アンドレアス・アラリエスト(Andreas Alariesto)完全ガイド|湖底に沈んだ故郷を描いた画家と、ARABIAがうつしたラップランドの陶板

アンドレアス・アラリエスト(Andreas Alariesto)完全ガイド|湖底に沈んだ故郷を描いた画家と、ARABIAがうつしたラップランドの陶板

北欧食器タックショミュッケ編集部

フィンランドのはるか北、北極圏の森と湖のあいだに、いまは湖底に沈んでしまった村があります。その失われた土地の暮らしを、色あざやかな絵に描き残した画家がいました。アンドレアス・アラリエスト(Andreas Alariesto、1900–1989)です。

正式な美術教育を受けたことのない独学の画家でありながら、彼はソンピオ地方の古いサーミと開拓者の暮らしを、まるで民族誌のように一枚一枚記録していきました。そのおおらかで物語性ゆたかな画面は、のちにフィンランドの窯ARABIA(アラビア)によって陶板へとうつされ、記念プレートとして世に広まります。

この記事では、アラリエストの生涯と、彼が描き続けた消えゆくラップランドの世界、そしてARABIAが陶板にうつした作品群を、現地ソダンキュラの写真とともにたどります。読み終えるころには、北欧のいちばん北の光景を旅したような心地になっていただけるはずです。

ARABIA Andreas Alariesto 1980 Sami village plate
湖畔に建つ円錐形の住居と高床の丸太小屋、水辺で働く人々。夏のソンピオの集落を描いたアラリエストの絵を、ARABIAが陶板にうつした一枚。署名「Alariesto 80」。

この記事でわかること

  • 湖底に沈んだ故郷ソンピオと、アラリエストが絵を描いた理由
  • 独学の素朴派画家として歩んだ生涯と、晩年の評価
  • ARABIAがアラリエストの絵を陶板にうつした記念プレートの世界
  • ソダンキュラのアラリエスト美術館と、北極圏の町の風景
目次
  1. アンドレアス・アラリエストとは
  2. 湖底に沈んだ故郷——ソンピオとロッカ人造湖
  3. 独学の画家が歩んだ道
  4. 描かれた世界——サーミと古いラップランドの暮らし
  5. ARABIAが陶板にうつしたラップランド
  6. 四枚のプレートを読む
  7. ソダンキュラを訪ねて——アラリエスト美術館
  8. 日本とサーミ文化
  9. まとめ

アンドレアス・アラリエストとは

アンドレアス・アラリエストは、フィンランド・ラップランド(ラッピ県)のソダンキュラに生まれた素朴派(ナイーブ・アート)の画家です。専門の美術教育を受けることなく、木こりや漁師、管理人などとして働きながら、故郷ソンピオ地方の消えゆく暮らしを絵に描き続けました。その画題は、トナカイ遊牧やサーミの伝統的な住居、季節の風景、民話や歴史の場面にまでおよびます。

名前 アンドレアス・アラリエスト(Andreas Alariesto)
生没年 1900年12月11日 – 1989年11月29日
出身地 フィンランド・ラップランド、ソダンキュラのリエスト(Riesto)村(ソンピオ地方)
様式 素朴派(ナイーブ・アート)/独学
画題 20世紀初頭のラップランドとサーミの暮らし・民話・風景
ARABIAとの関わり 1980年代、アラリエストの絵を陶板にうつした記念プレート群
美術館 アンドレアス・アラリエスト美術館ギャラリー(ソダンキュラ、1986年開館)

湖底に沈んだ故郷——ソンピオとロッカ人造湖

アラリエストの絵を理解するうえで欠かせないのが、彼の故郷が文字どおり地図から消えてしまったという事実です。生まれ育ったリエスト村は、ソダンキュラの北東、ソンピオと呼ばれる原生的な森と沼地の一帯にありました。トナカイと川と森に寄りそう、古い暮らしがそこにはありました。

Sompio wilderness Lapland Finland
ソンピオの丘の上から見わたす森と湖。アラリエストが生まれ育った原生の一帯。(写真: TuomoS / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)

しかし1960年代後半、水力発電のための貯水池としてロッカ人造湖(Lokan tekojärvi)が造られました。1967年ごろから水がため始められ、ソンピオの広い範囲が水の下に沈みます。リエスト村もそのひとつでした。救い出された建物はごくわずかで、村の記憶の多くは湖底へと消えていきました。ロッカ人造湖はいまではフィンランド最大の人造湖として知られ、その静かな水面の下に、かつての集落が眠っています。

Lokka reservoir Finland
ロッカ人造湖の水面。1960年代後半にソンピオの村々を沈めて生まれた、フィンランド最大の人造湖。(写真: Htm / CC BY 4.0, Wikimedia Commons)

