ヘルタ・ベングトソン(Hertha Bengtson)

ヘルタ・ベングトソン(Hertha Bengtson)完全ガイド|Blå Eldを生んだロールストランドの陶磁器デザイナー

この記事の要点

  • ヘルタ・ベングトソン(Hertha Bengtson、1917–1993)はスウェーデン南部ブレーキンゲ県イーサネ生まれの陶磁器デザイナー。ロールストランド(Rörstrand)に1941年から1960年代前半まで在籍。SKBL英語版では1964年に同社を離れたとされる
  • 代表作は1949年デザイン、1951年から1971年まで生産されたBlå Eld(ブロー・エルド/青い炎)。縁のないアーモンド型の皿と、ヘリンボーン文様のレリーフが特徴の白色系陶器(earthenware)食器
  • もう一つの代表作Koka Blå(コカ・ブロー)はコンロから食卓へそのまま運べる耐熱ストーンウェア。資料によって1950年代前半のデザインとされ、SKBLでは1967年から1988年まで生産されたシリーズと記載されている
  • ファエンツァ国際陶芸展でKoka Blå、Jasmin、Scandicが評価され、三度の金賞を受賞。スウェーデンの「美と機能の結合」を体現したデザイナーとして国際的に評価された

目次

  1. 青い炎のあるスウェーデンの食卓
  2. ブレーキンゲ県イーサネに生まれて
    1. 織物の名手だった母から受け継いだもの
    2. ソルヴェスボリの夜間絵付け学校
  3. リンシェーピングのHackefors磁器工場(1937–1941)
  4. ロールストランド時代(1941–1964頃)
    1. リードヒェーピングへ移転した工場
    2. パターンデザイナーからデザイナーへ
  5. Blå Eld(青い炎)の誕生
    1. 1949年デザイン、1951年発売
    2. 縁のないアーモンド型と浮き彫り
  6. Koka Blå――コンロから食卓へ
  7. ファエンツァで三度の金賞
  8. 退社とHöganäs Keramikの時代(1965–1969)
  9. ローゼンタール・ドイツでの活躍(1969–1983)
  10. 「美と機能の結合」――ベングトソンが目指したもの
  11. なぜBlå Eldは70年経っても愛されるのか
  12. まとめ

青い炎のあるスウェーデンの食卓

ロールストランドのBlå Eld(青い炎)盛り皿
ヘルタ・ベングトソンが1949年にデザインしたBlå Eld(ブロー・エルド、青い炎)の盛り皿。縁のないアーモンド型のフォルムが特徴

Photo: Wikimedia Commons / Ab ssb / Public domain

1950年代のスウェーデンの家庭の食卓には、ある特別な青色の食器が並んでいました。フォルム全体を覆う深い青、縁のない楕円形の皿、そしてよく見ると浮き出るヘリンボーン文様――Blå Eld(ブロー・エルド、「青い炎」)です。発表から20年で大量に生産され、結婚祝いの定番となり、米国にも輸出されました。

このシリーズをデザインしたのが、ロールストランドに22年間在籍した陶磁器デザイナー、ヘルタ・ベングトソン(Hertha Bengtson、1917–1993)です。同時代のロールストランドにはマリアンヌ・ウェストマン、シルビア・レウショヴィウス、カール=ハリー・ストールハネといった名匠が並んでいましたが、ベングトソンは彼ら/彼女たちの中でもひときわ「日用品」に徹したデザイナーでした。

本記事では、ブレーキンゲ県の小さな村に生まれた彼女が、ロールストランドで22年、Höganäs Keramikで5年、そしてドイツのローゼンタールで14年にわたって食器をデザインし、ファエンツァ国際陶芸展で三度の金賞を獲得するまでをたどります。

