北欧食器ブランドの統合史——フィスカースグループと名窯たちの現在

北欧食器ブランドの統合史——フィスカースグループと名窯たちの現在

北欧食器ブランドの統合史——フィスカースグループと名窯たちの現在

アラビアロールストランドって、もともと同じ会社だったんですか?」「イッタラとアラビアはどういう関係ですか?」——北欧食器に興味を持つと、必ずぶつかるのがブランド同士の複雑な関係です。

実は現在、アラビア・イッタラ・ロールストランド・ハックマンはすべて同じ企業グループ——フィンランドのフィスカース(Fiskars)グループの傘下にあります。この記事では、北欧の名窯たちがどのような道をたどって一つのグループに集約されたのか、その歴史をたどります。

アラビアのデザインチーム 1953年
アラビアのデザインチーム、1953年。カイ・フランクを中心に、北欧デザインの黄金時代が花開いた(画像:Wikimedia Commons / CC BY 4.0)

すべてはロールストランドから始まった

ロールストランド(Rörstrand)は1726年、ストックホルムに設立されたスウェーデン最古の陶磁器メーカーです。当初はファイアンス(錫釉陶器)をコバルトブルーのデザインで製造していました。

19世紀後半、ロールストランドはロシア市場への進出を目指します。当時、フィンランドはロシア帝国の自治大公国。関税の壁を越えるため、ロールストランドは1873年にヘルシンキ郊外のトウコラ地区に子会社を設立しました。

これがアラビア(ARABIA)の誕生です。

つまり、北欧を代表するフィンランドの食器ブランドは、スウェーデンの窯元が作った「子会社」から始まったのです。

ロールストランドセンター リードヒェーピング(旧工場・現ミュージアム)
リードヒェーピングのロールストランドセンター。1726年創業のロールストランドの歴史を今に伝える(画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)
カイ・フランク ポートレート
「フィンランドデザインの良心」カイ・フランク。アラビアのデザイン部門を率い、キルタ、テーマなどの名作を生み出した(画像:Wikimedia Commons / CC BY 4.0)

アラビアの独立とフィンランドでの発展

アラビアは設立当初こそロールストランドの子会社でしたが、急速に独自の発展を遂げます。

  • 1916年 — フィンランド独立(1917年)前後に、アラビアはロールストランドから独立した経営体制へ移行
  • 1940年代 — カール=グスタフ・ヘルリッツの指導のもと、ヨーロッパ最大級の陶磁器工場に成長。従業員数は1,500人を超えた
  • 1950年代 — カイ・フランクを中心とするデザイン部門が国際的評価を獲得。キルタ、ルスカバレンシアなどの名作が次々と生まれた
ヘルシンキのヘメーンティエ135番地に立つアラビア磁器工場、1965年(写真提供:Helsingin kaupunginmuseo / Public Domain、撮影:Constantin Grünberg)
ビルイェル・カイピアイネン 1953年
ビルイェル・カイピアイネン、1953年。パラティッシの生みの親であり、アラビアのアート部門を代表するデザイナー(画像:Wikimedia Commons / CC BY 4.0)
アラビア バレンシア ティーカップ&ソーサー
1950年代以降にアラビアが生み出した名作のひとつ、バレンシア

アラビアは「親」であるロールストランドを凌ぐ規模と名声を手にしたのです。


ロールストランドの工場移転——ストックホルムからリードヒェーピングへ

一方のロールストランドも激動の時代を歩みます。

  • 1914年 — ヨーテボリ磁器工場を買収
  • 1926年 — ストックホルムの工場を閉鎖し、ヨーテボリへ移転。約200年の歴史を持つストックホルムの拠点に別れを告げた
  • 1929年 — リードヒェーピング磁器工場(Lidköpings Porslinsfabrik)と合併
  • 1936-1939年 — ヨーテボリからリードヒェーピングへ再移転。リードヒェーピングがロールストランドの本拠地となる
ロールストランドセンター入口 リードヒェーピング
リードヒェーピングのロールストランド工場跡地(現ロールストランドセンター)。ここでモナミやシルビアが生まれた(画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)

