グスタフスベリ ピンタ(Pynta)完全ガイド|スティグ・リンドベリが1962年に描いた、食卓の小さな静物画
北欧食器タックショミュッケ編集部スウェーデン・フィンランドから北欧ヴィンテージ食器を直接買い付け、1,000点以上を検品してきた当店が、一次情報と実物の観察にもとづいて執筆・編集しています。
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この記事でわかること
- ピンタ(Pynta)は、スティグ・リンドベリがグスタフスベリのためにデザインしたシリーズです。1962年から1965年にかけて製造されました。
- クリーム色の地に、魚・カトラリー・コーヒーカップ・レモン・果物・小花などの小さなモチーフを散らした、多色の絵付けが特徴です。
- 「pynta」はスウェーデン語で「飾る・装う」を意味する動詞で、絵を散りばめたこのシリーズの性格をそのまま映しています。
- スピサ・リブ、アダム&イヴ、ベルサと続いたリンドベリの食器の系譜のなかに位置づけられる、製造期間の短い一群です。
- 生まれ故郷はストックホルム郊外の港町グスタフスベリ。工場の歴史と街の風景もあわせて辿ります。
目次
はじめに——食卓の上の、小さな静物画
白い皿の上に、小さな魚が一匹。少し離れて、黒い柄のフォークと、黄色い柄のスプーン。縁のほうには、ピンク色のカップとソーサーがちょこんと。スウェーデンのグスタフスベリ(Gustavsberg)が1962年に世に出した食器、ピンタ(Pynta)の絵柄です。皿という余白に、台所や食卓の小さなものたちが、まるで切り抜いて貼ったように散らされています。
ベルサ(Berså)の緑の葉や、アダム(Adam)の青いドットのように規則正しく並ぶのではなく、ピンタのモチーフは少し気まぐれに置かれています。一枚ごとに登場するものが違い、見ているうちに、献立を考えているときの頭の中をのぞいたような、軽やかな気持ちになります。
本稿では、このピンタというシリーズが何で、いつ、誰の手から生まれたのかを整理しながら、デザイナーのスティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)と、シリーズが生まれた港町グスタフスベリの風景までを辿ります。日本にいながら、北欧の窯とその街を少し旅するように読んでいただければと思います。
ピンタ(Pynta)とは——1962年に生まれた、絵を散らした食器
ピンタは、スティグ・リンドベリがグスタフスベリのためにデザインした食器シリーズです。製造期間は1962年から1965年にかけてと、複数の北欧のオークションハウス(Bukowskis、Auctionet、Stockholms Auktionsverk)の記録で一貫して伝えられています。スウェーデン国立美術館(Nationalmuseum)のコレクションにもピンタの小品が収められ、作者をスティグ・リンドベリ、製造をグスタフスベリと記録しています。
製造されたのはおよそ3年から4年と短く、ヴィンテージの北欧食器のなかでも、出会う機会の限られたシリーズです。派手な人気作ではないぶん、リンドベリの遊び心がのびのびと出た、知る人ぞ知る一群といえます。
名前の意味——「飾る」という動詞
「pynta」はスウェーデン語の動詞で、「飾る」「装う」「きれいに整える」といった意味を持ちます。pryda(飾る)やsmycka(装飾する)に近い言葉で、クリスマスツリーを飾りつけるときなどにも使われる、どこか華やいだ響きの語です。
皿の上にものを散らして「飾る」——シリーズの名前は、その絵付けの性格をそのまま言い当てています。器そのものを一枚の小さな額に見立て、そこに静物を配したような感覚が、この名前から伝わってきます。
散りばめられたモチーフ
ピンタに描かれるのは、暮らしの中の小さなものたちです。当店に届いた品々を見ても、緑とピンクの鱗をもつ魚、装飾的な柄のフォークとスプーン、小さなカップ&ソーサー、ピンクのかぶ(ラディッシュ)、レモン、青い瓶などが、皿ごとに少しずつ違う顔ぶれで登場します。
