ハックマン マンゴー テーブルスプーン(ナニー・スティル デザイン)

北欧のカトラリー完全ガイド|ハックマン・ゲンセ・ジョージ ジェンセン——スプーンとフォークに宿る北欧デザイン史

ハックマンのカトラリーセット
皿の上にフィンランド・ハックマン社のステンレスカトラリーが並ぶ(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

スプーン一本のかたちにも、その国のデザイン史が宿ります。北欧のヴィンテージ食器を集めていくと、陶器やガラスの隣に、必ずカトラリーの世界が見えてきます。フィンランドのハックマン(Hackman)、スウェーデンのゲンセ(Gense)、デンマークのジョージ ジェンセン(Georg Jensen)——いずれも19世紀以前に源流を持つメーカーで、20世紀半ば、銀器の伝統を受け継いだデザイナーたちがステンレススチールという新しい素材に向き合い、「よいデザインを日常に」という北欧デザインの思想を、もっとも身近な道具で体現しました。

カイ・フランク(Kaj Franck)の「スカンディア」、ナニー・スティル(Nanny Still)の「マンゴー」、フォルケ・アルストレム(Folke Arström)の「フォーカス・デラックス」、アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen)の「AJ」、ティアス・エックホフ(Tias Eckhoff)の「マヤ」。陶器やガラスの世界で知られる名前と、カトラリーの世界の名作は、実は同じ土壌から生まれています。そしてこの歴史は、新潟県燕市をはじめとする日本のものづくりとも、思いがけないところで交差しています。

本記事では、銀からステンレスへの転換という大きな流れを軸に、フィンランド・スウェーデン・デンマーク・ノルウェー4カ国のカトラリーデザイン史をたどります。後半では、ヴィンテージカトラリーの刻印や素材の読み方、当店で取り扱うマンゴーやボダ・ビュッフェなどのラインもあわせてご紹介します。

この記事でわかること

  • 1913年のステンレス鋼誕生から始まる、20世紀カトラリー「民主化」の流れと北欧デザイン運動の関係
  • ハックマン、フィスカース、ゲンセ、ジョージ ジェンセンという北欧メーカーの歴史と、スカンディア・マンゴー・フォーカス・デラックス・AJ・マヤなどの代表シリーズ
  • 燕市の洋食器産業や柳宗理のカトラリーなど、北欧と日本の事実ベースの接点
  • ROSTFRI・SØLVPLET・18-8・三つの王冠——ヴィンテージカトラリーの刻印・素材・サイズの読み方

目次

  1. 銀からステンレスへ——カトラリーの民主化
    1. ハリー・ブレアリーと「錆びない鋼」
    2. 18-8という数字の意味
    3. 「デザイン・イン・スカンジナビア」展と北欧の躍進
  2. フィンランド——ハックマンとフィスカース、二つの古参
    1. ヴィボルグの商社から始まったハックマン
    2. ソルサコスキ——カトラリーの村
    3. 1649年創業のフィスカース
    4. フィンランドでもっとも売れた「サヴォニア」
  3. カイ・フランクとベルテル・ガードベリ——フィンランドの手
    1. カイ・フランクの「スカンディア」
    2. ベルテル・ガードベリと「カレリア」
    3. タピオ・ヴィルカラの銀とスチール
  4. ナニー・スティルの「マンゴー」——果実をかたどったステンレス
  5. スウェーデン——鉄鋼の町エスキルストゥーナとゲンセ
    1. 「スウェーデンのシェフィールド」エスキルストゥーナ
    2. ゲンセとフォルケ・アルストレム
    3. 「フォーカス・デラックス」の国際的成功
    4. ニルスヨハンとボダ・ノヴァ
  6. デンマークとノルウェー——銀の伝統と前衛のあいだ
    1. ジョージ ジェンセン——銀の彫刻家
    2. カイ・ボイスンの「グランプリ」
    3. アルネ・ヤコブセンの「AJ」
    4. ティアス・エックホフの「マヤ」
  7. 日本との関係——燕市の洋食器と柳宗理
  8. ヴィンテージカトラリーの刻印と素材の読み方
    1. 刻印の語彙——ROSTFRI、SØLVPLET、NYSILVER
    2. 数字の刻印——18-8と「90」の違い
    3. スウェーデンの三つの王冠
    4. 素材を見分ける手がかり
    5. サイズの目安
  9. 当店で出会える北欧ヴィンテージカトラリー
  10. まとめ

銀からステンレスへ——カトラリーの民主化

ジョージ ジェンセンの銀製品
ジョージ ジェンセンの銀製品が柔らかな曲面に光を受けている。20世紀初頭まで、錆と無縁のカトラリーは銀無垢か銀メッキに限られていた(Photo: Iliazd / CC BY-SA 2.0)

20世紀初頭まで、カトラリーは素材によって階級がはっきり分かれた道具でした。ナイフの刃に使われていた炭素鋼は、こまめに磨かなければすぐに錆びてしまいます。錆の心配なくテーブルに置けるのは、高価なスターリングシルバー(銀無垢)か、銀メッキ(EPNS)のカトラリーだけでした。銀器を持てる層と持てない層のあいだには、明確な線が引かれていたのです。

ハリー・ブレアリーと「錆びない鋼」

この構図を根本から変えたのが、ステンレス鋼の誕生です。1913年8月13日、イギリス・シェフィールドの冶金技師ハリー・ブレアリー(Harry Brearley)は、炭素0.24パーセント・クロム12.8パーセントの鋼を電気炉で製造しました。最初の実用的なステンレス鋼です。当初この金属は「rustless steel(錆びない鋼)」と呼ばれ、「stainless steel」という名前は、シェフィールドのカトラリー業者R.F.モズレー社のアーネスト・スチュアート(Ernest Stuart)の提案によるものでした。

