インゲボリ・ルンディンによるオレフォースのアリエル技法ガラス花瓶

インゲボリ・ルンディン(Ingeborg Lundin)完全ガイド|透明な球体「アップル」を生んだオレフォース、最初の重要な女性ガラス作家

北欧食器タックショミュッケ編集部

この記事でわかること

  • インゲボリ・ルンディン(Ingeborg Lundin, 1921–1992)は、スウェーデンの名窯オレフォースで本格的に活躍した、最初の重要な女性ガラス作家です。
  • 代表作は、装飾を一切もたない透明な球体の花器「アップル(Äpplet/りんご)」。1955年に発表され、1957年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受け、彼女の名を国際的に知らしめました。
  • 1954年には北欧デザイナー最高の栄誉のひとつ、ルンニング賞を受賞。彫刻(グラヴュール)とアリエル技法を得意とし、静かで澄んだモダニズムの造形を追求しました。
  • 男性が圧倒的多数を占めたガラス工場に迎えられ、自らのデザインを形にする吹き手を見出しながら、24年にわたってオレフォースの一時代を築きました。
  • スモーランドの「ガラス王国」、工場の歴史、作品を伝える美術館まで、北欧ガラスの世界をたどりながら紹介します。

インゲボリ・ルンディン——オレフォースに立った、静かなガラスの人

ガラス作家インゲボリ・ルンディン、1963年
ガラス作家インゲボリ・ルンディン、1963年。手前に透明なガラスの器が並ぶ。パブリックドメイン

インゲボリ・ルンディン(Ingeborg Lundin, 1921–1992)は、20世紀スウェーデンを代表するガラス作家の一人です。スウェーデン南部スモーランド地方——森のなかにガラス工場が点在する「ガラス王国(Glasriket/グラスリケ)」に近い町ヴェクシェー(Växjö)に生まれ、名窯オレフォース(Orrefors)で四半世紀近くを過ごしました。

彼女の名を不滅にしたのは、たった一つの、透明な球体でした。装飾も、色も、彫りもない。あるのは無色のクリスタルそのものに差し込み、屈折し、抜けていく光の戯れだけ——花器「アップル(Äpplet)」です。1957年、ミラノでこの作品が金賞に輝いたとき、ルンディンは一夜にして国際的な名声を得ました。

ルンディンが働いたオレフォースは、当店ブログの「オレフォース(Orrefors)完全ガイド」でも紹介した、スウェーデンガラスの頂点を築いた工場です。その工場は、長いあいだ男たちの職場でした。本記事では、その一角に静かに立ち、澄んだガラスで時代の空気を変えていった一人の女性の歩みをたどります。

目次

  1. 基本情報——インゲボリ・ルンディンのプロフィール
  2. ヴェクシェーからストックホルムへ——学びの日々
  3. 男たちの工場で——1947年、オレフォースへ
  4. オレフォースという工場——ガラス王国の黄金期
  5. アップル(Äpplet)——一個の透明な果実
  6. アリエル、彫刻、色ガラス——ルンディンの技法
  7. ルンニング賞と国際的評価
  8. サインと見分け方——オレフォースの底の銘
  9. 日本との接点——透明と余白をめぐって
  10. 作品を伝える美術館
  11. まとめ

基本情報——インゲボリ・ルンディンのプロフィール

氏名 インゲボリ・ルンディン(Ingeborg Lundin、本名 Berta Ingeborg Viola Lundin、結婚後の姓 Samuelsson)
生没年 1921年3月30日 – 1992年7月26日(享年71)
出身地 スウェーデン・スモーランド地方、ヴェクシェー(Växjö)
所属 オレフォース・ガラス工場(Orrefors)。1947年に入社し、1970年末から1971年にかけて退社するまで約24年間在籍
代表作 アップル(Äpplet, 1955年発表)/砂時計(Timglas, 1952年頃)/顔(Ansikten)シリーズ(1960年代)
主な受賞 1954年ルンニング賞/1957年ミラノ・トリエンナーレ(第11回)金賞

ヴェクシェーからストックホルムへ——学びの日々

ガラス王国(グラスリケ)の工房でガラスを吹く職人
ガラス王国(グラスリケ)の工房で、灼熱のガラスを吹き上げる職人。スモーランドの森は、いくつもの窯の炎とともに生きてきた。CC BY-SA 2.0 / EHRENBERG Kommunikation

