グスタフスベリ アレナ 19.5cmプレート|白地に鮮やかなオレンジの帯が巡る北欧ヴィンテージ食器

アレナ、石油危機に翻弄された北欧食器と巨匠リンドベリの苦悩の作

北欧食器タックショミュッケ編集部

白い胴の裾を、鮮やかなオレンジの帯が一巡し、その境目を細い濃茶の線が引き締める——スウェーデンの名窯グスタフスベリ(Gustavsberg)が1973年から世に送り出したアレナ(Arena)は、スティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)が晩年に手がけたストーンウェアのシリーズです。花柄でも抽象柄でもありません。焼けた大地のようなオレンジと、それを縁取る濃い茶。ただそれだけの構成です。

けれども、この簡潔さは、リンドベリが好んで選び取ったものではありませんでした。1973年秋に始まった石油危機(オイルショック)は、北欧の食器づくりを根元から揺さぶります。翌1974年、グスタフスベリの名作ベルサが生産を止めました。手のかかる絵付けを支える体制が、もはや維持できなくなったのです。装飾で名を成した巨匠が、装飾を削らなければ器が作れない時代に工場へ戻り、それでも色とフォルムで勝負しようとした——アレナは、その苦心の跡が刻まれた器です。

グスタフスベリ アレナ コーヒーカップ&ソーサー
アレナのコーヒーカップ&ソーサー。白い胴の裾にオレンジの帯、その上に濃茶の線。持ち手は輪のかたち。

この記事では、石油危機が北欧の食器づくりに何をもたらしたのか、その渦中でリンドベリがどんな立場に置かれていたのか、そしてアレナの色・フォルム・素材がどのように選ばれたのかを、グスタフスベリの歴史とバックスタンプの読み解き方とあわせて、写真とともにたどっていきます。

この記事でわかること

  • 石油危機が北欧食器の何を変えたのか——1974年のベルサ終売が示すこと
  • 復帰後のリンドベリが置かれた立場と、アレナで下した三つの選択(色・フォルム・素材)
  • 白地・鮮やかなオレンジの帯・輪のハンドルという、アレナ特有のデザインの成り立ち
  • 裏面のバックスタンプ(錨マーク・素材表記・サイン)で来歴を読み解く方法

目次

  1. アレナ(Arena)とは——白地に鮮やかなオレンジの帯
  2. 基本情報
  3. 石油危機という分水嶺——1974年、ベルサが止まる
  4. 巨匠の苦悩——二度目のグスタフスベリ
  5. 色で勝負する——鮮やかなオレンジと濃茶
  6. フォルムで勝負する——型を新しく起こす
  7. ストーンウェアという選択——素材の移り変わりのなかで
  8. 器が生まれた場所——ヴェルムドー島の入り江に建つ窯
  9. アイテム構成(ラインナップ)
  10. バックスタンプで読む見分け方
  11. 飾る・組み合わせる
  12. 現地で出会う——グスタフスベリを訪ねて

アレナ(Arena)とは——白地に鮮やかなオレンジの帯

アレナ(Arena)は、グスタフスベリがスウェーデンで製造したテーブルウェアのシリーズです。デザインはスティグ・リンドベリで、裏面には「Design: Stig Lindberg」と明記されています。ノルウェー国立美術館の所蔵記録では、この食器セットが1973年のものとして登録されており、製造は1973年から1978年にかけてでした。白い胴の裾を太い鮮やかなオレンジ(朱色を帯びたオレンジ)の帯がめぐり、その境目を細い濃茶の線が締める——これがアレナの基本の構成です。カップやポットでは水平の帯として、プレートでは同心円として立ち現れます。

花や動物といった図像を持たず、色帯とラインだけで成り立つアレナは、同じリンドベリのベルサやプルーヌスとは対照的です。ただしこの対照は、作風の気まぐれな変化としてではなく、時代の条件が変わった結果として読むほうが実態に近いものです。その事情を、次の章から順に見ていきます。

アレナ 19cmプレート
アレナの19.5cmプレート。白い皿のふちを、オレンジの帯と濃茶の線が同心円に巡る。奥はカップ&ソーサー。

基本情報

シリーズ名 アレナ(Arena)
ブランド グスタフスベリ(Gustavsberg)/スウェーデン
デザイナー スティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)
年代 1973年発表。製造は1973〜1978年
素材 ストーンウェア(stengods)。オーブン対応
技法 手描き(裏面に handmålat と表記)
カラー 白地に、鮮やかなオレンジ(朱色を帯びたオレンジ)と濃茶の帯
バックスタンプ Gustavsberg(錨マーク)/Design: Stig Lindberg/Ugnssäkert handmålat stengods/Sweden

