ティラ・ルンドグレンがヴェニーニ社のためにデザインした葉脈状のガラスボウル

ティラ・ルンドグレン(Tyra Lundgren)完全ガイド|ヴェニーニのガラスの鳥を生んだスウェーデン・グレースの先駆者

ティラ・ルンドグレン(Tyra Lundgren)完全ガイド|ヴェニーニのガラスの鳥を生んだスウェーデン・グレースの先駆者

ティラ・ルンドグレンの肖像写真
ティラ・ルンドグレン本人。1920年代の北欧モダニズム勃興期に、スウェーデンから国際舞台へと活動を広げた多才な芸術家(Wikimedia Commons, Public domain)。

ティラ・カロリーナ・ルンドグレン(Tyra Carolina Lundgren、1897年1月9日 – 1979年11月20日)は、20世紀スウェーデンが生んだ最も多面的な芸術家の一人です。陶芸家・ガラスデザイナー・画家・テキスタイルデザイナー・著述家として活動し、ヘルシンキのARABIA、ロールストランド、リードヒェーピング磁器工場、グスタフスベリ、コスタといった北欧の名窯と契約しながら、フランスの国立セーヴル磁器製作所、そしてイタリア・ムラーノ島のヴェニーニ社にも作品を提供しました。

1924年から1937年までフィンランドのARABIAに在籍し、1930年のストックホルム博覧会(Stockholmsutställningen)に向けて装飾陶器の指導的な役割を担いました。1936年のミラノ・トリエンナーレでパオロ・ヴェニーニと出会い、その後ヴェニーニ社で初めてガラス器をデザインした女性となります。鳥や魚をモチーフとしたガラス作品、そして葉脈状の薄手のボウルは、現在も20世紀ガラス工芸の傑作として国際的な評価を受けています。

この記事では、ティラ・ルンドグレンの生涯と多面的な仕事を、出身地ストックホルム、教育を受けた王立美術アカデミー、北欧三国の磁器工場、そして晩年を過ごしたゴットランド島フィデまで、現地の風景とともに紹介します。北欧のヴィンテージ市場で彼女の作品を見つけるための手がかりもまとめます。

この記事でわかること

  1. ティラ・ルンドグレンの生涯と教育、各工場での在籍期間
  2. ARABIA時代(1924–1937)と1930年ストックホルム博覧会との関係
  3. ヴェニーニとの出会いと「ガラスの鳥」シリーズの誕生
  4. 受賞歴・著作・モニュメント、そしてヴィンテージ市場での手がかり

目次

  1. 基本情報
  2. 生い立ちとストックホルムでの教育(1897–1922)
  3. ARABIAでの13年——1930年ストックホルム博覧会へ向けて(1924–1937)
  4. スウェーデン・グレースとは何か——1930年代の北欧モダニズム
  5. セーヴル・ロールストランド・グスタフスベリ——ヨーロッパを横断する陶とガラスの仕事
  6. ミラノ・トリエンナーレ1936——パオロ・ヴェニーニとの出会い
  7. ガラスの鳥たち——ヴェニーニの初めての女性デザイナー
  8. 受賞・著作・モニュメント——画家・彫刻家・著述家として
  9. ゴットランド島での晩年——フィデの森に眠る
  10. ティラ・ルンドグレンの仕事をヴィンテージ市場で見つけるために
  11. まとめ

