ライラ・ジンク(Laila Zink)完全ガイド|クピッタン・サヴィの絵付師と、裏面の「LZ」が語ること
北欧食器タックショミュッケ編集部スウェーデン・フィンランドから北欧ヴィンテージ食器を直接買い付け、1,000点以上を検品してきた当店が、一次情報と実物の観察にもとづいて執筆・編集しています。
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フィンランドの古い器の裏に、「LZ」という二文字を見つけることがあります。ラテン文字を組み合わせた小さなモノグラムで、たいていは「Made in Finland」の手書き文字の下に添えられています。
この二文字は、ライラ・ジンク(Laila Zink、1915〜1999)という人の頭文字です。トゥルクの窯クピッタン・サヴィで、器に絵柄を与えた人でした。日本ではほとんど知られておらず、日本語の資料もまだありません。
この記事では、フィンランドの公的な典拠と、トゥルクおよびヘイノラの市立博物館が公開している所蔵品の記録をたどりながら、この人物の輪郭を描きます。そして裏面の署名が、単独なのか二つ並んでいるのかで意味が変わるという、資料からしか読み取れない事実を扱います。
この記事でわかること
- ライラ・ジンクが「陶芸家」ではなく絵付師・デザイナーとして記録されていること
- 裏面の「LZ」が単独か、二つの署名が並ぶかで、誰が筆を持ったかが変わること
- クピッタン・サヴィという窯が、煉瓦とタイルを本業としていたこと
- 描かれた主題が女性と花だけではなく、きのこや抽象文様にも及ぶこと
- 資料でわかることと、まだわからないことの境目
ライラ・ジンクという名前——「陶芸家」と呼ぶ前に
ライラ・ジンクは1915年に生まれ、1999年に亡くなりました。この生没年は、フィンランド国立図書館が管理する全国名称典拠ファイルに「Zink, Laila, 1915-1999」として登録されています。職業欄はケラミーッカタイテイリヤ(keramiikkataiteilija)、日本語にすれば陶芸家にあたる語です。

ただし、実際の所蔵品の記録を見ていくと、彼女に与えられている役割はもう少し具体的です。トゥルク市立博物館とヘイノラ市立博物館の目録が使っている語は、コリステマーラリ(koristemaalari、装飾の絵付師)とスンニッテリヤ(suunnittelija、デザイナー)の二つでした。器そのものを轆轤や型で成形する人を指すケラーミッコ(keraamikko)ではありません。
この違いは、細かいようでいて記事の建付けを変えます。クピッタン・サヴィでは器の形を設計する人と、その白い面に絵柄を与える人が分かれていました。ジンクは後者の側で仕事をした人だったと、資料は語っています。ですからこの記事では、彼女を「陶芸家」ではなく絵付師・装飾デザイナーとして扱います。
南部の街ヘイノラとのつながりは深く残っています。同市の市立博物館は彼女の作品を9点収蔵し、2010年には彼女ひとりのための刊行物を出して回顧展を開きました。
クピッタン・サヴィ——煉瓦の会社がもっていた絵付けの部門
クピッタン・サヴィ(Kupittaan Savi、正式にはクピッタン・サヴィオサケユフティオ)は、フィンランド南西部の古都トゥルクにあった窯業会社です。
この会社を理解するうえで大切なのは、装飾陶器の専門窯ではなかったという点です。本業は煉瓦と建築用タイルでした。原料の粘土は郊外のハリステンから運び、そのために自社で専用の鉄道まで敷いていました。粘土鉄道(savirata)と呼ばれた路線です。


その建材の会社が、一方で絵付けの部門を抱えていました。芸術面での最盛期は1930年代の後半から1950年代にかけてとされ、ケルットゥ・スヴァント=ヴァーヤカッリオ、マルユッカ・パーシヴィルタ、オルヴォッキ・ライネといった名前が並びます。ジンクもそのひとりでした。