北欧のオークションや専門店の記録では、これらに加えて、りんご、ぶどう、バラやディル(ハーブ)の花、さらには「瓶の中の帆船」といったモチーフも紹介されています。台所と食卓の道具、そして食材と草花。どれも特別なものではなく、日々の暮らしのなかで目にする、ささやかなものばかりです。
リンドベリは絵本の挿絵やテキスタイルも手がけた人でした。ピンタの軽快な線と、ものを擬人化するような愛嬌のある描き方には、その絵描きとしての一面がよくあらわれています。
素材と絵付け
ピンタの素地は、クリーム色がかった陶器(フリントゴッズ/flintgods)です。磁器のように硬く澄んだ白ではなく、ややぬくもりのある乳白色の地肌が、多色のモチーフをやわらかく受けとめています。
絵付けは、クリーム〜白の地に多色で施されたプリント(転写)絵付けと紹介されています。資料によっては手描きと記すものもあり、技法の表記は一定ではありませんが、いずれにせよ、複数の色を使ったにぎやかな絵柄である点は共通しています。本ブログには北欧食器の絵付け技法ガイドもありますので、転写と手描きの見分けに関心のある方はあわせてご覧ください。
デザイナー、スティグ・リンドベリ
ピンタを生んだスティグ・リンドベリ(Stig Lindberg、1916–1982)は、20世紀スウェーデンを代表するデザイナーのひとりです。陶磁器を中心に、ガラス、テキスタイル、工業デザイン、絵画、絵本の挿絵、そして教育まで——手を伸ばさなかった領域を探すほうがむずかしいほど、幅広く活動しました。
ウメオからグスタフスベリへ
リンドベリは1916年、スウェーデン北部の街ウメオ(Umeå)に生まれました。ストックホルムのコンストファック(Konstfack/国立美術工芸大学の前身)で絵画を学び、1937年にグスタフスベリへ入社します。当時の芸術監督は、グスタフスベリの近代を築いたヴィルヘルム・コーゲ(Wilhelm Kåge)でした。
コーゲのもとで研鑽を積んだリンドベリは、1949年にその後を継いでグスタフスベリの芸術監督(アートディレクター)となります。1950年代を通じて、彼はファイアンスの自由なオブジェから、日々のための量産食器まで、幅広い仕事で戦後スウェーデンのデザインを牽引しました。
その活動は陶磁器にとどまりません。ガラス、テキスタイル、工業デザイン、絵画、そして絵本の挿絵まで、彼は実に多くの分野で仕事を残しました。1970年にはスウェーデン政府から名誉教授の称号を贈られています。器の絵付けに見られるユーモアと、線の軽やかさは、こうした絵描き・物語作家としての一面と地続きのものでした。リンドベリの生涯と代表作の全体像は、スティグ・リンドベリ完全ガイドで詳しくまとめています。
学校で教えた時期に生まれた一枚
ピンタが生まれた1962年は、リンドベリの経歴のなかでは少し独特の時期にあたります。彼は1957年に芸術監督の職をいったん離れ、1970年までコンストファックで陶芸を教える教師として、活動の中心を学校に移していました。グスタフスベリに常勤の監督として戻るのは、その後のことです。
つまりピンタは、リンドベリが常駐デザイナーとしてではなく、外部の作家としてグスタフスベリに関わっていた時期に生まれた作品です。教壇に立ちながらも、彼は古巣の窯のために絵を描き続けていました。アダムやイヴ、ベルサといった有名な食器も、同じように学校の時代に生まれています。気負いのない、けれど絵描きとしての腕がのびのびと出た一群が、ちょうどこの頃に集まっているのです。
1962年という年——色彩シリーズの連なりのなかで
ピンタを理解するには、その前後に生まれたリンドベリの食器の流れに置いてみるのが分かりやすいでしょう。1950年代後半から1960年代前半にかけて、彼はグスタフスベリのために、性格の異なる絵柄を次々と生み出していました。
- スピサ・リブ(Spisa Ribb/1955年)——白地に黒い縦縞を引いた、グラフィカルな名作。
- アダム&イヴ(Adam & Eva/1959年)——青のドットと赤のドット、聖書の名を冠した姉妹シリーズ。
- ベルサ(Berså/1961年)——緑の葉を並べた、リンドベリの最も知られるヒット作。
- ピンタ(Pynta/1962年)——多色のモチーフを散らした、本稿の主役。
