アラビア(ARABIA)ピルッティ(Pirtti)完全ガイド|ライヤ・ウオシッキネンとアンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィストが描いたフィンランドの「コテージ」
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ピルッティ(Pirtti)は、アラビア(ARABIA)が1969年から1985年まで製造したストーンウェアの食器シリーズです。フィンランド語で「丸太小屋の暖炉部屋」を意味するこの名前のとおり、クリーム色の地に二色の茶色の帯が走る、素朴で温かみのある意匠が特徴です。パターンはアラビアの装飾画家ライヤ・ウオシッキネン(Raija Uosikkinen)、フォルムは陶芸家アンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト(Anja Jaatinen-Winquist)が手がけたフォルム(通称「Mモデル」)を採用しています。
画像:Holger.Ellgaard/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0
1960年代後半のフィンランドのデザイン界では、磁器(ポーセリン)よりもストーンウェアを選び、装飾を抑えて素材そのものの質感を見せる流れが強まっていました。ピルッティはその空気のなかで生まれた一枚で、アラビアがストーンウェア素材のシリーズを本格的に展開した最初期の代表作の一つにあたります。
ピルッティは17年間にわたって製造され続け、1985年に生産を終えました。現在ではフィンランドのオークションやヴィンテージショップで見かける機会が減ってきており、北欧の市場を経て日本へ届く一点ものとして、当店でも入荷した際にはすぐにお迎え先が決まる傾向のあるシリーズです。
本記事では、ピルッティという名前のフィンランド文化的背景、二人のデザイナーが果たした役割、1969年という時代背景、ストーンウェアという素材の選択、ラインナップ、そしてバックスタンプによる年代判別までを一冊の図録のように整理します。
この記事でわかること
- 「ピルッティ」というフィンランド語の意味と、シリーズ名に込められた文化的背景
- パターンを描いたライヤ・ウオシッキネンと、フォルムを設計したアンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィストという二人のデザイナーの役割分担
- 1969年という時代背景——アラビアがストーンウェアを本格的に展開した理由
- ラインナップ(コーヒーカップ、ティーポット、プレート、ボウルなど)と、製造年代を読み取るバックスタンプの見方
目次
- ピルッティとは——基本情報
- 「ピルッティ(pirtti)」というフィンランド語——カレリアの暖炉部屋から
- 二人のデザイナー——パターンとフォルム
- 1969年という時代背景——磁器からストーンウェアへ
- ストーンウェアという素材の選択
- ピルッティのラインナップ
- バックスタンプと年代判別
- 1985年——生産終了とその後
- まとめ
ピルッティとは——基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| シリーズ名 | ピルッティ(Pirtti) |
| 名前の意味 | フィンランド語で「丸太小屋の暖炉部屋/コテージ」 |
| 製造ブランド | アラビア(ARABIA/フィンランド) |
| パターンデザイナー | ライヤ・ウオシッキネン(Raija Uosikkinen) |
| フォルムデザイナー | アンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト(Anja Jaatinen-Winquist)/「Mモデル」 |
| 発表年 | 1969年 |
| 製造期間 | 1969年〜1985年(約17年間) |
| 素材 | 施釉ストーンウェア |
| 配色 | クリーム色の地に、二色の茶色(明るい茶色と濃い茶色)の帯 |
| 主なアイテム | コーヒーカップ&ソーサー、マグ、ティーポット、クリーマー、シュガーボウル、プレート(17cm/フラット)、ボウル類 |
画像出典:Norden Design(参考画像)
「ピルッティ(pirtti)」というフィンランド語——カレリアの暖炉部屋から
シリーズ名の「ピルッティ(pirtti)」は、フィンランド語で「丸太小屋の中の、暖炉が据えられた主室」を意味する古い言葉です。英語に置き換えるなら「コテージ(cottage)」が近いものの、もう少し限定的に「暖炉のある板の間/囲炉裏部屋」を指します。フィンランドの伝統的な農家やサウナ小屋の中心となる場所で、家族が集い、暖を取り、客を迎える、いわば家の心臓部にあたります。
