聖ルシア祭(Sankta Lucia)ガイド|スウェーデンの冬を照らす「光の少女」——歴史・行列・ルッセカット
北欧食器タックショミュッケ編集部スウェーデン・フィンランドから北欧ヴィンテージ食器を直接買い付け、1,000点以上を検品してきた当店が、一次情報と実物の観察にもとづいて執筆・編集しています。
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12月のスウェーデンの朝は、7時をまわっても外はまだ真っ暗です。窓には霜が降り、太陽が本格的に顔を出すのは、まだ数週間も先のこと。一年でいちばん夜が長く、昼が短い季節です。その暗さの底で、白い衣をまとい、頭に蝋燭の冠をいただいた一人の少女が、静かに歌いながら歩いてきます——聖ルシア祭(Sankta Lucia)。「光」という名を持つ少女が、闇にやわらかな抵抗を試みる、北欧の冬を象徴する行事です。
この記事では、シチリア島の殉教者にはじまり、スウェーデンの田舎の邸宅で育まれ、いまのかたちへと広がっていったルシアの歩みを、行列の情景、サフランの香るルッセカット、家々に灯るアドベントの燭台とともにたどります。読み終えるころには、12月13日の暗い朝に扉が開く、あの瞬間の空気を感じていただけたら幸いです。
この記事でわかること
- 聖女ルチアがどんな人物で、なぜ「光」と結びつけて祝われるのか
- なぜ12月13日なのか——ユリウス暦と「一番長い夜」の関係
- ホーンスの邸宅から1927年のストックホルムへ——ルシアがたどった道のり
- 行列の登場人物とサフランのルッセカット、家々に灯るアドベントの光
聖ルシア祭とは——暗い朝に歩く「光」
聖ルシア祭は、真冬の暗闇のなかで光を祝う、スウェーデンを代表する行事です。祝日は12月13日。行列が歩くのは、多くの場合その日の早朝——外がまだ夜のように暗い時間帯です。白い衣をまとい、蝋燭の冠をかぶった少女がルシア役となり、白衣の侍女(テルノル tärnor)、星の少年(スチャーンゴッサル stjärngossar)、そして歌い手たちを従えて、蝋燭の明かりのなかを進みます。学校でも、教会でも、職場でも、病棟でも、規模を変えながら同じ所作がくりかえされ、国じゅうがひとつの朝を共有します。
ルシア祭はクリスマスへと向かうアドベント(待降節)のただ中にあり、この季節の入り口を告げる灯りでもあります。クリスマスそのものの食卓や習わしについては、北欧のクリスマスと食卓で詳しくご紹介しています。ここでは、その少し前、一年でもっとも暗い朝に灯る「ルシア」だけを見つめてみます。
聖女ルチア——シラクサの殉教者と「光」という名
ルシアという名は、シチリア島シラクサの初期キリスト教殉教者・聖ルチア(Lucia、ルシア)に由来します。伝承では280年ごろに生まれ、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教迫害のさなか、304年ごろに殉教したと語り継がれてきました。ただしその生涯の詳細は、後世に編まれた聖人伝にもとづく伝承であり、同時代の記録ではありません。
彼女の名は、ラテン語の lux(光)を語源とします。地下に隠れたキリスト教徒へ食べ物を届けるとき、両手を空けるために頭に蝋燭をのせて道を照らした——そんな逸話とあわせて、ルチアは「光」と結びつけて描かれてきました。目にまつわる有名な逸話(両目にまつわる伝承)は、15世紀ごろ以降に加わった後代のもので、初期の記録には見られません。この逸話から、彼女はやがて視力や目の守護聖人とも見なされるようになりました。
北欧の暗い冬に、なぜ地中海の聖女が根を下ろしたのか。その答えの一つは、彼女が背負う「光」という一語にあります。光を待ち焦がれる土地にとって、「光」という名の少女ほどふさわしい主役はいなかったのです。