ブレアリーは新しい鋼を、酢やレモン汁といった食品の酸で試験しました。最初からカトラリーへの応用が視野にあったのです。錆びない鋼は、銀を買えない人々にも清潔で長持ちするカトラリーをもたらし、シェフィールドの刃物産業を大きく拡大させました。カトラリーの「民主化」は、まずこの冶金技術から始まりました。

北欧のメーカーがこの新素材に反応するのは早く、フィンランドのハックマンは1920年代にステンレス鋼の生産へ踏み出し、スウェーデンのゲンセも1930年代からステンレスカトラリーの生産を始めました。1944年にはゲンセから130種類以上のピースから成るステンレスの大コレクション「テーベ(Thebe)」が登場します。一方デンマークでは、銀細工の伝統が強かったぶん転換は慎重で、1950年代半ばの時点でもなお、カトラリーにステンレスを選ぶことは「高価な銀器に代わる急進的な行為」と受け止められていました。1953年のカイ・ボイスン「グランプリ」スチール版、1955年の「フォーカス・デラックス」、1957年の「AJ」——本記事でこれからたどる名作たちは、いずれもこの転換点の上に立っています。

18-8という数字の意味

ヴィンテージカトラリーの柄の裏には、「18-8」「18/10」といった数字がよく刻まれています。これはステンレスの組成を示す表記で、18-8は「クロム18パーセント・ニッケル8パーセント」、18/10は「クロム18パーセント・ニッケル10パーセント」という意味です。クロムが錆への強さを、ニッケルが銀に似た上品な光沢と耐食性を与えます。ハックマンの「マンゴー」やニルスヨハンの「セッサン」も18-8ステンレス製で、この数字は20世紀後半の良質なカトラリーの共通言語になりました。

「デザイン・イン・スカンジナビア」展と北欧の躍進

デザイン・イン・スカンジナビア展の会場風景
1954年、ブルックリン美術館で開催された「デザイン・イン・スカンジナビア」展の会場風景が写る(画像:Brooklyn Museum, no known copyright restrictions / Wikimedia Commons)

北欧のカトラリーが国際的な評価を得る決定的な舞台となったのが、巡回展「デザイン・イン・スカンジナビア(Design in Scandinavia)」です。デンマーク・フィンランド・ノルウェー・スウェーデン4カ国の住まいの品々700点以上を集めたこの展覧会は、1954年1月にヴァージニア美術館(リッチモンド)で幕を開け、1957年までの約3年半、アメリカとカナダの約24会場を巡回しました。家具・陶磁器・ガラス・テキスタイルと並んで、銀器とステンレス製品が主要カテゴリーとして展示され、会場構成はデンマークの建築家エリック・ハーロウ(Erik Herlöw)が手がけ、カタログの表紙やポスターなどのグラフィックにはタピオ・ヴィルカラ(Tapio Wirkkala)が関わっています。

この展覧会は「機能的で、民主的で、自然に根ざしたデザイン」という北欧のイメージをアメリカに広め、ミッドセンチュリー期のアメリカの趣味形成に大きな影響を与えました。同じ時代、ミラノ・トリエンナーレでは北欧のデザイナーたちが相次いで受賞を重ねます。1951年のカイ・ボイスンのグランプリ、1954年・1957年のベルテル・ガードベリとティアス・エックホフの金メダル、1957年のAJカトラリーのデビュー。カトラリーは、北欧デザイン黄金期の主役の一つでした。

フィンランド——ハックマンとフィスカース、二つの古参

ヴィボルグの商社から始まったハックマン

ヴィボルグ歴史地区のパノラマ
ヴィボルグ(旧フィンランド領ヴィープリ)歴史地区の街並みが広がる。ハックマンはこの港町で1790年に創業した(Photo: Wikibobr / CC BY-SA 4.0)

ハックマン(Hackman & Co.)の歴史は、カトラリーではなく貿易から始まります。1790年、ドイツ・ブレーメン出身の商人ヨハン・フリードリヒ・ハックマン(Johan Friedrich Hackman)が、当時フィンランド東部の要衝だった港町ヴィボルグ(ヴィープリ)で商社を創業しました。扱っていたのは塩、ワイン、砂糖、ニシンといった交易品です。スプーンもフォークも、まだどこにもありません。

カトラリーの製造が始まるのは、創業から86年後の1876年、ヴィボルグ近郊でのことです。1902年には一枚の素材から鍛造する低価格カトラリーの製造を始め、1920年代にはステンレス鋼の生産へ踏み出しました。銀器の時代から大衆の時代へ——ハックマンの歩みは、カトラリー民主化の歴史そのものと重なります。

1940年、第二次世界大戦の戦火でハックマンはヴィボルグとカレリア地方の資産を失い、本社をヘルシンキへ移しました。創業の地を地図の向こうに残したまま、戦後のハックマンはフィンランドのカトラリーの代名詞へと成長していきます。

ソルサコスキ——カトラリーの村

ソルサコスキの旧工場の歴史写真
フィンランド・ソルサコスキ(レッパヴィルタ)の下工場(Alaverstas)が歴史写真に写る。ハックマンのカトラリー製造はこの地に集約されていた(Photo: Onkivesj / CC BY-SA 4.0)

ハックマンのカトラリーを語るうえで欠かせないのが、フィンランド中東部サヴォ地方の小さな村、ソルサコスキ(Sorsakoski)です。ハックマンは1833年にこの地の地所を取得して産業活動を始め、1890年代初頭にはカトラリー製造の全体をソルサコスキに集約しました。以後およそ1世紀にわたり、フィンランドのスプーンとフォークの多くがこの村で生まれます。カイ・フランクの「スカンディア」も、ナニー・スティルの「マンゴー」も、生産の現場はソルサコスキでした。

