ウルティマツーレ(Ultima Thule)完全ガイド——ラップランドの氷が生んだイッタラの名作グラス

ウルティマツーレ(Ultima Thule)完全ガイド——ラップランドの氷が生んだイッタラの名作グラス

この記事の要点

  • 「ウルティマツーレ」は1968年にタピオ・ヴィルカラがデザインしたイッタラの名作グラスシリーズ
  • フィンランド最北のラップランドに広がる氷の風景からインスピレーションを得てデザインされた
  • 木型に溶融ガラスを吹き込む独自の技法により、一つとして同じ模様のものが存在しない
  • 1969年よりフィンエアーのビジネスクラスで50年以上にわたり使用されている
  • 名前はラテン語で「最果ての地」を意味し、古代ギリシャの探検家が記した未知の北方の地に由来する

目次

  1. ウルティマツーレとは——「最果ての地」を冠するグラス
  2. タピオ・ヴィルカラ——素材の声を聴くデザイナー
    1. フィンランド最南端の港町ハンコ
    2. ヘルシンキ中央工芸学校——彫刻からデザインへ
    3. ミラノ・トリエンナーレでの栄光
    4. ガラスの詩人——「タピオ」から「ウルティマツーレ」へ
  3. ラップランドの氷——ウルティマツーレが生まれた風景
    1. 北極圏の凍てつく世界
    2. グラファイトの型に氷を刻む
    3. 木型と溶融ガラス——一つとして同じものはない
  4. フィンエアーと「空飛ぶフィンランドデザイン」
  5. シリーズの変遷——1968年から現在まで
    1. 初期のラインナップ
    2. 50周年とカラーバリエーション
  6. ヴィンテージと現行品の見分け方
  7. フィンランディア・ウォッカ——もうひとつの氷のデザイン
  8. ヴィルカラとルート・ブリュック——創造のパートナーシップ
  9. ヴィルカラと日本
  10. ウルティマツーレに出会える場所

ウルティマツーレとは——「最果ての地」を冠するグラス

タピオ・ヴィルカラ ウルティマツーレ シリーズ
ウルティマツーレ シリーズ。氷が溶ける瞬間のような凹凸が、光を受けて複雑に輝く(写真: Nasjonalmuseet/CC BY-SA 4.0)

「ウルティマツーレ(Ultima Thule)」——ラテン語で「最果ての地」を意味するこの名は、紀元前4世紀のギリシャの探検家ピュテアスが記した、知られている世界の最北の地「トゥーレ」に由来します。古代の地理学者ストラボンが「名のある国々の中で最も北に位置する場所」と記したその地は、やがて「未知の彼方」を意味する言葉として西洋文学に定着しました。

1968年、フィンランドのデザイナー、タピオ・ヴィルカラはこの神秘的な名をグラスシリーズに冠しました。ラップランドの春に溶けゆく氷の表情を、ガラスの表面に永遠に閉じ込めたこのシリーズは、半世紀以上を経た現在もイッタラの代名詞として世界中で親しまれています。

タピオ・ヴィルカラ——素材の声を聴くデザイナー

タピオ・ヴィルカラ ポートレート 1970年代
タピオ・ヴィルカラ(1970年代撮影)。ガラス、木、金属、陶磁器——あらゆる素材を自在に操った20世紀フィンランドを代表するデザイナー(写真: Pekka Kyytinen/CC BY 4.0)

タピオ・ヴェリ・イルマリ・ヴィルカラ(Tapio Veli Ilmari Wirkkala、1915年6月2日〜1985年5月19日)。ガラス、木、金属、陶磁器、さらには紙幣や切手に至るまで、あらゆる素材と領域を横断した稀有なデザイナーです。その作品はニューヨーク近代美術館(MoMA)、ヴィクトリア&アルバート美術館、東京国立近代美術館など、世界の主要美術館に収蔵されています。

フィンランド最南端の港町ハンコ

ハンコのフィンランド湾の海岸
ヴィルカラの故郷ハンコ。フィンランド湾に面した荒々しい岩場の海岸線が続く(写真: Pollo/CC BY 3.0)

ヴィルカラはフィンランド最南端の港町ハンコ(Hanko)に生まれました。バルト海に突き出たこの小さな半島の町は、冬は凍てつく海風に晒され、夏は白夜の柔らかな光に包まれます。父イルマリは墓地建築家、母セルマは木彫師という、ものづくりの家庭で育ちました。

ハンコの水塔と教会
ハンコの水塔と教会。ヴィルカラが少年時代を過ごした港町のランドマーク

海と岩と光——幼少期に目にしたフィンランドの自然の厳しさと美しさは、後にヴィルカラの全作品を貫く「自然への敬意」の原点となりました。

ヘルシンキ中央工芸学校——彫刻からデザインへ

ヘルシンキ工芸大学の校舎
ヘルシンキのアラビアンランタ地区にある工芸大学(Taideteollinen korkeakoulu、現アールト大学芸術デザイン建築学部)の校舎(写真: kallerna/CC BY-SA 3.0)

