カーリン・ビョルクィスト完全ガイド|ノーベル賞晩餐会の食器を生んだグスタフスベリの巨匠
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この記事のポイント
- カーリン・ビョルクィスト(1927-2018)はグスタフスベリに44年間在籍したスウェーデンの女性陶磁器デザイナー
- 1991年、ノーベル賞90周年を記念し、晩餐会のためのボーンチャイナ食器「ノーベルサービス」をデザイン。現在も毎年の晩餐会で使用されている
- グスタフスベリ初の女性アートディレクターに就任。約20のディナーサービスと多数のパブリックアートを手がけた
- 1954年ミラノ・トリエンナーレ金メダル、1963年ルニング賞、1982年プリンス・エウシェン・メダルなど受賞多数
目次
カーリン・ビョルクィストとは
ノーベル賞の晩餐会で使用されてきた食器を、誰がデザインしたかご存知でしょうか。
毎年12月10日、ストックホルム市庁舎のブルーホールに約1,300人の招待客が集い、ノーベル賞の受賞者を称える晩餐会が開かれます。テーブルに並ぶ白いボーンチャイナの磁器——その食器をデザインしたのは、スウェーデンの小さな町セッフレ出身の一人の女性陶磁器デザイナーでした。
カーリン・ビョルクィスト(Karin Björquist、1927-2018)は、スウェーデンを代表する陶磁器メーカー、グスタフスベリに44年間在籍し、約20のディナーサービスと数々のパブリックアートを生み出したデザイナーです。1991年にはノーベル賞90周年を記念する晩餐会用食器「ノーベルサービス」をデザインし、この食器はノーベル晩餐会で長年使用されてきました。
コーゲ、リンドベリに続くグスタフスベリの伝統を受け継ぎながら、グスタフスベリ初の女性アートディレクターにも就任。「より美しい日用品(vackrare vardagsvara)」という理念を生涯にわたって実践し続けました。
セッフレからストックホルムへ——ヴェルムランドの少女時代
1927年1月2日、カーリン・ビョルクィストはスウェーデン西部のヴェルムランド県セッフレ(Säffle)に生まれました。父ヨハン・ファビアンは商店を営む企業家、母ユスティーナは秘書として働いていました。4人きょうだいの中で育ったカーリンは、幼い頃から家のハーブガーデンに親しみ、植物のスケッチに夢中になりました。この植物への愛情は、生涯にわたる創作の源泉となります。
若きカーリンの目は、やがてストックホルムへと向けられます。彼女は最初、ポストジロ(郵便振替局)で事務員として働きながら、テクニスカ・スコーラン(現コンスタファック)の夜間課程に通い始めました。当初は絵画やテキスタイルに関心がありましたが、ガラスと陶芸の世界に惹かれていきます。
コンスタファックでの学び
1945年、カーリンはコンスタファックスコーラン(Konstfackskolan、現コンスタファック)に正規入学を果たします。陶芸科の教官エドガル・ベックマン(Edgar Böckman)のもとで5年間学び、1950年に卒業しました。
コンスタファックはスウェーデンのデザイン教育の中心地であり、数多くの著名デザイナーを輩出してきた名門校です。ビョルクィストはここで、後のキャリアを貫くことになる信念——良いデザインが日常の生活の質を高める——の基礎を築きました。昼間はポストジロで働いた経験は、実用性と経済性を重視するデザイン姿勢にも影響を与えたと考えられています。
グスタフスベリへ——コーゲとリンドベリのもとで
1950年、卒業したばかりのビョルクィストはグスタフスベリ磁器工場にデザイナーとして入社します。きっかけは、当時のアートディレクターであったヴィルヘルム・コーゲ(Wilhelm Kåge)が、彼女の才能を見出して応募を勧めたことでした。
グスタフスベリはストックホルム東方のヴェルムド島にある小さな町で、1825年の創業以来、スウェーデン第2の歴史を持つ磁器工場として知られていました。ビョルクィストが入社した当時、工場にはコーゲに加え、すでに新進気鋭のデザイナーとして頭角を現していたスティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)がいました。
