北欧のピッチャー・水差し(ジャグ)完全ガイド|グスタフスベリ・ロールストランド・ARABIAの名作とフィーカのクリーマー文化
Share
この記事でわかること
- スウェーデン語「カンナ(kanna)」が器の名であると同時に、古い液量の単位でもあった歴史
- ピッチャー・水差し・クリーマー(gräddkanna)が、北欧のコーヒー文化フィーカとどう結びついてきたか
- 注ぎ口(pip/näbb)・ハンドル・胴という、ピッチャーの「形」の読み方
- グスタフスベリ、ロールストランド、ARABIA、ゲフレ——各窯を代表するピッチャーとクリーマー
北欧ヴィンテージ食器のなかで、ピッチャー(水差し)やクリーマー(ミルクピッチャー)は、皿やカップほど主役にはなりにくい存在です。けれども、注ぎ口からハンドルへと流れる輪郭、片手におさまる小ささ、テーブルの上でカップと砂糖壺のあいだに置かれる佇まい——そこには、北欧の暮らしのかたちがそのまま凝縮されています。
この記事では、スウェーデンとフィンランドの家庭でピッチャーがどんな役割を担ってきたのか、その言葉と歴史をたどりながら、グスタフスベリ、ロールストランド、ARABIA、ゲフレといった名窯が手がけた代表的なピッチャーとクリーマーを紹介します。ベルサの緑の葉、パラティッシの果実、シルビアの花——おなじみのシリーズも、ピッチャーという小さな器を通して見ると、また違った表情を見せてくれます。
器の名でありながら液量の単位でもあった「カンナ」という言葉、コーヒー大国スウェーデンのフィーカ文化、そして注ぎ口とハンドルがつくる造形の美しさ。読み終えるころには、北欧の食卓の片隅に置かれた小さな水差しの背景に、ストックホルム群島の港町や、ヴェーネルン湖畔の煉瓦工場の風景が見えてくるはずです。
目次
北欧の暮らしと水差し——「カンナ」という言葉
器の名であり、分量の名でもあった「カンナ」
スウェーデン語で水差し・ピッチャーを指す言葉には、「カンナ(kanna)」と「ティルブリンガレ(tillbringare)」があります。カンナはドイツ語のKanne(缶)に由来し、さらにラテン語のcanna(葦)、ギリシャ語のkánnaへとさかのぼる古い言葉です。フィンランド語では同じ器を「カンヌ(kannu)」と呼びます。
興味深いのは、カンナが器の名であると同時に、スウェーデンの旧い液量単位でもあったことです。1665年の規定では1カンナ=約2.617リットルと定められ、1889年にメートル法が採用されるまで、牛乳から蒸留酒、乾物まで、家庭と市場であらゆるものを量る基準として使われていました(1カンナ=2ストープ=8クヴァルテル、48カンナ=1トゥンナ=樽1つ分)。「カンナ一杯の牛乳」という言い回しは、器の名と分量の名を兼ねて、北欧の家庭の日常に深く根を張っていたのです。
冷蔵庫が一般化する以前、新鮮な牛乳やクリームを食卓へ運ぶ器は欠かせないものでした。大ぶりの水差し(ティルブリンガレ)は水やジュース、自家製のサフト(果汁飲料)のために、小ぶりのカンナはコーヒー用のミルクやソースのためにデザインされ、使い分けられてきました。ピッチャーは、北欧の暮らしのなかで明確な役割を与えられた器だったのです。
フィーカとクリーマー(gräddkanna)
ミルクピッチャー、すなわちクリーマー(スウェーデン語でgräddkanna。grädde=クリーム+kanna)は、北欧のコーヒー文化と分かちがたく結びついてきました。コーヒーは1685年にイェーテボリへ初めて到着し、1700年代に広まりました。1850年ごろには社会のあらゆる階層の常飲品となり、1887年にはストックホルムだけで約800軒のカフェがあったと伝えられています。
19世紀末に生まれた「フィーカ(fika)」——コーヒー(kaffe)を逆さに読んだ隠語に由来するといわれます——は、コーヒーと甘い菓子を、おしゃべりとともに味わう習慣です。スウェーデンは現在も一人あたり年間およそ8.2キロという、世界屈指のコーヒー消費量で知られます。このフィーカの食卓で、砂糖壺(sockerskål)と対になって置かれたのがクリーマーでした。カップ&ソーサー、クリーマー、砂糖壺——この三点セットは、北欧のコーヒーの風景に欠かせない構成だったのです。
