのぞいたところ。注ぎ口と持ち手が見え、内側まで濃紺の釉薬におおわれている

おもしろいのは、その名前です。フィンランド語の辞書をたどると、キエヴァリ(kievari)は「宿屋」、ケスティ(kesti)は「客・もてなし」、クロウヴィ(krouvi)は「酒場・居酒屋」、ケルホ(kerho)は「クラブ・集まり」を意味します。いずれも、人が集い、もてなしあう場所をあらわす言葉です。丈夫で重ねやすい器というGBモデルの性格が、こうした「人の集う場所」の名前と響きあっているように感じられます。

「宿屋(Kievari)」という名前と北欧の街道

キエヴァリ(kievari)という言葉は、もともとフィンランドの街道沿いにあった宿、「キエスティキエヴァリ(kestikievari)」を指します。かつて鉄道や自動車が普及する前、旅人や郵便を運ぶ人々は、街道の要所に置かれたこの宿で馬を替え、体を休めました。食事と寝床を提供し、人と情報が行き交う——村と村を結ぶ、暮らしの結び目のような場所でした。

北欧の街道沿いに建つ木造の宿|黄色い壁に緑の縁取り、砂利の前庭
北欧の街道沿いに残る木造の宿(スウェーデンのレンナ・イェストイェーヴェリ)。旅人が馬を替え、休んだ場所(画像:Wikimedia Commons, Holger.Ellgaard, CC BY-SA 4.0)

柄を持たない単色の器と、手にずっしりと響く厚い素地——その飾らない姿は、まさに「宿屋」という名前にふさわしいものでした。華やかな客間のための器ではなく、人の集まる場所で日々使われる道具——キエヴァリの濃紺は、そんな実用の美しさを体現しています。

フィンランド・ポフヤンマーの平らな麦畑と木造の小屋、広がる雲
フィンランド・ポフヤンマー地方の平らな麦畑に建つ木造の小屋。街道が結んだ北欧の農村の風景(画像:Wikimedia Commons, Kotivalo, CC BY-SA 3.0)

ベックが生まれ育ったポフヤンマー地方は、見わたすかぎり平らな畑と、点在する木造の小屋が続く土地です。こうした農村と農村を、かつて街道と宿が結んでいました。キエヴァリという名前には、フィンランドの田園を旅する時間の記憶が、静かに畳み込まれているように思えます。

1960〜70年代、フィンランドの炻器の時代

キエヴァリが作られた1960年代の終わりから1970年代にかけて、フィンランドでは土の質感を生かした炻器の食器が数多く生まれました。つやを抑えた釉薬や、鉄分を含んだ素朴な色あい——きらびやかな磁器とは対照的な、手仕事の温もりを感じさせる器が、人々の暮らしに受け入れられていった時代です。

ARABIA ルスカの茶色い炻器のカップとソーサー|ウラ・プロコッペのデザイン
ARABIAのルスカ(Ruska)のカップとソーサー。鉄分を思わせる茶色のマットな釉薬が特徴(画像:Wikimedia Commons, デザイン:ウラ・プロコッペ, CC BY-SA 3.0)

その象徴が、ウラ・プロコッペ(Ulla Procopé)のルスカ(Ruska)でした。ロホヤ市の資料によれば、ルスカはARABIAが実用食器の量産につや消しの釉薬をはじめて採り入れた食器として知られます。鉄分を思わせる深い茶色の肌は、フィンランドの秋の森——黄や茶に色づく「ルスカ」の名のとおりの景色を映しています。プロコッペの歩みはウラ・プロコッペ完全ガイド、ルスカそのものはARABIA ルスカ完全ガイドでたどっています。

アンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト(Anja Jaatinen-Winquist)が酸化鉄の装飾でまとめたカレリア(Karelia)も、同じ時代の炻器の名作です。キエヴァリの濃紺は、こうした「土の質感を生かす」という当時のフィンランドの気分のなかに置くと、いっそう理解しやすくなります。絵付けの華やかさではなく、素材と釉薬そのものの表情で勝負する——キエヴァリも、その流れのただなかに生まれた器でした。

ARABIAという窯と、ヘルシンキのアラビア地区

ARABIA(アラビア)は、1873年、スウェーデンの名窯ロールストランドがヘルシンキのアラビア地区に設けた子会社として始まりました。1916年にはフィンランド資本へと移り、やがて北欧を代表する規模の窯へと成長します。戦後はヴァルチラ(Wärtsilä)社の傘下で、カイ・フランクをはじめとするデザイナーたちが黄金期を築きました。ARABIAの歴史の全体像はARABIA(アラビア)食器の魅力でたどっています。