ビョルクィストはまずリンドベリのファイアンス(錫釉陶器)彩色部門で働き、その後、自身のアトリエを与えられます。1952年には最初のディナーサービス「スヴァルト・ルーテル(Svart Ruter)」の量産が始まりました。以後44年間、彼女はこの工場を創作の拠点とし続けます。
代表作の数々
ビョルクィストのキャリアは、約20のディナーサービスと多岐にわたるパブリックアートに彩られています。時代ごとに素材や技法を変えながらも、「日常に美を」という一貫した哲学が全作品を貫いています。
コボルト(Kobolt)——素焼きに直接彩色する革新
1958年に発表されたコボルトは、フリントウェア(フリント磁器)にコバルトブルーの装飾を施した代表作です。素焼きの表面に直接彩色するという大胆なアプローチで制作されました。コバルトブルーの深い色合いと、素地の温かみが独特の表情を生み出しています。
ヴァルダーグ(Vardag)——「日常」の名を冠した食器
1955年にデザインされたヴァルダーグは、スウェーデン語で「日常(Vardag)」を意味します。毎日の暮らしのためにデザインされた食器で、1957年から量産が開始されました。実用性と美しさを両立させたこのシリーズは、「より美しい日用品」というスウェーデン・デザインの理念を体現する作品として高く評価されました。
ビョルクィストの日常食器へのこだわりは、マルヴァ(Malva)やミルテン(Myrten)といった後のシリーズにも受け継がれています。
レード・カントとズーム——1960年代の新しい波
1968年に発表されたレード・カント(Röd kant)は、フリントウェアによる六角形のプレートが特徴的なシリーズです。中国陶器にインスピレーションを得たファセットカットのコーヒーカップなど、それまでのスカンジナビアデザインの枠にとらわれない大胆な造形が試みられました。
同じ1968年にはズーム(Zoom)も発表されています。鮮やかなオレンジ色のプラスチック食器で、当時のポップアートやスペースエイジの潮流を反映した意欲作でした。1970年には、グスタフスベリ初のスタッカブル(積み重ね可能な)レストラン用食器「BL」を白いボーンチャイナで制作しています。
ノーベル賞晩餐会の食器——世界一華やかなテーブルセッティング
ビョルクィストのキャリアの頂点ともいえるのが、1991年にデザインされたノーベルサービス(Nobelservisen)です。それは一人のデザイナーの仕事を超えた、スウェーデンの工芸の粋を集めた一大プロジェクトでした。
ストックホルム市庁舎ブルーホール
ノーベル賞晩餐会の会場は、ストックホルム市庁舎のブルーホール(Blå hallen)です。1923年に完成したこの建物は、建築家ラグナル・エストベリ(Ragnar Östberg)の設計による、北欧ナショナルロマンティシズムの傑作です。赤煉瓦の壁に囲まれた広間に約1,300名分のテーブルが並ぶ光景は、毎年12月10日のアルフレッド・ノーベルの命日に繰り広げられます。
ノーベルサービスの誕生
1988年、美術史家オーケ・リヴステット(Åke Livstedt)がノーベル財団から、ノーベル賞90周年(1991年)に向けたテーブルセッティング刷新の総合プロデュースを委託されました。料理、エンターテインメント、装飾を一体としたビジョンのもと、スウェーデンを代表する工芸企業とデザイナーが結集します。
- 磁器: カーリン・ビョルクィスト(グスタフスベリ)
- グラスウェア・カトラリー: グンナル・シレーン(Gunnar Cyrén、オレフォス)
- テーブルリネン: イングリッド・デッソー(Ingrid Dessau、クレスボル織物工房)
- カトラリー: ゲンセ(Gense)
