ケルットゥ・ヌルミネンがデザインしたモンド(Mondo)のデキャンタ

ケルットゥ・ヌルミネン(Kerttu Nurminen)完全ガイド|モンドとヴェルナを生んだヌータヤルヴィ最後の常勤デザイナー

フィンランドのガラス村の遠景
フィンランドの森と湖に囲まれたガラス村。ケルットゥ・ヌルミネンが35年を過ごしたヌータヤルヴィも、こうした風景のなかにある。画像:Kotivalo/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

ヌータヤルヴィ(Nuutajärvi)はフィンランド最古のガラス工房です。1793年の創業以来、北欧ガラスの歴史をかたちづくってきたこの小さな村のラインから、20世紀の終わり、ひときわ静かで上品なシリーズが次々と生まれました。モンド(Mondo)ヴェルナ(Verna)パウリーナ(Pauliina)ティプ(Tipu)——いずれも手がけたのは、ラハティ生まれの一人の女性デザイナー、ケルットゥ・ヌルミネンでした。

ヌルミネンの名前は、カイ・フランクやオイバ・トイッカの影に隠れがちです。しかし、彼女こそヌータヤルヴィの最後の常勤デザイナーであり、フランクから直接学んだ最後の世代の一人でもありました。本記事では、1943年のラハティ誕生から、ヘルシンキでの修業時代、1970年のヌータヤルヴィ入社、そしてフランクとともに走り抜けた35年あまりの軌跡をたどります。

2023年には80歳記念の回顧展がデザインミュージアム・イッタラで開かれ、2025年にはヌータヤルヴィのプリュカリ(Prykäri)ガラスミュージアムで「55年の作家活動」を振り返る展覧会も開催されました。世界中の主要美術館に収蔵される作品を生み続けたデザイナーの仕事を、当店の視点から整理してみたいと思います。

この記事でわかること

  • ケルットゥ・ヌルミネンの生涯と1970〜2000年代のヌータヤルヴィでの活動
  • 師カイ・フランクとの関係、夫オラヴィ・ヌルミネンとのフィリグリー技法
  • モンド、ヴェルナ、パウリーナなど代表作の年代と特徴
  • フィンランド国家デザイン賞・カイ・フランク・デザイン賞の受賞背景

目次

  1. 基本情報
  2. ラハティに生まれて
  3. ヘルシンキでの修業——師カイ・フランクとの出会い
  4. ヌータヤルヴィ入社——フランクに見出された1970年
  5. 夫オラヴィとフィリグリー技法
  6. 代表作その1:1970〜80年代——ティプからパウリーナへ
  7. 代表作その2:モンド(Mondo、1988)
  8. 代表作その3:プロ・アルテ(Pro Arte)シリーズ
  9. 代表作その4:ヴェルナ(Verna、1998)
  10. 受賞と評価
  11. ヌータヤルヴィの最後の常勤デザイナーとして
  12. 展覧会と美術館コレクション
  13. まとめ——静かなる名匠の仕事

1. 基本情報

名前 ケルットゥ・ヌルミネン(Kerttu Nurminen、旧姓ランタネン Rantanen)
生年月日 1943年3月8日
出身地 フィンランド・ラハティ(Lahti)
教育 タイデテオリネン工業デザイン学校(Taideteollinen oppilaitos、1966〜1970年)。陶芸専攻。現在のアールト大学芸術・デザイン・建築学部
カイ・フランク(Kaj Franck)
配偶者 オラヴィ・ヌルミネン(Olavi Nurminen、ヌータヤルヴィのガラスマスター)。1976年結婚
勤務先 ヌータヤルヴィ・ガラス工房(Nuutajärven Lasi、1970〜2007年)
主な受賞 フィンランド国家デザイン賞(1990年)、カイ・フランク・デザイン賞(1996年)
代表作 モンド(Mondo、1988)、ヴェルナ(Verna、1998)、パウリーナ(Pauliina、1982〜85)、ティプ(Tipu、1976)、プロ・アルテ/ランピ(Pro Arte / Lampi、1993)など