基本情報

名前 ティラ・カロリーナ・ルンドグレン(Tyra Carolina Lundgren)
生没年 1897年1月9日 – 1979年11月20日(享年82歳)
国籍 スウェーデン
出身地 ストックホルム(Stockholm)/少女期はユーシュホルム(Djursholm)
教育 王立工業デザイン学校(Högre konstindustriella skolan、現コンストファック、1913–1917)/王立美術アカデミー(Kungliga Akademien för de fria konsterna、1917–1922)/ウィーンでアントン・ハナクに師事/パリでアンドレ・ロートに師事
主な活動分野 陶磁器デザイン/ガラスデザイン/絵画/テキスタイル/彫刻/著述
主な勤務先 サンクト・エリック粘土製品工場(St Eriks Lervarufabrik、1922–1924)/アラビア(ARABIA、ヘルシンキ、1924–1937)/ロールストランド/リードヒェーピング磁器工場(AB Lidköpings Porslinsfabrik)/グスタフスベリ/コスタ(1934–1938)/国立セーヴル磁器製作所(Manufacture nationale de Sèvres、1934–1938)/ヴェニーニ(Venini、ムラーノ、1936–1950年代)
主な受賞 王室文芸芸術勲章「リッテリス・エト・アルティブス」(Litteris et Artibus、1950)/ミラノ・トリエンナーレ金賞(1951)
代表作 ヴェニーニのガラスの鳥(Uccelli)/葉脈状のガラスボウル(Foglia)/公共彫刻〈ソル・フォーゲル(Solfågel/太陽の鳥)〉〈フォーゲルペラーレ(Fågelpelare/鳥の柱)〉〈白鳥の泉(Svanbrunnen)〉/モニュメント〈マルケスクヴィンノル(Märkeskvinnor、1947)〉
著書 『Lera och eld(粘土と火)』(1946)/『Fagert i Fide(フィデの美しさ)』(1961)/『Märta Måås-Fjetterström och väv-verkstaden i Båstad』(1968)

生い立ちとストックホルムでの教育(1897–1922)

ティラ・ルンドグレンは1897年1月9日、ストックホルムに生まれました。父ヨーン・ペッテル・ルンドグレン(John Petter Lundgren)は獣医学研究所の教授でした。

母エディット(Edith、旧姓オーベリ)との間には6人の子どもがおり、ティラはそのうちの2番目として育ちます。家事使用人を雇うことのできる、経済的に恵まれた中産階級の家庭でした。

ストックホルム郊外ユーシュホルムの住宅地
ストックホルム北郊の住宅地、ユーシュホルム(Djursholm)。ティラ・ルンドグレンが1903年から1913年まで暮らした場所(Wikimedia Commons, CC BY 2.0, photo: Bengt Nyman)。

ユーシュホルムの少女時代——ベスコウとテグネルに学んで

3歳でユーシュホルム共学校(Djursholms samskola)に入り、後に絵本作家として有名になるエルサ・ベスコウ(Elsa Beskow)や、児童文学作家のアリス・テグネル(Alice Tegnér)に教えを受けています。スウェーデン児童文化の黎明期を担った教育者から直接学んだことが、後の絵画や著述に対する関心の源流となりました。

王立工業デザイン学校(HKS、現コンストファック)で1913–1917

1913年、ストックホルムの王立工業デザイン学校(Högre konstindustriella skolan)に入学します。この学校は現在のコンストファック(Konstfack)の前身にあたる、北欧でもっとも由緒ある工芸・デザイン教育機関の一つです。装飾美術と手工芸を中心に4年間学びました。並行して画家アルティン(Althin)の画塾でも絵画の基礎を身につけています。

ストックホルムのコンストファック校舎
現在のコンストファック(Konstfack)校舎。ティラ・ルンドグレンが学んだ「王立工業デザイン学校」の後身で、北欧デザイン史において重要な教育機関(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, photo: Arild Vågen)。

王立美術アカデミー(1917–1922)でさらに修練を積む

1917年からはストックホルムの王立美術アカデミー(Kungliga Akademien för de fria konsterna)で5年間絵画を学びました。ここはスウェーデンを代表する伝統的な美術教育機関で、北欧近代絵画の歴史をかたちづくった画家たちの多くが学んだ場所です。1921年、アカデミーで初めての展覧会に参加し、画家としてのキャリアもスタートさせます。