リードヒェーピング時代に、マリアンヌ・ウェストマンモナミシルビアなど、数々の名作が誕生します。

ロールストランド モナミ コーヒーカップ・トリオ
リードヒェーピング工場で生まれた名作モナミ
ロールストランド シルビア コーヒーカップ&ソーサー
シルビア。レウショヴィウスがパターンをデザインし、ロールストランドの250周年(1976年)にちなんだシリーズ

統合への序曲——企業グループの時代

1960年代以降、北欧の陶磁器産業は大きな転換期を迎えます。各窯元は独立を維持することが難しくなり、次々と大企業グループに吸収されていきました。

ロールストランドの変遷

  • 1964年ウプサラ=エケビー(Upsala-Ekeby)グループに加入。このグループにはロールストランドのほか、ウプサラ・エケビーやゲフレなどのスウェーデンの窯元が含まれていた
  • 1984年 — フィンランドの重工業コングロマリットヴァルチラ(Wärtsilä)に買収される
アラビア工場内部 1975年
1975年のアラビア工場内部。企業グループの変遷を経ながらも、ヘルシンキでの生産は2016年まで続いた(写真:Keijo Laajisto / Helsingin kaupunginmuseo / CC BY 4.0)

アラビアの変遷

  • 1947年 — フィンランドの工業グループヴァルチラ(Wärtsilä)がアラビアを買収
  • 1990年 — ヴァルチラの家庭用品部門が独立し、ハックマン(Hackman)グループに統合

ここで注目すべきは、ヴァルチラがアラビア(1947年)とロールストランド(1984年)の両方を傘下に収めたということ。かつての「親子」が、別の企業を介して再び同じグループに戻ったのです。


イッタラグループの誕生——北欧デザインブランドの集約

1990年代から2000年代にかけて、北欧の陶磁器・ガラス・家庭用品ブランドの統合が加速します。

  • 1990年 — ハックマンがヴァルチラの家庭用品部門を引き継ぎ、アラビアやイッタラを傘下に
  • 2001年 — ハックマンがロールストランドを買収。アラビアとロールストランドが約130年ぶりに同じグループへ
  • 2003年 — ハックマングループの消費者ブランド部門が「イッタラ(Iittala oy ab)」として独立
  • 2004年 — イタリアのALIグループがハックマンを買収。その際、イッタラ部門は経営陣とABNアムロ・キャピタルに売却され、独立を維持
イッタラ アスラク タンブラー
イッタラグループの代表ブランド、イッタラ。写真はアスラクタンブラー
アラビア工場棟 アラビアンランタ
ヘルシンキ・アラビアンランタ地区のアラビア工場棟。イッタラグループの中核拠点として2016年まで操業した(画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)

こうしてイッタラグループには、イッタラ・アラビア・ハックマン・ロールストランド・ヘガネス・ケラミック(Höganäs Keramik)など、北欧を代表するブランドが集まりました。


フィスカースによる統合——現在の姿

2007年、フィンランドの老舗企業フィスカース(Fiskars)がイッタラグループを約2億3,000万ユーロで買収しました。

フィスカースは1649年にフィンランドで設立された企業で、もともとは刃物・はさみメーカーとして知られていました。イッタラグループの買収により、フィスカースは一躍北欧最大の家庭用品メーカーへと変貌します。

アラビア パラティッシ オーバルプレート
フィスカースグループ傘下のアラビアが誇る名作パラティッシ

さらに2015年、フィスカースは英国のWWRD(ウォーターフォード・ウェッジウッド・ロイヤルドルトン)を買収。ウェッジウッド、ウォーターフォード・クリスタル、ロイヤルドルトンなどの名門ブランドを加え、世界的なプレミアムライフスタイル企業へと成長しました。