石油危機という分水嶺——1974年、ベルサが止まる

1973年秋に始まった石油危機と、それに続く不況は、北欧の食器づくりにとって分水嶺でした。燃料も原料も値上がりし、人手のかかる絵付けを抱えたままでは、量産の器は成り立たなくなります。グスタフスベリの名作ベルサ(Berså)が1961年から1974年まで作られ、1974年にいったん製造を止めたことは、その事実をはっきりと示しています。多色の梅を描いたプルーヌス(Prunus)も、同じ1974年に生産を終えました。絵柄が愛されなくなったのではありません。それを支える生産体制のほうが、維持できなくなったのです。

1975年のグスタフスベリのオリーブ色のボウルと錨マーク
1975年のグスタフスベリのボウル。くすんだオリーブ色の釉。左上に「GUSTAVSBERG 150 ÅR」と錨をあしらった記念スタンプ。撮影:Wolfgang Sauber/CC BY-SA 3.0。

そこから先、北欧の食器に増えていくのは、色数を絞り、筆の手数を減らしたデザインです。単色の帯や、素地の色を生かした釉薬、飾らないフォルムが、その代表でした。1970年代の北欧食器に素朴で簡素な器が多いのは、美意識の流行というより、作れるものが限られた結果です。アレナは、まさにこの転換の年に発表されています。ベルサの装飾を支えてきた工場が、次に何を作れるのか——アレナは、その問いに対するリンドベリの答えでした。

巨匠の苦悩——二度目のグスタフスベリ

スティグ・リンドベリ
スティグ・リンドベリ。手にしているのは、顔をかたどった自身の陶の器。パブリックドメイン。

スティグ・リンドベリ(Stig Lindberg、1916〜1982年)は、20世紀のスウェーデンを代表するデザイナーです。スウェーデン北部の街ウメオ(Umeå)に生まれ、陶器だけでなく、テキスタイル、ガラス、絵本の挿絵まで、暮らしにまつわるあらゆるものを手がけました。ミラノ・トリエンナーレではグランプリを獲得し、スウェーデン・デザインの国際的評価を高めた立役者でもあります。グスタフスベリには、師であるヴィルヘルム・コーゲ(Wilhelm Kåge)のもとにファイアンス絵付け職人として入り、1949年にその後を継いで芸術指導者となり、戦後の黄金期を牽引しました。1957年にいったん芸術指導を離れてストックホルムの美術工芸学校コンストファックで教鞭をとり、1972年に再びグスタフスベリへ戻っています。

復帰後の工場は、彼が黄金期に率いたころとは別の場所になっていました。戻った翌年に石油危機が起こり、その翌年の1974年には、ベルサとプルーヌスの生産が止まります。同じ1974年、リンドベリ自身も肺がんと診断され、闘病ののちに仕事へ戻りました。装飾で名を成した人が、装飾を削らなければ器が作れない時代に、工場の芸術指導者として立っていたのです。アレナが生まれたのは、そういう年月のなかでした。

リンドベリの理念は、「美しい日用品を、多くの人の手が届くかたちで」というものでした。その理念を、手数をかけられない条件のもとでどう守るのか。アレナで彼が下した選択は三つあります。色、フォルム、そして素材です。リンドベリの生涯と全体像については、スティグ・リンドベリ完全ガイドで詳しくご紹介しています。

色で勝負する——鮮やかなオレンジと濃茶

色数を絞るのなら、その一色を強くする。アレナの帯は、沈んだ土の色ではなく、朱色を帯びた鮮やかなオレンジです。白との対比がはっきりと強く、棚に一枚立てかけるだけで、その帯が空間の焦点になります。1970年代のスウェーデンでは、グスタフスベリもロールストランドも、茶やアンバーといった暖色の釉薬をまとった炻器を数多く作りましたが、アレナの色はそのなかでも際立って明るいものです。手数を減らしながら、色の強さで見せ場をつくる——制約のなかでなお意匠で勝負しようとしたリンドベリの腐心が、この一色に表れています。