2. ラハティに生まれて

ケルットゥ・ヌルミネンが生まれたのは、1943年3月8日。フィンランド南部の都市ラハティ(Lahti)でした。ヘルシンキから北へ約100km、ヴェシヤルヴィ湖の南端に開けたこの街は、戦間期に工業都市として急速に発展し、家具産業やラジオ製造で知られていました。

ラハティ市庁舎
ラハティ市庁舎。エリエル・サーリネン設計、1912年完成。ヌルミネンが少女時代を過ごした街の中心に立つ。画像:Tomi Hokkanen/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0

ヌルミネンが生まれた1943年は、フィンランドが継続戦争のさなかにあった年でした。戦後の復興と急成長、そしてやがて訪れるモダンデザインの時代——彼女の少女時代は、フィンランドのデザインが世界へと羽ばたいていく前夜と重なっていました。

少女時代のヌルミネンについて、公的な記録はあまり残されていません。本人がメディア露出を意図的に避けてきたデザイナーであることも、その理由の一つです。確かなのは、彼女が早くから手仕事に親しみ、商業学校(merkonomi)を経てヘルシンキへ向かったということです。

ラハティのパーヴォラの展望スポットから見た街と湖
ラハティ・パーヴォラ地区の展望スポットから望む街並みとヴェシヤルヴィ湖。湖と森に囲まれた風景が、ヌルミネンの幼少期を取り巻いていた。画像:Unnerving duck/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0
冬のラハティ南部の眺め
冬のラハティ南部。雪と湖と森が広がる。画像:Trogain/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

フィンランドの冬は長く、日照時間は短い——その光の少なさが、ヌルミネンの作品に流れる繊細な透明感や、夏雲・キノコ・ポピーといった自然のモチーフへの愛着につながっていきます。森と湖の街に生まれ育ったことは、後年「モンドの煙のような色彩」や「プロ・アルテ・ランピ(湖)の青」へと結実していくことになります。

3. ヘルシンキでの修業——師カイ・フランクとの出会い

タイデテオリネン工業デザイン学校

ヌルミネンは1966年、ヘルシンキのタイデテオリネン工業デザイン学校(Taideteollinen oppilaitos)に入学します。現在のアールト大学芸術・デザイン・建築学部(Aalto University School of Arts, Design and Architecture)の前身にあたり、19世紀後半に設立された北欧屈指のデザイン教育機関です。アルヴァ・アアルト、カイ・フランク、タピオ・ヴィルカラ、オイバ・トイッカ——フィンランドデザイン史を彩る巨匠の多くが、この学校から巣立っていきました。

ヌルミネンが選んだのは陶芸科でした。在学期間は1966〜1970年。ガラスデザイナーとして名を残すことになる彼女が、最初に学んだのは粘土の扱いだった、という事実は重要です。ガラスと陶芸は、いずれも「窯」と「素材の変化」を扱う技芸であり、両者を行き来する造形感覚は、後年の作品に独特の厚みを与えていきました。

「フィンランドデザインの良心」カイ・フランク

カイ・フランクの肖像写真
カイ・フランク(1989年撮影)。ヌルミネンが学生時代に師事し、卒業後もヌータヤルヴィで近くで仕事をした。画像:Jorma Puranen/Wikimedia Commons/CC BY 4.0

学校でヌルミネンに最も大きな影響を与えたのが、カイ・フランク(Kaj Franck、1911〜1989)でした。

カイ・フランクが1953年にヌータヤルヴィのためにデザインしたガラス器とパッケージ
カイ・フランクが1953年にヌータヤルヴィのために手がけたガラス器とパッケージ。ノルウェー国立美術館蔵。装飾を抑えたフォルムは、後にヌルミネンが受け継ぐ理念の原型といえる。画像:Nasjonalmuseet/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