ストックホルムの王立美術アカデミー
ストックホルム旧市街に近い王立美術アカデミー(Konstakademien)の建物。1917年から1922年までの5年間、ティラ・ルンドグレンが絵画を学んだ場所(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, photo: FriskoKry)。

ウィーンとパリでの研鑽

アカデミー卒業前後の1920年代前半には、ウィーンの彫刻家アントン・ハナク(Anton Hanak、1875–1934)の元で立体造形を、パリの画家アンドレ・ロート(André Lhote、1885–1962)のアカデミーで絵画を学んでいます。ロートはキュビスム理論の体系化で知られ、当時のヨーロッパで最も影響力のある美術教師の一人でした。ティラの初期の絵画にはキュビスムの幾何学的な構成が見られ、この時期の学びがその後の造形感覚の基盤となります。

ARABIAでの13年——1930年ストックホルム博覧会へ向けて(1924–1937)

1922年から1924年までは、ウプサラのサンクト・エリック粘土製品工場(St Eriks Lervarufabrik)に在籍します。サンクト・エリックは建築用テラコッタや日用陶器を製造していた工場で、ここでティラは初めて陶土と本格的に向き合うことになりました。

1924年、彼女はフィンランド・ヘルシンキのARABIAに移籍します。ARABIAは1873年にスウェーデンのロールストランドの子会社として設立されたフィンランド屈指の名窯です。

ティラ・ルンドグレンが移った1924年当時は、ARABIAが独立企業として急速に成長していた時期でした。彼女はそこで1937年までの13年間、装飾陶器の指導的な役割を担います。

ヘルシンキのARABIA工場
ヘルシンキ郊外トウコラ(Toukola)に建つARABIA工場。煉瓦造りの工場棟は19世紀末から増築を重ね、フィンランドの窯業の中心地となってきた(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, photo: Matthias Süßen)。

男性社会のなかで指導的役割を担った女性

1920年代から30年代にかけての北欧の窯業界では、男性のデザイナーが工場の方向性を決めるのが一般的でした。そのなかでティラ・ルンドグレンが他国の名窯から招かれて指導的立場についたことは、当時としては例外的なキャリアです。スウェーデン女性人物伝事典(SKBL)は、彼女がこの時期に「芸術的指導者(konstnärlig ledare)」としてARABIAの装飾陶器部門を率いたと記録しています。

1930年ストックホルム博覧会への出品

1930年、ストックホルム博覧会(Stockholmsutställningen)が開催されます。建築家グンナル・アスプルンド(Gunnar Asplund)とシグルド・ルヴェーランツ(Sigurd Lewerentz)が設計した、機能主義を北欧に決定づけた歴史的な博覧会です。ARABIAはこの博覧会に装飾陶器を出品し、ティラ・ルンドグレンが主要な設計者の一人として関わりました。

1930年ストックホルム博覧会の展示ホール
1930年のストックホルム博覧会の展示ホール内部。北欧の機能主義建築と工芸が国際舞台で注目を集めた記念碑的な博覧会(Wikimedia Commons, CC0, photo: Gustaf Wernersson Cronquist, 1930)。

クルト・エクホルムとの世代交代

ARABIA時代後半の1932年、フィンランド人デザイナーのクルト・エクホルム(Kurt Ekholm)がアートディレクターとして就任します。エクホルムは戦後フィンランドのモダニズム陶器を切り拓いた人物で、彼の就任以降、ARABIAは1948年に「アート部門」を正式に設けるなど、芸術陶器に注力する方向へ加速しました。ティラ・ルンドグレンの13年は、ARABIAが装飾陶器の名窯から芸術陶器の名窯へと変貌していくその過渡期にあたります。

スウェーデン・グレースとは何か——1930年代の北欧モダニズム

ティラ・ルンドグレンはしばしば「スウェーデン・グレース(Swedish Grace)の先駆者の一人」と紹介されます。スウェーデン・グレースは、第一次世界大戦後の1920年代にスウェーデンで生まれたデザイン様式で、軽やかで優美な装飾と、古典主義の影響を残した端正な形が特徴です。