アレナの両手つき蓋物
アレナの両手つきの蓋物。ふっくらと丸い胴の下半分を、オレンジの帯がたっぷりと覆う。蓋の摘みにも同じ配色。

帯は、裏面の「handmålat(手描き)」の表記が示すとおり、一枚ずつ人の手で塗られています。塗り重ねの刷毛のむらがうっすらと残り、色は器によって明るい朱赤から少し落ち着いたオレンジまで、わずかに幅があります。装飾を一本の帯に切り詰めたからこそ、この手仕事の揺らぎが、そのままアレナの表情になりました。上半分の余白を大きくとった構成も、オレンジをいっそう鮮やかに見せています。

フォルムで勝負する——型を新しく起こす

それまでのグスタフスベリは、ひとつの形を据え置いて、装飾を替えることで名作を生んできました。1959年に開発されたLLモデルという共通のフォルムに、ベルサが描かれ、リネア(Linnea)やビィンタ(Vinta)が続いています。形は共通、絵柄で違いを出す——それが黄金期のやり方でした。合理的で、工場にとっても負担の少ない方法です。

ところがアレナでは、型そのものが新しく起こされています。ふっくらと丸い胴に、指を一本通すほどの小さな輪のハンドル。装飾を切り詰めた分、形そのものに語らせているのです。手数を削らざるを得なかった時代に、既存の型を使い回すのではなく、あえて型から作り直した——ここに、このシリーズに向けたリンドベリの構えが表れています。

アレナのカップの輪のハンドル
アレナのカップの持ち手。指を一本通すほどの、まるい輪のかたち。白い胴の裾に濃茶とオレンジの線がのぞく。

この輪のハンドルは、アレナを見分ける手がかりでもあります。カップにもポットにも共通し、装飾を抑えた表情によく似合っています。丸い胴と輪の持ち手という組み合わせは、どのアイテムを手に取っても変わりません。

ストーンウェアという選択——素材の移り変わりのなかで

素材の面でも、この時期のグスタフスベリは変わっていきます。長石磁器(fältspatporslin)を主軸としてきた工場に、より白く薄いボーンチャイナ(benporslin)の器が増えていきました。そのなかでアレナが選んだのは、どちらでもない、オーブン対応のストーンウェア(stengods)です。裏面の「Ugnssäkert handmålat stengods(オーブン対応・手描きのストーンウェア)」の表記が示すとおり、アレナは、オーブンからそのまま食卓へ——いわゆる「オーブン・トゥ・テーブル」の器としてデザインされました。

アレナ 片手鍋
アレナの片手鍋。棒状の持ち手と蓋つき。丸い胴の裾にオレンジ。蓋の摘みには同心円の筆あと。オーブンから食卓へ運ぶ形。

ストーンウェア(stengods=炻器)は、高温で焼き締められた、緻密で堅牢な焼きものです。透けるほど白く薄い磁器に対して、やや厚みがあり、素地に土の風合いを残します。オークションの出品名でも、アレナは一貫して stengods として記録されています(一部に磁器と記された出品もありますが、裏面の刻印は stengods を示しています)。手のかかる絵付けを減らす代わりに、オーブンにかけられる実用性を器の価値の中心に据える——これもまた、石油危機後の暮らしに寄り添う選択でした。

耐熱ストーンウェアという仕事は、リンドベリが1950年代に手がけたゲフィール(Gefyr)にも見られます。また1970年代後半のダート(Dart)では、同じシリーズのなかにストーンウェアとボーンチャイナが併存するようになり、工場の素材の移り変わりがそこにも映っています。同じころフィンランドのアラビア(ARABIA)では、ウラ・プロコッペのルスカ(Ruska)が炻器のシリーズとして広く親しまれました。国は違っても、この時期の北欧のうつわが向かった先は、そう遠くありません。

器が生まれた場所——ヴェルムドー島の入り江に建つ窯

グスタフスベリは、ストックホルム中心部から東へおよそ21km、ストックホルム群島のヴェルムドー(Värmdö)島にあります。窯は、内海の入り江ファルスタヴィーケン(Farstaviken=ファルスタ湾)の最奥部に面して建っています。もともとこの地には、17世紀に貴族マリア・ソフィア・デ・ラ・ガルディが築いた煉瓦工場があり、彼女がこれを「グスタフスベリ」と名づけました。その跡地に、最初の磁器工場が1825年から建てられていきました。