「いまの世代も、これからの世代も、祖先がどう生きてきたかを何も知らない。だから私はこれらの絵を描いた」——アラリエストはそう語ったと伝えられています。彼の絵は、単なる懐古ではありません。水没によって失われた土地の暮らしを、後世に手わたすための記録でした。ここに、アラリエスト作品の核心があります。

独学の画家が歩んだ道

アラリエストは、美術学校にも工房にも学んでいません。公式の美術館も「いかなる美術教育も受けず、著名な北欧の作家の作品に触れる機会もなかった」と記しています。彼は生活のために森で働き、川で漁をし、さまざまな仕事を渡り歩きました。そのかたわらで、絵を描き、ミニチュアの彫刻をつくり、歌をうたい、1910年代にはカメラを手に入れて、消えゆく村と人々を写真にも記録しています。

Sami people in Lapland around 1900-1920
1900〜1920年ごろ、ラップランドで撮影されたサーミの人々。アラリエストが少年期に見ていた、古い暮らしの光景。(写真: Granbergs Nya Aktiebolag / パブリックドメイン, Wikimedia Commons)

正式な技法を知らなかったことは、むしろ彼の画風を自由にしました。遠近法にとらわれない俯瞰の構図、細部までていねいに描きこまれた道具や住居、あかるく澄んだ色づかい。それらは素朴派(ナイーブ・アート)と呼ばれる様式に位置づけられます。1970年代、素朴派への関心が高まるとともにアラリエストの評価も広がり、1976年、彼が75歳のときに、ヘルシンキとロヴァニエミではじめての本格的な個展が開かれました。存命のうちにその仕事が広く認められたことは、特筆すべき点です。

Midnight sun landscape Sodankyla Lapland
ソダンキュラ、オラトゥントゥリから望む真夜中の太陽の光景。夏のラップランドでは日が沈まず、丘と森が金色に染まる。(写真: Ximonic/Simo Räsänen / CC BY-SA 3.0, Wikimedia Commons)

描かれた世界——サーミと古いラップランドの暮らし

アラリエストの画面には、20世紀初頭のラップランドの暮らしが、季節とともにいきいきと描かれています。フィンランドのサーミ、スコルト・サーミ、ノルウェーのサーミ——地域ごとに異なる人々の姿。トナカイの遊牧、川での漁、丸太小屋の建築、祝いの集い。それらは、彼自身が幼い日に見て、記憶していた光景でした。

サーミの暮らしとコタ

サーミ(Sámi)は、ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ロシアにまたがる北方の地サープミに暮らしてきた先住民族です。その伝統的な生業には、トナカイ放牧だけでなく、漁労、狩猟、採集、手工芸などがあり、地域によって暮らし方も異なります。移動生活ではテント状のラヴ(lavvu)が使われ、定住の場には中央に炉を持つコタ(kota)などが築かれました。アラリエストの絵にくりかえし登場する円錐形の住居は、北の土地で営まれてきた暮らしを伝えています。

Sami family in front of a tent, 1900
1900年ごろのサーミの家族。テント状の住居の前で、笛を吹く父と伝統衣装の家族、そりに寝そべる犬。(写真: 作者不詳 / パブリックドメイン, Wikimedia Commons)

伝統衣装ガクティとトナカイ

サーミの伝統衣装はガクティ(gákti)と呼ばれ、祝いの日やトナカイ遊牧の折に身につけられました。青地に赤や黄の帯をあしらった意匠には、出身地や既婚・未婚を読み取る手がかりがこめられています。アラリエストのプレートに描かれた、青い衣に赤い帽子の人々は、まさにこのガクティをまとった姿です。

Sami man in traditional dress
毛皮の伝統衣装をまとうサーミの男性。19世紀末の記録写真。(写真: ローラン・ボナパルト探検隊 / パブリックドメイン, Wikimedia Commons)
Reindeer in snowy forest Finnish Lapland
冬の森にたたずむトナカイ。遊牧はサーミ文化の中核をなし、アラリエストの絵にもくりかえし現れる。(写真: Nicolas Buffler / CC BY-SA 2.0, Wikimedia Commons)

白夜とオーロラの空

ラップランドの空もまた、アラリエストの世界の一部です。夏には太陽が沈まない白夜が訪れ、冬にはおよそ8月下旬から春にかけてオーロラ(北極光)が空をわたります。サーミの一年は、四季をさらに細かく分けた八つの季節でとらえられてきました。長く暗い冬と、まぶしい白夜——その振れ幅の大きな光が、北の暮らしと絵の色を形づくっています。

Aurora borealis over Lapland
ラップランドの雪原にかかるオーロラ。長い冬の夜を彩る北の光。(写真: Vincent Guth / CC0, Wikimedia Commons)