この語は1930年のストックホルム博覧会を取材したイギリスの建築評論家モートン・シャンド(Morton Shand)が、雑誌『Architectural Review』でスウェーデンの工芸を称賛して用いたことで広まりました。

オレフォースのエドワード・ハルド(Edward Hald)、シモン・ゲイト(Simon Gate)が代表する切子装飾のガラス、そしてアーデルボリ(Louise Adelborg)のロールストランドの白磁「スウェディッシュ・グレース」が、この様式を体現する代表作です。

ティラ・ルンドグレンは、ガラスにも陶磁器にも越境して、この優美な北欧モダニズムを構築した世代の中心に位置しています。彼女が後年、ヴェニーニのために作った葉脈状のガラスボウルにも、ストックホルム時代に体得した「グレース」の精神が継承されています。

ティラ・ルンドグレンの仕事は、古典主義的な端正さを残しながら、鳥や植物のモチーフを軽やかに抽象化していく点で、スウェーデン・グレースの感覚とよく響き合っています。装飾を否定するのではなく、形の静けさとモチーフの優美さを両立させるところに、彼女の造形の特徴があります。

セーヴル・ロールストランド・グスタフスベリ——ヨーロッパを横断する陶とガラスの仕事

ティラ・ルンドグレンは特定の工場に専属で縛られるタイプのデザイナーではありませんでした。フリーランス的に北欧三国とフランスの名窯の間を行き来し、それぞれの土地の技術を吸収しながら、自身の造形語彙を広げていきました。

国立セーヴル磁器製作所(1934–1938)

1934年から1938年まで、パリ郊外の国立セーヴル磁器製作所(Manufacture nationale de Sèvres)で仕事をしています。

セーヴルは1740年にヴァンセンヌで創業し、1756年にセーヴルに移転したフランスを代表する硬質磁器の名窯です。フランス王室御用達として国際的な地位を築きました。

20世紀に入ると同所はモダニズムの芸術家とも積極的に協働するようになり、ティラ・ルンドグレンのような北欧のデザイナーが招かれたのもその文脈にあります。

国立セーヴル磁器製作所の外観
パリ郊外セーヴルにある国立セーヴル磁器製作所の外観。1756年にこの地へ移転して以来、フランス磁器の本拠地として続いてきた(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, photo: Coyau)。
セーヴル磁器製作所の作業場で職人がろくろで成形している様子
セーヴル製作所内の成形工房。職人が型を使って磁器を仕上げる場面で、ティラ・ルンドグレンも4年間ここでフランス磁器の精緻な技術と向き合った(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, photo: Coyau)。

ロールストランドとリードヒェーピング磁器工場

スウェーデンに戻ったティラは、ロールストランド(Rörstrand)とリードヒェーピング磁器工場(AB Lidköpings Porslinsfabrik)でも仕事をしています。リードヒェーピング磁器工場は1911年に設立され、1932年にロールストランド・グループの一員となった工場で、後にロールストランドはこのリードヒェーピングに本拠地を移しました。ティラがリードヒェーピングと関わった1930年代は、ちょうど両者が統合へと向かう移行期にあたります。

19世紀末のロールストランド本社工場
1896年頃のロールストランド本社工場(ストックホルム)。1726年創業のロールストランドはヨーロッパで2番目に古い磁器の名窯(Wikimedia Commons, Public domain)。
リードヒェーピングに残るロールストランド・センター
リードヒェーピング(Lidköping)に残るロールストランド・センター。20世紀後半のロールストランドはここを拠点とし、2005年に国内生産を終えた(Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0, photo: I99pema)。