グスタフスベリ磁器工場の煉瓦造りの建物
グスタフスベリの磁器工場。入り江のほとりに長く連なる赤煉瓦の建物。撮影:Arild Vågen/CC BY-SA 4.0。

土地と器の結びつきを物語る逸話があります。ヴィルヘルム・コーゲが1920年代から実験に用いた陶土は、工場の目の前に広がるファルスタ湾から採られたものでした。窯が入り江に面して建っていたからこそ、湾の土がそのまま器になっていったのです。アレナの焼けた大地のようなオレンジも、こうした水辺の土の記憶とどこかで通じ合っています。

グスタフスベリの港とファルスタ湾
グスタフスベリの港。水際に給水塔と緑青色の尖塔をもつ教会。奥は入り江の対岸の森。撮影:Arild Vågen/CC BY-SA 4.0。

1937年、グスタフスベリはスウェーデンの生活協同組合連合会(KF、Kooperativa Förbundet)の傘下に入りました。「良いものを、公正な価格で、すべての人に」という協同組合の理念は、リンドベリやコーゲの「美しい日用品」という思想と自然に響き合い、戦後スウェーデンの家庭に良質な食器を広く行き渡らせました。石油危機のあとも、この窯はKFのもとで、手の届く価格の器を作り続ける役目を負っていました。アレナの簡潔さは、その役目と切り離せません。

アイテム構成(ラインナップ)

アレナには、ひととおりの品目がそろう幅広いアイテムが用意されました。プレートやボウル、コーヒーカップとティーカップ、ポットやクリーマー、シュガーボウル、そして片手鍋や両手つきの蓋物までが並びます。すべてが同じオレンジの帯で統一されているため、種類の異なるアイテムを重ねても美しくまとまります。

アレナ ティーカップ&ソーサー
アレナのティーカップ&ソーサー。背の低い広口のカップ。裾のオレンジの帯と、ふちの濃茶の線。
アレナ ティーポット
アレナのティーポット。ふっくらと丸い胴に、まっすぐ伸びる注ぎ口と輪の持ち手。蓋の縁にも濃茶の線。
アレナ 蓋つきポット
アレナの蓋つきポット。丸い胴と輪の持ち手。摘みの頭にもオレンジと濃茶。
アレナ クリーマー
アレナのクリーマー。手のひらにおさまる小さな注器。裾をオレンジの帯がめぐる。
アレナ シュガーボウル
アレナのシュガーボウル。まっすぐ立ち上がる胴の裾に、オレンジの帯と濃茶の線。

丸みを帯びた胴と輪のハンドルは、どのアイテムにも共通しています。ポットや鍋のような大ぶりな器では、オレンジの帯が胴の下半分をたっぷりと覆い、色の存在感がひときわ増します。カップや小物では帯が細く、白の余白が引き立ちます。器の大小によって色と余白のバランスが変わるのも、そろえて眺める楽しみのひとつです。

バックスタンプで読む見分け方

アレナを見分けるうえで、裏面のバックスタンプはもっとも確実な手がかりです。グスタフスベリの錨マークとともに、「Design: Stig Lindberg」「Ugnssäkert handmålat stengods」「Sweden」といった表記が並び、オーブン・食卓・食洗機への適合を示す小さな絵記号が添えられていることもあります。

アレナの底面のバックスタンプ
アレナのカップの底面。オレンジの帯に囲まれた白い高台の中心に、グスタフスベリの錨マークの青いスタンプ。

錨のマークは、グスタフスベリの標準的なバックスタンプです。マークとあわせて「Design: Stig Lindberg」の表記があれば、リンドベリのデザインであることの確かな裏づけになります。裏面に「handmålat(手描き)」と記されているとおり、オレンジの帯は一枚ずつ人の手で塗られたものです。よく見ると帯の幅や色の濃さにわずかな揺らぎがあるのは、この手仕事の名残です。グスタフスベリの錨マークによる年代の見分け方はグスタフスベリの刻印と年代の見分け方で、北欧食器全般の裏印については北欧食器のバックスタンプ総合ガイドで詳しく解説しています。