なぜ12月13日なのか——ユリウス暦と一番長い夜
聖ルチアの記念日は12月13日。スウェーデンの暦には12世紀ごろから記されてきたとされます(ノルディスカ博物館の学芸員レーナ・シェットストローム・ホーク氏による)。けれど、この日付には暦のずれをめぐる面白い事情がひそんでいます。
スウェーデンがグレゴリオ暦を最終的に採用したのは1753年のことでした。それ以前の古いユリウス暦では、暦と季節のずれによって、12月13日が冬至——一年でもっとも夜が長く、暗い日——とほぼ重なっていたのです。改暦によって天文学上の冬至は12月21〜22日ごろへ移りましたが、ルシアの祝日は13日のまま据え置かれました。聖人の記念日は暦の上の日付に結びついたもので、天文の冬至に合わせて動かす性質のものではなかったからです。こうして「一番長い夜」の記憶だけが、この日付に残ることになりました。
北欧の民間伝承では、この時期の長い夜は、魔物や荒ぶるものが徘徊する危険な夜だと伝えられてきました。「ルッシの長い夜(Lussinatt)」と呼ばれる伝承がそれですが、これはとりわけノルウェーの伝承に色濃く、後世に脚色された側面もあります。いずれにせよ、闇がもっとも深まる夜に「光」の名を掲げて歩くという構図は、この土地の冬そのものと分かちがたく結びついています。ここで一つ、大切なことを。北欧の冬は「短い」のではありません。夜が長く、昼が短いのです。北極圏のキルナでは、12月なかばから4〜5週間ほど太陽が地平線の上に昇らない極夜が続きます。
スウェーデンでの歩み——邸宅の朝から1927年へ
いまのようなルシアの姿は、一夜にしてできあがったものではありません。白い衣で早朝に給仕するルシア像は、18〜19世紀の西スウェーデン、ヴェーネルン湖周辺のヴェステルヨートランド地方の上流階級の家庭で育まれていったとされます。スウェーデン言語・民俗研究所(Isof)は、この地方をルシア習俗の「発祥地」と位置づけています。
白い衣のルシアが家庭に現れた最古の記録は、1764年、ヴェステルヨートランドの邸宅ホーンス(Horns)にさかのぼるとされます。ただし当時の姿は、天使の翼をつけ、手に燭台を携えるもので、いまのように頭上に蝋燭の冠をいただく姿ではありませんでした。頭に冠をのせた描写が現れるのは1820年ごろから。赤い帯も、起源のころからの要素ではありません。現代的なかたちが定まっていったのは19世紀後半から20世紀にかけてのことで、標準的な姿が広まったのは1950年代とも言われます(諸説あります)。上に掲げたフリッツ・フォン・ダーデルの水彩画は1848年の作で、現存する最古のルシアの絵として知られています。
近代的なルシア祭が広まる大きな契機となったのが1927年でした。ストックホルムの新聞ストックホルムス・ダーグブラード(Stockholms Dagblad)が、この年、公開のルシア行列を初めて企画したとされます。電飾に照らされた街を「ルシア・カーニバル(luciakarneval)」として練り歩き、選ばれた「ストックホルムのルシア」を掲げて、市の貧しい人々のための募金を目的としました。この形式はやがて各地の町へと広がり、全国的に定着していったのは20世紀半ばにかけてのことと考えられています。その名残で、いまも多くの自治体では地元紙の投票によって「その町のルシア」が選ばれます。学校では、希望者のなかから決める、くじで選ぶ、児童自身に役を選ばせるなど、やり方は学校ごとにさまざまです。行列のもう一つの可能性のある先駆けとして、髪に光をつけた白い天使(幼子イエスに扮するドイツの仮装習俗)の影響を指摘する研究もあります(諸説あり)。