ビョルクィストがデザインした磁器はボーンチャイナ(bone china)で制作されました。皿に施された色——黄、青、緑、金——は四季と大陸、そしてノーベル賞の各分野を象徴しています。裏面には「Rörstrand / SWEDEN / NOBEL JUBILEE 1991 / DESIGN KARIN BJÖRQUIST / MADE BY GUSTAVSBERG / BONE CHINA」の刻印が入り、当時同じグループ傘下にあったロールストランドとグスタフスベリ両方の名前が記されています。
注目すべきは、このデザインにはポストモダン、ヴェルサイユ宮殿、1920年代デザイン、そして日本の儀式からの影響が融合していることです。ビョルクィストはかつて日本を訪問しており、その際に体験した儀式の美意識がノーベルサービスの格調の高さに反映されています。
現在も続く伝統
ノーベルサービスは1991年の初使用以来、毎年のノーベル賞晩餐会で使用され続けています。一人のデザイナーが手がけた食器が30年以上にわたって世界最高峰の晩餐会で使われ続けていること自体が、ビョルクィストのデザインの普遍性を物語っています。
1992年にはこのノーベルサービスの業績に対し、スウェーデン・フォルム協会から「優秀スウェーデンデザイン賞(Utmärkt Svensk Form)」が授与されました。現在、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)やストックホルム国立美術館にも収蔵されています。
公共空間のセラミック——地下鉄駅から国立銀行まで
ビョルクィストの才能は食器だけにとどまりませんでした。建築と一体化したパブリックアートの分野でも重要な仕事を残しています。
1961年には建築家シェル・アブラムソン(Kjell Abramson)との共同で、ストックホルム地下鉄マリアトルゲット駅のセラミック壁面デザインのコンペティションに参加し、1位を獲得しました。数千本の黄褐色のセラミックロッドで構成された壁面装飾は、地下空間に独特の温もりを与えています。
1976年には建築家ペーテル・セルシング(Peter Celsing)設計のスウェーデン国立銀行(Riksbankshuset)の内装セラミックを担当。1988年にはストックホルムのストゥーレバーデット水泳場の修復プロジェクトにもセラミック作品を提供しています。スウェーデン各地のドムス百貨店にも彼女のセラミック装飾が見られました。
グスタフスベリ初の女性アートディレクター
1981年、ビョルクィストはグスタフスベリのアートディレクターに就任しました(在任1981-1986年)。ヴィルヘルム・コーゲ、スティグ・リンドベリに続く、工場の創造的方向性を決定する要職です。グスタフスベリ約160年の歴史の中で、女性がこの職に就いたのは初めてのことでした。
アートディレクターとしての在任中もデザインの手を休めることはなく、ベル(Bell)やリサ(Liza)、ストックホルム(Stockholm)といったストーンウェアのシリーズを次々と発表しています。
1994年、ビョルクィストはグスタフスベリを退社しました。入社から実に44年間——ほぼ半世紀にわたって一つの窯に寄り添い続けたキャリアは、スウェーデンのデザイン史においても稀有なものです。
日本との接点
ビョルクィストは生涯を通じてアメリカ、メキシコ、日本への研修旅行(study visits)を行っており、これらの体験が創作の大きなインスピレーション源になったことが記録されています。
特に注目すべきは、ノーベルサービスのデザインに日本の儀式文化からの影響が認められることです。食器を単なる器ではなく、食事という「儀式」を構成する要素として捉える視点。配膳の所作、食卓の空間構成、素材と色彩の象徴性——こうした日本的な美意識が、ノーベル晩餐会という最高級の儀式のためのデザインに昇華されています。
スウェーデンと日本は「簡素さの中の美」「用の美」「自然素材への敬意」といった美意識を共有しています。ビョルクィストが日本で何を見て、何を感じたのか——その詳細は記録に残されていませんが、彼女の作品に宿る静謐さと格調は、日本の工芸に通じるものを感じさせます。
受賞歴と美術館コレクション
ビョルクィストは生涯を通じて、国際的な評価を受け続けました。主な受賞歴は以下の通りです。
| 年 | 受賞 |