素朴派の絵をどう読むか

アラリエストの画面は、専門の訓練を経た画家とは異なる論理で組み立てられています。多くの場面が高い視点から俯瞰でとらえられ、遠くの家も近くの人も同じくらいくっきりと描きこまれます。西洋絵画の遠近法では奥のものほど小さく曖昧になりますが、彼の絵ではむしろ、伝えたいものすべてが等しく前に出てきます。これは、風景を「見た目」ではなく「知っていること」として描く姿勢のあらわれといえます。

色もまた率直です。夏の草の緑、湖の青、衣装の赤——澄んだ色が輪郭線とともに置かれ、画面は絵本の一場面のような明快さをもちます。そこには物語があり、人々は必ず何かをしています。舟を漕ぎ、樽を扱い、子を抱く。アラリエストの絵を前にすると、静止した風景ではなく、いままさに営まれている暮らしの一日に立ち会っているような心地になります。技法の巧拙を超えて人の心を打つのは、この「記録しようとする誠実さ」だと読むこともできます。

ARABIAが陶板にうつしたラップランド

アラリエストの絵が、より多くの人の手もとに届くきっかけとなったのが、フィンランドの窯ARABIA(アラビア)による陶板です。1873年に設立され、ヘルシンキ郊外のアラビア地区で発展したARABIAは、20世紀を通じてフィンランドを代表する窯として、数多くのデザイナーと画家の仕事を製品に結晶させてきました。

ARABIA factory building Helsinki
ヘルシンキのARABIA工場。壁面に縦書きの「ARABIA」の文字とレリーフが刻まれる。(写真: Markus Koljonen / CC BY-SA 3.0, Wikimedia Commons)

1980年代、ARABIAはアラリエストの絵をもとにした大型の装飾プレート(記念プレート)を製作しました。当店があつかってきたのは、1980年・1981年・1982年・1984年と年号の入った四枚で、直径はおよそ30cm前後。素地はストーンウェア(炻器)で、縁には金の線がめぐらされています。画面には、アラリエストが描いたラップランドとサーミの民族誌的な情景が、そのままうつしとられています。

ARABIAには、名画や物語を陶板にうつして壁を飾るためのプレートに仕立てる長い伝統がありました。ライヤ・ウオシッキネンによるカレワラ叙事詩のイヤープレート群がよく知られていますが、アラリエストのラップランド・シリーズもまた、その系譜のなかに位置づけられます。フィンランドの北の物語を、絵画としてだけでなく、家の壁に掛けられる一枚として届ける——陶板は、絵と暮らしのあいだをつなぐ器でした。

なお、これらのプレートの正式なシリーズ名や、絵付けの技法、限定枚数については、販売の場ではさまざまに語られてきましたが、ARABIAの一次資料で裏づけられた確かな情報は多くありません。コレクターのあいだでは大型プレートが限定生産だったとも言われますが、工場の記録による確認は取れていないため、この記事では断定を避けます。確実に言えるのは、これらが1980年代前半に年号入りで作られた、アラリエストの絵をうつしたARABIAの装飾陶板であるということです。

四枚のプレートを読む

ここでは、当店があつかってきた四枚のプレートの画面を、一枚ずつ読み解いていきます。冒頭に掲げた1980年のプレートは、湖畔の夏の集落——コタと高床の丸太小屋が並び、水辺では人々が舟や網を手に働く光景でした。残りの三枚も、それぞれに季節と暮らしの物語をたたえています。

1981年——森の手仕事

ARABIA Andreas Alariesto 1981 plate forest work
深い森のなかで、木の樽と火を囲んで作業する二人。20世紀初頭ラップランドの手仕事を描いた1981年のプレート。

トウヒの木立にかこまれ、石を組んだ炉で火を焚きながら、大きな木の樽を相手に働く二人の男性。かたわらには漏斗(じょうご)のような道具が据えられ、森の資源を加工する昔ながらの営みが描かれています。あかるい湖畔の1980年とは対照的に、緑と土の色でまとめられた、静かで力強い一枚です。

1982年——小屋の前の集い

ARABIA Andreas Alariesto 1982 plate settlement
丸太と土で葺かれた小屋の前で、青い衣に赤い帽子のサーミたちが手を動かす。物干しと子どもの姿も。1982年のプレート。

木を組んで土をのせた大きな住居を背に、ガクティをまとった人々が腰をおろして手仕事にいそしんでいます。手前には物干しの綱、そのあいだを駆けてゆく子ども。トウヒと松のあいだから見える空はあくまで澄んでいて、集落のにぎわいと、北の夏の静けさが同居しています。

