ゲフレ磁器とは|Gefle Porslinsfabrikの歴史と代表シリーズ

ゲフレ磁器とは|Gefle Porslinsfabrikの歴史と代表シリーズ

この記事の要点

  • Gefle Porslinsfabrik(ゲフレ磁器)は、スウェーデン中部の港町イェーヴレで1910年に創業し、1979年まで稼働した陶磁器工場です
  • 1923年から1959年まで芸術監督を務めたアーサー・パーシーのもと、Vinrankaをはじめとする代表シリーズが生まれ、ゲフレは20世紀スウェーデン陶磁器の重要な窯となりました
  • 1930年代半ばにはUpsala-Ekeby(ウプサラ・エケビー)傘下に入り(資料によって1935年・1936年と表記に揺れあり)、戦後はAnna-Lisa Thomson、Mari Simmulson、Berit Ternell、Helmer Ringströmら、多くの作家が関わりました
  • 1970年代後半、北欧陶磁器産業全体の再編と競争激化のなかで、工場は閉鎖されました
  • 当店ではPergolaとAgnetaシリーズを、北欧ヴィンテージ陶磁器としてご紹介しています。本記事では、ゲフレの歴史と主要シリーズを通史で解説します

ゲフレ磁器とは——スウェーデン東部の港町に生まれた窯

ゲフレ磁器(Gefle Porslinsfabrik)は、スウェーデン中部の港町イェーヴレ(Gävle)で稼働した陶磁器工場です。1910年に Gefle Porslinsbruk として創業し、1979年に閉鎖されるまでの約70年間、北欧の家庭空間に長く親しまれた陶磁器を送り出しました。

ロールストランド(1726年)、グスタフスベリ(1825年)に比べれば歴史は浅いものの、ゲフレは20世紀前半、芸術監督アーサー・パーシーの36年にわたる指揮のもと、北欧の「スウェディッシュ・グレース」と呼ばれた磁器デザインの一翼を担いました。後年は Upsala-Ekeby(ウプサラ・エケビー)傘下で、戦後ミッドセンチュリーのスタイルを反映した家庭向け陶磁器を数多く送り出しました。

ゲフレ・マリアシリーズの食器
ゲフレの代表的な陶磁器シリーズ「マリア」(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)

窯のあった町・イェーヴレ(Gävle)

イェーヴレは、中世から鉄・木材・タールの積み出し港として発展した港町です。ストックホルムから北へ約170キロ、ボスニア湾(バルト海北部)に面し、人口およそ10万人。19世紀に鉄道が敷かれると、20世紀初頭にはガストリックランド地方の工業中心地となりました。陶磁器工場がこの地に生まれた背景には、港湾、鉄道、工業の集積があります。スウェーデン語の古い綴り「Gefle」が、そのまま磁器工場の名に残されました。

ボスニア湾の港町

陶磁器工場が誕生した1910年、町には製鉄、製紙、コーヒー焙煎(後の Gevalia)、そして粘土を扱う窯が集まり、それぞれの煙突が立ち並んでいました。

イェーヴレの港の風景
イェーヴレの港。中世から鉄と木材の積み出し港として栄えた(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)

旧市街と中世の遺構

町の中心ストールトリエット(中央広場)には古い邸宅と新古典様式の市庁舎が並びます。広場から少し歩けば、16世紀末にスウェーデン王ヨハン3世の命で建てられたイェーヴレ城(Gävle slott)と、白亜の聖三位一体教会(Heliga Trefaldighetskyrkan、1654年竣工)が現れます。木造の祭壇と説教壇は、北欧ルネッサンス末期の傑作とされています。

イェーヴレの中央広場ストールトリエット
中央広場ストールトリエット。旧市街の中心(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)
イェーヴレ城の外観
イェーヴレ城。スウェーデン王ヨハン3世の命で16世紀末に築かれた(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)
聖三位一体教会の外観
聖三位一体教会。1654年竣工(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)

