ライヤ・ウオシッキネンは北欧食器の代表的なメーカーであるARABIA(アラビア)で数多くの快作を生み出した伝説的なデザイナーです。
(写真:ARABIA入社時のウオシッキネン)
ウオシッキネンは1923年フィンランド南部にある町ホローラ(Holola)で生まれました。1947年に首都ヘルシンキにあるアールト大学芸術学部を卒業し、ARABIA社にデザイナーとして就職しました。
その後、1986年までの40年間、ウオシッキネンはARABIA社の専属デザイナーとして勤務し、エミリア(Emilia)シリーズやアリ(Ali)、ドリア(Doria)、アーメッド(Ahmed)などを生み出しました。特にカレワラ(Kalevala)というクリスマスシーズンに毎年製造されるイヤープレートは、彼女が考案したもので、現在まで多くのコレクターの間で根強い人気を誇っています。
(写真:最も価値がある初年度の記念プレート)
ウオシッキネンはARABIA社の先輩デザイナーであるカイ・フランクとの共作を行うことが多くありました。カイ・フランクがフォルムデザインを手掛け、ウオシッキネンがパターンデザインを提供するというものです。
しかし、彼女の代表作であるエミリアは、ライヤが単独でデザインしたもので、1959年から1966年の間に製造された比較的短い期間の傑作となっています。エミリアという名前は、米国に住んでいた彼女の叔母の名前から採用されており、点描で描かれた貴婦人が紅茶を楽しむ姿は、アメリカの理想的な生活スタイルを描いているとされます。北欧の暮らしとは隔絶した遠い国の暮らしにライヤが憧れを抱いていた側面を感じさせます。
(写真:ウオシッキネンの代表作エミリア)
またアリ(Ali)シリーズは1961年から1973年の間に制作され、名コンビであるカイ・フランクとライヤの共作で世に送り出されました。アリはARABIA製品の中でも最後の銅版転写の作品となっています。銅版転写は、シルクスクリーン印刷の一種で、パターンデザインを施した銅版にインクを刷り、転写紙に印字したものを陶器に貼り付け、薄く透明の釉薬を塗り重ねて再焼成する工程を重ねています。
こうした銅版転写の作業は職人が何度もインクの刷り込みをおこなうため大変手間がかかります。そのため安価な陶器が台頭するようになった1980年代にはARABIA社の中でもプリメイドの転写紙をそのまま貼り付けたり、シンプルなハンドペイントで装飾を施すなどの工程を省略した手法でコスト減を図っていました。
その時代に制作された作品にはリネア(Linnea)やピルッティ(Pirtti)というシリーズがありますが、それまでの黄金期の作品に比較すると、装飾が極端にシンプルであり、手間暇がかけられなかった苦しい時代を感じさせます。
(写真:80年代の作品はパターンデザインが極端にシンプルになる)
ライヤ・ウオシッキネンは、1986年に定年でARABIA社を退いた後も、会社のすぐ隣の家に住み続けており、同社の現役のデザイナーやアールト大学の学生たちを快く自宅に招いて、気さくにもてなしながらも後進の指導にあたっていたと言われます。
(写真:後年のウオシッキネン、カレワラシリーズを手にとっている)
なお、代表作のエミリアシリーズが遠い米国の暮らしへの憧れを象徴していたと言われるのは、第二次大戦後のフィンランドは貧しい時代の連続で決して豊かな国ではなかったためです。そのような貧しい暮らしの中で多くの名作が生み出されたある種の矛盾が、フィンランドのミッドセンチュリーの特徴といえるかもしれません。
ARABIA社のアートデパートメントで活躍していた頃のライヤ・ウオシッキネンは、多くの影響を残し、後世にも記憶されています。