リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱|丸眼鏡に口を結んだ顔のユニークピース

リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱|1972年に生まれた財務大臣の像と、量産品・ユニークピースの見分け方

北欧食器タックショミュッケ編集部
グンナル・ストレングの肖像 1967年|黒縁の眼鏡をかけ、パイプを手にした男性
1967年のグンナル・ストレング。黒縁の眼鏡と手に持ったパイプ(Roger Tillberg/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)
リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱 ユニークピース|緑の釉薬の上着に眼鏡の男性が、投入口のある板を両手で持つ
リサ・ラーソンのグンナル・ストレングの貯金箱、施釉のユニークピース。緑の釉薬の上着に丸眼鏡、両手で持つ板に硬貨の投入口

リサ・ラーソン(Lisa Larson)の作品には、猫やライオン、本を読む少女など、名前のない動物や人がたくさん登場します。その中に、実在の政治家をモデルにした像があります。1955年から1976年までスウェーデンの財務大臣を務めたグンナル・ストレング(Gunnar Sträng)の姿をした、炻器(ストーンウェア)の貯金箱です。

丸い眼鏡をかけ、白いシャツに黒いネクタイを締めた男性が、本を開いて立っています。国の財布を21年間預かった人物を、硬貨を入れる箱にしたのです。リサがこの案を出したのは1972年で、グスタフスベリ(Gustavsberg)が1984年まで製造しました。ストックホルムの国立美術館(Nationalmuseum)は、この貯金箱を5体所蔵しています。

この記事では、まずモデルになったストレングの経歴と、彼が財務大臣を務めた時代をたどります。そのうえで、貯金箱が生まれた経緯と量産品のかたちを見て、当店にある施釉のユニークピースとの違いを写真で比べます。スウェーデンの貯金箱の文化や、ストレングが退任した1976年の出来事にも触れます。

この記事でわかること

  • グンナル・ストレングとはどんな人物で、なぜ貯金箱のモデルになったのか
  • 貯金箱はいつ誰が考え、何年まで作られたのか(1972年デザイン・1984年まで製造)
  • 量産品の素材と姿——茶色の炻器、白いシャツと黒いネクタイ、底の栓
  • 量産品と施釉のユニークピースの見分け方——投入口の位置、手に持つもの、底の印
目次
  1. グンナル・ストレングの貯金箱とは——1972年にデザインされた財務大臣の像
  2. モデルになった人——ごみ処理場の村から財務大臣へ
  3. 21年の財務大臣——税と貯蓄の時代
  4. 1972年、グスタフスベリの会議から生まれた
  5. 量産品のかたち——本を読む姿と、白いシャツに黒いネクタイ
  6. 当店のユニークピース——緑の釉薬と、底の「Lisa L」
  7. スウェーデンの貯金箱——スパールボッサと銀行の豚
  8. 1976年——ポンペリポッサと、財務大臣の退任
  9. 美術館に収められた貯金箱
  10. まとめ

グンナル・ストレングの貯金箱とは——1972年にデザインされた財務大臣の像

グンナル・ストレングの貯金箱は、リサ・ラーソンが1972年にデザインし、グスタフスベリが1972年から1984年まで製造した炻器の貯金箱です。貯金箱はスウェーデン語で「スパールボッサ(sparbössa)」といい、作品名にはモデルの名前がそのまま付けられています。

作品名 グンナル・ストレング(Gunnar Sträng)の貯金箱(Sparbössa)
デザイン リサ・ラーソン(Lisa Larson)
メーカー グスタフスベリ(Gustavsberg)、スウェーデン
デザイン年 1972年
製造期間 1972〜1984年
素材 炻器(ストーンウェア)。茶色の素地に黒の彩色、一部に白い釉薬
大きさ 高さ約15〜16cm
モデル グンナル・ストレング(1906〜1992)。1955〜1976年にスウェーデンの財務大臣

高さ15cmほどの小さな像ですが、顔立ちは社会民主党の政治家だったストレング本人によく似ています。

リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱 量産品|茶色の素地に白いシャツと黒いネクタイ、丸眼鏡の男性が本を開いて立つ
グスタフスベリの量産品。茶色の素地に白いシャツと黒いネクタイ、黒い丸眼鏡