企業としてのハックマンは20世紀末に大きな転換を迎えます。1990年、ハックマンはフィンランドのARABIA、スウェーデンのロールストランド=グスタフスベリ、そしてイッタラ=ヌータヤルヴィを相次いで買収し、北欧テーブルウェアの巨大グループを形成しました。この部門は後にハックマン・デザイノール(Hackman Designor)を経て、2003年にイッタラ社(iittala oy ab)へと改称されます。「マンゴー」など一部のハックマン製品が後年イッタラ・ブランドで製造されたのは、この企業史の反映です。そして2007年、イッタラ・グループはフィスカース(Fiskars)に買収され、ハックマンのブランドはフィスカース・グループの一員となりました。

1649年創業のフィスカース

フィスカース村の鉱滓レンガ造りの家
フィスカース村には鉱滓(スラグ)レンガ造りの家が建つ。村は1649年創業の製鉄所を中心に発展した(Photo: Pöllö / CC BY 3.0)

そのフィスカースは、北欧でも群を抜いて古い企業です。1649年、オランダ出身の商人ペーター・トルヴェステ(Peter Thorwöste)が、スウェーデン女王クリスティーナから特許状を得て、フィンランド南西部のフィスカース村に製鉄所を設立しました。フィンランドで最も長い歴史を持つ企業の一つであり、ヨーロッパでも有数の歴史ある継続企業に数えられます。

1832年には、このフィスカース村にフィンランド初のカトラリー(刃物)工場が設けられ、ナイフからフォーク、そしてハサミへと製品の幅を広げました。1967年に誕生したオレンジ色のハンドルのハサミは、世界初のプラスチックハンドルのハサミとして同社の象徴になっています。2007年のイッタラ・グループ買収によって、ハックマン、ARABIA、ロールストランドといった北欧テーブルウェアの名門ブランドは、この3世紀半を超える歴史を持つ企業の傘の下に集まりました。

フィンランドでもっとも売れた「サヴォニア」

ハックマン サヴォニアのスプーン
ハックマンのシリーズ「サヴォニア(Savonia)」のスプーン2本が並ぶ。フィンランド史上もっとも売れたカトラリーにあたる(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン、撮影:MKFI)

ハックマン史上最大のベストセラーであり、フィンランド史上もっとも売れたカトラリーシリーズが、1967年にデザインされ、翌1968年に発売された「サヴォニア(Savonia)」です。デザインを手がけたのはドイツ人デザイナーのアドルフ・バーベル(Adolf Babel, 1934年生まれ)。名前は工場のあるサヴォ地方に由来し、シリーズはソルサコスキで生まれました。装飾を排した端正なフォルムは、フィンランドの多くの住まいで半世紀にわたって親しまれてきた定番のかたちです。ヴィンテージ市場でも流通量が多く、北欧カトラリー収集の入口としてよく名前が挙がります。

カイ・フランクとベルテル・ガードベリ——フィンランドの手

カイ・フランクの「スカンディア」

カイ・フランクのポートレート
フィンランドのデザイナー、カイ・フランク(1911–1989)が写る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

「フィンランドデザインの良心」と呼ばれるカイ・フランク(Kaj Franck, 1911–1989)は、カトラリーの世界にも決定的な一本を残しています。1952年にデザインされた「スカンディア(Scandia)」です。製造はハックマンのソルサコスキ工場、素材はステンレススチール。装飾をそぎ落とし、必要なかたちだけを残したこのシリーズは、約40年間という長きにわたって作り続けられました。

フランクがテーブルウェア「キルタ」で示した「無名の、誰のためでもあるデザイン」という思想は、スカンディアのステンレスにもそのまま流れています。2016年には、イッタラがオリジナルよりやや大きいサイズでスカンディアを復刻し、半世紀以上前のかたちが現行品として蘇りました。ヴィンテージのスカンディアと現行品を見比べると、20世紀半ばのカトラリーが現代より一回り小ぶりだったことがよくわかります。

ベルテル・ガードベリと「カレリア」

ベルテル・ガードベリのポートレート
フィンランドの金工デザイナー、ベルテル・ガードベリ(1916–2007)が写る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

ベルテル・ガードベリ(Bertel Gardberg, 1916–2007)は、フィンランド銀細工の先駆者と評される金工デザイナーです。南部の町タンミサーリ(エクネス)に生まれ、コペンハーゲンで学んだのち、1949年にヘルシンキに自身の工房を構えました。教会用の銀器から身近な金属の道具まで幅広く手がけ、銀やスチールに石や木を組み合わせる手法を特徴とします。1954年と1957年のミラノ・トリエンナーレで金メダルを受賞し、1961年にはルニング賞とプロ・フィンランディア勲章、1991年にはプリンス・オイゲン・メダルを受けました。1953年から54年にかけてはパリのギャラリー・ラファイエットでデザイナーを務め、1966年から71年まではアイルランドのキルケニー・デザイン・ワークショップスのディレクターとして、アイルランドの工芸振興にも関わっています。

ガードベリの代表的なカトラリーが、1963年発表、ハックマン製の「カレリア(Carelia)」です。名前は東のカレリア地方を思わせますが、実際の着想源は正反対の、生まれ故郷エクネスの海でした。西海岸の海景とヨットのシルエット——細く張りつめた柄の線には、帆走する船の輪郭が重なります。土地の名と土地の風景が交差するこのシリーズは、フィンランドのカトラリーのなかでもひときわ彫刻的な一本です。

タピオ・ヴィルカラの銀とスチール

ガラスの巨匠として知られるタピオ・ヴィルカラ(Tapio Wirkkala, 1915–1985)も、カトラリーの世界に深く関わったデザイナーです。ヴィルカラはハメーンリンナの銀器メーカー、クルタケスクス(Kultakeskus)と約30年にわたって協働し、600点以上の品をデザインしました。代表的なカトラリーには銀製の「タピオ(Tapio)」と「マルスキ(Marski)」、スチール製の「カラヴェル(Caravelle)」があります。銀の「タピオ」は1958年のブリュッセル万国博覧会で「Living in the year 2000」展示の一部として発表され、ヴィルカラがハックマンのためにデザインしたプーッコ(フィンランドの伝統ナイフ)は、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館のコレクションに収蔵されています。ガラスも銀もスチールも、ヴィルカラにとっては等しく彫刻の素材でした。