ヘルシンキ・アラビア地区に建つARABIAの工場ビル|レンガの外壁に縦書きのARABIAの文字
ヘルシンキのアラビア地区に建つARABIAの工場ビル。レンガの外壁に縦書きのARABIAの文字と煙突が見える(画像:Wikimedia Commons, Markus Koljonen, CC BY-SA 3.0)

工場が置かれたアラビア地区(Arabianranta)は、ヘルシンキ中心部から北東へ、ヴァンター川の河口に広がる一帯です。かつて煙突から煙が立ちのぼったこの土地は、ヘルシンキ工場が2016年に操業を終えたのちも、デザインを学ぶ学校や住まいが集まる街へと姿を変えてきました。キエヴァリも、この水辺の工場で焼かれた器のひとつです。

ヘルシンキ・アラビア地区の街並みと草地、奥に建つ集合住宅
アラビア地区(Arabianranta)の街並み。草地の向こうに集合住宅が並ぶ、ヴァンター川の河口の一帯(画像:Wikimedia Commons, Safa Hovinen, CC BY 2.0)

ヘルシンキの街なかには、フィンランドのデザインの歩みを伝えるデザイン博物館(Designmuseo)があります。ARABIAのデザイナーたちが生み出した器も、この国のデザイン史の一部として受けつがれてきました。

ヘルシンキのデザイン博物館のレンガ造りの建物とデザインの文字の入口
ヘルシンキのデザイン博物館(Designmuseo)。フィンランドのデザインの歩みを伝える施設(画像:Wikimedia Commons, Leonhard Lenz, CC0)

当店のキエヴァリ

当店では、キエヴァリのピッチャーをご用意しています。内側まで艶のある深い濃紺の釉薬がおおい、注ぎ口のついた、ゆったりとしたかたちをしています。花を挿せば、濃紺が草花の色を静かに引き立てます。

ARABIA キエヴァリのピッチャーの注ぎ口|濃紺の釉薬の表情
キエヴァリのピッチャーの注ぎ口。濃紺の釉薬が、ふちで濃淡を見せる

厚みのある炻器の素地は、見た目よりもずっしりと重く、手に取るとGBモデルの「丈夫さ」が実感できます。絵柄で飾らないぶん、置く場所を選びません。棚の一角にひとつ置くだけで、北欧の静かな部屋の空気が立ち上がってきます。

キエヴァリの見分け方

キエヴァリを見分けるいちばんの手がかりは、やはりその無地の濃紺です。絵柄をもたず、外側が深い濃紺で統一された姿と、厚みのある炻器の重みを覚えておけば、ほかの北欧食器のなかから見つけ出すのは難しくありません。濃紺の釉薬は、光の角度によって藍色から黒へと表情を変えます。

ARABIA キエヴァリのピッチャーの底|濃紺の底と釉薬のかからない糸底の輪
キエヴァリのピッチャーの底。濃紺の釉薬におおわれた底を、釉薬のかからない糸底の輪がめぐり、明るい炻器の素地がのぞく

裏を返すと、糸底(高台)に釉薬のかからない輪があり、そこに明るい炻器の素地がのぞきます。濃紺の釉薬に対して、素地そのものの色が見えるこの部分は、炻器らしさを確かめる手がかりのひとつです。ARABIAの器には製造時期を手がかりにできる裏印があり、その読み方はアラビアの刻印(バックスタンプ)年代別完全ガイドで詳しく解説しています。

絵柄のない単色の器は一見シンプルですが、だからこそ素地の質感と釉薬の深みがそのまま表れます。キエヴァリの濃紺は、フィンランドの炻器がもっとも豊かに実った時代の空気を、無地のまま静かに伝えています。

要点の整理

  • キエヴァリ(Kievari)は、ヨーラン・ベックがARABIAのためにデザインした、単色の濃紺の炻器シリーズです
  • ベックのイニシャルにちなむGBモデルという丈夫でスタッキングできる器のかたちに、濃紺の釉薬をかけたものがキエヴァリです
  • キエヴァリは「宿屋」の意。ケスティ(もてなし)、クロウヴィ(酒場)、ケルホ(集まり)と、人の集う場所の名前が色ちがいに並びます
  • ベックは、カイ・フランクの助手を経て独立した、ARABIAの戦後を支えたデザイナーの一人でした
  • 絵柄のない濃紺の佇まいと、糸底にのぞく明るい炻器の素地が、キエヴァリを見分ける手がかりになります

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参考資料:フィンランド語版Wikipedia(Göran Bäck/ARABIA)/ロホヤ市「Arabian taiteilijat」/Designmuseo Finland/Kielitoimiston sanakirja(kievari ほか語義)

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