モデルになった人——ごみ処理場の村から財務大臣へ

グンナル・ストレングは1906年12月23日、ストックホルムの北西にあるイェルフェッラ(Järfälla)で生まれました。育ったのはレーヴスタ(Lövsta)で、父はこの地にあった市のごみ処理場で働いていました。少年時代のストレングは、ごみとして運ばれてきた本の中からストリンドベリやゴーリキー、トルストイを拾い出して読みました。

レーヴスタのごみ焼却施設 1938年|高い煙突と箱形の建物が並ぶ
1938年のレーヴスタ。ホルゲル・ブルームの設計による2代目のごみ焼却施設と高い煙突(撮影者不詳/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

1920年に小学校を終えると、ストレングは園芸農場やごみ処理場で働きました。1932年にはスウェーデン農業労働者組合(Svenska lantarbetareförbundet)の専従職員となり、自転車で農村をまわって組合員を集めました。1939年から1951年までは同組合の委員長を務めています。

入閣したのは1945年です。農業担当の無任所大臣から始め、供給担当の大臣、農業大臣、社会大臣を経て、1955年9月12日に財務大臣に就きました。大臣を務めた期間は合わせて31年、財務大臣としては21年に及び、どちらもスウェーデンで最も長い記録です。国会議員としても、1946年から1985年まで議席を持ちました。

1955年のグンナル・ストレング|金色の広間で女性の胸にメダルを付ける男性
1955年5月、社会大臣時代のストレング。愛国協会のメダルを女性の胸に付ける場面(撮影者不詳、Svenska Dagbladet/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)
ストックホルムの国会議事堂|ヘルゲアンツホルメン島に建つ石造りの議事堂
ストックホルムのヘルゲアンツホルメン島に建つ国会議事堂。2011年撮影(Sahlen/Wikimedia Commons/CC0)

21年の財務大臣——税と貯蓄の時代

ストレングが財務大臣を務めた1955年から1976年は、スウェーデンの福祉国家が形を整えた時期にあたります。その財源をどう集めるかが、財務大臣の仕事でした。1960年には消費の段階でかかる一般売上税が4.2%で再び導入され、1969年1月1日には付加価値税(moms)に切り替わりました。

毎年の国家予算を、ストレングはテレビで国民に説明しました。国王の名で出される議案の格式ばった言い回しをもじって、ストレングは分厚い予算書を「ありがたい紙の束(den nådiga luntan)」と呼びました。ストレングは数字に強く、よく働き、民衆を率いる政治家として知られました。

貯金箱の丸い眼鏡と口を結んだ顔は、冒頭の写真のストレングそのままです。1970年の総選挙では、社会民主党がストレングの厳しい顔を大写しにしたポスターを作り、「物価の上昇とは、引き締めた経済で闘う。失業で闘うのではない」という言葉を添えました。

1958年 政府庁舎での協議|長い机を囲んでスーツ姿の男性たちが座る
1958年3月、政府庁舎(カンスリフーセット)で財務大臣ストレングのもとに始まった、ウッデバラの造船所をめぐる協議(Gunnar Lantz/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

若者に貯蓄を勧めた財務大臣

ストレングは税を集めるだけでなく、国民に貯蓄を勧める立場にもありました。1957年6月5日には国会で若者向けの積立貯蓄の新しいキャンペーンを始める会議が開かれ、財務大臣として出席しています。

1957年 若者の積立貯蓄キャンペーンの会議|スーツ姿の男性3人が並んで立つ
1957年6月、若者向けの積立貯蓄キャンペーンを始める国会での会議。中央が財務大臣ストレング(撮影者不詳、Svenska Dagbladet/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

1972年、グスタフスベリの会議から生まれた

貯金箱を作ったグスタフスベリは、ストックホルムの東、ヴェルムドー島の磁器工場です。1937年からは消費者協同組合の連合会(Kooperativa Förbundet、KF)が工場を所有していました。