インゲボリ・ルンディンが生まれたのは、1921年3月30日、スウェーデン南部スモーランド地方のヴェクシェー(Växjö)です。ヴェクシェーは、コスタやオレフォースといったガラス工場が森のなかに点在する「ガラス王国」の玄関口にあたる町でした。父は室内装飾の仕事をする人で、のちにアメリカへ渡り、母は彼女がまだ幼いころに世を去っています。

やがて彼女はストックホルムに出て、美術工芸の学校で学びます。この学校は、当時テクニスカ・スコーラン(Tekniska skolan)と呼ばれ、のちにコンストファック(Konstfack、国立美術工芸デザイン大学)となる教育機関です。ルンディンが通ったのは夜間の課程で、はじめは図画の教師になることを目指していました。ガラスの専門教育を受けたわけではなく、ガラス作家としては工場に入ってから独学で腕を磨いた人でした。

ストックホルムのコンストファック
ストックホルムのコンストファック(現校舎)。ルンディンが学んだテクニスカ・スコーランの流れをくむ、スウェーデン有数のデザイン教育機関。CC BY-SA 4.0 / Mangan02

学校を終えたルンディンは、装身具やメダルを手がけるスポロング社(Sporrong)でメダルのデザインに携わり、またストックホルムの学校で代用の図画教師も務めました。小さな金属のレリーフに向き合った日々は、のちに厚いガラスの内側へ像を彫り込む仕事へと、静かに地続きになっていきます。手のなかで完結する造形の感覚を、彼女はこの時期に養っていました。

男たちの工場で——1947年、オレフォースへ

オレフォースのデザイン室の様子
オレフォースのデザイン室(ritkontor)。図面と模型に向かうデザイナーたち。ルンディンは、こうした男性が大半を占める職場に迎えられた。パブリックドメイン / Smålands museum・Kulturparken Småland

1947年、オレフォースが新しいデザイナーを探していたとき、白羽の矢が立ったのがルンディンでした。当時のガラス産業は、吹き手からデザイナーまで男性が圧倒的多数を占める世界です。ストックホルム国立美術館の記録は、彼女を「多くの男性のなかの、ただ一人の女性」と描写しています。

スウェーデンの女性人名事典(SKBL)は、ルンディンを「オレフォースで働いた、最初の重要な女性アーティスト」と、慎重な言葉で位置づけています。実のところ、彼女より前にも工場に関わった女性はいました。1920年代には、パリで学んだフローリー・カイレル(Flory Keiller、のちのフローリー・ゲート)が、オレフォースで彫刻家兼デザイナーとして訓練を受け、シモン・ガーテと結婚してからも制作に携わっています。ですから「初の女性デザイナー」と言い切ることはできません。それでも、自らの名で数々の名作を世に送り出し、工場の一時代を担った女性作家としては、ルンディンが最初の人でした。

フローリー・ゲートによるグラール技法の花瓶
フローリー・ゲート(旧姓カイレル)が手がけたグラール技法の花瓶。ルンディンより前にオレフォースで働いた女性の彫刻家・デザイナー。CC BY 4.0 / Smålands museum・Kulturparken Småland

男たちの職場に迎えられたルンディンは、はじめのうち、職人たちに軽く見られることもあったと伝えられます。デザイナーが紙の上に描いた線を、実際のガラスとして吹き上げるのは熟練の職人です。両者の信頼がなければ、良い作品は生まれません。ルンディンは、自分の構想を理解し、形にしてくれる吹き手を粘り強く見つけ出していきました。のちに彼女が発表する透明な球体は、その協働なしにはあり得なかったものです。

オレフォースという工場——ガラス王国の黄金期

1917年のオレフォース・ガラス工場
1917年のオレフォース・ガラス工場。森と雪に囲まれた、黄金期を迎えつつあった工場の姿。パブリックドメイン / Anna Bloms Ateljé

オレフォース(Orrefors)は、スモーランドの森のなかにある小さな村です。19世紀には製鉄所がありましたが、20世紀の初めにガラス工場へと姿を変えました。転機となったのは1910年代、二人の画家がこの工場に招かれたことです。シモン・ガーテ(Simon Gate)とエドワード・ハルド(Edward Hald)——彼らは、吹き手の卓越した技術と、画家の構想力を結びつけ、オレフォースを一躍、世界に名を知られる産地へと押し上げました。

グラール技法の作品を検分するエドワード・ハルド
初期のグラール技法の作品を検分するエドワード・ハルド。オレフォースの芸術監督として、工場の黄金期を築いた一人。パブリックドメイン / Kulturparken Småland