フィンランドの窯としては、ヘルシンキのアラビアが圧倒的に知られています。トゥルクの窯が日本でほとんど語られてこなかったのは、生産の規模というより、日本へ入ってくる量の差によるところが大きいのでしょう。アラビア工場の歴史とあわせて読むと、同じ時代のフィンランドに複数の窯が並び立っていた光景が見えてきます。
LZ という署名を読む
ここからがこの記事の核になります。器の裏に残された署名は、単に「誰の作か」を示すだけの印ではありませんでした。

上の写真は、トゥルク市立博物館が所蔵する1950年代の壁掛けタイルの裏です。「LZ」がひとつだけ置かれています。同館の目録はこの作品について、デザインと絵付けの両方をジンクが担ったと記録しています。

ところが、署名が二つ並んでいる器があります。

この皿の目録には、ライラ・ジンクとラウノ・ラッメラという二人の絵付師の名前が並んでいます。つまり「LZ/RL」の斜線は、二人が関わったことを示す表記でした。同館にはほかにも、洋梨形の花瓶に「LZ」と「IS」(イルヤ・スオヴァ)が並ぶ例、1956年の角皿に「Z」と「HY-57」(ヒッレヴィ・ユリ=コンッティネン)が並ぶ例が所蔵されています。


この花瓶の目録記載は、はっきりしています。ジンクはスンニッテリヤ(デザイナー)、イルヤ・スオヴァはコリステマーラリ(絵付師)でした。図案を起こした人と、実際に筆を持った人が違っていたことになります。

ここから言えることは、ひとつです。裏に「LZ」があるからといって、その絵柄をジンク本人が描いたとは限りません。単独であれば本人が筆を持った可能性が高く、二つ並んでいれば図案と絵付けが分業されていたと読めます。市場では「ライラ・ジンクの手描き」という言い方が流通していますが、少なくとも博物館の記録はもう少し慎重です。
なお、手で描かれたものであること自体は、複数の所蔵品について博物館が明記しています。トゥルク市立博物館は壁掛けタイルの物理記述に「käsinmaalattu(手描きの)」と書き、製作技法の欄には「käsityö(手仕事)」と記しています。ヘイノラ市立博物館のコーヒーカップとソーサーにも「käsin maalattu koriste(手描きの装飾)」の記載があります。ただしこれらは所蔵されている個体についての記述であって、LZ 名義のすべてに広げられるものではありません。
裏面の読み方そのものに関心があれば、北欧食器のバックスタンプ総合ガイドと、絵付師の印を扱ったグスタフスベリのサインと絵付師マーク完全ガイドもあわせてご覧ください。窯は違っても、署名を「誰が何を担ったか」の記録として読む姿勢は同じです。
1953年、大皿に女性像を描く
ジンクの仕事ぶりを伝える一次資料が、ひとつだけ残っています。1953年のニュース映画『フィンランディア・カツァウス207』です。スオミ=フィルミ社が製作し、ハリー・レウィングが監督しました。フィンランド国立視聴覚研究所が所蔵しています。
その目録には、次のように記されています。
トゥルク、クピッタの陶器部門で働く芸術家たち。ライラ・ジンクが陶製の大皿に女性像を描く。グンナル・イソ=プオンティが花瓶を装飾する。作業とジンクの作品の接写。
主題の見出しには「装飾画工」という語が当てられていました。
短い記述ですが、意味は小さくありません。1953年の時点で彼女がクピッタン・サヴィの絵付け部門にいて、実際に筆を持っていたことが、伝聞ではなく記録として残っているからです。

この時代のフィンランド・デザインといえば、装飾を削ぎ落とした機能主義が語られます。同じ時期に、トゥルクの窯では女性の顔や花が手で描かれていました。その対比は、当時の暮らしがひとつの様式に染まっていたわけではないことを教えてくれます。
女性と花だけではない
ジンクの絵柄は、しばしば「女性と花」とまとめられます。実際、そう呼びたくなる作例は多くあります。