1984年——白樺のほとりの集まり

Birch forest in Finland summer
フィンランドの夏の白樺林。アラリエストの1984年のプレートにも、この白い幹の木々が描かれる。(写真: Paolo Gamba / CC BY 2.0, Wikimedia Commons)
ARABIA Andreas Alariesto 1984 plate gathering
湖と白樺を背に、丸太小屋の前へ集う人々。民族衣装とサーミのガクティが混じる、祝いの場面を思わせる1984年のプレート。

白樺の若葉と青い湖を背景に、丸太小屋の前へ人々が集まっています。あるものは民族衣装をまとい、右端にはガクティに四つの風の帽子をかぶったサーミの姿。布に包まれた小さなものを囲む構図からは、洗礼や祝いの日の情景がうかがえます。四枚のなかでも、もっとも人物の表情がやわらかく、あたたかな一枚です。

ソダンキュラを訪ねて——アラリエスト美術館

アラリエストの世界にもっとも深く出会える場所が、故郷にほど近いソダンキュラの町です。北極圏の北およそ120kmに位置するこの町の中心には、1970年に彫刻家エンシオ・セッパネンが制作したトナカイの像が立ち、その近くには1689年に建てられた、フィンランドでも最古級の木造教会のひとつが残ります。

Old wooden church of Sodankyla
ソダンキュラの旧教会。1689年建立、フィンランドでも最古級の木造教会のひとつ。黒く塗られた板壁と柿板葺きの屋根。(写真: Usm / CC BY-SA 3.0, Wikimedia Commons)

その教会とトナカイ像のあいだに、アンドレアス・アラリエスト美術館ギャラリー(Museo-Galleria Andreas Alariesto)があります。旧市庁舎の建物を活かしたこの美術館は1986年の夏に開館しました。きっかけとなったのは、1984年にアラリエスト自身が64点の絵画と、ラップランドの村を再現したミニチュア彫刻「ラップランドの村」を町に寄贈したことでした。いまでは絵画およそ100点と彫刻、画家の遺品が常設で展示されています。

Museo-Galleria Andreas Alariesto Sodankyla
ソダンキュラのアンドレアス・アラリエスト美術館ギャラリー。旧市庁舎を活かした建物で、1986年に開館。(写真: HeiPe / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)

ソダンキュラはまた、1986年から真夜中の太陽映画祭(Midnight Sun Film Festival)が開かれる町としても知られています。日の沈まない夏の夜に世界中の映画が上映されるこの祭りは、北の小さな町を文化の場へと変えてきました。アラリエスト美術館が開館したのと同じ年に映画祭が始まったことは、この町が「北の記憶と表現」を大切にしてきたことを物語っているようにも思えます。

湖に沈んだ故郷から、その記憶を描いた画家の作品が集う美術館まで——ソダンキュラの町は、アラリエストの生涯をそのまま歩けるような場所です。北の光のなかで、彼が描き残した世界に静かに向きあうことができます。

日本とサーミ文化

アラリエスト個人の作品が日本でまとまって紹介された確かな記録は、いまのところ見あたりません。けれども、彼が描いたサーミの文化そのものは、日本とも決して無縁ではありません。

大阪の国立民族学博物館(みんぱく)は、ヨーロッパの常設展示のなかにサーミ関連の資料を収めています。英国人教師ハリー・B・エリーが1920年代から約40年かけて北欧最北部で集めた衣装や日用品など、およそ600点からなる「エリー・コレクション」もそのひとつです。トナカイとともに生き、自然の恵みを無駄なく用いるサーミの暮らしには、簡素さと用の美を尊ぶ日本の感性と響きあうものがあります。アラリエストが一枚ずつ描き残した情景は、そうした北の文化を知るための、やわらかな入り口にもなってくれます。

まとめ

アンドレアス・アラリエストは、湖底に沈んだ故郷ソンピオの暮らしを、独学の絵筆で記録し続けた画家でした。トナカイと森と川に寄りそう古いサーミの世界を、あかるい色と物語性ゆたかな構図で描いたその仕事は、ARABIAの陶板にうつされることで、フィンランドの北の記憶を遠く日本にまで運んできました。一枚のプレートの向こうには、失われた村と、それを描き残そうとした一人の画家のまなざしが広がっています。

要点の整理

  • アラリエスト(1900–1989)は、フィンランド・ラップランドのソンピオ地方に生まれた独学の素朴派画家。
  • 故郷リエスト村は1960年代後半、ロッカ人造湖の造成で水没。彼はその記憶を絵に描き残した。
  • 画題は20世紀初頭のサーミと古いラップランドの暮らし。1976年、75歳で初の本格的な個展を開いた。
  • ARABIAは1980年代、アラリエストの絵を陶板にうつした年号入りの記念プレートを製作した。
  • ソダンキュラのアラリエスト美術館ギャラリー(1986年開館)で、その仕事に出会える。
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