ガーテとハルドが完成させた代表的な技法が「グラール(Graal)」です。色ガラスの層に模様を彫り、その上を透明なガラスで包み込むことで、絵柄をガラスの内部に封じ込める——この繊細な技法は、のちにルンディンが手がけることになる「アリエル」へと発展していきます。ルンディンがオレフォースに入った1947年は、こうした技術と美意識の蓄積が、まさに戦後の新しい表現へと開花しようとしていた時期でした。二人の巨匠については、当店ブログの「シモン・ガーテ完全ガイド」「エドワード・ハルド完全ガイド」でも詳しく紹介しています。

エドワード・ハルドが手がけたグラール技法の花瓶
エドワード・ハルドが手がけたグラール技法の花瓶。色ガラスをガラスの層に封じ込めるこの技法が、のちのアリエルへとつながった。CC BY 4.0 / Smålands museum・Kulturparken Småland

ルンディンと同じ時代のオレフォースには、遠心成形の器「フーガ」やモザイクの「ラヴェンナ」で知られるスヴェン・パルムクヴィスト、色ガラスと彫りを横断したヴィッケ・リンドストランド、チューリップのように細く伸びるグラスを生んだニルス・ランドベリ(Nils Landberg)といった作家たちがいました。星のように才能が集まったこの工場で、ルンディンは自分だけの静けさを探し当てていきます。

アップル(Äpplet)——一個の透明な果実

ルンディンの名を不朽にした作品が、花器「アップル(Äpplet、スウェーデン語で「りんご」)」です。わずかに歪んだ大きな球体の上に、厚い円筒形の首がまっすぐ立つ。その首が、まるでりんごの軸のように見えることから、この名がつきました。装飾は何一つありません。無色のクリスタルそのものが、光を受けて澄みわたるだけです。

オレフォースの親方グスタフ・ベリクヴィスト
オレフォースの親方グスタフ・ベリクヴィスト。熔けたガラスを鉄棒の先で成形する(1940年前後)。アップルのような大きな球体は、こうした熟練の吹き手の技なしには生まれなかった。パブリックドメイン / Kulturparken Småland

この作品の本当の凄みは、その大きさにあります。高さおよそ37.5cm、直径およそ31.8cm。これほど大きな球体を、型を使わずに一気に吹き上げる——それ自体が、マスター職人の卓越した技を要する離れ業でした。透明であるがゆえに、ほんのわずかな歪みも気泡も見逃されません。装飾で隠すことのできない、ガラスと吹き手の実力がむき出しになる作品です。ルンディンが工場に入ってから、自分の構想を理解する吹き手を粘り強く探し続けた意味が、ここに結実しています。

アップルは、1955年、モダンデザインの祭典としてヘルシンボリで開かれた「H55」博覧会で公開されました(制作年については、資料により1952年とも1955年とも記されます)。そして1957年、第11回ミラノ・トリエンナーレに出品され、金賞を受賞します。この受賞が、ルンディンの名を国際的なものにしました。無色版のほか、内側に緑の層をしのばせた淡緑(グリーン)版も作られ、アップルは1986年までオレフォースの製品として残りました。

今日、アップルはスウェーデンガラスを象徴する一作として語られます。ただし、それが国民的な「アイコン」として広く定着したのは、実のところ美術館の展覧会や国際展を通じた1990年代以降のことでした。発表から半世紀を経て、この透明な果実は、あらためて時代に選び直されたのです。

アリエル、彫刻、色ガラス——ルンディンの技法

ルンディンによるアリエル技法のガラス花瓶
ルンディンがオレフォースのために手がけたアリエル技法のガラス花瓶(1960年代)。青い被せガラスのなかに、格子状の気泡模様が沈む。CC BY 3.0 / Sailko

アップルの透明感とならんで、ルンディンらしさをよく伝えるのが、アリエル(Ariel)技法の作品です。アリエルは、冷えたガラスの表面をサンドブラストで彫って気泡の模様をつくり、それを再び熱して透明なガラスで包み、最終の形に吹き上げる技法です。グラール技法をさらに推し進めたもので、オレフォースのクヌート・ベリクヴィスト、ヴィッケ・リンドストランド、エドヴィン・オーストレム(Edvin Öhrström)らによって生み出されました。

1957年、先達のオーストレムがオレフォースを去ると、アリエルの制作はルンディンに託されます。彼女は、この重厚な技法を、直線と幾何学、そして淡い色彩で更新しました。厚いガラスの層のなかに、抽象化された横顔を沈めた「顔(Ansikten)」シリーズ(1960年代)は、その代表です。コバルトブルーや琥珀色の被せガラスに、静かな表情が浮かんでは消えます。