ピッチャーの「形」を読む——注ぎ口・ハンドル・胴
ピッチャーの姿は、注ぎ口・ハンドル・口縁・胴という要素の組み合わせとして読み解くことができます。それぞれの部位がどう設計されているかを知ると、一見シンプルな水差しのなかにも、作り手の工夫が見えてきます。
注ぎ口(pip/näbb)——鳥のくちばし
もっとも機能的な部位が注ぎ口です。スウェーデン語ではpip、あるいはnäbb(=鳥のくちばし)と呼ばれ、フィンランド語ではnokkaといいます。胴の上端にある小さな開口部で、ここの形が液だれのしにくさを左右します。胴の後縁をわずかに削ぎ落として注ぎ口の線へとつなげることで、液体がなめらかに流れるよう設計されました。näbbという語が示すとおり、北欧では鋭く突き出た「くちばし型」の注ぎ口が、ひとつの様式美として磨かれてきました。
ハンドルと胴——一筆書きの輪郭
ハンドル(スウェーデン語でhänkelやhandtag、フィンランド語でkahva)は、ろくろ成形では一本の粘土紐を引き伸ばし、輪状に曲げて胴へ圧着して作られます。指の掛かりや輪の大きさが、器の表情を決める要素になります。胴(kropp)は液量を受ける本体で、円筒形・球形・洋梨形といった輪郭が、ピッチャー全体の印象を支配します。
ミッドセンチュリーの北欧の作り手は、これらの要素を装飾ではなく「形そのもの」で統合しようとしました。たとえばシーグヴァルド・ベルナドッテが1931年にジョージ・ジェンセンのためにデザインした銀のミルクジャグは、注ぎ口・ハンドル・胴の連続した曲線によって、無駄のない一筆書きのようなシルエットを実現した好例として知られます。胴から注ぎ口へ、そしてハンドルへと途切れず流れる輪郭——それこそが、北欧のピッチャー造形の核心といえます。
グスタフスベリのピッチャーとクリーマー
グスタフスベリ(Gustavsberg)は、ストックホルム群島のヴェルムドー島にあり、都心からバスで30分ほどの港町です。1825年に最初の磁器工場が着工され、1838年にはイギリスから13名の陶工を招いて製法を一新し、品質を飛躍させました。代表的な青い花模様「ブローブロム(Blå Blom)」は1874年から2006年まで作られ続けました。今日も旧工場群は約100名の陶芸家・工芸家のスタジオに転用され、港には収蔵4万5千点を超える磁器博物館が建つ、産業遺産と現代の手仕事が同居する町です。
グスタフスベリのピッチャーを語るうえで欠かせないのが、1949年から芸術監督を務めたスティグ・リンドベリ(Stig Lindberg、1916–1982)です。「千の芸術家(Tusenkonstnären)」と呼ばれた彼は、陶磁器だけでなくテキスタイルやガラス、グラフィックにまで才能を広げ、グスタフスベリの黄金期を築きました。ベルサ、プルーヌス、ビルカ——彼の手がけた数々のシリーズには、それぞれにピッチャーやクリーマーが含まれています。
ベルサ(Berså)
ベルサ(Berså)は、リンドベリが1960年にデザインした、グスタフスベリでもっとも知られる模様のひとつです。製造は1961年から1974年まで続き、のちに復刻もされました。スウェーデン語で「木陰の東屋」を意味するベルサの名のとおり、白地にリズミカルに並ぶ緑の葉は、夏の庭の木漏れ日を思わせます。
ピッチャーやクリーマーのような小さな器では、丸みのある胴に葉模様がぐるりと巡り、平らな皿とはまた違った見え方をします。曲面に沿って葉が連なる様子は、フォルムと絵柄が一体になったリンドベリのデザインの妙味を、手のひらサイズで感じさせてくれます。
プルーヌス(Prunus)
プルーヌス(Prunus)も、リンドベリによる磁器のシリーズです。製造は1962年から1974年まで続き、2009年にはボーンチャイナでの新たな生産も始まりました。プルーヌスとは梅などを含むサクラ属の学名で、その名のとおり、青く様式化された梅の花が器を取り巻きます。ベルサの緑とはまったく異なる、凛とした青の表情が魅力です。
洋梨形にふくらんだ胴に青い花が散る姿は、北欧の磁器が持つ清らかさをよく表しています。光の角度によって、釉薬の下の青がわずかに沈んで見えるのも、ヴィンテージの磁器ならではの味わいです。