創業から閉鎖まで——70年の通史

1910年、Gefle Porslinsbruk として始動

1910年、グスタフ・ホルムストレム(Gustaf Holmström)が町の南郊にフリントウェア(フリント陶器)を焼く工場を立ち上げました。創業当初の社名は Gefle Porslinsbruk。家庭向けの陶磁器と装飾陶器を中心に製造しました。

1913年、株式会社化されて社名も Gefle Porslinsfabrik に変更され、同時にシリーズ展開された家庭向け陶磁器の生産も加わりました。同年、ヴァルデマー・マイヤー(Waldemar Meyer)が工場長に就任し、1922年からは唯一のオーナーとして経営を担うようになります。

20世紀初頭のスウェーデン家具とゲフレ磁器の展示
スウェーデン各地の家具メーカーと並んで展示されたゲフレの陶磁器(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)

1923年、アーサー・パーシーの登場

1923年、画家アーサー・パーシー(Arthur Percy, 1886–1976)が芸術監督として迎え入れられました。パーシーは1959年までの36年間、ゲフレのデザインを統括します。1925年のパリ万国装飾美術博覧会(アール・デコ博覧会)でゲフレの陶磁器は高く評価され、1930年ストックホルム博覧会の時代には、スウェディッシュ・グレースから機能主義へ移るスウェーデンデザインの流れのなかで存在感を示しました。1939年のニューヨーク万博では、パーシーが1938年にデザインしたVinranka(ヴィンランカ/葡萄の蔓)シリーズが国際的に紹介されました。

1936年、Upsala-Ekeby 傘下へ

1930年代半ば、ゲフレ磁器株式会社は Upsala-Ekeby AB に買収されました(資料によって1935年または1936年と表記に揺れがあります)。Upsala-Ekeby はウプサラ郊外のエケビュ製鉄所跡を利用して1886年に設立された総合窯業企業で、20世紀前半に競合各社を次々と取り込み、北欧最大級の陶磁器・タイル・煉瓦コンツェルンへと成長していました。1942年にはカールスクローナ磁器も傘下に加えます。

ウプサラ郊外のエケビュ製鉄所跡
Upsala-Ekeby の母体となったエケビュ製鉄所跡(出典: Wikimedia Commons / CC0)

傘下に入ったゲフレは、Upsala-Ekeby が抱える他ブランドのデザイナー陣を共有する形となり、Anna-Lisa Thomson、Vicke Lindstrand、Mari Simmulson、Ingrid Atterberg、Berit Ternell など、後にスウェーデン・モダンを牽引する作家たちが行き来しました。

1979年、最後の窯入れ

1968年に芸術陶磁器の生産が打ち切られ、ゲフレはオーブン耐性のある家庭向け陶磁器に軸足を移しました。しかし1973年の石油危機以降、北欧の陶磁器産業は急速に競争力を失っていきます。アジア製の安価な磁器が市場に流入し、人件費の高いスウェーデン国内生産は採算が合わなくなっていきました。

1979年、Gefle Porslinsfabrikは約70年の歴史を閉じました。戦後に多くの家庭向け陶磁器や装飾陶器を送り出した工場でしたが、1970年代後半には北欧の陶磁器産業全体が厳しい競争環境に置かれ、ゲフレもその流れのなかで閉鎖へ向かいました。

翌1980年、Upsala-Ekebyグループは投資会社Proventusに買収され、1982年から1984年にかけて分割・売却が進みました。ゲフレの閉鎖は、スウェーデン陶磁器産業の再編が一気に進んだ時代を象徴する出来事の一つだったといえます。

アーサー・パーシー——ゲフレの黄金期を築いた巨匠

アーサー・パーシーの肖像
カール・アーサー・パーシー(1886–1976)。ゲフレの芸術監督を1923年から1959年まで務めた(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)

エーランド島ヴィックレビーから

カール・アーサー・パーシー(Carl Arthur Percy)は1886年8月10日、スウェーデン南東部、バルト海に浮かぶエーランド島(Öland)の小さな村ヴィックレビー(Vickleby)に生まれました。エーランド島は石灰岩の台地と草原に覆われた長く細い島で、夏になると野生の蘭が咲き、石垣の上をヤギが歩きます。風車と石造りの教会が点在する独特の風景は、現在も世界遺産に登録されています。