ナニー・スティルの「マンゴー」——果実をかたどったステンレス

ナニー・スティル(1960年)
1960年、フィンランド独立記念日レセプションでのデザイナー、ナニー・スティルが写る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

リーヒマキ・ガラスの色彩豊かなガラスで知られるナニー・スティル(Nanny Still, 1926–2009)は、金属の世界にも忘れがたい一作を残しました。ハックマンのためにデザインされたステンレスカトラリー「マンゴー(Mango)」です。素材は18-8ステンレススチール、表面はマットなブラシ仕上げ。デザイン年は1973年で、後年はイッタラ・ブランドでも製造されました。

シリーズ名の由来は、スティルが1970年代にインドで初めて目にしたマンゴーの果実と伝えられています。柄からヘッドへ、継ぎ目のないひと続きの曲面が膨らみ、すぼまる——その滑らかで彫刻的なフォルムは、たしかに熟した果実の量感を思わせます。光をぎらりと反射する鏡面ではなく、しっとりと受け止めるマット仕上げを選んだところに、ガラスで色と光を扱い続けたスティルらしい感覚が表れています。

ハックマン マンゴー テーブルスプーン
ハックマン「マンゴー」のテーブルスプーンは、果実を思わせる丸みを帯びている

発表当時の1970年代は、伝統的な銀器の重さから離れ、新しい素材と楽観的なフォルムが歓迎された時代でした。マンゴーのマットなステンレスは、銀器に代わる現代的な選択肢として、その時代の空気を映しています。現在ではフィンランドのオークションやヴィンテージショップでも見かける機会が少しずつ減ってきており、状態のよい個体は北欧のコレクターのあいだでも探される存在になっています。

ハックマン マンゴー フォーク
マンゴーのフォークでは、歯の根元までなだらかな曲面が続いている

ナニー・スティルの生涯と作品の全体像は、当店ブログの「ナニー・スティル完全ガイド」で詳しくたどっています。ガラスのデザイナーがなぜこのスプーンのかたちにたどり着いたのか——あわせてお読みいただくと、マンゴーの曲面がいっそう立体的に見えてきます。

スウェーデン——鉄鋼の町エスキルストゥーナとゲンセ

「スウェーデンのシェフィールド」エスキルストゥーナ

エスキルストゥーナの空撮
空から見たスウェーデン・エスキルストゥーナの市街が広がる。川沿いに発展した金属工業の町として知られる(Photo: acediscovery / CC BY 4.0)

スウェーデンのカトラリー史は、一つの町の名から始めるのがふさわしいと言えます。ストックホルムの西約100キロに位置するエスキルストゥーナ(Eskilstuna)です。この町は「Stålstaden(鉄鋼の町)」と呼ばれ、イギリスのシェフィールド、ドイツのゾーリンゲンと並ぶ刃物産地として「スウェーデンのシェフィールド」とも称されてきました。

町の金属工業の礎を築いたのは、17世紀半ば、カール10世グスタフの奨励のもとでこの地に鍛冶工房を構えた名工ラインホルト・ラーデマッヘル(Reinhold Rademacher)です。1771年には町の一部が「フリースタード(自由都市)」に指定され、製造業者や職人が免税で工房を設立できるようになりました。1786年の記録には親方69人・職人68人・徒弟99人の名が残り、錠前、鋏、ナイフ、工具と、鋼の品々がこの町から国の内外へ送り出されていきます。最盛期には55社を超える折りたたみナイフ・短剣のメーカーがひしめいていましたが、シェフィールドと同じく刃物産業は長い衰退をたどり、ナイフメーカーとしては1882年創業のEKA社が数少ない継続企業として知られています。

ゲンセとフォルケ・アルストレム

このエスキルストゥーナで1856年に生まれたのが、スウェーデンを代表するカトラリーメーカー、ゲンセ(Gense)です。創業者はグスタフ・エリクソン(Gustaf Eriksson)。意外なことに、最初の製品はカトラリーではなく、タイルストーブ(カックルウーゲン)の扉でした。社名のGENSEは「Gustaf Eriksson Nysilverfabrik Eskilstuna(グスタフ・エリクソン洋銀工場エスキルストゥーナ)」の頭字語です。1885年に息子のアクセル・エリクソン(Axel Eriksson)が事業を継いでカトラリーやテーブルウェアへ製品を広げ、1915年には主にレストラン向けの銀製カトラリーの本格生産を開始、1930年代からはステンレスカトラリーの生産も始めました。1929年にはヴィーキング・ヨーランソン(Viking Göransson)を迎えており、芸術家と本格的に協業した最初期の企業の一つでもあります。

ゲンセの黄金期を導いたのは、1940年にチーフデザイナー(芸術監督)に就任したフォルケ・アルストレム(Folke Arström, 1907–1997)です。王立美術アカデミーで学び、GAB(Guldsmedsaktiebolaget)で銀器とピューターを手がけたのち、ゲンセに移りました。1944年発表の「テーベ(Thebe)」は古代エジプトに着想を得た大コレクションで、カトラリーとサービングピースを合わせて130種類以上。1949年にはステンレス製「ファセット(Facette)」を発表し、ステンレスを日常のカトラリー素材として広めた先駆者になりました。

フォルケ・アルストレム ファセット
フォルケ・アルストレムがゲンセのためにデザインしたカトラリー「ファセット(Facette)」が写る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

「フォーカス・デラックス」の国際的成功

アルストレムの名をデザイン史に刻んだのが、「フォーカス(Focus)」です。ステンレスのヘッドに黒いナイロン樹脂のハンドルを組み合わせた「フォーカス・デラックス(Focus de Luxe)」は1955年にデザインされ、同年のヘルシンボリ博覧会「H55」で披露されました。総ステンレス版の「フォーカス」も展開されています。H55はスウェーデンデザインの画期となり、フォーカス・デラックスはこの舞台から国際的な成功へ駆け上がります。