ピンタ・ビルカ——リンドベリの後期
ピンタ(Pynta)は、リンドベリが1962年に手がけたフリントゴッズ(火打石を混ぜた陶土)のシリーズです。製造は1962年から1965年までと短く、いまでは比較的見つけにくいシリーズになっています。幾何学的なフォルムに、食材や台所道具をモチーフにしたカラフルなプリント装飾が組み合わされ、ミッドセンチュリーらしい遊び心にあふれています。
一方のビルカ(Birka)は、1973年に生まれたストーンウェアのシリーズです。製造は1995年まで22年間続き、グスタフスベリのベストセラーのひとつに数えられます。青みがかったグレーの帯がぐるりと巡るそのデザインは、ベルサやプルーヌスの華やかさとは対照的に、落ち着いた北欧の日常の風景を思わせます。リンドベリが長いキャリアのなかで、装飾の振れ幅をいかに広く持っていたかがうかがえます。
G工房のファイアンス焼き
量産シリーズとは別に、グスタフスベリにはG工房(G-Studion)と呼ばれる手仕事の部門がありました。ファイアンス焼きとは、赤土で成形した器を錫釉という白い釉薬にどぶ漬けして焼く技法で、古代エジプトに起源を持つ、世界でもっとも古い施釉陶器のひとつです。やわらかな白の地に、絵付け師が一点ずつ筆で植物文様を描きました。
器の裏には、G工房で制作されたことを示す「G」のハンドサインと、型式の番号、そして絵付け師のサインが残ります。グスタフスベリには歴代でおよそ40名のデコレーター(絵付け師)が在籍していました。ファイアンス焼きはその性質上もろく、完品で残ることは多くありません。手描きの一点ものとして、現在では骨董的な価値を持つ存在になっています。
ロールストランド——リードヒェーピングの水差し
ロールストランド(Rörstrand)は、1726年にストックホルムで創業した、ヨーロッパで2番目に古い磁器メーカーです。約200年をストックホルムで過ごしたのち、1926年にイェーテボリ、1930年代にヴェーネルン湖畔のリードヒェーピング(Lidköping)へと生産を移しました。リードヒェーピングは「磁器の町」と呼ばれ、最盛期には1,500名もの職人が働いていました。2005年12月30日にリードヒェーピング工場での生産を終えましたが、ブランドは現在もフィスカース(Fiskars)グループのもとで存続しています。跡地はロールストランド・センターとなり、博物館や陶芸体験工房、自社の磁器でフィーカを楽しめるカフェを備えています。
シルビア(Sylvia)
シルビア(Sylvia)は、ロールストランドの創業250周年にあたる1976年に生まれた記念シリーズです。製造は1976年から1982年までと限られ、手描きの白い花と緑の葉が特徴です。絵柄を手がけたのは、ロールストランドで長く花を描き続けたシルビア・レウショヴィウス(Sylvia Leuchovius)。一方で器の形そのものは、モナミやピクニックで知られるマリアンヌ・ウェストマン(Marianne Westman)が手がけました。二人の女性デザイナーの仕事が一つの器に重なっているのです。
アネモン(Anemon)
アネモン(Anemon)は、様式化されたアネモネの花を描いたシリーズで、茶色の「アネモン・ブルン(Anemon brun)」など複数の配色で展開されました。マリアンヌ・ウェストマンの作とされることが多いシリーズですが、その帰属をめぐっては議論もあり、当店でも別の記事で詳しく検討しています。確かな一次資料が限られるなかで、誰が描いたのかを推理していく過程そのものが、ヴィンテージ食器の楽しみのひとつといえます。
ピッチャーやクリーマーのような小さな器は、シリーズの一部として作られたものが多く、カップやプレートに比べて流通量が少ない傾向があります。そのぶん、コレクションのなかで対になる器を探す楽しみも生まれます。
ARABIA——ヘルシンキ・アラビアランタの窯
ARABIA(アラビア)は、1873年にスウェーデンのロールストランドによって、ヘルシンキのアラビア地区に設立されました。1916年にフィンランド資本へと移り、1940年代末には世界最大級の陶磁器工場へと成長します。戦後はカイ・フランク(Kaj Franck)とアラビアのデザイン部門のもとで、簡素で美しいフィンランド食器が世界を席巻しました。工場の上階にある「伝説の9階」には、今も作家たちのアトリエが連なっています。