フランクは「フィンランドデザインの良心」と呼ばれ、誰もが手に入れられる日用品の美を追求した思想家・デザイナーでした。戦後ARABIAで活躍したのち、1950年代からはヌータヤルヴィの芸術監督も兼任し、両工場の方向性を決定づけました。

フランクの教えは、装飾を削ぎ落とし、機能と素材の本質に立ち返ることでした。「組み合わせて使える、無駄のないシステム」——カルティオ(Kartio、1958)やキルタ(Kilta、1953、後のティーマ)に結晶した思想です。ヌルミネンの作品にも、このフランクの遺産は色濃く流れています。シンプルなフォルムに、繊細な技法による装飾。「日用品としての美」と「工芸品としての繊細さ」を両立させようとする姿勢は、まさにフランクの理念の正統な継承でした。

なお、フランクはタピオ・ヴィルカラやティモ・サルパネヴァといった同時代の巨匠とも親しく、ヌルミネンが卒業直前にフランクから声をかけられたという事実は、彼女の若き才能がすでに師の眼にとまっていたことを物語ります。詳しくはカイ・フランク完全ガイドもあわせてご覧ください。

4. ヌータヤルヴィ入社——フランクに見出された1970年

夏のインターンから常勤デザイナーへ

1970年の夏、卒業を迎えるヌルミネンは、ヌータヤルヴィの芸術部門に研修生として入りました。きっかけはカイ・フランクの推薦でした。研修期間を経て、1971年秋からは内部広報や工場業務も兼ねる立場となり、1972年に正式にガラスデザイナーとして雇用されました。以来2007年に常勤を退くまで、ヌルミネンは35年にわたってヌータヤルヴィのデザインチームの中核を担い続けます。

ヌータヤルヴィのガラス工房
ヌータヤルヴィのガラス工房。1793年創業のフィンランド最古のガラス工房。現在もガラス職人が働く。画像:Mikkoau/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

フィンランドガラスの黄金期から成熟期へ

ヌルミネンが入社した1970年代は、フィンランドガラスの黄金期がちょうど終わりを迎えようとしていた時代です。1973年のオイル危機(詳しくは石油危機が北欧食器を変えた日もご覧ください)が北欧の工場経営を直撃し、大量生産品から少量生産・アート寄りの作品への重心移動が進んでいきました。ヌルミネンはまさにこの転換期に、ヌータヤルヴィの新世代として登場することになります。

1968年のフィンランドのガラス工房の内部
1968年に撮影されたフィンランドのガラス工房。職人が炉の前で吹きガラスを操作している。画像:Szilas/Wikimedia Commons/CC0

同時期にヌータヤルヴィで活躍していたのが、カイ・フランクのほか、オイバ・トイッカ、インケリ・トイッカ、そしてヘイッキ・オルヴォラといった面々でした。ヌルミネンは彼らと長きにわたって肩を並べ、フィンランドの吹きガラスの伝統を次世代へとつないでいくことになります。

若き日のオイバ・トイッカの肖像写真(1958年)
若き日のオイバ・トイッカ(1958年)。ヌルミネンより一世代上の同僚で、長くヌータヤルヴィの芸術部門を支え続けた。画像:Kalevi Pöyhönen/Lehtikuva/Wikimedia Commons/パブリックドメイン

トイッカの闊達な色彩感覚、オルヴォラの素材への鋭敏な感覚、そしてフランクの厳格な合理主義——これらの間にあって、ヌルミネンは「繊細さと明晰さの均衡」という独自の場所を切り拓きました。詳しくはオイバ・トイッカ完全ガイドヘイッキ・オルヴォラ完全ガイドもあわせてどうぞ。

5. 夫オラヴィとフィリグリー技法

1976年、ヌルミネンはヌータヤルヴィのガラスマスター、オラヴィ・ヌルミネン(Olavi Nurminen)と結婚します。オラヴィはヌータヤルヴィで長く吹きガラス職人として働き、後にマスターガラスブロワー(親方)となった人物です。デザイナーと職人の夫婦——この組み合わせから、ヌルミネン作品を語るうえで欠かせない一つの技法が生まれました。

