1930年のリーヒマキ・ガラス工場内部。溶解炉の前で働く職人たち

アイモ・オッコリン(Aimo Okkolin)完全ガイド|リーヒマキのカットクリスタルの名手

北欧食器タックショミュッケ編集部

アイモ・オッコリン——リーヒマキが生んだカットクリスタルの名手

フィンランドのガラスの町リーヒマキに、図案を紙に描くだけでなく、自らグラインダーの前に立ってクリスタルを彫り、磨き上げたデザイナーがいました。アイモ・オッコリン(Aimo Okkolin、1917-1982)です。美術学校の卒業証書を持たず、工場の事務職からカット部門へと進み、やがてリーヒマキ・ラシ(Riihimäen Lasi)を代表するデザイナーの一人となった、たたき上げの作り手でした。

同じ工場で活躍したヘレナ・テュネル(Helena Tynell)やナニー・スティル(Nanny Still)、タマラ・アラディン(Tamara Aladin)が型吹きのカラーガラスで時代の空気をとらえたのに対し、オッコリンが生涯を捧げたのは、厚いクリスタルの塊に深いカットを刻む、手仕事の極みともいえる技法でした。代表作「ルンペーンクッカ(Lumpeenkukka/スイレンの花)」は、リーヒマキ・ラシの製品の中で最も売れた単品と伝えられ、外国の国家元首への贈り物にも選ばれています。

この記事では、アイモ・オッコリンの生い立ちから、技法と作風、代表作、同僚たちとの関係、そして工場の終焉とともに歩んだ晩年までを、裏付けの取れた事実に基づいてご紹介します。

この記事の要点

  • アイモ・オッコリンは1917年リーヒマキ生まれ。正規の美術教育を受けず、1937年にリーヒマキ・ラシに入り、カット・研磨の職人からデザイナーへと登りつめました。
  • 専門は深彫りのカットクリスタル。自然をモチーフに、無色と色付きのクリスタルを彫刻のように仕上げました。
  • 代表作は1960年の「ルンペーンクッカ(スイレンの花)」。工場史上最も売れた単品と伝えられ、国賓への贈答品にもなりました。
  • 1976年に工場の手仕事によるガラス製造が終わるまで在籍し、その後はフリーランスとして活動、1980年に国の芸術家年金を受けました。
  • アート作品には「Aimo Okkolin Riihimäen Lasi Oy」の刻銘が入る例が多く、真作を見分ける手がかりになります。

目次

  1. 生い立ち——ガラスの町リーヒマキに生まれて
  2. リーヒマキ・ラシ入社と時代背景
  3. 技法と作風——深彫りのカットクリスタル
  4. 代表作——スイレンの花、花びら、そして星
  5. 同僚たち——黄金期を支えたデザイナーの群像
  6. 工場の終焉とオッコリンの晩年
  7. サインと見分け方
  8. まとめ

生い立ち——ガラスの町リーヒマキに生まれて

アイモ・オラヴィ・オッコリン(Aimo Olavi Okkolin)は1917年1月25日、フィンランド南部の町リーヒマキに生まれました。リーヒマキは1910年創業のガラス工場を中心に発展した、文字どおり「ガラスの町」です。鉄道の分岐点として栄えたこの町では、ガラス工場が最大の働き口であり、オッコリンの家族もガラス産業と縁のある環境にありました。

注目すべきは、オッコリンが美術学校や工芸学校で正規の教育を受けていない点です。同時代のリーヒマキ・ラシで活躍したデザイナーの多くが、ヘルシンキの中央工芸学校(現アアルト大学の前身の一つ)で学んだのとは対照的に、オッコリンは工場の中で腕一本で頭角を現しました。伝えられるところでは、彼は工場の事務方という控えめな仕事から出発し、その手先の器用さと造形感覚が認められて、クリスタルのカット部門へと移っています。

この経歴は、オッコリンの作品を理解するうえで大切な鍵になります。彼にとってデザインとは、机上の図面ではなく、回転する砥石とガラスの塊が出会う現場そのものでした。素材の限界と可能性を、誰よりも手で知っているデザイナーだったのです。

リーヒマキ・ラシ入社と時代背景

オッコリンは1937年、20歳でリーヒマキ・ラシに入りました。以後、カット・彫刻職人として約15年にわたり経験を積み、1952年からはデザイナーとして自らの作品を発表するようになります。職人としての下積みを経てデザイナーへ昇格するという道筋は、当時としても珍しく、彼の実力が工場内でいかに評価されていたかを物語っています。

1930年のリーヒマキ・ガラス工場内部。溶解炉の前で働く職人たち
1930年のリーヒマキ・ガラス工場の内部。溶解炉の前に立つ職人たち——オッコリンが入社する7年前の光景。撮影:Aarne Pietinen Oy/CC BY 4.0(フィンランド文化財庁コレクション)

