ヘムスロイドとは|スウェーデンの手工芸「Hemslöjd」の意味と歴史——農家の手仕事からダーラナホースまで
北欧食器タックショミュッケ編集部スウェーデン・フィンランドから北欧ヴィンテージ食器を直接買い付け、1,000点以上を検品してきた当店が、一次情報と実物の観察にもとづいて執筆・編集しています。
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ヘムスロイド(Hemslöjd)は、スウェーデン語で「手工芸」を意味する言葉です。「家(hem)」と「手仕事(slöjd)」が結びついたこの語は、もとは農村の家で、衣類や織物、家具や道具を手でつくることを指していました。
日本では、スウェーデンの赤い木馬を調べていて、ダーラナホースとは何かを説明する文章や、木馬に付いたラベルでこの言葉に出会うことがあります。
この記事でわかること
- ヘムスロイドの意味——「家」と「手仕事」の言葉と、自家用・販売用の手仕事
- 19世紀のダーラナで、教区ごとに特色をもった手仕事
- 1870年代からの国の支えと、協会・学校の「スロイド」の始まり
- ダーラナホースの工房の名とラベルに使われる「ヘムスロイド」
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ヘムスロイドとは——「家」と「手仕事」の言葉
- 自分たちのための手仕事と、売るための手仕事
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農家の副業——ダーラナの教区ごとの手仕事
- ヴェンヤンの結桶
- ヴォームフスの籠と髪細工
- モーラの時計、マールングの毛皮
- 危機から生まれた支え——1870年代、国が手仕事を後押しした
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守り、売り、教える——手工芸の協会
- ハンドアルベーテッツ・ヴェンネル(1874年)
- スウェーデン手工芸協会(1899年)
- 地方の協会と全国連合(1912年)
- 学校の「スロイド」——ネースから国の外へ
- ダーラナホースの「ヘムスロイド」——工房の名と「Äkta Dalahemslöjd」
- 日本の「ヘムスロイド村」——東近江市の工房の村
- まとめ
当店では、ラベルに「Äkta Dalahemslöjd」と入ったヌスネースの工房のダーラナホースと、青い地の縦長のダーラナホース、横顔の壁掛けを扱っています。
→ ダーラナホース(朱赤×クルビッツ・21.5cm)の商品ページ
→ ダーラナホース(青×クルビッツ・26cm・縦長フォルム)の商品ページ
→ ダーラナホースの壁掛け(横顔・朱赤×クルビッツ)の商品ページ
ヘムスロイドとは——「家」と「手仕事」の言葉
ヘムスロイド(hemslöjd)は、手仕事で実用品や装飾品をつくることを指すスウェーデン語です。自分の家で使うためにつくるものも、売るためにつくるものも含みます。スウェーデン語の記録にこの語が現れるのは、1807年のことです。
後ろ半分のスロイド(slöjd)は、古いスウェーデン語の「slöghþ」にさかのぼります。もとになった形容詞「slögher」は、「賢い」「巧みな」「手先が器用な」という意味でした。
自分たちのための手仕事と、売るための手仕事
もとのヘムスロイドは、農村の家でつくる暮らしの品の総称でした。衣類、家の中で使う織物、家財道具、家具、仕事や運搬の道具までが含まれます。そのなかで、家で使うためにつくる手仕事(husbehovsslöjd)と、売るためにつくる手仕事(アヴサールスロイド、avsaluslöjd)を呼び分けました。

売るための手仕事も古くからありました。中世にはすでにスロイドの品が広く売り買いされ、工業化が進むまで、販売用の手仕事は多くの地方で大切な仕事でした。家の中で手を動かしてつくった品は、売り物として村の外へも出ていったのです。

手でものをつくる営みは、20世紀の終わりにも続いていました。この木のパンかごは1996年にスウェーデンでつくられたもので、底には作り手の頭文字と年を示す「96」が刻まれています。
農家の副業——ダーラナの教区ごとの手仕事
19世紀のダーラナ地方では、スロイドが農家の大切な副業に育ちました。教区(ソッケン)ごとに得意な品が分かれていたことが、ダーラナの手仕事の特徴です。ヴェンヤン(Venjan)では結桶(laggkärl)、ヴォームフス(Våmhus)では削り板の籠(spånkorg)と髪細工(hårarbete)、モーラ(Mora)では時計の機械がつくられ、マールング(Malung)からは毛皮を縫う職人が出ました。
ヴェンヤンの結桶
結桶は、細長い板を円く並べて箍(たが)で締め、水が漏れないように組んだ桶です。ヴェンヤンのほか、シリヤン湖の北の一帯(オーヴァンシリヤン)でも結桶が売られていました。

