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シナモンロールの日(Kanelbullens dag)|スウェーデンが10月4日に祝う「カネルブッレ」——フィーカ、カルダモン、焼き菓子の器

北欧食器タックショミュッケ編集部

毎年10月4日、スウェーデンでは家庭や職場、学校の食卓に、渦巻き型の焼き菓子が並びます。「シナモンロールの日(Kanelbullens dag/カネルブッレンス・ダーグ)」——コーヒーの香りとともに一つの菓子パンを囲むこの日は、北欧の暮らしをそのまま写し取ったような、小さな祝日です。

スウェーデン語で、シナモンロールはカネルブッレ(kanelbulle)。「kanel(シナモン)」と「bulle(丸い菓子パン)」を合わせた言葉です。この記事では、10月4日という日がいつ、なぜ生まれたのかという由来から、カネルブッレという菓子パンとカルダモンという香りの物語、コーヒーと焼き菓子を囲む「フィーカ」の文化、そして焼き菓子とともにあった北欧ヴィンテージの器までを、現地の写真とともにたどります。

スウェーデンのカネルブッレ(シナモンロール)
渦を巻いた生地の上に、真珠のような砂糖(pärlsocker)。スウェーデンのカネルブッレの定番の姿。

この記事でわかること

  • 「シナモンロールの日(Kanelbullens dag)」がいつ、なぜ生まれたのか
  • カネルブッレという菓子パンの特徴と、カルダモンという香りの由来
  • コーヒーと焼き菓子を囲む「フィーカ」と、コンディトリの文化
  • 焼き菓子とともにあった北欧ヴィンテージの器

10月4日、スウェーデンが焼き菓子を祝う日

「シナモンロールの日」は、スウェーデンで毎年10月4日に祝われます。祝日として休みになるわけではありません。それでもこの日になると、職場のコーヒー休憩にはカネルブッレが用意され、パン屋の店先には焼きたてが積まれ、家庭では子どもと一緒に生地をこねる——そんな光景が国じゅうに広がります。

スウェーデンのパン・製菓業者組合(Sveriges bagare & konditorer)の推計では、この日だけで約700万個のカネルブッレが売られるといわれます。家庭で焼かれる分まで含めれば、実際に食べられる数はさらに多くなります。人口およそ1,000万人の国で、これはずいぶんな数です。ひとつの菓子パンが、これほど国民的な存在になっている国は、そう多くはありません。

屋台に積まれた大ぶりのカネルブッレ
真珠糖をまとった大ぶりのカネルブッレが積まれた売り台。奥にはクッキーやチョコレートボール。(Photo: lisamikulski / CC BY 2.0)

興味深いのは、この日がそれほど古い伝統ではないことです。制定されたのは1999年。北欧の長い歴史のなかでは、ごく新しい記念日です。にもかかわらず、わずか四半世紀ほどで、まるで昔からあったかのように暮らしへ溶け込みました。その背景には、カネルブッレそのものがスウェーデンの家庭に深く根づいていたという下地があります。日付の由来については、記事の後半であらためて触れます。

カネルブッレという菓子パン——渦巻きと結び目

カネルブッレは、イーストで発酵させた甘い小麦生地(vetebröd/ヴェーテブロード)から作られます。生地を薄く伸ばし、やわらかいバターを塗り、シナモンと砂糖を振りかけて巻き上げる。切り分けて焼けば、あの渦巻きが立ち上がります。

真珠糖と、結び目のかたち

スウェーデンのカネルブッレを、アメリカのシナモンロールと分けるいくつかの特徴があります。ひとつは、生地にカルダモンを加えること。もうひとつは、仕上げにパールシュガー(pärlsocker)——真珠のように白く粒立った砂糖——やスライスアーモンドを散らすことです。分厚い糖衣(アイシング)で覆うアメリカ式に比べ、甘さもリッチさも控えめで、生地そのものの香りが前に出ます。

かたちも一様ではありません。切り口を見せる渦巻き型のほかに、生地を細長く切って結ぶ結び目(knut/クヌート)型もよく見られます。とりわけカルダモン風味のものは、結び目に成形されることが多いようです。同じ生地から、いくつもの表情が生まれます。

ストックホルムのカフェで供された結び目型のカネルブッレ
結び目型に成形し、真珠糖をのせたカネルブッレ。ストックホルムのカフェにて。(Photo: Kritzolina / CC BY-SA 4.0)