ベングトソンの食器は、飾るための器ではなく、毎日の家事を少し楽にし、食卓を少し美しくするための器でした。その実用性こそが、彼女のデザインを長く残した理由です。

ブレーキンゲ県イーサネに生まれて

ヘルタ・ベングトソン(Hertha Bengtson)アトリエにて
アトリエで作品を確認するヘルタ・ベングトソン(1950年代)。手前にはヘリンボーン文様の蓋付きジャー(Photo: Rörstrand Museum / via SKBL)
ブレーキンゲ県イーサネ教会
ブレーキンゲ県イーサネ(Ysane)教会。ベングトソンはこの教区で1917年4月4日に生まれた

Photo: Wikimedia Commons / L.G.foto / CC BY-SA 4.0

ヘルタ・アントニア・ベングトソンは1917年4月4日、スウェーデン南部ブレーキンゲ県イーサネ(Ysane)教区で生まれました。父ヘニングは農業と商業を営み、母アスタは織物の名手でした。経済的には決して裕福ではなく、家庭が娘を芸術学校に通わせる余裕はありませんでした。ヘルタには4人の兄弟がいました。

織物の名手だった母から受け継いだもの

ブレーキンゲ群島
ブレーキンゲ群島。スウェーデン南東岸の海と森が接する豊かな自然に囲まれた地域

Photo: Wikimedia Commons / Wolves201 / CC BY-SA 4.0

女学校時代、ヘルタは図画と手工で最高評価を受けました。母から受け継いだ織物への目が、後年のレリーフ装飾や文様づくりに影響しています。ブレーキンゲ県は森と群島が交わるスウェーデン南東部の地方で、自然のリズムと素朴な手仕事が日常に溶け込んだ土地でした。

ソルヴェスボリの夜間絵付け学校

ソルヴェスボリ市街
ソルヴェスボリ(Sölvesborg)市街。ベングトソンは18歳からこの隣接都市の磁器絵付け夜間学校に通った

Photo: Wikimedia Commons / State22 / CC BY-SA 3.0

家計が芸術学校への進学を許さなかったため、ヘルタは18歳のとき、隣接都市ソルヴェスボリ(Sölvesborg)にあった磁器絵付けの夜間学校に通い始めました。日中は別の仕事をしながら夜に学ぶという形で、磁器装飾の技術を独学に近いかたちで身につけていきました。これが後のキャリアの土台になります。

リンシェーピングのHackefors磁器工場(1937–1941)

Hackefors磁器の食器
Hackefors磁器工場(リンシェーピング)の食器。ベングトソンは1937年にここでパターンデザイナーとしてキャリアを始めた

Photo: Wikimedia Commons / Artifex / CC BY-SA 3.0

1937年、20歳のヘルタはスウェーデン東部の都市リンシェーピング(Linköping)にあったHackefors磁器工場(Hackefors Porslin)にパターンデザイナーとして採用されました。22歳になると、彼女はパターン部門の責任者となります。Hackeforsは家庭用磁器を中心に生産していた工場で、ここでベングトソンは絵付けと装飾デザインの基礎を実務として習得しました。

リンシェーピング大聖堂
リンシェーピング大聖堂。ベングトソンが20代を過ごしたエステルイェートランド地方の中心都市

Photo: Wikimedia Commons / Tanjasimone / CC BY 4.0

ロールストランド時代(1941–1964頃)

ロールストランド工場 リードヒェーピング
リードヒェーピング(Lidköping)のロールストランド工場跡地に残る建物。1936年にストックホルムから移転して以来の本拠地

Photo: Wikimedia Commons / I99pema / CC BY-SA 4.0

1941年、ベングトソンはロールストランド磁器工場に移籍します。当時24歳でした。第二次世界大戦中で材料調達が困難だった時期にもかかわらず、彼女はパターンデザイナーとして採用され、すぐに頭角をあらわしました。ここから1960年代前半に退社するまで、20年以上にわたりロールストランドで仕事をすることになります。

リードヒェーピングへ移転した工場

リードヒェーピング空撮
リードヒェーピング上空からの眺め。スウェーデン最大の湖ヴェーネルン湖の南岸に位置する

Photo: Wikimedia Commons / Doc Searls / CC BY-SA 2.0

ロールストランドは1726年にストックホルムで創業した、ヨーロッパで2番目に古い陶磁器ブランドです。1926年にヨーテボリに移転し、1936〜39年に最終的にスウェーデン最大の湖、ヴェーネルン湖の南岸にあるリードヒェーピングへと工場を移しました。ベングトソンが入社した1941年、工場はリードヒェーピングに完全に定着していました。