1933年、18歳のヴィルカラはヘルシンキ中央工芸学校(Taideteollinen oppilaitos、現アールト大学芸術デザイン建築学部)に入学し、装飾彫刻を学びました。1936年に卒業した後、彫刻家としてキャリアを始めますが、第二次世界大戦を経て、その関心は工業デザインへと広がっていきます。

1946年、イッタラが主催したガラスデザインコンペティションでカイ・フランクとともに第1位を獲得。この受賞がヴィルカラとイッタラの長い協働関係の始まりとなりました。

ミラノ・トリエンナーレでの栄光

カンタレッリ(シャンテレル)花瓶 1946年
カンタレッリ(シャンテレル)花瓶(1946年)。アンズタケの形を模したヴィルカラの出世作(写真: Iittala/CC BY-SA 4.0)

1951年、ミラノ・トリエンナーレでヴィルカラは展示建築、ガラスデザイン、木彫の3部門でグランプリを獲得。カンタレッリ(シャンテレル)花瓶をはじめとするガラス作品は世界に衝撃を与えました。1954年には再び3つのグランプリを受賞し、フィンランドデザインの黄金時代を牽引する存在となります。

ガラスの詩人——「タピオ」から「ウルティマツーレ」へ

タピオ シリーズ グラスウェア 1952年
1952年にデザインされた「タピオ」シリーズ。ステムの内部に閉じ込められた気泡が、森の朝露を思わせる(写真: Iittala/CC BY-SA 4.0)

1952年にデザインされた「タピオ」シリーズは、ステムの内部に気泡を閉じ込めるという革新的な技法を用いた作品でした。森の中の朝露や、湖面に浮かぶ泡を連想させるこのシリーズは、自然の一瞬をガラスに永遠に留めるというヴィルカラの思想を体現しています。

「タピオ」で確立した「自然をガラスに翻訳する」というアプローチは、16年後の1968年、ラップランドの氷という新たなモチーフを得て「ウルティマツーレ」として結実することになります。

ラップランドの氷——ウルティマツーレが生まれた風景

ラップランドの冬の朝
マイナス19度のラップランド。氷の結晶に覆われた木々が朝日に照らされ、金色に輝く(CC BY-SA 3.0)

1960年代、ヴィルカラは妻ルート・ブリュックとともにフィンランド最北のラップランドに足しげく通いました。北緯66度を超える北極圏。冬は気温がマイナス30度を下回り、太陽はほとんど地平線の上に姿を見せません。しかしヴィルカラはこの極寒の地に、誰も見たことのない美を見出しました。

北極圏の凍てつく世界

ラップランド・サーリセルカの雪と氷に覆われた木
ラップランド・サーリセルカの丘陵地帯。雪と氷に覆われた木々が幻想的な造形を見せる(CC BY-SA 2.0)

春の訪れとともに、凍りついた湖や川の氷が少しずつ溶け始めます。氷の表面に無数のひびが入り、太陽の光が屈折して虹色に輝く。そして氷の塊がゆっくりと崩れ、水の中に溶けていく——ヴィルカラが魅了されたのは、まさにこの「溶けゆく氷の一瞬」でした。

ラップランドの冬の夕暮れ
ラップランド・アカスロンポロの夕暮れ。新雪に覆われた大地に沈む太陽が、空と雪を茜色に染める(CC BY 3.0)

氷が凍る瞬間でも、完全に凍った状態でもなく、溶けていく「あいだ」の表情。固体と液体の境界にある、ほんの数秒間の美。ヴィルカラはその儚い瞬間をガラスという素材に永遠に留めようと試みました。

グラファイトの型に氷を刻む

イッタラガラス工場でのタピオ・ヴィルカラ
イッタラガラス工場でのタピオ・ヴィルカラ。素材と対話しながら制作に没頭する姿(写真: Museovirasto/CC BY 4.0)

ヴィルカラはまず、グラファイト(黒鉛)の塊を手彫りしてプロトタイプの型を制作しました。ラップランドで目にした氷の凹凸を、一刀一刀、型の内側に刻み込んでいったのです。この最初の型から生まれたガラスが、ウルティマツーレの原型となりました。

木型と溶融ガラス——一つとして同じものはない

イッタラガラス工場内部 1968年
1968年のイッタラガラス工場内部。ウルティマツーレが誕生したまさにその年の記録(CC0)