グスタフスベリ、コスタ、リーヒマキ

1934年から1938年にかけてはコスタ(Kosta)のために古典様式の鉢や花器をデザインし、その後グスタフスベリ(Gustavsberg)でも陶磁器の仕事をしています。フィンランドのリーヒマキ(Riihimäki)ガラス工場とは1924年からフリーランスで関わり、北欧三国のガラスと磁器の両方を経験した稀有な存在となります。彼女のヨーロッパ横断のキャリアは、後年自伝的著作『Lera och eld(粘土と火)』のなかで「ヨーロッパを巡る陶芸の放浪」と表現されることになります。

ミラノ・トリエンナーレ1936——パオロ・ヴェニーニとの出会い

ティラ・ルンドグレンの生涯を決定づけたのは、1936年のミラノ・トリエンナーレでした。トリエンナーレはミラノで3年に1度開催される建築・装飾美術の国際博覧会で、1933年に設立された専用の会場「パラッツォ・デッラルテ(Palazzo dell'Arte)」で開かれます。1936年の第6回トリエンナーレは戦間期の大規模な国際展で、ヨーロッパの近代デザインを総括する場となりました。

ミラノ・トリエンナーレ会場の現在の様子
ミラノ・トリエンナーレの本拠地パラッツォ・デッラルテ(現代の姿)。1936年の第6回トリエンナーレで、ティラ・ルンドグレンがイタリアのガラス職人パオロ・ヴェニーニ(Paolo Venini)と出会った場所(Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0, photo: CiaoMilano)。

パオロ・ヴェニーニ(Paolo Venini、1895–1959)は、1921年にムラーノ島でヴェニーニ社(当初はカッペリン・ヴェニーニ)を設立した、20世紀イタリアガラスを代表する企業家・デザイナーです。彼はムラーノの伝統技術を、モダニズムの造形と融合させる方向で革新し、フルヴィオ・ビアンコーニ(Fulvio Bianconi)、カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)、ナポレオーネ・マルティヌッツィ(Napoleone Martinuzzi)といった巨匠たちと協働して、20世紀ガラスの新しい言語を作り上げました。

ティラとヴェニーニの出会いは、ムラーノのガラスとスウェーデンの陶磁器という、地中海と北欧の二つの伝統が交差する瞬間でした。彼女はこの後、1950年代にかけてヴェニーニ社の常連デザイナーとなり、ムラーノ島の工房と長期的な関係を築きます。

ガラスの鳥たち——ヴェニーニの初めての女性デザイナー

ティラ・ルンドグレンはヴェニーニ社で初めてガラス器をデザインした女性となりました。当時のムラーノは何世紀も男性中心の職人世界で、女性が本格的にガラス制作の現場に関わるのは極めて珍しいことでした。

ヴェニーニ社のガラス花器のコレクション
ヴェニーニ社の花器コレクション(ムラーノ島)。色ガラスと吹きガラスの伝統が20世紀モダニズムと結びついた(Wikimedia Commons, CC BY 2.5, photo: sailko)。

葉脈状のガラスボウル「Foglia」

ティラがヴェニーニのためにデザインした作品のなかで、最も知られるのは葉脈状の薄手のボウル「Foglia(フォリア、葉)」です。透明なガラスの内側に、細い色ガラスの糸が葉脈のように張り巡らされた、極めて薄手の器で、ムラーノの吹きガラス職人アルトゥーロ・ビアズット(Arturo Biasutto)と協働して開発した技術によって作られました。

ティラ・ルンドグレンがヴェニーニ社のためにデザインした葉脈状のガラスボウル
ティラ・ルンドグレンがヴェニーニ社のためにデザインした葉脈状のガラスボウル(1948年頃、ヴェネツィア)。極薄のガラスに細い色ガラスの糸が走る「Foglia」シリーズの代表作(Wikimedia Commons, CC BY 3.0, photo: Sailko)。

「Uccelli(鳥たち)」——ガラスの彫刻

もう一つの代表的な作品が、ガラスの鳥たち「Uccelli(ウッチェッリ)」のシリーズです。ティラ・ルンドグレンは画家として、また彫刻家として鳥を主題に追究し続けた作家で、ガラスの中にも鳥の姿を求めました。

