ARABIA食器の名作バレンシア - 北欧食器Tacksamycket

ARABIA食器の名作バレンシア

フィンランドの代表的な陶器メーカーARABIA社。アラビアとは首都ヘルシンキにあるアラビア地区に由来しています。当地には現在でも工場があり、一時期は工場見学も出来たようですが今ではデザインセンターにリフォームされてイッタラ製品などの直売所となっています。

(工場見学時に配布された豆皿)

もともとARABIAはスウェーデンのロールストランド社のフィンランド工場としてスタートとしています。創業当時の1873年は帝政ロシアの領土だったため、スウェーデンから食器を輸出すると関税がかかるため、ロシアの中に工場を作ることで租税を回避する意味もあったようです。

当時は伝統的なヨーロッパのボーンチャイナの装飾が多くマイセン風の食器が製造されていました。北欧ではミッドセンチュリーと呼ばれる20世紀中葉に起きた芸術的なムーブメントが、現代の「北欧モダン」と呼ばれるものへと通じています。

それ以前にはマイセンの焼き直しのような食器が多く見られており、デザインに独自性や自主性がありませんでした。しかし1940年代ごろから徐々に北欧の独自のデザインセンスが生み出され、それが花開いたのが1950〜70年代ごろに集中しています。この当時に生み出された食器が例えばグスタフスベリのベルサであり、ARABIAのバレンシアです。

北欧デザインの特徴は、シンプルかつ美しい、という点にあります。バレンシアはハンドペイントによってペインターと呼ばれる絵師が一つひとつの食器を彩っています。極端に言うとコバルトブルーの絵の具を塗っているだけなのですが、その色味が絶妙に深く黒すぎない、というポイントを抑えています。

基本的にデザインにはパターン(模様)が指定されており、プレートであれば中央に花柄と周囲に渦巻文様、スープ皿であればより細かい花弁が中央に描かれ、カップであれば塀のような格子柄が特徴です。

(バレンシアには様々なパターンがあったことが分かる)

最近は珍しい食器が入荷しました。バレンシアは1961年に発売されていますが、その前夜に製作されたと思われる試作品です。

花柄と格子柄が混在しており、一時期こういうものも市場には出回っていたようです。作りかたを見ると背面にはサインもなく、焼きが甘く貫入も見られるので本当に試作品の原型といったものです。背面にペインターのサインがないものは正規の販売用ではなかったためでしょう。

(一枚のみUPのサイン)

ただ一部のプレートには背面にUPのサインが見られます。これはデザインそのものはウラ・プロコッペ自身のものであることを示しています。通常はUPの後はスラッシュで区切られて、ペインター本人のイニシャルがサインされます。UPとしかないということは、ウラ・プロコッペ自身が考案したパターンの一つであったことを示しています。本人が実際に絵筆を執ったのかもしれません。

(ARABIA社に在籍したウラ・プロコッペ)

最終的にバレンシアシリーズは前年のフィエスタをデフォルメした形で、花・渦巻・直線を散りばめたものにデザインが落ち着きました。

ちなみシリーズ名として冠されたバレンシアとはスペイン南東部の港町の名前です。釉薬に使われた濃いコバルトブルーの青色は地中海の鈍色の海と強い太陽の日差しを表現していると言われています。

1961年にデザインされてからバレンシアは2002年までの40年以上に渡ってフィンランド国内で製造されました。その後は復刻がされておらず、現在入手可能なものはヴィンテージ市場に出回っているもののみとなります。後期の作品はハンドペイントの要素こそ残されていますが、背面のバックスタンプは手書きではなくハンコ型に改められています。

ウラ・プロコッペは1968年に47歳の若さで病気で亡くなりますが、療養先はスペインのカナリア諸島であり、つねに彼女の心はスペインへの愛に溢れていたことを感じます。北欧は非常に冬が寒いお国柄もあって温暖な気候の南ヨーロッパへのあこがれが、ある種のないものねだり的な文化としてあるように思います。

北欧といえば日本では幸福度ランキングなどが引き合いに出されたり理想郷のように論じられることもありますが、彼の国には彼の国なりの生活の厳しさがあると思います。特に冬場は寒くて陽が極端に短いので観光に行かれる際はミッドサマーと呼ばれる夏至の前後を強くおすすめいたします。 

中村

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