量産のために、ヴィルカラは木製の型を丹念に鑿で彫り上げました。約1,000度の溶融ガラスを吹き竿の先につけ、この木型に吹き込みます。高温のガラスが木型の表面に触れると、木が焼け焦げ、独特の凹凸が生まれます。

ここに「ウルティマツーレ」の最大の秘密があります。型は吹くたびに少しずつ焼けて変化するため、一つとして同じ模様のグラスが生まれないのです。職人の技術は「ガラスの色やパターンが変化する中で、吹き込みをいつ止めるかを見極めること」にありました。ヴィルカラとイッタラの職人たちは、この技法を完成させるために数千時間を費やしたと伝えられています。

フィンエアーと「空飛ぶフィンランドデザイン」

フィンエアー ビジネスクラスのウルティマツーレ
フィンエアーのビジネスクラスで提供されるウルティマツーレのグラス。1969年から50年以上にわたり使用されている(写真: Aaaatu/CC BY-SA 4.0)

1969年5月15日、フィンエアーはDC-8型機でヘルシンキからニューヨークへの大陸間路線を開設しました。この歴史的な初便のファーストクラスで、スパークリングワインを注ぐグラスとして採用されたのがウルティマツーレでした。

当時のフィンエアー機内は「フィンランドのインダストリアルデザインの空飛ぶ展覧会」と評されました。ウルティマツーレのグラスだけでなく、マリヤッタ・メツォヴァーラのフェルトデザインや椅子カバーに至るまで、機内のあらゆるものがフィンランドのデザイナーの手によるものだったのです。

驚くべきことに、フィンエアーのビジネスクラスでは現在もウルティマツーレが使用されています。50年以上にわたり現役で空を飛び続けるデザイン——それ自体が、このシリーズの普遍性を物語っています。

シリーズの変遷——1968年から現在まで

ウルティマツーレ ハイボールグラス 380ml
ウルティマツーレ ハイボールグラス(380ml)。グラスの下半分に施された氷のテクスチャーが、光を受けて複雑な表情を見せる

初期のラインナップ

1968年の発表当初から、ウルティマツーレは多彩なラインナップで展開されていました。オールドファッショングラス(200ml)、オンザロックス(280ml)、ハイボール(380ml)、コーディアル(リキュール用の小型グラス)、ゴブレット、ワイングラス(赤・白・スパークリング)、ビアグラスなどのグラス類に加え、ピッチャー、ボウル、プラッター(サービングプレート)、キャンドルホルダー、花瓶まで揃っていました。

これらはすべてクリア(無色透明)で統一され、氷のテクスチャーだけがシリーズのアイデンティティを形成していました。装飾を排し、素材そのものの美しさで勝負する——ヴィルカラの哲学が端的に表れたシリーズです。

50周年とカラーバリエーション

2018年、ウルティマツーレは誕生50周年を迎えました。これを記念して、シリーズ初のカラーバリエーション「レイン(rain)」が発表されます。フィンランドの風景を想起させる、くすんだ青——雨上がりの空と湖面が溶け合うような色彩は、クリアとは異なる静謐な美しさを湛えていました。タンブラー、ボウル、ティーライトキャンドルホルダー、ピッチャーなどで展開されましたが、限定生産のため現在は入手困難です。

また、フィンランドの砂から作られたリサイクルガラスによるグリーンの限定版も発売されました。環境への意識とデザインの美しさを両立させるこの試みは、自然と共生するフィンランドデザインの精神を現代に受け継ぐものでした。

ヴィンテージと現行品の見分け方

ウルティマツーレは1968年の発表以来、現在もイッタラのフィンランド工場で生産が続けられています。全品がハンドメイドである点は当時も今も変わりません。ヴィンテージ品と現行品を見分けるポイントは、主にイッタラのロゴの変遷にあります。

イッタラのロゴは、1956年にティモ・サルパネヴァがデザインした「赤い丸の中に白い"i"」が長年使われてきました。ガラス吹き管の先にガラスの塊がついた形を表現したこのシンボルは、北欧デザインを象徴するロゴのひとつです。2001年にリニューアルされたものの赤丸に"i"のモチーフは継承され、2024年には赤色から「ファイヤーイエロー(溶けたガラスの色)」に変更されました。

底面の刻印(「iittala」のエンボスやパターン番号)のスタイルも年代によって異なります。ただし、ウルティマツーレは木型の特性上、型が使用されるたびに表面が変化するため、模様のパターンだけで年代を特定することは困難です。これは初期の作品も現行品も共通する特性であり、むしろウルティマツーレの本質的な魅力——「一つとして同じものがない」——を裏付けるものといえます。

フィンランディア・ウォッカ——もうひとつの氷のデザイン

フィンランディア ウォッカ ボトル
ヴィルカラがデザインしたフィンランディア ウォッカのボトル。ウルティマツーレと同じ氷のテクスチャーが施されている(写真: Helsingin kaupunginmuseo/CC BY 4.0)