こうして並べてみると、ピンタの個性がはっきりします。スピサ・リブやベルサが整然とした反復の美しさを持つのに対し、ピンタはモチーフを気ままに散らした、物語性のある絵付けです。同じ作者の手から、かたや幾何学、かたや小さな静物画が生まれている——リンドベリの引き出しの広さが、この並びからよく伝わってきます。
姉妹のような関係にあるシリーズについては、スピサ・リブ完全ガイド、アダム完全ガイド、ベルサ完全ガイドでそれぞれ詳しく取り上げています。
ピンタの構成——どんなかたちがあるのか
ピンタは、テーブルをひととおり整えられるだけの構成を備えたシリーズとしてデザインされました。北欧のオークション記録や当店の取り扱いから確認できる主なかたちを挙げると、次のようになります。
- プレート(およそ18cm/21cm)
- 深皿・ボウル(およそ16.5cm)
- ティーカップ&ソーサー
- ピッチャー(水差し)
- スクエアプレート・大皿(角型の取り分け皿)
- ソルト&ペッパー、スパイスシェイカー類
とりわけ、ソルト&ペッパーやスパイスシェイカーのような小さな台所道具にまでピンタの絵柄が施されているのは、このシリーズの魅力のひとつです。皿の上の静物画が、こんどは現実の小瓶になって棚に並ぶ——その入れ子のような遊びが、見ていて楽しいところです。
当店では、このスクエアプレートやシェイカー類など、ピンタのいくつかの品をご紹介しています(在庫状況は商品ページでご確認ください)。観賞用として迎え入れられた一点が、棚の上に小さな北欧の風景をつくってくれます。
ヴィンテージのピンタを前にして——年代と見分け
ピンタの製造期間は、1962年から1965年にかけてと記録されています。復刻版は知られておらず、市場に出るのは基本的にこの時期に作られたオリジナルのヴィンテージです。製造の期間が短いぶん、現存数も多くはありません。
裏面の刻印(バックスタンプ)については、参照した各オークションの記録に正確な文字情報までは残されておらず、本稿で特定の刻印を断定することは控えます。一般に、この時代のグスタフスベリ製品には、錨(いかり)をかたどったメーカーマークとともに、シリーズ名や絵付け担当を示す表記が添えられることが知られています。グスタフスベリの刻印の歴史的な変遷については、グスタフスベリのロゴの歴史もあわせてご覧ください。
手仕事の時代の品ですので、経年による表情——わずかな擦れや、釉薬の細かな貫入など——が見られることもあります。それらは、時代を経た北欧ヴィンテージらしい質感として、造形の一部に静かに溶け込んでいます。コンディションの読み方については、コンディションを読むガイドで詳しく解説しています。
グスタフスベリという港町——ピンタが生まれた場所
ピンタが生まれたグスタフスベリは、ストックホルムの東に広がる群島地帯、ヴェルムドー(Värmdö)島にある小さな港町です。入り江に面した水辺に、磁器工場と、その工場とともに育った街並みが残っています。
グスタフスベリの磁器工場が興されたのは1825年のこと。参事官ヨハン・オーロフ・ヴェンベリ(Johan Olof Wennberg)と商人ヨハン・ヘルマン・オーマン(Johan Herman Öhman)の手によって始まりました。2025年にはちょうど創業200年を迎え、スウェーデンのオークションハウスでも記念の催しが開かれています。
やがて19世紀後半から20世紀初めにかけて、工場主オーデルベリ(Odelberg)家のもとで、ここは典型的なスウェーデンの企業城下町(bruksort)として発展します。1869年から1924年にかけて、一族は工場と街の両方を切り盛りしました。1900年ごろには約800人が働き、住居や医療、年金、子ども手当、子どもの学校までが会社によって整えられていたと伝えられます。港のランドマークである塔の家(Tornhuset)の一階には、かつて税関や郵便局、船を待つ人のための待合室が置かれていました。港は、人と荷の出入りする街の中心だったのです。
リンドベリやコーゲが働いたのは、まさにこうした水辺の工場でした。ピンタの絵柄に登場する魚や瓶は、群島の港町という土地の暮らしと、どこかで地続きのように感じられます。