飾る・組み合わせる

アレナの魅力は、その温かな色にあります。白い地に鮮やかなオレンジという構成は、木の家具や麻の布とよく響き合い、部屋にやわらかな血色を添えます。同じ1970年代のリンドベリのストーンウェア、青いラインのダート(Dart)と並べると、暖色と寒色の対比が生まれ、コレクションとしての奥行きが出ます。

リンドベリの「色」で比べる

リンドベリは、時代ごとにさまざまな色を基調とした作品を手がけました。アレナを、ほかの代表作と並べて眺めると、それぞれの個性と、その背後にある時代の条件がよりはっきりと見えてきます。

シリーズ 主なモチーフ おおよその年代 印象
アレナ(Arena) 鮮やかなオレンジの帯 1973〜1978年 力強い・あたたかい
ダート(Dart) 青いラインと斑点 1970年代後半 簡素・涼やか
ベルサ(Berså) 緑の葉 1961〜1974年 明るい・軽快
プルーヌス(Prunus) 青い梅の実 1962〜1974年 繊細・可憐

緑のベルサが「明るさ」、青いプルーヌスが「可憐さ」だとすれば、オレンジのアレナは「あたたかさ」です。同じ作り手の器でも、色が変われば食卓の空気ががらりと変わります。ベルサとプルーヌスが1974年に止まり、その先にアレナとダートが続く——この表は、リンドベリの色の遍歴であると同時に、石油危機の前後で北欧の食器づくりが何を手放し、何を残したのかを示す年表でもあります。ベルサの誕生についてはベルサの葉は誰が描いたのかもあわせてご覧ください。

状態を見るときのポイント

アレナを含むヴィンテージのストーンウェアを見るときは、いくつか確認したい点があります。手描きのオレンジの帯は、長い年月のあいだに部分的に薄れたり、擦れたりすることがあります。また、ふちの小さな欠けや、貫入(かんにゅう=釉薬表面の細かな網目状の線)、底面のすれも、時代を経た北欧ヴィンテージらしい痕跡です。当店では全品を検品したうえで、コンディションを★★★★☆(4:美品)のような形式でご案内しています。半世紀近い時を越えてきた一点として、その質感も含めて眺めていただければと思います。

現地で出会う——グスタフスベリを訪ねて

アレナが生まれたグスタフスベリの町は、いまも訪ねることができます。ストックホルム中心部から東へ、バスでおよそ40分の距離です。かつての工場地区はポシュリンクヴァルテーレン(磁器地区)として文化的に再生し、赤煉瓦の建物にはショップやアトリエ、そしてグスタフスベリ磁器博物館が入っています。リンドベリやコーゲの作品から、アレナのような日用のシリーズまで、この窯の歩みを一望できる場所です。港の水際には、「G」の文字を掲げた給水塔と、緑青色の尖塔をもつ教会が静かに立っています。

ストックホルム群島の入り江
ストックホルム群島の入り江。松に縁取られた岸辺と、穏やかな水面に浮かぶ帆船。撮影:Arild Vågen/CC BY 3.0。

町の目の前には、ファルスタ湾の静かな水が広がっています。夏には白夜のやわらかな光が水面を照らし、秋には岸辺が紅葉に染まります。ヴェルムドー島には氷河に磨かれた岩肌と、群島の海が広がる自然保護区も点在しています。アレナのオレンジの帯を眺めるとき、その色の向こうに、こうしたスウェーデンの土と水辺の光景と、この器が作られた時代の厳しさを重ねてみると、一枚の器がぐっと豊かに感じられるはずです。

まとめ

アレナ(Arena)は、スティグ・リンドベリが1973年のグスタフスベリで手がけた、手描きのオーブン対応ストーンウェアです。1973年秋の石油危機と翌年のベルサ終売が示すとおり、北欧の食器づくりは、手のかかる絵付けを支えられなくなっていました。その条件のなかでリンドベリは、一色を鮮やかなオレンジで強め、型を新しく起こし、素材にオーブン対応のストーンウェアを選びました。白い胴の裾を太いオレンジの帯と濃茶の線がめぐる簡潔な構成は、削られた結果であると同時に、それでも色とフォルムで勝負しようとした巨匠の腐心の跡です。裏面の錨マークと「Design: Stig Lindberg」「handmålat stengods」の表記は、来歴を読み解く確かな手がかりになります。華やかな名作の陰に隠れがちなシリーズですが、その一本の帯にこそ、ひとつの時代とひとりの作り手の姿が刻まれています。

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