けれども、所蔵品を並べてみると、主題はそれだけではありませんでした。




きのこの皿と花瓶は、女性像とはまるで違う表情をしています。コーヒーカップとソーサーに至っては具象ですらなく、輪と点と線で組み立てられた文様です。タンペレの博物館が所蔵するカップ&ソーサーには、灰白色の地に黒の十字縞という、さらに抽象へ寄った例もあります。
「女性と花のロマンティスト」という要約は、間違ってはいません。ヘイノラ市立博物館が2010年に出した刊行物の副題も、まさにその言葉でした。ただ、その要約だけを頼りに器を選ぶと、同じ人の仕事を取りこぼすことになります。
器そのものについては、ヘイノラ市立博物館の記録が素材を「ファイアンス」または「炻器」と書き分けています。ファイアンスがどういう素材なのかは、北欧食器の素材ガイドで扱っています。
1969年、窯が閉じたあと
クピッタン・サヴィは1969年に倒産し、操業を終えました。工場はトゥルクのイタハルユ地区にあり、跡地はいま大学病院の一角になっています。

1960年代に入ると、住まいの趣味は大きく変わりました。手で一枚ずつ絵柄を与える器から、型で成形されるガラスやプラスチックへと需要が移っていきます。窯が閉じた背景には、建築用タイルの市況と、こうした暮らしの側の変化が重なっていたと考えられます。北欧の窯がどのように生産を終えていったかは、北欧食器の「廃盤」とはでも扱いました。
クピッタン・サヴィが1937年のパリ万博と1954年のミラノ・トリエンナーレで受けた評価は、会社に対するものでした。窯が閉じたあと、そこで働いた絵付師たちの名前は、しばらく表に出ることがありませんでした。
ジンクの名が改めて表に出たのは、没後11年の2010年です。ヘイノラ市立博物館が5月30日から9月12日まで回顧展を開き、あわせて50ページの刊行物を出しました。編集と写真はシルパ・ユーティが手がけました。日本語圏で流通しているジンクの詳しい経歴は、この前後に出た雑誌記事に由来しているようです。
まとめ
ライラ・ジンクは、フィンランドの窯で器に絵柄を与えた人でした。名前が知られてこなかったのは、仕事が小さかったからではなく、記録が地方の博物館の目録のなかに眠っていたからです。トゥルクとヘイノラの二館が所蔵品を公開したことで、いま私たちはその輪郭をたどることができます。
そして裏面の署名は、単なる作者名ではありませんでした。二つ並んだ頭文字は、図案を起こした人と筆を持った人が別だったことを、六十年をこえて伝えています。器の裏を読むというのは、そういう分業の痕跡を読むことでもあります。
要点の整理
- ライラ・ジンク(1915〜1999)はフィンランド国立図書館の全国名称典拠に登録された人物です
- 博物館の目録が与える役割は絵付師とデザイナーで、器を成形する陶芸家ではありません
- 裏面の「LZ」が単独なら本人の絵付け、二つ並べば図案と絵付けの分業を示します
- クピッタン・サヴィは煉瓦と建築用タイルを本業とし、1969年に操業を終えました
- 主題は女性と花にとどまらず、きのこや抽象文様の作例も残っています
- 2010年にヘイノラ市立博物館が回顧展を開き、50ページの刊行物を出しました
参考資料:フィンランド国立図書館 全国名称典拠ファイル KANTO/トゥルク市立博物館(Turun museokeskus)所蔵品目録/ヘイノラ市立博物館(Heinolan museot)所蔵品目録/フィンランド国立視聴覚研究所 KAVI『Finlandia-katsaus 207』(1953年)/Sirpa Juuti『Laila Zink (1915-1999): Kupittaan Saven romantikko』(ヘイノラ市立博物館、2010年)を参照しました。作品写真は Finna.fi を通じて CC BY 4.0 で公開されているものを使用しています。
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