リードヒェーピング聖ニコライ教会
リードヒェーピングの聖ニコライ教会。湖畔の小さな町には今もロールストランドの記憶が残る

Photo: Wikimedia Commons / I99pema / CC BY-SA 4.0

パターンデザイナーからデザイナーへ

ロールストランド入社当初、ベングトソンの肩書きは「パターンデザイナー」でしたが、戦後の数年でフォーム(器形)そのものを設計する「デザイナー」へと役割が広がりました。スウェーデン語版Svenskt kvinnobiografiskt lexikon(SKBL、スウェーデン女性人名辞典)によれば、彼女はロールストランド時代に合計6つのテーブルウェアシリーズを手がけました。

ヴェーネルン湖
ヴェーネルン湖の東岸。スウェーデン最大の湖は、ロールストランド工場のあるリードヒェーピングのすぐ北に広がる

Photo: Wikimedia Commons / Leonhard Lenz / CC BY-SA 4.0

Blå Eld(青い炎)の誕生

Blå Eldの縁のディテール
Blå Eldの縁部分のディテール。よく見ると浮き彫りのヘリンボーン文様が縁を一周している

Photo: Wikimedia Commons / Ab ssb / Public domain

1949年デザイン、1951年発売

ベングトソンの代表作Blå Eldは、1949年にデザインされました。スウェーデン国立美術館(Nationalmuseum)の収蔵記録によれば、生産は1951年から1971年まで20年間続きました。白色系の陶器素地(earthenware)にレリーフ装飾を施し、コバルトの青を全面に覆ったシリーズです。Nationalmuseumの収蔵記録でもearthenware/relief decorと記述されています。

「Blå Eld」はスウェーデン語で「青い炎」を意味します。シリーズ名のとおり、青はあくまで穏やかで深く、暖色のろうそくを灯した夜の食卓に映える色合いです。

縁のないアーモンド型と浮き彫り

1955年のスウェーデンの家庭の台所
1950年代後半のスウェーデンの標準的な台所。Blå Eldはこうした家庭のために設計された

Photo: Wikimedia Commons / Gun Westholm, Länsmuseet Gotland / Public domain

Blå Eldの特徴は、フォルムの徹底した実用主義です。皿は楕円形で縁の段差を削ぎ落とし、収納時に重ねやすく、洗いやすい設計になっています。表面には浮き彫りのヘリンボーン(魚骨)文様が走り、装飾であると同時に、手に取ったときの触覚的なアクセントにもなっていました。アイテム数も意図的に絞り込まれ、家庭で本当に必要な点数だけが揃えられました。

結婚祝いとして1950年代から60年代のスウェーデンの家庭に大量に贈られ、米国にも輸出されました。当時の家事従事者協会(Housewives' Associations)の支持を受けたことが、ベストセラーになった一因として記録されています。

Koka Blå――コンロから食卓へ

ロールストランド Koka コーヒーポット
ベングトソンがデザインしたKoka(コカ)のコーヒーポット。コバルトブルーの帯が施された耐熱ストーンウェア

Koka Blå(コカ・ブロー)は、ベングトソンがロールストランド時代に手がけたもう一つの代表作です。資料によって1950年代前半のデザインとされ、SKBLでは1967年から1988年まで生産されたシリーズとして記載されています。

「Koka」はスウェーデン語で「煮る/調理する」を意味する動詞です。その名のとおり、Koka Blåは耐熱ストーンウェアでつくられ、ガス台にかけてから食卓へ運ぶ動線を1点で完結させるためにデザインされました。コバルトブルーの装飾帯が施された丸みのあるフォルムは、Blå Eldのアーモンド型とは対照的に、家庭料理の「鍋から皿へ」の動線を縮める設計思想を反映しています。