ヴォームフスの籠と髪細工
ヴォームフスは、髪細工で名を知られた土地です。人の髪を細く編んで、腕輪や時計の鎖、花の飾りに仕立てました。ヴォームフスでは、薄く削った板を編んだ籠もつくられました。


モーラの時計、マールングの毛皮
モーラでは、時計の機械がつくられました。背の高い箱に機械を収めた床置きの時計は「モーラ時計(moraklocka)」と呼ばれ、文字盤にモーラの名を入れたものもあります。

マールングは、毛皮をなめして衣服に縫い上げ、各地を回って働いた職人(skinnare)を送り出した土地です。革の手袋や衣服にも、この土地の手仕事が表れています。

薄い木を巻いてつくる曲げ物(svepkärl)も、販売用の手仕事の一つで、スコーネやスモーランド、ヴェルムランドの南部と西部、シリヤン湖の北などでつくられました。曲げ物のつくり方と歴史は、スウェーデンの曲げわっぱ「スヴェップアスク」の記事で紹介しています。
危機から生まれた支え——1870年代、国が手仕事を後押しした
19世紀の半ば、販売用の手仕事が広がると、より大きな市場が必要になりました。一方で社会は長いあいだ、農家の手仕事を、町の職人や工場の競争相手と見ていました。
見方が変わったのは1870年代です。経済危機と急な人口の増加が重なり、仕事の足りない人が増えて、多くの人が国を離れました。このとき、販売用の手仕事は小さな農家にとって大切な副業として見直されます。

国の支援は、各地の農業協会(hushållningssällskap)を通じて始まりました。亜麻の栽培と糸紡ぎを奨め、大きな農業博覧会では手仕事の品を展示して表彰しました。

手工芸品を売る店(hemslöjdsmagasin)が開かれ、各地に手工芸の協会ができました。機織り、籠編み、麦わら帽子づくり、鍛冶を教える講習が地方を巡り、スロイドの学校もつくられます。支えは、学校でのスロイドの教育にも広がっていきました。

この支えは、形を変えて続いてきました。各地には手仕事を広める相談員(hemslöjdskonsulent)と地域の担当者がおよそ50人置かれ、その仕事を国と県域の自治体(レギオン)が支えています。2026年1月1日には、それまで国の手工芸の振興を担っていた機関(Nämnden för hemslöjdsfrågor)の仕事が、スウェーデン文化評議会(Kulturrådet)に移りました。
守り、売り、教える——手工芸の協会
ハンドアルベーテッツ・ヴェンネル(1874年)
1874年、ストックホルムでハンドアルベーテッツ・ヴェンネル(Handarbetets vänner、「手仕事の友」の意)が生まれました。発意したのは、スウェーデンの女性運動の先駆けとして知られるソフィー・アドレルスパッレ(Sophie Adlersparre)です。スウェーデンの織物の手仕事を育てることと、女性が自分の手で生計を立てる道を開くことが、協会の目的でした。

協会は図案のアトリエを設けて織り手に仕事を出し、早くから織物を教える教師の養成にも取り組みました。国が手工芸の振興に充てた補助金も、この協会に配られました。

スウェーデン手工芸協会(1899年)
1899年には、リッリ・シッケルマン(Lilli Zickerman)の発意で、スウェーデン手工芸協会(Föreningen för Svensk Hemslöjd)が設立されました。会長には、画家としても知られるエウシェン王子(prins Eugen)が就きます。シッケルマンは協会の店の責任者となり、その年のクリスマスの買い物の季節に合わせて、仮の店を開きました。
協会は店を持ち、織物作家と指物師を雇いました。のちにストックホルムのビブリオテークスガータン12番地に店を構え、1935年までこの場所で営みました。

シッケルマン(1858〜1949年)はシェーヴデの生まれで、1880年代にハンドアルベーテッツ・ヴェンネルの裁縫と機織りの学校で学んだ織物作家です。各地に残る農民の織物を写真に収めて記録する調査に取り組み、1930年代の初めまで続けました。この調査が、彼女の生涯の仕事になります。

地方の協会と全国連合(1912年)
スウェーデン手工芸協会は、1904年から各地に生まれた地方の協会の手本になりました。1904年にはダーラナのレクサンドで、1905年にはスコーネのマルメーヒュース県で協会ができ、その後も各地に協会が広がりました。