ティラ・ルンドグレンにとって鳥は、単なる装飾モチーフではありませんでした。公共彫刻〈ソル・フォーゲル〉や〈フォーゲルペラーレ〉にも見られるように、鳥は彼女の制作を生涯にわたって貫く主題でした。ヴェニーニの「Uccelli」は、その鳥の造形感覚がムラーノの色ガラス技術と結びついた作品群です。

ヴェニーニの色ガラスを用いた一連の鳥の造形は、ムラーノの吹きガラスの伝統に、北欧の動物彫刻の感性を持ち込んだ独自の表現として高く評価されています。

ヴェニーニ社のアートガラスの作例
ヴェニーニ社の20世紀アートガラスの作例。色ガラスを駆使した造形性は、20世紀後半のヨーロッパガラス芸術に大きな影響を与えた(Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0, photo: Tangerineduel)。

受賞・著作・モニュメント——画家・彫刻家・著述家として

ティラ・ルンドグレンは陶とガラスのデザイナーである一方、画家、彫刻家、そして著述家としても多面的に活動を続けました。

リッテリス・エト・アルティブス勲章(1950)

1950年、スウェーデン王室から芸術上の功績を称える「リッテリス・エト・アルティブス(Litteris et Artibus)」勲章を授けられました。スウェーデン国王が文芸・芸術分野での卓越した業績に対して個人に授ける勲章で、芸術家にとって最高の栄誉の一つに数えられます。

翌1951年にはミラノ・トリエンナーレで金賞も受賞しています。

公共彫刻——〈ソル・フォーゲル〉と〈フォーゲルペラーレ〉

ティラは生涯に20点ほどのモニュメント的な陶器レリーフを制作しました。なかでも有名なのが、1947年にストックホルムのボーフースガータン(Bohusgatan)に設置されたレリーフ〈マルケスクヴィンノル(Märkeskvinnor、特筆すべき女性たち)〉です。スウェーデンの歴史的な女性たちを浮き彫りで称えた作品で、ティラ自身のフェミニズム的な関心が反映されています。

ゴットランド島ヴィスビューに設置されたソル・フォーゲル像
ゴットランド島ヴィスビューのアルメダーレン公園に設置された〈ソル・フォーゲル(Solfågel/太陽の鳥)〉。鳥はティラ・ルンドグレンの生涯のモチーフ(Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0, photo: Bene Riobó)。
ストックホルムに設置されたフォーゲルペラーレ
〈フォーゲルペラーレ(Fågelpelare/鳥の柱)〉。陶器のレリーフが柱の表面を覆い、彫刻と建築が一体となった公共芸術(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, photo: Lokal_Profil)。
ストックホルム郊外に設置された白鳥の泉
ティラ・ルンドグレンによる公共彫刻〈スヴァン・ブルンネン(Svanbrunnen/白鳥の泉)〉。鳥のかたちが噴水と一体となっている(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, photo: Holger Ellgaard)。

著作——『粘土と火』『フィデの美しさ』

ティラは自身の経験を3冊の本にまとめています。1946年の『Lera och eld. Ett keramiskt vagabondage i Europa(粘土と火——ヨーロッパを巡る陶芸の放浪)』は、ヨーロッパ各地の名窯で働いた彼女の自伝的回想記です。1961年の『Fagert i Fide. Årstiderna på en gammal gotlandsgård(フィデの美しさ——古いゴットランドの農場の四季)』では、晩年を過ごしたゴットランド島の生活と自然を綴りました。1968年の『Märta Måås-Fjetterström och väv-verkstaden i Båstad』は、テキスタイル作家マルタ・モース=フィエッテルストレーム(Märta Måås-Fjetterström)と彼女の織物工房についての評伝です。