グスタフスベリ磁器工場 1946年|入り江に面して工場の建物と煙突が並ぶ
1946年のグスタフスベリ磁器工場。入り江に沿って並ぶ工場の建物(Sune Sundahl、DigitaltMuseum/Wikimedia Commons/CC0)

リサ・ラーソンとグスタフスベリ

1949年にグスタフスベリの芸術部門を率いることになったスティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)は、1950年代に若い陶芸家を工場に招きました。彼らは1年の試用期間に量産の義務なく工房を使うことができ、すぐれた人には雇用の道が開かれました。その一人がリサ・ラーソンで、1954年から1980年までグスタフスベリで仕事をしました。生涯と代表作はリサ・ラーソン完全ガイドで詳しく紹介しています。

スティグ・リンドベリとリサ・ラーソン 1967年|眼鏡の男性とスカーフの女性が白い器をはさんで向き合う
1967年のスティグ・リンドベリ(左)とリサ・ラーソン(右)(Bent K. Rasmussen/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

リサの強みは、形を単純にして量産しやすくしながら、像の性格と愛らしさを失わないところにありました。ストレングの貯金箱も、胴を太く、脚を短く省いた形にして、顔と眼鏡に人物の特徴を集めています。

「財務大臣を貯金箱に」

グスタフスベリの経営陣は、ときどき芸術家たちを集めて新製品の案を出し合う会議を開いていました。1972年のある会議で、リサが思いつきで口にしたのが「財務大臣グンナル・ストレングを貯金箱に」という案でした。会議の全員がこの案に賛成し、ストレングの貯金箱は茶色の炻器で製品になりました。

ストレングの貯金箱はグスタフスベリの売れ筋になり、1970年代によく売れた商品のひとつでした。

リサ・ラーソン 1969年|短い黒髪の女性が、壁に掛けた陶板の前で微笑む
1969年、グスタフスベリの陶芸家リサ・ラーソン。背後に陶板が並ぶ(撮影者不詳、Svenska Dagbladet/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

量産品のかたち——本を読む姿と、白いシャツに黒いネクタイ

量産品は型で成形した炻器で、茶色の素地に彩色をほどこし、一部に白い釉薬をかけています。立って本を読む姿で、白いシャツに黒いネクタイを締めています。高さは作品によって15cmから16cmです。

リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱 量産品の顔|黒い丸眼鏡と白いシャツ、黒いネクタイ
量産品の顔。黒い丸眼鏡、への字の口、白いシャツに黒いネクタイ

当店で扱った量産品を見ると、素地は釉薬のない茶色で、ざらりとした手ざわりを残しています。白く光るのはシャツの部分だけです。眼鏡とネクタイは黒く塗られ、髪は細い線で刻まれています。

投入口と底の栓

量産品の硬貨の投入口は、胸と開いた本のあいだにあり、上からのぞくと縦に細く切れ込んでいます。量産品の底には、中身を取り出すための栓が付いていました。当店で扱った量産品は、底に茶色のフェルトが貼られていました。

リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱 量産品の底|茶色のフェルトが貼られた底面
量産品の底。茶色のフェルトで覆われた底面

側面には、型を合わせた跡の細い線が縦に走っています。型で同じ形を繰り返し作る量産品であることが、この線からも読み取れます。

当店のユニークピース——緑の釉薬と、底の「Lisa L」

当店には、量産品とは仕上げのまったく違うストレングの貯金箱があります。グスタフスベリのスタジオの印とリサの名前が底に入った、施釉の炻器によるユニークピース(一点もの)と当店では判断しています。上着は緑の釉薬で覆われ、ところどころに黄色や茶色の釉薬が流れて濃淡をつくっています。

リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱 ユニークピースの上半身|線で刻まれた髪と丸眼鏡、緑の上着
ユニークピースの上半身。線で刻んだ髪、丸眼鏡、緑の釉薬の上着

量産品と並べて見る

二つを並べると、立ち姿の輪郭は共通しています。違いがはっきり出るのは、手に持っているものと投入口の位置です。量産品は開いた本を持ち、胸と本のあいだに縦の投入口があります。ユニークピースが両手で持つのは、細い線が刻まれた平らな板で、その板のすぐ下、胴との境目に横長の投入口が開いています。