オッコリンが入社した1930年代後半のリーヒマキ・ラシは、家庭用ガラスの量産と並行して、アートガラスにも力を入れ始めていた時期でした。1928年のデザインコンペを機に芸術的な製品開発が工場の柱となり、戦後の1949年には北欧規模のデザインコンペを開催して、若きナニー・スティルらを迎え入れています。オッコリンがデザイナーへと転身した1950年代は、フィンランドデザインが国際舞台で注目を集めた時代と重なり、リーヒマキ・ラシも黄金期へと向かっていきました。工場そのものの創業から閉鎖までの歩みは、「リーヒマキ・ガラス工房の歴史」で詳しくご紹介しています。

この記事では工場史には立ち入らず、オッコリン個人の歩みに集中しますが、一点だけ押さえておきたいのは、彼が「工場とともに生きた」デザイナーだったという事実です。1937年の入社から1976年の手仕事製造の終了まで、実に約40年。一つの工場にこれほど長く在籍したデザイナーは、リーヒマキ・ラシの歴史の中でも際立った存在でした。

技法と作風——深彫りのカットクリスタル

彫刻としてのガラス

オッコリンの真骨頂は、深いカット装飾を施したクリスタルにあります。薄く吹いたガラスに繊細な文様を刻むのではなく、厚く重いクリスタルの塊を素材とし、グラインダーで大胆に彫り込み、面を磨き上げていく——それはガラス工芸というより、彫刻に近い仕事でした。彼が独自に磨き上げた研削の手法は、厚い壁を持つ器の形を可能にし、光がガラスの厚みの中で屈折し、たまり、こぼれるような独特の表情を生み出しています。

自然というモチーフ

オッコリンが繰り返し立ち返った主題は、フィンランドの自然でした。スイレンの花、花びら、キンバイソウ、星——作品名を並べるだけで、湖と森の国の情景が浮かびます。ただし彼の自然表現は、写実ではありません。花弁の重なりや光の放射といった自然の構造を、クリスタルのカット面という幾何学に翻訳する仕事でした。色についても、無色透明のクリスタルに加えて、青や紫などの色ガラスを用い、彫りの深さによって色の濃淡が変わる効果を巧みに使っています。

同時期のリーヒマキ・ラシでは型吹きによるカラーガラスの量産が主流になっていきましたが、オッコリンはその流れの中でも手仕事のカットクリスタルという領域を守り続けました。量産品のデザインも手がけつつ、一点一点を職人が仕上げるアートガラスにこだわった姿勢は、彼の職人としての出自と切り離せません。

代表作——スイレンの花、花びら、そして星

ルンペーンクッカ(Lumpeenkukka/スイレンの花)

1960年にデザインされた「ルンペーンクッカ」は、オッコリンの代名詞というべき作品です。フィンランド語で「スイレンの花」を意味するこの作品は、厚いクリスタルを花弁のかたちに深く彫り込み、開きかけた花の一瞬を永遠にとどめたような造形で、リーヒマキ・ラシの製品の中で最も売れた単品と伝えられています。その評価は商業的な成功にとどまらず、外国の国家元首への贈答品として選ばれるという、いわば国を代表する工芸品としての格も獲得しました。湖面に浮かぶスイレンは、フィンランドの夏の象徴です。その儚い美しさを、最も硬質な素材であるクリスタルに写し取った点に、この作品の詩情があります。

テラレヒデット、クッレロ、タハティ

ルンペーンクッカと並んで知られるのが、「テラレヒデット(Terälehdet/花びら)」「クッレロ(Kullero/キンバイソウ)」「タハティ(Tähti/星)」といったカットクリスタルのアートピース群です。いずれも自然のモチーフを主題とし、1960年代から70年代にかけて、無色のほか複数の色ガラスで制作されました。花びらが幾重にも重なるような彫り、星の光条を思わせる放射状のカットなど、それぞれに異なる表情を持ちながら、厚いガラスの量感と深い彫りという共通の言語で貫かれています。

量産シリーズ——ストロンボリ、ニミパイヴァほか

オッコリンはアートガラスだけの人ではありませんでした。1963年頃からの「ストロンボリ(Stromboli)」の花器、「ニミパイヴァ(Nimipäivä/名の日)」シリーズの花器などの型吹きによる量産デザインも手がけています。ニミパイヴァはライラック、ブルー、ターコイズなどの色展開が知られ、花器として生まれたすっきりとした縦のフォルムが特徴です。ほかにも「ポラール(Polar)」のグラス類など、日々の暮らしに向けた製品群にオッコリンの名が残っています。カットクリスタルの重厚な作品と、軽やかな量産花器。二つの顔を併せ持つ点も、この作り手の幅を示しています。