フォーカス・デラックスのデザインには、はっきりした特徴が三つあります。ナイフの刃が短いこと。ナイフ・フォーク・スプーンがほぼ同じ長さに揃えられていること。そして黒と銀色の鮮やかな対比です。着想源は流線型の自動車や飛行機で、戦後のスピードと未来への楽観が、そのままかたちになっています。とりわけアメリカで大きな注目を集め、アルストレムの作品はロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館などに収蔵されています。ゲンセは1982年、スウェーデン国王カール16世グスタフから王室御用達(Kunglig Hovleverantör)に任命されました。

なお、ゲンセに単発のシリーズを提供したデザイナーとしては、スクルツナ真鍮工場で1955年から1986年まで活躍したピエレ・フォルセル(Pierre Forssell, 1925–2004)もいます。銀細工師として訓練を受けた彼が1950年代にゲンセのために手がけた「ピルエット(Piruett)」やレトロ・コレクションは、今もスウェーデンのヴィンテージ市場で人気のある品です。

ニルスヨハンとボダ・ノヴァ

シグネ・ペション=メリンのポートレート
スウェーデンのデザイナー、シグネ・ペション=メリンが写る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

ゲンセと並んで、スウェーデンのヴィンテージカトラリーでよく出会う名前がニルスヨハン(Nilsjohan)です。ノルウェーのブランドと誤解されることがありますが、れっきとしたスウェーデンの企業で、1888年に「ニルソン&ヨハンソン(Nilsson och Johansson)」として創業し、ブリキ容器などの商いから事業を広げました。1950年に「AB Nils-Johan」、1959年に「AB Nilsjohan」へ改称。1969年の時点でキッチン用品・ハウスウェアのメーカーとしてスカンジナビア最大規模に達し、スウェーデンの「フォルクヘンメット(国民の家)」の時代を象徴するブランドとして語り継がれています。カトラリーではスウェーデン王子シグヴァルド・ベルナドッテ(Sigvard Bernadotte)——缶切り「赤いクララ(Röda Clara)」のデザイナーでもあります——や、シグネ・ペション=メリン、「アムステルダム」「シルバナ」「シカゴ」を手がけたグンナル・オーケルリンド(Gunnar Åkerlind)らと協業しました。会社は1981年に倒産し、ブランドは後にフィンランドのハックマン(現在はイッタラ・ブランドを擁するフィスカース・グループ)の所有となっています。

もう一つ、1971年にスモーランド地方のボダで生まれたブランドがボダ・ノヴァ(BodaNova)です。設立に関わったのは、コスタ・ボダ社長だったエリク・ロセーン(Erik Rosén)、デザイナーのシグネ・ペション=メリン(Signe Persson-Melin, 1925–2022)とミカエル・ビョーンシェルナ(Mikael Björnstjerna)、グラフィックデザイナーのヨーン・メリン(John Melin)。シンプルなグラスやサービングピース、カトラリーは1971年の初発表時から国際的な注目を集めました。ペション=メリンは1955年のH55展でスパイスジャーによって脚光を浴び、1980年代半ばにはスウェーデン初の陶芸の教授に就いた人物です。彼女がデザインしたカトラリー「ビュッフェ(Boda Buffé)」は、ステンレスのヘッドに茶やクリーム色の樹脂ハンドルを組み合わせたシリーズで、肩肘張らないもてなしの場のためにデザインされました。興味深いことに、「Made in Japan」と刻まれた個体が確認されており、北欧デザインと日本の製造現場の接点を物語っています。

デンマークとノルウェー——銀の伝統と前衛のあいだ

ジョージ ジェンセン——銀の彫刻家

ジョージ ジェンセンのポートレート
デンマークの銀細工師ジョージ ジェンセン(1866–1935)が写る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン、撮影:フレデリク・リーセ)

デンマークのカトラリーを語る出発点は、やはりジョージ ジェンセン(Georg Jensen, 1866–1935)です。王立美術アカデミーで彫刻を学び(1892年修了)、当初は陶芸家として活動した彼は、1901年から銀細工師モーゲンス・バリン(Mogens Ballin)のもとで銀細工に転向し、1904年、コペンハーゲンのブレドゲード36番地に自身の工房を開きました。創業直後の1904年秋にはデンマーク装飾美術館での展示をきっかけにコペンハーゲンの上流社会で評判を確立し、1910年のブリュッセル万国博覧会で金賞、1915年のパナマ太平洋万国博覧会でグランプリを受賞します。

1909年にベルリン、1921年にロンドン、1924年にニューヨークと店舗を広げ、1920年代末には国際ブランドへ。1935年にジェンセンが没した時点で、その工房は世界でもっとも重要な銀細工工房の一つと評価されていました。彫刻家の手から生まれた銀のカトラリーは、植物や果実のモチーフをまとい、北欧の銀器の頂点を示しています。

コペンハーゲンのジョージ ジェンセン旗艦店
コペンハーゲン・アマートー広場のジョージ ジェンセン旗艦店が建つ(Photo: takaaki nishioka / CC BY-SA 2.0)

ジョージ ジェンセン社のもう一つの伝統が、外部デザイナーとの協業です。とりわけ1937年から1970年までのアナス・ホストロップ=ペダーセン体制下では、シグヴァルド・ベルナドッテ、ヘニング・コッペル(Henning Koppel)、ナナ・ディッツェル(Nanna Ditzel)らとの協働で国際的な名声を高めました。スウェーデン王子ベルナドッテが1939年にデザインした銀のカトラリー「ベルナドッテ(Bernadotte)」は、柄に刻まれた溝彫り(フルーティング)が特徴の機能主義デザインで、デンマーク王クリスチャン10世が宮廷の銀器に採用しています。