画像:Venny Soldan-Brofeldt/Wikimedia Commons/パブリックドメイン
ピルッティ=丸太小屋の暖炉部屋というイメージは、フィンランドの伝統的な住まいを語る文脈では、「素朴で、温かみのある空間」と結びつけて語られることが多い言葉です。1969年という発表年は、フィンランドが急速に都市化し、若い世代がヘルシンキやタンペレといった大都市のアパートに移り住んでいった時期にあたります。急速な都市化のなかで、田園的な住まいや素材感へのまなざしがデザインにも表れた時期と読むこともできます。クリーム色と茶色という大地に近い色合いの器に「ピルッティ」と名付けたことからは、都市の住空間に丸太小屋の温度感を重ねる意図も読み取れます。
画像:Dave_S./Wikimedia Commons/CC BY 2.0
二人のデザイナー——パターンとフォルム
ピルッティは「一人のデザイナーが一筆書きで仕上げた」シリーズではありません。アラビアの装飾画家ライヤ・ウオシッキネン(Raija Uosikkinen)がパターンを担当し、陶芸家アンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト(Anja Jaatinen-Winquist)が成形したフォルム——通称「Mモデル」——の上にそのパターンが乗っています。北欧の食器シリーズでは、形を作る人と絵を描く人が別の名前で記録されることが少なくありません。ピルッティはその典型例の一つです。
ライヤ・ウオシッキネン(パターン)
画像:Kalle Kultala/Lehtikuva/Wikimedia Commons/パブリックドメイン
ライヤ・ウオシッキネン(1923–2004)は、アラビアに約45年にわたって所属し、エミリア(Emilia)、アネモネ(Anemone)、ヴァルム(Valmu)、シナ(Sinilintu)など数多くの装飾を手がけた装飾画家です。彼女の代表作の多くは、繊細な手描きの花や枝、北欧の自然をモチーフにした連続模様を特徴としていますが、ピルッティはその系譜のなかではかなり例外的な作品といえます。
ピルッティのパターンは、明るい茶色の細い帯と濃い茶色の太い帯を、円筒のフチに沿って一周させただけのシンプルな構成です。装飾画家としてのウオシッキネンの腕の見せ所は、むしろ「装飾を抑えた装飾」の難しさにあります。クリーム色の地と茶色の帯の比率、二色の茶色の濃淡差、帯の太さ——どれか一つが少しでもずれれば、平板な量産品のような印象に転んでしまいます。ピルッティが今もなお落ち着いた表情を保っていられるのは、ウオシッキネンの抑制の効いた配色設計に拠るところが大きいといえます。
ライヤ・ウオシッキネンについては、生涯と全代表作を掘り下げた別記事も用意しています。あわせてご覧ください。
アンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト(フォルム=Mモデル)
アンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト(1934–2015)は、ピルッティの土台となった「Mモデル」と呼ばれるフォルムを設計した陶芸家です。1934年、フィンランド領カレリア地方のソルタヴァラ(Sortavala、現在はロシア領)に生まれました。1944年、第二次世界大戦末期にこの町はソビエト連邦に割譲され、住民の多くがフィンランド側に避難する歴史的経緯を辿っています。彼女自身も幼少期に故郷を離れた一人でした。
画像:Anders98en/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0
戦後のヘルシンキでは、彼女は工業美術中央学校(現在のアールト大学芸術・デザイン・建築学部)に学び、1955年に卒業しています。その後の5年間は、アラビアアート部門の重鎮アウネ・シーメス(Aune Siimes)のアシスタントを務め、超薄手の磁器作品で知られたシーメスの仕事を間近で見ながら、陶芸家としての基礎を固めました。
画像:Aatu Dorochenko/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0
1974年までアラビアの製品デザイン部門に在籍し、複数の食器シリーズと装飾を手がけました。代表作はカレリア(Karelia)——酸化鉄装飾を施した同じ「Mモデル」のフォルム——です。ピルッティはそのカレリアと同じMモデルを使い、装飾だけをライヤ・ウオシッキネンの手によるシンプルな茶色の帯に置き換えた姉妹シリーズと位置づけられます。
アンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィストはまた、サーラ(Saara、1971–1976)、カレヴァラ(Kalevala)、パユ(Paju)など複数のシリーズも残しました。彼女自身は熟練のろくろ師でもあり、自らストーンウェアの土を調合し、一点物のボトルやビーカーを焼き、それらに茶色のマットな色調で装飾を施す作家でもありました。ピルッティが「ストーンウェアの肌に茶色が映える食器」として成立したのは、ヤーティネン=ヴィンクヴィスト自身の作家としての関心が直接フォルムに反映されているからとも読めます。
1969年という時代背景——磁器からストーンウェアへ
ピルッティが発表された1969年は、北欧の食器デザイン史において一つの転換点にあたります。1950年代から60年代前半までの黄金期は、繊細な手描きの装飾と薄手の磁器(ポーセリン)が主役の時代でした。スティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)のベルサ(Bersa、1961年)、ウラ・プロコッペ(Ulla Procopé)のバレンシア(Valencia、1960年)、マリアンヌ・ウェストマン(Marianne Westman)のモナミ(Mon Amie、1952年)——いずれも白い磁器を画布に見立て、その上に色鮮やかな図柄を描くという発想で生まれた名作です。
画像:Matthias Süßen/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0
1960年代後半に入ると、空気が変わっていきます。一つは「自然回帰」の流れです。スウェーデンでは1960年代末からアースカラー(大地の色=茶、ベージュ、苔色、深緑)を基調とした食器が増えはじめ、同時期のアラビア製品にも、アースカラーを取り入れた展開が見られます。もう一つは、素材の選択そのものの変化です。それまでの主力だった薄手の磁器は、衝撃に弱く、欠けやすいという弱点を抱えていました。1960年代後半から、アラビアは高い焼成強度を備えた堅牢なストーンウェア(炻器)の量産技術を確立し、ピルッティと同年に発表されたインケリ・レイヴォ(Inkeri Leivo)のアルクティカ(Arctica)など、ストーンウェア素材の食器を立て続けに送り出していきます。
1973年の第一次オイルショックも、この流れを後押しした要因の一つでした。エネルギーコストが急騰し、薄手磁器の高温焼成が経営的に難しくなる一方で、より低めの温度で焼けるストーンウェアの相対的な優位性が高まっていきました。ピルッティはこの転換のちょうど直前——1969年——に発表され、アラビアがストーンウェアへと重心を移していく流れを示す、最初期の代表作の一つに位置づけられます。
画像:Aarne Mikonsaari/Wikimedia Commons/CC BY 4.0
ストーンウェアという素材の選択
ピルッティの大きな特徴の一つは、アラビアのなかでも比較的早い段階で「ストーンウェア」を素材として選んだことです。ストーンウェアは1200℃前後の高温で焼き締めた炻器(せっき)の一種で、磁器より厚みと重みがあり、棚や空間に置いたときの存在感が大きい素材です。釉薬を施したストーンウェアは表面がガラス化しており、吸水性がほとんどなく、欠けにも比較的強いという特徴を持ちます。
画像出典:Norden Design(参考画像)
磁器の繊細さに比べると、ストーンウェアの肌は素朴で土の温度を感じさせます。ピルッティのクリーム色の地は、純白の磁器のように冷たくは感じられず、少し黄味を帯びた象牙色に近い印象です。光の入り方によっては、わずかにくすんで見えることもありますが、それがかえって茶色の帯のコントラストを和らげ、全体を落ち着いた表情にまとめています。
ピルッティが「pirtti=丸太小屋の暖炉部屋」と名付けられた理由も、このストーンウェアという素材選択と無関係ではありません。冷たい白磁ではなく、土の温度を残したストーンウェアだからこそ、丸太の床や板壁の質感を連想させる名前が選ばれた、と読むこともできます。
ピルッティのラインナップ
ピルッティはカップ&ソーサーを中心に、ポット、プレート、ボウルなど、同一意匠で複数の器形が展開されました。1969年から1985年までの17年間で、以下のようなアイテムが製造されています。
カップ・ポット類
- コーヒーカップ&ソーサー(容量0.15L/0.22Lの二種類)
- マグカップ(高さ約60mm、口径約66mm)と専用のパンプレート(直径約141mm)
- ティーポット(容量約1.5L、内側にストレーナー状の構造を備えた蓋)
- クリーマー(高さ約86mm、口径約67mm)
- シュガーボウル(高さ約55mm、口径約103mm、蓋付き)
画像出典:Norden Design(参考画像)
プレート類(皿)
- パンプレート/サイドプレート(直径約14〜17cm)
- ランチプレート(直径約20〜21cm)
- ディナープレート(直径約24〜26cm)
- スーププレート/シリアルボウル
大鉢・ボウル類
- ベジタブルボウル(大鉢)
- サラダボウル/ランチプレート