エーランド島ヴィックレビーの教会
パーシーが生まれ、晩年に戻った村ヴィックレビーの教会(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)
エーランド島ヴィックレビーの村並み
ヴィックレビー村の家並みと石垣(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)

パリ・マティスのもとで

ストックホルムの芸術家連盟付属学校(Konstnärsförbundets skola)を経て、パリへ渡ります。パリではアンリ・マティスが主宰した アカデミー・マティス(Académie Matisse)に学びました。「若き者たち(De Yngre)」と呼ばれた当時のスウェーデン人画家グループの一員として、花々を描いた静物画と肖像画で名を成しました。

アカデミー・マティスのアトリエを描いた絵画
アルヴィッド・フォウグステット筆「マティスのアトリエにて」。パーシーが学んだアカデミー・マティスの様子を伝える(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)

パーシーが磁器デザインの世界に入ったのは、1923年、37歳で Gefle Porslinsfabrik の芸術監督に招かれてからのことです。フランス仕込みの色彩感覚と、北欧の自然をモチーフとする静かな構図は、それまでのスウェーデン磁器に新しい表現の地平を開きました。

1930年ストックホルム博と「スウェディッシュ・グレース」

1925年のパリ万国装飾美術博覧会(アール・デコ博)で、スウェーデン館に並んだ磁器・ガラス・家具は欧米の批評家から絶賛を浴びました。優雅な古典主義と機能主義のあいだに位置するこの様式は、英国の批評家P.モートン・シャンドによって「Swedish Grace(スウェディッシュ・グレース)」と命名されています。パーシーの陶磁器も、その潮流の中心にありました。

1930年ストックホルム博覧会の会場風景
1930年ストックホルム博覧会。北欧モダニズム宣言の場となった国際博覧会(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)

1930年のストックホルム博覧会は、機能主義(フンクションリスメン)が公式に宣言された場でした。建築家グンナー・アスプルンドの設計したパビリオンに並んだのは、装飾を削ぎ落とした白いタイル、軽い椅子、そして簡素な陶磁器類です。パーシーはこの「装飾と簡素のあいだの均衡」を熟知しており、優美な手描き模様と工業的に量産可能な形態を両立させる手腕で、ゲフレを国内有数の磁器ブランドへと押し上げました。

後年——カールスクローナとグッラスクルフへ

1942年にはカールスクローナ磁器(Karlskrona Porslinsfabrik)の芸術監督も兼任しました。1946年からは幼馴染ウィリアム・ステンベリの招きで、スウェーデン南部スモーランド地方のグッラスクルフ・ガラス工場(Gullaskrufs glasbruk)のデザインも手がけ、1952年から正式に芸術監督を務めます。陶磁器・ガラスの両分野で活躍した稀有な作家でした。

グッラスクルフ・ガラス工場の建物
グッラスクルフ・ガラス工場。パーシーが1952年から芸術監督を務めた(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)

晩年の10年間は再び絵画に専念し、1976年6月22日、生まれ故郷ヴィックレビーで89歳の生涯を閉じました。作品は現在もスウェーデン国立美術館(Nationalmuseum)に収蔵されています。

代表的なシリーズと模様

Vinranka(ヴィンランカ/葡萄の蔓)— 1938

パーシーが1938年にデザインしたゲフレ最大のロングセラーです。ロココ様式に着想を得た葡萄の蔓と房のモチーフが、にじむような青(フローイング・ブルー)で陶器全体に流れます。1939年のニューヨーク万博でも紹介され、国際的に知られるきっかけとなりました。1940年代から1950年代にかけてゲフレの主力商品となり、シリーズは1969年まで生産が続きます。「Vinranka」はスウェーデン語で「葡萄の蔓」を意味します。

Rubin(ルビン)— 1940

Rubinは1940年代前後のゲフレを代表する装飾的なシリーズの一つで、赤系の装飾と金彩を組み合わせた華やかな意匠が特徴です。Arthur Percy周辺の時代性をよく伝える作品といえます。生産期間は1940年から1958年までと記録されています。デザイナー表記については、市場や資料によって揺れがあるため、個別作品ではバックスタンプや出典を確認するのが安全です。