同僚たち——黄金期を支えたデザイナーの群像

1950〜70年代のリーヒマキ・ラシには、個性の異なるデザイナーたちが同時に在籍し、互いに刺激し合いながら工場の黄金期を築きました。1949年の北欧デザインコンペを機に加わったナニー・スティル(Nanny Still)については「ナニー・スティル完全ガイド」で、「アウリンコプッロ(太陽の瓶)」で知られるヘレナ・テュネル(Helena Tynell)については「ヘレナ・テュネル完全ガイド」で、1959年から1976年まで在籍し流麗なカラーガラスの花器を量産したタマラ・アラディン(Tamara Aladin)については「タマラ・アラディン完全ガイド」で、それぞれ詳しくご紹介しています。

彼女たちの多くが正規のデザイン教育を受け、型吹きのカラーガラスで国際的な評価を得たのに対し、オッコリンは工場育ちの職人あがりで、手仕事のカットクリスタルを主戦場としました。同じ屋根の下にありながら、拠って立つ技法も美学も異なる作り手たちが共存していたこと自体が、リーヒマキ・ラシという工場の懐の深さだったといえます。ヴィンテージ市場では彼女たちの型吹き花器とオッコリンのクリスタルが並んで語られますが、その成り立ちはこのように対照的でした。

工場の終焉とオッコリンの晩年

1970年代に入ると、オイルショックによるコスト高騰と安価な輸入品の圧力が、フィンランドのガラス産業全体を襲いました。リーヒマキ・ラシは生産の自動化へと舵を切り、1976年11月30日、手吹きによるガラス製造に幕を下ろします。クリスタルの研磨部門も翌1977年6月まで続いたのち、閉じられました。オッコリンが40年近くを過ごした「手仕事の工場」は、このとき実質的に姿を消したのです。工場自体もその後、1985年にアールストロム社の傘下に入り、1990年に閉鎖されました。

1974年のリーヒマキ・ラシ吹き工房。ガラス器を切り分け徐冷炉へ移す女性たち
1974年、リーヒマキ・ラシの吹き工房でガラス器を扱う女性たち。手仕事によるガラス製造が終わる2年前の記録。撮影:Eeva Rista/CC BY 4.0(フィンランド文化財庁コレクション)

手仕事の終焉とともに工場を離れたオッコリンは、その後もフリーランスのデザイナーとして活動を続け、1980年には国から芸術家年金を授与されています。正規の教育を受けずに工場から身を起こした職人にとって、この年金は国がその芸術的功績を公式に認めた証でした。そして1982年12月30日、オッコリンは生まれ故郷リーヒマキで65年の生涯を閉じました。生地であり、仕事場であり、終焉の地でもあったリーヒマキ——その一点に、この作り手の人生のすべてが刻まれています。

サインと見分け方

オッコリンのカットクリスタルのアートピースには、底面などに「Aimo Okkolin Riihimäen Lasi Oy」と刻銘が入る例が多く、オークションハウスの出品記録でもこの署名が真作の根拠として扱われています。ルンペーンクッカをはじめとするアートガラスを検討する際は、まずこの刻銘の有無を確認するのが出発点になります。

一方、ストロンボリやニミパイヴァのような型吹きの量産シリーズには、個別の署名がない個体も流通しています。量産品の場合は、フォルムと色、当時のカタログ記載との照合が同定の手がかりになります。なお、リーヒマキ・ラシの型吹き花器はデザイナーの帰属が混同されやすく、たとえば放射状のリブを持つ「ステラリア(Stellaria)」はオッコリン作として紹介される例が見られますが、複数の資料がナニー・スティルのデザインとしています。作品を見る際は、帰属の根拠もあわせて確認しておきたいところです。

まとめ

アイモ・オッコリンは、華やかな経歴や国際コンペの受賞歴で語られるタイプのデザイナーではありません。しかし、厚いクリスタルに深く刻まれたスイレンの花は、フィンランドガラスの手仕事が到達した一つの頂点を示しています。工場とともに生き、手仕事の終わりを見届け、故郷で生涯を閉じた——その寡黙な足跡ごと、作品は静かな光を放ち続けています。

要点の整理

  • アイモ・オッコリン(1917-1982)はリーヒマキ生まれ。独学で腕を磨き、1937年の入社から1976年の手仕事製造終了まで約40年をリーヒマキ・ラシで過ごしました。
  • カット職人として15年の下積みを経て、1952年からデザイナーとして活動しました。
  • 作風の核は、自然をモチーフとした深彫りのカットクリスタルです。代表作「ルンペーンクッカ(スイレンの花、1960年)」は工場史上最も売れた単品と伝えられ、国賓への贈答品にもなりました。
  • アートピースには「Aimo Okkolin Riihimäen Lasi Oy」の刻銘が多く、量産シリーズは形と色で同定します。「ステラリア」はナニー・スティル作とする資料が複数あるため、帰属の混同に注意が必要です。
  • 1980年に国の芸術家年金を受け、1982年に故郷リーヒマキで没しました。

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