カルダモンの香り——北欧の焼き菓子を特徴づけるスパイス

カネルブッレの生地からふわりと立つ、シナモンとは別の甘くさわやかな香り。その正体がカルダモンです。カルダモンは南インドからスリランカにかけてを原産とする熱帯性の香辛料で、北欧が生んだものではありません。はるか遠くから、交易を通じてこの地へもたらされました。

カルダモンの草姿
カルダモン(Elettaria cardamomum)の草姿。南アジアの温暖な土地に育つ。(Photo: Mokkie / CC BY-SA 3.0)

スウェーデンの食にカルダモンが登場する初期の記録として、食文化の記事ではオーケ・ローラム(Åke Rålamb)が17世紀末に書き留めた香料入りワインのレシピや、18世紀半ばにカイサ・ヴァリ(Cajsa Warg)が著した料理書などが挙げられることがあります。年代の細部には資料ごとに幅がありますが、少なくとも数百年をかけて、この南国の香りが北欧の台所に定着していったことは確かなようです。

なぜカルダモンがこれほど北欧の焼き菓子に根づいたのか——その理由には諸説あり、定説はありません。ヴァイキングが東方の都で出会って持ち帰ったとする説や、イベリア半島を経由する交易路で伝わったとする説などが語られますが、いずれも決め手を欠いています。分かっているのは、カルダモンで香りづけした甘い小麦のパンが、スウェーデン・ノルウェー・フィンランドといった北欧の食文化に、共通して深く根づいているということです。

カルダモンロール(kardemummabulle)
カルダモンで香りづけしたカルダモンロール(kardemummabulle)。カネルブッレと同じ生地から生まれる姉妹。(Photo: W.carter / CC0)

このカルダモンロール(kardemummabulle)は、カネルブッレの姉妹ともいえる存在です。シナモンの代わりにカルダモンをフィリングに使い、結び目に成形されることが多い菓子パンで、近年はストックホルムなど都市部を中心に人気が高まっているといわれます。それでもスウェーデン全国では、依然としてシナモンのカネルブッレが最も親しまれる定番の位置にあります。

カネルブッレはいつ生まれたか

「昔から食べられてきた」という印象とはうらはらに、今日のかたちのカネルブッレは、意外に新しい菓子です。今日のカネルブッレにつながるシナモン入りの菓子パンは、第一次世界大戦(1914〜1918年)のあとに広まったと考えられています。戦時中に配給で制限されていたバター・砂糖・小麦粉・シナモンといった材料が、ふたたび手に入りやすくなったことが背景にありました。なお、生地を広げて巻き、切り分ける、現在よく知られる渦巻き型の「カネルスネッカ(kanelsnäcka)」は、1960年代に広まった形とされています。

もっとも、「カネルブッレ」という言葉で呼ばれた小麦パンの記録は、それより古く、少なくとも1850年代までさかのぼるとされます。ただしこれは、今日のロール状のシナモンロールとは異なる、より古い種類のパンを指していたようです。名前の初出と、現在のレシピの成立は、分けて考える必要があります。

登場した当初、シナモンや砂糖は高価で、カネルブッレはむしろ贅沢な菓子でした。ごく普通の家庭の焼き菓子として広く定着したのは、戦後の1950年代初頭のこととされています。暮らしに経済的な余裕が生まれ、家庭でのフィーカが根づいていったことが、その普及を後押ししました。つまりカネルブッレは、20世紀のスウェーデンの豊かさとともに、家庭の台所へ入っていった菓子なのです。

スカンセンのパン焼き小屋に並ぶカネルブッレ
ストックホルムの野外博物館スカンセンのパン焼き小屋に並ぶカネルブッレ。窓の外には緑。(Photo: Luke Webber / CC BY 2.0)

フィーカと「コーヒーとバン」

カネルブッレを語るとき、切り離せないのがフィーカ(fika)です。フィーカとは、コーヒーと甘いものを前に、手を止めてひと息つくスウェーデンの習慣。ただの休憩ではなく、人と人が向かい合う、社交の時間でもあります。「fika」という言葉は、コーヒーを意味する古い形の「kaffi」を入れ替えた逆さ言葉に由来するとされています。

コーヒーとカネルブッレをひとつ——「コーヒーとバン(kaffe och bulle)」というこの組み合わせこそ、フィーカのもっとも簡素で、もっとも愛された形です。フィーカの習慣そのものはカネルブッレよりも古く、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて広まったとされます。そこへ20世紀にカネルブッレが加わり、やがてコーヒーとともに楽しむ代表的な焼き菓子のひとつになりました。

コーヒーとカネルブッレのフィーカ
コーヒーと一つのカネルブッレ。「kaffe och bulle」というフィーカの基本形。(Photo: Johannes Jansson / norden.org / CC BY 2.5 dk)

