ルイース・アーデルボリ完全ガイド|スウェディッシュ・グレースを手がけたロールストランドのデザイナー

ルイース・アーデルボリ完全ガイド|スウェディッシュ・グレースを手がけたロールストランドのデザイナー

この記事の要点

  • ルイース・アーデルボリ(Louise Adelborg、1885–1971)はロールストランドで40年間デザイナーを務め、スウェーデンの優美で抑制されたモダンデザインを代表する作家の一人です。
  • 代表的なシリーズ「ナショナルセルヴィス(Nationalservisen)」(1930年)は、2001年にSwedish Graceという名で再導入されました。
  • 麦の穂のレリーフは、1923年の花瓶《Vase》で用いられたモチーフを受け継ぐもの。Nationalmuseumは、グスタフ・ヴァーサ王の家紋に含まれる束ねられた穂に着想を得たものと説明しています。
  • 1930年ストックホルム博覧会という、スウェーデン近代デザインの大きな節目で紹介された作品です。

目次

  1. ルイース・アーデルボリとは
  2. 幼少期と教育
  3. ロールストランド時代
  4. 《Vase》と麦の穂のレリーフ
  5. Nationalservisenと1930年ストックホルム博覧会
  6. Swedish Graceとしての再導入
  7. テキスタイル作家としての仕事
  8. 受賞と晩年
  9. 当時のロールストランド工場と同僚
  10. まとめ

ルイース・アーデルボリとは

ルイース・アーデルボリのポートレート
ルイース・アーデルボリ(1885–1971)。スウェーデンの貴族 Adelborg 家に生まれ、ロールストランドで40年デザイナーを務めました。/Wikimedia Commons, Public Domain

基本プロフィール

ルイース・ナタリア・アーデルボリ(Louise Nathalia Adelborg)は、1885年7月2日にスウェーデン中部ソーデルマンランド地方ルードゴー(Ludgo)に生まれ、1971年9月9日にストックホルムで没した、磁器デザイナー兼テキスタイル作家です。スウェーデンの貴族アーデルボリ家の出身で、生涯にわたってロールストランド(Rörstrand)にデザインを提供しました。

1917年にフリーランスとして関係が始まり、1926年に正社員となり、1957年に72歳で退任するまで、約40年にわたってロールストランドのパターンデザイナーとして活動しました。

「麦の穂のデザイナー」と呼ばれた女性

ソーデルマンランドの夏の風景、麦畑が広がる
アーデルボリの故郷ソーデルマンランド地方の夏の風景。広い空と低い丘、そして麦畑が地平線まで続きます。麦畑を思わせる風景は、アーデルボリの麦の穂のレリーフを理解するうえで、自然に重ね合わせることができます。/Wikimedia Commons (Björnlunda, by Pudelek), CC BY-SA 4.0

アーデルボリの作品を象徴するモチーフが、麦の穂のレリーフです。彼女が1923年にデザインした花瓶《Vase》、そして代表的なシリーズである1930年のナショナルセルヴィス(後のSwedish Grace)にいたるまで、麦の穂のレリーフが繰り返し登場します。

アーデルボリのデザインは、華やかな装飾よりも、抑制された起伏と白磁の余白によって語られるモダンデザインとして見ることができます。アール・デコの華やかな装飾でも、後年のミッドセンチュリーの抽象パターンでもない、淡い起伏だけで成立する白磁の世界が彼女の領域です。

ニュシェーピングからストックホルムへ — 幼少期と教育

ニュシェーピング市庁舎の外観
ニュシェーピング(Nyköping)市庁舎。アーデルボリは生後まもなくこの町に移り住み、15歳までこの土地で育ちました。/Wikimedia Commons, CC BY 3.0

貴族アーデルボリ家に生まれて

アーデルボリ家はスウェーデンの古い貴族の家系で、家紋を持つ士族の一族です。父オットー・エーレンフリード・アーデルボリ(Otto Ehrenfrid Adelborg、1845–1900)はスウェーデン陸軍の大尉、母はド・ヘール男爵令嬢ジャケット(Jacquette De Geer、1855–1945)でした。

ルイースは兄弟に作家グスタフ=オットー(Gustaf-Otto、1883–1965)と外交官・軍人として活躍したフレドリック・ヤルマール(Fredrik Hjalmar、1886–1948)を持ち、さらに女流画家のゲルトルード、オッティリア、マリア・アーデルボリと姻戚関係にあります。一族そのものが「美術と公職」の家でした。