1912年には、10ほどの協会が集まって全国連合(Svenska Hemslöjdsföreningarnas Riksförbund)をつくりました。全国連合には、県連合と全国団体を合わせて24の団体が加わり、その下の地方の協会まで数えると、協会は90近く、会員は約1万4千人にのぼります。1933年に創刊された雑誌『ヘムスロイド(Hemslöjd)』は、1961年に全国連合が引き継ぎ、年6回発行されています。
学校の「スロイド」——ネースから国の外へ
学校でスロイドを教える教師を育てたのが、ヨーテボリの東、レールム(Lerum)にあるネース(Nääs)です。1872年、アウグスト・アブラハムソン(August Abrahamson、1817〜1898年)が、スロイドを時間割に組んだ少年のための学校をこの地に開きました。数年後には、少女も学ぶようになります。

学校づくりをともに進め、その教育を育てたのが、アブラハムソンの甥(姉妹の息子)のオットー・サロモン(Otto Salomon、1849〜1907年)です。1874年には教師を育てる上級の課程が設けられ、スロイドの教員養成所(slöjdlärarseminarium)へと発展しました。

1880年からは国外の教師も受け入れ、ある回の講習には19の国籍の受講者が集まりました。とくに木工スロイドの講習は、手を使う仕事と教師の働きが子どもの調和のとれた成長に大切だという考えを、世界へ広めました。

1960年代の初めに教員養成の中心はリンショーピンへ移り、ネースで最後の講習が開かれたのは1966年です。スロイドは、スウェーデンの学校の教科の名でもあります。それまで女子は布や糸のスロイド、男子は木工・金属のスロイドと分かれていた授業が、1969年の学習指導要領で一つの教科にまとめられ、男女が同じ組で学ぶようになりました。

ダーラナホースの「ヘムスロイド」——工房の名と「Äkta Dalahemslöjd」
ダーラナホースづくりの中心、モーラ近郊のヌスネース(Nusnäs)の工房の名にも、ヘムスロイドの語があります。1922年に創業したグランナス・A・オルソンの工房の社名は、「Grannas A Olsson Hemslöjd AB」です。1928年には、ニルスとヤンネスのオルソン兄弟が、同じ村で工房を開きました。

当店の朱赤のダーラナホース(高さ21.5cm)の腹には、楕円のラベルが付いています。黒い字で記されているのは、工房の名「Nils Olsson Hemslöjd AB」とヌスネースの所在地です。その上に、赤い字で「Äkta Dalahemslöjd」と添えられています。

「äkta」は「本物の」「正真の」を意味する語で、「Dala」はダーラナを指します。続けて読むと、「本物のダーラナの手工芸」となります。ラベルで工房の名を示しているのは下段の「Nils Olsson Hemslöjd AB」で、上段の言葉は品物そのものを言い表しています。
当店では、青い地に花文様を描いた縦長のダーラナホース(高さ26cm)と、ダーラナホースの横顔をかたどった壁掛けも扱っています。ダーラナホースの歴史と工房はダーラナホース完全ガイドで、鞍に描かれる花文様はクルビッツとはの記事で紹介しています。


日本の「ヘムスロイド村」——東近江市の工房の村
滋賀県東近江市平柳町の「ことうヘムスロイド村」は、平成4年(1992年)に開村した工房の村です。旧湖東町と交流のあったスウェーデン・ダーラナ地方のレットヴィーク(Rättvik、東近江市の表記ではレトビック)で手づくり・ものづくりが盛んだったことから、スウェーデン語で「家庭の手工芸」を意味する「ヘムスロイド」を村の名にしました。村にはカフェが1棟と工房が4棟あり、毎年10月中旬にはクラフトフェア「ヘムスロイドの杜まつり」が開かれます。
まとめ
要点の整理
- ヘムスロイド(hemslöjd)は「家」と「手仕事」の言葉。手仕事で実用品や装飾品をつくることを指し、家で使う品も、売る品も含む
- 19世紀のダーラナでは、ヴェンヤンの結桶、ヴォームフスの籠と髪細工、モーラの時計、マールングの毛皮と、教区ごとに手仕事の特色があった
- 1870年代の経済危機と移民をきっかけに、国が農業協会を通じて手仕事を支え、講習や学校が生まれた
- 1874年のハンドアルベーテッツ・ヴェンネル、1899年のスウェーデン手工芸協会、1912年の全国連合が、手仕事を守り、売り、教えた
- ネースのスロイド教員養成所は、学校でスロイドを教える教師を育て、国外の教師も受け入れた
- ダーラナホースの工房の名とラベルの「Äkta Dalahemslöjd」にも、この言葉が使われている
ヘムスロイドは、古い民芸品の呼び名である前に、手を動かしてものをつくる営みを指す言葉です。ダーラナ各地の結桶や籠も、この営みから生まれました。言葉はいまもヌスネースの工房の名と木馬のラベルに使われ、後ろ半分の「スロイド」は、スウェーデンの学校の教科の名になりました。
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