フィーカは季節を選びません。長く暗い冬に灯りの下で囲むのはもちろん、夏には野の草の上で、秋には色づいた木々のもとで。屋内でも屋外でも、コーヒーと焼き菓子さえあれば、そこがフィーカの場になります。

夏の野外でのフィーカ
夏の草地でのフィーカ。かごを開き、布を広げて。(Photo: Jacob Rask / CC BY 2.0)

フィーカという習慣そのものについては、フィーカ(Fika)とは|スウェーデンのコーヒー文化と北欧食器の物語でくわしく紹介しています。あわせてご覧ください。

コンディトリと家庭の台所

カネルブッレが焼かれた場所は、大きく二つあります。ひとつは家庭の台所、もうひとつはコンディトリ(konditori)——ケーキや菓子パンを幅広く扱い、カフェも兼ねた北欧の菓子店です。

1910年ごろのスウェーデンのコンディトリの店内
1910年ごろのスウェーデンのコンディトリの店内。ガラスケースに菓子が並び、シャンデリアが下がる。(Public domain)

スウェーデンにコンディトリがまとまって現れたのは19世紀の終わりごろで、20世紀のはじめの数十年間は「スウェーデンのカフェの黄金時代」と呼ばれました。街角のコンディトリはフィーカの場としてにぎわい、とりわけ女性にとっては、家庭の外で人と交わることのできる数少ない場所でもありました。うつわに菓子を盛り、コーヒーを注ぐこの空間は、社交の舞台そのものだったのです。

7種類のクッキーと、家庭のもてなし

家庭でのもてなしにも、独特の作法がありました。来客を招く「カフェレプ(kafferep)」では、コーヒーに添えて7種類の焼き菓子(sju sorters kakor/シュー・ソッテシュ・カーコル)を出すのが理想的なもてなしとされました。少なすぎればけち、多すぎれば見栄っ張り——ちょうど7種類が、もてなしの品格とされたのです。この伝統をまとめた料理書『Sju sorters kakor』は1945年に刊行され、のちに数百万部を売り上げて、スウェーデンで最も広く読まれた菓子の本の一つになりました。

スウェーデンのパン屋のショーケース
スウェーデン西海岸ブロースタードのパン屋。ガラスケースにケーキや焼き菓子が並ぶ。(Photo: W.carter / CC BY-SA 4.0)

コーヒーがこの国に伝わったのは17世紀の半ばで、記録に残る最初の積み荷は1685年にヨーテボリの港へ届いたとされます。その後、18世紀から19世紀にかけては、コーヒーに重い税がかけられ、たびたび禁止令まで出されました。最後の禁止が解かれた1823年以降、コーヒーは一気に広まり、来客にさまざまな焼き菓子を添えてもてなす習慣が根づいていきます。今日、スウェーデンが世界でも有数のコーヒー消費国であることの背景には、こうした長い道のりがありました。

「シナモンロールの日」はどのように始まったか

ここで、冒頭の問いに戻ります。10月4日という日は、どこから来たのでしょうか。

「シナモンロールの日」を制定したのは、Hembakningsrådet(ヘムバークニングスロード=家庭製菓協議会/Home Baking Council)という業界団体です。小麦粉やイースト、砂糖などの食品企業によって1959年に設立されたこの協議会が、創立40周年にあたる1999年に、この記念日を立ち上げました。発案したのは、当時プロジェクトを担当していたケート・ガーデステット(Kaeth Gardestedt)だと伝えられています。

その狙いは、スウェーデンの家庭で菓子を焼く習慣——手作りの菓子でコーヒーに人を招くという文化——を、次の世代へつないでいくことにありました。その象徴として選ばれたのが、だれもが親しむカネルブッレだったのです。マーケティングから生まれた新しい記念日でありながら、これほど広く定着したのは、祝う対象が最初から人々の暮らしの中にあったからにほかなりません。

カール・ノードストロームが描いたスウェーデンの秋
カール・ノードストロームが1887年に描いたスウェーデンの秋。落ち葉に覆われた地面と、色づいた木々。(Public domain)

10月4日は、秋のほかの行事と重なりにくい日として選ばれたとされています。夏の終わりの祝祭がひと段落し、木々が色づき、暗く長い季節へ向かっていく——その入り口に、温かい焼き菓子とコーヒーを囲む日が置かれたことには、北欧らしい季節の感覚がにじんでいます。

なお、姉妹格のカルダモンロールにも「カルダモンロールの日(Kardemummabullens dag)」があるとされます。日付は10月4日とは異なり5月15日で、2015年に個人が始めたSNS発祥の非公式な記念日と説明されています。カネルブッレの日ほど広くは知られていません。