ストックホルムの野外博物館スカンセン(Skansen)も、ルシアの公開行事と深く結びついた場所として知られています。スカンセンでのルシア行事の始まりについては、19世紀末(1893年ごろ)とする資料と、それ以降とする資料があり、年代には諸説あります。地方に育まれた民俗が、博物館や新聞、そして放送を通じて、国全体の習わしへと編み直されていったのです。
いまでは公共放送SVTが、毎年12月13日の朝に「Luciamorgon(ルシアの朝)」を中継しています。初回放送は1956年。会場は毎年変わり、各地の大聖堂や地方の教会、カルマル城、あるいは画家カール・ラーションの邸宅などから、蝋燭に照らされた歌声が届けられます。2020年には約220万人が視聴したと伝えられます。かつては全国のルシアを選ぶ「スヴェリエス・ルシア(Sveriges Lucia)」というコンテストもありましたが、これは1973年から2012年まで行われ、その後は幕を閉じました。
白い衣と蝋燭の冠——ルシア行列の情景
真っ暗な朝、扉がゆっくりと開きます。先頭を歩くのがルシア役。白い衣をまとい、頭には蝋燭の冠をいただいています。かつては本物の炎でしたが、安全のため、いまでは電気式や電池式に置き換えられることも増えました。スウェーデン語で本物の炎のろうそくを「レバンデ・リュース(levande ljus=生きているろうそく)」と呼びます。
行列の登場人物
ルシアの後ろには、いくつもの役が続きます。
- テルノル(tärnor)——白い衣の侍女たち。それぞれが手に一本ずつ蝋燭を持ちます。
- スチャーンゴッサル(stjärngossar)——星の少年。白い衣に、とんがり帽子をかぶり、星をつけた杖を手にします。
- トムテ(tomtar)やペッパルカーコル役——小さな子どもたちが、妖精やジンジャーマンに扮して加わります。
ナポリから届いた旋律
行列とともに歌われるのが「サンクタ・ルチア(Luciasången)」です。その旋律は、じつはイタリア・ナポリの民謡「サンタ・ルチア」。テオドロ・コットラウ(1827–1879)がナポリ語からイタリア語へと訳し、1849年にナポリで舟歌(バルカローレ)として出版したものが、北欧で冬と光をうたう新しい歌詞をまとって広まりました。スウェーデン語の歌詞には、シグリッド・エルムブラード作とされる『Sankta Lucia, ljusklara hägring(聖ルチア、光あふれる幻影)』(1924年)や、アルヴィド・ロセーン作『Natten går tunga fjät(夜は重い足取りで進む)』(1928年)などが知られています。地中海の陽気な舟歌が、北の暗い朝に静かに沈むメロディへと生まれ変わったのです。
サフランの香り——ルッセカットとアドベントの食卓
ルシアの朝に欠かせないのが、サフランで黄金色に染めた菓子パン、ルッセカット(lussekatter)です。逆S字に巻いた生地の両端に、レーズンを一粒ずつ埋め込むのが定番の形。伝統的な形は数種類ありますが、なかでもこのS字型がもっともよく知られています。
サフラン入りのパンそのものは、17世紀(1600年代)のスウェーデンで、すでに高級な焼き菓子として確立していました。ストックホルムの職人パン屋が、葬儀などの格式ある場のために焼いたと伝えられます。クリスマスやルシア祭と強く結びついたのは、材料が手に入りやすくなった1800年代のことでした(ノルディスカ博物館)。
「ルッセカット」の名の由来には諸説あります