現在のフィスカースグループが保有する北欧食器ブランド

  • アラビア(ARABIA) — フィンランド。1873年創業。パラティッシ、ムーミンマグなど
  • イッタラ(Iittala) — フィンランド。1881年創業。アルヴァ・アアルトのガラス器、タピオ・ヴィルカラの作品など
  • ロールストランド(Rörstrand) — スウェーデン。1726年創業。モナミ、シルビアなど
  • ハックマン(Hackman) — フィンランド。1790年創業。カトラリー、調理器具
  • ムーミン・アラビア(Moomin Arabia) — ムーミンの世界を食器で表現するブランド

閉鎖された工場、移転された生産

企業統合の過程で、かつての名門工場は次々と閉鎖されました。

ロールストランド・リードヒェーピング工場(2005年閉鎖)

2001年のイッタラによる買収後、生産の効率化が進められ、ロールストランドの製品はスリランカやハンガリーの工場で製造されるようになりました。そして2005年12月30日、約70年にわたりロールストランドの本拠地であったリードヒェーピング工場が閉鎖されました。ブランドとしてのロールストランドはフィスカースグループ傘下で存続していますが、スウェーデン国内での生産はここで終わりを告げたのです。

現在、旧リードヒェーピング工場はロールストランドミュージアムとして保存され、ロールストランドの歴史とコレクションを展示しています。

アラビア工場での手描き絵付け 1975年
アラビア工場での手描き絵付け作業、1975年。2016年の工場閉鎖まで、こうした職人の手仕事が続けられていた(写真:Keijo Laajisto / Helsingin kaupunginmuseo / CC BY 4.0)
アラビア工場での陶器成形 1975年
アラビア工場での陶器成形作業、1975年。リードヒェーピング工場(2005年閉鎖)と同様に、ヘルシンキ工場も2016年に最後の窯を消した(写真:Keijo Laajisto / Helsingin kaupunginmuseo / CC BY 4.0)

アラビア・ヘルシンキ工場(2016年閉鎖)

143年にわたりヘルシンキのトウコラ地区(ヘメーンティエ135番地)で操業してきたアラビア工場は、2016年3月18日に最後の窯を消しました。

現在、アラビアの製品はタイやルーマニアで製造されています。旧工場跡地にはアアルト大学の芸術・デザイン・建築学部が入居し、フィンランドのデザイン教育の拠点として第二の人生を歩んでいます。

ヘルシンキのアラビア工場と煙突、1970年。2016年に最後の窯が消えた(写真提供:Helsingin kaupunginmuseo / Public Domain、撮影:Simo Rista)

対照的な道を歩んだグスタフスベリ

同じスウェーデンの名窯でありながら、グスタフスベリ(Gustavsberg)はロールストランドとは異なる道を歩みました。

  • 1937年 — スウェーデンの消費者協同組合KF(Kooperativa Förbundet)がグスタフスベリを買収
  • 1939年 — 衛生陶器(トイレ・洗面台など)の製造を開始。以後、食器と衛生陶器の二本柱で展開
  • 1993年 — 経営危機により工場閉鎖。事業は分割売却される
  • 衛生陶器部門 — ドイツのビレロイ&ボッホ(Villeroy & Boch)が買収
  • 食器部門 — スウェーデン資本のHPF i Gustavsberg ABが継承し、グスタフスベリ現地で食器製造を継続
グスタフスベリ磁器工場 1973年
グスタフスベリ磁器工場の外観、1973年。フィスカースグループには入らず、スウェーデン国内での生産を継続している(画像:Wikimedia Commons / CC BY 4.0)
グスタフスベリ磁器工場の建物
グスタフスベリ磁器工場。消費者協同組合KFの傘下で食器と衛生陶器の二本柱で展開し、現在もスウェーデン国内で生産を続ける(画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)
グスタフスベリ ベルサ モーニングカップ&ソーサー
グスタフスベリの代表作ベルサ。フィスカースグループには入らなかった独自の道を歩む

グスタフスベリの食器部門がフィスカースグループに入らなかったことは、北欧食器の地図を理解する上で重要なポイントです。グスタフスベリは現在もスウェーデン国内で生産される数少ない北欧食器ブランドのひとつです。


統合がもたらしたもの——光と影

復刻と再評価

フィスカースグループの資本力により、かつての名作シリーズが復刻されました。2008年にはモナミがマリアンヌ・ウェストマンの80歳を記念して復刻。多くの人々が再びモナミを手にできるようになりました。