ソーデルマンランドのティスタッド城(領主館)
ソーデルマンランドのティスタッド城(Tistad slott)。アーデルボリの郷里近郊にある同時代の貴族領主館で、彼女が育った貴族世界の空気を今に伝えます。/Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

テクニスカ・スコーラン(現コンストファック)で学ぶ

1900年に父を15歳で亡くしたルイースは、まもなく家族とともにストックホルムに移ります。1903年から1906年までと、1906年から1909年までの二期、ストックホルムのテクニスカ・スコーラン(Tekniska skolan)で学びました。この学校は現在のコンストファック(Konstfack)の前身で、スウェーデンを代表する応用美術・デザイン学校です。

コンストファック(旧テクニスカ・スコーラン)の校舎
アーデルボリの母校コンストファック(Konstfack)。彼女が学んだ当時はテクニスカ・スコーランと呼ばれていました。後にスティグ・リンドベリやシグネ・ペション=メリン、シルビア・レウショヴィウスら、北欧デザインを代表する作家を多数輩出する学校となります。/Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

彼女が学んだのは「素描指導法」と「パターンデザイン」の二領域で、装飾図案を量産品に展開する技術を学んだことが、後年の磁器デザインに直結します。

イタリア・フランスへの遊学

1909年に学業を終えたあと、アーデルボリはイギリス、イタリア、フランスへの研究旅行に出ます。ヨーロッパ各地で美術館を巡り、当時最先端であったアール・ヌーヴォーから初期のアール・デコへと移行するヨーロッパ装飾美術の潮流に触れました。1916年に陶磁器と刺繍の作品発表を開始し、翌1917年にロールストランドのデザイナーとして迎えられます。

ロールストランド時代(1917–1957) — 40年の関係

1896年頃のロールストランド工場の外観
1896年頃のロールストランド工場。アーデルボリが1917年にデザインを始めた頃の工場は、まだストックホルム郊外のロールストランド地区にありました。/Wikimedia Commons, Public Domain

フリーランスから正社員へ

1916年、アーデルボリは陶磁器と刺繍の作品を発表し始めます。翌1917年、ロールストランドのパターンデザイナーとしてフリーランス契約で迎えられました。実績を重ねたのち、1926年に正社員となり、1957年に勇退するまで、ロールストランドのアートディレクターたちの世代交代に立ち会いながら、自身は中核的なパターンデザイナーとして活動し続けました。

ロールストランド製のサラダボウル
ロールストランドが手掛けた装飾陶器の一例(ストックホルムのNordiska museet所蔵)。アーデルボリが入社した頃の同窯は、こうした絵付けの装飾陶器も数多く手掛けていました。/Wikimedia Commons, CC0

ロールストランドは1726年創業の老舗陶磁器メーカーです。その中で40年にわたって一人のデザイナーが在籍したことで、彼女の作風は、ロールストランドの戦間期から戦後にかけての白磁表現を語るうえで重要な位置を占めます。

「Vase」(1923)— パリ装飾美術博覧会への道

1923年、アーデルボリは麦の穂のレリーフをまとった花瓶《Vase》をデザインしました。Nationalmuseumは、この作品について、グスタフ・ヴァーサ王の家紋に含まれる束ねられた穂、すなわち「vase」に着想を得たものと説明しています。麦の穂のレリーフは、1930年のNationalservisen(ナショナルセルヴィス)にも受け継がれました。

この花瓶は1925年、パリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition internationale des Arts décoratifs et industriels modernes、通称「アール・デコ博」)に出品され、アーデルボリの麦の穂モチーフを国際的な場で見せる機会となりました。

「ナショナルセルヴィス」(1930)— 1930年ストックホルム博覧会

1930年ストックホルム博覧会の会場風景
1930年のストックホルム博覧会(Stockholmsutställningen 1930)。スウェーデン近代デザインの大きな節目とされる博覧会で、アーデルボリの「ナショナルセルヴィス」もここで初公開されました。/Wikimedia Commons, CC0

1930年、ストックホルムで開催された大規模博覧会「ストックホルムスウットステルニンゲン」(Stockholmsutställningen 1930)は、建築家グンナル・アスプルンドの会場設計のもと、機能主義(フンクシオナリズム)を国民に知らしめた歴史的なイベントでした。

この博覧会で初めて世に出たのが、アーデルボリの代表的なシリーズ「ナショナルセルヴィス」(Nationalservisen、直訳すれば「国民のためのサービス」)です。白磁の縁に麦の穂が浅く浮き彫りにされ、それ以外の装飾は一切ありません。色も柄もなく、ただ素地の起伏で表情を生む——それまでの華やかな装飾陶磁器とは対照的なシリーズでした。