オレフォースの彫刻ガラスの一例
オレフォースの彫刻(グラヴュール)ガラスの一例。グンナル・シレーンがデザインし、ハラルド・アクセルソンが彫刻した花瓶(1960年)。オレフォースが磨き上げてきた彫刻の伝統を伝える。CC BY 4.0 / Kulturparken Småland

ルンディンは、1948年のデビュー当初から、薄く繊細に彫刻(グラヴュール)された透明ガラスの、禁欲的なまでに簡素な作品を手がけていました。1960年代には、ふたたびこの彫刻表現に立ち返ります。円筒形の器の表面に、走り書きのような抽象の線を薄く刻む。表面が細かく削られることで乳白色を帯び、澄んだクリスタルの上に、かすかな痕跡のような効果が生まれました。彼女は、絵付けや色ではなく、ガラスそのものの肌合いで語る作家でした。

とはいえ、彼女の仕事は美術ガラスだけにとどまりません。軽やかで優美な、日々の情景に寄り添う器も残しています。二重構造のすらりとした「砂時計(Timglas、1952年頃)」は、その優雅さで知られる一作です。純粋で澄んだモダニズムの造形、薄く吹かれたクリスタル、そして淡い色ガラス——それが、ルンディンの作風の核でした。なお、しばしばアップルと並べて語られる細身の「チューリップグラス(Tulpanglas)」は、同じ時代・同じオレフォースのニルス・ランドベリの作であり、ルンディンの設計ではない点には注意が必要です。

ルンニング賞と国際的評価

ミラノでの金賞に先立つ1954年、ルンディンは、すでに大きな栄誉を手にしていました。北欧のデザイナーに贈られる最高の賞のひとつ、ルンニング賞(Lunning Prize)です。この年の受賞者は、ルンディンと、デンマークのイェンス・クヴィストゴー(Jens Harald Quistgaard)でした。若いスウェーデンの女性ガラス作家の受賞は、その後の彼女の飛躍を予感させるものでした。

1950年代半ばは、北欧デザインが世界へと羽ばたいていく時代でもありました。ルンディンの作品は、1954年から1957年にかけてアメリカとカナダを巡回した大規模展「Design in Scandinavia(スカンジナビアのデザイン)」に加わり、大西洋の向こうの人々に北欧ガラスの清新さを伝えました。1957年と1960年のミラノ・トリエンナーレ、1958年のパリ装飾美術館での展示など、彼女は国際的な舞台に立ち続けます。

男性中心の工場で、当初は職人に軽く見られることもあった一人の女性が、いまや北欧を代表するガラス作家として世界に紹介されるようになっていました。彼女が切り開いた道は、のちの世代の女性作家たちにとって、確かな足がかりとなっていきます。

サインと見分け方——オレフォースの底の銘

ヴィンテージのオレフォース作品に出会ったとき、まず確かめたいのが底面のサインです。オレフォースの作品は、底にダイヤモンドの針で手彫りされた銘が入るのが基本で、そこには工場名「Orrefors」に続けて、技法名や通し番号、作家名が記されます。ルンディンの手仕事の作品には、番号とともに彼女のサインが刻まれることがあります。

アリエルやグラールの作品では、「Orrefors Ariel」や「Orrefors」に技法名・番号が続く表記が手がかりになります。番号は、おおよその年代を知る補助にもなります。オレフォースのサインの読み方については、当店ブログの「北欧食器のバックスタンプ総合ガイド」でも、他のブランドとあわせて紹介しています。

代表作アップルには、無色のクリスタル版と、内側に緑の層をしのばせた淡緑版があります。緑版は市場でも象徴的な存在で、状態の良いものは北欧のオークションで数万スウェーデン・クローナの水準で取引されることが知られています。アップルは1986年まで作られたため、市場に出るものには年代の幅があり、初期のものほど希少とされます。

オレフォース・ガラス工場の建物
オレフォース・ガラス工場の建物。赤い木造の建物に「ORREFORS GLASBRUK」の文字が残る(2018年)。CC BY-SA 4.0 / Holger.Ellgaard

オレフォースの村は、静かにガラスの記憶をとどめています。赤い木造の建物に掲げられた古い工場名は、100年を超えてこの地がガラスとともに歩んできたことを物語ります。一つひとつの器の底に残る小さな銘は、それがどの技法で、いつ、誰の構想から生まれた一点なのかを、静かに教えてくれます。