「フィンランドデザインの良心」と呼ばれたカイ・フランクは、装飾を機能から切り離してはならないという信念を貫きました。その精神は、ウラ・プロコッペ(Ulla Procopé)やエステリ・トムラ(Esteri Tomula)、ビルガー・カイピアイネン(Birger Kaipiainen)といった後進のデザイナーへと受け継がれ、ARABIAのピッチャーやクリーマーにも息づいています。
パラティッシ(Paratiisi)
パラティッシ(Paratiisi)は、ビルガー・カイピアイネンが1969年にデザインした、ARABIAでもっとも有名な模様のひとつです。フィンランド語で「楽園」を意味し、果実やベリー、葉が画面いっぱいに茂る、豊穣な絵柄が特徴です。「装飾家の王」と呼ばれたカイピアイネンらしい、絢爛なデザインといえます。
丸みのある胴に楽園の果実が巡るピッチャーは、平らな皿とはまた違った、立体的な果実園のような表情を見せます。黒と白のモノトーン版、色彩豊かなカラー版があり、現在も世界中で愛されています。
ロスマリンとカルタノ
ロスマリン(Rosmarin)は、ウラ・プロコッペがデザインし、1961年から1974年まで作られた耐熱性のシリーズです。プロコッペは、毎日の暮らしのためにデザインされた、丈夫で簡素な器を数多く残しました。装飾を抑えた素朴なフォルムは、戦後フィンランドの機能主義をよく体現しています。
カルタノ(Kartano)は、エステリ・トムラが手がけ、1973年から1976年までのわずか3年間だけ作られたシリーズです。ファイアンス(Faenza)の素地に、青い民俗調の花柄がプリントされています。短命だったぶん、現在ではコレクター市場でよく知られる存在となりました。トムラは、フィンランドの野の花を繊細なシルクスクリーンで描いたことで知られるデザイナーで、クロッカスやフローラなど、数々の花柄シリーズを生み出しました。
コスモス(Kosmos)
コスモス(Kosmos)は、グンヴァル・オリン・グラングヴィスト(Gunvor Olin-Grönqvist)が絵柄を手がけ、1981年から1989年まで作られたシリーズです。シリーズ名の通り、温かなアイボリー地に秋桜(コスモス)の花が一輪ずつ手で描かれ、丸みのある胴をやわらかく包みます。フォルムはクロッカスと同じくペテル・ウィンクヴィスト(Peter Winquist)によるもので、ピッチャーやティーポット、バターケースなど食卓まわりのかたちが揃ったシリーズでした。当店では、未使用のまま残った大型ピッチャー(1500ml)が入荷しています。秋桜の花が胴を巡る姿は、棚や窓辺に飾ったときの存在感も豊かで、詳しくはARABIA コスモス 大型ピッチャー(1500ml)のページでご覧いただけます。
ゲフレとジイ・ガントフタ
ゲフレ(Gefle)は、スウェーデン東海岸の港町ゲーヴレ(Gävle)で1910年に創業した磁器工場です。1923年から1959年まで芸術監督を務めたアルトゥール・ペルシー(Arthur Percy)のもと、曲線と金彩を特徴とするアールデコ調の器を生み、1925年のパリ万博で受賞しました。1936年にウプサラ・エクビー(Upsala-Ekeby)グループへ合併し、1979年に生産を終えました。105年あまりの歴史のなかで、数えきれないコーヒーカップや皿、花瓶を生み出しています。
アグネッタ(Agneta)は、ヘルメル・リングストレム(Helmer Ringström)がデザインし、1975年から1979年まで作られたシリーズです。ウプサラ・エクビーの傘下で生まれた、ゲフレ後期の代表作のひとつといえます。素朴な絵柄と、フリントゴッズ(火打石を混ぜた陶土)ならではの温かみのある質感が魅力です。