ロールストランド モナミ 17cmプレート
復刻されたモナミ。多くの人々が再び手にできるようになった

ヴィンテージの価値の向上

しかし工場閉鎖は、ヴィンテージ食器の価値を大きく押し上げました。「SWEDEN」と刻印されたロールストランド、ヘルシンキ工場で焼かれたアラビアは、もはや二度と生産されることのない、時代の証人です。

アラビア バレンシア 36cmプレート
ヘルシンキ工場で職人が手描きしたバレンシア。二度と生産されることのない、時代の証人

特に、リードヒェーピング工場で製造されたモナミやシルビアのオリジナル品は、復刻版では再現できない素地の質感・色の深み・手仕事の痕跡を持っており、コレクターから高い評価を受けています。

ブランドの意味の変容

かつて「アラビア」はヘルシンキの工場を、「ロールストランド」はリードヒェーピングの窯を意味していました。現在のこれらのブランド名は、特定の場所や技術を示すものではなく、デザインの伝統と美意識の名前として存続しています。


年表——北欧食器ブランド統合の軌跡

  • 1649年 — フィスカース設立(フィンランド)
  • 1726年 — ロールストランド設立(スウェーデン・ストックホルム)
  • 1825年 — グスタフスベリ磁器工場設立(スウェーデン)
  • 1873年 — ロールストランドがアラビアを設立(フィンランド・ヘルシンキ)
  • 1881年 — イッタラガラス工場設立(フィンランド)
  • 1916年頃 — アラビアがロールストランドから独立
  • 1926年 — ロールストランド、ストックホルムからヨーテボリへ移転
  • 1936-1939年 — ロールストランド、リードヒェーピングへ移転
  • 1947年 — ヴァルチラがアラビアを買収
  • 1964年 — ロールストランドがウプサラ=エケビーグループへ
  • 1984年 — ヴァルチラがロールストランドを買収
  • 1990年 — ハックマンがヴァルチラの家庭用品部門を承継
  • 1993年 — グスタフスベリ工場閉鎖・分割売却
  • 2001年 — ハックマン(のちのイッタラ)がロールストランドを買収
  • 2003年 — イッタラグループとして独立
  • 2005年 — ロールストランド・リードヒェーピング工場閉鎖
  • 2007年 — フィスカースがイッタラグループを買収
  • 2015年 — フィスカースがWWRD(ウェッジウッド等)を買収
  • 2016年 — アラビア・ヘルシンキ工場閉鎖
1950-60年代フィンランドデザインのテーブルセッティング
1950-60年代のフィンランドデザイン。カイ・フランクのキルタ食器やタピオヴァーラのピルッカ家具が並ぶ、黄金時代の食卓風景(画像:Wikimedia Commons / CC BY 4.0)

まとめ——名前は残り、窯の火は消えた

北欧食器ブランドの300年の歴史は、創造と統合の物語です。ロールストランドが生んだアラビアは親を超える存在となり、その両者はめぐりめぐって同じフィスカースグループに帰着しました。

工場は閉鎖され、生産は海を越えました。しかし、リードヒェーピングの窯で焼かれたモナミ、ヘルシンキの工場で職人が手描きしたバレンシア——これらのヴィンテージ食器には、特定の場所・特定の時代・特定の人々の手が刻み込まれています。

だからこそ、ヴィンテージの北欧食器には現行品にはない特別な価値があるのです。

ロールストランド アネモン ティーカップ&ソーサー
特定の場所・特定の時代・特定の人々の手が刻み込まれたヴィンテージ食器
アラビア工場旧棟 ヘルシンキ
ヘルシンキのアラビア工場旧棟。名窯たちの窯の火は消えたが、ヴィンテージ食器に刻まれた記憶は永遠に残る(画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)

当店北欧食器タックショミュッケでは、フィンランド・スウェーデンから直接買い付けた、工場閉鎖前に製造された本物のヴィンテージ食器を取り扱っています。

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