ピルッコフィリグラーニ(pilkkofiligraani)

夫妻が共同で発展させた装飾技法が「ピルッコフィリグラーニ(pilkkofiligraani)」——直訳するなら「ドット・フィリグリー」です。フィリグリー(filigree)とは、もともと細い色ガラス棒を芯に巻き付けて模様を作るヴェネツィアの伝統技法ですが、ヌルミネン夫妻はこれを応用し、ガラス表面に小さな色のドットを規則的に配置する独自のスタイルへと発展させました。

ピルッコフィリグラーニは、後述するプロ・アルテ・シリーズの「パラッツォ(Palazzo)」や「ランピ(Lampi)」「ラーゴ(Lago)」などで効果的に用いられ、ヌータヤルヴィ後期を象徴する装飾語彙の一つとなりました。デザイナーの構想と、職人の手の技が、夫婦という最短距離で結ばれていた——これがヌルミネン作品の独自性を支えた重要な背景です。

オイバ・トイッカのカステヘルミのガラス器
オイバ・トイッカのカステヘルミ。ヌルミネンと同時代のヌータヤルヴィで展開された、ガラス装飾の豊かさを示す代表的なシリーズ。画像:Tommi Nummelin/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0

グラール(graal)技法

ヌルミネンはフィリグリーに加え、グラール(graal)と呼ばれる技法にも取り組みました。グラールは、20世紀初頭にスウェーデンのオレフォース(Orrefors)で開発された複雑な技法で、色ガラスの彫刻層を透明なガラスで包み込む二重構造を作るものです。1995年に発表された「カルターノ(Kartano)」のゴブレットでは、エーリス・カンカイネン(Eelis Kankainen)が吹いた本体に、ヌルミネンがグラール装飾を施しました。

6. 代表作その1:1970〜80年代——ティプからパウリーナへ

ティプ(Tipu、1976)

入社から数年を経たヌルミネンが、最初に世に問うた代表的な日用品がティプ(Tipu)でした。1976年のデザインで、エッグカップや塩・胡椒入れの小さな器のシリーズです。「Tipu」はフィンランド語で「ひな鳥」「小さな子」を意味する愛称で、ぽってりとした丸みのあるシルエットはその名にふさわしいものでした。

同じ1976年には、装飾的なシリーズアキレイヤ(Akilleija、ノコギリソウの意)やヒッラ(Hilla、クラウドベリーの意)もデザインしています。北欧の野草・果実の名を冠したこれらの初期作には、ヌルミネンが終生通じて愛したテーマ——フィンランドの森と植物——がすでに姿を現していました。

パウリーナ(Pauliina、1982〜85)とポウタピルヴィ(Poutapilvi、1982〜83)

1980年代初頭、ヌルミネンは朝食セットのパウリーナ(Pauliina)と、ガラスのセットポウタピルヴィ(Poutapilvi、「夏雲」の意)を続けて発表します。パウリーナはフィンランドの女性名そのもので、家庭的な親密さを感じさせる名前。ポウタピルヴィの「夏雲」という名前は、フィンランドの短い夏空に浮かぶ白雲を思わせるものでした。

この時代のヌルミネン作品の特徴は、「うつわの形そのものが季節や情景を呼び起こす」という命名感覚です。フィンランドの自然を眺めた人間が、ふと「あの空を、あの森を、ガラスにできないか」と思ったときの最初の手応え——それがパウリーナやポウタピルヴィに結晶しています。

アピラ(Apila)の再生産デザイン

1977〜85年にかけて、ヌルミネンは伝統的なシリーズアピラ(Apila、クローバーの意)の再生産デザインも担当しました。アピラはもともとヌータヤルヴィの古典的なプレスガラスで、ヌルミネンはこれに新たな色とフォルムのバリエーションを与え、現代の暮らしに合うかたちへと再構成しています。

7. 代表作その2:モンド(Mondo、1988)