この菓子パンの名の由来は、じつははっきりしていません。聖ルシア(lusse)に結びつける説が広く知られていますが、かつて西スウェーデンの方言で「デーヴェルスカット(dövelskatt=悪魔の猫)」と呼ばれ、悪魔ルシファー(Lucifer)に結びつける説、さらにはオランダやドイツの冬の菓子パンに由来するという説もあります。ルシア(Lucia)もルシファー(Lucifer)も、ともにラテン語の lux(光)に語源をもつ点は共通しています。スウェーデン・アカデミー辞典(SAOB)はこの語をルシア関連の言葉として分類し、文献上の初出は1898年ですが、これはあくまで「語」の初出であって、菓子そのものの起源年ではありません。サフランの黄金色は太陽を思わせ、光を恐れる悪魔を遠ざける——そんな言い伝え(諸説あり)も語られてきました。サフランはかつて金にも比される高価な輸入香辛料で、手に入りにくかったことから、特別な日のための贅沢とされていたのです。
グロッグとペッパルカーコル
ルッセカットに寄り添うのが、香辛料のきいた薄いジンジャークッキー、ペッパルカーコル(pepparkakor)です。ドイツから伝わったと考えられており(諸説あり)、スウェーデンでの最古の記録は1444年、ヴァドステーナ修道院にさかのぼります。星やツリー、ジンジャーマンの形に抜かれ、アドベントの定番として親しまれてきました。
そしてもう一つ、冬の食卓を温めてきたのがグロッグ(glögg)です。シナモン、カルダモン、クローブ、ジンジャーといった香辛料に、レーズンやアーモンドを合わせたホットワイン。北欧では遅くとも16〜17世紀ごろから親しまれ、大陸のグリューワインの流れをくむ飲み物です。クリスマスの飲み物として定着したのは19世紀のこと。サフランとカルダモンの甘い香り、湯気の立つグロッグ——ルシアの朝は、視覚だけでなく、香りの記憶としても北欧の人々に刻まれています。
家の中に灯る——アドベントの燭台と窓辺の光
ルシアの光は、行列だけのものではありません。アドベントに入ると、スウェーデンじゅうの窓が一つ、また一つと灯りはじめます。四本のろうそくを立てるアドベント燭台(adventsljusstake)は、待降節の第1日曜に1本、第2日曜に2本……と、日曜ごとに火を増やしていき、第4日曜にすべてが灯ります。もっとも暗い数週間を、灯りの数でゆっくりと数えていくのです。
この習慣は、1870年代にストックホルムのエルスタ・ディアコニ(Ersta diakoni)で始まったとされ、ドイツのディアコニッセ施設にならったものと伝えられます。家庭へと広まったのは1920〜30年代のこと。窓辺に置く七本枝の電気式燭台は、これとは別の系統で、期間中つねに灯され、街全体を光の星座のように染めあげます。1990年代には、およそ9割もの家庭がこの窓辺の灯りに加わっていたとされます。
ルシア祭の頃になると、北欧の家庭では蝋燭だけでなく、小さな陶器や木製のクリスマス飾りを窓辺や棚に置く習慣も見られます。リサ・ラーソンが1978年にグスタフスベリでデザインした「アドベント(Advent)」も、そうした季節の置物のひとつです。四人の子どもがそれぞれ蝋燭を一本ずつ支え、アドベントの日曜ごとに火が増えていく情景を、そのまま形にしています。
デンマークには、一人あたりの蝋燭消費が欧州でもっとも多いという話があり、スウェーデンには「ミュース(mys)」——金曜の fredagsmys、冬の vintermys のように、やわらかな光と静けさのなかでくつろぐことを指す言葉があります。まぶしい照明ではなく、揺れる小さな炎で暗さに応える。その感覚については、北欧の「心地よさ」の文化——ヒュッゲ・ラーゴム・ミュースでも掘り下げています。
海をこえて——フィンランドのルシア
ルシアはスウェーデンだけの祝祭ではありません。フィンランド、とりわけスウェーデン語系の人々のあいだでも、12月13日は光の日として祝われてきました。ヘルシンキではフィンランドのルシアが選ばれ、大聖堂の石段から街へと下りていきます。同じ白い衣、同じ蝋燭の冠が、バルト海をこえた土地でも、暗い冬に灯りをともしてきたのです。北欧の器や暮らしの季節の移ろいは、北欧の秋と食卓やクレイフィッシュパーティーのガイドでもたどっています。