Blått Band(ブロット・バンド/青いリボン)

白磁の縁に細い青のラインを引いた、シンプルで端正な定番シリーズです。スウェーデンの一般家庭で長く愛され、Vinrankaが華やかな場面のための一品なら、Blått Bandは日々の暮らしに溶け込む、控えめで実用的なシリーズでした。

ゲフレのブロット・バンドのプレート
Blått Band のプレート(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)

Kosmos(コスモス)— 1966

ベリット・テルネル(Berit Ternell, 1921–2007)がデザインし、1966年から1977年まで製造されました。茶系のグラデーションを背景に、コスモスの花を抽象化した北欧らしいパターンで、ミッドセンチュリー後期のゲフレを代表するシリーズです。同時代の北欧陶磁器に共通する、土の質感や釉薬の濃淡を活かした表現と響き合う作品といえます。

ゲフレのコスモスシュガーボウル
Berit Ternell デザイン Kosmos のシュガーボウル(出典: Wikimedia Commons / CC0)

Agneta(アグネッタ)— 1975

Agnetaは1970年代のゲフレ後期を代表する花柄シリーズの一つで、市場ではヘルメル・リングストレム(Helmer Ringström, 1916–2010)のデザインとして紹介されることが多いシリーズです。1975年頃から1979年頃までの短い期間に製造されたシリーズとして扱われており、現存数は多くありません。繊細な手描きの花と抑えた配色が特徴で、ゲフレ最終期の表現を伝えます。

ゲフレ アグネッタのピッチャー
Agneta のピッチャー。手描きの花と落ち着いた配色
ゲフレ アグネッタの深皿
Agneta の深皿。リングストレムの花柄が縁取る

Pergola(パーゴラ)

Pergolaは、淡いブルーの幾何学的なライン模様を施したゲフレ後期のシリーズです。市場ではHelmer Ringströmによるデザインとして紹介される例があります。簡素で清潔感のある意匠は、1970年代スウェーデンの家庭空間を思わせます。「Pergola」はラテン語起源で、つる植物を這わせる藤棚を意味します。

ゲフレ パーゴラのプレート
Pergola のプレート(19cm)
ゲフレ パーゴラの深ボウル
Pergola の深ボウル(18.5cm)

ゲフレに集った他のデザイナーたち

パーシーの長期政権の下で、また Upsala-Ekeby 傘下に入って以降、ゲフレには北欧モダンを担う重要な作家たちが集いました。

アンナ=リーサ・トムソン(Anna-Lisa Thomson, 1905–1952)

ゲフレに1936年から1952年まで在籍しました。同時期にUpsala-Ekebyでも活動し、抽象化された花や動物をモチーフとする装飾陶器で知られています。とりわけUpsala-Ekebyの「Paprika」は彼女の代表作です。47歳の若さで他界しました。

アンナ=リーサ・トムソンの肖像
アンナ=リーサ・トムソン(1950年撮影)(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)
アンナ=リーサ・トムソンのパプリカシリーズ
トムソンの代表作 Paprika(Upsala-Ekeby)(出典: Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0)

マリ・シムルソン(Mari Simmulson, 1911–2000)

エストニア生まれのデザイナー。1949年から1972年までゲフレとUpsala-Ekebyに在籍しました。生命力あふれる花柄と装飾性の強い色使いが特徴で、多くの花瓶・装飾陶器を残しました。

マリ・シムルソンの肖像
マリ・シムルソン。エストニア出身のスウェーデン人デザイナー(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)

ベリット・テルネル(Berit Ternell, 1921–2007)

1957年から1972年までゲフレに在籍。Kosmos(1966–1977)が代表作です。ミッドセンチュリーの抽象的な装飾と、土の温かみを帯びた色彩を融合させた作品群を残しました。

ベリット・テルネルの肖像
ベリット・テルネル。Kosmos の生みの親(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)

リレモール・マンネルヘイム(Lillemor Mannerheim, 1924–2011)