会社の所有権はその後、1972年にロイヤルコペンハーゲン、2001年に投資会社Axcel、2012年にInvestcorpへと渡り、2023年10月、フィンランドのフィスカース・グループが1億5500万ユーロで買収しました(同年9月発表、10月1日に完了)。ハックマンもARABIAもジョージ ジェンセンも、いま同じグループに属している——北欧のカトラリー史をたどると、川の流れが一つの海に注ぎ込むような企業史の合流が見えてきます。

カイ・ボイスンの「グランプリ」

カイ・ボイスンのポートレート
デンマークの銀細工師・デザイナー、カイ・ボイスン(1886–1958)が写る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

木製のモンキーで知られるカイ・ボイスン(Kay Bojesen, 1886–1958)は、もともと銀細工師です。1907年からジョージ ジェンセンの工房で修業し、1910年に銀細工師の資格を取得、1913年にコペンハーゲンで独立しました。1931年にはデンマーク工芸の常設展示販売所「デン・パーマネンテ(Den Permanente)」の創設にも関わっています。

ボイスンのカトラリーの代表作は、1938年に銀製で発表されたシリーズです。装飾を捨て、手に馴染む柔らかく調和のとれたかたちだけを残したこのカトラリーは、1951年の第9回ミラノ・トリエンナーレで最高賞「グランプリ」を受賞し、その受賞名がそのままシリーズ名「グランプリ(Grand Prix)」になりました。そして1953年、ボイスンはマットなステンレススチール版を発表します。銀製だけだったシリーズが、一般の人々にも手の届く価格帯に広がった瞬間でした。「デンマークの国民的カトラリー」という呼び名は、この民主化の歩みへの敬称です。

カイ・ボイスン グランプリ
カイ・ボイスンの「グランプリ(Grand Prix)」のディナーナイフ・ディナーフォーク・デザートスプーンが並ぶ(Photo: Henriettejessen / CC BY-SA 3.0)

ボイスンのデザイン哲学は明快です。道具は美学ではなく必要から生まれる。カトラリーはテーブルの上で主役の座を奪わない、静かな道具であるべきだ——。1922年から手がけた木製玩具、そして1951年に生まれたモンキーが今も愛され続けているのと同じように、グランプリのスプーンも、声高に主張しないかたちの強さで70年以上を生き続けています。

カイ・ボイスンの木製モンキー
カイ・ボイスンが1951年に発表した木製モンキーが座っている。ノルウェー国立美術館の所蔵品にあたる(Photo: Nasjonalmuseet / CC BY-SA 4.0)

アルネ・ヤコブセンの「AJ」

アルネ・ヤコブセン(1968年頃)
1968年頃、フィンランド訪問時のデンマークの建築家アルネ・ヤコブセンが写る(画像:Wikimedia Commons/パブリックドメイン、撮影:ヘルシンギン・サノマット紙)

北欧カトラリー史上もっとも前衛的な一本が、アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen, 1902–1971)の「AJ」です。AJカトラリーは、ヤコブセンが建築から家具、テキスタイル、ドアノブに至るまで総合的に設計したコペンハーゲンのSASロイヤルホテル(1956–1960年建設)のために生まれました。建物のすべてを一人の建築家が設計するトータルデザインの、いちばん小さな部品がこのスプーンとフォークです。

AJは1957年のミラノ・トリエンナーレで公開デビューし、大きく報道されました。装飾を一切排した有機的な曲線、必要最小限のステンレス量で機能するかたち——その美学と機能性は、当時激しい議論を呼んでいます。当初の製造元は銀細工の名門A.ミケルセン(Anton Michelsen)社で、現在はジョージ ジェンセン社が製造を引き継いでいます。SASロイヤルホテルでは、歯の短いフォークでは豆のような小さな粒をすくいにくいという声が宿泊客から寄せられ、最終的に従来型のカトラリーへ置き換えられたという逸話も残っています。

2001年宇宙の旅で使用されたAJカトラリー
映画『2001年宇宙の旅』で使用されたAJカトラリーが、ロサンゼルス・カウンティ美術館のキューブリック展に展示されている(Photo: Matthew J. Cotter / CC BY-SA 2.0)

AJの評価を決定づけたのは、発表から11年後の映画でした。スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968年)で、AJカトラリーは宇宙船内のシーンの小道具として登場します。1957年に「急進的すぎる」と議論を呼んだかたちが、未来を描く映画の小道具にそのまま通用した——AJはいわば、時代の方が後から追いついたデザインです。

ティアス・エックホフの「マヤ」

ティアス・エックホフ
自邸でくつろぐノルウェーのデザイナー、ティアス・エックホフが写る(Photo: Karl Teigen / CC BY-SA 3.0)

ノルウェーのカトラリーを世界の水準に押し上げたのが、ティアス・エックホフ(Tias Eckhoff, 1926–2016)です。陶芸を学んだエックホフは、1947年にポルスグルン磁器工場のデザインコンペで優勝し、1949年に同社へ入社、後にヘッドデザイナーを務めました。1953年にルニング賞を受賞し、ミラノ・トリエンナーレでは1954年・1957年・1960年と三度の金メダルを獲得。作品はニューヨーク近代美術館(MoMA)とヴィクトリア&アルバート博物館に収蔵されています。

エックホフの代表的カトラリー「マヤ(Maya)」は、ベルゲンのノルスク・スタールプレス(Norsk Stålpress、後のノルスタール)のために1960年代初頭にデザインされました。マットなクロムニッケル鋼、わずかに三角形の断面を持つ幅広のハンドル、ほぼ円形のスプーンのボウル、短い4本歯のフォーク——どの要素も類例のない、しかし手の中で完結する合理性を備えたかたちです。マヤは複数のデザイン賞を受け、長く生産が続いてきたノルウェーデザインの古典になりました。エックホフはほかにも「オプス(Opus)」「フーガ(Fuga)」「ウナ(Una)」など数多くのカトラリーを残しています。

