スヴェン=エリック・スカヴォニウス完全ガイド|「ドゥカート」を生んだ舞台美術家、ガラスと北欧食器のデザイナー
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スヴェン=エリック・スカヴォニウスとは|舞台美術からガラスと北欧食器へ広がった理論家
スヴェン=エリック・スカヴォニウス(Sven Erik Skawonius、1908–1981)は、王立劇場(Dramaten)の舞台美術家として出発し、コスタ・ガラス工房、ウプサラ・エクビー、カールスクローナ磁器を横断して活動したスウェーデンのデザイナーです。舞台美術、ガラス、北欧食器、著述を横断した、20世紀スウェーデンの多才なデザイナーの一人として知られています。
1954年にカールスクローナ磁器から発売され、翌1955年のヘルシンボリ博覧会(H55)で広く紹介された「Dukat(ドゥカート)」は、装飾を抑え、器形そのものを重視した北欧食器シリーズとして、戦後スウェーデンの機能主義を象徴する作品の一つに数えられています。同時に、彼はアーサー・ハルド(Arthur Hald)と共著で『Nyttokonst(実用芸術)』を著した理論家でもありました。
本記事では、舞台美術家として歩み始めた青年期から、ガラスと北欧食器を横断したデザイナーとしての40年、そして「Vackrare vardagsvara(より美しい日用品)」運動の継承者としての側面までを、当店が扱う北欧ヴィンテージの文脈に沿って解説します。
この記事でわかること
- スヴェン=エリック・スカヴォニウスの生涯と教育(1908年ストックホルム生まれ)
- 王立劇場・コスタ・ウプサラ・エクビー・カールスクローナ磁器での仕事と年代
- 1955年「ドゥカート」とH55ヘルシンボリ博覧会の背景
- アーサー・ハルドとの共著『Nyttokonst』に込められた思想
目次
- スカヴォニウスの基本情報
- 生い立ちとストックホルムでの教育
- 王立劇場の舞台美術家として
- コスタ・ガラス工房でのガラスデザイン
- ウプサラ・エクビーとカールスクローナ磁器
- 代表作「ドゥカート」とH55ヘルシンボリ博覧会
- アーサー・ハルドとの共著『実用芸術』
- 「より美しい日用品」運動と評価
スカヴォニウスの基本情報
| 名前 | スヴェン=エリック・スカヴォニウス(Sven Erik Skawonius) |
|---|---|
| 生年・生地 | 1908年8月31日、ストックホルム(オスカル教区) |
| 没年・没地 | 1981年3月15日、ストックホルム(聖ヨハネ教区)享年72 |
| 教育 | ストックホルム工芸学校(1924–1927)、王立美術アカデミー(1927–1930) |
| 主な活動領域 | 舞台美術・ガラスデザイン・陶磁器デザイン・著述 |
| 代表的な所属 | 王立劇場(1931–1945、1964–)/コスタ(1933–1935、1944–1950)/ウプサラ・エクビー(1950年代、1953–1957年頃/一部資料では1958年頃まで芸術監督)/カールスクローナ磁器(1951年から) |
| 代表作 | 磁器シリーズ「ドゥカート」、コスタの装飾ガラス、王立劇場の舞台美術 |
| 受賞・栄誉 | ストックホルム市芸術家奨励金(1963)/演劇連盟金メダル(1978) |
生い立ちとストックホルムでの教育
スカヴォニウスは1908年8月31日、ストックホルム中心部のオスカル教区に生まれました。父は製造業者のペル・スカヴォニウス、母はベングタ・スヴェンソン。20世紀初頭のストックホルムは、王立劇場や国立美術館、王立美術アカデミーなどの文化施設が集まる都市環境を持っていました。こうした都市環境のなかで、彼は美術と工芸への関心を育てました。
1924年から1927年まで、彼はストックホルム工芸学校(Tekniska skolan、現在のコンストファック)で基礎教育を受け、続いて1927年から1930年まで王立美術アカデミー(Konsthögskolan)で学びました。当時のスウェーデンでは1919年にグレゴール・パウルソンが提唱した「Vackrare vardagsvara(より美しい日用品)」運動の影響が広がっており、若いデザイナーたちは伝統的な美術と日常の道具を等しく扱う思想に向き合っていました。
卒業後は欧州とアメリカを巡る研修旅行に出ています。北欧の他のデザイナーと同様、当時の若い造形作家にとって大陸とアメリカでの見聞は重要な経験として位置づけられていました。研修旅行を経た後、スカヴォニウスは舞台美術、ガラス、陶磁器へと活動領域を広げていきます。
