おばあちゃんの食器 - 北欧食器Tacksamycket

おばあちゃんの食器-北欧ヴィンテージ食器の裏側

当店は北欧ヴィンテージ食器や陶板を販売しています。半世紀前のものを中心に、北欧で製作された20世紀で最高の出来栄えのものをチョイスしています。現地では試行錯誤して様々なアイテムを掻き集めているわけですが、今回はとても心を打たれる出来事があったのでご紹介しようとおもいます。

北欧の方はびっくりするくらいフレンドリーであったりします。本人は当たり前の親切心でそう振る舞っているのですが、文化の違い、人の違い、国の違いはこの「当たり前」の前提が違うことに現れます。

バイヤーさんの話では北欧なりの嬉しさの表現だろうということでしたが、これまで一番ビックリしたのは買付けをした商品を送ってもらったときのことです。事前の写真ではシュガーポットが含まれていました。事前の写真で見た時は、状態も良く、当然中は空っぽだったシュガーポットが、実際に届いた時には砂糖がぎっしり詰められていました。こちらが高い値段で買い取ったことが嬉しくて、サービス精神から大量の砂糖を入れてくれたようです。

また、ある時は、注文したプレートとは関係のないプレートが大量に同梱されていたこともありました。しかもブランドものなのですが、メモ書きには「もういらないので一緒に使ってください」と書いてありました。商品の点数に対して、送料が妙に高かった理由がわかりました。送料はこちら持ちなので一声かけてくれたら嬉しい、という多少複雑な気持ちもありましたが、何にせよ商売っ気のない話だなとおもいます。北欧のびっくりするような親切心とはこういうことです。

 

 

今回は、一枚の手紙についての話です。

ぎっしりと詰まったお砂糖や大量のプレートとは異なり、今回送られてきた荷物の中には一枚の手紙が同封されていました。

スウェーデンのある方から半世紀ほど前のARABIA・ヌータヤルヴィのガラス食器を一式譲り受けたのですが、食器はその方の祖母の持ち物であったそうです。

おばあちゃんの食器

手紙には次のような内容が書いてありました。もともとフィンランドで生まれたご祖母様は第二次大戦のさなか、ソ連とフィンランドの国境で繰り広げられた冬戦争で戦災孤児になり、孤児院に預けられた後はスウェーデンの里親の元で育てられたそうです。

大戦後は清掃員として働き、結婚した夫の父がロールストランド社の陶芸部門で働いていたことから、義父の影響で食器を好きになったそうです。その関係でARABIA食器を購入したようです。フィンランド製の食器を購入したのは、故郷を思い出し、そうすることで元気が出るからだろうとのことでした。祖母が亡くなった後、食器はそのままになっていたが、一番良いのは役立ててもらうことだと思う。どうぞ大切にしてください、という内容でした。

日本に届いた箱を開けると、おばあちゃんの食器に関してはほとんど使用された形跡がなく、まるで昨日作られたかのように美しいままでした。おそらく、もったいなくて使えなかったのではないかと思います。故郷を思い出して元気を得ていたのではとのことですが、使うよりも眺めることで、彼女の故郷であるフィンランドを感じていたのかもしれません。

 

 

当店では通常、ヴィンテージ品の来歴を紹介することはありませんが、今回はとくに紹介したいと思い記事にいたしました。北欧ヴィンテージは一度人の手に触れたものが海を渡って日本に入ってきます。商品そのものが作られたストーリーは十分に説明しますが、一方でそのヴィンテージ品には使い手の歴史も含まれています。

それぞれのヴィンテージが一つの人生、一つの物語を背負っていることを思い出させてくれるのは、今回のような特別なケースです。手にする食器一つ一つが、誰かの日常の一部だったこと、誰かの思い出を刻んでいたこと、そしてその思い出が私たちの手元に託され、新たな物語の一部となることを考えると、その価値は計り知れません。

これからもその価値とストーリーを大切にしながら、一つひとつの商品をお客様の手元へとお届けしたいと思います。それが次の人生を彩り、新たな物語を創造する一助となれば何よりも嬉しく思います。

これからも北欧食器Tacksamycketをどうぞよろしくお願いします。

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