ティアス・エックホフ オプスのソーススプーン
ティアス・エックホフがデザインしたカトラリー「オプス(Opus)」のソーススプーンが写る(Photo: Bengt Oberger / CC BY-SA 4.0)

日本との関係——燕市の洋食器と柳宗理

北欧のカトラリー史を日本から眺めると、二つの接点が浮かび上がります。一つは新潟県燕市というものづくりの町、もう一つは戦後日本のデザイン運動です。

燕市の金属加工は、江戸時代の和釘づくりに始まる約400年の歴史を持ちます。金属洋食器の生産が始まったのは1914年(大正3年)。第一次世界大戦でヨーロッパの工場が軍需生産に転じたため、輸入商を通じてスプーン・フォークの大量注文が燕に舞い込み、これが産業として定着しました。第二次大戦後の燕の洋食器は生産の9割が輸出用で、その約7割がアメリカ向けでした。1951年にはアメリカの顧客から錆に関する指摘が寄せられましたが、電解研磨の研究開発などを通じてステンレスカトラリーの品質を大きく高めています。シェフィールドで生まれたステンレスカトラリーの技術が、北欧と日本で同時代に磨かれていた——その実例の一つが、前述したボダ・ノヴァ「ビュッフェ」の「Made in Japan」刻印です。スウェーデンのデザイナーのかたちが日本の工場で量産され、北欧の住まいへ渡っていきました。

日本側の到達点として挙げられるのが、柳宗理(Yanagi Sori, 1915–2011)のステンレスカトラリーです。1974年発表のシリーズ#1250は、佐藤商事から「日本人のためのカトラリー」のデザイン依頼を受けて始まり、柳はまず、幅広い用途に応えるちょうどよい大きさのデザートスプーンから設計に着手しました。製造を担うのは燕市を拠点とする日本洋食器株式会社です。スプーンはやや横長、フォークは歯が短くすくい部が広い、ナイフは幅広——人の動作から導かれた独特のフォルムを持ちます。

柳のカトラリーが北欧デザインの直接的な影響下で生まれたことを示す一次資料は確認されていません。依頼の趣旨はむしろ「洋食器の模倣ではない、日本人のためのかたち」でした。ただし、1950年代から70年代にかけて、濱田庄司や柳宗理ら日本の工芸・デザイン関係者と北欧の陶芸家・デザイナーのあいだに交流があり、互いの造形や思想に影響を与え合ったことは、愛知県陶磁美術館の企画展「モダニズムと民藝 北欧のやきもの:1950's-1970's」(2013年)で示されています。カイ・ボイスンの「道具は必要から生まれる」という言葉と、柳宗理の「用の美」の思想は、別々の土地で生まれながら、同じ方向を向いていたと読むことができます。

ヴィンテージカトラリーの刻印と素材の読み方

ヴィンテージカトラリーの楽しみの半分は、柄の裏の小さな刻印にあります。そこにはメーカー名だけでなく、素材、産地、ときには製造年まで刻まれています。北欧のカトラリーを読み解くための基本的な語彙を整理します。

刻印の語彙——ROSTFRI、SØLVPLET、NYSILVER

刻印 言語 意味
ROSTFRI/ROSTFRITT STÅL スウェーデン語 ステンレス(錆びない鋼)
SØLVPLET/PLET デンマーク語 銀メッキ
NYSILVER スウェーデン語 「新銀」=ニッケルシルバー(洋白)。銀を含まない
ALPACKA/NS ALP スウェーデン語ほか アルパカ=ニッケルシルバーの別名
EPNS/EP/NS 英語 電気メッキを施したニッケルシルバー。純銀ではない

もっとも重要なのはEPNS(Electroplated Nickel Silver)の理解です。ニッケルシルバー(洋白)は、名前に反して銀を一切含まない銅・ニッケル・亜鉛の合金で、その上に純銀の層を電気メッキした製品がEPNSにあたります。「EP」「EPNS」「NS」の文字があれば、それは銀無垢ではありません。アルパカ(ALPACKA)という呼び名の語源は動物ではなく、銀色に見える中国伝来の合金「白銅(paktong)」に由来します。

数字の刻印——18-8と「90」の違い

数字の刻印には、まったく性質の異なる二系統があります。一つは前述した「18-8」「18/10」で、これはステンレスの組成表示です。もう一つが、ドイツ系・大陸系の銀メッキカトラリーに見られる「90」「100」「150」という数字で、こちらは所定数(1ダースなど)のカトラリーのメッキに使用した銀のグラム数を示す銀メッキの規格表記です。銀の純度を示す数字ではない点に注意が必要です。銀無垢の純度表示は「925」「830」「STERLING」などで刻まれます。

スウェーデンの三つの王冠

スウェーデンの銀製品には、国の検質制度に基づくホールマークが打たれています。「三つの王冠」のマーク——輪郭が猫の足跡に似ていることから「カットフォート(kattfot)」と呼ばれます——は1754年以来スウェーデン製の証で、1913年から1988年までの輸入品には楕円枠の三王冠が使われ、国産品と区別されていました。銀素材には六角形枠の「S」が付き、さらに文字と数字を組み合わせたデートレター(年号記号、1759年開始)を照合すると、製造年まで特定できます。スプーン一本の裏から製造年が割り出せる——ヴィンテージ銀器ならではの楽しみです。

素材を見分ける手がかり

刻印が摩耗して読めない場合は、いくつかの手がかりを組み合わせます。よく知られた磁石テストには限界があります。銀は磁石に付かないため、強く付けば銀無垢ではないと判断できますが、銀メッキ品でも下地が非磁性のニッケルシルバーなら付かず、18-8などのオーステナイト系ステンレスも基本的に磁性が弱いため、「磁石に付かない=銀」とは言えません。