画像出典:Norden Design(参考画像)
17年という長い製造期間のなかで、いくつかのアイテムは早い時期に廃番になり、また別のアイテムは追加されるなど、ラインナップは少しずつ変化しました。コーヒーカップとプレート類は最も流通量が多く、現在のヴィンテージ市場でも比較的見つけやすい一方で、ポット類や蓋付きボウルといった、シリーズの中心的な器形は流通数が少なく、現在のヴィンテージ市場でも見つかった際には即座に動く傾向があります。
バックスタンプと年代判別
ピルッティの裏側を見ると、アラビアの典型的なバックスタンプの変遷を辿ることができます。1969年から1985年という製造期間は、ちょうどアラビアのロゴが大きく変わった時期と重なるためです。年代判別の概略は次のとおりです。
1971年以前——「アラビア・フィンランド(ARABIA FINLAND)」と王冠ロゴ
ピルッティ発表初期にあたる1969年から1971年頃までの個体には、王冠のシンボルと「ARABIA FINLAND」の文字が組み合わされた、比較的伝統的なロゴが使われています。
1971年〜1981年——「アラビア・フィンランド(ARABIA FINLAND)」ロゴ(王冠なし)
1971年から1981年にかけては、王冠を外した「ARABIA FINLAND」の活字ロゴが主流になります。ピルッティの大半の個体はこの時期に該当します。シリーズ名の刻印(PIRTTI)と、デザイナー名の頭文字(RU)が併記されているものもあります。
1981年以降——簡略化されたロゴ
1981年以降の後期生産分には、より簡略化されたロゴが使われ、塗料の色も淡くなる傾向があります。ピルッティが1985年に生産を終えたあとも、デッドストック品として倉庫に残ったものが1986年以降に市場に流れた可能性があるため、底面のロゴだけで厳密に「製造終了年」を特定することは難しい場合もあります。
アラビアのバックスタンプの年代別変遷については、専用の総合ガイドにより詳しい資料を掲載しています。
画像:Matthias Süßen/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0
1985年——生産終了とその後
ピルッティの生産終了は1985年です。直接の理由は記録に残されていませんが、いくつかの背景を整理することはできます。一つは、1980年代に入ってからのインテリアの嗜好の変化です。1960〜70年代に流行したアースカラーは、80年代に入るとパステル調や、より純度の高い白へと取って代わられていきました。茶色の帯を主役にしたピルッティは、80年代半ばの新作の文脈のなかでは「やや古い」配色と見なされるようになっていきます。
画像:Ximonic(Simo Räsänen)/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0
もう一つは、アラビアの製品戦略の変化です。1980年代のアラビアは、より装飾性の高い、あるいはより新しい技法を用いた食器に重心を移していきました。1981年に発表されたウラ・プロコッペの遺作プリムール(Primeur)や、1980年代に始まるカステヘルミ(Kastehelmi)の再評価といった流れのなかで、シンプルなアースカラーの器のラインは、当時の新作展開のなかで相対的に後景へ移っていきました。
ピルッティが1985年に役目を終えたあと、現在のヴィンテージ市場では、抑制された装飾を評価する見方もあります。茶色の帯という抑制された装飾は、流行に左右されにくく、白磁が増えた時代の空間に「アクセントとして配しやすい北欧の器」として位置づけ直されていきます。現在では、ヘルシンキのアンティークショップやフィンランドのオークションで、コーヒーカップ&ソーサーが20〜40ユーロ、ティーポットが80〜150ユーロ前後で取引されることが多く、コレクター市場でも安定した人気を保つシリーズの一つとなっています。
画像:Safa Hovinen/Wikimedia Commons/CC BY 2.0
まとめ
ピルッティを一言で言うなら、「1969年のアラビアが、磁器からストーンウェアへと重心を移す時期に発表した、フィンランドの丸太小屋を想起させる茶色の帯の食器シリーズ」です。
パターンを描いたライヤ・ウオシッキネンと、フォルムを設計したアンヤ・ヤーティネン=ヴィンクヴィスト。二人の北欧の女性デザイナーの仕事が重ね合わされ、約17年間にわたって製造され続けた一連の作品群は、今もなお、北欧のアースカラーを語るうえで欠かせない位置を占めています。
当店では、ピルッティを含むアラビアのヴィンテージ食器を、北欧の市場やオークションを経て一点ずつお迎えしています。入荷の機会は限られていますが、最新の在庫は下記のリンクからご確認いただけます。
画像:Safa Hovinen/Wikimedia Commons/CC BY 2.0