1930年ストックホルム博覧会のホール33内観
博覧会のホール33の展示風景。装飾を削ぎ落とした白く明るい空間が、当時のスウェーデンの市民に「新しい家庭の風景」として提示されました。/Wikimedia Commons, CC0
1930年ストックホルム博覧会のレストラン・プック
博覧会会場のレストラン「プック」(Puck)の屋外席。シンプルな白いクロスにアーデルボリのナショナルセルヴィスを並べる——当時提唱された新しい室内空間や暮らしの美意識を示す光景でした。/Wikimedia Commons, CC0
1930年ストックホルム博覧会のレストラン「パラディセット」
同じく博覧会内のレストラン「パラディセット」(Paradiset、楽園)。アスプルンドが設計した会場のサインや家具が、白磁の陶磁器と通底するモダンな表情を見せます。/Wikimedia Commons, Public Domain

スウェディッシュ・グレース — 名前の意味と麦の穂の起源

「スウェディッシュ・グレース」という言葉

「Swedish Grace(スウェディッシュ・グレース)」という言葉そのものは、もともとアーデルボリの陶磁器の名前ではありませんでした。1920年代後半、イギリスの建築評論家モートン・シャンド(Philip Morton Shand)が、スウェーデンの新古典主義建築とデザインの優美な節度を評して用いたのが起源とされる用語です。直訳すれば「スウェーデンの優美さ」ですが、装飾と機能のあいだの絶妙な均衡を示す批評用語として定着しました。

アーデルボリのナショナルセルヴィスは、この「スウェディッシュ・グレース」の精神を体現する作品として広く認識され、後年その思想ごとシリーズの名前に引き継がれることになります。

麦の穂のレリーフ — モチーフの源とVasa紋章

ソーデルマンランドの牧歌的風景
ソーデルマンランド地方の風景。豊かな農地と森が織り交ざる、スウェーデン中部の典型的な田園です。/Wikimedia Commons, CC BY 2.0

Nationalmuseumは、1923年の《Vase》について、アーデルボリが「スウェーデン的で、率直に愛国的なもの」を作ろうとし、グスタフ・ヴァーサ王の家紋に含まれる束ねられた穂、すなわち「vase」に着想を得たと説明しています。同じ麦の穂のレリーフは、1930年のNationalservisenにも受け継がれました。

その一方で、麦畑や夏の風を思わせる穏やかな起伏は、アーデルボリが幼少期を過ごしたスウェーデンの田園風景とも自然に重ね合わせて見ることができます。

白磁の縁を真上から見たとき、麦の穂のレリーフはちょうど風になびく一列の麦に見えます。白磁を手に取って角度を変えると、光が当たる位置によって凹凸が現れたり消えたりする——白磁の表情が、光によって静かに変化します。色彩や絵付けではなく、素地の起伏と光でデザインされた陶磁器です。

2001年、Swedish Graceとしての再導入

ナショナルセルヴィスは1930年の発表後、長くロールストランドで生産されました。戦後のミッドセンチュリー期、ベルサ(1960)やモナミ(1952)といった色彩豊かな装飾陶磁器が市場の主役になると、白一色の控えめなナショナルセルヴィスは徐々に影に退いていきました。

2001年、ロールストランドはNationalservisenをSwedish Grace(スウェディッシュ・グレース)という名で再導入しました。現在はフィスカース・グループ傘下のロールストランドを代表するシリーズの一つとして、ホワイト、ミスト、メドウなど複数のカラーで展開されています。1930年にデザインされた陶磁器が、約一世紀の時を超えて、いまも息づいています。

もう一つの顔 — テキスタイル作家としてのアーデルボリ

リッダーホルム教会の祭壇布

リッダーホルム教会の外観
ストックホルム旧市街に隣接するリッダーホルム教会(Riddarholmskyrkan)。スウェーデン王家の歴代の墓所として知られる13世紀建立の教会です。/Wikimedia Commons, CC BY 4.0

アーデルボリは陶磁器デザイナーであると同時に、熟練の刺繍作家でもありました。中でも知られているのは、ストックホルムのリッダーホルム教会のために制作した祭壇布(アンテペンディウム、antependium)です。スウェーデン王家の歴代の墓所であるこの教会の祭壇を、アーデルボリの手仕事が飾りました。