より確かな手がかりは経年変化です。銀・銀メッキは空気中の硫黄分と反応して黒や黄褐色に変色(タルニッシュ)しますが、ステンレスはほとんど変色しません。銀メッキ品では、スプーンの背の高い部分やフォークの歯先など、よく擦れる箇所のメッキが摩耗し、黄色みを帯びた下地の銅合金が覗くのが特徴です。こうした観察を、EPNS・SØLVPLET・90系の刻印(メッキ)か、ROSTFRI・18-8・STAINLESSの刻印(ステンレス)かという情報と突き合わせて判別します。

サイズの目安

種類 長さの目安
テーブルナイフ 約24cm
デザートナイフ 約22.5cm
テーブルフォーク 約21cm
テーブルスプーン(ディナースプーン) 約20.5cm
デザートスプーン/デザートフォーク 約18.5cm
スープスプーン 約17.5cm
ティースプーン 約14cm
コーヒースプーン 約12cm

クラシックなカトラリーの長さの目安は上表のとおりです。ただし寸法はパターン(意匠)やメーカーによって前後します。フォーカス・デラックスのようにナイフ・フォーク・スプーンを同じ長さに揃えた例外的なシリーズもあるため、ヴィンテージ品では一本ごとの実寸を確かめるのが確実です。当店の商品ページでも、各品の実測サイズを記載しています。

当店で出会える北欧ヴィンテージカトラリー

当店では、北欧のオークションや市場を経て日本へ届いたヴィンテージカトラリーを、一点ずつ検品のうえ取り扱っています。この記事の歴史をたどってきた方に、当店で出会える三つのラインをご紹介します。いずれも観賞用・コレクションとしてのお取り扱いです。

ハックマン マンゴー ナイフ
マンゴーのナイフでは、刃から柄までひと続きの曲線が伸びている

一つめは、ナニー・スティルの「マンゴー」です。テーブルスプーン、フォーク、ナイフなど、18-8ステンレスのマットな質感とひと続きの曲面を、手に取って確かめられる状態のよい個体を選んでいます。ガラスのデザイナーが金属に残した果実のフォルムは、棚の上に一本置くだけでも彫刻のような存在感を見せてくれます。

ボダ ビュッフェ スプーン
ボダ・ビュッフェのスプーンは、ステンレスのヘッドに樹脂のハンドルを組み合わせている

二つめは、シグネ・ペション=メリンの「ボダ・ビュッフェ」です。ステンレスと樹脂ハンドルの組み合わせは、フォーカス・デラックスから続くスウェーデンの二素材カトラリーの系譜にあり、1970年代らしい温かな配色が魅力です。「Made in Japan」刻印の個体が存在するシリーズとして、北欧と日本のものづくりの接点を手元で感じられる一本でもあります。

ニルスヨハン ベークライトハンドル スプーン
ニルスヨハンのベークライトハンドルのスプーンでは、黒い柄が金属の光沢と対比をなしている

三つめは、ニルスヨハンのベークライトハンドルのスプーンです。スカンジナビア最大規模に成長したハウスウェアメーカーの品らしく、気取りのない実直なかたちに、黒いベークライトの深い艶が映えます。時代を経た北欧ヴィンテージらしい質感を、もっとも身近なかたちで伝えてくれる一本です。

カトラリーは食器棚の主役にはなりませんが、ガラスのベースの隣に数本を立てたり、トレイの上に並べて窓辺に置いたりすると、金属ならではの光の表情が空間に加わります。陶器やガラスから北欧ヴィンテージに入った方の「次の一歩」として、おすすめしたいジャンルです。

まとめ

この記事のまとめ

  • 1913年、シェフィールドのハリー・ブレアリーが実用的なステンレス鋼を生み、銀器だけのものだった「錆びないカトラリー」が大衆に開かれた。
  • フィンランドのハックマンは1790年にヴィボルグで創業した商社が源流。1876年にカトラリー製造を始め、ソルサコスキ工場から「スカンディア」(カイ・フランク、1952年)、「サヴォニア」(アドルフ・バーベル、1967年デザイン)、「マンゴー」(ナニー・スティル、1973年)が生まれた。
  • スウェーデンでは鉄鋼の町エスキルストゥーナのゲンセが、フォルケ・アルストレムの「テーベ」(1944年)と「フォーカス・デラックス」(1955年)で世界的評価を獲得。ニルスヨハンとボダ・ノヴァも独自の系譜を築いた。
  • デンマークではジョージ ジェンセンの銀の伝統から、カイ・ボイスンの「グランプリ」(銀1938年/スチール1953年)とアルネ・ヤコブセンの「AJ」(1957年)が生まれ、ノルウェーではティアス・エックホフの「マヤ」(1960年代初頭)が古典となった。
  • 日本との接点は、燕市の洋食器産業(1914年開始)、ボダ・ビュッフェの「Made in Japan」個体、柳宗理のカトラリー(1974年)など、事実として確認できるものだけでも十分に興味深い。
  • 刻印はROSTFRI(ステンレス)、SØLVPLET(銀メッキ)、EPNS(銀メッキ)、18-8(ステンレス組成)、90(メッキ銀量)などを手がかりに読み解ける。

銀の彫刻家ジョージ ジェンセンから、ステンレスの前衛AJまで——北欧のカトラリーの歴史は、「よいデザインは一部の人のものではない」という思想が、もっとも小さな道具の上で実現されていく歴史でした。そしてハックマンも、ARABIAも、ロールストランドも、ジョージ ジェンセンも、いまや同じフィスカース・グループの一員です。スプーン一本の背景に、3世紀半を超える企業史と、四つの国のデザイナーたちの手が重なっています。

ヴィンテージカトラリーの柄の裏にある小さな刻印は、その長い物語への入口です。ROSTFRIの文字、三つの王冠、18-8の数字。北欧の市場を経て日本へ届いた一本を手に取り、光にかざして刻印を読む時間そのものが、北欧デザイン史への静かな旅になります。

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