グンナル・ストレングの貯金箱 量産品とユニークピースを正面から比べた写真|左は茶色の素地、右は緑の釉薬
左が量産品、右がユニークピース。正面から見た比較
グンナル・ストレングの貯金箱 量産品とユニークピースを上から見た写真|左は胸元の縦の投入口、右は板の線刻
上から見た比較。量産品(左)は胸と本のあいだに縦の投入口、ユニークピース(右)は線を刻んだ板

横から見ると、量産品の側面には型の合わせ目の線が見えますが、ユニークピースにはその線が見当たりません。ユニークピースの髪には、刻んだ線の上に黄色みのある釉薬がかかっています。

グンナル・ストレングの貯金箱 量産品とユニークピースを横から比べた写真|向かい合う二体、左の量産品の側面に縦の細い線
横から見た比較。向かい合う二体のうち、量産品(左)の側面に縦の細い線

底の印を読む

ユニークピースの底は釉薬がかかっておらず、丸い穴が二つ開いています。そのあいだに、黒で描かれた手の印と「Lisa L」の文字があります。手の印はグスタフスベリのスタジオの製品であることを示すもので、その読み方はグスタフスベリのサインと絵付師マークの見分け方で詳しく扱っています。制作年を示す記録は、当店では確認できていません。

リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱 ユニークピースの底|二つの丸い穴と、黒で描かれた手の印とLisa Lの文字
ユニークピースの底。二つの丸い穴のあいだに、黒で描かれた手の印と「Lisa L」

赤い上着のカラー版

当店のコレクションには、赤い上着に黒いズボンという鮮やかな彩色をほどこしたストレングの貯金箱もあります。このカラー版も量産品ではありません。開いた本を持つ姿は量産品と同じですが、緑の釉薬のユニークピースと並べると、同じ人物でも仕上げによって印象が大きく変わります。

リサ・ラーソン グンナル・ストレングの貯金箱 カラー版とユニークピース|赤い上着に黒いズボンの像と、緑の釉薬の像が並ぶ
当店コレクションのカラー版(右)と、緑の釉薬のユニークピース(左)

見分け方の要点

  • 量産品:茶色の素地で、白いのはシャツだけ。開いた本を持ち、胸と本のあいだに縦の投入口。側面に型の合わせ目の線
  • 当店のユニークピース:上着全体に緑の釉薬。線を刻んだ平らな板を持ち、板のすぐ下に横長の投入口。底に手の印と「Lisa L」
  • カラー版:赤い上着に黒いズボンの彩色。量産品ではない
  • 白い素地の作品:国立美術館の収蔵品には、白い炻器の一体もある

このユニークピースは商品ページで、ほかの角度の写真とあわせて紹介しています。

スウェーデンの貯金箱——スパールボッサと銀行の豚

スウェーデン語で貯金箱は「スパールボッサ(sparbössa)」といい、豚の形をしたものは「スパールグリス(spargris)」と呼ばれます。20世紀のスウェーデンでは、多くの子どもが銀行から貯金箱を受け取りました。

18世紀の真鍮の貯金箱|取っ手の付いた円筒形の真鍮の箱
18世紀の真鍮の貯金箱。組み文字が入った円筒形の箱(撮影者不詳、Livrustkammaren/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

貯金箱そのものの歴史は古く、王室の品を収める武器庫博物館(Livrustkammaren)は、組み文字の入った18世紀の真鍮の貯金箱を所蔵しています。

銀行は貯蓄を子どもに勧めるために、さまざまな工夫をしました。貯蓄銀行(Sparbanken)は子ども向けの雑誌で、貯めるスパーラと使ってしまうスレーサ、二人の少女の漫画「スパーラとスレーサ(Spara och Slösa)」を1926年から1963年まで載せています。郵便貯金銀行は1928年に学校での貯蓄を始めました。