モンドのデキャンタとガラス器
モンド(Mondo、1988年デザイン)。煙のような淡い色合いとふくらみのあるフォルムが特徴。画像:Tommi Kinnunen/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0

「モダンデザインの古典」と呼ばれたシリーズ

1988年、ヌルミネンは生涯の代表作となるモンド(Mondo)を発表します。1988/89年から2007/08年まで約20年間製造され続け、ヌータヤルヴィのベストセラーの一つとなりました。「Mondo」はイタリア語で「世界」の意。煙のように淡い色彩——スモークグレー、ラベンダー、淡いブルー——をまとった、丸みのあるフォルムが特徴です。

モンドは「モダンデザインの古典」と呼ばれることがあります。装飾を最小限に抑えながらも、色とフォルムだけで品格を漂わせる——カイ・フランクの理念を、ヌルミネンが自分の言葉に翻訳したような完成度を持っています。ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)には、1997年製造のモンドのデキャンタが収蔵されています。

煙色(smoke grey)の魅力

モンドの最大の魅力は、その煙色の透明感にあります。完全な透明でもなく、はっきりとした色付きでもない——光をやわらかく透過させる、いわば「半透明の靄」。北欧の長い冬の朝、まだ明け切らない窓辺に置かれたモンドのカラフェは、その光をそっと受け止めるためにデザインされました。

ヴィンテージ市場では、特にラベンダー色やスモークグレーのモンドが安定した人気を保ち続けています。フィンランド国内外のオークションでも、モンドのデキャンタは継続して取引されており、ヌータヤルヴィ後期の代表作として広く認知されています。

8. 代表作その3:プロ・アルテ(Pro Arte)シリーズ

アート寄りの限定コレクション

1990年代、ヌータヤルヴィは芸術性の高い少量生産ライン「プロ・アルテ(Pro Arte)」を立ち上げます。フランク、トイッカ、オルヴォラ、そしてヌルミネンといったデザイナーたちが、それぞれの代表作をこのラインで発表しました。プロ・アルテは、単なる量産品ではなく、ガラスの可能性を試す「実験室」のような性格を持っていました。

ランピ(Lampi、1993)——湖面を思わせる青

プロ・アルテにおけるヌルミネンの最初の代表作が、1993年のランピ(Lampi)です。「Lampi」はフィンランド語で「小さな湖」の意。フィンランド人にとって、湖は単なる風景ではなく、サウナの後に飛び込み、夏の白夜を眺める生活の一部です。ランピのガラスは、その湖面を切り取ったような青と緑の色相を持っていました。

パラッツォ(Palazzo、1998)とラーゴ(Lago、2000)

プロ・アルテのなかでも、夫オラヴィとのフィリグリー技法が最も活きたのがパラッツォ(Palazzo、1998)とラーゴ(Lago、2000)です。パラッツォは、ヴェネツィア・フィリグリーの伝統に立ち返りつつも、フィンランド的なリズムでドットを並べた繊細な作品。ラーゴはイタリア語で「湖」を意味し、深いコバルトブルーの透明感が印象的なシリーズです。

同じ1998年にはガラスの彫刻作品バジリカ(Basilica、別名Summer)も発表されており、この時期はヌルミネンの装飾語彙が最も豊穣に展開した数年と言えます。

メリシイリ(Merisiili、1992)——海ウニ

プロ・アルテに先立つ1992年の作品メリシイリ(Merisiili、「海ウニ」の意)は、ヌルミネンのアート作品の到達点の一つです。ガラス表面に細かな突起を配し、海の生き物の質感を表現したユニーク作品で、現在は美術館収蔵作品として知られています。

9. 代表作その4:ヴェルナ(Verna、1998)

ヴェルナのカラフルなガラス器
ヴェルナ(Verna、1998年デザイン、1999〜2011年製造)。コバルトブルーやターコイズなど大胆な色彩で展開された。画像:Tommi Kinnunen/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0