ベングトソンはKoka Blåでイタリア・ファエンツァ国際陶芸展の金賞を受賞しました(後述)。

ファエンツァで三度の金賞

ファエンツァ国際陶芸博物館
イタリア・ファエンツァの国際陶芸博物館(MIC Faenza)。同地で開催される国際陶芸展はヨーロッパ陶芸界で最高峰の評価とされる

Photo: Wikimedia Commons / Francesco Bini / CC BY-SA 4.0

ファエンツァ国際陶芸展(Concorso Internazionale della Ceramica d'Arte di Faenza)は、北イタリアの陶芸の中心都市ファエンツァで開催される国際的な陶芸コンクールです。1938年から続くこの賞でベングトソンは三度の金賞を受賞しました。

  • 1956年――Koka Blå(耐熱ストーンウェアセット)
  • 1966年――Jasmin(Höganäs時代の手挽きストーンウェア)
  • 1970年――Scandic(ローゼンタール/トーマスのコーディエライト製ディナーサービス)
ファエンツァの街並み
ファエンツァの中心、ポデスタ宮殿と市民の塔。中世以来、この街はヨーロッパの陶芸の中心地のひとつだった

Photo: Wikimedia Commons / Francesco Bini / CC BY-SA 4.0

三度の金賞は、北欧のひとりのデザイナーが達成した成果として国際的に異例の数字です。1961年にはスウェーデン工芸協会の「God Form(よき形)」賞も受賞し、1983年にはハノーバー国際フェアでも「Good Form」表彰を受けています。

退社とHöganäs Keramikの時代(1965–1969)

Höganäs Keramikの食器
Höganäs Keramic(ホガナス・ケラミック)の食器セット。素朴なストーンウェアの肌合いが特徴

Photo: Wikimedia Commons / Kigsz / CC BY-SA 4.0

ベングトソンは1960年代前半にロールストランドを離れました(資料によって1963年または1964年と表記されます)。SKBLによれば、退社の理由は「ストーンウェアでの制作にもっと視野を広げたかった」というもので、ロールストランドの経営陣はこの決断を異議と驚きをもって受け止めたと記されています。1965年、彼女はスウェーデン南西部の港町ホガナス(Höganäs)にあるHöganäs Keramik(Andersson & Johansson)にデザイナーとして加わりました。

ホガナス港
ホガナス(Höganäs)港。エーレスンド海峡に面する港町は、19世紀から陶器産地として知られてきた

Photo: Wikimedia Commons / Goran Djordjevic / CC BY-SA 3.0

Höganäs時代にベングトソンが手がけたシリーズには、Jasmin(1966年ファエンツァ金賞)、食洗機対応の縁なし大皿シリーズHöganäs Top、多機能のキャンドルスタンドつきコーヒー・ティーセットPresentaなどがあります。ロールストランド時代の磁器中心から、温度の感じられるストーンウェアへと、彼女の表現は確実に拡張しました。

ローゼンタール・ドイツでの活躍(1969–1983)

セルプのローゼンタール工場
ドイツ・バイエルン州セルプ(Selb)のローゼンタール磁器工場。同社は19世紀末から続く磁器ブランド

Photo: Wikimedia Commons / Corradox / CC BY-SA 3.0

1969年から1983年まで、ベングトソンはドイツ・バイエルン州セルプ(Selb)にあるローゼンタール/トーマス工場とフリーランス契約を結び、長期にわたって作品を発表していきました。1970年に発表したScandicはコーディエライト(耐熱性に優れた鉱物素材)を用いたディナーサービスで、その年のファエンツァ金賞を獲得しました。1983年に発表したFamilyは白地に青または緑のラインが入ったシリーズで、ハノーバー国際フェアの「Good Form」表彰の対象となっています。

セルプの磁器路地
セルプ市の「磁器路地」。19世紀後半からこの町はヨーロッパ磁器産業の中心地のひとつとして発展した

Photo: Wikimedia Commons / Assenmacher / CC BY-SA 4.0

同時期、彼女は衛生陶器メーカーIdeal-Standard Europe(1976–1981)やテーブルクロスのMölnlycke ABなど、磁器以外の領域にも仕事の幅を広げています。1990年にはスモーランド地方のStrömbergshyttanでガラス制作にも取り組みました。彼女のキャリアは、ロールストランド時代の磁器デザイナーという枠を、生涯を通じて少しずつ広げ続けたものでした。