暗い季節と「光の器」——北欧のガラスと白い陶磁器
長い夜を前提に暮らす北欧の家では、暗さに対して「炎」で応えます。だからこそ、この季節、ガラスは光の道具になります。ここでは、ルシアの季節の情景に寄り添う北欧のヴィンテージを、観賞用の一点として、いくつか眺めてみます。
しずくが光を拾う——カステヘルミ
オイヴァ・トイッカが1964年にヌータヤルヴィのためにデザインしたカステヘルミ(Kastehelmi/露のしずく)。1988年まで製造され、2010年にイッタラが復刻しました。露のような粒模様は、型による量産で残る継ぎ目の跡を目立たなくするための工夫だったと、メーカーは説明しています。装飾でありながら、製造上の知恵でもあったのです。無数の小さな粒が、一つの灯りを幾重もの点の光へと散らします。トイッカとカステヘルミについては、カステヘルミとは|オイバ・トイッカが生んだ朝露のプレスガラスで詳しくご紹介しています。当店では、この露のしずくのプレートに在庫があります(ヌータヤルヴィ カステヘルミ 17.5cmプレート)。
炎を抱くガラス——シルムの燭台
透きとおったガラスの球体が、ひとつの小さな炎をつつみこむシルム(Silmu)の燭台。厚みのあるガラスは光をためこみ、暗がりのなかで静かにふくらんで見えます。スウェーデン南部のスモーランド地方は「ガラス王国(Glasriket)」と呼ばれ、コスタ(Kosta)は1742年から窯を守り続けてきました。手仕事の重みをもつ燭台や、気泡や樹皮のような質感をたたえた彫刻的なガラスは、一本の炎を、揺らめく生きた光へと変えます。北欧各国の名作については、北欧のキャンドルホルダー完全ガイドにまとめました。ガラスの燭台をお探しの方は、イッタラ シルムのキャンドルホルダーもご覧ください。
冬の白——余白が光を受けとめる
淡くマットな白い陶磁器は、乏しい日光を室内に取り込み、やわらかく広げるためと、しばしば説明されます(諸説あり)。屋内にとどめた雪明かりのように、白い余白は午後最後の青い光を静かに受けとめます。ロールストランドのプリムール(Primeur)は、細い縁取りだけを残したそんな白の一枚。しずくのガラスが斑の光を投げ、スモーランドの燭台が一つの炎をつつみ、白い陶が最後の光をたくわえる——いずれも、本物の暗さを知る土地で、長い夜を「眺める価値のあるかたち」に変えるためにデザインされてきました。光を得るためというより、闇にかたちを与えるための器、と言ってもよいかもしれません。当店には、このプリムールの白いプレートの在庫があります。
まとめ
聖ルシア祭は、光を待ちわびる土地が、一年でもっとも暗い朝に「光」という名の少女を先頭に立たせる、静かで凛とした行事です。地中海の殉教者にはじまり、西スウェーデンの邸宅の朝に育まれ、新聞や博物館、放送を通じていまのかたちへと広がってきました。蝋燭の冠、白い衣、ナポリ由来の旋律、サフランの香るルッセカット、そして家々に灯るアドベントの燭台——そのどれもが、闇へのおだやかな抵抗として大切に守られてきたものです。
要点の整理
- ルシアの名はラテン語の lux(光)に由来し、シラクサの聖女ルチアを記念する12月13日に祝われる。
- 古いユリウス暦では13日が「一番長い夜」とほぼ重なっていた。改暦後も祝日は13日のまま。
- 白い衣のルシアの最古の記録は1764年(当時は天使の翼と手持ちの燭台)。蝋燭の冠は1820年ごろから。
- 近代的な普及の契機は1927年、ストックホルムの新聞による公開行列。全国定着は20世紀半ば。
- ルッセカットの名の由来は諸説あり。サフランは特別な日のための高価な香辛料だった。