1949年から1957年までゲフレに在籍したのち、ロールストランドへ移籍。シンプルで実用的な家庭向け陶磁器のデザインで知られています。

ゲフレ時代のリレモール・マンネルヘイム
ゲフレ時代のリレモール・マンネルヘイム(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)

スヴェン=エリック・スカヴォニウス(Sven Erik Skawonius, 1908–1981)

1936–1939年と1953–1957年にゲフレに在籍。後年はストックホルムの百貨店NK(Nordiska Kompaniet)でディスプレイ・アートディレクターを務めました。

エリック・スカヴォニウスの肖像
スヴェン=エリック・スカヴォニウス(出典: Wikimedia Commons / Public Domain)

このほか、Vicke Lindstrand(1942–1950、後にコスタボダのガラス芸術家として大成)、Ingrid Atterberg(1944–1963)、Helmer Ringström(1942–1980、Agnetaデザイン)、Dorothy Clough(1954–1957、英国出身)、Jackie Lynd(1970年代)など、スウェーデン陶磁器史を語るうえで欠かせない作家がゲフレで仕事をしました。

スウェーデン陶磁器界でのゲフレの位置

20世紀のスウェーデンには、3つの主要な磁器メーカーがありました。

  • ロールストランド(1726年創業、現フィスカース傘下):欧州で2番目に古い磁器メーカー。王室御用達としての伝統と格式を持つ。
  • グスタフスベリ(1825年創業):スウェーデン国内で2番目に古い窯。ヴィルヘルム・コーゲ、スティグ・リンドベリ、リサ・ラーソンなど、スター作家を多く輩出。
  • ゲフレ(1910年創業):上記2社よりも歴史は浅いものの、Upsala-Ekeby傘下で20世紀前半〜中盤の中産階級向け陶磁器を量産しました。実用と装飾のバランスを得意とした窯です。

ロールストランド・グスタフスベリが「芸術陶磁器」の最高峰を競ったのに対し、ゲフレは家庭の暮らしに寄り添う陶磁器シリーズの分野で確固たる地位を築きました。Vinrankaは1938年から1969年まで30年以上にわたり生産が続いたロングセラーです。

なぜゲフレは閉鎖されたのか

1979年の閉鎖は突然のものではありませんでした。1968年にすでに芸術陶磁器部門が閉じられ、その後はオーブン耐性のあるストーンウェアを中心とする家庭向け陶磁器に依存していました。1973年の石油危機は北欧の重工業に致命的な打撃を与え、磁器産業も例外ではありませんでした。窯の燃料代と人件費が高騰する一方で、東アジアからの安価な大量生産磁器がスウェーデン市場に流れ込みました。

Upsala-Ekebyは1970年代後半から赤字を重ね、1979年にゲフレ工場を閉鎖します。翌年Proventus(投資会社)に売却され、1982–84年にグループ全体が分割・解体されました。同じ運命をたどったUpsala-Ekebyの他工場(Karlskronaなど)と並び、ゲフレもまた、北欧黄金期の終焉を象徴する出来事の一つとなりました。

窯が消えたあとも、ゲフレの陶磁器はスウェーデンの家庭の棚やキャビネットに静かに残り続けました。手放されたものは蚤の市に流れ、いま、海を越えて日本へ届けられています。

まとめ

この記事のポイント

  • Gefle Porslinsfabrikは1910年〜1979年、スウェーデン中部イェーヴレで稼働した陶磁器工場です
  • 1923年から1959年まで芸術監督を務めたアーサー・パーシーのもと、Vinrankaをはじめとする黄金期の作品が生まれました
  • 1930年代半ばにUpsala-Ekeby傘下に入り(資料によって1935・1936年と揺れあり)、戦後はBerit Ternell、Helmer Ringströmなど多くの作家が活躍しました
  • 1973年の石油危機を経て1979年に閉鎖。北欧黄金期の終焉を象徴する出来事の一つとなりました
  • 当店ではPergolaとAgnetaシリーズを、北欧ヴィンテージ陶磁器としてご紹介しています

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