1970年、ウルティマツーレの2年後にヴィルカラがデザインしたのが、フィンランディア ウォッカのボトルです。ボトルの表面にはウルティマツーレと同じ氷のテクスチャーが施され、手に取った瞬間にフィンランドの冬を感じさせるデザインとなっていました。

このボトルは約30年間にわたり使用され、フィンランドを世界に紹介する「大使」の役割を果たしました。ウルティマツーレとフィンランディア——ヴィルカラは「氷」というひとつのモチーフから、グラスとボトルという二つの名作を生み出したのです。

ヴィルカラとルート・ブリュック——創造のパートナーシップ

ルート・ブリュック 1950年代
ルート・ブリュック(1950年代撮影)。ヴィルカラの妻であり、アラビアで50年にわたり陶芸作品を制作したフィンランドを代表するアーティスト

ヴィルカラの人生を語るうえで欠かせないのが、妻ルート・ブリュック(Rut Bryk、1916〜1999年)の存在です。グラフィックデザインを学んだブリュックはアラビア窯で陶芸家として活躍し、粘土を芸術に昇華させた作品で知られています。1945年に結婚した二人は、互いの創作活動を深く尊重しながら、フィンランドデザイン史に並び立つ足跡を残しました。

ラップランドを創作の地としたのも二人の共同の決断でした。北極圏の厳しくも美しい自然の中で、ヴィルカラはガラスに、ブリュックは陶芸に、それぞれの素材で自然の美を翻訳し続けたのです。

ヴィルカラと日本

ヘルシンキ デザインミュージアム
ヘルシンキのデザインミュージアム(Designmuseo)。ヴィルカラをはじめとするフィンランドデザインの巨匠たちの作品が収蔵されている(写真: Vadelmavene/CC BY-SA 4.0)

2025年から2026年にかけて、日本で初めてとなるヴィルカラの大規模回顧展「タピオ・ヴィルカラ 世界の果て」が開催されました。東京ステーションギャラリー(2025年4月〜6月)、市立伊丹ミュージアム(2025年8月〜10月)、岐阜県現代陶芸美術館(2025年10月〜2026年1月)の3会場を巡回し、約300点のプロダクト、オブジェ、写真、ドローイングが展示されました。

エスポー近代美術館(EMMA)とタピオ・ヴィルカラ ルート・ブリュック財団の主催によるこの展覧会は、ヴィルカラの多面的な創作活動を日本で初めて包括的に紹介する機会となりました。

ヴィルカラの自然への深い敬意、素材の本質を引き出す姿勢、余計なものを削ぎ落としたフォルム——これらはフィンランドと日本が共有する美意識と深く響き合うものです。「メタナチュラル」と評されるヴィルカラのアプローチ、すなわち自然を着想源としながら数学的比率を応用して「自然を超越した自然美」を実現する手法は、日本の「用の美」や「侘び寂び」の精神と通底しています。

ウルティマツーレに出会える場所

イッタラガラス村の風景
イッタラガラス村の風景。ヘルシンキから北へ約120km、ハメーンリンナ近郊の小さな村にガラス工場が佇む(写真: Kotivalo/CC BY-SA 4.0)

フィンランドを訪れる機会があれば、ヘルシンキから北へ約120km、ハメーンリンナ近郊のイッタラ村を訪ねてみてください。1881年にガラス工場が設立されたこの小さな村は、現在もイッタラの生産拠点であり、ガラス博物館やアウトレットショップが点在しています。ウルティマツーレが生まれた工場の息吹を、肌で感じることができる場所です。

イッタラガラス博物館
イッタラガラス博物館。ヴィルカラやサルパネヴァをはじめとするイッタラの歴史を伝える(写真: Kotivalo/CC BY-SA 4.0)

ヘルシンキのデザインミュージアム(Designmuseo)にもヴィルカラの作品が収蔵されています。フィンランドデザインの全体像の中で、ウルティマツーレの位置づけを理解するのにふさわしい場所です。

まとめ

1968年、フィンランドの最北の地で溶けゆく氷に魅せられた一人のデザイナーが、ガラスという素材に氷の一瞬を永遠に閉じ込めました。ウルティマツーレは「最果ての地」の名のとおり、人間の手が自然の美に近づける限界点を示す作品です。

木型が焼けるたびに変わる模様、50年以上空を飛び続けるグラス、そして「自然を超越した自然美」を追求したヴィルカラの哲学——ウルティマツーレは、北欧デザインが世界に誇る最も詩的な作品のひとつです。

あわせて読みたい関連記事

関連商品をチェック

イッタラ タピオ・ヴィルカラ

コラムに戻る