フィンランドの伝統と美を象徴するARABIA(アラビア)のヴィンテージ食器。
中でも幻の作品とされる「プルプリイェンカ」が今回入荷しました。
数年に一度もない、非常に珍しい機会です。
プルプリイェンカは1969年から1970年のわずか1年間しか生産されなかったため、現代においては幻の作品と称されています。
数多くのアラビア製品の中でも、プルプリイェンカはいわゆるヴィオラロゴのパラティッシや、希少な名作コラーリよりも群を抜いて珍しい存在です。
「プルプリイェンカ」という名前はフィンランド語で「紫色の踊り」を意味します。
カップに施された色彩や模様は、まるで優雅な舞踊をイメージさせ、見る者を魅了します。
深みのある紫色を基調としたデザインは、緻密な花柄や葉のモチーフが踊るように配され、ティーカップ全体に動きと生命感を与えています。まるで一つの舞台芸術が小さな食器に凝縮されているかのようです。
(写真:全面に紫の花と青々とした葉が細かに描かれている)
「プルプリイェンカ」の生産が1969年から1970年という短い期間に限られていた背景には、複雑な理由があると考えられます。
特にこの時代、ARABIA社は高度な技術と豊富な経験を持つ職人たちの力によって数々の名作を生み出していました。
しかし、プルプリイェンカのような細やかなペイントが要求される作品は、他の製品よりも多くの時間と技術を必要としたと考えられます。
(写真:当時のアラビア社で作業をする絵付師)
緻密な描写が求められたこの作品は、特に絵付けにおいて高いスキルを持った限られた職人のみが担当できたため、生産効率の優先が求められる時代背景の中で、量産が難しかったと推測されます。
今回入荷した複数のティーカップもソーサーも全て、ペインターのサインが同じ人物でした。このことはこの細かい筆使いを担当できる人物が当時のアラビア社でも限られていたことを示唆しています。
(写真;最後の行のサインが、デザイナーと実際に絵付けをしたペインターのイニシャルサインとなっている。UPとは原案をデザインしたウラ・プロコッペのことで、スラッシュで区切った右側が絵付け師のサインとなる。)
(写真:今回入荷した作品は全て、カップはEV、ソーサーはSHという絵付師によるものだった)
さらに、デザインを手掛けたウラ・プロコッペの存在が、この作品の価値をさらに高めています。プロコッペはフィンランドのデザイン界においてキーパーソンであり、「バレンシア」や「ルスカ」といった他のアラビアの名作を生み出したデザイナーとして知られています。
(写真:ウラ・プロコッペ)
しかし、彼女はこの「プルプリイェンカ」の商品化を見届ける前に1968年に亡くなってしまいました。そのため、この作品は彼女が遺した最後のデザインアイデアの一つであり、独自のスタイルと感性が反映された遺作といえるものです。
プルプリイェンカの紫の色彩には北欧の寒く暗い気候への反骨心が表現されているようです。北欧食器はその特徴として、厳しい気候風土とは対照的な華やかで明るいデザインがよく見られます。ティーカップという小さなキャンバスの中にも、北欧食器の伝統的な性質が現れており、見る者に豊かな想像力を働かせる力を持っています。
(写真:冬が長い気候の国で華やかな食器を作る矛盾が北欧食器の魅力を生み出している)
また、1969年から1970年という時代背景も無視できません。この時期、ARABIAは名作「パラティッシ」を発表し、その技術力とデザイン力の頂点に立っていました。
(写真:ビルガー・カイピアイネンの名作「パラティッシ」)
その後、1974年の石油危機によって一時的に生産が縮小し、アラビア社にとって厳しい時代が訪れましたが、その前の数年間はアラビアの黄金期とされ、多くの傑作が生まれました。プルプリイェンカもその絶頂期に作られた作品であり、その完成度と美しさは、まさにその時代を象徴するものです。
現在、北欧食器は北欧デザインが世界中で愛される一方で、実際の製造は東南アジアで行われていることが一般的です。しかし、かつてはデザインと製造が一体となり製造されていた時代がありました。
(写真:アラビア本社。当時はデザインと製造が全てここで完結していた)
その時代の作品は、現代の量産品とは異なり、一つ一つに職人の手の技と心が込められています。プルプリイェンカのような作品は、今の時代に再現不可能な美しさやフォルムを持っており、その価値は時を経るごとに高まっています。
(写真:現在の東南アジアの製造現場)
70年代前後のアラビア食器、特にプルプリイェンカは、失われた北欧食器の美が感じられ、過去の美意識を伝える芸術作品とも言えるでしょう。
その背景にある物語、そしてデザイナーの遺した想いを感じながら、ぜひこの作品から広がる世界を感じ取っていただければと思います。