カイピアイネンが描いた「楽園」 フィンランド製オリジナルの名作
「装飾の王」が生んだ楽園

パラティッシをデザインしたビルガー・カイピアイネン(1915-1988)は、フィンランドが誇る「装飾の王(Koristeiden kuningas)」。青年期にポリオを患い、ろくろが使えない身体でありながら、50年以上にわたりアラビア工場で装飾芸術に人生を捧げました。
ミニマリズムが席巻する北欧デザインの潮流に、彼は真っ向から抗いました。
「装飾性は人類最古の執着である。それを去勢すれば、人間は弱者になる。私は単調さと単純化が嫌いだ」
妻の死、スミレ、そして楽園へ
1966年、カイピアイネンは最愛の妻マッギを失います。彼女の棺をブルーのスミレで覆ったその日から、スミレは彼の生涯のモチーフとなりました。
「ショパンはスミレを愛した。私はショパンを愛する」
悲しみの中で生まれたのが、200万個のセラミックビーズで構成された40平方メートルの巨大壁画「オルヴォッキメリ(すみれの海)」。1967年モントリオール万博でグランプリを受賞しました。

このオルヴォッキメリの延長線上に、1969年、パラティッシは誕生します。元の名前は「タルハ(果樹園)」。ベルギー国王ボードワン夫妻がアラビア工場を訪問した際、完成したばかりのこのデザインに一目惚れ。ファビオラ王妃が自宅用に購入を希望し、「パラティッシ(楽園)」と名付けられました。
アラビア工場 — パラティッシが生まれた場所


ヴィンテージと現行品の違い
パラティッシの生産は1969年に始まり、1974年に一度中断。1988年に復活しましたが、その際にオリジナルの楕円形プレートから丸形に変更され、素材もファイアンス陶器からヴィトロ磁器に変わりました。さらに2016年にはフィンランド工場が閉鎖され、現在はタイで製造されています。
つまり、フィンランド製のヴィンテージ・パラティッシは——特に1969〜1974年のオリジナル期のものは——カイピアイネン自身が監修した時代の、もう二度と作られることのない器です。
ARABIA社の名器パラティッシのヴィンテージのスープチューリンです。フィンランド語で楽園を意味するParatiisi(パラティッシ)シリーズは、1969年にビルガー・カイピアイネンがアラビア社でデザインしたものです。1972年には同名シリーズのモノクロ版もデザインされています。その背景には彩色にかかるコストダウンの意図があったと言われています。パラティッシは1974年に製造が中止となっていますが、1988年には同名シリーズが復刻されています。
ただし88年以降はフィンランド原産でもバックスタンプに違いが生じており、パンジーの絵が描かれなくなり、アラビアマークの周りにoven to safeやmicrowave safeなどが英語で表記されています。現在ではパラティッシは復刻版が製造されていますが、すべてタイ産となっています。
こちらは1971年に製造されたヴィンテージのチューリン(スープの取り分け用の保温器)です。バックスタンプにヴィオラ(パンジー)のロゴが描かれており、カイピアイネンがARABIA社に在籍していたときに製造された最初期のヴィンテージ品です。スープチューリンは数も少ないため、ヴィオラロゴの特大チューリンは骨董的な価値を持つ幻のアイテムと言って良いものです。バックスタンプにある”5 - 71”とは製造された月年を表しています。
■詳細
メーカー:ARABIA/ アラビアアラビア
デザイナー:Birger Kaipiainen/ ビルガー・カイピアイネン
年代:1971年5月
製造国:フィンランド
コンディション:★★★★☆(4.5:極々美品)
全体的に使用感が一切ない極々美品です。チューリン内部底にわずかにスレが見られます。また高台部分には製造工程で生じた黒点や、スレがわずかに見られます。
フタの丸いツマミの根本には釉薬の下にヘアラインがあります。ヒビではなく製作工程でツマミ部分を後付けするため生じるものです。またフタの返しの部分には薄く茶気た箇所が3箇所ほど見られます。本体側面のペイント部分にはりんごとヴィオラに一つずつにごくわずかに薄くスレが見られます。
■サイズ:本体横幅24.4cm(取手含む)縦幅18.5cm 高さ21cm(フタ含む)
■容量:2,500ml
■ビルガー・カイピアイネンについて

ビルガー・カイピアイネン(Birger Kaipiainen,1915〜1988年)
ボスニア湾沿岸のフィンランド南西部ポリ(Pori)の生まれ。フィンランドを代表するデザイナー、「デコレーターの王」と呼ばれる。若き日に家族はヘルシンキに引っ越すが、カイピアイネンは毎年夏をロシアのソルタヴァラという町でホームステイをして過ごす。そこで養われた自然感や芸術性は終生彼に影響を与えることとなる。若き日にカイピアイネンは小児麻痺を患い、その影響で生涯杖をついて歩くこととなる。ポリオの後遺症により自らの力でろくろを回し陶芸をすることが出来なかったが、それがかえって彼に芸術的センスを磨かせるきっかけとなったとも言われる。
カイピアイネンはフィンランドの最高峰の芸術大学であるヘルシンキ中央工芸学校(現アールト大学))を卒業し、1937年にARABIA社に就職、1954年から4年間はスウェーデンのロールストランド社にも転籍している。シンプルかつ飾らない北欧のモダンアートの全盛期において、カイピアイネンのデザインは装飾性に富み隅々まで描かれた細かい描写に特徴がある。時代の主流とは一線を画する独自の世界観を築いており、1969年にパラティッシを、1970年にはアピラ、1971年にはスンヌンタイをデザインしている。これらはいまなおARABIAブランドの復刻版で看板商品となっている。
■関連コレクション
パラティッシのバックスタンプ(ロゴ)の変遷