大胆な色彩の量産シリーズ

1998年にデザインされ、1999年から2011年まで約12年間製造されたヴェルナ(Verna)は、ヌルミネンのもう一つの代表的な量産シリーズです。モンドの抑制された「煙色」とは対照的に、ヴェルナはコバルトブルー、ターコイズ、グリーン、レッドなどはっきりとした鮮やかな色彩で展開されました。

ふくらみのあるフォルムは1990年代後半のヌルミネンらしい有機的な曲線を備えながら、ガラスの色そのものを主役にする潔さを持っていました。「色がフォルムである」——ヴェルナはこの一文に集約される作品です。

モンドとヴェルナの対比

モンド(1988)とヴェルナ(1998)は、ちょうど10年の隔たりを持つヌルミネンの双璧です。モンドが「霧と煙」、ヴェルナが「太陽と海」。フィンランドの長い冬と短い夏、そのコントラストを、二つのシリーズはガラスというひとつの素材で表現しきりました。

10. 受賞と評価

フィンランド国家デザイン賞(1990年)

1990年、ヌルミネンはフィンランド国家デザイン賞(Valtion muotoilupalkinto/State Design Prize)を受賞します。これはフィンランド政府が国内のデザイナーに与える最も権威ある賞の一つで、過去にはカイ・フランクやタピオ・ヴィルカラも受賞しています。モンドが世に出てまもないこの時期の受賞は、彼女の仕事が早い段階から高く評価されていたことを示しています。

カイ・フランク・デザイン賞(1996年)

1996年、ヌルミネンはカイ・フランク・デザイン賞(Kaj Franck Design Prize)を受賞します。これはフランクの没後、デザインフォーラム・フィンランドが創設した賞で、フィンランドの優れたデザイナーに贈られるものです。師フランクの名を冠した賞を、自身が受賞する——ヌルミネンにとっても、そして「フランクの遺産」を語るうえでも、特別な意味を持つ受賞でした。

11. ヌータヤルヴィの最後の常勤デザイナーとして

企業統合の時代

イッタラのロゴ
イッタラ(iittala)のロゴ。ヌータヤルヴィは1990年代以降、Hackman・iittala・Fiskarsという企業統合の波に飲み込まれていく。画像:iittala/Wikimedia Commons/パブリックドメイン

ヌルミネンの長いキャリアは、ヌータヤルヴィという企業が大きく姿を変えていく時代と重なります。1990年、ハックマン(Hackman)社がイッタラ・ヌータヤルヴィを買収。1994年、Hackman Designorとして統合。2004年にはコンシューマー部門がイッタラ・グループに集約され、2007年にはフィスカース(Fiskars)に統合されました。詳しい経緯は北欧食器ブランドの統合史もあわせてご覧ください。

企業統合のたびに、デザインチームの編成は変わっていきました。1990年代以降、北欧の伝統的なガラス工房ではフリーランスデザイナーへの委託が主流となり、専属の常勤デザイナーは姿を消していきます。ヌルミネンはその流れのなかで、ヌータヤルヴィに最後まで常勤として残ったデザイナーの一人でした。

2007年——常勤デザイナーの終わり

2007年、ヌルミネンはヌータヤルヴィでの常勤としての仕事を終えます。1970年の研修生からかぞえれば37年、1972年の正式雇用からは35年に及ぶ長いキャリアでした。この退任は、フィンランドガラス産業における「常勤デザイナーという制度」の終焉を象徴する出来事でもありました。

退任後もヌルミネンの活動は続き、2012年にはクーンルオホ(Kuunruoho、「月の草」の意)のユニーク作品を発表するなど、自然と神話的なモチーフへの関心を深めていきます。

12. 展覧会と美術館コレクション

2023年:80歳記念展「Luontoni, maailmani」

2023年4月15日から10月1日まで、フィンランド・イッタラのデザインミュージアム・イッタラ(Designmuseo Iittala)で、ヌルミネンの80歳記念展「Luontoni, maailmani(私の自然、私の世界)」が開催されました。ヌータヤルヴィでの50年以上の創作活動を振り返る回顧展となり、量産品から一点ものまで幅広い作品が並びました。