日本とカネルブッレ

シナモンロールは、日本でもすっかりなじみのある菓子パンになりました。近年はとりわけ、カルダモンロールが注目を集めています。2020年代に入ってから、雑誌やウェブメディアで「注目のパン」として取り上げられ、東京を中心にスウェーデン風のベーカリーで見かける機会が増えました。スウェーデン発祥の家具店のカフェで、シナモンロールを手にした方も多いのではないでしょうか。

あの独特の香り——シナモンの奥にひそむ、さわやかで甘いカルダモンの香り——に惹かれる感覚は、北欧の人々が長く親しんできたものと地続きです。一つの菓子パンを通して、遠い北の国の台所と、日本の食卓が静かにつながっています。

グスタフスベリ ベルサのカップとソーサー
スティグ・リンドベリのベルサ(Berså)。緑の葉が連なる、日本でも親しまれてきたグスタフスベリの器。

フィーカの情景に憧れて、北欧のうつわを一枚、また一枚と迎える方も少なくありません。上のグスタフスベリ ベルサ(Berså)のように、当店にもフィーカの風景を思わせる器が揃っています(グスタフスベリ ベルサ コーヒーカップ&ソーサー)。次の章では、コーヒーと焼き菓子のためにデザインされた器を、もう少しくわしく見ていきます。

焼き菓子のための器——コーヒーとカネルブッレ

コーヒーとカネルブッレの情景には、いつも器がありました。フィーカのために北欧の窯が生み出したうつわには、それぞれ役割があります。ここでは当店の在庫から、その情景を思わせる器をいくつかご紹介します。観賞用の北欧ヴィンテージとして、飾ったときの佇まいに目を向けてみてください。

カップとケーキ皿の三つ揃え

ロールストランド シルビアのカップ・ソーサー・ケーキ皿
ロールストランド シルビア(Sylvia)のカップ&ソーサーとケーキ皿。三つ揃えは、コーヒーと切り分けた菓子を並べるためにデザインされた組み合わせ。

コーヒーカップ、ソーサー、そしてケーキ皿(kakfat)の三点で構成された「トリオ」は、フィーカの食卓を整えるための組み合わせです。大きめのケーキ皿は、切り分けた菓子や一つのカネルブッレをのせるためにデザインされた大きさ。上のロールストランド(Rörstrand)シルビア(Sylvia)は、パンジーの花を描いた愛らしいトリオです(ロールストランド シルビア カップ&ソーサー&ケーキ皿 トリオ)。

一つの菓子のための小皿

アラビア クロッカス 17cmプレート
ARABIAクロッカス(Krokus)の17cmプレート。線で描かれた草花が皿の中央にひろがる。

17cmほどの小ぶりなプレートは、菓子を一つのせるのにちょうどよい大きさとしてデザインされました。ARABIAのクロッカス(Krokus)は、モノクロームの線で草花を描いた、静かな存在感のある一枚です(ARABIA クロッカス 17cmプレート)。余白の多い皿面は、焼き菓子の茶色を引き立てます。

コーヒーを注ぐポット

ロールストランド シルビアのコーヒーポット
棚の上に置かれた、ロールストランド シルビアのコーヒーポット。かたわらにろうそくの灯り。

人を招くフィーカには、テーブルの中心にコーヒーポットが据えられました。背の高いポットは、そのまま情景の主役になります。ロールストランド シルビアのコーヒーポットは、白い地にパンジーが一輪咲く、しつらえの一点です(ロールストランド シルビア コーヒーポット)。棚の上に置くだけで、北欧のフィーカの気配がそっと立ち上がります。

まとめ

要点の整理

  • 「シナモンロールの日(Kanelbullens dag)」は毎年10月4日。1959年設立の家庭製菓協議会(Hembakningsrådet)が、創立40周年の1999年に制定しました。
  • カネルブッレの特徴は、生地に加えるカルダモンと、仕上げのパールシュガー。甘さは控えめで、渦巻き型と結び目型があります。
  • カネルブッレは第一次世界大戦後に広まり、家庭に広く定着したのは1950年代とされます。
  • コーヒーと焼き菓子を囲む「フィーカ」、7種類の菓子でもてなすカフェレプ、街角のコンディトリ——カネルブッレは、その文化のなかで代表的な一品になりました。
  • コーヒーと焼き菓子の情景には、いつも北欧の器がありました。トリオ、小皿、ポットが、フィーカの食卓を整えてきました。

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