ストックホルム貯蓄銀行のネオン広告 1952年|建物の壁に光るSTOCKHOLMS SPARBANKの文字と豚の絵
1952年、グルマシュプラーンのストックホルム貯蓄銀行のネオン広告。文字の下に光る豚の絵(撮影者不詳/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

グスタフスベリも、銀行の貯金箱を手がけてきました。スティグ・リンドベリがスヴェンスカ・ハンデルス銀行のために作った、スコッチテリアの形の貯金箱がその一例で、スティグ・リンドベリ完全ガイドで紹介しています。ストレングの貯金箱は、銀行の貯金箱とは違い、財務大臣その人を形にしたものでした。

スウェーデンの1クローナ硬貨 1973年|グスタフ6世アドルフの横顔が刻まれた銀色の硬貨
1973年の1クローナ硬貨。国王グスタフ6世アドルフの横顔(Jin Zan/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0)

1976年——ポンペリポッサと、財務大臣の退任

ストレングの貯金箱が店に並んでいた1976年の3月10日、作家のアストリッド・リンドグレーン(Astrid Lindgren)は夕刊紙エクスプレッセンに童話「モニスマニエンのポンペリポッサ」を寄せました。前の年に自営業者の社会保険料の上限が撤廃され、税と合わせた限界的な負担が102%に達することに、リンドグレーン自身が気づいたのがきっかけでした。

アストリッド・リンドグレーン 1960年ごろ|ペンを手に本棚の前で考える女性
1960年ごろのアストリッド・リンドグレーン(撮影者不詳/Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

ストレングは国会で、リンドグレーンの文章は税制について深い知識を欠いていると応じました。翌日、リンドグレーンはラジオで「ストレングはお話を語ることはできても、計算はできないようです。彼と私は仕事を取り替えたほうがよさそうです」と答えています。このやりとりは、同じ年の総選挙を前に大きな話題になりました。

1976年9月19日の総選挙で社会民主党は敗れ、およそ40年続いた政権を離れました。ストレングは10月8日に財務大臣を退きました。その後も1985年まで国会議員を続けました。1992年3月7日、ストックホルムで亡くなっています。

貯金箱の製造は、ストレングが大臣を退いた後も1984年まで続きました。リサがグスタフスベリを離れたのは1980年で、貯金箱はその後も数年作られ続けました。

美術館に収められた貯金箱

国立美術館は、グスタフスベリの収蔵品の中にストレングの貯金箱を5体持っています。4体は茶色の素地に黒と白の量産品で、1体は白い炻器の作品です。このうち2体は、2000年に消費者協同組合の連合会から寄贈されました。

2024年にリサが亡くなると、スウェーデンの政治家たちもこの貯金箱に触れました。財務大臣と首相を務めたマグダレーナ・アンデション(Magdalena Andersson)は、「ストレングの貯金箱が特に好きで、家と職場の両方に置いている」と語っています。

グスタフスベリ磁器博物館|れんが造りの建物と、白い壁の看板
グスタフスベリ磁器博物館の入口。2016年撮影(Greger Ravik/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0)

グスタフスベリの町には、工場の歴史とその製品を伝える磁器博物館が開かれました。リサの作品がどんな工場から生まれたかは、グスタフスベリ完全ガイドでたどることができます。

まとめ

要点の整理

  • モデルは1955〜1976年の財務大臣グンナル・ストレング。大臣を31年、財務大臣を21年務め、どちらもスウェーデンで最長
  • 1972年、グスタフスベリの新製品会議でリサ・ラーソンが自ら出した案から生まれ、1984年まで製造
  • 量産品は型で作った炻器。茶色の素地に黒の彩色、白いシャツの部分に釉薬。高さ約15〜16cm
  • 量産品は開いた本を持ち、胸元に縦の投入口。底には栓が付いていた
  • 当店のユニークピースは緑の釉薬で、線を刻んだ板のすぐ下に投入口。底に手の印と「Lisa L」

財務大臣を貯金箱にするという案は、グスタフスベリの会議でリサ自身が出したものでした。茶色の量産品は1970年代によく売れ、のちに国立美術館にも収められました。

参考資料
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