日本との接点——透明と余白をめぐって

インゲボリ・ルンディン本人が日本を訪れた記録は、今回の調査で参照した資料からは確認できませんでした。日本での個展や、日本の美意識から直接の影響を受けたことを示す記述も見当たりません。この点は、正直にお伝えしておきます。

一方で、彼女が生涯を捧げたオレフォースという工場と日本のあいだには、確かな接点があります。オレフォース社の公式資料は、同社の作品を所蔵する世界の美術館として、東京国立近代美術館の名を挙げています。これはルンディン個人の作品についての記述ではありませんが、スウェーデンガラスの名品が、海を越えて日本の美術館に伝わっていることを示しています。

そして、ルンディンのガラスがたたえる資質は、日本の美意識と静かに響き合うものです。アップルの、装飾を削ぎ落とした澄んだ造形は、余白を尊ぶ日本の美と通じるところがあります。近年、北欧のミニマリズムと日本の侘び寂びの親和性は「ジャパンディ(Japandi)」という言葉で語られるようになりましたが、ルンディンの透明な球体は、その言葉が生まれるはるか前から、簡素さの美をひとつの形にしていました。当店ブログでは「北欧食器と『用の美』──柳宗悦と北欧ミッドセンチュリーの交差点」でも、この主題を掘り下げています。

作品を伝える美術館

ストックホルムの国立美術館
ストックホルムの国立美術館(ナショナルムセウム)。ルンディンの作品を所蔵する。CC BY-SA 4.0 / Arild Vågen

ルンディンの作品に出会える場所は、スウェーデンを中心に各地に広がっています。ストックホルムの国立美術館(Nationalmuseum)は、彼女の作品を収蔵する代表的な美術館です。ヨーテボリのレースカ美術館(Röhsska museum)にも、その作品が伝えられています。

ヴェクシェーのクルトゥールパルケン・スモーランドの入口
ヴェクシェーのクルトゥールパルケン・スモーランドの入口。スウェーデン・ガラス博物館やスモーランド博物館を擁する。CC BY-SA 4.0 / Kulturparken Småland

故郷ヴェクシェーにあるスモーランド博物館(Smålands museum)は、スウェーデン・ガラス博物館を併設し、ガラス王国の歴史を体系的にたどれる拠点です。「オレフォースの至宝」と題した展示では、ルンディンの優れた作品を見ることができます。2021年、彼女の生誕100年を記念して、同館は「ガラスの女王、インゲボリ・ルンディン」と銘打った企画も行いました。

スウェーデン・ガラス博物館の展示
ヴェクシェーのスウェーデン・ガラス博物館の展示。スウェーデンガラスの名品が時代の文脈とともに並ぶ。CC0 / Netha Hussain

海の向こうでは、ニューヨークのクーパー・ヒューイット(スミソニアン・デザイン博物館)が、1957年制作のアップルの花器を所蔵しています。同館の解説は、この作品を「戦前の合理主義的な厳格さから離れた、より柔らかく有機的なモダニズム」と位置づけています。一人の女性がスウェーデンの森の工場で生み出した透明な球体が、いまや世界のデザイン史のなかで「古典」として扱われているのです。

まとめ

要点の整理

  • インゲボリ・ルンディン(1921–1992)は、スウェーデンの名窯オレフォースで本格的に活躍した、最初の重要な女性ガラス作家。
  • ヴェクシェーに生まれ、ストックホルムのテクニスカ・スコーラン(のちのコンストファック)で学び、1947年にオレフォースへ迎えられた。
  • 代表作の花器「アップル(Äpplet)」は、装飾のない透明な球体。1955年に発表され、1957年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受けた。
  • 1954年にルンニング賞を受賞。アリエル技法や彫刻を、直線と淡い色彩で更新し、静かで澄んだモダニズムを追求した。
  • 男性中心の工場で自らの吹き手を見出し、24年にわたってオレフォースの一時代を築いた。作品はストックホルム国立美術館などに所蔵されている。

装飾も色も彫りもない、ただ透明な一個の球体。ルンディンのアップルは、「引き算」の果てに何が残るのかを、静かに問いかけてきます。足すことでなく、削ることで美に近づく——その姿勢は、彼女が男性ばかりの工場のなかで、声高にではなく、作品そのものの澄んだ強さで存在を示していったことと、どこかで重なって見えます。

彼女のガラスを前にすると、スモーランドの森、オレフォースの窯の炎、そして北欧の澄んだ光が、薄い透明の層の向こうに重なって見えてきます。北欧の小さな村から世界へ届いた一つの果実は、いまも静かに光を湛えています。

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