工場のあった一帯は、今では磁器工場の跡地やショップ、工房をめぐることのできるデザインの地として、ヴェルムドーを訪れる人を迎えています。グスタフスベリの窯の200年の歩み、そして一度の閉鎖と復活の物語については、グスタフスベリ完全ガイドとグスタフスベリの閉鎖と復活で辿っています。
少し足をのばせば、ヴェルムドーには手つかずの自然が広がります。なめらかな岩肌と松、そして光をたたえた海。スウェーデンの群島(シェーゴード)の夏は、北欧の人々が一年で最も待ちわびる季節です。
そして、群島の入り口にあたるのが首都ストックホルムです。水の都の旧市街ガムラ・スタン(Gamla Stan)から船に乗れば、ほどなくヴェルムドーの島々へとたどり着きます。ピンタは、この水と島の風土のなかで生まれた食器でした。
日本とスティグ・リンドベリ——いま、ふたたび
スティグ・リンドベリの仕事は、近年あらためて日本で注目を集めています。2025年から2027年にかけて、リンドベリ家のコレクションを中心とするおよそ300点の作品による大規模な回顧展が、日本各地を巡回しています。食器だけでなく、ファイアンスのオブジェ、テキスタイル、絵本の原画やスケッチまで、彼の多面的な仕事を一望できる内容です。
巡回先には、東京・日本橋をはじめ、大阪、大分、そして滋賀県甲賀市の信楽(しがらき)にある滋賀県立陶芸の森など、各地の会場が名を連ねています。やきものの里・信楽での開催の様子は、当店コラムの信楽「スティグ・リンドベリ展」レポートでもお伝えしました。
簡素さと自然への眼差し、用の美を慈しむ心——スウェーデンと日本の美意識には、響きあうところが少なくありません。ピンタの皿に散らされた魚やレモンのように、暮らしの小さなものに目を留めるまなざしは、日本の器の文化とも、どこかで通じているように思えます。
まとめ
ピンタ(Pynta)の要点
- スティグ・リンドベリがグスタフスベリのためにデザインし、1962年から1965年にかけて製造された食器シリーズ。
- クリーム色の地に、魚・カトラリー・カップ・果物・小花などを散らした多色の絵付けが特徴。
- 「pynta」はスウェーデン語で「飾る」を意味し、絵を散らした性格をそのまま映した名前。
- スピサ・リブ、アダム&イヴ、ベルサと続いたリンドベリの食器の系譜のなかにある、製造期間の短い一群。
- 生まれ故郷は、ストックホルム近郊・ヴェルムドー島の港町グスタフスベリ。
規則正しい反復の美しさで知られるリンドベリの食器のなかで、ピンタは少し毛色が違います。皿という余白に、暮らしの小さなものたちを気ままに散らしたその絵付けは、見るたびに違う物語を語りかけてくるようです。出会う機会の限られたシリーズですが、棚の上に置けば、そこに小さな北欧の食卓の風景が立ち上がってきます。
よくある質問
Q. ピンタとはどんなシリーズですか?
A. ピンタ(Pynta)は、スティグ・リンドベリがグスタフスベリのためにデザインした食器シリーズです。1962年から1965年にかけて製造されました。クリーム色がかった地に、魚、カトラリー、カップ、果物、小花などの小さなモチーフを散らした、食卓の静物画のような絵柄が特徴です。
Q. Pyntaとはどういう意味ですか?
A. Pyntaはスウェーデン語で「飾る」「装う」「きれいに整える」といった意味を持つ動詞です。皿の上に小さなモチーフを散りばめたこのシリーズの性格を、そのまま表した名前です。
Q. ピンタはいつ作られたシリーズですか?
A. ピンタは1962年から1965年にかけて製造されたシリーズです。製造期間が短いため、ヴィンテージ市場でも出会う機会は限られます。スピサ・リブ、アダム&イヴ、ベルサに続く、リンドベリの1960年代前半の食器デザインの流れのなかに位置づけられます。
Q. ピンタのヴィンテージ品を見るときのポイントは何ですか?
A. 製造年代、裏面のバックスタンプ、絵柄の擦れ、貫入、チップなどを確認します。ピンタは復刻版が知られていないため、市場に出るものは基本的に1960年代前半のオリジナルヴィンテージです。絵柄の残り方や器の状態を見ながら、一点ごとの表情を楽しむシリーズです。
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