|---|---|
| 1954年 | ミラノ・トリエンナーレ 金メダル |
| 1963年 | ルニング賞(Lunning Prize)——北欧デザインの最高賞のひとつ |
| 1982年 | プリンス・エウシェン・メダル(Prins Eugens medaljen)——「卓越した芸術的業績」に対して |
| 1992年 | 優秀スウェーデンデザイン賞(Utmärkt Svensk Form)——ノーベルサービスに対して |
| 1992年 | プロフェッサーの称号(professors namn)授与 |
作品はストックホルム国立美術館、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)、ヴェルムランド博物館など世界各地の美術館に収蔵されています。2000年にスウェーデン協同組合連合(KF)がグスタフスベリ・コレクションを国に寄贈した際、ビョルクィストの作品群もストックホルム国立美術館の管理下に入りました。
「より美しい日用品」——ビョルクィストのデザイン哲学
ビョルクィストのデザイン哲学は、スウェーデンのデザイン思想家グレゴール・パウルソン(Gregor Paulsson)が1919年に提唱した「vackrare vardagsvara(より美しい日用品)」の理念を、生涯をかけて体現したものでした。
同世代の多くの陶芸家が独立したアトリエでの制作を志向したのに対し、ビョルクィストはあえて工業の中で働くことを選びました。手仕事で培った知見を大量生産品に翻訳し、より多くの人々の日常に美を届けること——それが彼女の信念でした。
「機能が前面に立つデザイン」を追求しながらも、彼女の作品は決して無味乾燥ではありません。幼少期のハーブガーデンに始まる植物への愛情、日本や中国の工芸から受けた刺激、そして素材そのものへの深い敬意が、一つひとつの器に静かな温もりを宿しています。
夫のレンナルト・リンドクヴィスト(Lennart Lindkvist)はデザイン誌『Form』の編集長、のちにスウェーデン・フォルム協会の事務局長を歴任した人物で、二人はスウェーデンのデザイン界の中心で互いに影響を与え合いながら歩みました。
遺産——グスタフスベリ磁器博物館と回顧展
2018年9月2日、カーリン・ビョルクィストはストックホルムにて91歳で逝去しました。埋葬地は世界遺産にも登録されているスコーグスシュルコゴーデン(Skogskyrkogården、「森の墓地」)——グンナル・アスプルンドとシーグルド・レヴェレンツが設計した、北欧モダニズム建築の聖地です。
死後、ノーベルサービスを含む遺品がヴェルムランド博物館に寄贈されました。2021年10月から2022年4月にかけては、グスタフスベリ磁器博物館で大規模な回顧展「カーリン・ビョルクィスト——思考がかたちになるとき(När en tanke tar form)」が開催されました。ストックホルム国立美術館が管理するグスタフスベリ・コレクション、個人コレクション、リヴステットのアーカイブから出展されたこの展覧会は、彼女の全キャリアを俯瞰するものでした。
グスタフスベリの町を訪れれば、かつての工場跡地には磁器博物館やアトリエ、ショップが並び、コーゲ、リンドベリ、そしてビョルクィストが築いた伝統が今も息づいています。
まとめ
- カーリン・ビョルクィスト(1927-2018)はグスタフスベリに44年間在籍し、約20のディナーサービスと多数のパブリックアートを手がけたスウェーデンの女性デザイナー
- 1991年にノーベル賞90周年記念の晩餐会用食器「ノーベルサービス」をデザイン。ボーンチャイナによる格調高い食器は現在も毎年使用されている
- グスタフスベリ初の女性アートディレクターとして、コーゲ、リンドベリの伝統を受け継いだ
- ミラノ・トリエンナーレ金メダル、ルニング賞、プリンス・エウシェン・メダルなど、国際的評価を受けた
- 日本への研修旅行の体験がノーベルサービスのデザインにも影響を与えた
- 「より美しい日用品」の理念を生涯にわたって実践し、工業デザインの中に手仕事の温もりを宿した