Almedahl-Dalsjöfors のテキスタイル

商業面では、スウェーデンのテキスタイル会社 Almedahl-Dalsjöfors AB のためにテーブルクロスやリネン用のパターンをデザインしました。彼女の陶磁器と同様、これらのテキスタイルもまた、控えめでありながらどこかに自然のリズムを湛えた図案で、室内空間に静かなリズムを添える仕事でした。

受賞と晩年

Illis quorum 勲章

1957年、ロールストランドを退任する年に、アーデルボリはスウェーデン政府より「Illis quorum」勲章(第5級)を授与されました。Illis quorum はスウェーデンで文化・学術・芸術分野の長期にわたる優れた功績に対して国王名で贈られる栄誉で、当時の女性デザイナーに対する公的な評価としても重要な出来事でした。

ストックホルム・グレヴ・トゥーレガータンの暮らし

アーデルボリは1911年からストックホルムに住み、1922年からは市内の高級住宅街グレヴ・トゥーレガータン(Grev Turegatan)に居を構えました。晩年もこの街でデザインと刺繍を続け、1971年9月9日に86歳で世を去ります。亡骸はストックホルム郊外ソルナのノーラ墓地(Norra begravningsplatsen)に葬られました。これはアルフレッド・ノーベルやイングマール・ベルイマンら、近代スウェーデンの著名人が眠る墓地です。

当時のロールストランド工場とアーデルボリの同僚

AB Lidköpings Porslinsfabrik 製、アーデルボリのデコール
アーデルボリがデザインしたリドショーピン陶器工場(AB Lidköpings Porslinsfabrik)の装飾。ロールストランドは1936年にリドショーピンへ工場を移転し、現地の陶器産業と並走しました。/Wikimedia Commons, CC BY 3.0

リドショーピンへの移転(1936)

アーデルボリの在籍中、ロールストランドはストックホルム郊外の旧工場から、スウェーデン中部・ヴェーネルン湖畔のリドショーピン(Lidköping)へ生産を移しました。リドショーピンは18世紀から陶器の伝統がある町で、AB Lidköpings Porslinsfabrik という別系統の陶器工場も存在していました。アーデルボリはロールストランド本体だけでなく、この地域の陶器装飾にも筆を入れています。

同時代のデザイナーたち

アーデルボリがロールストランドにいた40年間は、北欧近代陶磁器の黄金時代と重なります。少し先輩にはロールストランドの「釉薬の革命」を起こしたグンナー・ニールンド(在籍1931–1958)、青磁を北欧に持ち込んだフリードル・ホルツァー=キェルベリ(ロールストランドとARABIAを行き来)、後輩世代にはヘルタ・ベングトソン(Blå Eld、1949〜)やマリアンヌ・ウェストマン(モナミ、1952〜)、シルビア・レウショヴィウス(シルビア、1973〜)がいます。

その中で、アーデルボリは白磁の素地そのものを整える仕事を担っていました。色彩豊かな装飾陶磁器を手がけるデザイナーたちが次々に登場する一方で、彼女はそれらが置かれる前提となる白磁の余白とレリーフの表現を、ひっそりと、しかし確実に積み上げていったのです。

ロールストランド製のジャルディニエール
ロールストランドが手掛けた背の高いジャルディニエール(観葉鉢、Nordiska museet所蔵)。アーデルボリの白磁とは対照的な、絢爛な装飾陶器の系譜が、彼女の40年間と並走していました。/Wikimedia Commons, CC0

まとめ

ルイース・アーデルボリの本質

  • 1885–1971年。ロールストランドで1917年から1957年まで40年デザイナーを務めた女性。
  • 代表的なシリーズ「ナショナルセルヴィス」(1930年)は、スウェーデン近代デザインの大きな節目であるストックホルム博覧会で紹介されたシリーズ。2001年に「Swedish Grace(スウェディッシュ・グレース)」という名で再導入されました。
  • 麦の穂のレリーフは、Nationalmuseumによればグスタフ・ヴァーサ王の家紋の束ねられた穂に由来し、《Vase》(1923)からナショナルセルヴィスへと受け継がれたモチーフです。
  • テキスタイル作家としても活動し、リッダーホルム教会の祭壇布を制作。1957年に Illis quorum 勲章(第5級)を授与されています。
  • 同時代のヘルタ・ベングトソンやマリアンヌ・ウェストマンが「色彩」で陶磁器を彩る一方で、アーデルボリは、白磁の余白とレリーフの美しさをロールストランドに残した重要なデザイナーの一人です。

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