2025年:プリュカリ・ガラスミュージアム展

続いて2025年5月16日から8月31日まで、ヌータヤルヴィのプリュカリ・ガラスミュージアム(Prykäri Glass Museum)で「Pinttiä, pilkkuja, kukkia – Taiteilijan polkuja 55 vuoden ajalta(線、ドット、花——55年の作家の道)」展が開かれました。タイトルに掲げられた「Pinttiä, pilkkuja, kukkia」は、まさにヌルミネン作品を構成してきた装飾語彙の三本柱です。

美術館コレクション

ヌルミネンの作品は、以下の主要美術館に収蔵されています:

  • デザインミュージアム・フィンランド(Designmuseo、ヘルシンキ)
  • ノルウェー国立美術館(Nasjonalmuseet、オスロ)
  • ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A、ロンドン)——モンドのデキャンタ、カルターノのゴブレットなど
  • ニューヨーク近代美術館(MoMA)
フィンランド・イッタラのガラス美術館
イッタラのガラス美術館(Iittala Glass Museum)。ヌルミネンの作品を含むフィンランドガラスの歴史を伝える施設の一つ。画像:Kotivalo/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

13. まとめ——静かなる名匠の仕事

ケルットゥ・ヌルミネンの仕事を一言で表すなら、「静かなる名匠」がふさわしいかもしれません。トイッカのバードのような華やかさはなく、フランクのカルティオのような巨大なアイコンもない。けれども、北欧の朝のテーブルにそっと置かれたとき、最も自然に光を受け止めるのは、ヌルミネンが手がけたガラスでした。

1970年、26歳の彼女がヌータヤルヴィの門を叩いてから35年。フィンランドガラス産業が大量生産の黄金期から少量生産・芸術志向の時代へと移っていく激動の数十年を、ヌルミネンはずっと工場の中で過ごしました。フランクの直接の薫陶を受けた最後の世代として、そしてヌータヤルヴィ最後の常勤デザイナーとして。

モンドの煙色、ヴェルナの鮮やかな色、ランピの湖の青、メリシイリの突起のテクスチャ。これらは単なる装飾ではなく、フィンランドの長い冬と短い夏、森と湖、神話と日常を、一つひとつガラスへと翻訳していった記録です。日本でヌータヤルヴィのヴィンテージガラスを手に取るとき、その背後には、ラハティに生まれ、ヘルシンキで学び、ヌータヤルヴィの炉の前で職人とともに過ごした一人のデザイナーの長い時間があります。

イッタラのガラスセンター
イッタラのガラスセンター。フィンランドガラスの伝統を継承する施設として、現在も多くの観光客が訪れる。画像:aiko99ann/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

ヌルミネンは退任後も創作活動を続け、近年も展覧会でその仕事が紹介されています。長い時間を経てもなお、彼女のガラスが新鮮な光を放ち続けていることは、北欧ヴィンテージ食器を愛する私たちにとって、静かな励ましでもあります。

この記事のまとめ

  • ケルットゥ・ヌルミネン(1943年ラハティ生)は、カイ・フランクに見出されて1970年にヌータヤルヴィに入社。2007年まで37年勤続
  • 1976年に夫オラヴィ・ヌルミネン(ガラスマスター)と結婚。共同で「ピルッコフィリグラーニ」技法を発展させた
  • 代表作はモンド(1988)、ヴェルナ(1998)、パウリーナ(1982〜85)、プロ・アルテ/ランピ(1993)など
  • 1990年フィンランド国家デザイン賞、1996年カイ・フランク・デザイン賞を受賞
  • V&A、MoMA、Designmuseoなど主要美術館に収蔵。2023年・2025年に大規模回顧展
  • ヌータヤルヴィ最後の常勤デザイナーとして、フィンランドガラスの一時代を画した

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