ゴットランド島での晩年——フィデの森に眠る

1949年、ティラはバルト海に浮かぶスウェーデンの島ゴットランド島(Gotland)に古い農場「ブレドクヴィエ(Bredkvie)」を購入します。それから30年間、彼女はストックホルムとゴットランドを行き来しながら、絵画、彫刻、執筆を続けました。

ゴットランド島フィデの広葉樹林
ゴットランド島南部フィデ(Fide)の広葉樹の森。バルト海に浮かぶこの島が、ティラ・ルンドグレンの晩年30年の住まいとなった(Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0, photo: Sjunnesson)。

1979年11月20日、ティラはストックホルムで82年の生涯を閉じました。遺体はゴットランド島フィデの教会墓地に埋葬され、彼女自身がデザインした炻器のレリーフが墓標として設置されています。生前の膨大なアーカイブはゴットランド博物館(Gotlands Museum)に収蔵されました。

ゴットランド島フィデ教会の塔
ティラ・ルンドグレンが眠るゴットランド島フィデ教会の塔。中世以来この地に建つ石造の教会(Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, photo: Karl Brodowsky)。

ティラ・ルンドグレンの仕事をヴィンテージ市場で見つけるために

ティラ・ルンドグレンの作品は、現代のオークションやヴィンテージ市場で時折姿を現します。複数の工場で仕事をしたため、サインや刻印は工場ごとに異なります。

陶磁器のサイン

ARABIA時代の作品には、ARABIAの工場印に加えて、ティラ自身の手書きサイン「Tyra L.」または「Tyra Lundgren」が見られます。ロールストランドやリードヒェーピング時代のものは、各工場のロゴと並んで本人のイニシャル「TL」がアンダーグレイズで描かれていることがあります。セーヴル時代の作品には、フランス国立工場特有の「S」とそれに続く製造年の印が押されています。

ヴェニーニのガラスの刻印

ヴェニーニ社のガラス作品には「venini murano italia」のエッチング刻印が施されているのが基本で、ティラ・ルンドグレンの作品としてオークションに登場するものはこの刻印を確認することが第一歩となります。初期の作品にはエッチング刻印が欠けているものもあり、その場合は美術館や信頼できる専門ディーラーの鑑定が必要です。

参考資料と所蔵先

  • ストックホルム国立美術館(Nationalmuseum)——彼女の絵画と陶磁器の代表作を所蔵
  • ゴットランド博物館(Gotlands Museum)——個人アーカイブと晩年の作品
  • ARABIAデザインセンター(ヘルシンキ)——ARABIA時代の作品
  • スウェーデン女性人物伝事典(SKBL:Svenskt kvinnobiografiskt lexikon)——標準的な伝記情報
  • ブコウスキーズ(Bukowskis)——スウェーデンの主要なオークションハウス、過去の落札情報

まとめ

ティラ・ルンドグレンを覚えるための5つのキーワード

  • 1897–1979——20世紀スウェーデンを生きた多面的な芸術家
  • ARABIA 1924–1937——フィンランドで装飾陶器の指導的役割を13年担う
  • 1930年ストックホルム博覧会——北欧モダニズムの記念碑的な場面で出品
  • 1936年ミラノ・トリエンナーレ——パオロ・ヴェニーニとの出会い
  • ヴェニーニのガラスの鳥と葉のボウル——同社で初めて女性として活躍

ティラ・ルンドグレンの仕事は、北欧モダニズムがスウェーデン国内にとどまらず、ヨーロッパ各地の工房や博覧会へ広がっていった過程をよく示しています。彼女の名は、リサ・ラーソンやスティグ・リンドベリといった戦後の北欧デザインのスターたちに比べて、日本では知られる機会が少ないかもしれません。しかし彼女は、スウェーデン・グレースの形成期から、ARABIAの戦前期、ムラーノ島のガラス工房まで、20世紀前半の北欧とヨーロッパの工芸を結ぶ重要な現場に、いくつも関わりました。ヴィンテージ市場でその名を見かけたら、それは20世紀北欧デザインの一つの結節点に触れる手がかりとなります。

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