ジイ・ガントフタ(Jie Gantofta)は、1942年にスウェーデン南部で創業し、のちにガントフタの村に工房を構えた窯です。1967年からは、フィンランド出身のアイモ・ニエトスヴオリ(Aimo Nietosvuori)が中心的なデザイナーとして、花のレリーフを施した壁掛けプレートやピッチャーを数多く手がけました。赤土の素地に白い釉薬をかけ、色鮮やかな花を浮き彫りにしたその作風は、北欧の壁飾り文化を語るうえでも欠かせません。工房は1992年に幕を閉じました。
ヴィンテージのピッチャーを選ぶ・愛でる
サイズと役割で選ぶ
北欧のピッチャーは、その大きさによって、もともとの役割が異なっていました。大ぶりの水差し(ティルブリンガレ)は水やジュース、自家製のサフトのために、小ぶりのクリーマー(gräddkanna)はコーヒーのミルクのためにデザインされたものです。インテリアとして取り入れる際も、こうした本来の役割を知っておくと、サイズ選びの目安になります。小さなクリーマーは棚の上の一輪挿しとして、大きな水差しは存在感のあるオブジェとして、それぞれの佇まいを楽しむことができます。
バックスタンプと状態を見る
ヴィンテージのピッチャーを見分けるうえで手がかりになるのが、器の裏のバックスタンプ(刻印)です。グスタフスベリ、ロールストランド、ARABIAは、いずれも年代によってロゴが変化しており、製造時期を読み解く目安になります。当店ではバックスタンプから年代を確認したうえで、商品説明に明記しています。
注ぎ口やハンドルの先は、ピッチャーのなかでも欠けやすい部分です。状態を見るときは、注ぎ口の縁やハンドルの付け根に、欠けやひびがないかを確かめるとよいでしょう。当店で扱うヴィンテージ品はすべて検品済みで、状態を星評価とともに商品説明に記しています。
手入れと飾り方
ヴィンテージの陶磁器は、急激な温度変化に弱い性質があります。とくに古いファイアンス焼きや手描きの器は、釉薬や絵付けに負担をかけないよう、強い洗浄や摩擦は避けるのが安心です。飾る際は、棚の上で器同士が直接ぶつからないよう、少し間隔をあけて配置すると、それぞれのフォルムが引き立ちます。
北欧では、窓辺や棚にピッチャーを並べ、季節の小枝やドライフラワーを添えて飾る光景がよく見られます。注ぎ口からハンドルへと流れる輪郭は、横から眺めたときにもっとも美しく見えます。光の入る場所に置くと、釉薬の艶や絵柄の青が時間によって表情を変え、北欧の住まいの静かな風景を、日本の暮らしのなかにも呼び込んでくれます。
まとめ
この記事のまとめ
- スウェーデン語の「カンナ(kanna)」は器の名であると同時に、1889年まで使われた液量の単位でもあった
- クリーマー(gräddkanna)は、コーヒー大国スウェーデンのフィーカ文化のなかで、砂糖壺と対になる必須の器だった
- ピッチャーは注ぎ口(pip/näbb)・ハンドル・胴の連続した輪郭で読み解くと、作り手の工夫が見えてくる
- グスタフスベリのベルサやプルーヌス、ロールストランドのシルビア、ARABIAのパラティッシなど、名シリーズにはそれぞれピッチャーとクリーマーがある
- ゲフレやジイ・ガントフタといった窯も、個性的なピッチャーを残した
ピッチャーやクリーマーは、北欧ヴィンテージ食器のなかでは小さな脇役かもしれません。けれども、その小さな器には、カンナという言葉の歴史も、フィーカの食卓の風景も、注ぎ口からハンドルへと流れる造形の知恵も、すべてが詰まっています。手のひらにおさまる一つの水差しを通して、ストックホルム群島の港町や、ヴェーネルン湖畔の工場、ヘルシンキの赤煉瓦の街並みへと、思いを巡らせていただけたなら幸いです。
あわせて読みたい関連記事
- 北欧のコーヒーポット・ティーポット完全ガイド|コーヒー大国のフィーカ文化とARABIA・グスタフスベリ・ロールストランド
- ベルサ(Bersa)完全ガイド — グスタフスベリの名作、緑葉の食器の全て
- スティグ・リンドベリ完全ガイド|ベルサを生んだグスタフスベリの巨匠
- ロールストランド(Rorstrand)入門|ヨーロッパで2番目に古い陶磁器ブランドの歴史と名作シリーズ
- ロールストランド「アネモン」は誰のデザインか|マリアンヌ・ウェストマン説をめぐる北欧食器のミステリー
- アラビア(ARABIA)食器の魅力|人気シリーズ一覧・歴史・なぜ人気なのか
- ゲフレ磁器とは|Gefle Porslinsfabrikの歴史と代表シリーズ