王立劇場の舞台美術家として
1931年、スカヴォニウスは王立劇場(Dramaten)の舞台美術家として職業デザイナーのキャリアを始めました。1936年までスカヴォニウスは舞台美術を担当し、1937年から1945年までは王立劇場の衣装・装飾工房の責任者を務めています。その後1964年からも再び王立劇場で舞台美術家として活動しました。
劇場という場は、彼に「空間と物の関係をデザインする」という基礎を与えました。舞台の上に置かれる椅子・テーブル・小道具は、観客の視線のなかで意味を担う「暮らしの道具」でもあります。スカヴォニウスはこの経験を、後にガラスや磁器の仕事に持ち込むことになりました。
劇場の仕事は、彼の活動の中心的な領域の一つでした。彼は王立劇場と王立歌劇場を中心に、多くの舞台美術を手がけました。ヘルシンキのスウェーデン語劇場でも演劇とオペラの舞台美術を担当しています。1978年に演劇連盟金メダルを「並外れた芸術的業績」に対して受賞したことは、舞台美術家としての評価の高さを示しています。
コスタ・ガラス工房でのガラスデザイン
劇場の仕事と並行して、スカヴォニウスは1933年から1935年までスウェーデン南部のコスタ・ガラス工房(Kosta glasbruk)と協働しました。1944年から1950年にかけては再びコスタで仕事を担当しています。コスタは1742年創業の、現存するスウェーデン最古級のガラス工房であり、当時はエリス・ベリ(Elis Bergh)が中心的なデザイナーの一人として活動していた時期にあたります。
この時期のスカヴォニウスは、装飾ガラスと実用ガラスの両方を手がけました。1934年の作品にはエッチング装飾を施した花瓶が記録されています。サンドブラスト技法による「SKAWONIUS 16/3 KOSTA 1934」と刻まれた作例が知られています。また、二頭の鹿が浮き彫りされた装飾性のあるテーブルランプも彼の作品として知られています。
1946年からはコンストファック(Konstfackskolan、ストックホルム工芸大学)でガラスの講師も務めました。コスタでの実作と並行して、ガラス造形の教育にも携わりました。
ウプサラ・エクビーとカールスクローナ磁器
1950年代に入ると、スカヴォニウスの活動の中心は陶磁器デザインに移っていきます。彼は1951年から、ウプサラ・エクビー(Upsala-Ekeby)傘下のカールスクローナ磁器で磁器デザインに関わりました。同じグループには、アンナ=リーサ・トムソン(Anna-Lisa Thomson)らも活動していました。1953年から1957年頃、一部資料では1958年頃まで、ウプサラ・エクビー・グループの芸術監督を務めました。
ウプサラ・エクビーは、1942年にカールスクローナ磁器(Karlskrona Porslinsfabrik)を傘下に収め、後にはロールストランドなどもグループに加えることで、陶磁器を中心とする大きな企業グループへ発展しました。スカヴォニウスは、1950年代のウプサラ・エクビー・グループにおいて、デザイン面の方向づけに関わった人物の一人でした。
彼がカールスクローナ磁器の主要なデザインを手がけ始めたのは1951年からです。バルト海に面した港町カールスクローナは、17世紀末にスウェーデン海軍の拠点として計画的に建設された都市で、カールスクローナの軍港はユネスコ世界遺産に登録されています。
カールスクローナ磁器は、第一次世界大戦によって英国製磁器の輸入が困難になったことを背景に、1918年に創業しました。1942年にウプサラ・エクビーが買収して以降、同工場はグループの磁器生産を担いました。1951年からスカヴォニウスは同工場の磁器デザインに関わり、1953年から1957年、または1958年まで、ウプサラ・エクビーの芸術監督としてグループのデザイン面に関わりました。ウプサラ・エクビー・グループでは、ヴィッケ・リンドストランドやアーサー・パーシーらもデザインに関わりました。
代表作「ドゥカート」とH55ヘルシンボリ博覧会
スカヴォニウスの陶磁器分野での代表作は、北欧食器シリーズ「ドゥカート」です。彼は数年をかけてこのシリーズを設計し、1954年にカールスクローナ磁器から発売されました。翌1955年にスウェーデン南部の港町ヘルシンボリで開かれたデザイン展「H55」で広く紹介され、戦後スウェーデンの機能主義的な北欧食器を象徴するシリーズの一つとなりました。