「美と機能の結合」――ベングトソンが目指したもの

ロールストランド博物館 リードヒェーピング
リードヒェーピングのロールストランド博物館。1990年代以降、旧工場跡地に博物館とアウトレットがある

Photo: Wikimedia Commons / Majjaw / CC BY-SA 3.0

SKBLは、ベングトソンの成功の核心を「美と機能を結びつける能力(förmåga att förena skönhet med funktion)」と要約しています。彼女のデザインはスウェーデン・モダンの正統――ファンクショナリズム(機能主義)と生活者の視点を統合した思想――の系譜にあり、その中で家庭料理のための耐熱性、収納のしやすさ、洗いやすさといった日々の動作を磁器のフォルムに翻訳していきました。

ベングトソンは家政婦協会のために、料理の簡素化と野菜中心の食生活を提案する活動も行っていました。デザインは机上のかたちではなく、実際の家庭の食卓と台所の仕事から立ち上げる――この姿勢が、家事従事者や家庭の主婦から熱烈に支持された理由でもあります。

なぜBlå Eldは70年経っても愛されるのか

ロールストランド博物館 別アングル
ロールストランド博物館の展示。ベングトソンの作品もここで歴史の一頁として展示されている

Photo: Wikimedia Commons / Majjaw / CC BY-SA 3.0

Blå Eldの生産が終わった1971年から半世紀以上が経ちますが、北欧ヴィンテージ食器の世界では今も人気の高いシリーズです。理由は3つあります。

  1. 色の深さ――フォルム全体を覆うコバルトブルーは、白い卓に置いても、木のテーブルに置いても、違和感なく溶け込みます。北欧の長く暗い冬の夜でもくすまない、強さと穏やかさを併せ持った青です
  2. 形のシンプルさ――縁を削ぎ落としたアーモンド型は、和食器とも自然に組み合わせることができます。鉢、皿、長皿の3点で食卓の大半が成立する点数設計の合理性は、現代のミニマルな暮らしにも適合しています
  3. ヘリンボーンのレリーフ――遠目には無地のように見えるBlå Eldですが、近づくと縁に魚骨文様が走っています。装飾と滑り止めを兼ねたこの細部が、20年の長い生産期間にわたり一貫して維持されました

ロールストランドの歴代デザイナーの中で、マリアンヌ・ウェストマンが「色彩」を、シルビア・レウショヴィウスが「絵筆の詩」を、グンナー・ニールンドが「ストーンウェアの彫塑」を、カール=ハリー・ストールハネが「釉薬の探究」を担ったとすれば、ベングトソンは「日々の食卓そのもの」を担ったデザイナーでした。

まとめ

ヘルタ・ベングトソンは1917年スウェーデン南部ブレーキンゲ県イーサネに生まれ、家計の制約から芸術学校ではなくソルヴェスボリの夜間絵付け学校で学びました。リンシェーピングのHackefors磁器工場(1937–1941)を経て、1941年からロールストランドに20年以上在籍し、代表作Blå Eld(1949年デザイン、1951–71年生産)とKoka Blåを生み出しました。Koka Blåは資料によって1950年代前半のデザイン、または1956年発売とされ、SKBLでは1967〜1988年生産と記載されている長寿シリーズです。

1965年からはHöganäs Keramik、1969年からはドイツ・ローゼンタールでフリーランスデザイナーとして活躍し、ファエンツァ国際陶芸展で1956年・1966年・1970年と三度の金賞を受賞しました。スウェーデン・モダンの「美と機能の結合」を、家庭の食卓と台所の動線から組み立てた、生活者の視点に最も近いデザイナーのひとりです。

1993年11月14日、76歳で没しました。Blå Eldは生産が終わった現在もヴィンテージ食器市場で愛され続けています。

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