H55は、1930年のストックホルム博覧会と並んで、20世紀スウェーデン・デザインの方向性を国際的に示した展覧会の一つに数えられています。簡素・実用・量産という戦後北欧の理念を体現するパビリオン群が会場に並びました。
「ドゥカート」は、装飾を抑え、器形そのものを重視した北欧食器として設計されました。素材には長石質磁器(フェルトスパー磁器)が用いられ、耐久性を意識した硬質磁器として仕上げられています。白磁を基調としつつ、単色釉や後続の装飾バリエーションも展開されました。スカヴォニウス自身の「フィエスタ(Fiesta)」装飾、続いてエヴァ・ブラード・ストール(Eva Blahd Ståhl)による「ベリス(Bellis)」装飾が加わりました。
なお、スカヴォニウスはドゥカートのほか、カールスクローナ向けの「ステラ(Stella)」なども手がけており、こちらも同時代の北欧食器デザインを語るうえで重要なシリーズです。
「ドゥカート」はカールスクローナ磁器を代表するシリーズの一つとなり、ウィーンの応用美術博物館(MAK)の収蔵品にも加えられました。スウェーデン国内では、戦後の機能主義的な磁器デザインを示す作例の一つとして位置づけられています。
アーサー・ハルドとの共著『実用芸術』
スカヴォニウスは作り手であると同時に、書き手でもありました。1951年には、ロールストランドに関わったデザイナー、アーサー・ハルド(Arthur Hald、1916–1993)と共に、『Nyttokonst(実用芸術)』を著しています。スウェーデン語の原書は同年に Nordisk Rotogravyr から刊行され、英語版『Contemporary Swedish Design』も出版されました。
共著者のハルドは、ロールストランドのデザイン部門にも関わった人物です。当店のエドワード・ハルド完全ガイドで取り上げているエドワード・ハルドの家系につながる人物として紹介されることがあります。異なる経歴を持つ二人が共著で「実用芸術」を論じた事実は、戦後スウェーデン工芸の理念がどのように共有されていたかを示しています。
この本は、戦後のスウェーデンが「暮らしの工芸」をどう位置づけるかを国内外に示す役割を果たしました。ストックホルムの国立美術館はこの書物を収蔵品として登録しており、同館の応用美術・デザイン部門で資料的価値を持つ文献として扱われています。
「より美しい日用品」運動と評価
スカヴォニウスは、1919年にグレゴール・パウルソンが提唱した「Vackrare vardagsvara(より美しい日用品)」運動を、戦後の作り手として継承した一人です。1930年代以降のスウェーデンで彼が果たした役割は、日々の工芸の造形を芸術家の仕事として正面から扱うことでした。
制度面では、スウェーデン工芸協会(Svenska Slöjdföreningen、現 Svensk Form)の理事を1946–1949年と1958–1960年の二期にわたって務めています。協会は1845年創立の歴史を持ち、スウェーデンのデザインを国内外に発信する中心的な組織です。
国際的な評価としては、1934年と1947年の二度にわたりニューヨーク近代美術館(MoMA)の展示に作品が取り上げられました。さらにコペンハーゲン、ヘルシンキ、ロッテルダム、パリ、ハーグなど欧州各地の国際展に彼の仕事は展示されています。1963年にはストックホルム市から芸術家奨励金が、1978年には演劇連盟金メダルが授与されました。
スカヴォニウスは1981年3月15日にストックホルムで没しました。72歳でした。埋葬地は、グンナール・アスプルンドとシーグルド・レヴェレンツが設計に関わったストックホルム郊外のスコグスキュルコゴーデン(森の墓地)です。
まとめ|スカヴォニウスを位置づける
スヴェン=エリック・スカヴォニウス(1908–1981)は、王立劇場の舞台美術家として職業を始め、コスタのガラス、ウプサラ・エクビーとカールスクローナ磁器、そしてアーサー・ハルドとの共著『Nyttokonst』までを横断したスウェーデンのデザイナー・著述家です。
代表作「ドゥカート」は1954年にカールスクローナ磁器から発売され、翌1955年のH55博覧会で広く紹介された、装飾を抑え器形そのものを重視した北欧食器シリーズです。戦後スウェーデンの機能主義を象徴する作品の一つに数えられています。彼は同時に、「Vackrare vardagsvara」運動の戦後の継承者として、北欧デザインの理論的な側面を支えた人物でもありました。